2022年12月27日
「“鎌倉殿”に学んでみる(総論編)」
こんばんは。
今年(2022年)の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。どう形容すべきか…私にも深い感銘を残しました。12月29日午後は、総集編の放送予定もあるようです。
きっと名作として語り継がれそうな「大河ドラマ」ですので、まとめて振り返っておくことにします。
――まず、この作品で印象に残った、3項目を語ります。
一応、私が書く“本編”は「幕末佐賀藩の大河ドラマが実現したら、こんな感じで見たい!」という趣旨のものです。
ならば「実際の大河ドラマで良いと思った展開は、とても参考になるはず!」という視点で考えます。
ちなみに観る人それぞれに良かった場面はあると思いますので、以下は私の個人的な感想です。

――(1)入れ替わりは激しいが、印象の強い登場人物
殺伐とした源平合戦から鎌倉幕府の創設期が舞台のため、とにかく登場人物が、次々に現れては消えます。もはや、生き残った人はすごい…という感覚。
ただ、それぞれの命尽きる瞬間までに、とても生き様が表現されていて…
・武士の世への志を弟・義時に託した、北条宗時〔演:片岡愛之助〕
・旧来の坂東武士の代表格だった、上総広常〔演:佐藤浩市〕
・妻を想う気持ちで嵐まで呼んだ、阿野全成〔演:新納慎也〕
…このあたりが、その場面の映像とともに、すぐ思い浮かびます。
登場から数回で退場する脇役でも、散り際を印象に残すことも多い同作。
佐賀の“葉隠”の教えではないですが、その最期でどう生きたかを示す。ある意味、「武士道とは、死ぬことと見つけたり…」という作り方に感じます。
――(2)諸説ある展開を、様々な解釈で見られる脚本
鎌倉時代など中世の歴史には、あまり興味が強くなかった私ですが、物語で、ここまで面白く見せられると興味も湧きます。
「北条氏の視点で鎌倉初期を、こう描くか…」と感嘆することしきりでした。

鶴岡八幡宮での、幕府三代将軍・源実朝〔演:柿澤勇人〕への襲撃事件は、その伏線の張り方まで含めて見入ってしまいました。
この結末に行き着く計算で、源仲章〔演:生田斗真〕のキャラクターが描かれていたのか…
あとで史実とされる内容と、ドラマ上での事件の経過を見比べると、ゾッとするような要素もありました。
歴史を描くうえで殺伐とし過ぎた内容を、どう現代のドラマとして表現するか。とても、勉強になりますね。
――(3)重い物語の中で、次々に現れる面白ポイント
ここは、私がまったく真似できなさそうな部分だったので、いち視聴者として…ただ笑ってました。
三谷幸喜さんは、喜劇が得意な脚本家というイメージがあります。個人的に、しばらく笑いのツボに入ってしまった内容も、3つほど語りたいと思います。

○その1.三浦義村〔演:山本耕史〕のセリフ
二代将軍・源頼家〔演:金子大地〕が、典型的な武闘派の坂東武士の2人に、北条時政〔演:坂東彌十郎〕との戦を命じます。
なぜ、この2人が選ばれたのか。三浦義村が、その和田義盛〔演:横田栄司〕と仁田忠常〔高岸宏行〕を評した一言。
「2人とも、ばか…場数(ばかず)を踏んでいる。」
「考えるより動く」感じのこの2人は、とても見ていて楽しいキャラクターでした。
たしか当事者の1人、和田義盛がいる場面でのセリフで、“ばか”で止めずに“場数”と言い換えるのに、三浦義村の要領の良さを感じます。
切れ者で腕も立つだけに、どこか人を見下したような態度をとることも多かった三浦義村。このセリフを持ってくると映えますね。
○その2.源頼家〔演:金子大地〕のセリフ
北条時房〔演:瀬戸康史〕にも、熱心に蹴鞠(しゅうきく)を教えていた、平知康〔演:矢柴俊博〕。
二代将軍・頼家が蹴鞠を辞め、お役御免を告げられます。頼家の放り投げた鞠は、井戸に向かって飛んでいき…

蹴鞠の先生なので、鞠を見捨てられなかった、平知康。体勢を崩し、井戸の底へと落ちそうになり、かろうじてしがみつく。
ここでは井戸に落ちた知康を助けようとする頼家。その場にいた北条義時〔演:小栗旬〕とともに、「縄のようなものを探せ」と大騒ぎをします。
その次の瞬間に、目当てものを見つけて一言。
「縄のようなものは無いが、縄があったぞ!」
○その3.北条時房〔演:瀬戸康史〕の呼称
元の名は、北条時連だった北条時房〔演:瀬戸康史〕。当時の“鎌倉殿”の二代将軍・源頼家から「時房(ときふさ)」の名を与えられます。
その時の北条時政〔演:坂東彌十郎〕と、妻・りく〔演:宮沢りえ〕の反応。
妻・りくが「トキューサ!?」と、すっとんきょうな声を出すところから始まって…本人が、大真面目な顔で「時房です。」と訂正したところに、時政が追い打ち。
「トキューサ、いいと思うよ。」と満足げな表情。
…ここから始まって、後鳥羽上皇〔演:尾上松也〕まで、最終回も「トキューサ」呼びを続けていました。
――以上、記憶頼みで書いたので、おそらく不正確な記述が含まれます。
いろいろご容赦ください。そして、長くなったので、一言でまとめましょう。今年(2022年)大河ドラマ、厳しい時代の話でしたが、面白かったです。
今年(2022年)の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。どう形容すべきか…私にも深い感銘を残しました。12月29日午後は、総集編の放送予定もあるようです。
きっと名作として語り継がれそうな「大河ドラマ」ですので、まとめて振り返っておくことにします。
――まず、この作品で印象に残った、3項目を語ります。
一応、私が書く“本編”は「幕末佐賀藩の大河ドラマが実現したら、こんな感じで見たい!」という趣旨のものです。
ならば「実際の大河ドラマで良いと思った展開は、とても参考になるはず!」という視点で考えます。
ちなみに観る人それぞれに良かった場面はあると思いますので、以下は私の個人的な感想です。
――(1)入れ替わりは激しいが、印象の強い登場人物
殺伐とした源平合戦から鎌倉幕府の創設期が舞台のため、とにかく登場人物が、次々に現れては消えます。もはや、生き残った人はすごい…という感覚。
ただ、それぞれの命尽きる瞬間までに、とても生き様が表現されていて…
・武士の世への志を弟・義時に託した、北条宗時〔演:片岡愛之助〕
・旧来の坂東武士の代表格だった、上総広常〔演:佐藤浩市〕
・妻を想う気持ちで嵐まで呼んだ、阿野全成〔演:新納慎也〕
…このあたりが、その場面の映像とともに、すぐ思い浮かびます。
登場から数回で退場する脇役でも、散り際を印象に残すことも多い同作。
佐賀の“葉隠”の教えではないですが、その最期でどう生きたかを示す。ある意味、「武士道とは、死ぬことと見つけたり…」という作り方に感じます。
――(2)諸説ある展開を、様々な解釈で見られる脚本
鎌倉時代など中世の歴史には、あまり興味が強くなかった私ですが、物語で、ここまで面白く見せられると興味も湧きます。
「北条氏の視点で鎌倉初期を、こう描くか…」と感嘆することしきりでした。
鶴岡八幡宮での、幕府三代将軍・源実朝〔演:柿澤勇人〕への襲撃事件は、その伏線の張り方まで含めて見入ってしまいました。
この結末に行き着く計算で、源仲章〔演:生田斗真〕のキャラクターが描かれていたのか…
あとで史実とされる内容と、ドラマ上での事件の経過を見比べると、ゾッとするような要素もありました。
歴史を描くうえで殺伐とし過ぎた内容を、どう現代のドラマとして表現するか。とても、勉強になりますね。
――(3)重い物語の中で、次々に現れる面白ポイント
ここは、私がまったく真似できなさそうな部分だったので、いち視聴者として…ただ笑ってました。
三谷幸喜さんは、喜劇が得意な脚本家というイメージがあります。個人的に、しばらく笑いのツボに入ってしまった内容も、3つほど語りたいと思います。
○その1.三浦義村〔演:山本耕史〕のセリフ
二代将軍・源頼家〔演:金子大地〕が、典型的な武闘派の坂東武士の2人に、北条時政〔演:坂東彌十郎〕との戦を命じます。
なぜ、この2人が選ばれたのか。三浦義村が、その和田義盛〔演:横田栄司〕と仁田忠常〔高岸宏行〕を評した一言。
「2人とも、ばか…場数(ばかず)を踏んでいる。」
「考えるより動く」感じのこの2人は、とても見ていて楽しいキャラクターでした。
たしか当事者の1人、和田義盛がいる場面でのセリフで、“ばか”で止めずに“場数”と言い換えるのに、三浦義村の要領の良さを感じます。
切れ者で腕も立つだけに、どこか人を見下したような態度をとることも多かった三浦義村。このセリフを持ってくると映えますね。
○その2.源頼家〔演:金子大地〕のセリフ
北条時房〔演:瀬戸康史〕にも、熱心に蹴鞠(しゅうきく)を教えていた、平知康〔演:矢柴俊博〕。
二代将軍・頼家が蹴鞠を辞め、お役御免を告げられます。頼家の放り投げた鞠は、井戸に向かって飛んでいき…
蹴鞠の先生なので、鞠を見捨てられなかった、平知康。体勢を崩し、井戸の底へと落ちそうになり、かろうじてしがみつく。
ここでは井戸に落ちた知康を助けようとする頼家。その場にいた北条義時〔演:小栗旬〕とともに、「縄のようなものを探せ」と大騒ぎをします。
その次の瞬間に、目当てものを見つけて一言。
「縄のようなものは無いが、縄があったぞ!」
○その3.北条時房〔演:瀬戸康史〕の呼称
元の名は、北条時連だった北条時房〔演:瀬戸康史〕。当時の“鎌倉殿”の二代将軍・源頼家から「時房(ときふさ)」の名を与えられます。
その時の北条時政〔演:坂東彌十郎〕と、妻・りく〔演:宮沢りえ〕の反応。
妻・りくが「トキューサ!?」と、すっとんきょうな声を出すところから始まって…本人が、大真面目な顔で「時房です。」と訂正したところに、時政が追い打ち。
「トキューサ、いいと思うよ。」と満足げな表情。
…ここから始まって、後鳥羽上皇〔演:尾上松也〕まで、最終回も「トキューサ」呼びを続けていました。
――以上、記憶頼みで書いたので、おそらく不正確な記述が含まれます。
いろいろご容赦ください。そして、長くなったので、一言でまとめましょう。今年(2022年)大河ドラマ、厳しい時代の話でしたが、面白かったです。
タグ :大河ドラマ
2022年12月24日
第18話「京都見聞」⑰(湖畔の道を駆ける)
こんばんは。
文久二年(1862年)夏。郷里に残した家族の心配をしながら、江藤新平は京を中心に情報収集にあたり、各藩の志士とも交流します。
江藤は、志士として尊王攘夷の運動に加わる様子でもなく、佐賀藩のために、勝手に“偵察”をしていた…という感じのようです。
雄藩の上洛競争が続く中、有力でありながらも秩序を守ることができる佐賀藩が“まとめ役”に立つべきとの想いもあったのでしょう。
佐賀の大殿(前藩主)・鍋島直正が動く日を想定した、江藤の京都での見聞。その行動は周辺の地域にも及んだようですが、わずか数ヶ月の期間でした。

なお江藤は、朝廷・幕府・諸藩の動きなど、質量ともに相当な情報を集めた事がうかがえるも、その間の詳しい行動の記録は、あまり残っていないそうです。
結果から言えば、幕末の文久年間には功を奏しなかった江藤の脱藩ですが、のち明治へと時代が切り替わる、慶応年間には大きい意味を持ってきます。
――パカラッ、パカラッ…湖の傍らに、馬の蹄の音が響く。
ボヘーッ…と、馬が一息をつく。
江藤は鞍から降りると、馬のたてがみを一撫でする。
「しばし、休むといい。」
ボッ…まだ夏場であるので、馬の鼻息も熱い。江藤は、きれいな水の湧く場所で、休息を入れることにした。
眼前には、海の如く大きな湖を望む。近江(滋賀)の琵琶湖である。当地にある彦根藩は、幕府を支える譜代の雄藩として知られた。
ところが、安政七年(1860年)に当時の藩主で、大老を務めた井伊直弼が「桜田門外の変」で落命して以来、彦根藩は動きが定まらぬところがある。

かつて、京都を警備し「安政の大獄」の取締りでも恐れられた彦根藩の存在が薄れたことで、幕府の関係者には、京の街は危険な場所になりつつあった。
〔参照(終盤):第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)〕
――湖畔を走る道。北は越前(福井)につながり、江藤はその帰路にある。
この文久二年(1862年)、幕政に関与しようと薩摩藩(鹿児島)の動きが活発だ。少し前に薩摩の“国父”(藩主の父)・島津久光が江戸へと向っている。
以前は、徳川の将軍候補だった一橋慶喜や、福井藩の松平慶永(春嶽)らを、薩摩藩の進言で幕府の重職に付け、影響力を強めるつもりらしい。
安政五年(1858年)に日米修好通商条約を締結してからの“開国”以来、幕閣への襲撃が続く。徳川の権威は揺らぎ、外様大名の存在感も増している。
いまや「朝廷の命で動いている」という立場を取ることが、各藩にとって重要な意味を持つ。それは政局を有利に運び、身を安全に保つ切り札となっていた。
――こうして、全国の諸藩が京を目指す。
薩摩藩と張り合うのは長州藩(山口)。佐賀を脱藩した江藤新平は、この長州の人脈を通じて、活動の幅を広げている。
また、江藤が関わる公家・姉小路公知を“盟主”とも仰ぎ、連携を求める志士も多い土佐藩(高知)の動きも積極的だ。

遠く東北地方から仙台藩(宮城)。九州地方からは筑前(福岡)や肥後(熊本)の各藩も、次々と京に入る。
いまだ動きを見せぬ、肥前の佐賀藩。大殿・鍋島直正が動く、その時が大事だ。佐賀藩は有力なだけに間違った動きをすれば、大きな混乱が生じる。
「とにかく異人を斬れ」と無謀な攘夷を叫ぶ者、「ただちに徳川を討て」と無理な倒幕を唱える者…京の都には異様な熱気と、様々な陰謀が渦巻くのだ。
――それゆえ京の周辺で、できる限りの情報を得る。
それを佐賀へと伝えること。これは江藤が自身に課した“使命”だった。
都度、手紙を大木喬任や坂井辰之允など、信頼できる佐賀の同志に送るのはそのためである。
「近いうちに閑叟(鍋島直正)さまは動くはず…急がねば。」
馬で京へと駆ける、江藤。琵琶湖の南端に至れば、ほぼ京の入口だ。この時、すでに姉小路公知の信頼を得ており“秘書”のような仕事をしたという。
江藤は、剣術と学問だけをしてきた志士ではない。佐賀藩の“火術方”や“代品方”に務めていたので、技術や貿易の知識もあり、実務にも長じている。
――北陸方面から京に戻ると、姉小路卿が待ち構えていた。
「お役目、確かに果たしました。」
江藤は、何らかの機密文書を届けた様子。状況報告とともに先方の返事を、姉小路の従者に引き渡す。

「ご苦労やったな。そなたに良き知らせがある。」
「はっ。」
すかさず語りかける姉小路。屋敷の庭に控えながらも視線を合わせる江藤。
姉小路も、まだ若い公家である。江藤に伝えたい事がある様子は、その表情からすぐに読みとれた。
「近いうちに鍋島が動くぞ。まことに喜ばしいことじゃ。」
朝廷の呼びかけに応える形で、ついに佐賀藩が…、鍋島直正が京を目指す。
これは、江藤にとっては希望の一報であったが、「さらに急がねばならない」という気持ちも強めることになった。
(続く)
文久二年(1862年)夏。郷里に残した家族の心配をしながら、江藤新平は京を中心に情報収集にあたり、各藩の志士とも交流します。
江藤は、志士として尊王攘夷の運動に加わる様子でもなく、佐賀藩のために、勝手に“偵察”をしていた…という感じのようです。
雄藩の上洛競争が続く中、有力でありながらも秩序を守ることができる佐賀藩が“まとめ役”に立つべきとの想いもあったのでしょう。
佐賀の大殿(前藩主)・鍋島直正が動く日を想定した、江藤の京都での見聞。その行動は周辺の地域にも及んだようですが、わずか数ヶ月の期間でした。
なお江藤は、朝廷・幕府・諸藩の動きなど、質量ともに相当な情報を集めた事がうかがえるも、その間の詳しい行動の記録は、あまり残っていないそうです。
結果から言えば、幕末の文久年間には功を奏しなかった江藤の脱藩ですが、のち明治へと時代が切り替わる、慶応年間には大きい意味を持ってきます。
――パカラッ、パカラッ…湖の傍らに、馬の蹄の音が響く。
ボヘーッ…と、馬が一息をつく。
江藤は鞍から降りると、馬のたてがみを一撫でする。
「しばし、休むといい。」
ボッ…まだ夏場であるので、馬の鼻息も熱い。江藤は、きれいな水の湧く場所で、休息を入れることにした。
眼前には、海の如く大きな湖を望む。近江(滋賀)の琵琶湖である。当地にある彦根藩は、幕府を支える譜代の雄藩として知られた。
ところが、安政七年(1860年)に当時の藩主で、大老を務めた井伊直弼が「桜田門外の変」で落命して以来、彦根藩は動きが定まらぬところがある。
かつて、京都を警備し「安政の大獄」の取締りでも恐れられた彦根藩の存在が薄れたことで、幕府の関係者には、京の街は危険な場所になりつつあった。
〔参照(終盤):
――湖畔を走る道。北は越前(福井)につながり、江藤はその帰路にある。
この文久二年(1862年)、幕政に関与しようと薩摩藩(鹿児島)の動きが活発だ。少し前に薩摩の“国父”(藩主の父)・島津久光が江戸へと向っている。
以前は、徳川の将軍候補だった一橋慶喜や、福井藩の松平慶永(春嶽)らを、薩摩藩の進言で幕府の重職に付け、影響力を強めるつもりらしい。
安政五年(1858年)に日米修好通商条約を締結してからの“開国”以来、幕閣への襲撃が続く。徳川の権威は揺らぎ、外様大名の存在感も増している。
いまや「朝廷の命で動いている」という立場を取ることが、各藩にとって重要な意味を持つ。それは政局を有利に運び、身を安全に保つ切り札となっていた。
――こうして、全国の諸藩が京を目指す。
薩摩藩と張り合うのは長州藩(山口)。佐賀を脱藩した江藤新平は、この長州の人脈を通じて、活動の幅を広げている。
また、江藤が関わる公家・姉小路公知を“盟主”とも仰ぎ、連携を求める志士も多い土佐藩(高知)の動きも積極的だ。
遠く東北地方から仙台藩(宮城)。九州地方からは筑前(福岡)や肥後(熊本)の各藩も、次々と京に入る。
いまだ動きを見せぬ、肥前の佐賀藩。大殿・鍋島直正が動く、その時が大事だ。佐賀藩は有力なだけに間違った動きをすれば、大きな混乱が生じる。
「とにかく異人を斬れ」と無謀な攘夷を叫ぶ者、「ただちに徳川を討て」と無理な倒幕を唱える者…京の都には異様な熱気と、様々な陰謀が渦巻くのだ。
――それゆえ京の周辺で、できる限りの情報を得る。
それを佐賀へと伝えること。これは江藤が自身に課した“使命”だった。
都度、手紙を大木喬任や坂井辰之允など、信頼できる佐賀の同志に送るのはそのためである。
「近いうちに閑叟(鍋島直正)さまは動くはず…急がねば。」
馬で京へと駆ける、江藤。琵琶湖の南端に至れば、ほぼ京の入口だ。この時、すでに姉小路公知の信頼を得ており“秘書”のような仕事をしたという。
江藤は、剣術と学問だけをしてきた志士ではない。佐賀藩の“火術方”や“代品方”に務めていたので、技術や貿易の知識もあり、実務にも長じている。
――北陸方面から京に戻ると、姉小路卿が待ち構えていた。
「お役目、確かに果たしました。」
江藤は、何らかの機密文書を届けた様子。状況報告とともに先方の返事を、姉小路の従者に引き渡す。
「ご苦労やったな。そなたに良き知らせがある。」
「はっ。」
すかさず語りかける姉小路。屋敷の庭に控えながらも視線を合わせる江藤。
姉小路も、まだ若い公家である。江藤に伝えたい事がある様子は、その表情からすぐに読みとれた。
「近いうちに鍋島が動くぞ。まことに喜ばしいことじゃ。」
朝廷の呼びかけに応える形で、ついに佐賀藩が…、鍋島直正が京を目指す。
これは、江藤にとっては希望の一報であったが、「さらに急がねばならない」という気持ちも強めることになった。
(続く)
2022年12月16日
第18話「京都見聞」⑯(“故郷”を守る者たち)
こんばんは。
文久二年(1862年)頃。有力な諸藩だけでなく、尊王攘夷を叫ぶ志士たちも、続々と京に集まった幕末。次第に、不穏な空気が強まっていきます。
この年の夏に、佐賀を脱藩した江藤新平。京の都では、志士として活動したというより、情勢の分析・調査を行っていたようです。
京では朝廷に仕える公家や、それに関わる志士たちから全国の雄藩の動向が掴めるので、情報の収集に務めていました。

それは、西洋を追いかける技術開発には熱心でも、中央の政局からは距離を取っていた佐賀藩には、貴重な情報でした。
江藤は、京都での調査報告を、信頼のおける友人たちに手紙で逐一の共有をしたといいます。
一方で、江藤は地元にいる老親と妻子が、気がかりだったようです。
――佐賀城下。ある寺のお堂にて。
「大木さん、江藤から文(ふみ)が来たそうだな。」
スッとした振る舞いの武士が、開け放しになった扉の表から声をかける。
「おおっ、坂井か。待っとったぞ。」
先に堂内に居た大木喬任(民平)。あぐらをかいて座り、不敵にニッと笑う。
「まだ、封ば空けとらん。“お楽しみ”というやつだ。」
大木も、せっかくの手紙なので、誰かと一緒に読みたかったらしい。
「おいが、一番乗りだったというわけか。光栄だ。」
どことなく気取った感じで言った、坂井辰之允。江藤も信頼を置く人物だ。
――大木は仰々しく、手紙を開封する。
よく手紙を受け取る大木なので、ふだん無口なわりに代読をする機会は多い。
「ほうほう、寝る間も無いほどに忙しく…」
京都で公家や他藩の志士たちと関わり、江藤は見聞を進める様子だ。

「さすが江藤くん、気張っておるようたい。」
坂井は、納得の表情を見せる。
「…ふふっ。やはり、江藤を京に行かせてよかった。」
そして、その脱藩の資金を工面した、大木は得意げである。
いま、西洋の技術に詳しいうえに、朝廷からも幕府からも、一定の信用がある佐賀藩が動けば、混沌とした情勢への影響は大きいと見込まれる。
江藤の脱藩は「そのための下調べを、自らが引き受ける」という想いでもある。
志半ばで斃れた親友・中野方蔵に代わって、“国事”に奔走する気持ちがあるのだろう。

――ここで急に、江藤からの手紙の調子が変わる。
「だが、眠れぬ夜には郷里に残した、老親が思われる。」
大木は読み上げながらも、「…ん?」と少し怪訝(けげん)な表情をする。
江藤が書き連ねる言葉は、志士らしくない文言が続く。
「幼子を抱える妻・千代子の不安は、如何ほどかと案ずる。」
代読を聞いている坂井も、意外な展開だったのか口が半開きである。
「老親、妻子を思えば、夜半に涙を流すこともある。」
江藤新平、京で電光石火の動きを見せるが、家族への心配は強まっている。
脱藩した動機は佐賀のためでもあり、ひいては日本のためという志はあるが、藩の命令で動いていないから、勝手に国元を抜けることは重罪なのだ。

――大木の代読を聞いていた、坂井がそわそわとする。
「…貴兄たちが頼りだ。お助けを願いたい。」
江藤の手紙には、佐賀に残した家族への援護の依頼も綴られていた。
大木は手紙を読み進めていたが、坂井の反応を見て声をかけた。
「急に立ち上がって、どうしたか?」
「いや、助右衛門さんの様子を見てこようかと思ってな。」
「早速に動くか。江藤も、頼む相手はよく見ているようだ。」
江藤の父・助右衛門は、子・新平の脱藩により謹慎を命じられている。何かと不便なこともあるだろう。坂井はそれを察した様子だ。
藩の掟を破ってまで、江藤が挑んだ「京都見聞」。その行動計画は拡大して、京の都に留まらず、大和(奈良)や越前(福井)にも及んだという。
(続く)
文久二年(1862年)頃。有力な諸藩だけでなく、尊王攘夷を叫ぶ志士たちも、続々と京に集まった幕末。次第に、不穏な空気が強まっていきます。
この年の夏に、佐賀を脱藩した江藤新平。京の都では、志士として活動したというより、情勢の分析・調査を行っていたようです。
京では朝廷に仕える公家や、それに関わる志士たちから全国の雄藩の動向が掴めるので、情報の収集に務めていました。
それは、西洋を追いかける技術開発には熱心でも、中央の政局からは距離を取っていた佐賀藩には、貴重な情報でした。
江藤は、京都での調査報告を、信頼のおける友人たちに手紙で逐一の共有をしたといいます。
一方で、江藤は地元にいる老親と妻子が、気がかりだったようです。
――佐賀城下。ある寺のお堂にて。
「大木さん、江藤から文(ふみ)が来たそうだな。」
スッとした振る舞いの武士が、開け放しになった扉の表から声をかける。
「おおっ、坂井か。待っとったぞ。」
先に堂内に居た大木喬任(民平)。あぐらをかいて座り、不敵にニッと笑う。
「まだ、封ば空けとらん。“お楽しみ”というやつだ。」
大木も、せっかくの手紙なので、誰かと一緒に読みたかったらしい。
「おいが、一番乗りだったというわけか。光栄だ。」
どことなく気取った感じで言った、坂井辰之允。江藤も信頼を置く人物だ。
――大木は仰々しく、手紙を開封する。
よく手紙を受け取る大木なので、ふだん無口なわりに代読をする機会は多い。
「ほうほう、寝る間も無いほどに忙しく…」
京都で公家や他藩の志士たちと関わり、江藤は見聞を進める様子だ。
「さすが江藤くん、気張っておるようたい。」
坂井は、納得の表情を見せる。
「…ふふっ。やはり、江藤を京に行かせてよかった。」
そして、その脱藩の資金を工面した、大木は得意げである。
いま、西洋の技術に詳しいうえに、朝廷からも幕府からも、一定の信用がある佐賀藩が動けば、混沌とした情勢への影響は大きいと見込まれる。
江藤の脱藩は「そのための下調べを、自らが引き受ける」という想いでもある。
志半ばで斃れた親友・中野方蔵に代わって、“国事”に奔走する気持ちがあるのだろう。
――ここで急に、江藤からの手紙の調子が変わる。
「だが、眠れぬ夜には郷里に残した、老親が思われる。」
大木は読み上げながらも、「…ん?」と少し怪訝(けげん)な表情をする。
江藤が書き連ねる言葉は、志士らしくない文言が続く。
「幼子を抱える妻・千代子の不安は、如何ほどかと案ずる。」
代読を聞いている坂井も、意外な展開だったのか口が半開きである。
「老親、妻子を思えば、夜半に涙を流すこともある。」
江藤新平、京で電光石火の動きを見せるが、家族への心配は強まっている。
脱藩した動機は佐賀のためでもあり、ひいては日本のためという志はあるが、藩の命令で動いていないから、勝手に国元を抜けることは重罪なのだ。
――大木の代読を聞いていた、坂井がそわそわとする。
「…貴兄たちが頼りだ。お助けを願いたい。」
江藤の手紙には、佐賀に残した家族への援護の依頼も綴られていた。
大木は手紙を読み進めていたが、坂井の反応を見て声をかけた。
「急に立ち上がって、どうしたか?」
「いや、助右衛門さんの様子を見てこようかと思ってな。」
「早速に動くか。江藤も、頼む相手はよく見ているようだ。」
江藤の父・助右衛門は、子・新平の脱藩により謹慎を命じられている。何かと不便なこともあるだろう。坂井はそれを察した様子だ。
藩の掟を破ってまで、江藤が挑んだ「京都見聞」。その行動計画は拡大して、京の都に留まらず、大和(奈良)や越前(福井)にも及んだという。
(続く)
2022年12月12日
第18話「京都見聞」⑮(京の覇権争い)
こんばんは。
再び“本編”に戻ります。文久二年(1862年)夏。佐賀を脱藩し、京都に居た江藤新平は、有力な公家・姉小路公知との接点を得ました。
〔参照:第18話「京都見聞」⑭(若き公家の星)〕
姉小路は、尊王攘夷派の公家として頭角を現していた人物。“同志”の公家には、明治新政府の中枢にいた、三条実美などがいます。
前回、江藤は身分違いのはずの姉小路に対しても、堂々と持論を述べます。この若き公家は、そんな江藤を気に入ったようです。
――京の都、姉小路邸。
「そもそも、徳川の体(てい)たらく、異人におびえて手も出せぬとは。」
奥の座にいる、姉小路卿のもとに、連日のように新しい志士が挨拶に来る。
この頃、各地の雄藩が京都を目指し、まるで“上洛”の競争となっていた。
外交の危機が続き、そして開国をめぐって、通貨や物流など経済的な混乱が生じる。幕府は疲弊し、各地で外国への不満が高まりつつあった。
一方で、江戸期を通じて抑えられてきた、朝廷の権威は高まるばかり。もはや政局の中心は、京に移りつつあった。

――本日の志士も、さらに熱を帯びた声を上げる。
「神州に入り込む、夷狄(いてき)は打ち払い、異人は斬るべきと存ずる。」
来訪した志士は興が乗ってきたのか、威勢よく外国の排斥を唱えた。
「ほほっ…勇ましいことじゃ。」
歳は若いが、公家としての品格がある姉小路。志士たちを惹きつける魅力もある。印象に残って気に入られたいと考えるか、過激な論を叫ぶ者が続く。
「では、江藤はいかがに思う。存念を述べよ。」
ところが、姉小路はくるりと横を向くと、傍に控えていた江藤に発言を促す。
――血気盛んな志士は、江藤の方に目を向けた。
「“攘夷”の気概は、結構と存ずる。」
いつの間にか、姉小路の秘書のような位置に座っている江藤新平。
「そうであろう、貴公もいずこかの武士とお見受けする。ともに立とう。」
新参の志士は、江藤を有力公家・姉小路の側近とみて、近づこうとしている。
「されど、異人を斬って、その後はいかがする。」
「さらに斬って、追い払うのみ!」
「夷狄(いてき)とて人だ。仲間を斬られては黙ってはおるまい。」

――「この男、何が言いたい…」と怪訝(けげん)な表情をする志士。
「船にせよ、砲にせよ。我が国の業(わざ)は、異国の域に達しておらぬ。」
江藤は、整然と言葉を続ける。
「仲間を斬られたとあれば、威をもって貴殿の国元に攻めかかってこよう。」
ここで、志士は激高した。
「貴公は、とんだ腰抜けだな!夷狄(いてき)の砲が怖くて武士が務まるか!」
「武士は勝ち負けに関わらず、命を賭したとして、民はどうする。」
「民とて同じよ。立ち向かうんじゃ。」
――「それは理に合わぬ!」と江藤は、眼前の志士に鋭く言葉を発した。
「帝のためと語りながら、その民を“捨て駒”に使うとは何事か。」
江藤は、続けざまによく通る声を放った。
「まず、敵となる者の力量を知り、その業(わざ)を乗り越えねばならぬ。」
空論ではなく、実力が伴わなければ異国と対峙はできない。急進的な攘夷は、国を危うくする、これが江藤の持論だった。
長崎周辺の警備を担当し、オランダとの交易で技術を取り入れて、列強と向き合ってきた佐賀藩内では、過激な攘夷論は盛り上がらない傾向にあった。

――どのように世界と向き合う力を得るか…それは佐賀の課題だった。
激高した志士も真っ赤になっていた顔から、スーッと冷静に肌色が戻っていく。
「…貴公、京の都に居た者ではないな。どこから来られた。」
たしかに列強に負けない力を備えるのも、“攘夷”の考え方の1つだと言える。この志士には、江藤の言葉を受け止めるだけの度量があったらしい。
「佐賀から来た者だ。」
「…肥前の佐賀か?鍋島の者が、なにゆえ姉小路卿のところに…」
尊王攘夷の急先鋒のはずの姉小路ではあったが、何やら愉快そうに、江藤と、新参の志士のやり取りを眺めていた。
――諸藩の志士たちから、幕府寄りと見られていた、肥前佐賀藩。
この時期、京の都の求心力は右肩上がりである。薩摩・長州だけでなく仙台・肥後・筑前・土佐など雄藩が競って上洛する。
各地の志士たちも続々と京に集まり、不穏な熱気が高まりつつあった。だが、西洋列強の技術をよく知り“近代化”を実践する佐賀藩は、いまだ動かない。
そのため、京の中心で佐賀を示すような江藤の行動は、京に集う志士からも注目されたのである。
(続く)
再び“本編”に戻ります。文久二年(1862年)夏。佐賀を脱藩し、京都に居た江藤新平は、有力な公家・姉小路公知との接点を得ました。
〔参照:
姉小路は、尊王攘夷派の公家として頭角を現していた人物。“同志”の公家には、明治新政府の中枢にいた、三条実美などがいます。
前回、江藤は身分違いのはずの姉小路に対しても、堂々と持論を述べます。この若き公家は、そんな江藤を気に入ったようです。
――京の都、姉小路邸。
「そもそも、徳川の体(てい)たらく、異人におびえて手も出せぬとは。」
奥の座にいる、姉小路卿のもとに、連日のように新しい志士が挨拶に来る。
この頃、各地の雄藩が京都を目指し、まるで“上洛”の競争となっていた。
外交の危機が続き、そして開国をめぐって、通貨や物流など経済的な混乱が生じる。幕府は疲弊し、各地で外国への不満が高まりつつあった。
一方で、江戸期を通じて抑えられてきた、朝廷の権威は高まるばかり。もはや政局の中心は、京に移りつつあった。
――本日の志士も、さらに熱を帯びた声を上げる。
「神州に入り込む、夷狄(いてき)は打ち払い、異人は斬るべきと存ずる。」
来訪した志士は興が乗ってきたのか、威勢よく外国の排斥を唱えた。
「ほほっ…勇ましいことじゃ。」
歳は若いが、公家としての品格がある姉小路。志士たちを惹きつける魅力もある。印象に残って気に入られたいと考えるか、過激な論を叫ぶ者が続く。
「では、江藤はいかがに思う。存念を述べよ。」
ところが、姉小路はくるりと横を向くと、傍に控えていた江藤に発言を促す。
――血気盛んな志士は、江藤の方に目を向けた。
「“攘夷”の気概は、結構と存ずる。」
いつの間にか、姉小路の秘書のような位置に座っている江藤新平。
「そうであろう、貴公もいずこかの武士とお見受けする。ともに立とう。」
新参の志士は、江藤を有力公家・姉小路の側近とみて、近づこうとしている。
「されど、異人を斬って、その後はいかがする。」
「さらに斬って、追い払うのみ!」
「夷狄(いてき)とて人だ。仲間を斬られては黙ってはおるまい。」
――「この男、何が言いたい…」と怪訝(けげん)な表情をする志士。
「船にせよ、砲にせよ。我が国の業(わざ)は、異国の域に達しておらぬ。」
江藤は、整然と言葉を続ける。
「仲間を斬られたとあれば、威をもって貴殿の国元に攻めかかってこよう。」
ここで、志士は激高した。
「貴公は、とんだ腰抜けだな!夷狄(いてき)の砲が怖くて武士が務まるか!」
「武士は勝ち負けに関わらず、命を賭したとして、民はどうする。」
「民とて同じよ。立ち向かうんじゃ。」
――「それは理に合わぬ!」と江藤は、眼前の志士に鋭く言葉を発した。
「帝のためと語りながら、その民を“捨て駒”に使うとは何事か。」
江藤は、続けざまによく通る声を放った。
「まず、敵となる者の力量を知り、その業(わざ)を乗り越えねばならぬ。」
空論ではなく、実力が伴わなければ異国と対峙はできない。急進的な攘夷は、国を危うくする、これが江藤の持論だった。
長崎周辺の警備を担当し、オランダとの交易で技術を取り入れて、列強と向き合ってきた佐賀藩内では、過激な攘夷論は盛り上がらない傾向にあった。
――どのように世界と向き合う力を得るか…それは佐賀の課題だった。
激高した志士も真っ赤になっていた顔から、スーッと冷静に肌色が戻っていく。
「…貴公、京の都に居た者ではないな。どこから来られた。」
たしかに列強に負けない力を備えるのも、“攘夷”の考え方の1つだと言える。この志士には、江藤の言葉を受け止めるだけの度量があったらしい。
「佐賀から来た者だ。」
「…肥前の佐賀か?鍋島の者が、なにゆえ姉小路卿のところに…」
尊王攘夷の急先鋒のはずの姉小路ではあったが、何やら愉快そうに、江藤と、新参の志士のやり取りを眺めていた。
――諸藩の志士たちから、幕府寄りと見られていた、肥前佐賀藩。
この時期、京の都の求心力は右肩上がりである。薩摩・長州だけでなく仙台・肥後・筑前・土佐など雄藩が競って上洛する。
各地の志士たちも続々と京に集まり、不穏な熱気が高まりつつあった。だが、西洋列強の技術をよく知り“近代化”を実践する佐賀藩は、いまだ動かない。
そのため、京の中心で佐賀を示すような江藤の行動は、京に集う志士からも注目されたのである。
(続く)
2022年12月08日
「いろいろと、3周年」
こんばんは。
“本編”を再開したものの都合により、小休止をしていました。
W杯の開催中ですが、とくに4時起きしてスペイン戦を見たりとか、3時近くまで寝ずにクロアチア戦を見たりしていたわけではありません。
日本代表は決勝トーナメント進出も果たして、よく頑張りましたね。あまり試合を観る余力はなかったのですが、いつになく、ニュースが楽しかったです。
そして慌ただしくしているうちに、当ブログを始めてから3周年を迎えました。
――今日も、まとまらない話を綴ります。
今年(2022年)の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、残すところあと2回と聞いています。どんどんダーク(暗黒)になっていく主人公の北条義時〔演:小栗旬〕。
初回には片田舎の好青年みたいなキャラだったのに「いったい何があったの、小四郎(義時)!?」と問いかけたくなるような…
私も視聴者として、その途上で起きた数々の事件を目撃していますので、わからなくは無いのですが…なんだか遠い所まで、来てしまったのですね。

――今年の大河ドラマの脚本は凄まじかった。
私の書く話は、おそらく“脚本”という形式にはなっていないと思いますが、一応は「自分なりの大河ドラマのイメージ」を綴っています。
そのため、純粋にドラマとして見ている視聴者よりは、脚本家・三谷幸喜さんの恐ろしさを感じているのではないかと思います。
あと少しで最終回ですが、とても印象に残りそうな、2022年大河ドラマ。どのような結末を描くのか見届けたいです。
――そんな感じで、今年も残りわずかとなりましたが、
「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」という、私の想いはずっと続いていて、描きたい場面は色々と思い付くのですが、時間と気力が足りていません…
ところで、“本編”では佐賀藩を中心に描くのですが、書き進めるうちに現在の佐賀県そのものの魅力にも気付くところがあります。
その気持ちを表現しきれない、文章力の限界を感じることもよくあります。

※武雄
――以前とは違う、いまの私の目線で、もっと佐賀県を見たい。
先日、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場した俳優さんが『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)という旅番組で、佐賀を訪れるのを見ました。
出演は、北条時政〔演:坂東彌十郎〕の娘婿の1人・平賀朝雅を演じた山中崇さんという方でした。
ドラマでは、時政の妻・りく〔演:宮沢りえ〕と親しく、結構キザな感じで、都風を吹かせる感じのキャラクターでした。
そして、同じ北条時政の娘婿の1人・畠山重忠〔演:中川大志〕の身内を陥れ、やがて戦へと向かってしまうきっかけを作る役回り…

※嬉野
――そんな、好感度の低そうな“敵役”を熱演。
ところが、旅番組での山中さんは感じよく佐賀の人たちと触れあい、コンパクトに佐賀の魅力も伝わる、充実した旅をしていました。
番組のラストでの言葉は「また佐賀に帰ってこよう!」。しかし、山中さんは、もともと佐賀に地縁があったわけではなさそうです。
――これが“底知れぬ”佐賀の魅力なのかも。
その魅力に気付いた人は、訪れるというより、帰ってくる場所になってしまう。おそらく、佐賀にはそのような深いファン層を形成できる要素が多くあります。
番組を見る限り、山中崇さんの場合はサウナとカレーが、その要素のようです。佐賀を巡るうちに、色々と感銘を受けているような場面を見かけました。
豊かな自然と、そこで磨かれた素材の数々…佐賀のポテンシャル(潜在能力)は、相当高いはずです。

※鹿島
――幕末期を描く“本編”では、
「最強クラスの雄藩の1つ、しかも、どう動くかが予測できない」という感覚で、佐賀藩の存在を示せれば、面白いのかなと…考えています。
『さがファンブログ』での活動開始から3周年で、これから4年目に突入しますが、当ブログの行先は、まだ何処へと続くものか…まったくわかりません。
最近、よく更新が止まりますが、いつもお読みいただく皆様には、気長にお待ちいただければ幸いです。
“本編”を再開したものの都合により、小休止をしていました。
W杯の開催中ですが、とくに4時起きしてスペイン戦を見たりとか、3時近くまで寝ずにクロアチア戦を見たりしていたわけではありません。
日本代表は決勝トーナメント進出も果たして、よく頑張りましたね。あまり試合を観る余力はなかったのですが、いつになく、ニュースが楽しかったです。
そして慌ただしくしているうちに、当ブログを始めてから3周年を迎えました。
――今日も、まとまらない話を綴ります。
今年(2022年)の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、残すところあと2回と聞いています。どんどんダーク(暗黒)になっていく主人公の北条義時〔演:小栗旬〕。
初回には片田舎の好青年みたいなキャラだったのに「いったい何があったの、小四郎(義時)!?」と問いかけたくなるような…
私も視聴者として、その途上で起きた数々の事件を目撃していますので、わからなくは無いのですが…なんだか遠い所まで、来てしまったのですね。
――今年の大河ドラマの脚本は凄まじかった。
私の書く話は、おそらく“脚本”という形式にはなっていないと思いますが、一応は「自分なりの大河ドラマのイメージ」を綴っています。
そのため、純粋にドラマとして見ている視聴者よりは、脚本家・三谷幸喜さんの恐ろしさを感じているのではないかと思います。
あと少しで最終回ですが、とても印象に残りそうな、2022年大河ドラマ。どのような結末を描くのか見届けたいです。
――そんな感じで、今年も残りわずかとなりましたが、
「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」という、私の想いはずっと続いていて、描きたい場面は色々と思い付くのですが、時間と気力が足りていません…
ところで、“本編”では佐賀藩を中心に描くのですが、書き進めるうちに現在の佐賀県そのものの魅力にも気付くところがあります。
その気持ちを表現しきれない、文章力の限界を感じることもよくあります。
※武雄
――以前とは違う、いまの私の目線で、もっと佐賀県を見たい。
先日、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場した俳優さんが『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)という旅番組で、佐賀を訪れるのを見ました。
出演は、北条時政〔演:坂東彌十郎〕の娘婿の1人・平賀朝雅を演じた山中崇さんという方でした。
ドラマでは、時政の妻・りく〔演:宮沢りえ〕と親しく、結構キザな感じで、都風を吹かせる感じのキャラクターでした。
そして、同じ北条時政の娘婿の1人・畠山重忠〔演:中川大志〕の身内を陥れ、やがて戦へと向かってしまうきっかけを作る役回り…
※嬉野
――そんな、好感度の低そうな“敵役”を熱演。
ところが、旅番組での山中さんは感じよく佐賀の人たちと触れあい、コンパクトに佐賀の魅力も伝わる、充実した旅をしていました。
番組のラストでの言葉は「また佐賀に帰ってこよう!」。しかし、山中さんは、もともと佐賀に地縁があったわけではなさそうです。
――これが“底知れぬ”佐賀の魅力なのかも。
その魅力に気付いた人は、訪れるというより、帰ってくる場所になってしまう。おそらく、佐賀にはそのような深いファン層を形成できる要素が多くあります。
番組を見る限り、山中崇さんの場合はサウナとカレーが、その要素のようです。佐賀を巡るうちに、色々と感銘を受けているような場面を見かけました。
豊かな自然と、そこで磨かれた素材の数々…佐賀のポテンシャル(潜在能力)は、相当高いはずです。
※鹿島
――幕末期を描く“本編”では、
「最強クラスの雄藩の1つ、しかも、どう動くかが予測できない」という感覚で、佐賀藩の存在を示せれば、面白いのかなと…考えています。
『さがファンブログ』での活動開始から3周年で、これから4年目に突入しますが、当ブログの行先は、まだ何処へと続くものか…まったくわかりません。
最近、よく更新が止まりますが、いつもお読みいただく皆様には、気長にお待ちいただければ幸いです。