2020年03月01日

第5話「藩校立志」④

こんばんは。
前回の続きです。

――江戸幕府「究極の水際対策」である“鎖国”の完成から、およそ200年が経過していた。

徳川政権秩序の維持に“鎖国”を機能させ、世界史上でも稀にみるほど、平和な時代を作ったとも言われる。

しかし、直前のアヘン戦争、そして次々に日本沿海に現れる西洋列強の船。時代の流れは“鎖国”の維持を許さない方向に進んでいく。

――“パレンバン号”入港に際し、長崎警護各藩から集められた兵員は4千人ほどと言われる。

当番佐賀藩主力として、福岡藩や近隣諸藩からも兵が動員されていた。長崎港を囲む各陣地で、厳戒態勢が取られる。


――パレンバン号の艦長コープスは、オランダ国王ウィレム二世の親書を携えていた。

オランダ国王よりのお手紙の趣旨は大体こうである。

親愛なる日本の大君(将軍)さまへ~

「わがオランダ国日本と長いお付き合いをいたしております。」
「それゆえ、心配をしているのです。そろそろ開国した方が良い情勢です。」

「あまり強硬に“鎖国”にこだわると、アヘン戦争での清国の二の舞になりますよ。」

概ね以上である。

長崎奉行所は、オランダ国書を受け取り、江戸にお伺いを立てた。

――江戸。このオランダ国書に対し、幕府の議論は紛糾。まったく話が進まない。

当時、幕政の中心は「天保の改革」の失敗で、一度、政権を追われた水野忠邦。前の老中・土井が火災の事後処理に失敗し、急遽、再登板となっている。

一旦、権力を取り戻した水野
まず、以前裏切った鳥居耀蔵を遠方に飛ばす

ここで、また厄介事である。
もはや水野政権維持への意欲は湧いてこない。
待たせよ!とりあえず先送りせよ!」


――長崎。そして、待たされる“パレンバン号”艦長のコープス。

ここからはオランダ語である。苛立つコープス艦長
江戸はいつまで待たせるつもりだ!」

士官の1人が挙手する。
コープス艦長!こういうのを“優柔不断”と言うのでしょうか!」
「あぁ、そうだな。この国では良くあることらしい。」

他の士官が甲板に上がってくる。
「ご報告します!“肥前の国”の領主が、我が艦見学したい!と打診してきています。」

コープス艦長の眉が動く。
「何、我が艦を見たいと…そんな領主(大名)がいるのか?」

――それが、いるのである。肥前佐賀(35万7千石)・鍋島直正

直正は、幼い頃からの側近、古川与一に喜びを語る。
与一よ、ついに見られるぞ!オランダ軍船じゃ!」

「それは、ようございましたね。」
古川与一(松根)は主に直正世話を担当する側近。現代風に言えば“執事”であろうか。

直正は「与一1日でもいないと不便である!」と語るほどだった。


――さて、直正は、その古川与一(松根)に指示を出す。

与一よ、“パレンバン号”に同乗し、記録を残してほしい。」

現代で言えば“写真係”の依頼である。
カメラがあるわけではないので、古川与一は現場をに描き起こす。

与一は、和歌、書、そして絵画芸術系の才に恵まれる。文化人古川松根としても著名である。

「与一よ!装束()は、これが良いか!」
直正は、ビシッと赤い袴を着こなす。

殿、お似合いですぞ!オランダ国の者にも威厳示さねばなりませぬ。」
古川与一は、直正服飾コーディネートも担当していた。


――そして、直正はオランダ軍船に向かう小舟に乗り込む。

「余すところなく、異国船見聞するぞ!」
直正は同行の家来たちに、を飛ばす。

おお―っ!」
そして直正の言葉に沸く“蘭学大好き佐賀藩士たち。

「…何やら、佐賀の者たちにはついて行けぬな。」
長崎奉行所の役人たちは、佐賀藩の“”に、引き気味であった。


(続く)  


Posted by SR at 21:35 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」