2022年04月30日

「幕末!京都事件ファイル①〔前編〕」

こんばんは。
現在、当ブログでは“本編”・第18話京都見聞」を書き進めていますが、ここから3回ほど、ゴールデンウィーク特別企画です。

私が見たい「幕末佐賀藩大河ドラマ」のイメージ、佐賀県にある各地域風景人物の描き方、隣県の福岡や長崎の幕末期をどう表現するか…

また幕末期が題材の大河ドラマ作品の中で、どのような立ち位置を選択するか…という各種課題があり、足らない才能の限界を顧みずに挑んでいます。


――さて、文久二年(1862年)夏頃。

第2部の主人公である江藤新平が国元・佐賀を脱藩し、京都での活動を開始しました。ここが“本編”の現在地です。

前回、京都(伏見)に到着したばかりの江藤の前に“祇園太郎”と名乗る男が現れました。謎の男のはずが、途中から「佐賀ことば」で語り出す展開に。
〔参照:第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)

祇園太郎”は「九州の小京都」とも称される小城出身の実在人物。活動内容等にはが多いようで、この時点では長崎に居た可能性もあるようです。



しかし、ここで数年前から上方(大坂)で活動した人物が登場したことには、江藤にも協力者がいたのではないかという推測と、構成上の都合があります。

不穏な空気の漂う京の都新選組などの幕末大河ドラマの“常連組”が、出揃う前の時期。そこには、激動の始まりとでも言うべき事件がありました。


――ここで、「幕末!京都事件ファイル①」です。

前回描いた「①寺田屋騒動」から。薩摩藩(鹿児島)の同士討ちの事件ですが、現在の“福岡県”の志士たちとも関わりが深いです。
〔参照:第18話「京都見聞」③(寺田屋騒動の始末)

寺田屋事件」と呼ばれることもありますが、他にも同名称の事件があるため、“本編”では「寺田屋騒動」で通しています。

事件の発生時期は、文久二年(1862年)四月。新暦でいえば初夏の5月頃。場所は現・京都市南部。“川の港町”として栄えた水運の拠点・伏見です。



――この「①寺田屋騒動」は

薩摩藩志士粛清事件」という事件名でも表されるようです。

伏見の船宿・寺田屋に集結した薩摩勤王派志士が、幕府寄りの公家だった関白・九条尚忠の暗殺を計画したことが事件の背景にあります。

その動機は幕府に近い要人の襲撃を強行し、薩摩の国父(藩主の父)・島津久光が「もう“倒幕”に立つしかない状況」を作り出す事。

しかし、国父・島津久光の狙いは“公武合体”による幕府の改革で、主導権を取ること。亡兄・島津斉彬が熱心だった“一橋派”の復権運動にも見えます。
〔参照:「将軍継嗣問題をどう描くか?(後編)」

そして、“倒幕”は考えていなかったようです。逆に薩摩藩側は過激な志士たちを制圧するため、剣術に長けた藩士を派遣し、事態の収拾をはかります。


――鎮撫(制圧)する側の薩摩藩士は、

結局、説得に応じない勤王派に斬りかかりました。

制圧に赴いた側にも犠牲者が出ましたが、勤王派の被害は凄まじく、斬り合いの時点だけで6名が落命したそうです。

この壮絶な場面は、2018年大河ドラマ西郷どん』でも描かれました。薩摩藩士・有馬新七〔演:増田修一郎〕が印象的だったように思います。
〔参照(中盤):「新キャストを考える④」(“絶望”を越えて行け)

倒幕への熱すぎる想いのもとで、同士討ちに散った“勤王派”。

同郷の者たちが残した“無念”が、のちに薩摩藩士たちが“武力倒幕”に執念を燃やす伏線とも考えられます。



――なお、同じ寺田屋には、

薩摩藩士のほか、公家の関係者、現在は福岡県内にあたる久留米藩、秋月藩などの志士も居ました。

久留米真木和泉などは自藩に引き渡されたようですが、秋月海賀宮門など薩摩方面に送られる方々も…。この辺り、本編でも表現を試みたいです。

本編によく名前が出る福岡の志士・平野国臣は、福岡藩も“倒幕”に協力するよう工作に動いており、事件現場には不在だったようです。


――こうして薩摩藩は、勤王派を追放し…

「幕府寄り・開国受容の薩摩 VS 倒幕派・攘夷実行の長州」という対立軸が、しばらく展開するようです。

そんな中、佐賀藩のある動きにより、薩摩藩との間に軋轢(あつれき)が生じるのですが、続きは“本編”の展開にあわせて書こうと思います。

なお、この『事件ファイル』は、中編に続く予定です。




  


Posted by SR at 23:36 | Comments(0) | 出来事編(E)

2022年04月26日

第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)

こんばんは。しばらく間が空きましたが、前回の続きです。

単身、佐賀を発った江藤新平。九州から出て瀬戸内では、大木喬任民平)が用立てた旅費で、海路を利用して上方(京・大坂)に向かったとも聞きます。

福岡では、その人脈を当てにした勤王の志士・平野国臣の所在がつかめず、頼りとなる情報は、かなり乏しい状況でした。

そんな中、江藤親友中野方蔵の手紙によく出てきた長州藩士・久坂玄瑞を尋ねるべく行動します。



次第に目的地である京の都へと近づく江藤。その後の展開を見ると、誰か、足跡の残っていない協力者がいたのではないか…という気がしています。


――京。伏見の港。

大坂(大阪)へと流れていく沿いに“”が開ける。そこには、昼夜を問わずに乗合いの“三十石船”が入って来ていた。

この伏見の“京都港”は内陸にある。そもそも京の都に面してはいない。そのため、水運にはを使う。京から大坂方面へは下りの流れがある。

「ふぇ~い」「やっと伏見や…、」
口々に疲労感を訴える。くたびれ果てた人足たちの声が響く。大坂方面より、川の流れに逆らって、岸からを使って引っ張ってきた者たちだ。

世話をかけた。」
伏見から降りる人々の中に、佐賀の脱藩浪士・江藤新平の姿もあった。



――江藤のよく通る声に、反応する人足たち。

「…おおっ、」「なんや、を言うとるで。」「あれか?変わった奴やな…」
ひとしきり、その場がざわざわとした。

京から大坂へ下りは、川の流れに乗り半日大坂から京へ上り人力で頑張って遡り、約一日の行程だったという。

市街地へと水路を小舟で移動する、旅人積荷が行き交う。川沿いは大いに賑わっている。伏見船宿が並ぶ通りを行く江藤

が良く、酒どころとも評判がある伏見酒蔵が並ぶ通りへと歩を進める。


――木陰から、その姿を見つめるがいた。

「さて、あいつやな…。」
一言、たどたどしい上方(京・大坂)の言葉をつぶやいた男。少しずつ、江藤背後に近づいていく。

を破って脱藩したと聞くが、その質素過ぎる身なりは、佐賀藩で奨励される倹約そのもの。「規則に背いて、決まり事を守る…」よくわからぬと見えた。

「あれっ…居らんぞ。」
曲がり角にさしかかった時、江藤を見失った様子だ。

に、何か用向きがあるのか。」
「おっ…!」



――不意に江藤の声が通る。近づいたは絶句した。

「…え~っと。えーっとやな…」
気付かぬうちに、江藤の方が背後に回り込んでいたらしい。慌てた様子の

「そうや…あれや。」
この男の発する上方の言葉は、抑揚(よくよう)が安定しない。

何用であるか。」
待て、しばし待て!そがんに急ぐな。」
江藤の声は鋭い。そして、の発する“上方ことば”は既に崩れている。


――男は右掌で「少し待って」と示し、ひと呼吸を入れた。

そして物々しく「行くで!」と発した。“禅問答”でも仕掛けるような空気だ。

清水と言えば、何か!」
「…。」

「…なれば、清水の滝は、何処(いずこ)に在りや!」
小城に在り。」

期せずに行うことになった、このやり取り佐賀からの脱藩の実行前に、剣術道場の兄弟子で、小城支藩の代官を務める富岡敬明との話に出た内容だ。
〔参照:第18話「京都見聞」⑤(清水の滝、何処…)

名は、何と言う。」
江藤と申す。佐賀より出でて、に参った。」



――江藤と、問答を仕掛けた男との間に流れる、微妙な沈黙の時。

「かくいうお主も、佐賀の者だな。」
スパッと言い放つ江藤。いわば“偽装”した関西人である「上方ことばの男」の面目は丸つぶれである。

「…なんね!そがん言わんでも、よかばってん。おいも気張って、上方言葉を学びよるけん!」
色々と溜めていた気持ちがあふれたか“佐賀ことば”でまくしたてる、元・上方ことばの男

「それは、済まぬ事を言った。」

いささか空気を読まない傾向の江藤だが、ここまで言葉が重なればわかる。おそらくはを胸に佐賀から出てきた、この男も相当に苦労したのだ。


――ひとまずは、男が信用できそうな人物である事も見えた。

は、何と申されるか。」
「“祇園太郎”と名乗っておる。」

「幾分、わかりやすい“偽名”だな。」
「いきなり“偽名”やら言わんでよか…」

江藤の登場から調子が狂いっぱなしの“祇園太郎”だが、当時「ほぼ居ない」と言ってよいほど稀少な、佐賀からの脱藩者だった。

数年前から播磨(兵庫)を拠点に、大坂の様子を見聞している志士である。


(続く)



  


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2022年04月20日

第18話「京都見聞」⑤(清水の滝、何処…)

こんばんは。
江藤新平へと向かう道のり。手持ちの資金小倉から船に乗り、瀬戸内を海路で進んだ…という説も聞くところです。

構成の都合上、脱藩する前の話が駆け足となってしまったので、に向かう旅の途上で、佐賀への“回想”場面として表現しています。

江藤は少年期、小城剣術道場で修業をしていました。当時からの兄弟子富岡敬明は、江藤より一回り(12歳ほど)年上

脱藩より戻ってからの江藤との関わりが深く、この兄弟子も事情を知っていた可能性を考えます。佐賀から福岡へ抜ける時に、関与した説もあるようです。



――夕日が差す、瀬戸内の海をゆく。

揺れる船中で甲板へと上がる。佐賀を抜けてから、数日江藤は、眼前の島々を見つめながら、西へと離れていく国元・佐賀を想った

開国後、異国船の往来も増えている。どうにか長崎に行けそうな機会はあったが、下級武士である江藤には、江戸への留学の話は遠かった。

佐賀から脱藩してはじめて触れる、未知の世界である。九州に居る時は、の足で歩き続けていた。に乗っては歩む必要もなく、色々の事を想いだす。


――江藤が尋ねた、ある代官所は自然豊かな場所にあった。

小城の剣術道場での兄弟子、富岡敬明。山内郷の大野で代官を務めていた。何かを思い付いた様子で、目を丸くする。

「そうだ、よか事を教えておこう。」
少し勿体(もったい)ぶる、富岡。これは、中年の茶目っ気なのであろうか。

「もしや、京に関わる事をお教えいただけるのか。」
一方で、やはり真っ直ぐな受け答えの江藤

「…まぁ、そう急かすな。」
ひと呼吸を置く、富岡


――山間部のため“山内”は、初夏の風も涼しい。

山あいの清流の地。大野代官所は石垣も立派だが、周りは静かなものだ。

富岡江藤に問いかける。
「“清水の滝”は、何処にあるか。」

「…にも、清水の観音があると聞くが。」
怪訝な表情をする、江藤

「そこにもはあるが、そいは“音羽の滝”と呼ばれるそうだ。」
「なれば小城に在る、“清水の滝”を指すか。」



――富岡は「そがんたい。」とうなずいた。

得心したように「その通りだ」と言っている、兄弟子・富岡。その真意を量りかねる、江藤である。

富岡は言葉を続けた。
「もし、小城の者に会ったら、そう言ってやってくれ。喜ぶ。」

「なにゆえで、小城の者と出会うのか。」
「まぁ、念のために、教えておくだけばい。」

上方商人などに知り合いがいるのかと尋ねると、「居らん」との返答だった。


――大野代官所を後にする、江藤

現代で言えば、佐賀市富士町辺り。古湯温泉なども近い、風光の地である…

代官の任にあり、当地では一定の融通が効く、富岡は頼りにして良さそうだ。自身の脱藩後に、立場の危うくなる家族。ひとまず行く先の目途は付いた。

しかし、最後のやり取りは何やら兄弟子にからかわれているようで、少し腹立たしさを感じる。

さておき、の時勢は動いている。旅支度も脱藩となれば、表立っては動きづらいが、準備は急がねばならない。



――時間は限られる。急ぎ足にて、佐賀城下に戻る。

すると“義祭同盟”の仲間、坂井辰之允が家の近くに来ていた。
〔参照(中盤):第17話「佐賀脱藩」⑰(救おうとする者たち)

坂井さん、何用か。」
江藤…、私も助右衛門さんのお立場が危うくならぬよう手を尽くすぞ。」

えらく先走った言葉で励まされる。秘密裡に進めているはずの脱藩計画だが、既に幾人かは知っている様子だ。

坂井の励ましは、江藤助右衛門を気にかけているところに配慮がある。「家族は守りたい」という江藤の気持ちを、よく汲んでいた。


――ただ、江藤には、確認したい事があった。

坂井さん、ありがたい。ただ、その誰から聞いたか。」

「…大木民平。」
坂井の返答を聞いて、江藤は腹をくくった。ここは、大木民平喬任)の根回しを信じるほか無さそうだ。

で形勢を探り、文(ふみ)を書く。坂井さんも頼みとするぞ。」
「心得た。」
佐賀を出て動くからには、周辺で入手した情報を国元で受け止める役回りの者が要る。きっと大木は、その人選を進めているのだ。


――慌ただしかった一日。その夜、江藤家の屋敷。

今宵の月は美しいな。」
江藤が言葉を発すると、クスクスと笑う、妻・千代子

「何か、可笑しいか。」
新平さまは、綺麗な月を見ると、わたくしに語り出すのですね。」

「…おっしゃってくださいな。」
「済まぬ。近々、に向けて発つ。」
こうして江藤は、佐賀を発つ決意を妻・千代子に話し始めた。



――それを、物陰から見つめる者が二人…

「やはり、綺麗かごた夜に伝えおったか。」
「ええ、そこはいつもの事ですわね。」

そこに居たのは、江藤両親である。助右衛門浅子だった。行きがかり上、浅子熊太郎を抱きかかえていた。

グズグズ…と熊太郎が起きそうになる。
「いかん、浅子。早う、熊太郎をあやすのじゃ。」
あなた、声が大きうございます。」


――その様子をじっと見つめ返す、江藤と妻・千代子。

親父どのと母上は、何を騒いでおるのか。」
「…仲のよろしいこと。」

千代子とて、新平がいつかは激動の時代に立ち向かっていく、そんな存在になることは予期していた。

そして勤王の志が高い、この一家が流転の日々を送ることも覚悟していた…とはいえ、強い不安を感じるのは仕方の無いことであった。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑫(陽だまりの下で)


――結局、ワーッと泣き出した熊太郎。概ね1歳半である。

「はい、はい…」
江藤両親に駆け寄っていく、千代子

「こんなに泣くのは、珍しいねぇ。」
困惑する江藤の母・浅子熊太郎にも幼いなりに何か不穏な空気が伝わったのかもしれない。

「…済まぬ。千代子。」
江藤は聞き手が、その音声でビリビリと震えるほどに声が通るのだが、ここは千代子に聞こえぬよう抑えてつぶやいていた。

へと発つ事は「自身の使命である」と迷いは無かった。しかし、江藤新平の気がかりは老親妻子にあったのだ。


(続く)




  


Posted by SR at 22:28 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」

2022年04月16日

第18話「京都見聞」④(湯呑みより茶が走る)

こんばんは。
福岡城下を後にした、江藤新平小倉(北九州市)方面へと歩みを進めます。

尋ねた相手・平野国臣不在でしたが、京の都がいかに荒れた状況にあるか、その一端をうかがい知る事となりました。

リアルタイムの通信手段がない幕末期。現代から見れば、想像を絶するほどのすれ違いは常の事だったでしょう。

実は行方を探していた平野は、福岡で囚われていたようです。薩摩藩の勤王派が制圧されてから、福岡藩も関わりの深い平野を投獄したと聞きます。



江藤は、情報収集のための伝手(つて)を得られませんでした。その一方で、佐賀を出る前にも、色々と手は打っていたはず…

現代では「九州の“小京都”」とも呼ばれる、小城(おぎ)。なぜか、江藤京都への脱藩の前後には、佐賀小城支藩の影も見え隠れします。


――時は、半月ほど前に遡る。

佐賀からの脱藩を決めた江藤は、小城支藩領・山内(現在の佐賀市富士町)に足を運んでいた。

江藤は少年期に小城に住んでおり、当地の道場で剣術の稽古に励んだ。小城藩領に入ったのは、道場での兄弟子富岡敬明を尋ねるためだ。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」②(小城の秘剣)

富岡小城藩の上級武士だが、での不始末があって、小城の屋敷での務めから外れ、清流のある山間の地・“山内”で代官を務めている。

富岡さん、頼みがあって来ました。」
「何だ。随分と仰々しいな。」

江藤より、一回り年上の富岡親分肌で面倒見がよく、地元の者から慕われる傾向があるようだ。


――江藤は「佐賀を発つ覚悟」を語った。

脱藩には、特に厳しい佐賀藩老親妻子も辛い立場になると予期される。
「佐賀の御城下に居ては不都合だ。家の者を近くにかくまってほしい。」

家族の行く末を心配する江藤藩の掟を破るのだから、やむを得ないのだが、富岡はその思い詰めた様子を受け止めた。
江藤。まずはでも飲んで、落ち着け。」
「…頂戴いたします。」



山あいのため涼しいが、佐賀平野には、もう夏の風が吹く頃だ。少しばかりの世間話となる。勧められたを口にする江藤

「身内だけだなく、お主もまとめて面倒をみるばい。」
ここで富岡が本題に戻った。家族だけでなく、江藤本人も、どうにか小城藩領に引き取ると言い出したのだ。


――江藤には、もともと風変わりだが、

藩校で学んでいた頃から、議論に熱が入ると、敷居の辺りに飲みかけのを捨てる事があった。特に深い意味は無さそうで、単なる(くせ)だったようだ。

ここで富岡の発言に、江藤は過剰に反応した。
命を賭すのだ。自らを惜しむような覚悟で、国を抜けるのではない!」

脱藩は死罪」が藩の掟である事は理解している。もちろん命の保証は無い。さらに熱弁を振るう江藤

手にしたは、すっかり温(ぬる)くなっていた。江藤の発声にあわせ、掌中の湯呑みが一瞬、水平に近い傾きとなる。当然にしては流れ、へと走る。


――江藤は、お茶に浸った床を見た。

藩校の片隅や、古びたお堂なら、もさほど気にもしなかったが、さすがに気が咎める。まず「相済まない」と謝ろうとしたところ、富岡の大声が飛んだ。

粗末にしてはならん!お主も、まとめて面倒を見る!と言いおろうが。」
恰幅の良い中年である、富岡。何かと気詰まりも多い小城支藩の中枢から、村の代官へと暮らしぶりも変わり、その声も豪快に響く。

ちなみに江藤をこぼしている事は、気にも留めていない様子だ。

「…相済まない。」
何やら今回は、剣術道場の先輩・富岡に一本取られた格好の江藤である。




――ふと過(よぎ)るのは、十年以上も昔。藩校・弘道館の日々の記憶。

その日も藩校での課業を終えて、親友三人で議論を続ける。江藤大木民平喬任)、そして中野方蔵はよく寄り集まっていた。

江藤くん、そのには合うのかもしれない。ただ、が低くはないか。」
中野方蔵が、鋭く指摘をした。

「いや、中野に合わざることを通さば、歪(ゆが)みを生ずるのだ。」
理論派江藤に、情熱系中野。次第に二人討論は熱を帯びてくる。


――バシャッ!手にしたお茶をこぼしながら、熱弁を振るう江藤

江藤くん!湯呑みを傾けるのは、何かと関わりがあるのか。」
中野が、少しひねくれた言い方をする。たしかに、討論の中身とお茶をこぼす事は無関係と思われる。

を毀損(きそん)する、中野には言われたくなか!」
江藤も、その言葉を打ち返す。今のところ中野は冷静だが、議論に熱が入り過ぎて、をたたき割ってしまった前歴がある。
〔参照:第7話「尊王義祭」⑥

「…おい、江藤中野、随分と話が逸(そ)れているぞ!」


――呆れた大木が、軌道の修正を試みていた。

大木兄さんこそ、どちらの論を是(ぜ)とするのですか。」
中野が、討論に割って入った大木に問う。

か…?どちらの論が通ろうが、実現のために手を貸してやる。」
「…狡(ずる)いな。大木兄さん。」

やや口をとがらせる中野。柄(がら)にもなく苦笑する江藤。勝ち誇ったように、ニッと笑う大木



――「江藤!何ば…大事かこと。思い出しよるか。」

しばし待ちぼうけだった富岡が、“回想”から戻って来ない江藤に声をかけた。
「ああ、富岡さん。済まない。亡き友のことを想い出していた。」

「…中野くんか。気の毒なことだったな。」
が斃(たお)れたゆえ、は立たねばならんのです。」

佐賀の志士たちの中でも、行動力に長じていた中野。その人脈の豊富さが裏目に出て、江戸獄中で亡くなっていた。

「ばってん、お主の分まで、生きねばならんのだ。」
富岡は、そう力強く言い放つ。その言動からは、“脱藩者”となる江藤を、どうにか救おうとする気持ちが見えていた。


(続く)




  


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2022年04月12日

第18話「京都見聞」③(寺田屋騒動の始末)

こんばんは。
福岡城下に来た、江藤新平。先年、佐賀を来訪した福岡の志士・平野国臣の足取りを追っていました。

平野は、鎌倉期までの装束を好むだけでなく、よく変装して薩摩藩に入ったり、福岡藩からの追跡を振り切ったりしています。

福岡城下以外では、単独他藩士との行動が多く、山伏やら、飛脚やらと…次々に衣装をチェンジして追っ手をかわしたそうです。まさに“七変化”。

このように何かと目立つ平野国臣。各地の勤王志士からの人気も急上昇で、江藤は、その人脈に期待したようですが、所在がつかめません。

今回は福岡の志士たちに暗い影を落とした“寺田屋騒動”の惨劇を描きます。七月頃に、事件のあったに着いてから、江藤も詳細を調査したようです。



――文久二年(1862年)四月。京・伏見の船宿、寺田屋にて。

幕末期。大坂(大阪)から川を遡る水運があって、内陸であるが“京都港”として賑わう伏見の街。薩摩藩士の定宿で事件は起こった。

藩内の勤王派の不穏な動きを知った、薩摩国父(藩主の父・島津久光)は、側近たちに事態の収拾を命じて、使者を度々送った。

しかし国父の側近・大久保一蔵(利通)などの説得工作は実らず。薩摩の過激な志士は、“寺田屋”に集結する。今度は、に秀でた者たちが派遣された。

国父さまの仰せであるぞ、従え!」
「じゃっどん、今、立たねばなりもはん!我らの存念をお伝えしてくれやい。」
倒幕”への決起を訴え、出頭に応じない志士たち。

薩摩ことば”での言い争い。次第に大声となり、うち1人が「上意である!」と叫ぶと、突然「キェーッ!」と鋭い奇声が発された。


――重い金属の打ち合う響き、ザクッ…と不快な音が響く。

豪剣とも言うべき、薩摩の侍が振るう刃。それが互いに顔見知りの間で、命のやり取りに遣われている。

わずかの刻にある者は絶命し、ある者は瀕死の重傷を負った。劣勢となった勤王派の薩摩藩士・有馬新七が、対峙した薩摩藩士に組み付きながら叫ぶ。
おいごと、刺せ!」

この場で“上意討ち”にあった者は、薩摩藩内の勤王派だが、幕府に近い公家などの襲撃を試みていたという。

それを上洛した薩摩の国父・島津久光が“成敗”したのだ。同郷の者たちの間で、凄惨な同士討ちが続く。



――同じ寺田屋の次の間には“福岡”の志士も居た。

久留米の神官・真木和泉らが、薩摩藩内の勤王派と連絡を取りに来ていた。騒ぎに気付いて、奥から出てきた。
「…おいっ、お主ら。ここは引け。もう、抵抗するな。」

筑前筑後(福岡)など幾人か居た他藩の志士たちは、死ぬまで戦おうとする薩摩の侍を諫めたという。

「どうやら“他国”の者も居られるようじゃ。方々も、お連れしもんそ!」
秋月海賀宮門だ。仰せに従う。」

息のある薩摩藩士たちとあわせて、寺田屋に居た久留米秋月など他藩の志士も連行された。福岡平野は藩庁への直訴で不在だったようだ。


――その時は江藤も、福岡の者も騒動の顛末を知らない。

先生も、捕らわれたのであろうか…」
平野その場に居たか判然としないが、何かでは“凶事”が起きたらしい。伝え聞く事柄は、平野の門下生の表情を暗くしていた。

門下生は、訥々と言葉を続ける。
「それからは、秋月海賀さんも行方が知れぬ。もし、事の次第がわかれば、お教えいただきたい。」

「承知した。に着き次第、消息を探ろう。」
江藤は、騒動の経過を追うことにした。

福岡藩・平野国臣秋月藩・海賀宮門両者とも先年、佐賀を訪問している。その際に“義祭同盟”の面々と意見を交わしていた。



――自らの想いで動いた、“福岡”の志士たち。

佐賀に居た頃、江藤は自由な彼らに羨望(せんぼう)の眼差しを向けていた。よもや自身が、これほど早期に脱藩するとは、予期しなかったのだ。

過激な活動に巻き込まれ、あるいは自らが短慮を起こす。次々に惜しむべき人々が失われていく。親友中野方蔵を思い起して、江藤歯がみをした。

は、形勢を測るべく、に赴くのだ。貴君も命は大切になされよ。」

江藤は、京都に向かうのは情報収集のためで、を捨てに行くのではないと語る。そして、思い詰めた印象の門下生に、別れの言葉を発して退出した。


(続く)




  


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2022年04月09日

第18話「京都見聞」②(消えた“さぶらい”の行方)

こんばんは。
江藤新平は、文久二年(1862年)六月に佐賀を脱藩しています。数か月前、春の桜咲く頃は、に集まった勤王の志士たちが期待に沸き立っていました。

その理由は薩摩藩(鹿児島)の“国父”(藩主の父)・島津久光が藩兵を率いて京都に上る動きがあったため。かつて各地の志士たちが大きい期待を寄せた、薩摩の名君・島津斉彬異母弟です。

実際に島津久光に入ったのは、旧暦の四月なので、とうにの時節は過ぎ、初夏の陽気もあったかもしれません。そのが散った後に残ったものは…



――「いまは、京に向かう途上である。」

強い陽射しが注ぐ中、福岡城下の一角に足を運んでいた江藤。“佐賀脱藩”という身分だけでなく、その行先も明かした。

筑前筑後(福岡県)だけでなく、九州各地、また双方が政治への影響力を競い始めている、薩摩長州の志士たちの連携までを目論む平野国臣

の情勢を事前に探るには、その人脈は有用なはず。この留守の者からも、何か聞き出せるかもしれない。


――ところが門下生と思しき人物は、声を詰まらせた。

「いまや平野先生の、行方も知れぬのだ…。」
江戸期の一般的な武士と違い、平野と同様に古式ゆかしく髪をまとめている。

「一体、何があったか。」
発言を促す、江藤良くない話が続きそうな事は容易にうかがえた。


――「京に向われるならば、お教えしておこう…」

江藤は、訥々と語る平野門下生の話をうかがう。文久二年の春。の都で活動する、各藩の勤王志士は沸き立っていた。

あの薩摩の名君・島津斉彬の弟である、久光公が亡き兄君の志を引き継ぎ、兵を率いて上洛(京)すると聞いていたからだ。

「今こそ、天下を動かす時!」
徳川を倒す、千載一遇の好機じゃ!」
各地から集まる勤王の志士たちが、大いに盛り上がったのは言うまでもない。

その“沸騰”の中には、もちろん薩摩藩士だけではなく、他藩の者たちもいる。

福岡・平野国臣、秋月・海賀宮門、久留米・真木和泉など、筑前筑後(現在の福岡県)の志士たちもに集結していた。



――先年に、佐賀を訪れた者たちの名が続く。

枝吉神陽門下との連携を求めて、佐賀へと訪れる志士も多くあった。江藤も、よく他藩からの来訪者と議論をしていた。

但し、久留米の神官・真木和泉は地元から出られなかったのか、息子・主馬佐賀に派遣したという。

そういった“福岡”からの客人を迎えた、江藤の師匠・枝吉神陽。彼らの話に共感を示すも、何かの思慮があってか動こうとしなかった印象がある。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑨(佐賀に“三平”あり)

平野さまが、行方知れずとは。」
「…わからぬのだ。京に戻られたか、否かも。」

当時、にいた志士たちは「薩摩の島津久光が“倒幕”に立ち上がる!」と大騒ぎしたが、それは誤解だったのだ。

島津久光の狙いは幕府を倒すことではなく、改革に手を貸し、幕政での主導権を握ることにあった。


――何とか、“国父”を動かそうとする薩摩藩士たち。

「じゃっどん、国父さまには立ってもらわねばなりもはん!」

島津久光の上洛にあわせ、幕府と親しい公家を排除する計画が動いていた。薩摩の“国父”から見れば、家来に邪魔をされているも同然だったようだ。

平野の門下生の話を聞いていた江藤が、鋭い一言を発した。
「その薩摩の者たちが、“暗殺”を企てたの意か。」

お主の真っ直ぐな目。信じるぞ。その通りだろう。」
その弟子は思い切って、先刻、会ったばかりの江藤に言葉を返す。


――江藤は、さらに問答を続ける。

「先ほど、平野さまが“京に戻る”と聞いたが、如何なることか。」
ここで、江藤は事情を知りたがる。親友・中野方蔵が捕らわれた時の想いが、過(よぎ)っていた。

黒田の殿様に訴えをなさるため、一時、京を離れたとも聞くのだ。」
平野国臣福岡藩(黒田家)も、薩摩藩と共に倒幕に立つよう促したという。

福岡藩は慎重だった。薩摩島津久光に「荒れる京都素通りしよう」と提案するつもりだったという。



――「そこからは、先生の足取りがわからぬのだ。」

各地の志士に人気のある平野国臣が“直訴”に出たことで、福岡藩は対応に苦慮して、薩摩藩との接触を控えたようだ。

薩摩島津久光はそのままに入ったが、これが筑前・筑後(福岡)の志士には厳しい展開の始まりだった。

そして佐賀は…と言えば、藩内の統制が取れていた分、志士たちも勝手には動きづらい。こういった激動の政局からは一歩引いた立場だった。


――幕末の黎明期からを富ませて、

外国技術を導入する“近代化”のために、走ってきた佐賀藩士たち。

藩内の勤王志士たちも概ね、前藩主・鍋島直正閑叟)のもとで佐賀藩全体が一致して、朝廷を中心とした国づくりに貢献する姿を望んでいた。

しかし当時のでは、佐賀藩士江藤には想像しにくかった、“同郷の者”が潰し合う凄惨な事件が起きたばかりだった。


(続く)



  


Posted by SR at 21:21 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」

2022年04月06日

第18話「京都見聞」①(新平、東へ)

こんばんは。
“本編”第18話をスタートします。本日の「新平、東へ」は以前から考えていたサブタイトル。元ネタは、“本編”を開始した頃の大河ドラマからです。

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』初回のタイトルが「光秀、西へ」でした。江藤脱藩まで書き続けられたら、使ってみようと思っていました。

なお、江藤新平脱藩経路には諸説あるようで、未だ明確ではありません。

周辺地理に詳しい方には、疑問符も付くかもしれませんが、なるべく佐賀近くで“映える”風景を…という意図もあります。



――筑前国(福岡県北部)の海岸を望む。

現代では、海沿いの美景が話題となっている糸島市近辺であろうか。玄界灘の波がさざめき、強い朝日が1人歩むの頬を照らしていた。

年の頃、三十歳手前。やや浅黒い肌色。質素な身なりの旅姿である。特筆すべきはその歩速で、静かな波打ち際を横目にすいすいと進んでいく。

その男、江藤新平親友から渡された資金の重みを感じていた。貧しい暮らしが長かったため、大金を携えたことなど記憶に無い。


――「大木さん、恩に着るぞ。」

背負っているのは、二つ年上の親友大木喬任民平)の期待だ。そして、もう1人の親友は、もはやこの世を辞していた。

年の初めに老中・安藤信正が襲撃された「坂下門外の変」への関与を疑われ、獄中で落命した中野方蔵である。

「…中野、既に斃(たお)る。吾人をおいて、ほかに立つべき者なし!」
尊王の志厚く、朝廷の下に人々が集う“あるべき姿”を求めた中野の想いは、期せぬ形で、江藤に受け継がれた。



――他藩の志士に豊富な人脈があった、中野はもういない。

江藤自身も「“国事”を動かすための伝手(つて)は、中野どうにかする。」と、どこかに甘えがあったと顧みた。

勤王佐幕か、開国攘夷か。立ち位置は如何にせよ、新しい世を目指すうねりがある。

誰かが動かねば、西洋を知る雄藩でありながら、佐賀時流に取り残される。前藩主・鍋島直正閑叟)がの調べを始めた、今がその時江藤は判じた。


――ザァザァ…と浜辺に続く、波の音。

義祭同盟”の仲間の協力もあって三瀬の番所を回避し、佐賀藩境を抜けた。ここから江藤は“脱藩者”である。しばらくは人目に付かない道を選んでいた。

急に眼前が開けたと思えば、広い玄界灘を望んだ。遠浅の有明の海とも、入り組んだ伊万里の湾内とも異なる。

佐賀を出た、江藤新しい世界を予感させる景色だ。


――朝廷のある京の都へ。

現状ではその権威をどう利用してやろうかと、幕府雄藩たちの駆け引きが繰り広げられることは見当がつく。

欧米の列強が日本の様子をうかがっている。無謀な攘夷論や、拙速な倒幕論が世を支配するのは危うい。

閑叟さまは…佐賀は、如何に動くべきか。それを見極めねばならん。」



――しばしの回り道を経て、福岡城下に至る。

黒田家が治める福岡藩筑前五十二万石、外様の大藩で、佐賀藩と交互に長崎警備を担当している。

京の都の事情を探りたい江藤は、先年、佐賀に来訪した“福岡のさぶらい”・平野国臣を尋ねたのである。
〔参照(後半):第17話「佐賀脱藩」⑧(福岡から来た“さぶらい”)

「御免!平野さまは居られるか。」
平野の居宅、門前で江藤が問う。

「あいにくだが…先生は居られぬ。」
扉の向こうから、古めかしい格好をした人物が応じる。


――おそらくは地元・福岡の者で、平野の門下生。

平野国臣は、鎌倉期までの古式に則ることを理想とするため、弟子の志向も影響を受けているのだろう。

江戸期の侍としては、髪型装束にも珍しいこだわりが見られる。

枝吉神陽門下で、佐賀より来た。江藤と申す。」
佐賀から?よく出て来られましたな…。」

門下生は少し驚いた表情を見せた。九州各地から志士たちは尋ねてくるが、“二重鎖国”と評される佐賀からの来訪者は珍しいのだ。

師匠・枝吉神陽の名も効いたようで、平野の留守を預かる様子の門下生は、江藤からの問いかけに応じるようだ。


(続く)



  


Posted by SR at 22:03 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」

2022年04月02日

「その道の先にあったもの」(第18話プロローグ)

こんばんは。
新年度を迎えて気ぜわしいのですが、そろそろ“本編”も進めようと思います。

第17話佐賀脱藩」のラストで、江藤新平は当時「二重鎖国」とまで言われた佐賀の藩境を越えます。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」㉑(郷里を背に)

文久二年(1862年)六月。佐賀から東へと向かう道はどこにつながったか…江藤の脱藩から5~6年経過した時期の話を、少し先取りしてみます。



――慶応四年(1868年)の一月。

激動の幕末も大詰めの時期。前年には京都副島種臣大隈八太郎重信)が“大政奉還”の実現に動きますが、佐賀藩の援護はなく失敗に終わります。
〔参照(後半):「私の失策とイルミネーションのご夫婦(前編)」

結局、土佐藩の進言で大政奉還は成りました。大隈の悔しがる表情が目に浮かぶようです。その後も旧幕府側と、薩摩長州側で主導権争いは続きます。

混沌とする情勢の中で、本来の持ち場である日本の表玄関・長崎の状況を気にしつつ、朝廷のある京都も警備しようと、出陣の準備を進めていた佐賀藩

ご隠居”なれど、藩の実権を持つ鍋島直正は、対外的に隙が生じる、内戦の勃発を避ける方針であり、その動きは慎重でした。


――ここでは、完全に出遅れています。

その頃、周到な薩摩からの挑発に乗ってしまった旧幕府方。戊辰戦争の始まりだった「鳥羽伏見の戦い」が起きてしまいます。

兵力差もあって総合的には旧幕府側の有利だったはずが、明らかな失策が重なります。“錦の御旗”が翻って薩長を中心とする“官軍”が勝利しました。

尊王攘夷思想の本家だった、水戸藩の出身である第15代将軍・徳川慶喜。一時でも、朝廷と対峙することはできなかったようです。

大坂城にいたはずの旧幕府軍のトップは、なんと江戸に向けて蒸気船で脱出してしまいました。



――「佐賀藩、まったく見せ場なし。」

現地・京都にすら出発できていません。なぜか、これを人気アニメ『鬼滅の刃』の“炎柱・煉獄杏寿郎”っぽく語ると…

「少し出遅れているうちに、このような事態になっていようとは。よもや よもやだ!これは 佐賀藩士として不甲斐なし!」…という表現になるのでしょうか。

「無理にアニメの話に持っていかんでよかけん…」と、呆れる方もいるでしょう。その反応が正しいかもしれず、「穴があったら入りたい!!」とお答えします。


――それでも“薩長土肥”の一角に入った肥前(佐賀藩)。

鳥羽伏見の戦い」が、決着したとの報が届いた頃。

江藤新平は先発隊の一員として、佐賀藩が購入していたイギリス製の鉄製蒸気船・甲子丸に乗船し、伊万里港から出航。

遅れて京都に入った、佐賀藩に対して薩長を中心とする“新政府”からの風当たりは強いものでした。

第18話『京都見聞』で描こうとする、江藤新平の動きが真価を発揮したのは、この時。滞在は短くとも、幕末の京都で築いた人脈が活きてくるのです。

江藤の滞京は、わずか数か月でしたが、その才能が強い印象を与えたのか、旧知の長州藩・桂小五郎からの推挙で、混乱していた“新政府”に入ります。



――江戸期。佐賀では“脱藩”は、特に重罪でした。

かつて藩の掟を破った江藤は一転、朝廷の臣・平胤雄として歴史の表舞台に出ることになりました。
〔参照(終盤):「紅白から“源平”を考える。」

朝臣の立場で、江戸時代の仕組みを理解して、西洋に準じた新政府の制度を整える。和漢洋すべての学問に通じ、課題の解決において右に出る者なし。

西郷隆盛らと入った江戸開城の時点から、江藤は猛然と幕府の文書を収集・分析。その才能が作用して、明治という時代は前に進んでいきます。

…以上の展開から見ると、“第0話(エピソード・ゼロ)”とも言える始まりの話。

各種の想像演出も入る予定ですが、縦横に京の街を駆ける江藤の姿を書いてみたい。どこまで表現できるかわかりませんが、挑んでみたいと思います。



  


Posted by SR at 22:02 | Comments(0) | 構成編(P)