2020年03月07日
第5話「藩校立志」⑧
こんにちは。
新型コロナウイルスへの対策のため、小中学校が休校となり、「さがファンブログ」内でも様々な意見を見かけます。
現在では、あって当然の“義務教育”ですが、もともと明治時代に佐賀の人の主導により進められたものです。
今回は、“佐賀の七賢人”(その5)大木喬任(たかとう)が初登場します。
但し、“義務教育”を創った人らしくないエピソードから描きますので、ご容赦のほどを。
――大隈八太郎は、7歳で藩校「弘道館」に通い始めた。
藩士の子弟が通う、年少のクラスである。
「太平記」など軍記物語が効き過ぎて、かつての“甘えん坊”は、すっかり“暴れん坊”になっている。
八太郎たちが“合戦ごっこ”をする。
「そこにおったか!かくご!」
――「ペチッ!パチッ!」と賑やかな音がする。
「ビェ~ン…!!」
八太郎は、「太平記」の英雄・楠木正成に成りきっているので、素早く策を用いる。悪く言えば、わりとズルい攻撃もするので、相手を泣かしてしまうこともあった。
「はちたろう!ひきょうなり!」
大勢で反撃に来る。
「まずい!ひとまず、引くぞ!」
多勢に無勢。逃げ出す八太郎と、その友達。
――大隈の母、三井子は悩んでいた。
「八太郎!なぜに喧嘩ばかり…」
強い子になってほしくて、勇ましい武将の物語を読んだら効き過ぎた。子育ては、数学のようにはハッキリと答えが出ない。
「なむあみだぶつ…」
三井子は、とりあえず幾度か念仏を唱えた。神に祈ったり、仏にすがったり…いろいろ信心深い。
「まぁ、八太郎も男の子だ。喧嘩もするだろうさ。」
父・信保は、弾道計算や火薬調合も担当しており、現代で言えば理系人材。わりと冷静である。
「たまに喧嘩は良いのです!毎日、傷だらけで帰って来るのですよ!誰に似たのだか…」
三井子は“女丈夫”とも呼ばれ「強い女性」としても評判だったらしい。八太郎の気性の荒い部分は、母譲りだったのかもしれない。
――そんな喧嘩ばかりの八太郎の通学路である。
八太郎は、年長の2人の男子が、やや大柄な男の子をからかっているのを目撃する。
「幡六だ…。何やら馬鹿にされておるのか?」
幡六とは、後の大木喬任。
八太郎の6歳年上。母方の親戚であるため、面識があった。
大木幡六は先年、父を亡くしている。何やら、父がいないことを揶揄(やゆ)されているようだ。
いわば小学生が中学生のケンカを目撃している状況。年長者同士の争いに関わるのは無用だ。でも、八太郎には興味がある。物影から見守った。
――と、その時。「ベチッ!!」と鈍い音がした。
大木の右手が、からかっていた相手の鼻っ柱を捉えていた。ほどなく、相手の鼻から血が流れ出る。

――ドシン!
大木は、すかさず相手の着物の前襟をつかむと、そのまま塀まで押し込んだ。そして、右腕と壁で相手の首を挟み、圧迫する。
「…く、苦しい…」
流れ続ける鼻血。壁と右腕に挟まれて、足も浮き上がる。相手は呼吸が難しい。
大木を愚鈍とみて、一緒になってからかっていたもう1人は、完全に戦意を喪失している。仲間を助けに来ようともしない。
――ドサッ!
大木は、これ以上戦う価値すら無いと感じた。壁に押し当てていた右腕を緩め、相手を手前に強く引き倒す。
「ひえっ!」
相手は前のめりで倒れる。鼻血ダラダラである。
――ここまで一切、言葉を発しなかった大木。
大声で一言。
「つまらん!!」
捨て台詞を発して、その場を去る大木。
何も怒りは治まっていないようだった。
「つまらん!つまらん奴ばかりだ。」
――当時の大木幡六(喬任)は、いろいろ強がっていた。
“漢学”の教養が高かった父を、11歳の時点で亡くしたことが、大木の心に影を落としていた。
しかも、大木はあまり口がうまくない。
いくら勉強を積んでも、自在に表現ができず鬱積する一方だった。
そんな大木が、心を熱くする友と出会うのは、数年後になる。
その友とは、佐賀の七賢人(その6)江藤新平である。
――そして、佐賀の七賢人(その7)は、一部始終を物影で見ていたこの子。
「えすか(怖い)けん!幡六とはケンカできんばい!」
大隈八太郎(重信)である。
八太郎たちの賑やかな喧嘩とは全く違い、ただ痛そうな戦い方である。大木とは喧嘩をしないことにした。
これで、本編でも“佐賀の七賢人”の名が出揃った。
…“よそ行き”の言葉と“佐賀ことば”の使い方が難しいが、そこは大目にみていただきたい。
(続く)
新型コロナウイルスへの対策のため、小中学校が休校となり、「さがファンブログ」内でも様々な意見を見かけます。
現在では、あって当然の“義務教育”ですが、もともと明治時代に佐賀の人の主導により進められたものです。
今回は、“佐賀の七賢人”(その5)大木喬任(たかとう)が初登場します。
但し、“義務教育”を創った人らしくないエピソードから描きますので、ご容赦のほどを。
――大隈八太郎は、7歳で藩校「弘道館」に通い始めた。
藩士の子弟が通う、年少のクラスである。
「太平記」など軍記物語が効き過ぎて、かつての“甘えん坊”は、すっかり“暴れん坊”になっている。
八太郎たちが“合戦ごっこ”をする。
「そこにおったか!かくご!」
――「ペチッ!パチッ!」と賑やかな音がする。
「ビェ~ン…!!」
八太郎は、「太平記」の英雄・楠木正成に成りきっているので、素早く策を用いる。悪く言えば、わりとズルい攻撃もするので、相手を泣かしてしまうこともあった。
「はちたろう!ひきょうなり!」
大勢で反撃に来る。
「まずい!ひとまず、引くぞ!」
多勢に無勢。逃げ出す八太郎と、その友達。
――大隈の母、三井子は悩んでいた。
「八太郎!なぜに喧嘩ばかり…」
強い子になってほしくて、勇ましい武将の物語を読んだら効き過ぎた。子育ては、数学のようにはハッキリと答えが出ない。
「なむあみだぶつ…」
三井子は、とりあえず幾度か念仏を唱えた。神に祈ったり、仏にすがったり…いろいろ信心深い。
「まぁ、八太郎も男の子だ。喧嘩もするだろうさ。」
父・信保は、弾道計算や火薬調合も担当しており、現代で言えば理系人材。わりと冷静である。
「たまに喧嘩は良いのです!毎日、傷だらけで帰って来るのですよ!誰に似たのだか…」
三井子は“女丈夫”とも呼ばれ「強い女性」としても評判だったらしい。八太郎の気性の荒い部分は、母譲りだったのかもしれない。
――そんな喧嘩ばかりの八太郎の通学路である。
八太郎は、年長の2人の男子が、やや大柄な男の子をからかっているのを目撃する。
「幡六だ…。何やら馬鹿にされておるのか?」
幡六とは、後の大木喬任。
八太郎の6歳年上。母方の親戚であるため、面識があった。
大木幡六は先年、父を亡くしている。何やら、父がいないことを揶揄(やゆ)されているようだ。
いわば小学生が中学生のケンカを目撃している状況。年長者同士の争いに関わるのは無用だ。でも、八太郎には興味がある。物影から見守った。
――と、その時。「ベチッ!!」と鈍い音がした。
大木の右手が、からかっていた相手の鼻っ柱を捉えていた。ほどなく、相手の鼻から血が流れ出る。
――ドシン!
大木は、すかさず相手の着物の前襟をつかむと、そのまま塀まで押し込んだ。そして、右腕と壁で相手の首を挟み、圧迫する。
「…く、苦しい…」
流れ続ける鼻血。壁と右腕に挟まれて、足も浮き上がる。相手は呼吸が難しい。
大木を愚鈍とみて、一緒になってからかっていたもう1人は、完全に戦意を喪失している。仲間を助けに来ようともしない。
――ドサッ!
大木は、これ以上戦う価値すら無いと感じた。壁に押し当てていた右腕を緩め、相手を手前に強く引き倒す。
「ひえっ!」
相手は前のめりで倒れる。鼻血ダラダラである。
――ここまで一切、言葉を発しなかった大木。
大声で一言。
「つまらん!!」
捨て台詞を発して、その場を去る大木。
何も怒りは治まっていないようだった。
「つまらん!つまらん奴ばかりだ。」
――当時の大木幡六(喬任)は、いろいろ強がっていた。
“漢学”の教養が高かった父を、11歳の時点で亡くしたことが、大木の心に影を落としていた。
しかも、大木はあまり口がうまくない。
いくら勉強を積んでも、自在に表現ができず鬱積する一方だった。
そんな大木が、心を熱くする友と出会うのは、数年後になる。
その友とは、佐賀の七賢人(その6)江藤新平である。
――そして、佐賀の七賢人(その7)は、一部始終を物影で見ていたこの子。
「えすか(怖い)けん!幡六とはケンカできんばい!」
大隈八太郎(重信)である。
八太郎たちの賑やかな喧嘩とは全く違い、ただ痛そうな戦い方である。大木とは喧嘩をしないことにした。
これで、本編でも“佐賀の七賢人”の名が出揃った。
…“よそ行き”の言葉と“佐賀ことば”の使い方が難しいが、そこは大目にみていただきたい。
(続く)