2020年03月18日

第6話「鉄製大砲」⑨

こんばんは。
大隈重信八太郎)は、後に貿易財政で活躍します。そんな「数字に強い大隈は、信保能力を受け継いだのかもしれません。


――佐賀城下の“築地”で、反射炉の建設が進んでいた頃。

鋳造が進めば、大砲の試験の回数も増える。実際に砲弾を扱う部隊も大忙しとなっていた。

砲術の部隊長である大隈信保演習場で作業を仕切る。
倉庫の中身を入れ替えいたすぞ!」

「はっ!」
部下たちが倉庫から荷物を運び出す。

ひと息入れるか…」
信保は、ふと気を抜いた。

――季節は、初夏である。この日は照り付ける陽射しが厳しい。

何気なく、信保日陰に入った。そのとき。

グワァン…グワァン…

一時置きしていた資材が倒れ込んできた。


気づいたときには、強打していた信保
その場に倒れ込んだ。


――大隈さま!しっかりなさいませ!

部下たちが遠く聞こえる。
を開けた大隈信保

「いかん…いかん。まるで一本取られたようじゃな…」
まるで剣術の稽古で負けたような事を言う。

大隈さん!驚かさないでくださいよ!」
ベテランの部下が助け起こす。信保冗談を言う余裕があると見て、苦笑する。

――その日は予定を切り上げ、帰宅した大隈信保。



「いま、戻った。」
信保は、いつものように帰宅を告げる。

「お帰りなさいませ、父上!」
八太郎は、藩校から帰ってきていた。

「少し…疲れているようだ。母上によろしくな。」
信保は、そのまま横になった

そして、二度と目を開けることはなかった。


――佐賀城下・築地に話を戻す。

鋳立方の七人」にも、大隈信保訃報が届いた。

大隈どの…なにゆえだ…」
信保から絶大な評価をされていた、算術家馬場が嘆く。

そして、第一報を聞いた、会計田代うつむいたままだ。
数字”に関わる仕事2人には、信保は数少ない“理解者”だった。

重苦しい空気が“チーム”全体を包む。

リーダー・本島は、振り絞るように言った。
作業を…、進めよう。」


――ほどなく構築中の反射炉では、充分な熱を得られないと判明した。

設計見直しを余儀なくされていた。
まず、高温を出すために、炉の構造など調整が要る。

「いま一度、計算いたす…」
算術家馬場。あまり元気が無いが、再び筆を手にした。



――そして、季節は移ろい、冬となっていた。

刀鍛冶橋本無言で炉を見つめる。

周囲の空気にも高熱が伝播する。真っ赤な銑鉄
「やはり鉄が、溶けきっておらんばい。」

素材の見直しも、手配せねばなりませぬな。」
会計田代は、いつもの冷静さを取り戻していた。

あらためて島根から銑鉄を、肥後(熊本)から良質の木炭を調達する段取りを始めた。

日本初の実用反射炉、何とか「鉄を溶かす」段取りは整い始めた。
しかし、この“プロジェクト”には、さらなる苦難が待ち受けているのである。


(続く)
  


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2020年03月17日

第6話「鉄製大砲」⑧

こんばんは。
殿・鍋島直正の気迫が届いたのか、幕府長崎の沖合に佐賀藩砲台を築く許可を出しました。

――リーダー本島が、岩田(神埼)の演習場に駆け込む。

「公儀(幕府)からお許しが出た!」

読解の鉄人・田中。落ち着いたまとめ役でもある。
皆様方!いよいよでござるな。」

腕が鳴るったい!」
肥前刀鍛冶橋本である。“鉄を溶かす”担当。

橋本は、この事業の花形の1人と言っていい。
なぜなら“反射炉”は鉄を溶かす設備だからだ。


――砲台には、備え付ける大砲が必要である。そして、佐賀城下の“築地(ついじ)”に日本初の実用反射炉を築くことになった。

「絵図面(設計図)は、こちらにござる。」
算術家・馬場栄作。
まず、高温を出せる設計を行っていた。

「では、手筈(てはず)どおり、煉瓦(レンガ)の支度を!」
会計田代である。
物品を手配する度に“お金”が要るため、進捗の管理は田代の仕事になっていた。

炉造りに長けた者は、一通り集めておるばい。」
鋳物師谷口
有田伊万里から、の構築に定評のある陶工を選び、打合せを進めている。


――ついに「鋳立方の七人」が集結!…いや1人足りない。


翻訳の達人・杉谷雍助。長崎に来ている。
杉谷は、翻訳した内容が技術的に正しいか、出島まで専門家の意見を聴きにきていた。

「ここに、我らのが据え付けられるのだな!」
長崎の海を見遣る。
実は、砲台の建設現場にも足を伸ばしていた。


――ドボン!ドボン!

神ノ島地区の“四郎ケ島”である。

浅瀬に次々と大石が投げ込まれる。
佐賀藩長崎でも、に通路を造る大工事に着手していた。

神ノ島と隣接する“四郎ケ島”を地続きにしてしまい防備を固める。

台場はお任せあれ!目の覚めるような“鉄銃”(大砲)をお届けいただきたい!」
大勢の人足を動員し、工事を仕切る担当者。

ニッ!と笑って、大砲への期待を口にした。


――佐賀城下・築地に拠点を移し、反射炉の建設が進む。


積みあがっていく耐火レンガ
慌ただしく、現場が動いていく。

「まず、鉄を溶かさねば、話にならぬ…」
リーダー・本島は、伊豆の韮山で実験用反射炉を見学している。

温度が上がらず、あまり鉄が溶けていなかった。

「私が幾度でも計算しなおそう。正しき答えが出るまで。」
算術家・馬場から話しかけてくるのは、珍しい。

「かたじけない。馬場どの、頼りにしておる。」
本島にかかるリーダーの重圧周囲もそれを分かっている様子だ。


――そこで、会計の田代が走り込んでくる。

大変です!」

田代どの!いかがした…」
いつも冷静な田代が慌てている。本島は息を呑んだ。

大隈どのが…」

大隈信保大砲鋳造できた後に、試射を行い実験を担当する役割である。田代の表情から、良くない知らせであることは明らかだった。


(続く)
  


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2020年03月16日

第6話「鉄製大砲」⑦

こんばんは。本日は鍋島直正の嫡子、淳一郎が登場します。

――そわそわする、殿・鍋島直正

目の前には蘭方医、そして、4歳ぐらいの男の子。
貢姫(みつひめ)ので、淳一郎という。

えすか(怖い)です、おちちうえさま…」
種痘”とは、“天然痘”の予防接種である。

淳一郎よ!そなたは、我が後継ぎであるぞ。堂々としておれ。」
直正は“種痘”を受ける、淳一郎に対して「恐れるな」と諭す。

「はい、おちちうえさま。」
若君の淳一郎は、後にイタリア公使となる鍋島直大である。

但し、今は“謎の注射”を怖がる男の子と思ってほしい。


――このワクチンの素は、オランダから長崎を通じて手に入れた。

佐賀藩医楢林宗建。入手までの困難に立ち向かった。

「何だ!これは!腐っておったのか…」

もとはウシの“天然痘”のから、ワクチン(痘苗)を作る予定だった。しかし、海外から運んでいるうちにダメになってしまう。

水分があるからいかんのだ…。」
楢林の知恵で、液状のではなく、乾燥した“かさぶた”を取り寄せ、ワクチンを製造したのである。


――その時、日本を救うワクチンは佐賀にあった。いま若君に“種痘”を施す。西洋医学の夜明けである。



淳一郎よ!先生を信じよ!」
「はい!おちちうえさま!」

鍋島直正、嫡子・淳一郎には、厳しい父親であろうとした。
ただ、心配がまるで隠せていない。
淳一郎よ!落ち着け。」

むしろ、淳一郎は落ち着いている。担当する藩医大石良英直正を諭す。
殿、お静かに。」


――さて、大砲の話に戻る。佐賀ではドタバタしたが、江戸での直正を見てほしい。

江戸城直正が強い調子で語っている。
「かねてからのお願いでござる。長崎台場は、国の存亡に関わる急務でござる。」

話している相手は、老中首座・阿部正弘である。
肥前守直正)どの、さすがの見識にござる。」

直正が続ける。
異国船と相対するには、沖合から守ることが肝要でござる!」

阿部正弘は、そのまま直正の話を聞き続ける。
「恐れ入った。感服いたすばかりじゃ。」


――この阿部正弘。いわゆる“調整型”リーダーである。ほぼ自己主張をしない。

周囲意見を聴きまくって、その中から“最善手”を選ぶタイプである。

直正熱弁を聴き続ける、阿部。やや太め温厚な印象である。
肥前(直正)どのは、実に頼もしい。」

直正は、ふと不安になった。
阿部さまは、本当に分かっているのだろうか。」という心の声は封じ込めて、砲台の重要性を説く。

また返事は先延ばしになったが、直正の「佐賀藩独力でやります!」との宣言は効いていたようだ。ほどなく長崎の沖合にある、伊王島神ノ島砲台整備の許可が出たのである。


(続く)

  


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2020年03月15日

第6話「鉄製大砲」⑥

こんにちは。前回の続きです。
舞台は、佐賀藩の砲術演習場の片隅からスタートします。

――火薬庫や部品を保管する倉庫で、ガサガサと音がする。

事務方の侍・田代が、火薬等の在庫の確認を行う。
大隈さま、ちょうど良いところに。」

田代どのか。ご苦労であるな。」と大隈が応じる。

「この“硝石”の仕入値は、何処を見ればわかりますか。」
「それは、長崎で仕入れた物だが…」

――田代は、原材料の仕入先や値段を調査し、製造・試験の工程そのものを検証していた。

田代どの…もしや。」
「ええ、早晩“火術方”の資金は底をつきます。」

未知領域に挑むため、佐賀藩研究費はきわめて高額だった。

たとえ殿の命令でも、資金が不足となれば、藩内の保守派から風当たりは強まる。「お前たちが懐に入れているのではないか!」というで見られるだろう。


――「鋳立方の七人」の七人目は、田代孫三郎。会計担当である。

田代どの!やはり“数字”は大切でござるな!」
算術”や“会計”に、やたらと感銘を受ける大隈信保

大隈が好意的なので、田代も喜んでいる様子だ。
「ええ、先を見通すには、お金の回り掴むことと心得ております。」

もともと田代は、長崎砲台経費を削るために「倹約の鬼」として、勘定方に育成された。そして“蘭学の勘所(ポイント)”を抑え、冷たい視点製造部門を見つめてきた。

今や“火術方”に引き抜かれた、田代。かえって製造・開発側の強い味方となったのである。


――舞台は、佐賀城下に戻る。

藩校に通う子どもたちが遊んでいる。しかし、徐々に雲行きがあやしくなり、喧嘩予感が漂う。

「やい、八太郎!」

距離を取って、大隈八太郎が対立するグループのリーダー(通称:たかうじ)と向かい合う。

――ここで、八太郎は母の言葉を思い出す。

「いいですか!八太郎喧嘩になりそうな時には、まず“お念仏”を十回唱えなさい!」

との約束だ。八太郎は「なむ…なむ…」と、実に小声で念仏を唱えた。


――すると、樹の間をスーッと風が抜ける音がした。

ふと八太郎は、以前、の読んでくれた「太平記」の一節を想い出す。戦の場面ではなかったので、あまり面白くなかった所だ。

以下、八太郎回想(母・三井子朗読)である。


~「太平記」より“正成の進言”~

――時は南北朝時代。

後醍醐天皇の軍勢は、一旦、足利尊氏を都から追い出した。
しかし、九州で力を盛り返した足利方は、再び都に攻め上る構えである。

――朝廷の会議の席である。

楠木正成が話を切り出す。
武士たちは、足利尊氏を慕っております。」

の取り巻きの公家たちがどよめく。
ご威光よりも、尊氏ごときを慕うと申すか!」

正成は続ける。
「ここは争いを避け、臣下の列に、尊氏戻すべきかと存じます。」

公家たちはさらに騒ぐ。
尊氏和睦しろと申すか!」
楠木は、臆病者じゃ!」

戦の現実が見えていない公家たち楠木正成罵声を浴びせたのである。


~八太郎の回想の設定終了~


――サワサワと樹の枝が揺れる。

相手方が、やいやいと挑発してくる。
八太郎!やるか!」

八太郎は、ビシッと一言を放った。
「いや、戦わない!

相手意表を突かれて、一瞬呆けたようになった。
「…お…おぅ、そうか。戦わないか…まぁ、いいだろう。」


――大隈家。父・信保が帰宅する。

「おう、八太郎!帰ったぞ。」
父上!」

「今日は、傷を負うておらぬな!」
「はい。八太郎争いませんでした!」

「そうか。八太郎も少し“お兄さん”になったな。偉いぞ。」
大隈信保、子・八太郎両肩をポンポンと叩く。

八太郎は、少し照れて笑った。

(続く)
  


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2020年03月14日

第6話「鉄製大砲」⑤

こんにちは。
前回の投稿で登場した伊東玄朴幕末期に、不治の伝染病だった“天然痘”の対策を進めた蘭方医です。

玄朴が江戸に作った“西洋医学所”は、後に幕府の直営となり、現在の東京大学医学部のルーツになっていきます。この方も佐賀藩出身。神埼の生まれです。


――伊東玄朴は、佐賀の藩医でもある。江戸の藩邸にて。

参勤交代で江戸に来ている鍋島直正
「おお、玄朴先生か。に伝えたいこととは何か。」

玄朴藩医として、直正に進言することとした。
殿は、“天然痘”に苦しむに、心を痛めておられると…」

直正は、ため息をついた。
「そうなのじゃ。幾度、治まっても繰り返してしまう。」

天然痘”は、江戸時代の死因の一位とも言われる。玄朴は提案する。
「良い方法がございます。“牛痘”を使うのです。」

平たく言えば、ウシ天然痘に感染したから痘苗(ワクチン)をつくる。玄朴は強く思っていた。
殿ならば…きっとお分かりいただける。」


――直正は、農業の立て直しにも心を砕いてきた。

直正は「小作料の猶予」などで地主の権利を抑え、百姓を守っていく。そして、衰えた農村は活力を取り戻し、佐賀農業は再び豊かになった。

次は、農村部を含む疫病対策である。直正玄朴に問い直す。
…と申すか。」

玄朴は答える。
でございます。から“植え継ぐ”と発病することも多きゆえ。」
ヒト由来の痘苗(ワクチン)では、発症者を増やす恐れがあったのである。

直正玄朴の意見を聞き届けた。
「相分かった。長崎の“楢林”に伝えておく。」

天然痘”への対策は急務だった。楢林長崎在住だが、佐賀藩医である。
そして、ワクチンの素は長崎オランダから取り寄せることとなった。


――さて、佐賀藩の“プロジェクトチーム”に話を戻す。

リーダー・本島が出張中の「鋳立方の七人」。
あらためて残りのメンバーを紹介していく。



――早朝、砲術演習場の小屋。翻訳担当の2人が“出勤”する

田中さま、おはようございます!」
江戸で伊東玄朴に学んだ、翻訳の達人・杉谷である。

もともと、オランダ砲術書は、この杉谷雍助が持ち帰ったものだ。

「おお、杉谷どのも早いな。」
少し年上の田中虎六郎が挨拶を返す。
読解の鉄人・田中と呼んでおこう。

田中は、杉谷翻訳を実用できる“技術書”に編集していく。


――しかし、小屋には先客がいた。相変わらず“計算”を行っている。

「おおっ、馬場さま!もう、来ておられましたか。」
杉谷が驚く。

もう随分と“和算”の数式が紙に並んでいる。

「ふふふ…ちょうど、ひと区切り付いたところじゃ。」
算術家馬場栄作である。
いつも計算をしているので、めったにしゃべらない。

ここで翻訳の内容を、数字に落とし込む。
できるところから“反射炉”設計の計算を始めているらしい。


――そして、彼らの成果を形(物体)にする者たち。

技術リーダー2人の朝は、もっと早かった様子だ。

「“小屋組”、遅かよ!」
鉄を溶かす担当。肥前刀鍛冶橋本新左衛門である。

翻訳計算の担当を“小屋組”と一括りで呼んだ。この小屋は「事務所棟」と言った扱いである。
橋本は、作業を進めるため、早く資料が欲しいようだ。

現時点では“反射炉”は無いので、橋本は、もっぱら金属の“溶化”の研究中である。

「まぁ、待たんね、橋本さん。この人たちは晩まで働いておるばい。」
金属を成型する担当。鋳物師谷口弥右衛門である。

谷口鉄が溶けるまでは、青銅砲鋳造を続ければよいので、気持ちにゆとりがあるようだ。


――以上が、「鋳立方の七人」のうち、五名である。あとは出張中の本島と…もう1人。

七人目の田代は、向こうの倉庫で、大隈信保と話している様子だ。

もともと佐賀蘭学は、長崎西洋医学を学ぶことが中心だった。一冊のオランダ語書物から大砲を造るプロジェクトも、その蓄積あってのことである。


(続く)  


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2020年03月13日

第6話「鉄製大砲」④

こんばんは。
昨日の続きです。プロジェクトチーム「鋳立方の七人」のリーダー・本島は伊豆に出張中。医術修業中の佐野常民も久しぶりに登場します。

――ピーヒョロロー♪

空高くトンビが舞っている。

「えっさ~、ほいさぁ…」
街道沿いを走る飛脚とすれ違う。

まもなく本島藤太夫は、伊豆(静岡)・韮山に到着する。
幕府実験用に作った“反射炉”を視察するためだ。

――天領(幕府の領地)伊豆・韮山。

本島どの、よくお越しになった。」
幕府の伊豆韮山の代官江川英龍(太郎左衛門)である。

日本で初めて近代的なパンを焼いた人物とされ、後世では“パン祖”とも呼ばれている。本編では、第3話「西洋砲術」で佐賀(武雄)に来ている。


――早速、実験用の反射炉を見学する、本島藤太夫。

の腕も立ち、豪傑でもある江川。しかし、何かを言いづらそうな様子だ。
「いや、本島どのには話しておくがな…実はのう。」

本島は続く言葉を予測した。
「もしや、温度が足りませぬか…。」

江川が残念そうに言う。
「ご名答だ。思うように鉄が溶けないのだ。」


――本島は、今のところ“残念な反射炉”を見学する

たとえ性能が不足していても、実験用でも、反射炉実物が目の前にある。問題点まで含め、つぶさに観察しておかねばならない。

江川さま、我々は諦めてはならんのです。」
本島は熱く語る。傍に仕えるうちに、鍋島直正の口ぐせが移ったかのようだ。

本島どの、良いことを言う!」
江川が本島の言葉に応じる、もはや“同志”である。

こうして佐賀藩と伊豆・韮山技術交流は続く。江川英龍幕府の開明派だが、“攘夷”を旨とする「海防論者」でもあったという。


――本島は一旦、江戸に立ち寄る。


本島が立ち寄ったのは、”蘭学塾”である。
江戸では、伊東玄朴(げんぼく)が開いた、蘭学塾・象先堂が評判となっていた。

ちなみに伊東玄朴は、佐賀(神埼)の農村の生まれ。
長崎シーボルト蘭学医術を学び、実力は佐賀藩のみならず幕府にも信頼されていた。

玄朴先生!」
「おぉ、本島どのか。杉谷は元気にやっておるか。」
鋳立方の若き翻訳家杉谷も、この塾でオランダ語を学んだ。


――伊東玄朴はふと何かを思いついた様子だ。

本島どの、ちょうど佐賀の者が居るから紹介しておこう。」
佐野~っ!佐賀の方が来ておる!ご挨拶しておけ!」

「はい!ただいま。」
佐野常民(栄寿)は、京都大坂江戸…様々な地域で修業している。

当時の蘭方医西洋医学を普及するため、強力なネットワークを形成していた。この伊東玄朴は、既に幕府のお気に入りで、トップランナーと言ってよい存在だ。

佐野栄寿と申します!医術修業中の身でございます!」

当時の医者は衛生面を考慮してか、丸坊主のことが多い。
佐野も髪をツルツルにしていた。


(続く)

  


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2020年03月12日

第6話「鉄製大砲」③

こんばんは。
幕末の佐賀藩には、反射炉鉄製大砲を造った「伝説のプロジェクトチーム」が存在しました。“佐賀の七賢人”と区別するため、当ブログでは「鋳立方(いたてかた)の七人」と呼称します。

ちなみに今日、タイプの違う“語学の達人”を2人追加し、全てのメンバーが出揃います。実は、他の5名は「過去投稿で既に出ている人」です。


――岩田(現在の神埼市)にある佐賀藩の砲術演習場。

大隈八太郎(重信)信保は“砲術長”の役職にある。
本日から、試作された青銅砲の実験である。

「おや、本島さまは居られないのかな。」

田代という事務方の侍が応える。
本島さまは伊豆の国・韮山へと視察に出向いております。」

本島藤太夫は、鍋島直正側近であり、長崎砲台の担当者でもある。この頃、幕府鉄製大砲鋳造を計画しており、韮山には実験用反射炉がある。


――大隈信保は、演習場の小屋を気にする。

先日、算術家馬場の集中力に感銘を受け、子の八太郎に「“夢中になれる学問”が見つかると良いな」と語った。
馬場どのは、あちらの小屋でござるか。」

田代が答える。
「はい、馬場どの以外の方々も居られますが…」

――小屋から何やら「ぶつぶつ…」と声がする。

大隈信保小屋を覗き込む。

まだ若い、頭の良さそうな男。オランダ語の書物を片手に語る。
田中さま、この単語はこのように訳してみました。」
杉谷どの、それでは何の“部品”か、意味がわからぬぞ。」

田中という男が応える。杉谷より年上であるらしい。
「それは“密閉する”という意味か。」
「意外に“空気”に類する言葉かもしれませぬ。」

「“”とかそういう類ではないか。」
「…なれば“空気の泡”でどうでしょう。」

田中ポンと手を打つ。杉谷の提案を受け入れた。
それだ!」


――2人が読んでいるのは、佐賀藩がオランダから入手した大砲鋳造書。

未知技術を書いている、外国語の書物の解読」という無茶に挑む2人。
専門用語が多数出てくるため、そもそも単語もわからず、しかも普通に訳しても理解不能である。

若い方“杉谷雍助”が、直訳分析の担当。いわば“切り込み役”である。長崎や江戸での語学修業で鍛えている。

年上の“田中虎六郎”が、意訳監修の担当。いわば“指南役”タイプである。漢学の知識も豊富で、言語運用能力に優れる。

本島さま…また凄い人たちを連れてきたな。」
大隈信保は驚いていた。


――今回の試射実験も無事終了し、しばらくぶりに帰宅する大隈信保。


ぶつぶつ…」
家の中から、何やら声がする。

田中どの、杉谷どのに挟まれ過ぎたのか…いまだ“ぶつぶつ”と何やら聞こえるようじゃ。」
苦笑する信保

なーまんだぶ…なーまんだぶ…」
声の主は信保の妻子、三井子八太郎のようだ。

念仏ではないか!いかがしたのか!?」
やや表情が引きつる信保

――居間で三井子が、喧嘩をしてきた八太郎を何やら諭しているようだ。

「いいですか!八太郎!」
「男の子ですから、喧嘩をするなとは言いませぬ。」

一応、叱られているわけではない。しかし、三井子の勢いに押される八太郎
「はい…」
「せめて、本当にすべき喧嘩なのか、お念仏十回唱えて見極めるのです。」

なーまんだぶ…なーまんだーぶ…」
一回足りませぬ。もっと真摯に数えるのです。」


――信保の考えは回った。三井子は本当に信心深いのだろうか…この“お念仏”の用法は誤っているのでは…いや、心の平安こそが仏の願いでは…

そして心の声はともかく信保は朗らかにこう言った。
「おお、お念仏か。ちゃんと手も合わせるのだぞ。」

八太郎は、父・信保の登場にやや安堵したらしく、元気に返事をする。
「はい、父上!」

(続く)

  


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2020年03月11日

第6話「鉄製大砲」②

こんばんは。
ブログの更新にあたり、毎日のように通勤電車で構想を練っています。今回は佐賀が誇る“天才数学者”が登場しますが…


――鍋島直正から、大砲の鋳造計画を急ぐよう指示があった。

アヘン戦争”は1842年に終結している。
結果は、近代兵器を備えたイギリス清国に圧勝した。

清国は、まず香港(ホンコン)をイギリスに取られる。
また主要な港湾をコントロールされ、多額の賠償金も要求された。

あの、東洋の大国・が、西洋にあっさりと打ち負かされている恐怖。その矛先が日本に向くのは、時間の問題と思われた。


――しかも先年(1844年)にはオランダ国王から開国も勧告されている。さすがに幕府は、危機感を持った。

日本の表玄関・長崎を守る佐賀藩福岡藩に意見を求める。

佐賀藩主・鍋島直正が声を上げる。
長崎の湾口で異国船を打ち損じれば、もはや為すすべがない!」

オランダ軍船にも乗ったことのある直正西洋との差が見えている。
「もっと、沖合で阻止できる台場を築くことが肝要でござる!」

――しかし、交代で長崎を守る“福岡藩”の反応を平たく言うと…

砲台の予定地の伊王島神ノ島佐賀藩領地ですよね。関わりたくないです。」という態度だった。

幕府も「鍋島の言い分もわかるが、離島への砲台建設は…金がかかる。」と急に消極的になった。

どうやら援護期待できない様子だ。
直正は「この際、佐賀の力だけで、強い砲台を作り上げて見せる!」と決意した。こうして、本島藤太夫は“プロジェクトチーム”の組成を命じられた。


――佐賀藩“火術方”の演習拠点・岩田(神埼)。

砲術の担当者大隈信保が、本島を見かける。
本島さま!凄い方を連れて来られましたな!」

信保八太郎だけに、人懐っこいところがある。
あっち、あっち”とばかりに小屋の方を指し示す。

「はて!?」
本島小屋を覗き込む。


――すると、凄い勢いで何やら筆記している男がいる。

サッサッサッ…ザッザッ

現代ならば、ペンやチョークの音が似つかわしいかもしれない。で書き連ねているので、この効果音。ひたすら数式を書き連ねているのだ。

何やら「構造計算」のようなことをしているらしい。
ちなみに、当時は“和算”である。

――技術への応用で、西洋数学に遅れを取ったが、日本の数学“和算”もハイレベルなものだったという。

馬場どの!」
本島の声かけに、算術家“馬場栄作”はまったく反応しない。ひたすら数式を書いている。

大隈信保は、本島にこう言った。
馬場さまは凄い。あの寝食を忘れている感じが、本物です。」

妙なところに感心する、大隈信保。彼もまた“理系人材”ということだろう。


――仕事にひと区切りが付いて、大隈家に帰る信保。


「今、戻った。ところで、八太郎はどうした。」

大隈三井子は、夕飯の支度中である。
二階で勉強をしておるはず。様子を見てきてもらえますか。」

――ギシギシ…

階段を上がる、信保

見ると八太郎が、前後に首を揺らしている。
眠くなって船を漕いでいる」状態である。

――ゴツン!

痛っ!」
目を覚ます、八太郎

八太郎の勉強机には、三井子特製の“眠気覚まし装置が付いていた。わが子姿勢と居眠りの特性を把握し、必ず頭を打つポジションに出っ張りを仕掛けてある。

「はっはっは!」
八太郎の後で爆笑する、大隈信保

「あ…父上。」
八太郎!勉強は面白くないか?」

父上八太郎は“葉隠”が好きではありません。」


――藩校に通い出して、少し言葉遣いが“お兄さん”になった八太郎。

佐賀武士の教典“葉隠”。
八太郎は「我慢ばかりの窮屈な教え」と見ているようだ。

「そうか。でも将来のお役目(仕事)に我慢は付き物だぞ。」
「はい…」

信保は、八太郎の目を見て続ける。
「しかし、お前に合った学問もきっとあるだろう。」

寝食を忘れ、励みたくなる学問に出会えると良いな!」
八太郎の肩をポンポンと叩く信保

「はい!父上!」

算術家馬場栄作、一言も語らずとも大隈父子には、何かを伝えたようである。

(続く)  


Posted by SR at 22:17 | Comments(0) | 第6話「鉄製大砲」

2020年03月10日

第6話「鉄製大砲」①

こんばんは。
日々、様々な人物が走り回る「佐賀藩大河ドラマ」のイメージですが、書いている方バタバタしています。
走りながら考える…幕末佐賀藩士気分が少し味わえているのかもしれません。とりあえず今回から第6話鉄製大砲」に入ります。


――鍋島直正は、憔悴していた。

永山なにゆえだ…」
1845年。直正側近の1人、永山十兵衛急逝する。

藩校弘道館」の教師であり、直正の師匠・古賀穀堂が亡くなったあとを引き継ぐ存在だった。直正不眠に悩めば、一緒に“呼吸法”の鍛錬を行うなど、“心の支え”でもあった。

永山は、東北地方を調査するなど激務をこなしていたのも事実であった。
直正となり、となって情報収集にあたる気構えは、藩校の生徒たちを奮わせた

影響されやすい“団にょん”こと島義勇などは、永山の話をにズンズンと諸国を歩き回っている。


――永山十兵衛が欠けたことにより、直正の心にぽっかりと穴が空く。

「すでに穀堂先生は居られぬ。は何を標(しるべ)とすれば良いのだ。」

直正は、もともと潔癖症ではあるが、さらに手を洗う回数が増えてきた。桶に溜めた水で、ガシガシと手を擦り合わせる。

殿…何たる落ち込みよう。与一は心配です。」
古川与一松根)は、直正の身の回りの世話をする執事役である。
文化的な教養は高いが、さすがに学問の師匠たちの代わりはできない。

そこに佐賀城女性の生活空間である“”との取次役が現れる。
「実は…さまが、殿お目通りを願い出ておられます。」


――鍋島直正は、なかなか子に恵まれなかった。

将軍家だった正室・盛姫との間に子の誕生はなく、歳月は過ぎていった。側室との間にようやく子(長女)が生まれたのは、直正が26歳のとき。

長女の名は“貢姫みつひめ)”という。

古川与一は、直正に「貢姫が会いたがっている」と伝えた。

憔悴している直正だが、よろよろと立ち上がる。
「そうじゃな。落ち込んでばかりもおれん…、お貢みつ)の顔でも見てくるか。」



――佐賀城本丸“奥”にて。

年の頃、5歳くらい女の子がニコニコと笑っている。直正の長女・貢姫である。
「おちちうえさま!」

「おぉ、お貢よ。変わりはないか。」
「はい!」
貢姫不調を悟られてはならない。直正は無理に平静を装った。

「おちちうえさま!これをおうけとりください!」
「ほう、これは何かのぅ。」

ヘビよけおまもりです!“みつ”がつくりました!」
「なんと!」


――以前、紹介したことがあるが、直正はヘビが大の苦手である。

直正は、幼い貢姫から“蛇除けのお守り”を受け取った。
すると永山を亡くしてから、止まっていた頭が急に動き出した。

以降は、直正心の声である。
は…止まっている場合なのか。異国船脅威日々迫っているのだぞ。」

「そして貢姫父親じゃ。お貢を守らねばならぬ。」
「いや、その前に佐賀殿様だぞ、家来を…何より、民を守る責務があるではないか。」


――次第に、直正の目に光が戻っていく。

お貢よ!“蛇除け大切にいたすぞ。を申す。」
「どういたしまして」
貢姫は、小さくをする。

は、政務に戻らねばならん。お貢よ、またな。」
直正照れ隠しで、そのまま背を向ける。

そして湧きあがった情熱で、仕事場である“”に戻っていった。

「おかしな、おちちうえさま。」
貢姫は小首を傾げていた。


――そして、佐賀城本丸の“表”。

急に“仕事モード”で帰ってきた直正
本島はおるか!長崎台場に備える鋳造を急がねばならん!」

佐賀藩製砲主任である本島藤太夫が応じる。
殿からお声掛けいただけるとは、有難きことにございます!」

直正が力強く戻ってきたのを見届け、古川与一がつぶやく。
「さすがは貢姫さま…、素晴らしいをお持ちですな。」

(続く)

  


2020年03月09日

第5話「藩校立志」⑩

こんばんは。
進学就職出会いの季節ですね。もっとも今春は新型コロナがいささか不安ではあります。さて、本編でも“ある出会い”を描きます。

このブログをご覧の方には、たぶん現役学生はいないかなと思うので、想い出してみてください。新しいクラスで「なんとなくコイツ友達になりたいな。」と感じるような人はいませんでしたか?


――藩校「弘道館」が移転し、拡充されてから数年。

熱の入った授業が続く。そして、こんなこともある。

諸君、何か質問はありますか?」
殿鍋島直正の“メンタルトレーナー”でもある永山十兵衛が講義を行う。

「私から質問してもよいか。」
生徒たち後ろから、声がする。年の頃30代。普通の生徒ではない。

安房様、ご質問を承ります。」
藩校の責任者・鍋島安房。なんと“校長”が授業に出席している。

「えっ!!」
まさか”校長”も一緒に受講していたとは…生徒がどよめく。

――鍋島安房は、藩のナンバー2で、行政のトップである請役。

机を並べて勉強し、優秀さが目に留まったりすれば…立身出世できると思うのは自然な発想だろう。
藩校での学問は、大学受験就職活動役員面接が、日々実施されているくらい重みがある。

直正もよく藩校に来るが、鍋島安房にいたっては、での執務以外は大体「弘道館」にいる。
安房はものすごい勢いで勉強し、生徒たちを驚愕させていた。その副作用で常に寝不足である。


――そして、鍋島安房の質問の内容である。

永山十兵衛は、水戸藩の大学者・藤田東湖と親しい。
安房は、話の流れから「水戸藩での尊王論」の展開について尋ねていた。

「そもそも水戸学派は“徳川光圀”公より始まり…」
あの水戸黄門である。“大日本史”という歴史書編纂し始めたことで有名である。

――水戸黄門は、尊王の象徴として楠木正成を崇めた。

そして“助さん”(佐々介三郎)を、正成最期の地・湊川(現在の神戸市)に派遣した。

黄門様は“助さん”に命じた。
助さん楠公さまの墓碑を建ててきなさい!」
そして、碑文では「あぁ忠臣楠木正成…」と、後醍醐天皇のために戦った正成を讃えた。

「よく分かった。佐賀でもぜひ、楠公(なんこう)様を讃えたいものだ。」
30代の学生・鍋島安房も、永山先生の講義を心に刻んだようだ。


――藩校「弘道館」の日々は続く。そして、こんな出会いが。

広大藩校の敷地を江藤新平(胤雄)が行く。


すると、ヌッとやや大柄な男子学生が現れる。
「俺は大木という。」

突然現れた、大木幡六(喬任)。言葉を続ける。
「お主、江藤と言ったな。」

「いかにも江藤ですが、何か用ですか。」

――前提の情報を入れておく。大木江藤より2歳年上である。高3高1の感じで見てほしい。

ちなみに大木は、あまり口がうまくない。
「それはだな…。」

大木は、思い付いたように言った。
「そうだ!お主、賢いな!」

江藤が、大木の言葉に反応する。
賢いと言われて悪い気はしませぬが、やはり何用ですか。」


――意外に「友達になってくれ!」というのは勇気がいる。

まして大木口下手である。
「そうだ!お主、昨今の国家情勢をどうみる!」

なんとか、それらしい言葉を切り出した大木
知識はたくさんあるが、適切な話題選択は難しい。

江藤がふと、気づいたように語る。
大木さん…と言いましたか。今、我々為すべきことは…」


――大木江藤の言葉に耳を傾ける。

やはり、この男は何かが違う。その辺の“つまらん奴”ではない。大木は次の言葉に期待した。
「なんだ、早く言ってくれ!」

江藤はスッと言い放つ。
「そろそろ昼飯時間です!」

肩透かしを食う、大木
それかっ!まぁ、そうだな。」

江藤は言葉を続ける。
我々出遅れました!大木さん、もはや走らんといかんとです!」

「お…おう!」
とりあえず、江藤に続いて、走り出した大木


――何にせよ、江藤大木は、飯場に走っていた。

佐賀藩出身、後に海軍中将となる中牟田倉之助によると、概ねこうだ。
弘道館昼飯時は、イナゴ群れが、食べ尽くすがごた…」と。

もはや、一時猶予もない。
飯櫃になるそのときまでに、何とか追いつかねばねばならない。

この2人激走は、日本の司法教育を、近代国家のものに変えていく。
しかし、それはまだ先の話。今は昼飯に走るただの男子学生である。


(第6話:「鉄製大砲」に続く)

  


Posted by SR at 22:16 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」