2020年03月24日
第7話「尊王義祭」④
こんばんは。
佐賀の“県の木”はクスノキですね。南北朝時代に軍神と呼ばれた楠木正成。佐賀では古くから敬愛されていた武将だったようです。
前回で枝吉神陽が発見した木像は、江戸時代前期(1663年)に佐賀藩士・深江信渓が作らせたものです。
この“楠公さま”父子の木像が、幕末の佐賀を動かしていきます。
――藩校「弘道館」にて枝吉神陽が、鍋島安房に相談を持ち掛けている。
鍋島安房は佐賀藩の請役(藩政ナンバー2)であり、藩校の責任者でもあった。いわば“校長先生”に直談判をする“国学”の先生・枝吉神陽。
「私は、佐賀の先人から伝えられた“宝物”を見つけました。」
神陽の声は“鐘が鳴る”ようだと評される。聞く者を引き付ける、音色を持って重厚に響く声。
――鍋島安房も、神陽が語る「宝物」に興味を示す。
枝吉神陽は、藩校「弘道館」で、江戸での修業で磨きをかけた“国学”を教授している。とくに“賢い学生”には大人気であることを、安房は熟知していた。
「我らの先達の“宝”があるのか。」
安房はじっくり話を聴こうとする。
「安房様。実は“楠公さま”の像を見つけたのです。」
「おおっ!」
――南北朝時代の物語「太平記」で活躍する楠木正成。

神陽は見つけた木像について説明を続ける。
「“大楠公”と“小楠公”の『桜井の別れ』を表しております。」
「その像は、儂もぜひ見たい!そして“楠公”を祀るなら助力をいたすぞ。」
鍋島安房も、“楠木正成”ファンの様子である。
――なお、楠木正成が、子・正行に別れを告げる『桜井の別れ』は「太平記」の名場面である。
本編では大隈八太郎が、この場面を母から読み聞かせられて、母子2人で号泣している。
そして神陽は、木像の発見を機に「楠木正成父子を讃える集い」の開催を申し出た。
――こうして佐賀の尊王運動の中心「義祭同盟」は、実にあっさりと藩のナンバー2・鍋島安房の内諾を得た。
殿・鍋島直正が、“義祭同盟”について、安房から報告を受ける。
「安房よ。楠公を祀るのは構わんが、目を離さぬようにな。」
「ははっ、心得ました。」
直正は、言葉を続ける。
「そして、見込みのある者があれば、余に申し伝えよ」
「ははっ、抜かりなく。」
――早足で藩校「弘道館」に向かう鍋島安房。やや楽しくなってきたように見受けられる。
直正は、少々、心配そうにつぶやく。
「安房は、人が良いところがあるからのぅ。それに“楠公”びいきであるゆえ…」
――そこに“武雄のご隠居”、鍋島茂義が久しぶりに現れた。その巌のような存在感は衰えていない。

「殿、見込みがある者には、蘭学を学ばせる!とはお伝えいただいたか。」
茂義も50代となったが、相変わらずの“蘭癖”(西洋かぶれ)である。
「いかん、茂義どの!そこまでは言っておらぬぞ。」
「殿っ!そこが大事なところでござるぞ!」
この頃、鍋島茂義は蒸気機関の開発のため、目立たぬように人材集めを進めていた。
「相済まぬ。次は気を付ける!」
小さい頃から遊んでもらっていた“蘭学兄貴”には、なかなか頭が上がらない直正だった。
(続く)
佐賀の“県の木”はクスノキですね。南北朝時代に軍神と呼ばれた楠木正成。佐賀では古くから敬愛されていた武将だったようです。
前回で枝吉神陽が発見した木像は、江戸時代前期(1663年)に佐賀藩士・深江信渓が作らせたものです。
この“楠公さま”父子の木像が、幕末の佐賀を動かしていきます。
――藩校「弘道館」にて枝吉神陽が、鍋島安房に相談を持ち掛けている。
鍋島安房は佐賀藩の請役(藩政ナンバー2)であり、藩校の責任者でもあった。いわば“校長先生”に直談判をする“国学”の先生・枝吉神陽。
「私は、佐賀の先人から伝えられた“宝物”を見つけました。」
神陽の声は“鐘が鳴る”ようだと評される。聞く者を引き付ける、音色を持って重厚に響く声。
――鍋島安房も、神陽が語る「宝物」に興味を示す。
枝吉神陽は、藩校「弘道館」で、江戸での修業で磨きをかけた“国学”を教授している。とくに“賢い学生”には大人気であることを、安房は熟知していた。
「我らの先達の“宝”があるのか。」
安房はじっくり話を聴こうとする。
「安房様。実は“楠公さま”の像を見つけたのです。」
「おおっ!」
――南北朝時代の物語「太平記」で活躍する楠木正成。
神陽は見つけた木像について説明を続ける。
「“大楠公”と“小楠公”の『桜井の別れ』を表しております。」
「その像は、儂もぜひ見たい!そして“楠公”を祀るなら助力をいたすぞ。」
鍋島安房も、“楠木正成”ファンの様子である。
――なお、楠木正成が、子・正行に別れを告げる『桜井の別れ』は「太平記」の名場面である。
本編では大隈八太郎が、この場面を母から読み聞かせられて、母子2人で号泣している。
そして神陽は、木像の発見を機に「楠木正成父子を讃える集い」の開催を申し出た。
――こうして佐賀の尊王運動の中心「義祭同盟」は、実にあっさりと藩のナンバー2・鍋島安房の内諾を得た。
殿・鍋島直正が、“義祭同盟”について、安房から報告を受ける。
「安房よ。楠公を祀るのは構わんが、目を離さぬようにな。」
「ははっ、心得ました。」
直正は、言葉を続ける。
「そして、見込みのある者があれば、余に申し伝えよ」
「ははっ、抜かりなく。」
――早足で藩校「弘道館」に向かう鍋島安房。やや楽しくなってきたように見受けられる。
直正は、少々、心配そうにつぶやく。
「安房は、人が良いところがあるからのぅ。それに“楠公”びいきであるゆえ…」
――そこに“武雄のご隠居”、鍋島茂義が久しぶりに現れた。その巌のような存在感は衰えていない。

「殿、見込みがある者には、蘭学を学ばせる!とはお伝えいただいたか。」
茂義も50代となったが、相変わらずの“蘭癖”(西洋かぶれ)である。
「いかん、茂義どの!そこまでは言っておらぬぞ。」
「殿っ!そこが大事なところでござるぞ!」
この頃、鍋島茂義は蒸気機関の開発のため、目立たぬように人材集めを進めていた。
「相済まぬ。次は気を付ける!」
小さい頃から遊んでもらっていた“蘭学兄貴”には、なかなか頭が上がらない直正だった。
(続く)