2020年05月31日

「岐路の剣」

こんばんは。

第10話蒸気機関」いかがだったでしょうか。当ブログも開始から半年近くを経て、岐路に立っている感じがあります。
今回は、ある佐賀藩士(?)の日常を描く『望郷の剣』シリーズ第3弾です。


――歴史には、様々な分岐点と選択があるようです。

概ね年代順幕末の歴史を追っているところですが、開国攘夷かで、すっきり二分される話ではないようです。

例えば、第9話で存在感を見せた、老中・阿部正弘は“雄藩との連携”を目指し、後に登場する大老・井伊直弼は“幕府の主導権”を取り戻しにかかる…と同じ開国派でもかなりの違いがあります。


――現在の佐賀県にまつわる話題で言えば…

長崎新幹線の話合いに応じ、全線のスピード開業を目指すのか。
佐賀県負担を強いられるだけで、素通りされると警戒するか。

長崎~武雄温泉間の開業が決まっている以上、動かぬ間にも問題は拡大していくでしょう。ただ、佐賀に一定の力の蓄積が無ければ、後者の心配も否めないところです。


――そして佐賀で分岐点を語るのに相応しい場所を選んでみました。

肥前山口」駅です。ここでも選択肢が示されます。


長崎に行くのか。
佐世保に向かうのか。


――おそらくは、人生もまた分岐と選択の繰り返し…

長崎に行くのか、佐世保に向かうのか。それが問題だ…」

実際は佐世保親戚に会いにいったので、考える余地は無かったのですが、分岐点ならではの「もう1つの道を選んだら…」という感覚は味わえました。


――また「本当に選択肢は2つなのか?」という疑問もあります。

例えば肥前山口駅でそのまま下車
江北町を散歩する」という選択を取ることも可能です。

これをブログの方針に例えるなら、日々、呼吸をするぐらいの気持ちで更新するといったところでしょうか。


――私は色々と思うところあり「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」と、ひたすらに書き綴っています。

分類上は、一定の目的に向かって走っているタイプのブログになるでしょう。

しかしながら、「さがファンブログ」の諸先輩方には、人生の流れの中で、ごく自然に更新を続けている方も多く見かけます。

『望郷の剣』というシリーズタイトルにかぶせた言い方をすると、あたかも軽妙に剣を遣う“達人”と遭遇した気分になることも、しばしばです。

力の入り過ぎというのも、また良くないのだな…と思います。  


Posted by SR at 21:44 | Comments(0) | 「望郷の剣」シリーズ

2020年05月30日

第10話「蒸気機関」⑩(佐賀の産業革命)

こんばんは。

佐賀藩の理化学研究所“精錬方”(せいれんかた)。
殿鍋島直正の期待どおり、佐野栄寿(常民)がチームを機能させていきます。今回は、1854年の年明け、ロシアプチャーチン長崎を去った直後の話です。


――長崎でロシアとの交渉にあたっていた、幕府の勘定奉行・川路聖謨。

佐賀藩の製砲主任・本島藤太夫に申し入れを行う。
ロシアとの談判の間、我々を守った“台場”を見せてはもらえぬか。」

「公儀(幕府)にお力添えをいただいた“台場”です。喜んでお見せいたしましょう。」
実際は、ほぼ佐賀藩独力で作ったのだが、本島幕府への気遣いも忘れない。

幕府からの借入も含め、台場の築造にかかった費用は、およそ十六万両と言われている。


――川路だけでなく、老中クラスの扱いの筒井も同席している。高位の幕府の役人に、佐賀藩の力を示す好機である。

長崎台場佐賀藩士たちは、砲術の演習を見せることとなった。

「おおっ、これは見事な。」
築地反射炉で製造した150ポンド砲である。

「では、筒井さま!川路さま!ご高覧あれ!!」



本島は声を張る。佐賀藩の号令はオランダ語である。
「ヒュール!(撃て)」


――ドォン!…爆音とともに、砲弾が標的に飛ぶ。

ほぼ水平に飛んでいく軌道である。
異国船が暴れれば、横っ腹を狙う設計と言ってよい。

ドゴォーン!!

海上に設置した的を破砕する。大きい波しぶきが立つ。

1,500メートルは離れた遠距離の標的に、砲弾が次々に命中する。
大砲の性能もさることながら、佐賀藩砲兵部隊はよく訓練されていた。


――砲弾は12発中10発の命中。筒井や川路をはじめ、幕府からの参観者が喝采する。

長崎の守りは、もはや心配なし!」
「肥前佐賀武威を示す!天晴(あっぱれ)なり!」

のちに川路らが江戸で行った報告により、佐賀藩幕府から五万両の借金返済を免除される。
長崎台場の築造にかかった費用には遠く及ばないが、名声が高まるのは“武士の誉れ”と言ってよい。


――佐賀城。本島が殿・鍋島直正に報告を行う。



「そうか、本島よ。大儀であった。」
「ははっ!」

「ほう、これは何かのう。」
直正が、報告に添えられた短冊をペラっと捲る。

殿にお見せするほどのものでは!」
本島、少し慌てる。


――短冊にはこのように綴られていた。

ますら雄が
打つや三五のたまのうらに
砕けぬものはあらじとぞ思ふ

「つい、和歌(うた)を詠んでしまいました。」
本島、その場の勢いで詠んだ一首に照れる。

瓊浦(たまのうら)と、(たま)を掛けたか。お主誇らしい心持ちがよく伝わるのう。」
直正は、本島の心意気を讃えた。
ちなみに、瓊浦(たまのうら)とは長崎のことである。


――さて、舞台は佐賀城下・多布施に移る。ここには幕府用の反射炉がある。川路の視察は続き、再び本島が案内をする。

水車か!」

ガラン、ガラン…
多布施川に置かれた水車が廻っている。

「いずれは“蒸気仕掛け”で行いたいのですが、今のところは、“水車(みずぐるま)”にございます。」
この水車小屋は、鉄製大砲砲身を繰り抜くための工房だった。



――動力源こそ“水力”ではあるが、作業そのものは自動で進む。オートメーション化である。そして、多布施には理化学研究所“精錬方”もある。

コンコン、カン!カン!

中村さん!これで良いのですか!」
「おおっ、“二代目”はん!上々の出来です。」
科学者中村奇輔が設計した部品を、二代目“儀右衛門”が手掛ける。


――そして、ドカン!と、作業小屋の近くで轟音がした。

「おい、また爆発しちゃっとるぞ!大丈夫か!」
翻訳に追われる石黒寛次が、突然の轟音に驚く。

「フフフ…石黒さん!何の問題もなか!予定どおりばい…」

田中さん!ほんまに予定どおりやろな!」
「気にせんでよか。石黒さんは、翻訳ば続けんね!」


――田中久重の不敵な笑み。石黒、度重なる“ドカン!”が気になり、翻訳に集中できない。

佐野~っ!すごく不安や~」
心配なかですよ!騒々しかだけです。」
帰ってきた佐野栄寿(常民)。まとめ役となっていた。

「信じるで!ここに居ってもええねんな。」
石黒は、また“翻訳小屋”に引き籠り、洋書と格闘する。


――勘定奉行・川路。“精錬方”の様子が気になるようだ。

本島どの。向こうも、えらく賑やかだな。」
「あれは“精錬方”にございます。熱心な者たちゆえ、少々騒がしいです。」
本島は、苦笑した。

この頃、日本近代化を引っ張る“産業革命”は佐賀で進行していた。幕末の佐賀藩には、ヨーロッパの二流国並みの実力はあったと言われている。これは、その始まりの話である。


(第11話「蝦夷探検」に続く)  


Posted by SR at 23:43 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月29日

第10話「蒸気機関」⑨(佐野、精錬方へ)

こんばんは。

前回は、殿鍋島直正が、長崎佐野栄寿(常民)の塾に、お忍びで足を運びました。
黒船来航の年。異国を仕掛けさせないよう、技術開発を急ぐ直正は、佐野帰藩の命令を出します。


――佐野は、殿直正の意を受けて、長崎を離れようとしていた。

渡辺さん、申し訳ない。佐賀に戻ることとなりました。」
佐野の塾には、大坂適塾で同門だった渡辺卯三郎も滞在している。

渡辺は、あの緒方洪庵子供を預けるほど、見込んでいた人物という。のちに故郷加賀(石川)で地域医療の発展に貢献することになる。

「後は儂らで、どうにかするがや。」
「よろしく頼みます。」

「急な呼び戻しとは、佐野さんは期待されとるがや。頑張んまっし!」
渡辺さん、ありがとう!」



――佐野、蘭学の仲間たちの気遣いに感激する。今話ではやたら涙目になる展開が多い。

物々しい警備が続く長崎を去り、ほどなく佐賀に戻ってきた佐野
「“精錬方”はどがんなっとるかね…」

佐野~っ!久しぶりやないか!」
翻訳小屋”から、石黒寛次の声がする。

佐野はん!お帰りやす!」
科学者中村奇輔は一足早く、長崎から帰って研究を再開していた。

「おおっ、佐野どの!」
機械技術者・田中久重も顔を出す。


――皆、表情が明るい。佐野栄寿の帰藩を待ち望んでいた様子だ。

「そいぎ、長崎で見た“蒸気機関”やねんけどな。」
科学者中村が、戻ったばかりの佐野相談を持ち掛ける。

中村さん…“そいぎ”って、佐賀の者みたか言葉ですね。」
佐野が、次第に“佐賀ことば”が混ざってきている中村に気付く。

そがんことより、“蒸気罐”(ボイラー)の試作を早よ考えな!」
「…わかりました!すぐに皆で、話合いましょう!」
少なくとも中村は、佐賀馴染んでいる様子だ。佐野は安堵した。


――そして、佐賀に帰ったばかりだが、佐野に休んでいる暇は無いようだ。

「フフフ…腕が鳴るばい!」
田中久重、目がキラリと光る。

翻訳は任せろ。但し、なるべく関わりのありそうな洋書で頼む…」
石黒研究方向性の見えぬまま、手当たり次第に洋書の翻訳をしてきた。取りまとめ役になりそうな佐野への期待は大きい。



「ところで、佐野さま!」
ここで田中久重養子二代目儀右衛門”が言葉を発する。

「おおっ!“二代目”さん、どがんしなさった。」
佐野さまのなのですが…」


――長崎から帰ったばかりの佐野。やや髪型が不自然である。

気づかれたばい。」
「えっ、まずかったですか…」
二代目”は、佐野の反応を見て、少々引き気味である。

「こがんは、鬘(カツラ)ばい!」
佐野カポッと小気味の良い音を立て、カツラを取る。
実は、まだ丸坊主のままだった。

殿が…突然、お役目に就け!とおっしゃられるので。」

今回の帰藩にあたって、殿鍋島直正は、佐野栄寿左衛門えいじゅざえもん)という、いかにも重みのある名前を授けた。


――今まで“医者モード”の丸坊主にしていた佐野。急に武士としての立ち位置が強化され、戸惑っている様子だ。

「髷(まげ)を結って、お役目に出ようにも、急には伸びぬものでございますな。」
苦笑する佐野

「ふふふ…ワシらの頭(かしら)は、鬘(カツラ)か…」
田中久重含み笑いをする。

田中さん!からかわんでくださいよ。」
「はっはっは…これは失敬!」

こうして佐野栄寿が戻ったことで、精錬方(せいれんかた)は、1つの“チーム”として機能するようになった。
万能の研究主任”・佐野の活躍はこれからである。


(続く)
  


Posted by SR at 20:56 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月27日

第10話「蒸気機関」⑧

こんばんは。前回の続きです。
1853年黒船来航の年に、佐野栄寿(常民)の運命も大きく動きます。


――年の暮れも押し迫った佐野の蘭学塾。

「うー、長崎は寒かね~」

佐野は塾を休講にしていた。
本日は佐賀藩士で、大砲鋳造を担う本島藤太夫が来訪する約束である。


――すると深く編笠をかぶった武士が現れる。その周りには、数人の侍がいた。

いずれも佐賀城下で見たことのある顔ぶれだ。

佐野どの!」
傍らにいた本島が、佐野に声を掛ける。

「ささっ狭い所ですが、どうぞ」
佐野はひとまず、一行を塾の中へと案内した。


――蘭学塾の玄関に進む“客人”。数人の侍は身辺警護の者らしい。

ここで編笠の武士が正体を明かす。
佐野栄寿よ!突然、押しかけて済まぬの。」

「と…殿お知らせいただければ、少しは支度を整えましたものを。」
佐野が、大急ぎでその場に控える。


――編笠の武士は、佐賀藩主鍋島直正だった。

「良い、気遣いは無用じゃ!お主の“蘭学塾”を見ておきたくてな。」
直正は、佐賀藩警備体制を敷く、ロシア船来航の情勢を見分するため、長崎に来ていた。

が来るとなれば、途端に仰々しくなっていかん。」
直正は軽く笑って“お忍び”で来た理由を語る。


――もともと佐野は城に蘭学の講義に出向くこともあった。殿と話をすることには慣れている。

佐野よ!台場の者が、そなたの医術に救われたと聞くぞ。」
「はっ!全力を尽くしました。」

お主の見事な働き、感じ入った!」
もったいなきお言葉!」

殿鍋島直正から活躍を絶賛される、佐野栄寿

感激のあまり涙目で、これからの決意を語る。
「ますます医術精進し、この大きくしたいと存じます!」

ならぬ!
「ありがたき幸せ…えっ!?


――佐野状況がよく飲み込めない。殿・直正は自分の医術を認めてくれたはず。

直正は、豆鉄砲でもくらったような表情をする佐野に言葉を続ける。
お主は、佐賀戻るのだ。」

「はっ…恐れながら、に粗相(そそう)がございましたでしょうか。」
佐野は、何が直正の機嫌を損ねたのかと訝(いぶか)しがった。

直正は、軽く笑みを浮かべる。
心得違いをしておらぬか。機嫌は頗(すこぶ)る良いぞ。」
「では、何故でございますか。」

お主が要るゆえ、佐賀に戻れと申したのだ。」
医者が、ご入用なのですか?」

「たしかにお主医術は惜しいが、もしとなれば、いかな名医とて全ての者を救うことはできまい。」


――黒船来航の年。海外事情に通じた直正だったが、さらに危機が眼前にあると認識していた。

時が無いのだ。夷狄(いてき)に侮られぬよう、備えを進めねばならん。」


ここで直正が“夷狄”と呼ぶのは、無法な振舞いをする異国のことである。
が…いえ、異国が迫ってきていると。」

――佐野は“戦”という言葉を飲み込んだ。西洋列強との技術力の差は見えている。そして「はっ!」と、直正の真意に気付いた

お主が集めてきた者たちは、其々優れておる。しかし束ねる者が居らねば、器は成せぬ。」

直正の期待に応え、佐野科学者・中村奇輔や技術者・田中久重を連れてきたが、今のところ成果は出ていない。

力を与えよ。お主は“精錬方”をまとめるのだ。」
「…殿仰せとあらば!」

こうして佐野新しい道に踏み出すことになった。
個性的な科学者・翻訳家・技術者の力をまとめて、結果を出すことが佐野の任務となったのである。


(続く)  


Posted by SR at 22:06 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月25日

第10話「蒸気機関」⑦

こんばんは。

長崎に停泊中のロシア船に招かれ、蒸気機関車の模型を見ることができた中村奇輔。しかし、“蒸気機関”の構造は見通せないままでした。


――長崎。ひとまず佐野栄寿(常民)の蘭学塾に戻る、中村奇輔。

「おおっ、中村さん!“蒸気機関”は、どがんでしたか!」

佐野はん…大見得を切って出てったのに、情けない!」
蘭学塾の玄関に入るやいなや、中村が悔しそうな表情を露(あら)わにする。

ほんまやったら、仕組みがわかるまで…噛り付いてでも見続けたかった…」

見学を許されたとはいえ、ロシア艦隊の船上である。
中村は“物珍しい機関車に喜ぶ人”を装い、何とか構造を理解しようと努めた。


しかし、外国船の艦上であまりおかしな行動を取ることもできない。その場の勢いで「もっと機関車を見せて!」とリクエストできるのは、数回が限度だ。


――佐野栄寿、涙目で悔しがる中村にもらい泣きをする。

悔しかね…、悔しかごたね…」
佐野、とても共感力が高い様子だ。

その時、中村が、自分たちの様子を見守る“第三者”の存在に気付く

「まぁ、頑張んまっし!」
「…どなたか存じまへんが、ありがとうございます。」


――中村、まだ名前も知らない相手からも励まされた。

渡辺さん!来てたんですか!」
佐野が声を掛ける。この“第三者”の名は、渡辺卯三郎という。

加賀(石川)の出身である。大坂適塾で、佐野とは旧知の間柄だ。

この渡辺卯三郎適塾で、塾頭(運営代表)を務めるほどの秀才である。佐野蘭学塾を開いていると知り、遠く長崎まで足を運んでいた。



――そして、季節は秋から冬に移ろう。ロシア艦隊を巡る不足の事態に備え、佐賀藩の長崎警備は続いていた。

蘭学塾の門前で、佐賀藩士たちが騒がしい。
伊東と申す!急ぎ佐野どのにお会いしたい!」

「はい、何かご用ですやろか。」
塾から出てきたのは、中村奇輔である。まだ長崎に滞在し、参考になりそうな洋書を探している。

佐野どのは居られるか!この者を助けてほしいのだ!」
長崎台場の責任者・伊東次兵衛が、急患となった部下を担ぎこんできた。

高熱でうなされる佐賀藩士永渕という名である。担架のような板で運ばれている。
ううっ…」

永渕気を確かに持て!蘭方の先生が診てくれるぞ!」
伊東は苦しむ部下を励ます。


――偶然だが“伊東”という名の人物が、医者・佐野栄寿に救いを求めてきた。

江戸での師匠伊東玄朴のことが、ふと頭をよぎる。
佐野には医術の教えを受け、病気から救ってもらった恩人を、裏切ってしまった過去がある。

「たしか“伊東さま”と、おっしゃいましたね。」
「いかにも。長崎の台場を受け持つ、伊東次兵衛と申す。」

佐野は、1つ深呼吸をして心の中でつぶやいた。
玄朴先生…不肖の弟子佐野栄寿。まだ“医の道”をあきらめてはおりません…」



――その時、佐野栄寿は、医者の顔に戻っていた。苦しむ患者に、佐野は声を掛けた。

ううっ…う…」
永渕さん…と言いましたね。もう大丈夫です。」

江戸伊東玄朴に教えを受け、大坂緒方洪庵の適塾で学び、紀州(和歌山)で華岡流の麻酔も研修した。佐野は、当時、最先端クラスの医術を修業していたのである。

渡辺さん!手を貸してください!」
佐野は、適塾から来た旧友渡辺卯三郎に手伝いを求めた。

「いま…支度しとるがや…」
言われる間でもなく、渡辺は準備を始めていた。

「助かります。」
気迫に満ちた、佐野の治療が始まった。


――治療の間、手出しのできない科学者・中村奇輔は、遠巻きに様子を眺める。

佐野はん!格好よろしいなぁ。負けてられまへん!」

これから、中村佐賀の“精錬方”に戻る。医師・佐野栄寿の活躍は、中村の研究への情熱を呼び起こしていた。


(続く)
  


Posted by SR at 21:46 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月23日

第10話「蒸気機関」⑥

こんばんは。

今回は、幕府の役人に同行し、佐賀藩士たちが長崎に停泊するロシア船に乗り込みます。
そして、佐野栄寿(常民)京都からスカウトした科学者中村奇輔が、実物の“蒸気機関”に出会います。


――まず幕府の役人がロシア船に乗り込み、製砲主任の本島藤太夫をはじめ、佐賀藩士たちが続く。

ロシア艦隊の士官たちが、幕府の役人と言葉を交わす。例によって、オランダ語の通訳を介した対話である。

「ようこそ、“パルラダ号”へ。」
貴艦にお招きいただき、光栄である!」

この時点で、日露の交渉を担当した筒井政憲川路聖謨は、まだ長崎に来ていない。公式な会談は、これから数か月後の話になる。


――本島藤太夫は、鍋島直正の側近で上級武士である。儀礼的なことにも気を遣わなくてはいけない。

中村どの!はまだ動けぬ貴方は見聞を進めてくれ。」

本島の声を受けて、科学者・中村奇輔は甲板を見回した。

やはり“和船”とは安定感が違う。
「さすがは、西洋の艦船…といったところやな。大砲も積み放題か…」


――そして、中村の目はロシア艦隊の1隻、汽走艦“ボストーク号”を捉えた。

ロシア艦隊の4隻のうち、2隻は蒸気船である。

蒸気船…しかも“外輪”が見当たらん!」
当時はペリー黒船のように、船の側面に付いている水車のような“外輪”で進むのが一般的だった。


しかし中村が注目した“ボストーク号”は、最新鋭の推進装置“スクリュー”を備えていた。スクリュー水面下に隠れているので、中村には見えていない。

仕掛けが見えんぞ!あの蒸気船は、どう進むんや…」

隣に並ぶ汽走艦を凝視して、思案を巡らせる中村
「たしかに巨船では無いが、あの蒸気船は得体が知れんで…」

ロシア艦隊は、日本に来航する前にイギリスに寄っている。
イギリスの会社から購入した“ボストーク号”を艦隊に加えるためである。


――最新鋭のスクリュー推進型の蒸気船“ボストーク号”。大型の蒸気船に比べ、船足が早く、小回りも利く。

北九州の沿岸から、日本海周辺海域まで、迅速な航行が可能である。ロシアには沿岸の地勢を調べて、今後の活動足がかりとする意図もあった。


――船外を見遣る、中村の背後。やや艦上が賑やかとなった。

中村どの!」
本島が呼びかけている。

「はい、本島さま!お呼びですか。」
中村が振り返り、の縁から甲板の中央へと戻る。

中村どの!貴方が見なければならぬものが来るぞ!」
「あれは“蒸気機関”…!?」


――ロシア艦隊の士官は、模型の機関車を持参していた。

熱湯を注ぎ、アルコールに点火することで、簡易な“蒸気機関”を形成している。

「見テテ、クダサイ!コレガ機関車デス!」
通訳が日本語で解説する前に、列席者に呼びかけたロシア人士官。

ネジ状のコックを捻ると、速やかに模型機関車は走り出した。


中村どの!あれは如何なる仕組みなのだ!?」
佐賀藩の誇る“鋳立方の七人”のリーダー・本島も驚いている。


――中村奇輔が声を発した。「いま一度、お見せください!」と。

ロシア人士官が軽く手を挙げる。通訳する間でもなく、中村の要求を理解した様子だ。

ポッ!

軽くを発する。模型機関車
すみやかに走り出し軌道上をクルクルと旋回する。

本島さま…あきまへん。わかりませんでした。」
淡々とした言葉とは、裏腹に中村右拳は固く握られていた。


(続く)
  


Posted by SR at 22:37 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月21日

第10話「蒸気機関」⑤

こんばんは。
第10話「蒸気機関」は、第9話「和親条約」と時期がかなり重なっています。

黒船来航の2年前(1851年)から始まって、この時点ではアメリカペリー江戸湾から一旦、退去した後。ロシアプチャーチン長崎に来航している時期です。


――1853年秋。佐野栄寿(常民)に続いて、科学者・中村奇輔も長崎に行ってしまった。

取り残された感のある、翻訳家・石黒寛次
今日も“精錬方”の小屋で「得体の知れない洋書」を翻訳している。

「何や…ようわからん本やな。舎密(せいみ)か…!?」
西洋の化学関係書物のようだが、はっきりしない。

「おい、中村…!」
石黒の呼びかけた相手、中村佐賀藩の仕事で長崎出張中。この場にいない。

丹後田辺(舞鶴)の出身の石黒は、いまや故郷から遠く佐賀就職している。

「はぁー!さすがに気が滅入るわ…暗い生活やなぁ~」
孤独な翻訳作業の疲れもあって、大きくため息をつく石黒



――すると、俄(にわ)かに眼前がパッと明るくなった。

「なんや!」
石黒が驚く。突如、強力灯りが差し出されたのである。

「はい!無尽灯むじんとう)!」
ヌッと現れた声の主は、田中久重である。

田中さんか!驚かさんといてや…」

ふふふワシ、儀右衛門(ぎえもん)。」
田中久重は、得意気な表情を浮かべていた。

「…お主、先ほど“暗い”と言ったであろう。」
「いや、言っちゃっとるけども!」


――「不便を感じている人の力になりたい!」が、田中久重の研究の原動力なのである。

「養父上(ちちうえ)!今の“儀右衛門”は、ではないのですか!」
二代目・儀右衛門が困惑している。田中養子で、金属加工のスペシャリストである。

「おう、すまんすまん。ついが出たばい。」
田中久重は、久留米(福岡)の出身。久しぶり九州に戻って元気いっぱいである。

ワシら2人で、“からくり儀右衛門”と言うことでどうね!ハッハッハッ…」
養父上ややこしゅうこざいます!」
小競り合いをする田中父子

ふと石黒が、西の空を見遣った。長崎の方角だ。
「儂もロシア船が!“蒸気機関”が見たいんや。」


――長崎での科学者・中村奇輔の任務とは、ロシア船の装備の視察である。



ロシアプチャーチン艦隊は長崎に停泊している間、日本側交流を試みた。
幕府や、佐賀藩視察団を受け入れていたのである。

中村どの!参りますぞ。」
迎えに来たのは、本島藤太夫
大砲製造チーム「鋳立方(いたてがた)の七人」のリーダーという存在。蘭学つながりで、佐野とも面識がある。

「ほな、佐野はん!行って来ますで。この目ぇで“蒸気機関”の仕組みを明かしてきます!」
中村が、佐野栄寿(常民)蘭学塾を出立する。

中村さん!本当はも行きたい!」
まかせとき佐野はんの分まで見て来ますわ!」
力強く決意を表明する、中村


――2人がまず乗り込むのは、ロシア船「パルラダ号」。その艦上で待つものは…

本島藤太夫が、中村奇輔に伝える。
「私は“大砲”を見ます!貴方は“蒸気機関”を!」

中村が言葉を返す。
望むところです!我々“精錬方”で、直ぐに追いついてみせます!」


(続く)  


Posted by SR at 21:32 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月19日

第10話「蒸気機関」④

こんばんは。
少々バテ気味ではありますが、いつもご覧いただいている皆様、ありがとうございます。

さて、日本科学技術力が、相対的に低下したと言われる昨今です。
いまや学術研究にも見栄えのする成果が求められがちで、地道な研究が評価されない傾向もあるようです。

幕末の名君・鍋島直正は、基礎研究試行錯誤を大事にしたトップと言ってよいでしょう。
佐賀研究者技術者たちが、文字通り命を賭けた技術開発は、のちに日本近代化につながっていきます。


――1853年夏、長崎。佐野栄寿(常民)が立ち上げた、蘭学塾。

京都から“精錬方”に就職した、科学者中村奇輔が尋ねてくる。
佐野はん、お邪魔します。」

「やぁ、中村さん。“精錬方”は順調ですか?」
佐野が笑顔で出迎える。
長崎の塾では“蘭方医”も兼ねているので、再びキレイな丸坊主にしてみた。

それがやな…」
中村の表情が少しひきつる

「えっ、何かあったんですか!?」
佐野は、蘭学塾の運営に夢中で、最近の情勢に疎くなっていた。



――1か月ほど前、ペリー来航の衝撃が冷めやらぬ佐賀城内。

殿!公儀(幕府)より石火矢(大砲)の御用を命ぜられました!」
重臣・鍋島夏雲(市佑)が報告する。日記など几帳面に記録を残すタイプの人である。

「これは名誉なことにござる。直ちに支度を!」
側近の1人・原田小四郎である。

殿鍋島直正と、重臣たちが集まって話をしている。


――いわゆる保守派の家来たちも、幕府の命令で大砲を造ることに異論はない。むしろ幕府の評価は気になるので、積極的でさえある。

殿!公儀(幕府)御用の製作所はいずこに設けましょう。」

「少し前に、安房とも話おうていたが“多布施”であろうな。」
“精錬方”と近い立地を考えていた直正

多布施でございますか。」

「これを機に“精錬方”を、石火矢(大砲)の御用にお取込みなさっては。」
勘定方に近しい重臣からの提案である。


――耳ざわりは良い表現だが、“精錬方”の吸収合併、もっと言えば“廃止”を提案している。

厳しく申し上げれば、かの“精錬方”、今のところ何も産み出してはおりません。」
側近の原田同調する。

左様にござる。余所者(よそもの)が多く、まとまりに欠ける感もございます。」
さらに保守派の宿老が畳みかける。

これから幕府発注に対応する“反射炉”をもう1つ造るのだ。たしかに資金繰りは難しい。


――公式な会議として設定した場ではないが、話の行きがかり上、殿・鍋島直正は孤立した。

藩のナンバー2鍋島安房は他事でこの場におらず、頼れる“義兄上”・鍋島茂義武雄に戻っている。

そして、蘭学に通じた“長崎御番”の主力たちは、ロシアプチャーチン来航を受けて、出払っている。

直正、この場は1人収拾を付けることにした。
皆の者、よく聞け!」

「はっ!」
原田小四郎は頑固ではあるが、忠義者である。
殿が何か言葉を発すると見れば、しっかり傾聴する。


――他の重臣たちも一斉に、直正の発言に注目する。

「“精錬方”は…」
が固唾をのんで、直正を見つめる。多額の資金を使う“大事業”の行方は…

の…」
思い切り間を取り溜めをつくる直正

「…いかに
重臣たちに緊張が走る。


――そして急激に間を詰め、直正が言い放った。

道楽じゃ口を挟むでない!」

…はっ…
呆気に取られる重臣たち。まさか“余の道楽”で一蹴されるとは…

ははーっ殿がそこまで仰せならば!」
原田小四郎殿決意が通じたのか…なぜか得心が言ったらしい。

こうして、直正は一瞬で場の空気を掴むことに成功した。


――何とか“精錬方”は存続の危機を乗り越えた。いわば殿の政策決定による“特別予算”のような扱いである。



中村奇輔は息を切らせながら、佐野栄寿に以上の事柄を一気に説明した。

佐野水もろうてもええか。」
中村、のどが渇いたらしい。

「…すぐ持ってきます。」
そして、佐野蘭学塾の奥にある井戸まで、水を汲みにいったのである。


(続く)
  


Posted by SR at 20:51 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月17日

第10話「蒸気機関」③

おはようございます。
前回の続きです。技術開発にあわせて、少し佐賀藩の内情の表現を試みます。

――1852年。佐賀城下の“多布施”に位置する「精錬方」の施設。研究所、工場、居宅などが集まっている。

田中さん!どがんですか、佐賀の住み心地は?」
佐野栄寿田中久重に問う。

「いや、良くしてもらっておるぞ!」
機械技術者田中にとって、衣食住製作環境が揃う、この待遇は期待以上らしい。


――田中父子だけでなく、中村奇輔、石黒寛次も多布施に住居を与えられている。

「ここでの暮らしは良い!まぁ…ずっと蘭書訳しているがな!」
石黒寛次は、翻訳に没頭している。

「そうだ、石黒さん!これもお願いします!」
実は彼らのスカウトを行った佐野自身は、なんと長崎蘭学塾を立ち上げていた。


――今日は、自分がスカウトした4人の様子伺いと、石黒に翻訳してもらう書物を届けに来たのである。



砲術造船…、それと何だこりゃ!?まぁ…ええけどな。」
得体の知れない洋書”の登場に、石黒苦笑いである。


――そして科学者・中村奇輔が、佐野の姿を見つける。

佐野はん!実は先だって…」
中村が何か言いたそうだ。

「実は、お殿様幾度か来られてな…」
「あぁ、そうでしたか。」
佐野あっさりとした反応をする。重大事を話したつもりの中村は面食らった。

佐野はん、驚かんのか!お殿様やで!」
殿は、“弘道館”(藩校)にもよくお越しになりますので…佐賀ではよくあることです。」

殿鍋島直正勉強する者の近くに現れるのは、常のことだった。


――しかし、殿も大変なのであった。佐賀城の一角にて。

殿っ!申し上げたき儀(ぎ)がござる!」
原田か。いかがした。」

直正に声を掛けたのは、原田小四郎
最近、めきめきと頭角を現している、直正の有力な側近の1人である。

「“精錬方”のことにござる!」
「…あぁ、そのことか。」


――いわゆる“重臣のお小言”である。あまり気が乗らない反応をする直正

海の物とも、山の物ともつかぬ余所者(よそもの)を、多額の費え雇うとは!」
「いや…原田よ!あれは大事な者たちなのだ。」

殿っ!お聞きくだされ!」
「…うむうむ。」


――佐賀藩は、支藩鹿島など)や、鍋島家の親類などの領主が治める自治領武雄など)に細かく分かれていた。

長崎警備などで財政負担の大きかった佐賀本藩は、長年の間、支藩である鹿島藩吸収合併を計画していたのである。

そして、幕府も巻き込んだ騒ぎに発展したことがある。
直正も「腹を割って話そう」と調整に苦心し、何とか騒動は収束した。

幾度厳しきことを申し付けております、鹿島(支藩)の者たちの目もござるぞ。まずは、倹約ではござらぬか。」
原田小四郎、ストレートに“正論”をぶつけてくる。これもサムライの忠義の形である。





――原田小四郎は、親類(支藩や親類、その同格)に次ぐクラスの名家出身のエリートで、発言力も強い。

鍋島直正は、西洋の技術に熱心だが、ただの新しい物好きではない。
佐賀県人気質に通ずるしれないが、マジメ秩序を重んじる保守的な性格でもある。

ゆえに直正の目指した価値は、秩序革新両立である。保守派の急先鋒・原田も、また直正理想のために働いているのだ。

原田、お主の言うこともわかるぞ!しかしだな…」


――そこに“武雄のご隠居”鍋島茂義が現れる。

原田よ!」
ここで茂義の“乱入”により、風向きが変わる。

「おおっ、武雄の“義兄上(あにうえ)”」
直正助け舟の登場にホッとした様子だ。

彼の(かの)者たちは、殿より命ぜられた“蒸気機関”の仕立て欠かせぬ者どもじゃ!」

顔を立ててくれんか!」
もはや、お願いなのか、威圧なのかがわからない。久しぶりの“武雄のご隠居”の剛腕である。

「…かような仕儀なれば、しばし様子を見まする…」
原田不承不承ではあるが引き下がった。


――原田小四郎が去り、ひと息つく直正と茂義。

殿!…たいそう家来気を遣うのだな。」
茂義が少し、皮肉を言う。
殿であるとはいえ、もともと直正14歳年下の“弟分”でもある。とくに遠慮はない。

原田とて、の意を受けて、励んでおるのだ。無下には扱えん。」

農村は富み、商いは活発、城下の治安も良い…当時の佐賀藩。その根本は、秩序を重んじ、それぞれの為すべき仕事全力を傾けることだった。

鍋島直正は、実際に仕事にあたる部下をよく見ている。その分、悩みも増えるのである。

(続く)
  


Posted by SR at 10:39 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」

2020年05月15日

第10話「蒸気機関」②

こんばんは。
前回、佐賀に登場した関西出身の2人。
中村奇輔石黒寛次は、京都の蘭学塾“時習堂”で、佐野栄寿(常民)と同門でした。

参考:第7話「尊王義祭」⑩第8話「黒船来航」③

同時期の話に、50歳にして“時習堂”に入門した、からくり技師(機械技術者)も登場しています。
久留米出身の田中久重。通称“からくり儀右衛門”とも呼ばれる人物です。


――佐野栄寿が、スカウトした技術人材が次々と佐賀に到着する。

田中どの!お久しゅうござる。」

「おおっ、佐野どのか!久しかのう!」
田中久重は、佐賀に近い久留米(福岡)の生まれである。

年相応の白髭を生やすが、その目好奇心で活き活きとしている。
故郷の久留米ではないものの、九州に戻ってきた喜びも感じられる。


――上方(京・大坂)では、田中は“からくり儀右衛門”として、寺社の門前などで興業も行っていた。



田中久重の作った精妙な作品は人々を引き付けた。

人形を曳いたり、で文字を書くよ!」

森羅万象を示し、万年を刻む時鐘(時計)だ!」

「尽きることなく、闇を照らす…無尽灯(むじんとう)だ!」

…このように芝居のような呼び込みまで行われ、既に上方では有名人だったのである。


――佐野の友達の1人、舞鶴出身の蘭学者・石黒寛次。田中久重に声をかける。

「おおっ!“儀右衛門”どの!久方ぶりやないですか。」

「はいっ!」
なぜか、田中久重同行している男が返事をする。

「ん…何やろ!?」
違和感を感じる、石黒

「“儀右衛門”どの!」
石黒は、もう1度呼び掛けてみた。

「はっ!何でしょう。」
また、田中久重に同行している男が反応する。


――「ハッハッハ…!」豪快に笑う、田中久重。

「ご紹介しよう!“二代目・からくり儀右衛門”。ワシの後継ぎだ。」

同行していた男は、田中久重の養子
田中精妙な作品には欠かせない、練達の金属加工技術者である。

「申し遅れました。田中の跡取りで“儀右衛門”でございます。」
「ほう、“二代目”やったんか。よろしくな。」
石黒が挨拶を返した。


――佐野栄寿。一度は別れた、京都での仲間たちの集結に感無量である。



ウッ…ウッ!
佐野栄寿。急に声を詰まらせる。

佐野はん!どうしはりましたか?」
いつの間にか合流していた、科学者・中村奇輔が様子を伺う。

「皆さま…遠路はるばる…」
このタイミングで感激のあまり涙を流す佐野

佐野呼びかけに応じてくれた仲間たち。しかも地元・佐賀に集まってくれた。涙もろい佐野が泣くには、充分な条件が揃った。


――佐野は、のちに「泣きの常民」とまで言われる。

「おい、おい…佐野泣いとるで。」
蘭学者・石黒は、反応に困っている。

佐野はん!次の仕切りを考えなあきまへんで。」
科学者・中村が、話の収拾に着手する。

「ヒック…そうでした…。」
佐野栄寿ひと泣きして落ち着いた様子だ。


――佐賀藩は伝統的に、“余所者(よそもの)”の受入に厳しい。

長崎では、海外の技術習得に熱心な佐賀藩
しかし、国内での他藩との交流には、極めて慎重だった。

幕府の海外への“鎖国”と併せて、佐賀の国内への“二重鎖国”と形容されるほどだ。
これには諸説あるようだが、陶磁器などの技術流出を警戒したためとも言われる。

中村が気づいた。
「そこで、あの“ご隠居”さまの、お力添えがある…」

すっかり落ち着いた佐野が答える。
「そがんです!何せ“ご隠居”さまは、人徳のあるお方ですので…」


――たとえ殿の意向があっても、佐賀藩内の保守派は、“余所者”の受入れには難色を示すだろう。

そのため“外部人材”を採用する準備は水面下で進んでいた。

武雄のご隠居・鍋島茂義が動く。
「“役者”が揃ったようだな。では、殿のご機嫌を伺ってくるとするか。」

「行ってらっしゃいませ。殿も、良い知らせをお待ちかねでしょう。」
今回の人材集め調整役でもあった“蘭学じじい”が見送る。


――そして、殿・鍋島直正は、佐賀藩の理化学研究所「精錬方」を立ち上げる。この翌年(1852年)のことである。


(続く)  


Posted by SR at 20:36 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」