2022年05月30日
第18話「京都見聞」⑧(真っ直ぐな心で)
こんばんは。前回の続きです。
文久二年(1862年)六月に佐賀を発った、江藤新平。京都に向かう道中では福岡城下に立ち寄り、筑前(福岡)の志士たちの消息を探ろうと決めます。
江藤が訪ねた相手・平野国臣ですが、福岡藩内の牢獄に居たようです。また現在の福岡県朝倉市にあった秋月藩・海賀宮門も姿を消していました。
〔参照(後半):第18話「京都見聞」③(寺田屋騒動の始末)〕
京都では、“寺田屋騒動”についても調査したという江藤。幕末期に佐賀を訪れた、筑前(福岡)の志士たちの足跡も、次第に見えてくることになります。
――情報通の“祇園太郎”が語り出す「怖い話」。
「寺田屋の騒動の事たい。その場に、秋月の者も居った。」
薩摩藩士の同士討ちの事件として知られる“寺田屋騒動”。その場には公家や他藩に仕える尊王活動家も集まっていた。
〔参照(後半):第18話「京都見聞」③(寺田屋騒動の始末)〕
「…秋月の者だと。“海賀”という名ではないか。」
「そうたい。よく知っとるとね。よもや…探しよったか。」
江藤の反応に、祇園太郎の表情が、少し曇ったように見えた。

――万延年間(1860~1861年)からの佐賀では。
長崎警備に注力する佐賀藩。西洋と向き合うことで、陶磁器など貿易に使う物産の開発や海外への販路開拓にも、ますます熱心となっている。
蒸気機関を研究する一方で、水力等を用いた工業の“自動化”も進めていた。
〔参照(後半):第10話「蒸気機関」⑩(佐賀の産業革命)〕
近隣の九州北部の志士たちは、“西洋通”の雄藩・佐賀を味方に引き込む事が力になると考えたか、この時期、次々に“来佐”していた。
彼らが訪ねたのは尊王思想家として著名な、江藤たちの師匠・枝吉神陽。
――その日も、年の頃20代後半の訪問者があった。
「秋月(藩)の海賀宮門と申す。こちらに、枝吉神陽先生は居られるか。」
どこから“義祭同盟”の会合を聞きつけたか、この日も一人の志士が現れた。
「神陽先生の門下で、江藤と申す。用向きを承る。」
佐賀は旅人への規制が厳しい。通常、他藩の者は城下深くには入れず、長崎街道沿いを行き来することになったようだ。
「恐れ入るが、ぜひ神陽先生に、お目通り願いたい。」

――他藩の志士にも、様々な者が居る。
もともと才気が勝り、ピリピリと無愛想なところがある江藤。何がしかの企てがあって近づいてくる“志士”も居るため、多少の警戒感もあった。
ところが、訪ねてきた海賀という男は、江藤を話す値打ちがある人物と見たか、熱っぽく語り始めた。
「私は黒田の家臣で、秋月から来た者だ。」
――秋月藩は、福岡藩の支藩。
福岡藩主・黒田家の分家が治める秋月。海賀は、朝廷を崇敬する志士だが、黒田武士であることは誇りとする様子だ。
「福岡にも志のある者は多く居るが、“国”の動きは芳しくない。」
「黒田のご家中には、勤王への動きが見えぬということか。」
――佐賀藩と交代で、長崎警備を担当する福岡藩。
概ね幕府寄りで慎重な立ち位置だ。そのため、福岡の平野国臣らは、よく藩の役人から追われている。
かくいう海賀も、一時は長州藩(山口)に接触を試みて、幽閉されたらしい。
「…だからこそ、我らのような者が働かねばならぬ。」
「では此度(こたび)は、なにゆえ佐賀に参られたか。」
――問答を続ける、秋月からの来訪者と江藤。
「それは佐賀が動けば、時勢が動くからだ。」
海賀宮門(直求)も若くて、覇気のある印象である。さらに目を輝かせて語る。
「事はそのように、容易ではない。」
江藤は幾分、冷たく言い放った。
幕末期、鍋島直正(閑叟)の統制により、雄藩への道を走ってきた佐賀。
身分を問わない人材の登用には熱心だが、他の雄藩とは違い、下級武士が藩政に影響を及ぼし始める傾向は見られない。
――江藤の才能に、下級役人の日々は見合ってはいなかった。
「だが、私は待っている。佐賀が我らとともに動いてくれる日を。」
言葉遣いはわりと丁寧だが、とても真っ直ぐで熱いところのある男だ。

江藤とて曲がった事は許せぬ、融通の効かない性分である。
こちらも変わり者ではあるが、まっすぐな気性と言える。
「海賀どのだったな。しばし、待たれよ。」
江藤が師匠の許可を得ようと振り向いた、その時。会合に使うお堂の奥から、枝吉神陽の声が響いた。
――「秋月からの客人なれば、通して良いぞ。」
“鐘が響く如し”と喩(たと)えられる、師匠・枝吉神陽の声が続く。
「海賀どのの話を聞こうではないか。江藤も同座してよい。」
「聞いてのとおり、師に尋ねるまでも無かったようだ。」
江藤が状況を伝える。
「いや、江藤さんだったか。貴方とも話がしたい。」
まっすぐな目線で語ると、秋月から来た志士・海賀は、自らの腹をポンポンと軽く叩いた。
「奇妙な事をする。それは何か。」
さほど恰幅(かっぷく)が良いわけでもなく、良い音をたてるために叩くでは無さそうだ。何かの想いを確かめるような所作に江藤が、興味を持って尋ねる。
――秋月の志士・海賀は、苦笑して答えた。
「これは気合いを入れる…まぁ、癖のようなものだ。」
「如何なる想いを込めるか。」
江藤には、単なる癖や習慣では無いと見えるのか、明確に聞こうとする。
「あえて言うなれば“赤心報国”だ。その志は、この肚(はら)に在りと。」
海賀は、言葉にする事ではないと思ったか、少し照れくさそうではあった。
聞いてみれば「偽りの無い心で、国に尽くす気持ちがここにある…」との答えに、江藤は「いや、得心した」と大きく頷(うなず)き、しきりに感心する。
自らの想いを持って進む、秋月の志士の真っ直ぐな心が快い。その一方で、どこか強大な佐賀藩に頼る気持ちがあった、自身を省みていた。
(続く)
文久二年(1862年)六月に佐賀を発った、江藤新平。京都に向かう道中では福岡城下に立ち寄り、筑前(福岡)の志士たちの消息を探ろうと決めます。
江藤が訪ねた相手・平野国臣ですが、福岡藩内の牢獄に居たようです。また現在の福岡県朝倉市にあった秋月藩・海賀宮門も姿を消していました。
〔参照(後半):
京都では、“寺田屋騒動”についても調査したという江藤。幕末期に佐賀を訪れた、筑前(福岡)の志士たちの足跡も、次第に見えてくることになります。
――情報通の“祇園太郎”が語り出す「怖い話」。
「寺田屋の騒動の事たい。その場に、秋月の者も居った。」
薩摩藩士の同士討ちの事件として知られる“寺田屋騒動”。その場には公家や他藩に仕える尊王活動家も集まっていた。
〔参照(後半):
「…秋月の者だと。“海賀”という名ではないか。」
「そうたい。よく知っとるとね。よもや…探しよったか。」
江藤の反応に、祇園太郎の表情が、少し曇ったように見えた。
――万延年間(1860~1861年)からの佐賀では。
長崎警備に注力する佐賀藩。西洋と向き合うことで、陶磁器など貿易に使う物産の開発や海外への販路開拓にも、ますます熱心となっている。
蒸気機関を研究する一方で、水力等を用いた工業の“自動化”も進めていた。
〔参照(後半):
近隣の九州北部の志士たちは、“西洋通”の雄藩・佐賀を味方に引き込む事が力になると考えたか、この時期、次々に“来佐”していた。
彼らが訪ねたのは尊王思想家として著名な、江藤たちの師匠・枝吉神陽。
――その日も、年の頃20代後半の訪問者があった。
「秋月(藩)の海賀宮門と申す。こちらに、枝吉神陽先生は居られるか。」
どこから“義祭同盟”の会合を聞きつけたか、この日も一人の志士が現れた。
「神陽先生の門下で、江藤と申す。用向きを承る。」
佐賀は旅人への規制が厳しい。通常、他藩の者は城下深くには入れず、長崎街道沿いを行き来することになったようだ。
「恐れ入るが、ぜひ神陽先生に、お目通り願いたい。」
――他藩の志士にも、様々な者が居る。
もともと才気が勝り、ピリピリと無愛想なところがある江藤。何がしかの企てがあって近づいてくる“志士”も居るため、多少の警戒感もあった。
ところが、訪ねてきた海賀という男は、江藤を話す値打ちがある人物と見たか、熱っぽく語り始めた。
「私は黒田の家臣で、秋月から来た者だ。」
――秋月藩は、福岡藩の支藩。
福岡藩主・黒田家の分家が治める秋月。海賀は、朝廷を崇敬する志士だが、黒田武士であることは誇りとする様子だ。
「福岡にも志のある者は多く居るが、“国”の動きは芳しくない。」
「黒田のご家中には、勤王への動きが見えぬということか。」
――佐賀藩と交代で、長崎警備を担当する福岡藩。
概ね幕府寄りで慎重な立ち位置だ。そのため、福岡の平野国臣らは、よく藩の役人から追われている。
かくいう海賀も、一時は長州藩(山口)に接触を試みて、幽閉されたらしい。
「…だからこそ、我らのような者が働かねばならぬ。」
「では此度(こたび)は、なにゆえ佐賀に参られたか。」
――問答を続ける、秋月からの来訪者と江藤。
「それは佐賀が動けば、時勢が動くからだ。」
海賀宮門(直求)も若くて、覇気のある印象である。さらに目を輝かせて語る。
「事はそのように、容易ではない。」
江藤は幾分、冷たく言い放った。
幕末期、鍋島直正(閑叟)の統制により、雄藩への道を走ってきた佐賀。
身分を問わない人材の登用には熱心だが、他の雄藩とは違い、下級武士が藩政に影響を及ぼし始める傾向は見られない。
――江藤の才能に、下級役人の日々は見合ってはいなかった。
「だが、私は待っている。佐賀が我らとともに動いてくれる日を。」
言葉遣いはわりと丁寧だが、とても真っ直ぐで熱いところのある男だ。
江藤とて曲がった事は許せぬ、融通の効かない性分である。
こちらも変わり者ではあるが、まっすぐな気性と言える。
「海賀どのだったな。しばし、待たれよ。」
江藤が師匠の許可を得ようと振り向いた、その時。会合に使うお堂の奥から、枝吉神陽の声が響いた。
――「秋月からの客人なれば、通して良いぞ。」
“鐘が響く如し”と喩(たと)えられる、師匠・枝吉神陽の声が続く。
「海賀どのの話を聞こうではないか。江藤も同座してよい。」
「聞いてのとおり、師に尋ねるまでも無かったようだ。」
江藤が状況を伝える。
「いや、江藤さんだったか。貴方とも話がしたい。」
まっすぐな目線で語ると、秋月から来た志士・海賀は、自らの腹をポンポンと軽く叩いた。
「奇妙な事をする。それは何か。」
さほど恰幅(かっぷく)が良いわけでもなく、良い音をたてるために叩くでは無さそうだ。何かの想いを確かめるような所作に江藤が、興味を持って尋ねる。
――秋月の志士・海賀は、苦笑して答えた。
「これは気合いを入れる…まぁ、癖のようなものだ。」
「如何なる想いを込めるか。」
江藤には、単なる癖や習慣では無いと見えるのか、明確に聞こうとする。
「あえて言うなれば“赤心報国”だ。その志は、この肚(はら)に在りと。」
海賀は、言葉にする事ではないと思ったか、少し照れくさそうではあった。
聞いてみれば「偽りの無い心で、国に尽くす気持ちがここにある…」との答えに、江藤は「いや、得心した」と大きく頷(うなず)き、しきりに感心する。
自らの想いを持って進む、秋月の志士の真っ直ぐな心が快い。その一方で、どこか強大な佐賀藩に頼る気持ちがあった、自身を省みていた。
(続く)
2022年05月26日
第18話「京都見聞」⑦(ちょっと、待たんね!)
こんばんは。
“本編”に戻ります。前回、京にある川の港・伏見に到着した江藤新平。そこに現れた“祇園太郎”は、幕末期に実在した佐賀の人物で、地元は小城。
〔参照:第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)〕
江藤が脱藩した際に、京に居たかは定かではありませんが、数年前から播磨(兵庫)を拠点に志士として活動。京でも情報収集に励んだようです。

――文久二年(1862)七月。
京にて、時勢は動く。薩摩(鹿児島)の国父・島津久光が“寺田屋騒動”で、藩内の勤王派を粛清したのは、同年の四月。
それに関わる、土佐(高知)や福岡など他藩の脱藩浪士も取り締まったため、志士たちの活動は大打撃を受けていた。
江藤は、京の事情を知る“祇園太郎”に、矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「その後、薩摩はいかに動いたか。」
「…意気揚々と、江戸にお進みになったとよ。」
“祇園太郎”は佐賀出身とはっきりしたため、同郷の者どうしの会話になる。
「公儀(幕府)に言上する事があるのだな。」
江藤は、薩摩の意図を察した。幕政の主導権を取ろうとしているのだと。
――島津久光は、幕府を悩ませる勤王派志士を取り締まった。
その実績を手土産に江戸へと進発する。もはや薩摩の意向が、幕府の人事にも作用する勢いだ。
島津久光が狙うのは、数年前に大老・井伊直弼が抑え込んだ“一橋派”の復権。この時、徳川家茂が14代将軍だが、一橋慶喜を要職に推す声も強い。
「そうたい。一橋さまと、越前(福井)の松平春嶽さまが、要職に就くらしか。」
元は侍ではなさそうな印象の“祇園太郎”だが、異常に政治情勢に詳しい。

――伏見の街には、薩摩の屋敷もある。
「…では、探りを入れてみるか。」
江藤がにわかに、歩を早める。目線の先には、薩摩藩士らしき侍が見えた。
「ちょっ…待たんね!」
祇園太郎は、江藤を制止しようとしたが、すでに時遅し。次の瞬間には辺りを見回っているらしい、薩摩の侍が、江藤の姿に気付いている。
「…何を考えよるか!?…あん男は。」
呆気に取られる、祇園太郎。
――「こら、何者じゃ、」
伏見の街角を見回る、薩摩藩士らしき男は、少し気が立っている様子だ。
「いかんばい!」
“祇園太郎”は江藤の危機に気付くが、この状況では、どうにも手が出せない。そして上方(京・大坂)での活動で、薩摩の侍の怖さもよく知っている。
江藤の風体は、侍であるとはわかるものの、服装は粗末で旅の埃(ほこり)にまみれて、立派とは言い難い。どう考えても怪しまれるのが自然だ。
そんな心配をよそに、江藤はスッと薩摩の侍と向き合った。
「済まぬが、物を尋ねる。」
――ピーンと、張り詰めた声が通った。
江藤は質問を発しただけなのだが、弦を引き絞って、一筋の矢が放たれたかのようで、薩摩の侍もピッと震動した様子がうかがえる。

「…良かった。あの侍は、刀を抜かんばい…」
物陰から様子をうかがい、息を詰める“祇園太郎”。以前は小城で、大庄屋だった者だが、ここ数年で様々な物事を見てきた。
一般的に志士としての活動には、危機の察知能力が重要である。物怖じせず堂々と出ていく、江藤がおかしいのだ。
「お主、どこの“国”の者だ!?」
「佐賀から来た。」
――何やら、薩摩藩士と話し始める江藤。
「…佐賀、だと?」
「先だって佐賀を抜け、いまは京に至っている。」
江藤は脱藩したから京に居るのだ…と理屈では、当然の事を言っている。怪訝(けげん)な顔をする薩摩の侍。
それもそのはずで、佐賀は「科学技術の進んだ雄藩」として知られるが、その一方で「二重鎖国」とまで語られるほど統制が強い。
――佐賀からの脱藩浪士など、他には見かけないのだ。
“寺田屋騒動”の残党からの襲撃に備えて、警戒にあたる薩摩の侍。想定外の訪問者への対応に困惑している。
「あまり、こん周囲ばうろつくと、斬り捨て申すぞ。」
「それは、物騒だな。失礼する。」
随分と薩摩の侍に絡んだが、引く時はあっさり退出した江藤。
――物陰の“祇園太郎”のところに戻る、江藤。
「あん薩摩の侍は辺りを見回るのみ。特に聞けた事はなか。」
状況報告のつもりか、江藤は淡々と語る。

しかし、次の瞬間から“祇園太郎”が捲(まく)し立てた。もはや、説教をせずにはいられない。
「…佐賀のごた(ような)気分で、居ってはならんばい!」
「様子を見聞してきたまで。どげんしたとか?」
大騒ぎの反応に驚いた、江藤が不思議な表情で語るが、祇園太郎は「えすか(怖い)~」と繰り返す。
――興奮気味の“涙目”で語る、祇園太郎。
「心して聞かんね!薩摩の侍の“初太刀”ば受けたら、もう…命の無かよ。」
薩摩には、一撃必殺の豪剣が広く普及している。守りを捨ててでも、相手を仕留める気迫の恐ろしい流儀である。
「だが、刀を抜く気配もなかごた。」
江藤は侍に、抜刀の様子が無かったと語るが、傍らで肝を冷やしていた祇園太郎は、随分ご立腹だ。
「よし…今から、えすか(怖い)話ば語るから、心して聞かんね。」
“情報通”のこの男が語るのは、江藤が調べようとした事件の続報だった。
(続く)
“本編”に戻ります。前回、京にある川の港・伏見に到着した江藤新平。そこに現れた“祇園太郎”は、幕末期に実在した佐賀の人物で、地元は小城。
〔参照:
江藤が脱藩した際に、京に居たかは定かではありませんが、数年前から播磨(兵庫)を拠点に志士として活動。京でも情報収集に励んだようです。

――文久二年(1862)七月。
京にて、時勢は動く。薩摩(鹿児島)の国父・島津久光が“寺田屋騒動”で、藩内の勤王派を粛清したのは、同年の四月。
それに関わる、土佐(高知)や福岡など他藩の脱藩浪士も取り締まったため、志士たちの活動は大打撃を受けていた。
江藤は、京の事情を知る“祇園太郎”に、矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「その後、薩摩はいかに動いたか。」
「…意気揚々と、江戸にお進みになったとよ。」
“祇園太郎”は佐賀出身とはっきりしたため、同郷の者どうしの会話になる。
「公儀(幕府)に言上する事があるのだな。」
江藤は、薩摩の意図を察した。幕政の主導権を取ろうとしているのだと。
――島津久光は、幕府を悩ませる勤王派志士を取り締まった。
その実績を手土産に江戸へと進発する。もはや薩摩の意向が、幕府の人事にも作用する勢いだ。
島津久光が狙うのは、数年前に大老・井伊直弼が抑え込んだ“一橋派”の復権。この時、徳川家茂が14代将軍だが、一橋慶喜を要職に推す声も強い。
「そうたい。一橋さまと、越前(福井)の松平春嶽さまが、要職に就くらしか。」
元は侍ではなさそうな印象の“祇園太郎”だが、異常に政治情勢に詳しい。

――伏見の街には、薩摩の屋敷もある。
「…では、探りを入れてみるか。」
江藤がにわかに、歩を早める。目線の先には、薩摩藩士らしき侍が見えた。
「ちょっ…待たんね!」
祇園太郎は、江藤を制止しようとしたが、すでに時遅し。次の瞬間には辺りを見回っているらしい、薩摩の侍が、江藤の姿に気付いている。
「…何を考えよるか!?…あん男は。」
呆気に取られる、祇園太郎。
――「こら、何者じゃ、」
伏見の街角を見回る、薩摩藩士らしき男は、少し気が立っている様子だ。
「いかんばい!」
“祇園太郎”は江藤の危機に気付くが、この状況では、どうにも手が出せない。そして上方(京・大坂)での活動で、薩摩の侍の怖さもよく知っている。
江藤の風体は、侍であるとはわかるものの、服装は粗末で旅の埃(ほこり)にまみれて、立派とは言い難い。どう考えても怪しまれるのが自然だ。
そんな心配をよそに、江藤はスッと薩摩の侍と向き合った。
「済まぬが、物を尋ねる。」
――ピーンと、張り詰めた声が通った。
江藤は質問を発しただけなのだが、弦を引き絞って、一筋の矢が放たれたかのようで、薩摩の侍もピッと震動した様子がうかがえる。

「…良かった。あの侍は、刀を抜かんばい…」
物陰から様子をうかがい、息を詰める“祇園太郎”。以前は小城で、大庄屋だった者だが、ここ数年で様々な物事を見てきた。
一般的に志士としての活動には、危機の察知能力が重要である。物怖じせず堂々と出ていく、江藤がおかしいのだ。
「お主、どこの“国”の者だ!?」
「佐賀から来た。」
――何やら、薩摩藩士と話し始める江藤。
「…佐賀、だと?」
「先だって佐賀を抜け、いまは京に至っている。」
江藤は脱藩したから京に居るのだ…と理屈では、当然の事を言っている。怪訝(けげん)な顔をする薩摩の侍。
それもそのはずで、佐賀は「科学技術の進んだ雄藩」として知られるが、その一方で「二重鎖国」とまで語られるほど統制が強い。
――佐賀からの脱藩浪士など、他には見かけないのだ。
“寺田屋騒動”の残党からの襲撃に備えて、警戒にあたる薩摩の侍。想定外の訪問者への対応に困惑している。
「あまり、こん周囲ばうろつくと、斬り捨て申すぞ。」
「それは、物騒だな。失礼する。」
随分と薩摩の侍に絡んだが、引く時はあっさり退出した江藤。
――物陰の“祇園太郎”のところに戻る、江藤。
「あん薩摩の侍は辺りを見回るのみ。特に聞けた事はなか。」
状況報告のつもりか、江藤は淡々と語る。
しかし、次の瞬間から“祇園太郎”が捲(まく)し立てた。もはや、説教をせずにはいられない。
「…佐賀のごた(ような)気分で、居ってはならんばい!」
「様子を見聞してきたまで。どげんしたとか?」
大騒ぎの反応に驚いた、江藤が不思議な表情で語るが、祇園太郎は「えすか(怖い)~」と繰り返す。
――興奮気味の“涙目”で語る、祇園太郎。
「心して聞かんね!薩摩の侍の“初太刀”ば受けたら、もう…命の無かよ。」
薩摩には、一撃必殺の豪剣が広く普及している。守りを捨ててでも、相手を仕留める気迫の恐ろしい流儀である。
「だが、刀を抜く気配もなかごた。」
江藤は侍に、抜刀の様子が無かったと語るが、傍らで肝を冷やしていた祇園太郎は、随分ご立腹だ。
「よし…今から、えすか(怖い)話ば語るから、心して聞かんね。」
“情報通”のこの男が語るのは、江藤が調べようとした事件の続報だった。
(続く)
2022年05月22日
「小京都・小城の謎を追う…(第18話・場面解説①)」
こんばんは。
“本編”を作成していますが、また「重たい話」を織り込もうとしているので、なかなか進みません。
今回は「九州の小京都」をキーワードに、第18話の、今までとこれからの話の整理を試みます。
九州各地にも、京都のように伝統や文化を受け継ぐ雰囲気を持ちながら、それぞれの個性を持つ“小京都”が見られます。
――佐賀県では小城市と伊万里市が、よく“小京都”と呼ばれる街。
伊万里が“小京都”と呼ばれるのは京都の特色でもある“美術・工芸都市”の側面が強いからでしょう。
しかし、陶磁器(窯業)での“特殊な力”の蓄積がある港湾都市・伊万里は、“城下町”の風情が漂う街とは別に語った方が良いのかもしれません。
そんな理由なのかはわかりませんが、九州各県の“小京都”の並びで、佐賀県では小城市がその立場を担うのが一般的のようです。

※「小城 屋根のない博物館」。小城藩邸は城ではなく、“陣屋”の扱いなのですね。
そして、佐賀の支藩の1つである小城藩は、本編第2部の主人公・江藤新平と縁が深い場所。
以下は、本編の物語構成を前提としたお話が中心ですので、ご留意ください。
――小京都・小城から、幕末の京都へとつながる第18話。
江藤新平が京に発つ前、小城藩の代官所を尋ねた設定で描きました。
〔参照:第18話「京都見聞」④(湯呑みより茶が走る)〕
当時、富岡敬明は大野代官所で小城藩領・山内を管轄。この場所は、現在は佐賀市富士町のようですが、本記事に含めています。
“本編”で佐賀の藩境を超える時の手引き役は、義祭同盟の同志・古賀一平で描写しましたが、小城領の代官・富岡敬明が関与したとする説もあります。
〔参照(終盤):第17話「佐賀脱藩」㉑(郷里を背に)〕

――また、江藤が京都に旅立つ前に、
富岡は小城から出て、京でも活動する人物が居るとを示唆(しさ)します。
〔参照(中盤):第18話「京都見聞」⑤(清水の滝、何処…)〕
1858年(安政五年)に脱藩し、播磨(兵庫)を拠点に、上方の京・大坂で活動したという謎の男・祇園太郎。
江藤にとっては、佐賀から脱藩した先輩(?)にあたる存在ですが、“変名”での活動が伝わります。
私は、この人物が“祇園太郎”と名乗った理由を「佐賀の色」を隠して、秘密裏に動きたかったから…と想像しました。
――江藤が京・伏見に着くなり、
ここで、わかりやすく、もう1人の脱藩者が現れます。この辺りの展開が安直なのは、私の創作能力の限界なのですが、楽しんでいただけていれば幸いです。
〔参照:第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)〕
“本編”では、この謎の男は「上方ことば」で話し始めます。あえて出身地・佐賀の影を隠す“祇園太郎”。地道な努力で情報収集にあたる姿と表現しました。
実際に、この「現地の言葉で、自然と周囲に溶け込む」アプローチを用いたかは定かではありません。
ここは“佐賀”の存在を前面に出す、江藤との対比で描こうと思います。

※この方が、第18話のカギとなる人物です。
――“祇園太郎”は長崎と京を行き来しますが、
1863年(文久三年)には長州藩・桂小五郎に推挙され“学習院”出仕という、公家とも関われる立ち位置にまでなったと言います。
その前年の1862年(文久二年)に江藤と会い、京で公家と接点を持つ差配をしたのも、長州(山口)の桂小五郎です。
このため、同郷の江藤と“祇園太郎”には何か関わりがある方が自然では…と考えて、話を構成しました。
――そして、この“祇園太郎”の正体。
小城支藩内の大庄屋だった、古賀利渉という人物と伝わっています。
実際は、上方から長崎へ移動した時期があり、江藤が脱藩したタイミングでは、京に居なかった可能性もあります。
また、尊王攘夷の志士でありつつも、佐賀本藩の指令を受けて動く“密偵”という見解もある様子。想像を膨らませる余地を持った“謎の人物”です。

――小城が“小京都”である理由の1つに。
「祇園川のホタル」による風情があるそうです。いまは5月下旬ですから、現地の小城ではホタル観賞のシーズンなのでしょうか。
祇園太郎(古賀利渉)は、1833年(天保四年)生まれと聞きました。江藤新平より1歳年上という同年代。
ここ数回の“本編”では、祇園太郎の“情報通”としての実力と、小城とともに「九州の小京都」である福岡県の秋月(朝倉市)にも触れる話を…考えます。
――今回の調べ物をした際に、
小城に存在するという、謎の“混ぜ麺”「マジェンバ」の存在を知りました。調べるほどに、気になる事が増えていく小城の“小京都ミステリー”。
いま、佐賀県に帰省しようものならば、時間はいくらあっても足らない…そんな気がしています。
“本編”を作成していますが、また「重たい話」を織り込もうとしているので、なかなか進みません。
今回は「九州の小京都」をキーワードに、第18話の、今までとこれからの話の整理を試みます。
九州各地にも、京都のように伝統や文化を受け継ぐ雰囲気を持ちながら、それぞれの個性を持つ“小京都”が見られます。
――佐賀県では小城市と伊万里市が、よく“小京都”と呼ばれる街。
伊万里が“小京都”と呼ばれるのは京都の特色でもある“美術・工芸都市”の側面が強いからでしょう。
しかし、陶磁器(窯業)での“特殊な力”の蓄積がある港湾都市・伊万里は、“城下町”の風情が漂う街とは別に語った方が良いのかもしれません。
そんな理由なのかはわかりませんが、九州各県の“小京都”の並びで、佐賀県では小城市がその立場を担うのが一般的のようです。
※「小城 屋根のない博物館」。小城藩邸は城ではなく、“陣屋”の扱いなのですね。
そして、佐賀の支藩の1つである小城藩は、本編第2部の主人公・江藤新平と縁が深い場所。
以下は、本編の物語構成を前提としたお話が中心ですので、ご留意ください。
――小京都・小城から、幕末の京都へとつながる第18話。
江藤新平が京に発つ前、小城藩の代官所を尋ねた設定で描きました。
〔参照:
当時、富岡敬明は大野代官所で小城藩領・山内を管轄。この場所は、現在は佐賀市富士町のようですが、本記事に含めています。
“本編”で佐賀の藩境を超える時の手引き役は、義祭同盟の同志・古賀一平で描写しましたが、小城領の代官・富岡敬明が関与したとする説もあります。
〔参照(終盤):
――また、江藤が京都に旅立つ前に、
富岡は小城から出て、京でも活動する人物が居るとを示唆(しさ)します。
〔参照(中盤):
1858年(安政五年)に脱藩し、播磨(兵庫)を拠点に、上方の京・大坂で活動したという謎の男・祇園太郎。
江藤にとっては、佐賀から脱藩した先輩(?)にあたる存在ですが、“変名”での活動が伝わります。
私は、この人物が“祇園太郎”と名乗った理由を「佐賀の色」を隠して、秘密裏に動きたかったから…と想像しました。
――江藤が京・伏見に着くなり、
ここで、わかりやすく、もう1人の脱藩者が現れます。この辺りの展開が安直なのは、私の創作能力の限界なのですが、楽しんでいただけていれば幸いです。
〔参照:
“本編”では、この謎の男は「上方ことば」で話し始めます。あえて出身地・佐賀の影を隠す“祇園太郎”。地道な努力で情報収集にあたる姿と表現しました。
実際に、この「現地の言葉で、自然と周囲に溶け込む」アプローチを用いたかは定かではありません。
ここは“佐賀”の存在を前面に出す、江藤との対比で描こうと思います。
※この方が、第18話のカギとなる人物です。
――“祇園太郎”は長崎と京を行き来しますが、
1863年(文久三年)には長州藩・桂小五郎に推挙され“学習院”出仕という、公家とも関われる立ち位置にまでなったと言います。
その前年の1862年(文久二年)に江藤と会い、京で公家と接点を持つ差配をしたのも、長州(山口)の桂小五郎です。
このため、同郷の江藤と“祇園太郎”には何か関わりがある方が自然では…と考えて、話を構成しました。
――そして、この“祇園太郎”の正体。
小城支藩内の大庄屋だった、古賀利渉という人物と伝わっています。
実際は、上方から長崎へ移動した時期があり、江藤が脱藩したタイミングでは、京に居なかった可能性もあります。
また、尊王攘夷の志士でありつつも、佐賀本藩の指令を受けて動く“密偵”という見解もある様子。想像を膨らませる余地を持った“謎の人物”です。
――小城が“小京都”である理由の1つに。
「祇園川のホタル」による風情があるそうです。いまは5月下旬ですから、現地の小城ではホタル観賞のシーズンなのでしょうか。
祇園太郎(古賀利渉)は、1833年(天保四年)生まれと聞きました。江藤新平より1歳年上という同年代。
ここ数回の“本編”では、祇園太郎の“情報通”としての実力と、小城とともに「九州の小京都」である福岡県の秋月(朝倉市)にも触れる話を…考えます。
――今回の調べ物をした際に、
小城に存在するという、謎の“混ぜ麺”「マジェンバ」の存在を知りました。調べるほどに、気になる事が増えていく小城の“小京都ミステリー”。
いま、佐賀県に帰省しようものならば、時間はいくらあっても足らない…そんな気がしています。
2022年05月17日
「佐賀でも、光る君へ…?」
こんばんは。
現在放送中の2022年『鎌倉殿の13人』、来年2023年は『どうする家康』、再来年2024年は『光る君へ』…。
何となくですが、前々回・前回と今回。これからの大河ドラマ3作品を意識したタイトルを続けています。
いま、2025年こそ『幕末佐賀藩の大河ドラマ』を目指して…ひとまず前回、「どうする、配役」で語りきれなかった、配役イメージの3人目を紹介します。
――“配役”の勝手なイメージ〔その③〕
武勇に優れるうえに思慮深く、見栄えも良い、坂東武者の“優等生”。
『鎌倉殿の13人』では、畠山重忠を演じる中川大志さん。重たい展開も多い物語で、“清涼剤”のような爽やかさが際立つ、イケメン武将です。
源平合戦の“一ノ谷の戦い”では崖から奇襲をかける際、馬を傷つけないよう担いで降りた…というエピソードでよく語られる畠山重忠。
――馬にも愛のある、心映えまで“キラキラ”とした武将…?
最近、ゲームやアニメで流行っているらしい“ウマ娘”からもモテてしまいそう。ちなみに、同ゲームの開発会社は、佐賀に大規模な拠点がありますね。
話を戻します。たしか『鎌倉殿』では、伝説の「馬を担いで崖を降りる」場面は再現されておらず、セリフでの表現と記憶します。
平家方の陣を望む高台。畠山重忠〔演:中川大志〕は、そこから馬を背負ってでも下りていくと、源義経〔演:菅田将暉〕に宣言します。
「末代までの語り草になりそうです。」
やっぱり“優等生”キャラの畠山重忠。坂東武者として、後の世でどのように名を残すか。そこまでしっかり考えています。

――この俳優さん、以前見たテレビ番組でもキラキラとしていました。
バラエティー番組での中川大志さんの姿に「この俳優さんは“持っている”な」と感じたことがあります。
他局(テレビ東京系)で『池の水ぜんぶ抜く』という企画を行う番組。佐賀城の南堀が作業対象のロケ地になっており、私は大喜びして見ていました。
出演者の1人で、イケメン俳優枠(?)でのメンバーが中川大志さんでした。
――堀の底で“掘り出し物”を探す、一行。
“鍋島焼”の出現などが期待されるも、今ひとつ振り切った成果の出ない中…
時間は経過し「フライト(飛行機)の時間もあり、そろそろ撤収か」という空気が流れたところ。「もう少し、頑張りたい」様子で、延長を希望する中川大志さん。
――佐賀城の南堀の水を抜くなど、普通には無い事。
堀の水を抜くのは400年ぶりとも言われ、もちろん泥まみれの堀の底。“持っている”その人は、拾い上げてきました。
タイムリミットの迫る頃、泥の中からその手に掴んだのは、本丸の建物にあったのだろう、鬼瓦の一部。何とも絵になる場面でした。

――“佐賀の大河ドラマ”が実現した時に…
この佐賀において「運命的に何かを掴んだ感じ」が、中川大志さんを“主役級”に推したいと考える理由の1つです。
かつて2016年の大河ドラマ『真田丸』では、豊臣秀吉〔演:小日向文世〕の子・豊臣秀頼役でした。
主人公・真田信繁(幸村)〔演:堺雅人〕は、大坂城に駆けつけ、徳川の大軍と“真田丸”で戦うことになります。
その時、総大将・豊臣秀頼〔演:中川大志〕にオーラがあり過ぎると評判で、「今年の“大坂の陣”は豊臣方が勝つかな?」と言い出す人も居たようです。
――できるなら、この人を演じてほしい〔その③〕
壮大な前振りでしたが、大隈八太郎(重信)役で見てみたい俳優さんです。
背丈が182センチほどと言われる、長身の大隈重信。とくに以下のような筋書きだと、コメディ要素もこなせる中川大志さんが適任に思えてきています。
母親べったりの甘えん坊だった大隈家の長男・八太郎くん。あふれんばかりの母の愛に育まれ、すくすくと成長します。
――ところが今度は、元気に育ちすぎて、
急にケンカに明け暮れる子になり、別の意味で母を悩ませます。しかし、頭の回転も速く、要領も良かった八太郎。賢い先輩たちの影響で志を立てます。
やがて“西洋”の学問に出会った、大隈八太郎。ついには殿様に講義をする身分になり、母の苦労も報われます。
〔参照(前半):第17話「佐賀脱藩」⑥(空の向こうのあなたへ)〕

―…と可愛いけど、手のかかる我が子を見守る、母の物語にもできます。
尊王の想いを強める八太郎は、幕末動乱への介入に慎重な大殿・鍋島直正の方針に反発を感じ始めます。
一方で、長崎での貿易や英学校の開設など、様々な課題に慌ただしく挑んでいくことに…と、長崎を舞台にした、青春活劇にもできそうです。
――2021年大河『青天を衝け』を思い起せば…
大隈重信役のキャスト・大倉孝二さんが、明治期の“新しい大隈像”を築いたと感じる好演でした。
「おいも、なん~も知らん」とか言うインパクトの強いセリフも印象的。
〔参照:「【速報】『青天を衝け』が、大隈祭(?)に…」〕
「佐賀は、日本一の洋学通ぞ」とかローカル的に嬉しいものや「開化のための費用は、やむを得んばい」とか、さすがと思う名セリフも多くて…
〔参照(前半):「その青天に“救い”は見えるか」〕
仮に中川大志さんが同様のセリフを語ったら、味わいは大倉さんとは異なるものの、すごく絵になりそうな感じがするのですが、どうでしょう。

――幕末期、長崎の“光る海”を見つめて…
現在の“本編”では、江藤新平の京都での活動を書いていますが、その頃から大隈重信はよく長崎に足を運んでいた様子。
「江藤さんが、京で公家(くげ)衆に会っているらしい…」という感じで、若き大隈も先輩の動向を気にしていたそうです。
『青天を衝け』では、視聴者の想像に任された幕末期、大隈重信の前日譚。大隈を軸とした“長崎編”も、ぜひ書いてみたい内容です。
――さて、ここ2回ほどは、
「こんな配役があると、面白いのでは」という、私の“空想”を記事にしました。正直、期待した2024年の大河に当たらなかったので、多少はショックでした。
「幕末佐賀藩の大河ドラマは、いつ実現するんだろうか…」という気持ちもあり、具体的な配役もイメージすることで、気合いを入れ直したところです。
なお、当ブログで、私が語る配役イメージは、その時々の思いつきです。実在の俳優さんの活動には、何ら関わりは無いので、念のため申し添えます。
現在放送中の2022年『鎌倉殿の13人』、来年2023年は『どうする家康』、再来年2024年は『光る君へ』…。
何となくですが、前々回・前回と今回。これからの大河ドラマ3作品を意識したタイトルを続けています。
いま、2025年こそ『幕末佐賀藩の大河ドラマ』を目指して…ひとまず前回、「どうする、配役」で語りきれなかった、配役イメージの3人目を紹介します。
――“配役”の勝手なイメージ〔その③〕
武勇に優れるうえに思慮深く、見栄えも良い、坂東武者の“優等生”。
『鎌倉殿の13人』では、畠山重忠を演じる中川大志さん。重たい展開も多い物語で、“清涼剤”のような爽やかさが際立つ、イケメン武将です。
源平合戦の“一ノ谷の戦い”では崖から奇襲をかける際、馬を傷つけないよう担いで降りた…というエピソードでよく語られる畠山重忠。
――馬にも愛のある、心映えまで“キラキラ”とした武将…?
最近、ゲームやアニメで流行っているらしい“ウマ娘”からもモテてしまいそう。ちなみに、同ゲームの開発会社は、佐賀に大規模な拠点がありますね。
話を戻します。たしか『鎌倉殿』では、伝説の「馬を担いで崖を降りる」場面は再現されておらず、セリフでの表現と記憶します。
平家方の陣を望む高台。畠山重忠〔演:中川大志〕は、そこから馬を背負ってでも下りていくと、源義経〔演:菅田将暉〕に宣言します。
「末代までの語り草になりそうです。」
やっぱり“優等生”キャラの畠山重忠。坂東武者として、後の世でどのように名を残すか。そこまでしっかり考えています。
――この俳優さん、以前見たテレビ番組でもキラキラとしていました。
バラエティー番組での中川大志さんの姿に「この俳優さんは“持っている”な」と感じたことがあります。
他局(テレビ東京系)で『池の水ぜんぶ抜く』という企画を行う番組。佐賀城の南堀が作業対象のロケ地になっており、私は大喜びして見ていました。
出演者の1人で、イケメン俳優枠(?)でのメンバーが中川大志さんでした。
――堀の底で“掘り出し物”を探す、一行。
“鍋島焼”の出現などが期待されるも、今ひとつ振り切った成果の出ない中…
時間は経過し「フライト(飛行機)の時間もあり、そろそろ撤収か」という空気が流れたところ。「もう少し、頑張りたい」様子で、延長を希望する中川大志さん。
――佐賀城の南堀の水を抜くなど、普通には無い事。
堀の水を抜くのは400年ぶりとも言われ、もちろん泥まみれの堀の底。“持っている”その人は、拾い上げてきました。
タイムリミットの迫る頃、泥の中からその手に掴んだのは、本丸の建物にあったのだろう、鬼瓦の一部。何とも絵になる場面でした。
――“佐賀の大河ドラマ”が実現した時に…
この佐賀において「運命的に何かを掴んだ感じ」が、中川大志さんを“主役級”に推したいと考える理由の1つです。
かつて2016年の大河ドラマ『真田丸』では、豊臣秀吉〔演:小日向文世〕の子・豊臣秀頼役でした。
主人公・真田信繁(幸村)〔演:堺雅人〕は、大坂城に駆けつけ、徳川の大軍と“真田丸”で戦うことになります。
その時、総大将・豊臣秀頼〔演:中川大志〕にオーラがあり過ぎると評判で、「今年の“大坂の陣”は豊臣方が勝つかな?」と言い出す人も居たようです。
――できるなら、この人を演じてほしい〔その③〕
壮大な前振りでしたが、大隈八太郎(重信)役で見てみたい俳優さんです。
背丈が182センチほどと言われる、長身の大隈重信。とくに以下のような筋書きだと、コメディ要素もこなせる中川大志さんが適任に思えてきています。
母親べったりの甘えん坊だった大隈家の長男・八太郎くん。あふれんばかりの母の愛に育まれ、すくすくと成長します。
――ところが今度は、元気に育ちすぎて、
急にケンカに明け暮れる子になり、別の意味で母を悩ませます。しかし、頭の回転も速く、要領も良かった八太郎。賢い先輩たちの影響で志を立てます。
やがて“西洋”の学問に出会った、大隈八太郎。ついには殿様に講義をする身分になり、母の苦労も報われます。
〔参照(前半):
―…と可愛いけど、手のかかる我が子を見守る、母の物語にもできます。
尊王の想いを強める八太郎は、幕末動乱への介入に慎重な大殿・鍋島直正の方針に反発を感じ始めます。
一方で、長崎での貿易や英学校の開設など、様々な課題に慌ただしく挑んでいくことに…と、長崎を舞台にした、青春活劇にもできそうです。
――2021年大河『青天を衝け』を思い起せば…
大隈重信役のキャスト・大倉孝二さんが、明治期の“新しい大隈像”を築いたと感じる好演でした。
「おいも、なん~も知らん」とか言うインパクトの強いセリフも印象的。
〔参照:
「佐賀は、日本一の洋学通ぞ」とかローカル的に嬉しいものや「開化のための費用は、やむを得んばい」とか、さすがと思う名セリフも多くて…
〔参照(前半):
仮に中川大志さんが同様のセリフを語ったら、味わいは大倉さんとは異なるものの、すごく絵になりそうな感じがするのですが、どうでしょう。
――幕末期、長崎の“光る海”を見つめて…
現在の“本編”では、江藤新平の京都での活動を書いていますが、その頃から大隈重信はよく長崎に足を運んでいた様子。
「江藤さんが、京で公家(くげ)衆に会っているらしい…」という感じで、若き大隈も先輩の動向を気にしていたそうです。
『青天を衝け』では、視聴者の想像に任された幕末期、大隈重信の前日譚。大隈を軸とした“長崎編”も、ぜひ書いてみたい内容です。
――さて、ここ2回ほどは、
「こんな配役があると、面白いのでは」という、私の“空想”を記事にしました。正直、期待した2024年の大河に当たらなかったので、多少はショックでした。
「幕末佐賀藩の大河ドラマは、いつ実現するんだろうか…」という気持ちもあり、具体的な配役もイメージすることで、気合いを入れ直したところです。
なお、当ブログで、私が語る配役イメージは、その時々の思いつきです。実在の俳優さんの活動には、何ら関わりは無いので、念のため申し添えます。
2022年05月14日
「どうする、“配役”」
こんばんは。
2024年の大河ドラマは、『光る君へ』に決まったと発表されました。
主人公は「源氏物語」の作者・紫式部〔演:吉高由里子〕。華やかな平安時代を舞台とした物語で、気になるのは「誰が、藤原道長を演じるのか?」。
ここが、注目のポイントになるのでは…と考えるところです。早くもネット上では、どの俳優さんが演じるか“予想合戦”が始まっている様子です。
――「やはり、“配役”は大事。」
いかに“幕末の佐賀藩”に大きな意義があったとしても、脚本がどう描かれて、どう演出されるかで伝わり方が異なります。
そして、登場人物を演じる俳優さんで、作品の“成否”が決するのでしょう。
以上でお察しのことかと思いますが、私は『幕末佐賀藩の大河ドラマ』を見ることを、全くあきらめていません。

――おそらくは、次の“大河”の発表も近づいている。
いま2024年大河の情報が出たのは、通例よりは遅めのはず。平安期を描く大河ドラマ『光る君へ』の放送開始までは、あと1年半程度なのです。
続く2025年の大河ドラマは、さほどの間を開けずに発表されると考えます。
よもや、ここで気を抜くようでは日本の夜明け前…のさらに前、幕末の黎明期から走っていた、佐賀の“先輩”たちに合わせる顔がありません。
…というわけで、より強く“佐賀の物語”をイメージするべく、今回は“配役”について考えてみます。
――今回のイメージは、放送中の『鎌倉殿の13人』と…
同じ三谷幸喜さんの脚本、2016年大河『真田丸』を参考にしています。
私が“本編”を描くときも、仮キャストの俳優さんをイメージしている時があります。これも、いわゆる“当て書き”なのかもしれません。
三谷さんの脚本では、その“当て書き”が徹底しているらしく、演じる俳優さんの特徴がハッキリと表われていると聞いたことがあります。
その手法を取ろうとしても、私は中途半端なので、時々の気分によって史実の人物そのままのイメージだったり、“仮キャスト”が代わる事もあります。
――今日は、そんな“仮キャスト”のお話です。
なお、私の配役イメージは個人的な思いつきの域を出ず、もちろん例示する、実在の俳優さんには何の関わりもありません。
できれば皆様も、ご自身で「佐賀の歴史上の人物を、誰に演じてほしいか」をイメージしてみてほしいのです。
きっと、その方が実現したときの楽しみが増えることでしょう。では私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」での個人的な配役イメージの例をご紹介します。
――“配役”の勝手なイメージ〔その①〕
冴え渡る知略、渋い声と佇(たたず)まいだけで、凄みを感じさせる策士。
『鎌倉殿』では、源頼朝〔演:大泉洋〕の懐刀とも言うべき知恵者・大江広元を演じる、栗原英雄さん。
『真田丸』では真田昌幸〔演:草刈正雄〕の弟で、信繁(幸村)〔演:堺雅人〕の叔父にあたる、真田信尹を好演。
そこでも“策士”として強い印象を残し、真田家のため様々な謀略を尽くします。まだ若かった甥っ子の信繁に「儂のようには成るな」と語る姿が渋すぎました。

――できるなら、この人を演じてほしい〔その①〕
個人的には、佐賀の名君・鍋島直正の師匠・古賀穀堂のキャストで見てみたい俳優さんです。
穀堂先生も、前回に引き続き“古賀さん”なのですが、幕末期に佐賀藩の改革の道筋を付けた…ある意味、日本の近代化の“道案内”をした方です。
名君の幼少期から素質を見抜き、その才能を鍛え上げ、鍋島直正が藩政の実権を握れるように策を講じた師匠です。
〔参照(終盤):第1話「長崎警護」⑦〕
「勉強しない藩士は処罰したいのう…」と考えがちな怖い一面もあります。この姿勢が日本一、勉強熱心と評された佐賀藩を作ったのかもしれません。
〔参照(前半):STEP1:名君の登場まで〕
――“配役”の勝手なイメージ〔その②〕
醍醐寺で修行を20年。“風を起こす業”も会得した…らしい法師。『鎌倉殿』では阿野全成を演じる、新納慎也さん。
源頼朝の異母弟、源義経〔演:菅田将暉〕の同母兄という立場。鎌倉で様々な儀式を行う、清々しく坊主頭の“醍醐禅師”として登場。
北条義時〔演:小栗旬〕の妹・実衣〔演:宮澤エマ〕とのコメディー色の強い夫婦は、同番組の“癒やし要素”と思う人も多いはず。

――できるなら、この人を演じてほしい〔その②〕
個人的には、佐賀藩が誇る“万能の研究主任”佐野常民役のイメージが近いです。もともと医者だった佐野が坊主頭だったから…というのは安直な理由。
〔参照(後半):第10話「蒸気機関」⑨(佐野、精錬方へ)〕
もう1つの理由は、よく感動して泣くエピソードで知られる佐野。この俳優さんは、涙の演技の印象が強いのです。
『真田丸』では豊臣秀吉〔演:小日向文世〕の甥、関白・豊臣秀次を演じました。天下の重責に苦しむ、豊臣秀次は出奔し、切腹へと追い込まれます。
――その時、“豊臣秀次”の涙がやたらに重く…
いち視聴者である私は、「この辺りから豊臣政権に暗雲が漂ってくるのか…」と、妙に納得したように記憶します。
なお、NHKの正月時代劇に『風雲児たち~蘭学革命篇~』という作品があり、これも“三谷脚本”だったのですが、新納慎也さんは杉田玄白役で出演。
作品のラストだと思いますが、新納さん演じる杉田玄白が、丸坊主の医者の姿で旧友と涙を流す場面があり、これが私には佐野常民のイメージでした。
――あと1人、語りたい方がいるのですが、
少し長くなってしまいそうなので、次回以降に。私の配役(キャスト)イメージは、個人的な“空想”であることをあらためてお伝えしておきます。
各々の得意分野も異なり、とても個性的な佐賀の“先輩”たち。新しい知識を得たり、場面や時期の設定でイメージする俳優さんも変わる事があります。
「この人物は、あの俳優さんに演じてほしい…」とか佐賀の街角でそんな会話が広がる日々を期待しています。
2024年の大河ドラマは、『光る君へ』に決まったと発表されました。
主人公は「源氏物語」の作者・紫式部〔演:吉高由里子〕。華やかな平安時代を舞台とした物語で、気になるのは「誰が、藤原道長を演じるのか?」。
ここが、注目のポイントになるのでは…と考えるところです。早くもネット上では、どの俳優さんが演じるか“予想合戦”が始まっている様子です。
――「やはり、“配役”は大事。」
いかに“幕末の佐賀藩”に大きな意義があったとしても、脚本がどう描かれて、どう演出されるかで伝わり方が異なります。
そして、登場人物を演じる俳優さんで、作品の“成否”が決するのでしょう。
以上でお察しのことかと思いますが、私は『幕末佐賀藩の大河ドラマ』を見ることを、全くあきらめていません。
――おそらくは、次の“大河”の発表も近づいている。
いま2024年大河の情報が出たのは、通例よりは遅めのはず。平安期を描く大河ドラマ『光る君へ』の放送開始までは、あと1年半程度なのです。
続く2025年の大河ドラマは、さほどの間を開けずに発表されると考えます。
よもや、ここで気を抜くようでは日本の夜明け前…のさらに前、幕末の黎明期から走っていた、佐賀の“先輩”たちに合わせる顔がありません。
…というわけで、より強く“佐賀の物語”をイメージするべく、今回は“配役”について考えてみます。
――今回のイメージは、放送中の『鎌倉殿の13人』と…
同じ三谷幸喜さんの脚本、2016年大河『真田丸』を参考にしています。
私が“本編”を描くときも、仮キャストの俳優さんをイメージしている時があります。これも、いわゆる“当て書き”なのかもしれません。
三谷さんの脚本では、その“当て書き”が徹底しているらしく、演じる俳優さんの特徴がハッキリと表われていると聞いたことがあります。
その手法を取ろうとしても、私は中途半端なので、時々の気分によって史実の人物そのままのイメージだったり、“仮キャスト”が代わる事もあります。
――今日は、そんな“仮キャスト”のお話です。
なお、私の配役イメージは個人的な思いつきの域を出ず、もちろん例示する、実在の俳優さんには何の関わりもありません。
できれば皆様も、ご自身で「佐賀の歴史上の人物を、誰に演じてほしいか」をイメージしてみてほしいのです。
きっと、その方が実現したときの楽しみが増えることでしょう。では私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」での個人的な配役イメージの例をご紹介します。
――“配役”の勝手なイメージ〔その①〕
冴え渡る知略、渋い声と佇(たたず)まいだけで、凄みを感じさせる策士。
『鎌倉殿』では、源頼朝〔演:大泉洋〕の懐刀とも言うべき知恵者・大江広元を演じる、栗原英雄さん。
『真田丸』では真田昌幸〔演:草刈正雄〕の弟で、信繁(幸村)〔演:堺雅人〕の叔父にあたる、真田信尹を好演。
そこでも“策士”として強い印象を残し、真田家のため様々な謀略を尽くします。まだ若かった甥っ子の信繁に「儂のようには成るな」と語る姿が渋すぎました。
――できるなら、この人を演じてほしい〔その①〕
個人的には、佐賀の名君・鍋島直正の師匠・古賀穀堂のキャストで見てみたい俳優さんです。
穀堂先生も、前回に引き続き“古賀さん”なのですが、幕末期に佐賀藩の改革の道筋を付けた…ある意味、日本の近代化の“道案内”をした方です。
名君の幼少期から素質を見抜き、その才能を鍛え上げ、鍋島直正が藩政の実権を握れるように策を講じた師匠です。
〔参照(終盤):
「勉強しない藩士は処罰したいのう…」と考えがちな怖い一面もあります。この姿勢が日本一、勉強熱心と評された佐賀藩を作ったのかもしれません。
〔参照(前半):
――“配役”の勝手なイメージ〔その②〕
醍醐寺で修行を20年。“風を起こす業”も会得した…らしい法師。『鎌倉殿』では阿野全成を演じる、新納慎也さん。
源頼朝の異母弟、源義経〔演:菅田将暉〕の同母兄という立場。鎌倉で様々な儀式を行う、清々しく坊主頭の“醍醐禅師”として登場。
北条義時〔演:小栗旬〕の妹・実衣〔演:宮澤エマ〕とのコメディー色の強い夫婦は、同番組の“癒やし要素”と思う人も多いはず。
――できるなら、この人を演じてほしい〔その②〕
個人的には、佐賀藩が誇る“万能の研究主任”佐野常民役のイメージが近いです。もともと医者だった佐野が坊主頭だったから…というのは安直な理由。
〔参照(後半):
もう1つの理由は、よく感動して泣くエピソードで知られる佐野。この俳優さんは、涙の演技の印象が強いのです。
『真田丸』では豊臣秀吉〔演:小日向文世〕の甥、関白・豊臣秀次を演じました。天下の重責に苦しむ、豊臣秀次は出奔し、切腹へと追い込まれます。
――その時、“豊臣秀次”の涙がやたらに重く…
いち視聴者である私は、「この辺りから豊臣政権に暗雲が漂ってくるのか…」と、妙に納得したように記憶します。
なお、NHKの正月時代劇に『風雲児たち~蘭学革命篇~』という作品があり、これも“三谷脚本”だったのですが、新納慎也さんは杉田玄白役で出演。
作品のラストだと思いますが、新納さん演じる杉田玄白が、丸坊主の医者の姿で旧友と涙を流す場面があり、これが私には佐野常民のイメージでした。
――あと1人、語りたい方がいるのですが、
少し長くなってしまいそうなので、次回以降に。私の配役(キャスト)イメージは、個人的な“空想”であることをあらためてお伝えしておきます。
各々の得意分野も異なり、とても個性的な佐賀の“先輩”たち。新しい知識を得たり、場面や時期の設定でイメージする俳優さんも変わる事があります。
「この人物は、あの俳優さんに演じてほしい…」とか佐賀の街角でそんな会話が広がる日々を期待しています。
2022年05月11日
「古賀殿が3人…!?」
こんばんは。
“本編”第18話に戻ろうとするのですが、個人的に気忙しい状況が続き、集中して書くことができません。
そんな中、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の脚本家・三谷幸喜さんの作る物語には、呆然とします。まさか源義経〔演:菅田将暉〕を、あのように描くとは…。
しかも“悲劇”が近づく予感とともに、何だか義経の好感度がアップする演出が、視聴者を振り回してきますし、私も、まんまと術中にハマっているようです。
やはり、著名なプロフェッショナルは違う。もし「佐賀を題材とした大河ドラマ」が実現すれば、傑作を創れる脚本家さんは居られるのだろうと思います。
――最大の問題は、その“実現”が不確かなこと。
2024年の大河ドラマの主役は、なんと紫式部〔演:吉高由里子〕に決まったそうです。(2022年5月11日発表。先ほど確認して、衝撃を受けています)

※紫式部と同時代の“ライバル”・和泉式部の像(嬉野市塩田町)。
〔参照:「醒覚の剣(歌枕)」〕
なかなか発表が無く「佐賀県内でも走行試験が始まった“西九州新幹線”開業のタイミングを待っているのか?」と都合の良い想像をしたのですが…
今回は期待していたので残念ですが、私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」への想いは、これからも綴っていきたいと思います。
共感できそうな皆様とは、一緒に盛り上がりたいと思うところです…とはいえ、私は2年半ほど帰省すらできず、なかなか“佐賀への道”は開かれません。
――そんな気分の中、本日は“道案内”をする人のお話です。
3年ほど前から「幕末の佐賀藩」を語る価値を、はっきりと認識したことで、すっかり故郷・佐賀への誇りを取り戻した私。
全国放送で、佐賀が映るテレビ番組や、あるいは話題になった、佐賀の広報動画なども確認することがあります。
――そこで何となく、気付いた傾向が。
全然、別の番組や動画を見ていたのですが、偶然なのか案内役の人の名字が「古賀さん」。
嬉野でも「古賀さん」が姿を見せ、佐賀市内でも「古賀さん」が説明を担当していました。
出典が不確かですが、佐賀県の古賀姓の方は1万人を超えるとか。数字が正しければ、県の人口が約80万人ですので、かなり高い割合だと思います。
――当初は、こう思っていました。
“本編”を書くうえで、佐賀の殿様の一門や親類、もしくは重臣が名乗る「鍋島」の名字が、同時に複数登場するのは、やむを得ない。
だが、他はややこしくなるので、なるべく同一の名字の人物が、“本編”で同時期に並行して登場するのは控えよう…と。
これを打破したのは、「佐賀のレポートでは、“古賀さん”が1度は登場しがち」という“佐賀県あるある”でした。

※嬉野市内・嬉野温泉
――もし、「佐賀の物語」を描くならば…
「古賀さんが登場しない話は、逆に“不完全”なのでは…」と思い直します。
まず、本編で最も自由に書いている人物の1人「①嬉野の忍者・古賀」。そのモデルは、佐賀の支藩である蓮池藩士・古賀源太夫です。
イギリス船の動向を探る忍者(下級武士)という設定は、実在の人物寄り。
――次第に、「西洋事情に通じる」だけでなく、
野良着を愛用する“佐賀ことば”が強めの中年…なぜか相棒がネコ。いろいろ属性が追加されていき、創作寄りの人物像になっています。
また、佐賀藩の“火術方”に関わったらしい…という不確実な情報から、想像をはたらかせて、“本編”中では、江藤新平に何らかの影響を与えています。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」②(海を望む丘、再び)〕
忍者を「特殊な技術を用いて、調査の任務にあたり、情報を持ち帰る役割の下級武士」と定義すれば、佐賀にも結構、“忍者”は居たのかも知れません。
〔参照:「佐賀の忍者、幕末を走る!」〔嬉野温泉駅〕〕

※佐賀市内・長崎街道
――その一方で、史実寄りの登場をする“古賀さん”もいます。
佐賀の“秘密結社”義祭同盟の一員で、のち明治初期には、東京近郊に存在した“品川県”を任された実務家。
第17話では「②佐賀の志士・古賀一平」も登場しました。わりと常識人なのですが、こと“勤王”の話題になると、急に熱くなる人物として描きました。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑨(佐賀に“三平”あり)〕
明治期も、新政府のために尽くした内務官僚として語られることが多い印象。
キャラの強い“佐賀の七賢人”や師匠・枝吉神陽に比べ、なるべく普通の人っぽく書くようにしています。
当時、三瀬の番所を担当したことから、江藤新平の脱藩の手引きをした…という説は有力なようです。
〔参照(後半):第17話「佐賀脱藩」㉑(郷里を背に)〕

※小城市内・羊羹の名店が並ぶ
――そして、京の都にも、“古賀さん”の姿が。
直近の“本編”で、京都(伏見)に到着したばかりの江藤新平の前に現れた、「③謎の男・祇園太郎」。
〔参照:第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)〕
こちらも幕末期に実在した佐賀出身者で、地元は小城です。播磨(兵庫)を拠点に、京・大坂でも活動した…とされる人物。
――但し、この前後には長崎に移っていた可能性も。
“祇園太郎”には、佐賀本藩に情勢を報告したとか、義祭同盟の活動にも関わったとか、色々な話が伝わります。
細かい足跡や活動目的には、やはり謎が多い人物。この“祇園太郎”も本名は、古賀さんです。
登場人物に古賀姓が増えてきて、なぜか全員が道を教える役回り…かえって「佐賀の物語」としては、リアルな感じがするのですが…どうでしょう。
“本編”第18話に戻ろうとするのですが、個人的に気忙しい状況が続き、集中して書くことができません。
そんな中、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の脚本家・三谷幸喜さんの作る物語には、呆然とします。まさか源義経〔演:菅田将暉〕を、あのように描くとは…。
しかも“悲劇”が近づく予感とともに、何だか義経の好感度がアップする演出が、視聴者を振り回してきますし、私も、まんまと術中にハマっているようです。
やはり、著名なプロフェッショナルは違う。もし「佐賀を題材とした大河ドラマ」が実現すれば、傑作を創れる脚本家さんは居られるのだろうと思います。
――最大の問題は、その“実現”が不確かなこと。
2024年の大河ドラマの主役は、なんと紫式部〔演:吉高由里子〕に決まったそうです。(2022年5月11日発表。先ほど確認して、衝撃を受けています)
※紫式部と同時代の“ライバル”・和泉式部の像(嬉野市塩田町)。
〔参照:
なかなか発表が無く「佐賀県内でも走行試験が始まった“西九州新幹線”開業のタイミングを待っているのか?」と都合の良い想像をしたのですが…
今回は期待していたので残念ですが、私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」への想いは、これからも綴っていきたいと思います。
共感できそうな皆様とは、一緒に盛り上がりたいと思うところです…とはいえ、私は2年半ほど帰省すらできず、なかなか“佐賀への道”は開かれません。
――そんな気分の中、本日は“道案内”をする人のお話です。
3年ほど前から「幕末の佐賀藩」を語る価値を、はっきりと認識したことで、すっかり故郷・佐賀への誇りを取り戻した私。
全国放送で、佐賀が映るテレビ番組や、あるいは話題になった、佐賀の広報動画なども確認することがあります。
――そこで何となく、気付いた傾向が。
全然、別の番組や動画を見ていたのですが、偶然なのか案内役の人の名字が「古賀さん」。
嬉野でも「古賀さん」が姿を見せ、佐賀市内でも「古賀さん」が説明を担当していました。
出典が不確かですが、佐賀県の古賀姓の方は1万人を超えるとか。数字が正しければ、県の人口が約80万人ですので、かなり高い割合だと思います。
――当初は、こう思っていました。
“本編”を書くうえで、佐賀の殿様の一門や親類、もしくは重臣が名乗る「鍋島」の名字が、同時に複数登場するのは、やむを得ない。
だが、他はややこしくなるので、なるべく同一の名字の人物が、“本編”で同時期に並行して登場するのは控えよう…と。
これを打破したのは、「佐賀のレポートでは、“古賀さん”が1度は登場しがち」という“佐賀県あるある”でした。
※嬉野市内・嬉野温泉
――もし、「佐賀の物語」を描くならば…
「古賀さんが登場しない話は、逆に“不完全”なのでは…」と思い直します。
まず、本編で最も自由に書いている人物の1人「①嬉野の忍者・古賀」。そのモデルは、佐賀の支藩である蓮池藩士・古賀源太夫です。
イギリス船の動向を探る忍者(下級武士)という設定は、実在の人物寄り。
――次第に、「西洋事情に通じる」だけでなく、
野良着を愛用する“佐賀ことば”が強めの中年…なぜか相棒がネコ。いろいろ属性が追加されていき、創作寄りの人物像になっています。
また、佐賀藩の“火術方”に関わったらしい…という不確実な情報から、想像をはたらかせて、“本編”中では、江藤新平に何らかの影響を与えています。
〔参照:
忍者を「特殊な技術を用いて、調査の任務にあたり、情報を持ち帰る役割の下級武士」と定義すれば、佐賀にも結構、“忍者”は居たのかも知れません。
〔参照:
※佐賀市内・長崎街道
――その一方で、史実寄りの登場をする“古賀さん”もいます。
佐賀の“秘密結社”義祭同盟の一員で、のち明治初期には、東京近郊に存在した“品川県”を任された実務家。
第17話では「②佐賀の志士・古賀一平」も登場しました。わりと常識人なのですが、こと“勤王”の話題になると、急に熱くなる人物として描きました。
〔参照:
明治期も、新政府のために尽くした内務官僚として語られることが多い印象。
キャラの強い“佐賀の七賢人”や師匠・枝吉神陽に比べ、なるべく普通の人っぽく書くようにしています。
当時、三瀬の番所を担当したことから、江藤新平の脱藩の手引きをした…という説は有力なようです。
〔参照(後半):
※小城市内・羊羹の名店が並ぶ
――そして、京の都にも、“古賀さん”の姿が。
直近の“本編”で、京都(伏見)に到着したばかりの江藤新平の前に現れた、「③謎の男・祇園太郎」。
〔参照:
こちらも幕末期に実在した佐賀出身者で、地元は小城です。播磨(兵庫)を拠点に、京・大坂でも活動した…とされる人物。
――但し、この前後には長崎に移っていた可能性も。
“祇園太郎”には、佐賀本藩に情勢を報告したとか、義祭同盟の活動にも関わったとか、色々な話が伝わります。
細かい足跡や活動目的には、やはり謎が多い人物。この“祇園太郎”も本名は、古賀さんです。
登場人物に古賀姓が増えてきて、なぜか全員が道を教える役回り…かえって「佐賀の物語」としては、リアルな感じがするのですが…どうでしょう。
2022年05月07日
「幕末!京都事件ファイル③〔後編〕」
こんばんは。
最初から意図したわけではないのですが『幕末!京都事件ファイル』の3部作は、前編・薩摩(鹿児島)、中編・土佐(高知)、後編・長州と関わる展開に。
…とはいえ今回は長州(山口)の尊王攘夷派に大打撃だった出来事の特集。江藤新平の脱藩から2年後、1864年(文久四年・元治元年)夏の事件です。
長州藩で出世し、強い影響力を持つものの、尊攘派の過激な動きとは、一線を画す慎重な態度を取っていたのが、桂小五郎(のちの木戸孝允)。
第18話のカギとなる人物・桂小五郎は、近々“本編”にも登場予定ですので、今回は“新選組”を軸とした話にしています。

――では、「幕末!京都事件ファイル③」。
「③池田屋事件」は新選組の“晴れ舞台”との位置づけが多く見られ、響きは「②寺田屋事件」と似ていますが、よく幕府寄りの視点で描かれる印象です。
発生時期は前回までの①と②の事件の間、1864年(元治元年)旧暦六月。新暦では夏の7月頃。現場は、東海道の終点・三条大橋に近い京の市街地。
この事件では、幕府側の会津藩(福島)配下となった“新選組”が尊王攘夷派を急襲し、その企てを阻止したというのが一般的な筋書き。
肥後熊本藩士・宮部鼎蔵や、長州藩士・吉田稔麿ら有力な志士が新選組との死闘を経て落命します。
この事件により、明治維新の到来時期が数年遅くなったとも、逆に早まったとも…そこは諸説あるようですが、衝撃の事件だったことは確かでしょう。
――2004年大河ドラマ『新選組!』では、
やや記憶頼みですが、以下のような話の流れだったと思います。
市中の取締りを続ける中、尊王攘夷派が京の街に火を放ち、混乱に乗じて帝を長州に連れ去るという、大規模な企てを察知した新選組。
京都では1か月ほど続くという夏の風物詩・祇園祭。お囃子が流れる宵の街。新選組は繁華街の地域を分担し、北上しながら探索にあたります。

捜索を二手に分かれて行う中、先に情報を掴んだのは、新選組局長・近藤勇〔演:香取慎吾〕が率いる一団。
――三条小橋の旅籠「池田屋」に尊攘派が集結。
その一報を受けて、急ぎ池田屋にたどりついたのは、局長の近藤以下わずか数名。少ない手勢ですが「御用改めである!」と乗り込みます。
階段を昇った2階には、抜刀した尊王攘夷の過激派志士が多数待ち構えて…という、新選組ファンが最も盛り上がりそうな場面。
暗闇での熾烈な戦い。急襲を受けた志士たちも猛然と反撃し、数に劣る中、精鋭ぞろいの新選組隊士も苦戦します。
そこで、副長・土方歳三〔演:山本耕史〕の率いる別動隊が「待たせたな。」の一声とともに合流する…と概ね、こんな描き方だったと思います。

――そして“本編”では、新選組は描けるか。
これも、なかなか難しい注文で「幕末佐賀藩の大河ドラマ」は、あまり新選組の出番を作れなさそうです。
例えば、江藤新平が脱藩して京の情勢を探った、文久二年(1862年)時点では新選組(壬生浪士組)は、まだ京都に存在していません。
一方で副島種臣・大隈重信らが脱藩した、幕末も大詰めの時期には、新選組は京で活動していました。
――しかし、幕府側の立場では、
西国の雄藩が次々と“倒幕”寄りとなる中で、佐賀藩(鍋島家)は何とか味方にしておきたかったはず。しかも佐賀藩士はあまり乱暴な手段を用いない傾向。
政治工作を仕掛けて藩に送還されることはありますが、あえて新選組が追いかけ回す必要があるかというと…。
そんな事情で、ほぼ佐賀藩は関わらない見通しですが、“新選組”を描く予定は一応あります。あまり期待せずにお待ちください。

――ここ3回は、GW特別企画をお送りしました。
『幕末!京都事件ファイル』の調査報告として「佐賀藩を語りたい立場」からのまとめに入ります。
佐賀では前藩主・鍋島直正(閑叟)の統率力が効いているのか、今回ご紹介した「幕末京都の“事件現場”」には、配下の佐賀藩士は姿を見せません。
私はこれを「のちに日本近代化の礎になるべき、藩士たちを守りたい」という、直正公から家臣への“親心にも似た愛”の結果なのだと考えております。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)〕
――この“優等生”ぶりが、佐賀藩の特徴でもあるのですが、
ドラマ的には“見せ場”が作りにくく、「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を見たい私にとっては、そのイメージをどう描くか、工夫を要するポイントになっています。
では、なぜ幕末期に京都の「事件現場」に姿を見せなかった肥前佐賀藩が、薩長土肥の一角となり得たか。
そこには、佐賀藩の科学技術と実務能力以外に、もう1つの要因があるように考え始めました。

――“倒幕”運動では影の薄い、佐賀藩。
結局、“鳥羽・伏見の戦い”にも参陣していません。「出遅れた」と評されるように、内戦を避けたかった佐賀藩の立ち位置は、最終局面まで不明確でした。
近代化の進んだ雄藩ながら、積極的に戦わない佐賀。しかし、その中途半端さゆえ、明治初頭に日本を救う役回りがあった…と仮説を立てています。
こうして『事件ファイル』の調査を経て、新たな展開も見えてきましたが、私の探索は長い道のりになりそうです。
最初から意図したわけではないのですが『幕末!京都事件ファイル』の3部作は、前編・薩摩(鹿児島)、中編・土佐(高知)、後編・長州と関わる展開に。
…とはいえ今回は長州(山口)の尊王攘夷派に大打撃だった出来事の特集。江藤新平の脱藩から2年後、1864年(文久四年・元治元年)夏の事件です。
長州藩で出世し、強い影響力を持つものの、尊攘派の過激な動きとは、一線を画す慎重な態度を取っていたのが、桂小五郎(のちの木戸孝允)。
第18話のカギとなる人物・桂小五郎は、近々“本編”にも登場予定ですので、今回は“新選組”を軸とした話にしています。

――では、「幕末!京都事件ファイル③」。
「③池田屋事件」は新選組の“晴れ舞台”との位置づけが多く見られ、響きは「②寺田屋事件」と似ていますが、よく幕府寄りの視点で描かれる印象です。
発生時期は前回までの①と②の事件の間、1864年(元治元年)旧暦六月。新暦では夏の7月頃。現場は、東海道の終点・三条大橋に近い京の市街地。
この事件では、幕府側の会津藩(福島)配下となった“新選組”が尊王攘夷派を急襲し、その企てを阻止したというのが一般的な筋書き。
肥後熊本藩士・宮部鼎蔵や、長州藩士・吉田稔麿ら有力な志士が新選組との死闘を経て落命します。
この事件により、明治維新の到来時期が数年遅くなったとも、逆に早まったとも…そこは諸説あるようですが、衝撃の事件だったことは確かでしょう。
――2004年大河ドラマ『新選組!』では、
やや記憶頼みですが、以下のような話の流れだったと思います。
市中の取締りを続ける中、尊王攘夷派が京の街に火を放ち、混乱に乗じて帝を長州に連れ去るという、大規模な企てを察知した新選組。
京都では1か月ほど続くという夏の風物詩・祇園祭。お囃子が流れる宵の街。新選組は繁華街の地域を分担し、北上しながら探索にあたります。

捜索を二手に分かれて行う中、先に情報を掴んだのは、新選組局長・近藤勇〔演:香取慎吾〕が率いる一団。
――三条小橋の旅籠「池田屋」に尊攘派が集結。
その一報を受けて、急ぎ池田屋にたどりついたのは、局長の近藤以下わずか数名。少ない手勢ですが「御用改めである!」と乗り込みます。
階段を昇った2階には、抜刀した尊王攘夷の過激派志士が多数待ち構えて…という、新選組ファンが最も盛り上がりそうな場面。
暗闇での熾烈な戦い。急襲を受けた志士たちも猛然と反撃し、数に劣る中、精鋭ぞろいの新選組隊士も苦戦します。
そこで、副長・土方歳三〔演:山本耕史〕の率いる別動隊が「待たせたな。」の一声とともに合流する…と概ね、こんな描き方だったと思います。

――そして“本編”では、新選組は描けるか。
これも、なかなか難しい注文で「幕末佐賀藩の大河ドラマ」は、あまり新選組の出番を作れなさそうです。
例えば、江藤新平が脱藩して京の情勢を探った、文久二年(1862年)時点では新選組(壬生浪士組)は、まだ京都に存在していません。
一方で副島種臣・大隈重信らが脱藩した、幕末も大詰めの時期には、新選組は京で活動していました。
――しかし、幕府側の立場では、
西国の雄藩が次々と“倒幕”寄りとなる中で、佐賀藩(鍋島家)は何とか味方にしておきたかったはず。しかも佐賀藩士はあまり乱暴な手段を用いない傾向。
政治工作を仕掛けて藩に送還されることはありますが、あえて新選組が追いかけ回す必要があるかというと…。
そんな事情で、ほぼ佐賀藩は関わらない見通しですが、“新選組”を描く予定は一応あります。あまり期待せずにお待ちください。

――ここ3回は、GW特別企画をお送りしました。
『幕末!京都事件ファイル』の調査報告として「佐賀藩を語りたい立場」からのまとめに入ります。
佐賀では前藩主・鍋島直正(閑叟)の統率力が効いているのか、今回ご紹介した「幕末京都の“事件現場”」には、配下の佐賀藩士は姿を見せません。
私はこれを「のちに日本近代化の礎になるべき、藩士たちを守りたい」という、直正公から家臣への“親心にも似た愛”の結果なのだと考えております。
〔参照:
――この“優等生”ぶりが、佐賀藩の特徴でもあるのですが、
ドラマ的には“見せ場”が作りにくく、「幕末佐賀藩の大河ドラマ」を見たい私にとっては、そのイメージをどう描くか、工夫を要するポイントになっています。
では、なぜ幕末期に京都の「事件現場」に姿を見せなかった肥前佐賀藩が、薩長土肥の一角となり得たか。
そこには、佐賀藩の科学技術と実務能力以外に、もう1つの要因があるように考え始めました。

――“倒幕”運動では影の薄い、佐賀藩。
結局、“鳥羽・伏見の戦い”にも参陣していません。「出遅れた」と評されるように、内戦を避けたかった佐賀藩の立ち位置は、最終局面まで不明確でした。
近代化の進んだ雄藩ながら、積極的に戦わない佐賀。しかし、その中途半端さゆえ、明治初頭に日本を救う役回りがあった…と仮説を立てています。
こうして『事件ファイル』の調査を経て、新たな展開も見えてきましたが、私の探索は長い道のりになりそうです。
2022年05月03日
「幕末!京都事件ファイル②〔中編〕」
こんばんは。
ゴールデンウィーク特別企画なので、現在の“本編”から数年後の話になるのですが、幕末の有名人の方々を取り巻く事件についても触れておきます。
『新選組!』や『龍馬伝』等は幕末の大河ドラマで特に人気の作品。しかし、明治期に存命でなかった人物は、佐賀藩士とは接点が少ない傾向です。
過去の大河ドラマで名作の主人公だった人物を「幕末佐賀藩の大河ドラマ」で、どう描くかには、ひと工夫が要ると考えているところです。

――ここで、前編に続き「幕末!京都事件ファイル②」
京・伏見の船宿“寺田屋”で発生した著名な事件がもう1つ。「②寺田屋事件」についても触れたいと思います。
事件発生の現場は、前編で取り上げた「①寺田屋騒動」と同じ場所。時期は、慶応二年(1866年)一月。新暦でいえば春の三月頃のようです。
こちらの「②寺田屋事件」は幕府の伏見奉行所が、薩摩や長州に関わる土佐(高知)の脱藩浪士・坂本龍馬を急襲した事件と表す方が通りが良いでしょう。
この事件には「寺田屋遭難」という呼び名もあるようです。
事件現場として度々登場する、川の港町・伏見は重要な拠点。なお佐賀藩は朝廷に伏見の警備を突然申し出て、薩摩藩との間が不穏になったようです。
――そして、2010年大河ドラマ『龍馬伝』でも描かれた“事件”の場面。
寺田屋にいた女性・お龍〔演:真木よう子〕は、1階で入浴中に周囲が奉行所の捕方に囲まれていることに気付きました。
なりふり構わず階段を駆け上がったお龍は、坂本龍馬〔演:福山雅治〕に危機を知らせます。
多数の捕方に対して、龍馬は拳銃を発砲して応戦のすえに逃走。手傷を負い、生命の危機に瀕して、薩摩藩に救出される…あの事件です。
負傷した龍馬が物陰に身を潜めながら、夜空を見上げてつぶやいていた印象的な場面があったように思います。

――坂本龍馬が、土佐を脱藩した時期は、
この場面から四年ほど前。文久二年(1862年)で、龍馬は最終的に江戸に向かいました。この年に、江藤新平は佐賀を脱藩して京都で活動しています。
『龍馬伝』で視聴した時の記憶が曖昧ですが、以前留学していた江戸の剣術道場を拠点に人脈を広げ、幕臣・勝海舟に弟子入りした時期のようです。
ちなみに身内から脱藩を警戒された龍馬は一時、刀を取り上げられていたものの、姉が家で秘蔵していた“肥前忠広”を持ち出し、龍馬に渡したそうです。
――“肥前忠広”といえば、佐賀の刀工として著名です。
佐賀では県立博物館で展示会などもあり、近年では“擬人化”され、ゲーム等でも人気の刀剣と聞きますが、土佐(高知)でも秘蔵されていたのですね。
龍馬はのちに、その刀を師匠・勝海舟の警護も任せた、同郷の岡田以蔵に託していたとか…これも事件の予感がします。
そういえば、『龍馬伝』では佐藤健さんが演じた岡田以蔵が、とても健気で悲壮感がある、“予想外”の描き方だったので記憶に残っています。

――その名が出た、ついでのような形で恐縮ですが
“肥前忠広”の話を少し続けます。幕末期には、いかにも佐賀の刀工らしい、剣に留まらない働きもありました。
佐賀藩の鉄製大砲開発チーム“鋳立方の七人”の一員・橋本新左衛門は、幕末期に佐賀で活躍した刀鍛冶でした。
〔参照:第6話「鉄製大砲」⑤〕
“本編”で書いた時点ではよくわかっていませんでしたが、この方が“肥前忠広(忠吉)”の継承者だったようです。
その技術を、日本の近代化につながる方向にも発揮した佐賀の刀工。
郷里から太平洋を望んで、世界の海を想った、土佐藩士たちもその刀を所持していたと思うと、浪漫があるような気がします。
――もし「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現したら、
土佐(高知)が誇る、二度の大河ドラマ主人公・坂本龍馬はどう描かれるか。
なお、私が書いている“本編”での描き方も、まだ具体的ではないです。
「凄腕の代理人(エージェント)として、噂だけが流れている」という書き方が、私好みかもしれません。

――人気の幅が広く、熱烈なファンも多い坂本龍馬。
登場するかどうかで物語のバランスにも影響がありそうです。2021年『青天を衝け』では見かけず、2013年『八重の桜』は後ろ姿での描写と記憶します。
“特別出演”的に有名俳優を起用するか、もしくは半端なキャスティングはあきらめ、“存在”のみを描くというパターンもあり得ると思います。
幕末の長崎でも活動した人物であり、大隈重信と接点はあったようです。
「佐賀の大河ドラマ」における坂本龍馬の描き方は“未解決”として残る一方、例示したもう1つの名作の足跡を追って、『事件ファイル』は後編に続きます。
参考情報:2015年『花燃ゆ』では伊原剛志さん、2018年『西郷どん』では『鎌倉殿の13人』主演の小栗旬さんが、坂本龍馬を演じていました。
ゴールデンウィーク特別企画なので、現在の“本編”から数年後の話になるのですが、幕末の有名人の方々を取り巻く事件についても触れておきます。
『新選組!』や『龍馬伝』等は幕末の大河ドラマで特に人気の作品。しかし、明治期に存命でなかった人物は、佐賀藩士とは接点が少ない傾向です。
過去の大河ドラマで名作の主人公だった人物を「幕末佐賀藩の大河ドラマ」で、どう描くかには、ひと工夫が要ると考えているところです。

――ここで、前編に続き「幕末!京都事件ファイル②」
京・伏見の船宿“寺田屋”で発生した著名な事件がもう1つ。「②寺田屋事件」についても触れたいと思います。
事件発生の現場は、前編で取り上げた「①寺田屋騒動」と同じ場所。時期は、慶応二年(1866年)一月。新暦でいえば春の三月頃のようです。
こちらの「②寺田屋事件」は幕府の伏見奉行所が、薩摩や長州に関わる土佐(高知)の脱藩浪士・坂本龍馬を急襲した事件と表す方が通りが良いでしょう。
この事件には「寺田屋遭難」という呼び名もあるようです。
事件現場として度々登場する、川の港町・伏見は重要な拠点。なお佐賀藩は朝廷に伏見の警備を突然申し出て、薩摩藩との間が不穏になったようです。
――そして、2010年大河ドラマ『龍馬伝』でも描かれた“事件”の場面。
寺田屋にいた女性・お龍〔演:真木よう子〕は、1階で入浴中に周囲が奉行所の捕方に囲まれていることに気付きました。
なりふり構わず階段を駆け上がったお龍は、坂本龍馬〔演:福山雅治〕に危機を知らせます。
多数の捕方に対して、龍馬は拳銃を発砲して応戦のすえに逃走。手傷を負い、生命の危機に瀕して、薩摩藩に救出される…あの事件です。
負傷した龍馬が物陰に身を潜めながら、夜空を見上げてつぶやいていた印象的な場面があったように思います。

――坂本龍馬が、土佐を脱藩した時期は、
この場面から四年ほど前。文久二年(1862年)で、龍馬は最終的に江戸に向かいました。この年に、江藤新平は佐賀を脱藩して京都で活動しています。
『龍馬伝』で視聴した時の記憶が曖昧ですが、以前留学していた江戸の剣術道場を拠点に人脈を広げ、幕臣・勝海舟に弟子入りした時期のようです。
ちなみに身内から脱藩を警戒された龍馬は一時、刀を取り上げられていたものの、姉が家で秘蔵していた“肥前忠広”を持ち出し、龍馬に渡したそうです。
――“肥前忠広”といえば、佐賀の刀工として著名です。
佐賀では県立博物館で展示会などもあり、近年では“擬人化”され、ゲーム等でも人気の刀剣と聞きますが、土佐(高知)でも秘蔵されていたのですね。
龍馬はのちに、その刀を師匠・勝海舟の警護も任せた、同郷の岡田以蔵に託していたとか…これも事件の予感がします。
そういえば、『龍馬伝』では佐藤健さんが演じた岡田以蔵が、とても健気で悲壮感がある、“予想外”の描き方だったので記憶に残っています。
――その名が出た、ついでのような形で恐縮ですが
“肥前忠広”の話を少し続けます。幕末期には、いかにも佐賀の刀工らしい、剣に留まらない働きもありました。
佐賀藩の鉄製大砲開発チーム“鋳立方の七人”の一員・橋本新左衛門は、幕末期に佐賀で活躍した刀鍛冶でした。
〔参照:
“本編”で書いた時点ではよくわかっていませんでしたが、この方が“肥前忠広(忠吉)”の継承者だったようです。
その技術を、日本の近代化につながる方向にも発揮した佐賀の刀工。
郷里から太平洋を望んで、世界の海を想った、土佐藩士たちもその刀を所持していたと思うと、浪漫があるような気がします。
――もし「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現したら、
土佐(高知)が誇る、二度の大河ドラマ主人公・坂本龍馬はどう描かれるか。
なお、私が書いている“本編”での描き方も、まだ具体的ではないです。
「凄腕の代理人(エージェント)として、噂だけが流れている」という書き方が、私好みかもしれません。

――人気の幅が広く、熱烈なファンも多い坂本龍馬。
登場するかどうかで物語のバランスにも影響がありそうです。2021年『青天を衝け』では見かけず、2013年『八重の桜』は後ろ姿での描写と記憶します。
“特別出演”的に有名俳優を起用するか、もしくは半端なキャスティングはあきらめ、“存在”のみを描くというパターンもあり得ると思います。
幕末の長崎でも活動した人物であり、大隈重信と接点はあったようです。
「佐賀の大河ドラマ」における坂本龍馬の描き方は“未解決”として残る一方、例示したもう1つの名作の足跡を追って、『事件ファイル』は後編に続きます。
参考情報:2015年『花燃ゆ』では伊原剛志さん、2018年『西郷どん』では『鎌倉殿の13人』主演の小栗旬さんが、坂本龍馬を演じていました。