2021年08月30日

第16話「攘夷沸騰」⑫(“錬金術”と闘う男)

こんばんは。
長崎警護の役目上、オランダとの接点が強く“蘭学”が盛んだった佐賀藩。『遣米使節』から帰国した、佐賀藩士たちの影響で“英学”へと展開していきます。

とくに“学ぶ道具”である英語そのものの導入に功績があったのが小出千之助。「を振り回す事よりも、猛勉強で時代を拓く」のが佐賀のスタイルなのでしょう。

洋行帰りの小出の話。大隈八太郎重信)は、ある幕府官僚の苦闘を知ります。


――小出は、帰国するや否や“英学”の必要を熱く語る。

早くも影響される、大隈八太郎重信)。地道な勉強は流儀に合わないようだが、すでに蘭学寮では、指導する立場だ。

「皆、聞いたか。世界は動いとるばい!」
大隈が、寮の一同を煽(あお)る。こういうところは、昔から気性が変わらない。

立ち上がる大隈に、小出は右掌で軽く“抑えて抑えて”とジェスチャーを送る。



――その“サイン”に気付く、大隈。

「…落ち着いて聞かんばね。」と、ひとまず座った

小出が軽く咳払いをして、語りだす。
「順を追って語るべきなのかもしれんが、私が語りたいのは“東海岸”のことだ。」

「…東海岸?」
目を見合わせる蘭学寮の学生たち。オランダは詳しいが、アメリカに少し疎い。

「失敬。“米国”は東部を主たる地域として、著しい発展をしている。」


――先輩・小出は、アメリカで受けた衝撃を語った。

張り巡らされる電線、大地を駆ける鉄道。幕末の日本人には“近未来”の世界。

「“エレキテル”の線が町中に…、そいぎ“陸蒸気”も走っとるとですか?」
「そうだ。双方とも…まだ佐賀では“試み”の物ばかりだ。」

日本では近代化のトップランナー・佐賀藩は、電信機の試作品、蒸気車の模型を製作済みだが、実用化はまだ遠い。

「ご公儀(幕府)の方々は、当地で“海軍の工場”もご覧になった。」
遣米使節幕府役人の中でも、その才能が際立つ小栗(おぐり)忠順がいた。

アメリカ出発時の大老・井伊直弼小栗を使節に抜擢したと言われる。のちに“小栗上野介”としても名を知られる人物だ。



――米国の工場では、蒸気機関が運用されている。

様々な製造ラインが稼働し、精密な金属部品に至るまでを量産していたという。小栗は“近代化”の目標として、工場で土産にもらった“ネジ”を持ち帰っている。

「海軍の工場…?佐賀の“精錬方”のごたですか。」
「私の見聞きしたところによると、格段の差がある。」

有明海に接した“三重津海軍所”でも、佐賀藩精錬方(せいれんかた)の工場が、リベット(鉄鋲)など船の精密部品を製作していた。

だが、幕末の日本では最先端でも、アメリカ産業化には遠く及ばない。


――ここで先輩・小出は、急に“ひそひそ話”になった。

「それにだな、小栗さまは“ある折衝”をなさっていた。」

「何の“談判”ば、なさったとですか。」
皆に話を聞くよう呼びかける大隈だが、最も“前のめり”に小出に質問する。

「…大隈お主だけ、あまりにも近いぞ。“ディスタンス”を取れ。」
「“ディスタ”…?よう、わからんばってん、少し後ろに下がったらよかね?」

アメリカに渡った佐賀藩士たちが、語学産業医術…など各々の領域で情報を集め回っている頃。
〔参照:第15話「江戸動乱」③(異郷で見た気球〔バルーン〕)



――“攘夷”の風潮にもつながる問題があった。

幕府の目付小栗忠順は、アメリカ外交の舞台に望んでいた。

「それはのだな…交換の歩合だ。」
先輩・小出の切り出した話題。金銭の勘定(計算)に疎い学生は渋い顔。

しかし、大隈は“理系”だった信保から受け継いだ才能か、数字には強い。

江戸期の日本は金貨(小判)に対する銀貨(一分銀)の交換比率は海外とほぼ同じだが、貨幣の金属の含有量では、に対するの価値が高い設定だった。

鎖国中は良かったが、開国後にこれが問題を生じる。外国の銀貨に比べ、金属を節約していた日本の銀貨(一分銀)は3分の1の値打ちと取り決められた。


――これが、日本の通貨を危機に陥れる。

外国の商人たちは、日本で自国の銀貨を両替し、金貨(小判)と交換するだけで、海外では3倍の銀貨を得られた。まさに“錬金術”で、大儲けができるのだ。

こうして開国後に、日本から海外へとが大量に流出。大急ぎで小判に含まれるの量を落とすが、貨幣制度は大混乱となった。

通貨のみならず、輸出入の急拡大で物価も乱高下、流通にも問題が生じた。

異人のせいじゃ!公儀(幕府)のせいじゃ!」と怒り出す者は多数いる。不満は世の中の空気となり、幕府にも異国にも向けられ、“尊王攘夷”は加速した。


――幕府は、開国後の“経済”の制御に苦慮。

外国人への襲撃事件が次々発生し、さらに幕府は窮地に陥る。小栗忠順は、アメリカでの通貨交渉で事態の打開を図った。

小栗金属の量などの実験をふまえ理路整然と主張する。現地の新聞でも評価されるほど見事な交渉だったというが、問題の解決にまでは至らなかった。

「やはり英語で談判するなら、直に話せた方がよかごたね…」
海外から帰った先輩に聞けるだけ話を聞く、大隈八太郎。腕を組み、“うむうむ”と頷(うなず)いていた。


(続く)




  


Posted by SR at 22:04 | Comments(0) | 第16話「攘夷沸騰」

2021年08月28日

第16話「攘夷沸騰」⑪(“英学”の風が吹く)

こんばんは。通算400件目の記事は、“本編”に戻ります。

第1部ラストで描いた『桜田門外の変』は1860年(安政七年・万延元年)の出来事。この年の初め、幕府の『遣米使節』はアメリカに向け、太平洋に船出。

それから8か月ほど経過、同行した佐賀藩士たちも世界一周して帰国します。


――佐賀城下の“蘭学寮”。

そわそわと落ち着かないのが、大隈八太郎重信)。
「…小出さんが帰って来らすばい。」

そがんですか!」
オランダ語西洋の文物を学ぶ、蘭学寮の学生たちが明るい表情を見せる。

「そうたい!あの小出さんが、我らの元に戻ってくるばい!」
嬉しそうな学生たちを超える、笑顔を見せる大隈


――見るからに、上機嫌の大隈、その理由。

ここしばらく、大隈は地道に“蘭学”を学ぶため、オランダ語辞書にらめっこだった。大隈は勉強した。真面目にコツコツと。

…しかし、それは大隈らしい学問の方法ではない。
〔参照(後半):第13話「通商条約」⑨(嗚呼、蘭学寮)

賢い先輩・同級生らを見つけて“良いとこ取り”。すみやかに要点を掴む事こそ、大隈の勉強法というところがあった。



――言うなれば、スピード重視の“速習型”。

佐賀藩内にその名が聞こえた、オランダ語の遣い手・小出千之助の帰国。
〔参照(終盤):第14話「遣米使節」⑬(アメリカに行きたいか!)

これで書物の翻訳よりも、書いてある内容の理解に時間がかけられる。大隈表情が緩むのも当然のことだった。

ジェントルマン…いや、失敬(しっけい)。諸君、いま佐賀に戻った!」
いかにも洋行帰り小出千之助が姿を見せた。

太平洋を渡り、アメリカの西海岸から東海岸に抜け、大西洋を経て世界一周。そして、堂々の佐賀帰藩である。


――ざわめく“蘭学寮”の若手。

もはや指導者になっている、大隈八太郎が場を仕切る。
小出先生。無事のお戻り、何よりにござる。」

「…よせ、仰々しいご挨拶は、大隈らしく無いぞ。」
小出も久々に佐賀に帰った。皆の歓迎まんざらでもないが、照れくさそうだ。

「また、“蘭学”ば教えてください!」
オランダ語に長じた小出の復帰で、学問が進むだろうという期待が見える。


――大隈の「“先輩”に頼りますよ」という宣言だ。

「ウィ ニード トゥ ラーン ハード…イン エングリッシュ
そこで突如、小出耳慣れない言葉を発する。

「なんね…?」
「…オランダ語じゃ無かごた。」

小出さん、そん言葉は新しか…なんば言いよっとね?」
若手たちがざわざわし続ける中、大隈が身を乗り出して尋ねる。



――そこで、小出は学生たちを見回して一言を発す。

「今から申すことは、殿にも言上(ごんじょう)している。」
殿鍋島直正にも、報告した“重大事”らしい。一同が耳を傾ける。

、よく聞いてほしい。もはや世界の知識は“英語”にて得られる。」
文字通り“蘭学”に心血を注いでいる、寮の若手たちに衝撃が走った。

「もっと言おう。“蘭学”のみでは、時勢に後れを取ると。」
小出はその目で見たのだ。鉄道電線が縦横に走る、近代化の進んだアメリカ東海岸の姿を。


――よほど意表を突かれたのか、口が開いたままの者も。

「…“世界”では、そがんに英語が広がっとね。」
「エゲレス(英国)とメリケン(米国)の言葉を学び直さんばならんか…」

飛び交う“佐賀ことば”。世界の旅から戻った小出には、懐かしい響きだ。

とりわけ、大隈の頭の切り替えは早かった。
「よし、小出さんから今度は“英学”を学ぼう!」と、あっさり決意する。

佐賀藩英学の祖”…と位置づけられる小出千之助日本近代化に果たした役回りも大きいのだが、それはこれからの話である。


(続く)





  


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2021年08月26日

「スケジュールの合わんばい!(第16話・場面解説②)」

こんばんは。
よくご覧の方はお気づきでしょうか。このところ投稿のペースが落ちています。

私の書く話は、ある意味で“仕事のストレス”を燃料として展開します。現在は、“燃料”の供給過多と言っても良い状況であり、進むものも進みません。


――もがきながら、書き続けた…

当ブログの記事数も、もうすぐ400本

本日は「幕末佐賀藩大河ドラマ」のイメージを求めて“ボツ企画”も量産し、時に辻褄が合わない話も“強行突破”している実態を少しご紹介したいと思います。



――では、第16話「攘夷沸騰」を例に…

まず“物語”の1つの軸になっていきます、親友3人の場面から。ここでの3人と言いますと、大木喬任江藤新平、そして中野方蔵です。

本編”では、中野が「我ら三人が揃って“国事”に奔走しよう!」とよく語ります。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」③(旅立つ友へ)


――しかし、実際のところ…

中野方蔵は、もっと突き抜けた言葉を残していて「三人此世に生を受けたるは、日本に授けたる所」とまで語ったそうです。

この3人の場合は実力も伴っているのですが、何だか「若者らしくて良いな!」と思いました。私の描き方は、少し控え目に過ぎるのかもしれません。


――本日の主題はそこではなく、

1860年(安政七年・万延元年)当時の、江藤新平役職についてです。

先ほど参照した話()では、江藤はすでに佐賀藩貿易部門・代品方に就いている前提で書きました。

史実では、この頃だと“火術方”か、上佐賀代官所に務めたようです。直前の話(⑩)では史実に寄せて、貿易の職務にはまだ就いていない設定にしています。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑩(英国船の行方)



――なお、伊万里湾に面する高台に来ている江藤

このエピソードは江藤だけでなく、助右衛門貿易部門に務めたことがあり、江藤自身も伊万里に立ち寄った履歴があるという資料からの想像の産物です。

賑わう伊万里の港で、のちに新時代を築く才能の片鱗を見せる展開を描いてみたかったのですが、今のところ、このぐらいにしておきましょう。


――第16話の主要年代は1861年(万延二年・文久元年)。

副島種臣江戸に出たのはこの年では少し先取りして描いています。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑨(玉石、相混じる)

なるべくダイナミックに描きたいのですが、「史実創作のバランス」が気になるところ。“真似事”をしてみてわかりますが、歴史を描くって難しい…

ちなみに“佐賀県”の歴史に詳しい方は、第16話「攘夷沸騰までの展開で、私が“何の事件”を中心に描こうとしているか、既にお分かりかもしれません。

第16話すら、いつ完了できるか…という状況ですが、気長にお読みいただければ幸いです。



  


Posted by SR at 22:21 | Comments(0) | 企画案・雑記帳

2021年08月23日

第16話「攘夷沸騰」⑩(英国船の行方)

こんばんは。
先だっての豪雨。とくに「佐賀県嬉野市で…」と繰り返し報じられた降雨量。今回は、最も雨の降っていた嬉野にもエールを送りたく、あの“忍者”が帰ってきます。

江戸で活動する親友中野方蔵に対して、佐賀で下級役人暮らしの江藤新平。3年ほどの間に火術方から上佐賀代官所貿(代)品方と次々と転任します。

私の調べでは、その理由まではたどり着けていません。のちに“貿易部門”に就くことから着想を得て、陶磁器の積出港・伊万里周辺の舞台設定を試みます。

幕末から明治に時代が移る時、卓越した調査能力を発揮した江藤。それは天性の“才能”だったのか、あるいは…



――伊万里湾に面した、とある高台。

樹木の向こう側に、かろうじて外海が望めるかという立地だ。

「それっ…頑張らんね。」
檄(げき)を飛ばすような、声がする。

シュッ…シュッ…、届きそうで届かない目標。

空を切る右腕。いや、前足と言うべきか。一匹の雉(きじ)猫が、差し出される“猫じゃらし”に向かって、突進空振りを繰り返している。


――軽く“猫じゃらし”を揺らす、中年の男性。

野良着に身を包んだ、その男。昼日中からネコと遊んでいる。

しかし、ネコは真剣そのもの。手が届くと思いきや、その刹那(せつな)に、猫じゃらしは消える。ズササッ…と滑り込むも、また目標を外した。

「そがんね。そいで、終わりとね…?」
その中年が声を掛ける。キジ模様のネコはあきらめない。


――ダッ…、そこから伸び上がり飛ぶ。

バッ… 一瞬、宙に浮かぶネコ。今度は、猫じゃらしに届いた。
そいでこそ、“さがんねこ”たい!」

ネコ頑張りを褒める中年は、嬉野の忍者古賀である。佐賀蓮池支藩だが、あえて武士らしい身なりはしていない。

…傍らには“猫じゃらし”をその手に掴み、得意気な雉(きじ)ネコ


――その様子を見ていた人物が1人。

良きものを見せてもらった。諦(あきら)めぬ心が肝要ということか。」
よく通る声が響く。姿を見せたのは、江藤新平である。

「…そうたい。何事もあきらめてはならんばい。」
お尋ねしたい。ここから“黒船”を見ておらぬか。」

古賀には声の主に覚えがあった。“火術方”の門前にいた若者だ。
〔参照:第14話「遣米使節」⑤(火術方への“就活”)



――この佐賀藩士も、また“異国船”の動きを見にきたか。

佐賀蓮池藩からの任務でイギリス船を見張ってきた、嬉野の忍者古賀
〔参照:第14話「遣米使節」③(嬉野から来た忍び)

「“黒船”というのは、異国の船だ。些細(ささい)な事でよい。見て居らぬか。」
相変わらず、まっすぐな印象だ。

英国の船なら沖の方に時折、回っとるばい。そろそろ現れてもおかしくなか。」

古賀は、そう語った。このところイギリス対馬海峡の付近を測量している。ここでの地形の把握は、“野心”の現れとみてよい。


――江藤は、“嬉野の忍者”古賀と目を見合わせる。

貴殿何処(どこ)かでお会いしておらぬか。ただ者ではないとお見受けする。」
おいは、ただ者(もん)ばい。」

古賀は、そう言葉を返す。いつの間にかネコの手に“猫じゃらし”が無い。そして、“さがんねこ”の再挑戦も始まっている。

お役人さん。見たところ、あん(あの)は対州(対馬)に向こうとるばい。」



――古賀の言葉に、沖合を鋭く見つめる江藤

対馬方面へと進むイギリス船の影。“ネコと戯れる野良着の男”の言う通りだ。

英国も動きを見せている。このような“物見”に甘んじていて良いのか。」
親友中野は、江戸で将来の“国の形”を見定めようと行動を始めている。

江藤くん、一緒に“国事”を動かそう!」と、期待してくれる中野。何かと言えば、大木喬任民平)と三人でつるんできた。

いまやの背中さえ遠く感じる。下級役人日々は“使い走り”ではないか。


――少しでも、中野に追いつかねば。

友との約束”を果たすためにも、佐賀藩内で重要な位置に就かねばならない。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」③(旅立つ友へ)

「ご貴殿は、異国船に詳しい方とお見受けする。」
兄さん目の前ば見んね。まず伊万里の港には、心配の無かごた。」

「そいぎ、よか事を教えるけん。耳ば貸さんね。」
江藤想いが伝わるのか、“忍者”にあるまじき親切さを見せる古賀であった。

(続く)





  


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2021年08月20日

第16話「攘夷沸騰」⑨(玉石、相混じる)

こんばんは。
豪雨の影響が気になる中で、佐賀も例外ではない新型コロナの感染拡大。

いろいろと心が折れそうなことも多いですが、“本編”を再開します。先は見えずとも、一途に、頑固に続ける…これも「“佐賀の者”の誇り」なのかもしれません。

さて、殿様は佐賀に戻りましたが、江戸では“勤王”を志す佐賀藩士中野方蔵が活動します。大木喬任江藤新平親友で、頭の回転の速い“優等生”です。


――ある江戸の“私塾”の庭先。

そこに佐賀藩士の姿があった。江戸にいた中野方蔵が、儒学者で尊王思想家・大橋訥庵(とつあん)の塾を訪れたのだ。

庭先では、若者たちの威勢の良い声が響く。

「“水戸烈公”を崇めよ!“尊王”の御心は、我らが果たす!」
「そうじゃ、英明なる一橋さまを押し立て、我らは“攘夷”に突き進むのじゃ!」



――もはや“神格化”されている水戸藩の徳川斉昭。

その水戸烈公一橋慶喜への熱すぎる期待の声も高まる。集う若者たちは血気盛んである。

「…己の頭にて、考えておらぬ者も、かなり居そうだな。」
辺りの様子を伺う中野は、佐賀親友たちと彼らを対比する。

大木にせよ、江藤にせよ…自分の頭で考える。時に持論を曲げないほどに。
佐賀の者は、頑固だからな…」

人から聞いた言葉に素直に流される若者たち。とても“純粋”なのかもしれぬ。頑固な友達2人を思い、中野は少し可笑しく感じた。


――しばし月日は流れ、江戸の佐賀藩邸にて。

副島先生!お越しになったのですか。」
中野方蔵大木江藤だけでなく“義祭同盟”の先輩副島種臣とも親しい。

中野くんも息災である様子。どうだね、お望みだった江戸は。」
「まず、人の多かところにございますね。」

しかし、その言葉を述べた中野は、すっかり江戸に馴染んでいる風だ。


――地方から都会に出て来た若者…の姿ではない。

まず佐賀藩で重要な地位に就き、全国に広げた人脈で「朝廷に皆が集う日本」へと変えていく…中野にとって、江戸での動きはその一歩に過ぎない。

江戸詰めの藩士たちに学問を教えるため、佐賀から出てきた副島種臣実兄枝吉神陽と一緒だと次郎に戻ってしまうが、堂々たる学者の風格がある。

京都公家から佐賀藩への出兵工作に関わって謹慎となったが、何とか許されて江戸まで来た。
〔参照(前半):第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)



――佐賀の「義祭同盟」には、“秘密結社”の側面もある。

中野くん、江戸市中の“私塾”はどのような具合か。」
尊王の機運、大いに盛り上がっております。有為の者を見つけて、つなぎを取っていくのが良策かと。」

「私は先だっての一件もあって、あまり目立った動きは出来ぬ。」
副島先生、そこはお任せください。」

今まで、親友たちが呆れるほど行動力積極性を見せてきた、中野方蔵1年ばかりも時間があれば、充分に人脈は作っている。


――交流のある、儒学者・大橋訥庵の私塾の様子も語った。

そこに集まる者には思想も深めずに“尊王”を唱え、異国を考えずに“攘夷”を叫ぶ。そんな志士も数多くいる。

…ただ、その熱量は侮れない。“破壊”には、思慮深さは要らないのだ。

を兼ね備える者も、“時折は”居りますゆえ。」
中野方蔵は先輩・副島とも親しい。いつも友達に見せるような表情を浮かべる。


――江藤新平副島に紹介したのも、中野だった。

こうやって人と人をつないでいく。しかも要領の良い、中野のことだ。何か算段があるような、少し含みのある笑顔だ。
〔参照(前半):第7話「尊王義祭」③

「“玉石、相混じる”…といったところか。」
副島は、軽挙に走りそうな“志士たち”の存在を少し憂慮した。その時、中野に“警句”を発しなかったことは、後に悔いとなっていく。


(続く)





  


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2021年08月17日

「励まし方も、人による(第16話・場面解説①)」

こんばんは。
私は通勤時間を、よく幕末佐賀藩に関連した調べ物に充てますが、ここ2日間ばかりは、ぼんやりとしていました。記録的な豪雨ののちも、九州に降り続く

「…止まない雨は無い。明けない夜も無い。」
たしかにそうなのですが、気掛かりは続きます。何か救いはないものか。

佐賀がピンチに陥っている今でも、私は答え佐賀に求めることになります。


――そんな今日は、苦境にある人への“励まし方”の視点から考えました。

まず、“本編”の第16話「攘夷沸騰」の2回目初登場。江戸時代、佐賀の支藩の1つだった小城の上級武士・富岡敬明。本日の「励まされる人」です。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」②(小城の秘剣)

本編に”前振り”もなく登場したので「だったかね?」と思った方もいるでしょう。実は、私も佐賀の歴史について、調べ始めるまでは知らなかった方です。

のちに活躍する山梨県熊本県内の方が知名度は高いかもしれません。まず、江藤新平との“関係性”を表現したくて、道場で打ち合う場面から始めました。



――剣術道場で、ぶつかり合う2人ですが…

江藤が、この富岡という人物を評価しているのは伝わったでしょうか。詳しくは“本編”で描く予定なのですが、この2人の“関係性”を一言でいえば…

施(ほどこ)されたら、施し返す…、恩返しです!」という関係に思えるのです。

少し前のテレビドラマ『半沢直樹』で聞いたフレーズ。つい、香川照之さんの表情が浮かんでしまうのですが、ここは“言葉”だけを見てください。
〔参照:「“半沢直樹”の変わった見方」


――第18話「京都見聞」辺りで描きたいのが…

富岡が、窮地に陥った江藤に手を差し伸べる場面。おそらく江藤は、これに恩義を感じます。

それから2年ほどが経過し、小城藩内で起きた“ある事件”に関わって首謀者とされた富岡敬明。現在でいうと伊万里市の一部に、当時の小城藩飛び地があるのですが、そこに幽閉されます。


――やや出典が不確かな話も混ざっていますが…

助命を求める声は多かったのですが、富岡が処刑を免れたのは、その当時は、ご隠居(前藩主)になっていた鍋島直正の“鶴の一声”が要因だったそう。

こうして富岡は、小城藩領だったという伊万里久原に留め置かれます。ある日、そこに現れたのが、江藤新平だったそうです。

江藤は、佐賀藩貿易の仕事にも就いていましたし、陶磁器の積出港・伊万里近辺にも土地勘があったのかもしれません。

そこに居たのは、もはや“自由の身”ではない富岡。そこで江藤が“恩人”に対して取った行動は…



――突如として、“剣舞”を始める、江藤

その時の江藤に出来ることは、道場の“先輩”だった富岡に会いに行って、直接励ますことだったのでしょうか。

囚われの身である“恩人”を励ますために、一心不乱舞う江藤新平
「そういう一面もあったのか…」という気もしますが、ぜひ、描きたい場面です。


――のちに富岡敬明は、赦免(しゃめん)されることに。

ここには、江藤だけでなく島義勇らの嘆願もあったそうです。

そして、明治の新時代には、“伊万里県”から山梨県熊本県の発展のために力を尽くし富岡の手腕で拓いた“功績”は、現在も各地に残ります。

小城出身の偉人。富岡敬明さま。「知ってましたよ」という方はともかく、以前の私のようにご存じでなかった方。

第2部重要人物なのですが、“本編”での登場の頻度は未知数です。また次の機会まで、記憶に留めていただけると幸いです。






  


Posted by SR at 23:22 | Comments(0) | 企画案・雑記帳

2021年08月14日

「青天を願う」

こんばんは。今日は投稿するかどうか迷いました。

当ブログをお読みの方には現在、普段の生活ができない方も多いはず。他地域にいる私にも報道や親族からの情報で一定の状況は見えますが、あえていつもの調子で書きます。

ちなみにタイトルでは、今年の「大河ドラマ」を引き合いに出していますが、今回は内容的には何も関係が無いです。あわせてご容赦ください。

少しでも早く、佐賀日常を取り戻すことを願って。


――佐賀からは、遠方に住む私。

全国ネットを通じ、続々と突きつけられる郷里・佐賀水浸しになっている映像。

もし平時に、これだけ佐賀特集があったなら、私は「ついに来るべき時が…、“佐賀の時代”が還ってきた!」とか、大騒ぎするところだ。

…思い起こせば、詳細な気象予報を調べる前から、嫌な予感は漂っていた。


――前回の記事を入れた2日前。深夜。

すでに佐賀駅のホームには、叩きつけるような強い雨

テレビから感じ取れるのは、“佐賀豪雨”の記憶。
「マズい…これは、まずいぞ。以前と同じ気配がする。」

今のところ私にできることは身内と、親しみを覚える皆様を心配して、できる限り佐賀無事を願うことぐらいだ。


――2年ほど前、まだ佐賀に帰れた頃。

その時に体感したのが、今の佐賀に降る“豪雨”の片鱗だった。2年前と言えば、令和元年8月の豪雨災害が想い出される。

私は都会暮らしに緩み切って、軟弱となっているのか。偶然に受けた、現代の“佐賀の雨”の威力に驚愕した。

大粒…しかも叩きつけるようだ。やはり、自然の力には勝てんな。」

大都市圏に居ると、まるで自然に勝ったかのような錯覚をして、人は油断をしていくのかもしれない。短時間ではあったが、目の覚めるような“厳しい雨”だった。



――そして、今日。

いかに大自然脅威とはいえ、常軌を逸した雨の降り方が報じられる。

テレビから聞こえてくるのは「数十年に一度の豪雨」「平年なら1か月分の雨が、これほど短時間に降っています」

…最近、豪雨があるたびに、そのようなフレーズを聞く気もする。それだけ“異常気象”が続いているのか。

報じられる映像は、まるで“水攻め”に遭ったような故郷の姿。そして、腰まで浸かるほどになった“道路だったところ”を歩く人々。

「うっかり“水路だったところ”に行くと、いきなり足が沈む!」と注意が促される。そして、「棒状のもので、底を確認する。」ように呼びかけがなされていた。


――まだ冠水が、そこまで激しくなかった昨日。

テレビの映像に出たのは、“佐嘉神社”前の通りだったろうか。

が溜まって走りづらい車道だったが、皆、周囲をよく見ている様子だった。譲り合って運転が行われている風景が映っていた。

災害時に大切なのは、パニックにならず冷静であることらしい。
「きっと佐賀には、そういう力は…ある。」

このレベルのだと、佐賀だけが避けられればよいわけでもない。同じ地域に、雨雲が長く留まらないことを望みたい。
そして、青天を強く願うものである。




  
タグ :佐賀


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2021年08月12日

第16話「攘夷沸騰」⑧(麗しき佐賀の日々)

こんばんは。
九州大雨全国のニュースでも報じられており、そこには強い雨が降る佐賀の映像も。皆様、くれぐれもお気をつけて

現在、“本編”は1860年(万延元年)初夏頃のイメージで話を展開しています。

この時期には、老中安藤信正らが中心となり、若き将軍徳川家茂の正室に、天皇和宮を迎えるという算段が始まります。

幕府朝廷の力を頼る“公武合体策”で、難局を乗り越えようとします。一方で、“桜田門外の変”以降、“尊王攘夷”の志士たちは勢いづいていました。


――江戸の川越藩邸。

佐賀殿鍋島直正が、愛してやまない長女貢姫川越藩主の正室である。から届いた手紙を開く。

以前から、嫁いだを心配するからの書状は時折、手元に来ているが、今回は「江戸を抜けて、兵庫の港より佐賀に帰ります…心配無きように」とある。

「…お父上様。よくぞ、ご無事で。」
から娘への気掛かりだけでなく、娘からへの心配もあった。


――江戸には、物騒な噂があった。

井伊大老の次は、佐賀殿が狙われる」と聞けば、貢姫も気が気ではない。佐賀藩では、国元から腕の立つ剣士を送って守りを固めた…とも聞き及ぶ。

「…えすか(怖い)事にございます。」
ポツリと“佐賀ことば”が混ざる、貢姫。普段は封印する言葉づかいだ。

最近、である川越藩主・松平直侯は部屋からも出て来ない。その正室貢姫の立場も非常に気を遣うところだ。



――そこに、父・直正からの手紙。

7歳の頃には、江戸に出た貢姫。その少し前、佐賀での幼き日々を想い出す。まだ、若かった直正の快活な姿が目に浮かぶ。

ヘビじゃ…が出ておるっ!者ども…出会えっ出会え!」
幕府の老中すら一目置く、佐賀殿様にも苦手なものがあった。

「お父上様、驚き過ぎにございます…、佐賀にもくらい出ますのよ。」
都会育ちの父・直正に対して、幼い貢姫は不思議な顔をして言うのだった。


――佐賀生まれの貢姫。回想は続く。

武術の腕もたつ直正だが、引きつった顔をしてこう言う。
は、ヘビが苦手じゃ。お(みつ)も、知っておろう…」
〔参照(後半):第6話「鉄製大砲」①

「では“江戸生まれ父上様”に、また“蛇除け”を作って差し上げましょう。」
大都会・江戸を引き合いに出して、少しひねくれた物言い。貢姫も大人ぶりたい年頃になってきたのか。

「そうか。忝(かたじけないな。」
直正我が子の成長を感じて、からの“贈り物”の提案を受け取る。苦手のも家来が退けたので、直正には喜びだけが残り、笑みを浮かべた。


――貢姫は、誰もいない部屋で涙を拭った。

「…父上様、願わくば…もご一緒に。佐賀に帰りたかです。」
輿(こし入れの際は嫁ぎ先で待ち受ける運命を、知る由(よし)もない。

鍋島家から来たとして立派に振る舞わねばならない。お付きの者も辛い立場で、あまり心配はかけられない。本当に弱音を吐けるのは1人の時だけだ。

佐賀藩邸は近くにあっても、そこに頼れる直正の姿は無いのである。


(続く)





  


Posted by SR at 23:51 | Comments(0) | 第16話「攘夷沸騰」

2021年08月10日

第16話「攘夷沸騰」⑦(父娘の心配事)

こんばんは。
オリンピックが終わるや、夏の高校野球が始まりましたね。佐賀県の代表として出場した“東明館”…惜しい試合展開だったようですね。

現在の基山町にある東明館高校。学校名江戸時代、当地にあった“対馬藩 田代領”の藩校に由来するそうです。

佐賀藩ではありませんが、第16話攘夷沸騰」の展開に深く関わる“田代領”。より進んだ「佐賀大河ドラマ」を目指すならば、何とか描きたいところです。

では、“本編”に戻ります。いつの世も、身内の心配事は尽きないようでして…


――殿・鍋島直正が、兵庫の港を発つ。

ボォォーッ…

風は弱い様子だ。帆は張らず“汽走”を選択する見通しとなる。蒸気機関による航行に向け、藩士たちが支度(したく)をする。

与一よ。ここまで来ると、かえって江戸が気になるのう。」
貢姫さま…にございますか。」

「…相変わらず、察しの良い。持つべきものは“幼なじみ”ということか。」
畏(おそ)れ多いことにございます。」



――殿様と話すのは、気心の知れた側近・古川与一(松根)。

時折は潮風が通る。京の都を越えて、佐賀へは海路にて帰還する行程だ。

兵庫の港に着くや、殿直正愛娘貢姫に無事を知らせる手紙を書き送る。他家に嫁いだ娘に対して、手紙のやり取りは月に数回の時もあり、頻繁である。

10代のうちに殿になった直正。当時は佐賀藩建て直しに忙しく、にも恵まれなかった。待望の第一子が誕生したのは20代半ば。

…そのためか長女貢姫への愛情はとりわけ深いのだ。


――手紙には「愛娘を安心させたい…」だけではない、事情もあった。

側近・古川が、殿・直正に問う。
松平さまのお加減は、如何(いかが)なのでしょうか。」

直正が、眉間にしわを寄せて答える。
「芳しくない…、お貢も、直侯どのの姿さえ見ておらぬようじゃ。」

与一よ!は…貢(姫)が心配でならぬ!」
「然(しか)り!この古川も、貢姫さまが案じられてなりませぬ!」


――もう50歳も近い“幼なじみ”主従の2人が立ち上がって語る。

2人には熱を入れて心配する理由があった。殿の愛娘・貢姫は、川越藩(埼玉)の若殿・松平直侯に嫁いでいる。

養子として、川越藩に入った松平直侯実家水戸藩である。

は“水戸烈公”として有名な徳川斉昭にも“英明”と名高く「次の将軍に!」と推す声も強かった、一橋慶喜がいる。

眩(まばゆ)いばかりに注目される父兄を持ち、川越の松平家に養子に入った、直侯は将来が有望な“貴公子”だった。



――しかし、期待通りにいかない事があるのも、世の常だ。

新しい藩主。とくに他家からの養子ともなれば、何かと“重圧”がかかる。殿様というだけで、無条件に言うことを聞いてもらえるほど、物事は都合良く運ばない。

お悩みも多かったことでしょう…」
側近・古川渋い表情で振り返る。若殿だった頃の直正が、重臣たちの反発に苦労していた記憶が過ぎる。

「あの頃は…辛かったのう。きっと直侯どのも苦しかったのじゃ。」
殿直正も、側近古川と顔を見合わせて、過去を回想する。
〔参照:第2話「算盤大名」④


――譜代大名の名家が入る川越藩。

江戸湾に“お台場”を築いた際にも、川越第一台場を任された。幕府から厚い信頼がある川越藩主は、幕府の重職に就くのが常だ。

御三家・水戸藩(茨城)から、その川越藩に入り、佐賀の有力大名・鍋島家から正室を迎える。絵に描いたような“貴公子”人生を歩む定めだった、松平直侯

…しかし、過度の期待を背負うのに適する者ばかりでは無い。

いまや、川越若殿様は心を病んでしまったようだ。その病状は重篤であり、「部屋からも出て来ない」ほど悪化しているという。


――水戸と佐賀。東西の雄藩のつながりを強めるため…

かつて松平直侯実家である水戸藩藤田東湖と、佐賀藩の“団にょん”こと島義勇が尽力した縁談だったが、嫁いだ貢姫は厳しい状況にある。
〔参照:第11話「蝦夷探検」②(江戸の貢姫)

「…(姫)には、幸せになってほしかった。」
殿直正は、涙をこらえているのか。うつむいて語る。

殿…、あきらめてはなりませぬ。」
側近古川は気を遣って顔を合わせず、殿を励ますのだった。


(続く)





  


Posted by SR at 21:55 | Comments(0) | 第16話「攘夷沸騰」

2021年08月07日

「醒覚の剣」(回航)

こんばんは。
開催自体に賛否両論あったところですが、やはりオリンピックは気になる話題。終盤を迎えて、無意識のうちにテレビを付ける回数も増えたように思います。

一方で、全国的に新型コロナ感染急拡大は続きます。そんな折、私は郷里・佐賀に住む叔父上に、“ある連絡”を入れていました。


――ある暑い日に、電話をする。

叔父上、お時間はよろしいか。」
「うん、よかよ暑かね~」

さがファンブログ』の記事を通じ、“佐賀の暑さ”はこちらに伝わってくる。その日の天気にも拠ると思うが、たぶん私の周囲よりも佐賀は相当に暑いと見る。


――佐賀への“帰藩”の自粛は継続中である。

そんな環境でもブログを書き続けるため、叔父上には色々と頼み事をしている。
佐賀でも“新型コロナ”が油断ならない様子ですね。」
「そうたいね。」

以前は「県内各地域感染者数など」を日常的に把握する便利な“情報源”があったが、今はあえて調べねば状況がわからない。

「当面、お願いした件の実行は、控えてください。」
まずは安全策。感染が抑え込めたタイミングで動いても、とくに問題は無い。



――「心配なかよ。」

そういう感じで叔父上は、言葉を続けた。

「まぁ暑すぎて動けんから、どのみち今は出られんばい…」
…それにワクチンの接種もあるようで、しばらくは用心しておくと聞いた。

「こちらには、まだ、(ワクチンが)“回って”きませんがね。」
「にゃ、回っとらんね。」


――このやり取り。

叔父上には、私の“仕事”が回っていないと伝わったようだ。

「…いや、確かに仕事も回っていませんが、こちらにはワクチンも来ません。」
「そうね。ちょっとずつでも回さんば。」

もはや仕事でも、ワクチンでも、とにかく少しずつでも回ればよい…というのが、叔父上の受けとめ方だ。



――幕末期。日本の沿海で“蒸気船”を運用する佐賀藩。

西の外海に開けた“天草”(熊本)の軍港計画は幻に終わったので、主な拠点は有明海の“三重津海軍所”となる。

佐賀藩内のとして、蒸気船回航時には“伊万里”の地名もよく見かけるが、陶磁器積出港は、大規模な運用には向かなかった…と推測する。

本当は現地で確認したい事が山ほどある。佐賀から遠い、私の不利な点だ。


――瀬戸内海などで、佐賀藩は蒸気船をよく回航した。

殿鍋島直正参勤交代でも蒸気船を使用。幕府からは“観光丸”を預かり、佐野常民が運用。江戸から退避した時も兵庫からは蒸気船だったようだ。
〔参照①:第15話「江戸動乱」⑬(海に駆ける)
〔参照②(後半):第16話「攘夷沸騰」④(その船を、取りに行け)
〔参照③(終盤):第16話「攘夷沸騰」⑥(積年の胃痛にて…)


隠居後に直正公は、大坂城で将軍・徳川慶喜に会う際にも蒸気船で乗り込むはず。殿の「御座船」で、まるで“相棒”のような蒸気船電流丸”が活躍する。
〔参照:「主に伊万里市民の方を対象にしたつぶやき」



――それも、佐賀には“力の蓄積”があったから。

長崎での海軍伝習佐賀藩が派遣した人数は48名と言われる。“本編”で描く時期には、佐野常民を中心に“三重津海軍所”を整備中のはずだ。

蒸気船”を動かす人材の訓練だけでなく、外国に頼らずに、自力で船の修繕もしてしまうのが佐賀藩

ここでは、佐野常民の作った“プロジェクトチーム”の田中久重中村奇輔らの影響が見える。“海に駆ける力”も、努力の積み重ねなのである。


――いかに、幕末期の佐賀藩とて。

最初から自在に“蒸気船”を運用できたわけではない。例えるならオリンピックに出ているアスリートとて、才能とともに、影日向での努力で結果が出ているはず。

佐賀藩士(?)を名乗りながら、地道な努力を厭(いと)うのは理屈に合わない。私も、可能なところから回していくほか無さそうだ。

いま、一気に事態を打開することは難しい。しかし千里の“回航”も、おそらくは“船出”の一歩から。私は、叔父上言葉を受け取った。

「少しずつでも回さんば…ですね。」




  


Posted by SR at 21:43 | Comments(0) | 「望郷の剣」シリーズ