2021年11月28日
第17話「佐賀脱藩」⑥(空の向こうのあなたへ)
こんばんは。
前回、“本編”に第14代将軍・徳川家茂が登場しました。1人の心優しい少年が、将軍となって苦境にある幕府を背負うことになった…そんな印象です。
唐津藩主の名代(代理)・小笠原長行の視点で、江戸の状況に少し触れましたが、ここから佐賀藩の話に戻ります。
時期は少し前後して、1861年(文久元年)の春頃の設定となる話です。
――蘭学(オランダ語)を修業し…
長崎では、英語も学び始めた大隈八太郎(重信)。あてにした賢い先輩や仲間たちが、海外に出て行ったり、蒸気船で出動したり…と慌ただしい。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑭(多良海道の往還)〕

要領よく勉強したい大隈八太郎には逆境もあったが、これまでの地道な学習は実を結んだようで、ついに佐賀藩主・鍋島直正に講義を行う機会を得る。
――佐賀城下。大隈家。
「がんばって、八太郎。」
玄関先では、大隈の母・三井子が、正装した八太郎に激励の言葉をかける。
「これも、母上の教えの賜物(たまもの)です。」
本日は、大隈八太郎の“晴れ舞台”と言ってよいようだ。当人も少し気取って、母への感謝を述べたりする。
「行っておいで。しっかり、おやりなさい!」
「では、大隈信保が一子(いっし)、大隈八太郎。殿の御前へと参じます!」
――大隈の母・三井子は満面の笑みである。
我が子の発した言葉は、まるで“武将”の名乗りだ。それだけ誇らしいのか、やはり気取っているのか。いずれにせよ、八太郎の強い意気込みが感じられる。
「空の向こうのあなた…この三井子は、立派に成し遂げましたよ!」
拳をキュッと握る大隈三井子。
長男・八太郎が、まだ10歳ばかりだった頃。佐賀藩の砲術長として忙しく働いていた夫・信保は急逝した。
〔参照:第6話「鉄製大砲」⑨〕
――とくに理数に強く、賢い侍だったという大隈信保。
その頃は、まだ子どもだった八太郎も“蘭学”を修め、殿・鍋島直正へ進講するまでに成長した。何やら「憲法」とかいうオランダの法度(はっと)を説くらしい。
とにかく名誉には違いない。三井子は、亡き夫・信保と喜びを分かち合っているのか。八太郎の出発を見送ると、遙か西の空に向かって涙している。

――佐賀城下の洋学研究所・“蘭学寮”。
大隈は、“ある人物“とすれ違う。
「久しいな、大隈。殿に学問を講ずるとは、随分な出世ではないか。」
「これは“河内さま”。ご無沙汰をしており、恐れ入りまする。」
蘭学寮の廊下で、大隈に声をかけたのは、身なりの良い若い侍。“河内さま”と呼ばれたが、一目でわかる藩の重役という風格がある。
まだ“若様”といった雰囲気の侍。鍋島河内(直暠)という名だ。現在の佐賀県みやき町に領地を持つ、“白石鍋島家”の当主だ。
――佐賀で、勤王の志士が集った“義祭同盟”。
枝吉神陽が主宰した結社。大隈の先輩たちが多く参加し、島義勇・副島種臣・大木喬任・江藤新平・中野方蔵…と、才能がある人材が集まっている。
公式行事としては「“勤王”を貫いた英雄・楠木正成を讃える」式典を開催し、そこには藩の重役の参加もあった。

その代表的人物が当時の藩政ナンバー2の鍋島安房だが、他にも“ご領主”の家柄の者がいた。式典に初期から参加していた、鍋島河内だ。
〔参照(序盤):第12話「海軍伝習」④(義祭同盟の青春)〕
「本日は、殿の御前にて“オランダ憲法”を講ずる由にございます。」
身分の差はあっても、まだ歳は近い。大隈は、鍋島河内と顔見知りなのだ。
――その、みやき町近辺の“ご領主”が、一言を添える。
「それは良き事だ。大隈も随分と励んだのだな…、ところで、後ほど話がある。」
鍋島河内には、何か“企て”がある様子だ。
幕末期、白石鍋島家の領内では、外国との交易で値打ちを示すハゼ蝋(ろう)の生産が盛んで、陶磁器“白石焼”の製造も伸びていた。
のちに大隈八太郎は、長崎を拠点として、貿易から鉱山探索まで色々な活動を行ったという。それらの動きには、鍋島河内が大きく関わることになる。
(続く)
前回、“本編”に第14代将軍・徳川家茂が登場しました。1人の心優しい少年が、将軍となって苦境にある幕府を背負うことになった…そんな印象です。
唐津藩主の名代(代理)・小笠原長行の視点で、江戸の状況に少し触れましたが、ここから佐賀藩の話に戻ります。
時期は少し前後して、1861年(文久元年)の春頃の設定となる話です。
――蘭学(オランダ語)を修業し…
長崎では、英語も学び始めた大隈八太郎(重信)。あてにした賢い先輩や仲間たちが、海外に出て行ったり、蒸気船で出動したり…と慌ただしい。
〔参照:
要領よく勉強したい大隈八太郎には逆境もあったが、これまでの地道な学習は実を結んだようで、ついに佐賀藩主・鍋島直正に講義を行う機会を得る。
――佐賀城下。大隈家。
「がんばって、八太郎。」
玄関先では、大隈の母・三井子が、正装した八太郎に激励の言葉をかける。
「これも、母上の教えの賜物(たまもの)です。」
本日は、大隈八太郎の“晴れ舞台”と言ってよいようだ。当人も少し気取って、母への感謝を述べたりする。
「行っておいで。しっかり、おやりなさい!」
「では、大隈信保が一子(いっし)、大隈八太郎。殿の御前へと参じます!」
――大隈の母・三井子は満面の笑みである。
我が子の発した言葉は、まるで“武将”の名乗りだ。それだけ誇らしいのか、やはり気取っているのか。いずれにせよ、八太郎の強い意気込みが感じられる。
「空の向こうのあなた…この三井子は、立派に成し遂げましたよ!」
拳をキュッと握る大隈三井子。
長男・八太郎が、まだ10歳ばかりだった頃。佐賀藩の砲術長として忙しく働いていた夫・信保は急逝した。
〔参照:
――とくに理数に強く、賢い侍だったという大隈信保。
その頃は、まだ子どもだった八太郎も“蘭学”を修め、殿・鍋島直正へ進講するまでに成長した。何やら「憲法」とかいうオランダの法度(はっと)を説くらしい。
とにかく名誉には違いない。三井子は、亡き夫・信保と喜びを分かち合っているのか。八太郎の出発を見送ると、遙か西の空に向かって涙している。
――佐賀城下の洋学研究所・“蘭学寮”。
大隈は、“ある人物“とすれ違う。
「久しいな、大隈。殿に学問を講ずるとは、随分な出世ではないか。」
「これは“河内さま”。ご無沙汰をしており、恐れ入りまする。」
蘭学寮の廊下で、大隈に声をかけたのは、身なりの良い若い侍。“河内さま”と呼ばれたが、一目でわかる藩の重役という風格がある。
まだ“若様”といった雰囲気の侍。鍋島河内(直暠)という名だ。現在の佐賀県みやき町に領地を持つ、“白石鍋島家”の当主だ。
――佐賀で、勤王の志士が集った“義祭同盟”。
枝吉神陽が主宰した結社。大隈の先輩たちが多く参加し、島義勇・副島種臣・大木喬任・江藤新平・中野方蔵…と、才能がある人材が集まっている。
公式行事としては「“勤王”を貫いた英雄・楠木正成を讃える」式典を開催し、そこには藩の重役の参加もあった。
その代表的人物が当時の藩政ナンバー2の鍋島安房だが、他にも“ご領主”の家柄の者がいた。式典に初期から参加していた、鍋島河内だ。
〔参照(序盤):
「本日は、殿の御前にて“オランダ憲法”を講ずる由にございます。」
身分の差はあっても、まだ歳は近い。大隈は、鍋島河内と顔見知りなのだ。
――その、みやき町近辺の“ご領主”が、一言を添える。
「それは良き事だ。大隈も随分と励んだのだな…、ところで、後ほど話がある。」
鍋島河内には、何か“企て”がある様子だ。
幕末期、白石鍋島家の領内では、外国との交易で値打ちを示すハゼ蝋(ろう)の生産が盛んで、陶磁器“白石焼”の製造も伸びていた。
のちに大隈八太郎は、長崎を拠点として、貿易から鉱山探索まで色々な活動を行ったという。それらの動きには、鍋島河内が大きく関わることになる。
(続く)
2021年11月25日
「あの佐賀人は、不死身じゃ!」
こんばんは。
現在、“本編”第17話の序盤を書き進めていますが、今日はひと休みです。
幕末・明治期を描く大河ドラマ『青天を衝け』も年末までの放送と聞きますので、あと1か月ほど。
オリンピックの日程の関係で、例年よりドラマ全体の話数は少ないようですが、最後まで目が離せそうにありません。
――日曜放送の『青天を衝け』第36話。
時代は、1881年“明治十四年の政変”に到達しています。
この政変によって、大隈重信〔演:大倉孝二〕は、政府を追放されるのですが、「私なら、どう描くか…」と考えながら見てしまいます。
集中して視聴すると、大隈を評した“衝撃のセリフ”が飛び込んできました。

――追放されても、なお恐れられる大隈。
放送開始から20分ほど経過し、長州の井上馨〔演:福士誠治〕が、渋沢栄一〔演:吉沢亮〕のもとに現れます。
「政府が便宜を図るので、新しい海運会社で三菱を抑えてほしい」というのが、井上から渋沢への用件。
渋沢から「なぜ、そこまでするのか?」と問われて、大隈の怖さを知る、井上は「それが…」と語り始めます。
――「あの佐賀人は、不死身じゃ!」
ある意味“痛快”なセリフ。井上が、その言葉を発した直後には、大倉孝二版・大隈重信の勇姿が画面に浮かびます。
…気になる方は土曜の再放送などで、ご確認いただければと思います。
政変で政府から追い出されても、政党を作って、リベンジ(反撃)する大隈。対立する側は“三菱”とのつながりが、大隈の力の源泉と考えて、そこを叩く策です。

「旧三菱合資会社唐津支店本館」※以下のアニメでおなじみの“洋館”です。
――それにしても“不死身”とは…
私は、佐賀を舞台にしたアニメ『ゾンビランドサガ』を連想しました。
「死んでも夢をかなえたい!」
「いいえ、死んでも夢はかなえられる!」
これも、文字にすると“衝撃のセリフ”ですが、同アニメで第1期のテーマソング歌唱前の“口上”として述べられる言葉のようです。
――このしぶとさは、“佐賀人”の根性?
ちなみに当時の大隈重信は、政府から追われるのと引き換えに「国会の開設を約束させたから、勝利とも言える」と捉えたようです。
薩長の藩閥を向こうに“相打ち”したと言わんばかり。「肉を切らせて骨を断つ」ような発想なのか。転んでも、ただでは起きない大隈重信。

――たしかに“不死身”な感じがあります。
古くから不老不死の“徐福伝説”に彩られた、佐賀。
最近では『ゾンビランドサガ』で、不死のアイドルたちが活躍する、佐賀。
大隈先生も、佐賀らしい“不屈のヒーロー”ということなのかもしれません。
――いま、私が“本編”で書いているのは…
大河ドラマで放送中の年代から20年ほど前。若き日の大隈八太郎(重信)。
前回まで唐津藩の力も借りて一旦、江戸へと展開した話。大隈の視点で、再び佐賀へと還ります。
今話では、少し登場人物の家族の話も織り交ぜていきたい…と考えていますが、どこまで表現できるか。これから進めていきます。
現在、“本編”第17話の序盤を書き進めていますが、今日はひと休みです。
幕末・明治期を描く大河ドラマ『青天を衝け』も年末までの放送と聞きますので、あと1か月ほど。
オリンピックの日程の関係で、例年よりドラマ全体の話数は少ないようですが、最後まで目が離せそうにありません。
――日曜放送の『青天を衝け』第36話。
時代は、1881年“明治十四年の政変”に到達しています。
この政変によって、大隈重信〔演:大倉孝二〕は、政府を追放されるのですが、「私なら、どう描くか…」と考えながら見てしまいます。
集中して視聴すると、大隈を評した“衝撃のセリフ”が飛び込んできました。
――追放されても、なお恐れられる大隈。
放送開始から20分ほど経過し、長州の井上馨〔演:福士誠治〕が、渋沢栄一〔演:吉沢亮〕のもとに現れます。
「政府が便宜を図るので、新しい海運会社で三菱を抑えてほしい」というのが、井上から渋沢への用件。
渋沢から「なぜ、そこまでするのか?」と問われて、大隈の怖さを知る、井上は「それが…」と語り始めます。
――「あの佐賀人は、不死身じゃ!」
ある意味“痛快”なセリフ。井上が、その言葉を発した直後には、大倉孝二版・大隈重信の勇姿が画面に浮かびます。
…気になる方は土曜の再放送などで、ご確認いただければと思います。
政変で政府から追い出されても、政党を作って、リベンジ(反撃)する大隈。対立する側は“三菱”とのつながりが、大隈の力の源泉と考えて、そこを叩く策です。
「旧三菱合資会社唐津支店本館」※以下のアニメでおなじみの“洋館”です。
――それにしても“不死身”とは…
私は、佐賀を舞台にしたアニメ『ゾンビランドサガ』を連想しました。
「死んでも夢をかなえたい!」
「いいえ、死んでも夢はかなえられる!」
これも、文字にすると“衝撃のセリフ”ですが、同アニメで第1期のテーマソング歌唱前の“口上”として述べられる言葉のようです。
――このしぶとさは、“佐賀人”の根性?
ちなみに当時の大隈重信は、政府から追われるのと引き換えに「国会の開設を約束させたから、勝利とも言える」と捉えたようです。
薩長の藩閥を向こうに“相打ち”したと言わんばかり。「肉を切らせて骨を断つ」ような発想なのか。転んでも、ただでは起きない大隈重信。

――たしかに“不死身”な感じがあります。
古くから不老不死の“徐福伝説”に彩られた、佐賀。
最近では『ゾンビランドサガ』で、不死のアイドルたちが活躍する、佐賀。
大隈先生も、佐賀らしい“不屈のヒーロー”ということなのかもしれません。
――いま、私が“本編”で書いているのは…
大河ドラマで放送中の年代から20年ほど前。若き日の大隈八太郎(重信)。
前回まで唐津藩の力も借りて一旦、江戸へと展開した話。大隈の視点で、再び佐賀へと還ります。
今話では、少し登場人物の家族の話も織り交ぜていきたい…と考えていますが、どこまで表現できるか。これから進めていきます。
2021年11月22日
第17話「佐賀脱藩」⑤(若き“将軍”への視線)
こんばんは。
突然、佐賀城下から江戸城内へと場面が転換した前回。
その“展開”を支える方が、唐津藩から来た小笠原長行。藩主の名代となってから3年ほどは、地元・唐津で藩政の改革を試みました。
この頃は30代後半です。1861年(万延二年・文久元年)4月から、参勤交代で江戸に来たと言います。
現在では、唐津藩も佐賀県内にあります。県内全域にわたる“佐賀の物語”を描くことを目指して、その視点も取り入れます。
〔参照(終盤):「主に唐津市民の方を対象にしたつぶやき」〕
――「小笠原どのか。励んでおるようじゃな。」
老中・安藤信正より声がかかる。江戸に来るや、幕府の中枢へ引き寄せられる唐津藩の小笠原長行(ながみち)。
小笠原は長崎出身の砲術家・高島秋帆にも学び、“海防”について幕府に意見を送れば、水戸の烈公・徳川斉昭をも唸(うな)らせたという見識の持ち主。
そのうえ、幕府の信頼厚い名家が配置される、唐津藩。それに外国の技術にも通じる開明派の人材となれば、期待されるのが当然だった。

――「ははっ、ありがたきお言葉。」
少し痩せた体躯だが、頭脳明晰な印象が漂う唐津の藩主名代・小笠原長行。
「本日は、上様がお成りだ。心されよ。」
激務の最中にも、いろいろと気を配る老中・安藤信正が、江戸に来たばかりの小笠原に一声をかける。
最近では“尊王攘夷”の志士が、むやみに外国人を襲撃するので、国政を主導する安藤の悩みは深い。
前年(旧暦で万延元年)の年の瀬にも、薩摩藩士がアメリカの通訳ヒュースケンを襲撃し、外交問題となった。
――ロシア船による“対馬事件”も、ようやく決着したところ。
現状は外国への対処で手一杯だ。まず国内の混乱要因である“尊攘志士”は抑えねばならない。
幕府にとって、朝廷の権威を借りる「公武合体策」は、暴れる志士たちを鎮めるための、わかりやすい“近道”だった。
「心得ました。上様のご尊顔を拝せるとは、恐悦にござります。」
小笠原長行は、気を引き締めた。国元・唐津の藩政が中途になったのが心残りだが、小笠原は幕府の重職に就く予定だ。
どれほど困難な状況が待ち受けるかは、老中・安藤の表情にうかがえる。そこには強い苦悩が見えた。
――ほどなく、江戸城内の書院にて。
「上様のお成りである!」そう告げる声が届く。
第14代将軍・徳川家茂が、その姿を見せた。まだ10代後半の若者。幕府の中で、信頼できそうな少数の者と話がしたい…という用向きだ。
井伊直弼をはじめとする“南紀派”が将軍候補として擁立したとき、幼年ながら紀州藩主(和歌山)で、徳川慶福と名乗った。いまは徳川家茂に改名している。

この少年が将軍と決まるまでには、一橋慶喜を候補に推す水戸・薩摩・福井などの“一橋派”との激しい対立があった。
幕府の官僚たちを率いた井伊大老の豪腕をもって決着が付いたのだが、双方に悲劇が生じている。
――こうして第14代将軍に就いた、徳川家茂。
「小笠原か。唐津から、よくぞ参った。そなたの智恵を頼りとするぞ。」
その声には、立場の重さを自覚し「将軍にふさわしくありたい」という意気込みが感じられる。この爽やかで、凜々しい少年が“上様”だ。
そんな若き将軍の姿を見るや、小笠原長行は嬉しくなった。
「ははっ!勿体(もったい)なき、お言葉。この身に余れど、励みといたします!」
――甘い物が好きで、小動物を愛する…
心優しい子供だったという徳川家茂。幼児期から紀州藩主だったが、実のところ、ずっと江戸の紀州藩邸に居た“都会っ子”である。
責任感の強い少年は、立派な将軍として振る舞おうと務めた。その想いが伝わるのか、「この上様をお守りしたい!」と、頑張る幕臣たちがいた。
唐津から来た小笠原長行も、その一人となっていく。
(続く)
〔関連記事(徳川家茂):「将軍継嗣問題をどう描くか?(後編)」〕
〔関連記事(小笠原長行):「もしも不遇を感じた時には…」〕
突然、佐賀城下から江戸城内へと場面が転換した前回。
その“展開”を支える方が、唐津藩から来た小笠原長行。藩主の名代となってから3年ほどは、地元・唐津で藩政の改革を試みました。
この頃は30代後半です。1861年(万延二年・文久元年)4月から、参勤交代で江戸に来たと言います。
現在では、唐津藩も佐賀県内にあります。県内全域にわたる“佐賀の物語”を描くことを目指して、その視点も取り入れます。
〔参照(終盤):
――「小笠原どのか。励んでおるようじゃな。」
老中・安藤信正より声がかかる。江戸に来るや、幕府の中枢へ引き寄せられる唐津藩の小笠原長行(ながみち)。
小笠原は長崎出身の砲術家・高島秋帆にも学び、“海防”について幕府に意見を送れば、水戸の烈公・徳川斉昭をも唸(うな)らせたという見識の持ち主。
そのうえ、幕府の信頼厚い名家が配置される、唐津藩。それに外国の技術にも通じる開明派の人材となれば、期待されるのが当然だった。
――「ははっ、ありがたきお言葉。」
少し痩せた体躯だが、頭脳明晰な印象が漂う唐津の藩主名代・小笠原長行。
「本日は、上様がお成りだ。心されよ。」
激務の最中にも、いろいろと気を配る老中・安藤信正が、江戸に来たばかりの小笠原に一声をかける。
最近では“尊王攘夷”の志士が、むやみに外国人を襲撃するので、国政を主導する安藤の悩みは深い。
前年(旧暦で万延元年)の年の瀬にも、薩摩藩士がアメリカの通訳ヒュースケンを襲撃し、外交問題となった。
――ロシア船による“対馬事件”も、ようやく決着したところ。
現状は外国への対処で手一杯だ。まず国内の混乱要因である“尊攘志士”は抑えねばならない。
幕府にとって、朝廷の権威を借りる「公武合体策」は、暴れる志士たちを鎮めるための、わかりやすい“近道”だった。
「心得ました。上様のご尊顔を拝せるとは、恐悦にござります。」
小笠原長行は、気を引き締めた。国元・唐津の藩政が中途になったのが心残りだが、小笠原は幕府の重職に就く予定だ。
どれほど困難な状況が待ち受けるかは、老中・安藤の表情にうかがえる。そこには強い苦悩が見えた。
――ほどなく、江戸城内の書院にて。
「上様のお成りである!」そう告げる声が届く。
第14代将軍・徳川家茂が、その姿を見せた。まだ10代後半の若者。幕府の中で、信頼できそうな少数の者と話がしたい…という用向きだ。
井伊直弼をはじめとする“南紀派”が将軍候補として擁立したとき、幼年ながら紀州藩主(和歌山)で、徳川慶福と名乗った。いまは徳川家茂に改名している。
この少年が将軍と決まるまでには、一橋慶喜を候補に推す水戸・薩摩・福井などの“一橋派”との激しい対立があった。
幕府の官僚たちを率いた井伊大老の豪腕をもって決着が付いたのだが、双方に悲劇が生じている。
――こうして第14代将軍に就いた、徳川家茂。
「小笠原か。唐津から、よくぞ参った。そなたの智恵を頼りとするぞ。」
その声には、立場の重さを自覚し「将軍にふさわしくありたい」という意気込みが感じられる。この爽やかで、凜々しい少年が“上様”だ。
そんな若き将軍の姿を見るや、小笠原長行は嬉しくなった。
「ははっ!勿体(もったい)なき、お言葉。この身に余れど、励みといたします!」
――甘い物が好きで、小動物を愛する…
心優しい子供だったという徳川家茂。幼児期から紀州藩主だったが、実のところ、ずっと江戸の紀州藩邸に居た“都会っ子”である。
責任感の強い少年は、立派な将軍として振る舞おうと務めた。その想いが伝わるのか、「この上様をお守りしたい!」と、頑張る幕臣たちがいた。
唐津から来た小笠原長行も、その一人となっていく。
(続く)
〔関連記事(徳川家茂):
〔関連記事(小笠原長行):
2021年11月19日
第17話「佐賀脱藩」④(上方からの“花嫁”)
こんばんは。
佐賀城下の一角。月が冴える宵闇に、ある社(やしろ)に集まる若手藩士たち。
「一体、何の企てが…」と言いたいところですが、この時点では「都会に出た友達の手紙に盛り上がっているだけ」という状況です。
少し場面解説ですが、この手紙により、舞台は佐賀から江戸(東京)へと展開。登場人物も、佐賀藩から唐津藩(こちらも、現・佐賀県)へと一時的に移ります。
――江戸にいる、中野方蔵から来た手紙。
代読を続ける江藤新平の声が、月夜の杜(もり)に響く。
「公儀(幕府)には畏れ多くも、皇女さまを江戸にお連れ奉る動きあり…」
老中・安藤信正が計画する、孝明天皇の妹・和宮の江戸への降嫁。まだ若い、第14代将軍・徳川家茂の正室に“皇女”を迎え、朝廷の権威を取り入れる。
そして“公武合体”の名のもとに、幕府が朝廷と一体に動くことができれば、尊王攘夷派から、幕政が非難されにくくなる効果が期待できる。
――中野も、江戸で他藩の志士たちと一緒に憤る。
「これは、ご老中の謀(はかりごと)。姑息(こそく)な振舞いと存じます。」
傍らで、江藤の代読を聞いている仲間たちからも声が上がる。
「おおっ、そうたいっ!けしからんばい!」
「大橋先生、曰(いわ)く!」
少しの間、ざわざわとしたが、再び江藤が手紙を読み始めると、皆がその声に集中する。“大橋”とは、著名な江戸の学者だという。

――その儒学者・大橋訥庵は、この件に怒り心頭。
中野も、大橋が主宰する江戸市中の塾に出入りがあった。そこには「老中の陰謀を打ち砕け」とばかりに、過激な事を口走る“志士”も集まる様子だ。
「そうたい!」
佐賀の志士たちもいちいち合いの手を入れたくなる、熱い“勤王“の話が続く。
「長州の久坂くんなどは、こう語る!」
江藤の代読に、中野が交流している長州藩士の名が登場した。
――長州(山口)の俊才・久坂玄瑞。
吉田松陰の妹・文(ふみ)の夫で、松陰の主宰する塾で最も優秀とされた1人。
1859(安政六)年。“安政の大獄”で捕らえられた、久坂の師匠・吉田松陰は、役人の調べに対して「老中の暗殺を計画していた」と、あえて申し出たらしい。
この自白をしたことで、師は“刑場の露”と消えたが、その教えは数年のうちに、弟子・久坂の手腕により“伝説”を帯びたものとなっていく。
――中野の手紙には、才能ある志士たちが次々と現れる。
「すごか者(もん)が居るな。やはり江戸に、出らんばならんか。」
江藤らの友人・古賀一平が腕組みをしながら、発言をする。
「いや、さすがは中野…と言うべきでは無かね?」
集った仲間の一人・坂井辰之允は、江戸で他藩との人脈を築いていく中野方蔵の行動力に感心している。

――同じ時期に、幕府の中枢・江戸城内では
老中・安藤信正は、志士たちが憤慨する“皇女・和宮の降嫁”の支度に忙しい。前代未聞の大行列が、京から江戸への道を練り歩き、新しい時代を示すのだ。
「皇女さまを江戸にお迎えすること。いまや公儀(幕府)の命運がかかっておる。」
和宮の京からの降嫁には、巨額の費用を計上する。幕府と朝廷が一体と示すための“一大行事”は着々と進んでいた。
――幕政の建て直しに励む、老中・安藤信正。
大老・井伊直弼の亡き後、政権の運営は不安定であり、外国人への襲撃など物騒な事件が相次ぐ。豪腕と呼ばれた井伊大老とは違う、調整型の安藤老中。
苦闘する老中・安藤。これから幕閣の1人となる者がその背中を見つめていた。
唐津藩の若殿(藩主名代)で、名を小笠原長行という。参勤交代により、江戸に来たばかり。小笠原もまた、幕府で期待される“開明派”だった。
(続く)
佐賀城下の一角。月が冴える宵闇に、ある社(やしろ)に集まる若手藩士たち。
「一体、何の企てが…」と言いたいところですが、この時点では「都会に出た友達の手紙に盛り上がっているだけ」という状況です。
少し場面解説ですが、この手紙により、舞台は佐賀から江戸(東京)へと展開。登場人物も、佐賀藩から唐津藩(こちらも、現・佐賀県)へと一時的に移ります。
――江戸にいる、中野方蔵から来た手紙。
代読を続ける江藤新平の声が、月夜の杜(もり)に響く。
「公儀(幕府)には畏れ多くも、皇女さまを江戸にお連れ奉る動きあり…」
老中・安藤信正が計画する、孝明天皇の妹・和宮の江戸への降嫁。まだ若い、第14代将軍・徳川家茂の正室に“皇女”を迎え、朝廷の権威を取り入れる。
そして“公武合体”の名のもとに、幕府が朝廷と一体に動くことができれば、尊王攘夷派から、幕政が非難されにくくなる効果が期待できる。
――中野も、江戸で他藩の志士たちと一緒に憤る。
「これは、ご老中の謀(はかりごと)。姑息(こそく)な振舞いと存じます。」
傍らで、江藤の代読を聞いている仲間たちからも声が上がる。
「おおっ、そうたいっ!けしからんばい!」
「大橋先生、曰(いわ)く!」
少しの間、ざわざわとしたが、再び江藤が手紙を読み始めると、皆がその声に集中する。“大橋”とは、著名な江戸の学者だという。
――その儒学者・大橋訥庵は、この件に怒り心頭。
中野も、大橋が主宰する江戸市中の塾に出入りがあった。そこには「老中の陰謀を打ち砕け」とばかりに、過激な事を口走る“志士”も集まる様子だ。
「そうたい!」
佐賀の志士たちもいちいち合いの手を入れたくなる、熱い“勤王“の話が続く。
「長州の久坂くんなどは、こう語る!」
江藤の代読に、中野が交流している長州藩士の名が登場した。
――長州(山口)の俊才・久坂玄瑞。
吉田松陰の妹・文(ふみ)の夫で、松陰の主宰する塾で最も優秀とされた1人。
1859(安政六)年。“安政の大獄”で捕らえられた、久坂の師匠・吉田松陰は、役人の調べに対して「老中の暗殺を計画していた」と、あえて申し出たらしい。
この自白をしたことで、師は“刑場の露”と消えたが、その教えは数年のうちに、弟子・久坂の手腕により“伝説”を帯びたものとなっていく。
――中野の手紙には、才能ある志士たちが次々と現れる。
「すごか者(もん)が居るな。やはり江戸に、出らんばならんか。」
江藤らの友人・古賀一平が腕組みをしながら、発言をする。
「いや、さすがは中野…と言うべきでは無かね?」
集った仲間の一人・坂井辰之允は、江戸で他藩との人脈を築いていく中野方蔵の行動力に感心している。

――同じ時期に、幕府の中枢・江戸城内では
老中・安藤信正は、志士たちが憤慨する“皇女・和宮の降嫁”の支度に忙しい。前代未聞の大行列が、京から江戸への道を練り歩き、新しい時代を示すのだ。
「皇女さまを江戸にお迎えすること。いまや公儀(幕府)の命運がかかっておる。」
和宮の京からの降嫁には、巨額の費用を計上する。幕府と朝廷が一体と示すための“一大行事”は着々と進んでいた。
――幕政の建て直しに励む、老中・安藤信正。
大老・井伊直弼の亡き後、政権の運営は不安定であり、外国人への襲撃など物騒な事件が相次ぐ。豪腕と呼ばれた井伊大老とは違う、調整型の安藤老中。
苦闘する老中・安藤。これから幕閣の1人となる者がその背中を見つめていた。
唐津藩の若殿(藩主名代)で、名を小笠原長行という。参勤交代により、江戸に来たばかり。小笠原もまた、幕府で期待される“開明派”だった。
(続く)
2021年11月16日
第17話「佐賀脱藩」③(江戸からの便り)
こんばんは。前回の続きです。
1861年(文久元年)。徳川政権は、権威を回復する方法を模索していました。先年の“桜田門外の変”の後に、幕政の中枢を担ったのは、老中・安藤信正。
安藤を中心とした幕閣により“公武合体”が進められます。その象徴的な計画が、時の帝、孝明天皇の妹・和宮と第14代将軍・徳川家茂との“縁談”です。
江戸時代を通じて、幕府の法度(法令)により、朝廷は抑え込まれていましたが、幕末期には、その存在感を発揮していました。
――そんな国政の中枢から遠く離れて…肥前国・佐賀。
「江藤、お主に“良き知らせ”がある。心して聞くがよい。」
“上佐賀奉行所”の役人として働く江藤新平が上役に呼ばれる。表の働きぶりが認められたか、裏で江藤の才能を知る誰かが動いたのか…定かではない。
江藤は、次年に貿易部門・代品方へと移ることが決まる。あわせて、英語を研修するように藩からの指示もあった。

――佐賀城下の夕暮れ。よく集会に使う、お社にて。
「ようやく、江藤の運も開けてきた…と思ってよかな。」
2つばかり年上の大木喬任(民平)がニッと笑う。普段は、無口でぶっきらぼうなところもあるが、友達想いの“兄貴分”というところもある。
大木は漢学を主に勉強するが、江藤が西洋の語学と交易に関わるのは好機だと思っている様子がうかがえる。友の立身出世への道になると予想するからだ。
「本日は、我らが期待の中野君からの文(ふみ)も来ているぞ。」
酒も入っていないのに、やけに上機嫌な大木。もったいぶって江戸からの手紙を取り出した。あまり口が上手い方ではないが、いつになく楽しげに話す。
――2人にとって親友である、中野方蔵。いまは、江戸にいる。
いつも活き活きとした口調の中野らしく、手紙に記された文字からも、江戸での充実した日々が伝わるようだ。
「さて、大木兄さん、江藤くん…皆様、息災でしょうか。」
中野はいつも“志”を持って走っている。この手紙も、そんな弾んだ息づかいのまま書き記したのだろう。良い意味で、字が躍っている。

――その宵は、冴えた月夜となった佐賀城下。
大木・江藤の周りには、いつの間にか“義祭同盟”などで関わる友人も集まる。江戸にいる中野からの便りには、皆、興味を引かれるようだ。
「古賀に、坂井か…また、えらく集まってきたな。」
一同は、大木が引くぐらいに手紙に注目する。
ここでの“古賀”は、古賀一平という若手藩士。前回も登場した“嬉野の忍者”とは別人だ。もう1人は坂井辰之允という名だ。江藤とも親しい。
――何かと集まるのは、佐賀で“勤王”を目指す同志たち。
「わりと人数が多くなったな…江藤、読んでやってくれ。」
大木が、声の通る江藤に代読を託そうとする。
「たまには、大木さんが読み上げてみては。」
「江藤…、知っているだろう。俺はこういうのは、不得手だ。」
珍しく笑みを浮かべる江藤。それを、苦笑しながら返す大木。まるで少年のようだ。この2人がこのような表情を見せるのは珍しい。
――とにかく、親友・中野の活躍が嬉しいのだ。
「…昨今では“有為の者”たちと、時勢を語らいます。」
期待どおり、よく通る声で手紙の代読を始める、江藤。
この頃の中野は、江戸で“勤王”に熱心な学者や、他藩の志士たちとの交流を進めていた。
(続く)
1861年(文久元年)。徳川政権は、権威を回復する方法を模索していました。先年の“桜田門外の変”の後に、幕政の中枢を担ったのは、老中・安藤信正。
安藤を中心とした幕閣により“公武合体”が進められます。その象徴的な計画が、時の帝、孝明天皇の妹・和宮と第14代将軍・徳川家茂との“縁談”です。
江戸時代を通じて、幕府の法度(法令)により、朝廷は抑え込まれていましたが、幕末期には、その存在感を発揮していました。
――そんな国政の中枢から遠く離れて…肥前国・佐賀。
「江藤、お主に“良き知らせ”がある。心して聞くがよい。」
“上佐賀奉行所”の役人として働く江藤新平が上役に呼ばれる。表の働きぶりが認められたか、裏で江藤の才能を知る誰かが動いたのか…定かではない。
江藤は、次年に貿易部門・代品方へと移ることが決まる。あわせて、英語を研修するように藩からの指示もあった。
――佐賀城下の夕暮れ。よく集会に使う、お社にて。
「ようやく、江藤の運も開けてきた…と思ってよかな。」
2つばかり年上の大木喬任(民平)がニッと笑う。普段は、無口でぶっきらぼうなところもあるが、友達想いの“兄貴分”というところもある。
大木は漢学を主に勉強するが、江藤が西洋の語学と交易に関わるのは好機だと思っている様子がうかがえる。友の立身出世への道になると予想するからだ。
「本日は、我らが期待の中野君からの文(ふみ)も来ているぞ。」
酒も入っていないのに、やけに上機嫌な大木。もったいぶって江戸からの手紙を取り出した。あまり口が上手い方ではないが、いつになく楽しげに話す。
――2人にとって親友である、中野方蔵。いまは、江戸にいる。
いつも活き活きとした口調の中野らしく、手紙に記された文字からも、江戸での充実した日々が伝わるようだ。
「さて、大木兄さん、江藤くん…皆様、息災でしょうか。」
中野はいつも“志”を持って走っている。この手紙も、そんな弾んだ息づかいのまま書き記したのだろう。良い意味で、字が躍っている。
――その宵は、冴えた月夜となった佐賀城下。
大木・江藤の周りには、いつの間にか“義祭同盟”などで関わる友人も集まる。江戸にいる中野からの便りには、皆、興味を引かれるようだ。
「古賀に、坂井か…また、えらく集まってきたな。」
一同は、大木が引くぐらいに手紙に注目する。
ここでの“古賀”は、古賀一平という若手藩士。前回も登場した“嬉野の忍者”とは別人だ。もう1人は坂井辰之允という名だ。江藤とも親しい。
――何かと集まるのは、佐賀で“勤王”を目指す同志たち。
「わりと人数が多くなったな…江藤、読んでやってくれ。」
大木が、声の通る江藤に代読を託そうとする。
「たまには、大木さんが読み上げてみては。」
「江藤…、知っているだろう。俺はこういうのは、不得手だ。」
珍しく笑みを浮かべる江藤。それを、苦笑しながら返す大木。まるで少年のようだ。この2人がこのような表情を見せるのは珍しい。
――とにかく、親友・中野の活躍が嬉しいのだ。
「…昨今では“有為の者”たちと、時勢を語らいます。」
期待どおり、よく通る声で手紙の代読を始める、江藤。
この頃の中野は、江戸で“勤王”に熱心な学者や、他藩の志士たちとの交流を進めていた。
(続く)
2021年11月13日
第17話「佐賀脱藩」②(海を望む丘、再び)
こんばんは。前回の続きです。
対外危機の当事者となったことで、佐賀藩の東隣にある田代領(現在の基山町と鳥栖市東部)を含め対馬藩は攘夷を唱える若者たちの動きが活発となります。
一方で、佐賀藩は警備の負担は大きくとも、長崎ではオランダとの交易に熱心だったので、外国全体の排斥を叫ぶような“攘夷”とは距離を置いていました。
1861年(文久元年)の冬~夏まで続いた対馬事件。その際、佐賀藩士が操る蒸気船が慌ただしく行き交った、伊万里の沿海も、平穏を取り戻しています。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑱(蒸気船の集まる海域)〕
――丘の上から、海を見つめる野良着の男性。
傍で跳びはねる雉(きじ)猫が、ニャーニャーと騒がしい。
その男、嬉野方面から伊万里まで陶磁器を運ぶ“人足”の風体をしているが、正体は、英国船の偵察を任務とする蓮池藩(※)の侍。※佐賀にある支藩の1つ
一言でいえば、蓮池藩領・嬉野から来た“忍者”であり、野良着は調査のための変装である。見た目は普通の中年で西洋の事情に通じる人物とはわからない。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑩(英国船の行方)〕

――「何ね。あんたは、また来たとね。」
そんな“嬉野の忍者”・古賀、高台に登ってきた若者と目を合わせる。佐賀藩の上佐賀代官所に務める下級武士・江藤新平である。
「きっと貴方が、ここで海を見ていると考えたゆえ、参った。」
江藤の真っ直ぐな視線、よく通る声は相変わらずだ。
…古賀の傍らでキジ猫は声に驚いたか、耳をピクッと動かし黒目を大きくする。
――すぐさま、本題を語り始めた江藤。
「対馬の一角をロシアが占有せる件、イギリスが介入したと聞く。」
「…こがん(このような)ところに来ても、何も見えんとよ。」
すでに“対馬事件”は、ひとまずの解決をみていた。イギリス軍艦が近海で圧力をかけたことにより、停泊したロシア船は対馬を退去したのである。
――この5年ほど前、1856(安政三)年。江藤は“図海策”を著す。
この意見書で、早々と開国の必要性を書いた江藤。「北方(蝦夷地)の開拓」でロシアに備え、「身分に関わらず人材を登用」し、「異国と通商すべし」と説いた。
単純な開国でもなく、目先の攘夷でもない。国力を付け、列強に対抗する想い。ただ、為すべき事はわかっても、江藤の身分からでは“届かない”のだ。
「急ぐのはわかるばってん…、今は力ば蓄えるべき時じゃなかね。」
古賀の語る横では、キジ猫が平らな木肌を見つけ、ガリガリと爪(つめ)を研ぐ。

――当時の江藤には、いくつかの打診があった。
1つは英語の修得。もう1つは貿易への従事だ。佐賀藩は人材の登用には熱心であり、江藤の才能は認められつつあった。
「“英語”に”通商”とは…また兄さんは、随分と見込まれとるばい。」
長崎港にも佐賀本藩にも姿を見せる“嬉野の忍者”・古賀。不思議な立ち位置の人物だ。「せっかくの藩の期待だ。ありがたく受け止めておけ…」と勧める。
しかし、江藤の返す言葉には、やや焦りが見えた。
「されど、安穏と日々を過ごすことは、時勢が許さぬと心得る。」
――親友・中野方蔵が伝える江戸の姿…
時代が動く気配がある。幕府や雄藩から注目される、佐賀の殿様・鍋島直正がどう動くかは、国の行方をも左右するはずだ。
江藤の意見書での想いも、佐賀藩では活かせる道もある。年配者らしく古賀が諭したように、普通の才の持ち主ならば、順風満帆の展開に喜ぶところだろう。
だが、非凡な才を持ったこの若者には運命の急転が待っていた。江藤が佐賀を発つことを決断するまで、この時、すでに残り1年を切っていたのである。
(続く)
対外危機の当事者となったことで、佐賀藩の東隣にある田代領(現在の基山町と鳥栖市東部)を含め対馬藩は攘夷を唱える若者たちの動きが活発となります。
一方で、佐賀藩は警備の負担は大きくとも、長崎ではオランダとの交易に熱心だったので、外国全体の排斥を叫ぶような“攘夷”とは距離を置いていました。
1861年(文久元年)の冬~夏まで続いた対馬事件。その際、佐賀藩士が操る蒸気船が慌ただしく行き交った、伊万里の沿海も、平穏を取り戻しています。
〔参照:
――丘の上から、海を見つめる野良着の男性。
傍で跳びはねる雉(きじ)猫が、ニャーニャーと騒がしい。
その男、嬉野方面から伊万里まで陶磁器を運ぶ“人足”の風体をしているが、正体は、英国船の偵察を任務とする蓮池藩(※)の侍。※佐賀にある支藩の1つ
一言でいえば、蓮池藩領・嬉野から来た“忍者”であり、野良着は調査のための変装である。見た目は普通の中年で西洋の事情に通じる人物とはわからない。
〔参照:
――「何ね。あんたは、また来たとね。」
そんな“嬉野の忍者”・古賀、高台に登ってきた若者と目を合わせる。佐賀藩の上佐賀代官所に務める下級武士・江藤新平である。
「きっと貴方が、ここで海を見ていると考えたゆえ、参った。」
江藤の真っ直ぐな視線、よく通る声は相変わらずだ。
…古賀の傍らでキジ猫は声に驚いたか、耳をピクッと動かし黒目を大きくする。
――すぐさま、本題を語り始めた江藤。
「対馬の一角をロシアが占有せる件、イギリスが介入したと聞く。」
「…こがん(このような)ところに来ても、何も見えんとよ。」
すでに“対馬事件”は、ひとまずの解決をみていた。イギリス軍艦が近海で圧力をかけたことにより、停泊したロシア船は対馬を退去したのである。
――この5年ほど前、1856(安政三)年。江藤は“図海策”を著す。
この意見書で、早々と開国の必要性を書いた江藤。「北方(蝦夷地)の開拓」でロシアに備え、「身分に関わらず人材を登用」し、「異国と通商すべし」と説いた。
単純な開国でもなく、目先の攘夷でもない。国力を付け、列強に対抗する想い。ただ、為すべき事はわかっても、江藤の身分からでは“届かない”のだ。
「急ぐのはわかるばってん…、今は力ば蓄えるべき時じゃなかね。」
古賀の語る横では、キジ猫が平らな木肌を見つけ、ガリガリと爪(つめ)を研ぐ。
――当時の江藤には、いくつかの打診があった。
1つは英語の修得。もう1つは貿易への従事だ。佐賀藩は人材の登用には熱心であり、江藤の才能は認められつつあった。
「“英語”に”通商”とは…また兄さんは、随分と見込まれとるばい。」
長崎港にも佐賀本藩にも姿を見せる“嬉野の忍者”・古賀。不思議な立ち位置の人物だ。「せっかくの藩の期待だ。ありがたく受け止めておけ…」と勧める。
しかし、江藤の返す言葉には、やや焦りが見えた。
「されど、安穏と日々を過ごすことは、時勢が許さぬと心得る。」
――親友・中野方蔵が伝える江戸の姿…
時代が動く気配がある。幕府や雄藩から注目される、佐賀の殿様・鍋島直正がどう動くかは、国の行方をも左右するはずだ。
江藤の意見書での想いも、佐賀藩では活かせる道もある。年配者らしく古賀が諭したように、普通の才の持ち主ならば、順風満帆の展開に喜ぶところだろう。
だが、非凡な才を持ったこの若者には運命の急転が待っていた。江藤が佐賀を発つことを決断するまで、この時、すでに残り1年を切っていたのである。
(続く)
2021年11月10日
第17話「佐賀脱藩」①(対馬事件の顛末)
こんばんは。
今まで「長崎」(第1話)と「江戸」(第15話)の地名はタイトルに付けていますが、第17話は初めて「佐賀」の名を冠する話で、大事なエピソードになる予定です。
まずは、第16話「攘夷沸騰」の続きからスタートです。少し説明的な言い方だと「ロシア軍艦(ポサドニック号)対馬占領事件」が、軸になった話でした。
佐賀藩が幕府から預かった蒸気船・観光丸で、外国奉行・小栗忠順に同行し、対馬に上陸した佐野常民(栄寿左衛門)。
事件中に、佐賀藩は複数の蒸気船で周辺海域の警戒にあたっていました。佐野も、拠点である佐賀の三重津海軍所へと戻ってきます。

――1861年(文久元年)秋。
あまり芳しくない天気だ。佐賀平野には、低い曇り空が広がっている。佐賀海軍の基地である三重津から佐賀城へは、さほどの距離は無い。
働き者の佐野は一息入れずに城へと向かう。任務の完了を報告するためだ。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑲(強くなりたいものだ)〕
「佐野、ご苦労であったな。」
「はっ。勿体(もったい)なき、お言葉。」
――佐賀の殿様・鍋島直正が、佐野の労をねぎらう。
殿・直正は胃の具合が良くないらしく、少し痩せた様子。以前より老けて見える。まず、佐野は見た限りの現地の様子を説明した。
「当面の危難は去ったか。ほかに奉行の小栗どのは、何か申されておったか。」
声色はいつも通りの殿だ。その問いかけに、佐野はこう答える。
「公儀(幕府)役人は怠惰に時を過ごす者が多い…と嘆いておられました。」
小栗の言い方では「食っては出すだけ…」と言おうか、もっと、辛辣(しんらつ)だったが、佐野は、ほとほどに再現した。

――直正は、片手の扇子をひらひらとする。
とくに暑いという時節でもない。何か想う事がある様子だった。
開国で、さらに“国際化”の進む長崎港。“日本の表玄関”の警備という役割は、異国からの“矢面”にたっているようなものだ。
殿・直正は責務を重く受け止めて、諸外国の動きに神経を遣う。
――幕府からも、直正の影響力への期待がある。
一方、各地での攘夷運動と、諸外国との軋轢(あつれき)も気になる。いま、佐賀藩の東隣・対馬藩の田代領では、事件の余波で攘夷派が意気盛んだという。
〔参照(後半):第16話「攘夷沸騰」⑳(基山の誇り、田代の想い)〕
考える事の多い佐賀藩主・直正。やや不敵な笑みをたたえ、こうつぶやいた。
「余も、そろそろ少し楽をしたいと思うぞ。」
佐野はその言葉を、真っ正面から受け止めた。
「殿は、この国にとって大事な御方。そのように弱気な事を…」

真面目な佐野の返答。何が可笑しいのか、少し上機嫌な殿様。
「まぁ良い。此度(こたび)は英国が、対馬の件に手を貸したわけじゃが。」
「はっ、もしイギリスの介入が無くば…どうなったか。助かったと言うべきかと。」
――直正の表情が「実はな…」という感じに一瞬で変わる。
「その英国にも、対馬を乗っ取る野心があったそうじゃ。」
「イギリスも油断のならぬところが…、考え得ることにございます。」
対馬には英国公使オールコックが交渉に乗り込んだ。ロシアは外交問題となるのを恐れて退去した。しかしイギリスにも対馬に入り込む計画があったという。
佐野は、占領を狙ったロシアの国旗が翻る現場を見ている。イギリスの動きは、実際に目にしていないが、そちらにも野心があったと聞くと得心がいく。
列強がひしめく日本近海を守っていくのは容易ではない。佐野は、そんな話を聞くと、また肝が冷えた。
(続く)
今まで「長崎」(第1話)と「江戸」(第15話)の地名はタイトルに付けていますが、第17話は初めて「佐賀」の名を冠する話で、大事なエピソードになる予定です。
まずは、第16話「攘夷沸騰」の続きからスタートです。少し説明的な言い方だと「ロシア軍艦(ポサドニック号)対馬占領事件」が、軸になった話でした。
佐賀藩が幕府から預かった蒸気船・観光丸で、外国奉行・小栗忠順に同行し、対馬に上陸した佐野常民(栄寿左衛門)。
事件中に、佐賀藩は複数の蒸気船で周辺海域の警戒にあたっていました。佐野も、拠点である佐賀の三重津海軍所へと戻ってきます。
――1861年(文久元年)秋。
あまり芳しくない天気だ。佐賀平野には、低い曇り空が広がっている。佐賀海軍の基地である三重津から佐賀城へは、さほどの距離は無い。
働き者の佐野は一息入れずに城へと向かう。任務の完了を報告するためだ。
〔参照:
「佐野、ご苦労であったな。」
「はっ。勿体(もったい)なき、お言葉。」
――佐賀の殿様・鍋島直正が、佐野の労をねぎらう。
殿・直正は胃の具合が良くないらしく、少し痩せた様子。以前より老けて見える。まず、佐野は見た限りの現地の様子を説明した。
「当面の危難は去ったか。ほかに奉行の小栗どのは、何か申されておったか。」
声色はいつも通りの殿だ。その問いかけに、佐野はこう答える。
「公儀(幕府)役人は怠惰に時を過ごす者が多い…と嘆いておられました。」
小栗の言い方では「食っては出すだけ…」と言おうか、もっと、辛辣(しんらつ)だったが、佐野は、ほとほどに再現した。
――直正は、片手の扇子をひらひらとする。
とくに暑いという時節でもない。何か想う事がある様子だった。
開国で、さらに“国際化”の進む長崎港。“日本の表玄関”の警備という役割は、異国からの“矢面”にたっているようなものだ。
殿・直正は責務を重く受け止めて、諸外国の動きに神経を遣う。
――幕府からも、直正の影響力への期待がある。
一方、各地での攘夷運動と、諸外国との軋轢(あつれき)も気になる。いま、佐賀藩の東隣・対馬藩の田代領では、事件の余波で攘夷派が意気盛んだという。
〔参照(後半):
考える事の多い佐賀藩主・直正。やや不敵な笑みをたたえ、こうつぶやいた。
「余も、そろそろ少し楽をしたいと思うぞ。」
佐野はその言葉を、真っ正面から受け止めた。
「殿は、この国にとって大事な御方。そのように弱気な事を…」
真面目な佐野の返答。何が可笑しいのか、少し上機嫌な殿様。
「まぁ良い。此度(こたび)は英国が、対馬の件に手を貸したわけじゃが。」
「はっ、もしイギリスの介入が無くば…どうなったか。助かったと言うべきかと。」
――直正の表情が「実はな…」という感じに一瞬で変わる。
「その英国にも、対馬を乗っ取る野心があったそうじゃ。」
「イギリスも油断のならぬところが…、考え得ることにございます。」
対馬には英国公使オールコックが交渉に乗り込んだ。ロシアは外交問題となるのを恐れて退去した。しかしイギリスにも対馬に入り込む計画があったという。
佐野は、占領を狙ったロシアの国旗が翻る現場を見ている。イギリスの動きは、実際に目にしていないが、そちらにも野心があったと聞くと得心がいく。
列強がひしめく日本近海を守っていくのは容易ではない。佐野は、そんな話を聞くと、また肝が冷えた。
(続く)
2021年11月07日
「あゝ司法卿」(第17話プロローグ)
こんばんは。
さて、“本編”第17話「佐賀脱藩」に向けての助走に入っていきたいと思います。大河ドラマ『青天を衝け』では、あっさりと表舞台から去った江藤新平。
なお、江藤新平を演じた増田修一郎さんは、11月からのNHK土曜時代ドラマ『明治開化 新十郎探偵帖』には警官役で登場し、事件現場に駆けつける姿が。
…配役は良かったはずなので、少し“司法卿”としての活躍も見たかった。
――そういえば、先週の『青天を衝け』(33)では…
西郷隆盛〔演:博多華丸〕・大久保利通〔演:石丸幹二〕が立て続けに去る展開。
西南戦争は、新聞記事と“戦費”の金額で結果のみが示され、紀尾井坂の変は、「大事件の急報」で人が駆け込んでくる”状況”で表現されています。
…薩摩(鹿児島)の誇る“二傑”、作品に余韻は残しつつも静かな退場でした。
『青天を衝け』は渋沢栄一〔演:吉沢亮〕の周辺と“洋行帰り”の旧・幕臣に集中した構成。配役のあった江藤新平は、まだ描いてもらえた方かもしれません…

――明治政府の中枢には、登場しない人物も。
例を挙げると…※もし、見落としている場合は、ご容赦ください。
①劇中で名前だけ語られるパターン…木戸孝允(長州)、勝海舟(旧・幕臣)など
②存在自体も語られないパターン…後藤象二郎(土佐)、板垣退助(土佐)など
…そして残念、②と同じパターン。副島種臣(佐賀)、大木喬任(佐賀)など
ドラマのテーマに応じた登場人物の選択なのでしょう。主人公が関係する人物を丁寧に描き出すためか、明治期の”参議”も相当人数が絞られていました。
『青天を衝け』での「佐賀代表」としては、大隈重信が、存分に活躍しています。「土佐(高知)代表」は、存在感抜群の商人・岩崎弥太郎かもしれません。

――「そうだ、佐賀を書こう。」
今回の大河ドラマを見て「しっかり“佐賀の先輩”たちを描くには、やはり物語の“主役”になってもらうほかない…」と感じました。
幕末期。長崎警備の担当で、諸外国とは向き合うものの、中央政局からはやや遠かった佐賀藩。描き方には工夫が要るとは、常々感じるところです。
また、明治政府の基礎づくりに多大な貢献をするも「あまりにも“正義”だった…」というように語られ、悲劇的な最期だった江藤新平の書き方が難しい。
江藤が貫いた正義は敵を作りすぎたのか、徹底して「士族反乱の首謀者」と扱われた形跡があります。そのイメージを塗り替えるのは、容易ではありません。
〔参照(後半):「新キャストを考える④」(“絶望”を越えて行け)〕
――”本編”第16話「攘夷沸騰」を振り返ると…
対馬(長崎)への「ロシア船(ポサドニック号)上陸事件」を軸として綴っています。
〔参照①:第16話「攘夷沸騰」⑱(蒸気船の集まる海域)〕
〔参照②:第16話「攘夷沸騰」⑲(強くなりたいものだ)〕
そして、これから書く第17話「佐賀脱藩」で、”話の軸”になると考えているのは「皇女・和宮の江戸への降嫁」と「坂下門外の変」。
そして、まだ何者でもなかった、若き佐賀の下級武士・江藤が見た「青春の影」をどう描くか。かなり想像も入った“物語”として展開を試みます。
さて、“本編”第17話「佐賀脱藩」に向けての助走に入っていきたいと思います。大河ドラマ『青天を衝け』では、あっさりと表舞台から去った江藤新平。
なお、江藤新平を演じた増田修一郎さんは、11月からのNHK土曜時代ドラマ『明治開化 新十郎探偵帖』には警官役で登場し、事件現場に駆けつける姿が。
…配役は良かったはずなので、少し“司法卿”としての活躍も見たかった。
――そういえば、先週の『青天を衝け』(33)では…
西郷隆盛〔演:博多華丸〕・大久保利通〔演:石丸幹二〕が立て続けに去る展開。
西南戦争は、新聞記事と“戦費”の金額で結果のみが示され、紀尾井坂の変は、「大事件の急報」で人が駆け込んでくる”状況”で表現されています。
…薩摩(鹿児島)の誇る“二傑”、作品に余韻は残しつつも静かな退場でした。
『青天を衝け』は渋沢栄一〔演:吉沢亮〕の周辺と“洋行帰り”の旧・幕臣に集中した構成。配役のあった江藤新平は、まだ描いてもらえた方かもしれません…
――明治政府の中枢には、登場しない人物も。
例を挙げると…※もし、見落としている場合は、ご容赦ください。
①劇中で名前だけ語られるパターン…木戸孝允(長州)、勝海舟(旧・幕臣)など
②存在自体も語られないパターン…後藤象二郎(土佐)、板垣退助(土佐)など
…そして残念、②と同じパターン。副島種臣(佐賀)、大木喬任(佐賀)など
ドラマのテーマに応じた登場人物の選択なのでしょう。主人公が関係する人物を丁寧に描き出すためか、明治期の”参議”も相当人数が絞られていました。
『青天を衝け』での「佐賀代表」としては、大隈重信が、存分に活躍しています。「土佐(高知)代表」は、存在感抜群の商人・岩崎弥太郎かもしれません。
――「そうだ、佐賀を書こう。」
今回の大河ドラマを見て「しっかり“佐賀の先輩”たちを描くには、やはり物語の“主役”になってもらうほかない…」と感じました。
幕末期。長崎警備の担当で、諸外国とは向き合うものの、中央政局からはやや遠かった佐賀藩。描き方には工夫が要るとは、常々感じるところです。
また、明治政府の基礎づくりに多大な貢献をするも「あまりにも“正義”だった…」というように語られ、悲劇的な最期だった江藤新平の書き方が難しい。
江藤が貫いた正義は敵を作りすぎたのか、徹底して「士族反乱の首謀者」と扱われた形跡があります。そのイメージを塗り替えるのは、容易ではありません。
〔参照(後半):
――”本編”第16話「攘夷沸騰」を振り返ると…
対馬(長崎)への「ロシア船(ポサドニック号)上陸事件」を軸として綴っています。
〔参照①:
〔参照②:
そして、これから書く第17話「佐賀脱藩」で、”話の軸”になると考えているのは「皇女・和宮の江戸への降嫁」と「坂下門外の変」。
そして、まだ何者でもなかった、若き佐賀の下級武士・江藤が見た「青春の影」をどう描くか。かなり想像も入った“物語”として展開を試みます。
2021年11月05日
「誰かのために、SAGA」
こんばんは。
今週は「佐賀の演劇」の感想を続けました。動画の配信により、私も視聴できた『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』9周年特別上演の後半を語ります。
記事の投稿時点では以下より、当日の動画が参照できます。今回は3~5本目に対応した感想です。
【ライブス ビヨンド】『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』※外部サイト
https://www.livesbeyond.jp/cn13/2021-10-19.html
地元では、日曜になると佐賀城本丸歴史館に足の向く方々も増えているはず…今回の記事も、「いつ佐賀に帰れるんだかわからない」私の個人的な見方です。
――明治新政府の「方向性を定めた」人物の演目も。
大河ドラマ『青天を衝け』では姿をお見かけしませんが、大隈重信の面倒を見ながら(?)長崎で学び、明治期に活躍した副島種臣が主役のお話もありました。
副島と言えば、“国学”に通じて「朝廷が政権を運営した時代」の知識がとりわけ深く、“洋学”も習得して「西洋の近代的な政治体制」を理解する人物。
新政府を築くには不可欠だった、和洋の双方に通じる教養人。書道家としても著名な副島種臣ですが、「悩み多き人」でもあった様子。

――3本目の演目。『健やかなれば』
幕末と明治の時代を超え“一匹の蚊(?)”が、2つの場面をつないで展開するシナリオという理解でしょうか。
佐賀城の南堀端にあったと聞く、副島種臣の実家(枝吉家)。夏の水辺ならば蚊の出現は、妙な説得力を感じます。
――偉大すぎる兄貴・枝吉神陽…の弟の苦悩。
全国に轟く学問の才、富士山に下駄で登った…とか聞く抜群の体力、藩の重役から若い下級武士まで、広く慕われる影響力。
年寄りを敬い、子供にも優しい。そして愛妻家としての姿が見えるエピソードも。「本当に、こんな人居たのか…」と思うほどにパーフェクトな人物像が伝わります。
そんな“陽”の存在が兄・枝吉神陽。その“陰”で悩むのか、自信がなさそうな弟・次郎(のちの副島種臣)。
――弟・次郎、何やら蚊も叩けずに、弱々しく…
言い方を変えれば、“柔らかく”包みこんでしまう次郎の姿が印象的。この繊細さが、後半・明治期の佐野常民との場面で効いていると思いました。
前半の幕末期には、2本目でも大隈を煽(あお)っていた先輩・島義勇が発する言葉に押され、とりあえず走ります。
「生きてさえいれば、健やかでさえあれば…」悩み多き人、とくに若い方に届いてほしいメッセージが感じられる作品でした。

――続いて4本目。『まるぼうろ』
舞台は明治後半の時期ですが「八賢人 全員集合」とあったので、どうまとめるのか関心がありました。なんと「亡くなっている組」と「生きている組」で線引き。
序盤には“あの世”組の皆様でトークが展開。何やら楽しげでした。本筋に戻ると、大隈重信と「佐賀の菓子職人」を軸とした、ちょっと良い話。
「自分のためではなく、誰かのために動く…」そんな気持ちが、“まるぼうろ”の甘さのように、心に優しい作品という印象です。

――ラストの5本目。『故郷(くに)ば、錦で』
これも明治後期が舞台の作品。利発すぎる少年・田澤義鋪が「佐賀の八賢人」を紹介してくれる、“入門編”に最適な構成もあります。
最後まで田澤少年に素性を明かさない、老成した佐野常民の演技が深い。一言「潮が満ちた」とつぶやく佐野。出航へ向かうセリフに有明海が想われます。
その一方で、大隈重信の功績は、成長した田澤青年との会話で、にぎやかに語られる感じ。『ガタリンピック』でお馴染みの、鹿島への愛を感じる演目です。
〔参照(田澤義鋪 関連):連続ブログ小説「旅立の剣」(22)大きな河になれ〕
――そういえば、今年も残り2か月を切りました…
「大河ドラマ」を追いかけ、「演劇」に親しみ、「アニメ」にまでも感銘を受ける…色々と大変なこの頃ですが、今年も様々な物語で佐賀は私を救ってきました。
いまの私にできること…とりあえず、私も「佐賀の物語」を書きましょう。ひとまず今年中に“本編”を一話分ぐらいは書き進めることを、当面の目標にします。
なお、『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』に興味を持たれた方へ、以下の情報もご紹介します。全国に暮らす、“さがんもん”各位に届くことを願って。
【参考情報】
下記からのリンク先より各種動画が閲覧できるようです。
https://www.youtube.com/channel/UCmu5xUzFIddlgxqpcXQavpw
(幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊のYoutubeチャンネル)
当日、観劇された方の感想等の情報を見たい方は、以下の記事をご覧ください。
https://sagahachikenjin.sagafan.jp/e973573.html
(幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊 「さがファンブログ」記事)
今週は「佐賀の演劇」の感想を続けました。動画の配信により、私も視聴できた『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』9周年特別上演の後半を語ります。
記事の投稿時点では以下より、当日の動画が参照できます。今回は3~5本目に対応した感想です。
【ライブス ビヨンド】『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』※外部サイト
https://www.livesbeyond.jp/cn13/2021-10-19.html
地元では、日曜になると佐賀城本丸歴史館に足の向く方々も増えているはず…今回の記事も、「いつ佐賀に帰れるんだかわからない」私の個人的な見方です。
――明治新政府の「方向性を定めた」人物の演目も。
大河ドラマ『青天を衝け』では姿をお見かけしませんが、大隈重信の面倒を見ながら(?)長崎で学び、明治期に活躍した副島種臣が主役のお話もありました。
副島と言えば、“国学”に通じて「朝廷が政権を運営した時代」の知識がとりわけ深く、“洋学”も習得して「西洋の近代的な政治体制」を理解する人物。
新政府を築くには不可欠だった、和洋の双方に通じる教養人。書道家としても著名な副島種臣ですが、「悩み多き人」でもあった様子。
――3本目の演目。『健やかなれば』
幕末と明治の時代を超え“一匹の蚊(?)”が、2つの場面をつないで展開するシナリオという理解でしょうか。
佐賀城の南堀端にあったと聞く、副島種臣の実家(枝吉家)。夏の水辺ならば蚊の出現は、妙な説得力を感じます。
――偉大すぎる兄貴・枝吉神陽…の弟の苦悩。
全国に轟く学問の才、富士山に下駄で登った…とか聞く抜群の体力、藩の重役から若い下級武士まで、広く慕われる影響力。
年寄りを敬い、子供にも優しい。そして愛妻家としての姿が見えるエピソードも。「本当に、こんな人居たのか…」と思うほどにパーフェクトな人物像が伝わります。
そんな“陽”の存在が兄・枝吉神陽。その“陰”で悩むのか、自信がなさそうな弟・次郎(のちの副島種臣)。
――弟・次郎、何やら蚊も叩けずに、弱々しく…
言い方を変えれば、“柔らかく”包みこんでしまう次郎の姿が印象的。この繊細さが、後半・明治期の佐野常民との場面で効いていると思いました。
前半の幕末期には、2本目でも大隈を煽(あお)っていた先輩・島義勇が発する言葉に押され、とりあえず走ります。
「生きてさえいれば、健やかでさえあれば…」悩み多き人、とくに若い方に届いてほしいメッセージが感じられる作品でした。
――続いて4本目。『まるぼうろ』
舞台は明治後半の時期ですが「八賢人 全員集合」とあったので、どうまとめるのか関心がありました。なんと「亡くなっている組」と「生きている組」で線引き。
序盤には“あの世”組の皆様でトークが展開。何やら楽しげでした。本筋に戻ると、大隈重信と「佐賀の菓子職人」を軸とした、ちょっと良い話。
「自分のためではなく、誰かのために動く…」そんな気持ちが、“まるぼうろ”の甘さのように、心に優しい作品という印象です。
――ラストの5本目。『故郷(くに)ば、錦で』
これも明治後期が舞台の作品。利発すぎる少年・田澤義鋪が「佐賀の八賢人」を紹介してくれる、“入門編”に最適な構成もあります。
最後まで田澤少年に素性を明かさない、老成した佐野常民の演技が深い。一言「潮が満ちた」とつぶやく佐野。出航へ向かうセリフに有明海が想われます。
その一方で、大隈重信の功績は、成長した田澤青年との会話で、にぎやかに語られる感じ。『ガタリンピック』でお馴染みの、鹿島への愛を感じる演目です。
〔参照(田澤義鋪 関連):
――そういえば、今年も残り2か月を切りました…
「大河ドラマ」を追いかけ、「演劇」に親しみ、「アニメ」にまでも感銘を受ける…色々と大変なこの頃ですが、今年も様々な物語で佐賀は私を救ってきました。
いまの私にできること…とりあえず、私も「佐賀の物語」を書きましょう。ひとまず今年中に“本編”を一話分ぐらいは書き進めることを、当面の目標にします。
なお、『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』に興味を持たれた方へ、以下の情報もご紹介します。全国に暮らす、“さがんもん”各位に届くことを願って。
【参考情報】
下記からのリンク先より各種動画が閲覧できるようです。
https://www.youtube.com/channel/UCmu5xUzFIddlgxqpcXQavpw
(幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊のYoutubeチャンネル)
当日、観劇された方の感想等の情報を見たい方は、以下の記事をご覧ください。
https://sagahachikenjin.sagafan.jp/e973573.html
(幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊 「さがファンブログ」記事)
2021年11月03日
「大隈侯の"エピソード ゼロ"」
こんばんは。
現在、放送中の大河ドラマ『青天を衝け』で、今までの記憶に無いほど、しっかり、その活躍が物語に描かれている、大隈重信〔演:大倉孝二〕。
もはや同郷の先輩、江藤新平〔演:増田修一郎〕の姿はありません。渋沢栄一〔演:吉沢亮〕も官職を去り、何だか大隈に新政府の仕事が集中している様子。
――余力が見える周囲に比べて(?)
働き過ぎのオーラが際立ち、「過労で倒れるんじゃないか」と心配になるほど。
ところで今年の「大河ドラマ」では、登場時点から“大物感”があった大隈重信。もともと長崎で洋学を学び、頭の回転が速く、行動力のある佐賀藩士の1人。
しかしながら、倒幕運動の中心には居なかった佐賀藩。三十歳そこそこの大隈が、なぜ、発足したばかりの新政府の中枢に居たか…は語られていません。
――「探している答えは、いつだって“佐賀”にある。」
…ということなのか。ここからは、前回の続きです。“佐賀の演劇”を通じて、その説明を試みます。
〔参照(前回):「よみがえる、殿様」〕
佐賀藩士の1人に過ぎなかった大隈重信が、明治新政府で活躍する“前日譚”にはある出来事がありました。いわば「大隈侯の“エピソード ゼロ”」です。

※大隈八太郎(重信)と縁の深い「龍造寺八幡宮」。
――その一端に触れられる話を紹介します。
動画配信中の『八賢人おもてなし隊』の9周年特別上演の2本目の感想です。
【ライブス ビヨンド】『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』※外部サイト
https://www.livesbeyond.jp/cn13/2021-10-19.html
…なお、私は同隊の関係者ではないので、“いちファン”の感想による個人的な見方であると前置きします。
――2本目の演目。『初陣 the first battle』
明治の初頭。「ハリー・パークス(英国公使)VS 大隈八太郎(佐賀藩士)」による“世紀の一戦”を描いた作品。
「圧の強い外交」で知られたパークス。明治新政府にある要求を突きつけます。ここで“日本代表”に選出されたのが、大隈八太郎(重信)。
「列強から日本が侮られるか否か。“絶対に負けられない戦い”がそこにある。」といった状況。この外交交渉を、大隈の“初陣”と位置づけた演目です。
――活動の拠点・長崎を出て、決戦の場・大坂(大阪)へと向かう大隈。
なぜか船に同乗しており、何かと“決戦ムード”を盛り上げてくる、先輩・島義勇。
現地・大坂に着くなり、とにかく大隈を頼る公家・三条実美。そこで、いきなり姿を見せる“対戦相手”、英国公使・パークス。
大隈は身につけた語学力と鋭い弁舌で、パークスに立ち向かいます。できれば会場で見たかった演劇ならではのスピーディーな展開。
決戦の緊張感と大隈の成長まで感じられました。今回は「大河ドラマ」の感想が混ざってしまいましたが、両方見たのでより面白かったです。
現在、放送中の大河ドラマ『青天を衝け』で、今までの記憶に無いほど、しっかり、その活躍が物語に描かれている、大隈重信〔演:大倉孝二〕。
もはや同郷の先輩、江藤新平〔演:増田修一郎〕の姿はありません。渋沢栄一〔演:吉沢亮〕も官職を去り、何だか大隈に新政府の仕事が集中している様子。
――余力が見える周囲に比べて(?)
働き過ぎのオーラが際立ち、「過労で倒れるんじゃないか」と心配になるほど。
ところで今年の「大河ドラマ」では、登場時点から“大物感”があった大隈重信。もともと長崎で洋学を学び、頭の回転が速く、行動力のある佐賀藩士の1人。
しかしながら、倒幕運動の中心には居なかった佐賀藩。三十歳そこそこの大隈が、なぜ、発足したばかりの新政府の中枢に居たか…は語られていません。
――「探している答えは、いつだって“佐賀”にある。」
…ということなのか。ここからは、前回の続きです。“佐賀の演劇”を通じて、その説明を試みます。
〔参照(前回):
佐賀藩士の1人に過ぎなかった大隈重信が、明治新政府で活躍する“前日譚”にはある出来事がありました。いわば「大隈侯の“エピソード ゼロ”」です。
※大隈八太郎(重信)と縁の深い「龍造寺八幡宮」。
――その一端に触れられる話を紹介します。
動画配信中の『八賢人おもてなし隊』の9周年特別上演の2本目の感想です。
【ライブス ビヨンド】『幕末・維新佐賀の八賢人おもてなし隊』※外部サイト
https://www.livesbeyond.jp/cn13/2021-10-19.html
…なお、私は同隊の関係者ではないので、“いちファン”の感想による個人的な見方であると前置きします。
――2本目の演目。『初陣 the first battle』
明治の初頭。「ハリー・パークス(英国公使)VS 大隈八太郎(佐賀藩士)」による“世紀の一戦”を描いた作品。
「圧の強い外交」で知られたパークス。明治新政府にある要求を突きつけます。ここで“日本代表”に選出されたのが、大隈八太郎(重信)。
「列強から日本が侮られるか否か。“絶対に負けられない戦い”がそこにある。」といった状況。この外交交渉を、大隈の“初陣”と位置づけた演目です。
――活動の拠点・長崎を出て、決戦の場・大坂(大阪)へと向かう大隈。
なぜか船に同乗しており、何かと“決戦ムード”を盛り上げてくる、先輩・島義勇。
現地・大坂に着くなり、とにかく大隈を頼る公家・三条実美。そこで、いきなり姿を見せる“対戦相手”、英国公使・パークス。
大隈は身につけた語学力と鋭い弁舌で、パークスに立ち向かいます。できれば会場で見たかった演劇ならではのスピーディーな展開。
決戦の緊張感と大隈の成長まで感じられました。今回は「大河ドラマ」の感想が混ざってしまいましたが、両方見たのでより面白かったです。