2021年01月03日
第15話「江戸動乱」①(“新聞”の夜明け)
こんばんは。
江戸時代、アメリカのホテルに滞在する侍たち。
海を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。
今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。
――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。
ホテルのロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道の旅籠(はたご)という時代だ。
その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
「我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」
アメリカに渡った幕府の使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。
――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。
「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。
当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。
ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿・鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。
――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。
西洋は写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。
「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。
もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。

――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。
「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。
当時の日本では上背のある方だ。
「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。
――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。
「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。
“ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎。
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」
――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…
現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。
福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」
「そがんか!民も“ニューズぺーバー”で、世の動きを知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。
…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。
(続く)
江戸時代、アメリカのホテルに滞在する侍たち。
海を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。
今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。
――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。
ホテルのロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道の旅籠(はたご)という時代だ。
その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
「我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」
アメリカに渡った幕府の使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。
――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。
「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。
当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。
ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿・鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。
――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。
西洋は写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。
「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。
もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。
――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。
「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。
当時の日本では上背のある方だ。
「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。
――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。
「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。
“ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎。
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」
――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…
現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。
福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」
「そがんか!民も“ニューズぺーバー”で、世の動きを知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。
…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。
(続く)
2021年01月05日
第15話「江戸動乱」②(写真館の娘)
こんばんは。
第15話は1860年の早春。アメリカを舞台にした話から始めています。
幕府の遣米使節団が、サンフランシスコに到着。たまたま“ニューズぺーバー(新聞)”を題材に、話が盛り上がる青年たち。
使節団の医者として、ポーハタン号でアメリカに来た、佐賀藩医・川崎道民。
幕府の随行員として咸臨丸に乗船した、福沢諭吉。
…のちにヨーロッパへの使節派遣では、ルームメイトとなる2人を描きます。
――引き続き、アメリカ西海岸のホテルロビーにて。
「メリケンの“写真”は良いな。格段に進んでおる!」
佐賀藩医・川崎道民が、ロビーで見かけた写真について熱く語る。
「おや、川崎どのは“フォトグラフィー”(写真)にも、ご興味がおありですか。」
福沢が、少し気取って語る。
――やや勿体(もったい)ぶって、一枚の写真を取り出す、福沢。
「まだ、咸臨丸の仲間には、見せておりませぬ!内緒の一枚にござる!」
写真には、椅子に腰かけた福沢。隣に立つアメリカ人の少女が一緒に映る。
「おおっ!」
大きい反応を返す、川崎。清々しいほどの丸坊主が光る。
「いや…、異国の女子(おなご)と写真に収まるなど、稀(まれ)なることゆえ。」
得意気な福沢。真似されるのは嫌なので、“咸臨丸”の連中には伏せておく…

――実は“写真館の娘”に頼んで、隣に映ってもらったのだ。
「メリケンの業(わざ)は良かね!こいが“銀板写真”ったい!」
しかし、川崎の感嘆の対象は、アメリカの写真技術だった。
「そうそう、異国の娘さんですが、可愛い子でしょう…えっ!銀板写真!?」
満面の笑顔だった福沢。川崎の反応は予測と違っていた…気まずい。
一方の川崎。「うむうむ…この業(わざ)ば、学んで帰りたかね…」と上機嫌だ。
――当時、日本では珍しい「写真を撮る側の人」だった、川崎道民。
少し冷静になって、また“よそ行き”の言葉に戻る、川崎。
「そうだ!福沢さんと言ったか。“手術”を見聞する機会を得られそうだ。」
「手術!でございますか!?」
「膀胱(ぼうこう)をだな、切り開く。詰まった石を取り除くのだ!」
川崎は目を輝かせた。アメリカでは、進んだ外科手術を見る機会もある。
「またと無い話だぞ。福沢さん、貴君もどうかな!」
――いきなりの川崎からの誘い。福沢は口ごもった。
「拙者…、また“咸臨丸”で、太平洋を戻らねばなりませぬ。」
福沢が、辞退の言葉を発する。
咸臨丸でアメリカに来た者は船の修繕が終われば、概ね日本に帰る予定だ。
「…そうか、良い話なのだが。」
――川崎は、目を丸くして“絶好の機会なのに…”という残念そうな表情。
「川崎どのは、しかとご見聞を!まことに、残念なことにござる!」
福沢は、なぜか明るい表情で言葉を返した。
福沢諭吉は、居合(抜刀術)の修練を欠かさず、免許持ちの腕前だった。しかし、実は血を見るのが苦手。手術の見学も嫌がった…という説もある。
(続く)
第15話は1860年の早春。アメリカを舞台にした話から始めています。
幕府の遣米使節団が、サンフランシスコに到着。たまたま“ニューズぺーバー(新聞)”を題材に、話が盛り上がる青年たち。
使節団の医者として、ポーハタン号でアメリカに来た、佐賀藩医・川崎道民。
幕府の随行員として咸臨丸に乗船した、福沢諭吉。
…のちにヨーロッパへの使節派遣では、ルームメイトとなる2人を描きます。
――引き続き、アメリカ西海岸のホテルロビーにて。
「メリケンの“写真”は良いな。格段に進んでおる!」
佐賀藩医・川崎道民が、ロビーで見かけた写真について熱く語る。
「おや、川崎どのは“フォトグラフィー”(写真)にも、ご興味がおありですか。」
福沢が、少し気取って語る。
――やや勿体(もったい)ぶって、一枚の写真を取り出す、福沢。
「まだ、咸臨丸の仲間には、見せておりませぬ!内緒の一枚にござる!」
写真には、椅子に腰かけた福沢。隣に立つアメリカ人の少女が一緒に映る。
「おおっ!」
大きい反応を返す、川崎。清々しいほどの丸坊主が光る。
「いや…、異国の女子(おなご)と写真に収まるなど、稀(まれ)なることゆえ。」
得意気な福沢。真似されるのは嫌なので、“咸臨丸”の連中には伏せておく…
――実は“写真館の娘”に頼んで、隣に映ってもらったのだ。
「メリケンの業(わざ)は良かね!こいが“銀板写真”ったい!」
しかし、川崎の感嘆の対象は、アメリカの写真技術だった。
「そうそう、異国の娘さんですが、可愛い子でしょう…えっ!銀板写真!?」
満面の笑顔だった福沢。川崎の反応は予測と違っていた…気まずい。
一方の川崎。「うむうむ…この業(わざ)ば、学んで帰りたかね…」と上機嫌だ。
――当時、日本では珍しい「写真を撮る側の人」だった、川崎道民。
少し冷静になって、また“よそ行き”の言葉に戻る、川崎。
「そうだ!福沢さんと言ったか。“手術”を見聞する機会を得られそうだ。」
「手術!でございますか!?」
「膀胱(ぼうこう)をだな、切り開く。詰まった石を取り除くのだ!」
川崎は目を輝かせた。アメリカでは、進んだ外科手術を見る機会もある。
「またと無い話だぞ。福沢さん、貴君もどうかな!」
――いきなりの川崎からの誘い。福沢は口ごもった。
「拙者…、また“咸臨丸”で、太平洋を戻らねばなりませぬ。」
福沢が、辞退の言葉を発する。
咸臨丸でアメリカに来た者は船の修繕が終われば、概ね日本に帰る予定だ。
「…そうか、良い話なのだが。」
――川崎は、目を丸くして“絶好の機会なのに…”という残念そうな表情。
「川崎どのは、しかとご見聞を!まことに、残念なことにござる!」
福沢は、なぜか明るい表情で言葉を返した。
福沢諭吉は、居合(抜刀術)の修練を欠かさず、免許持ちの腕前だった。しかし、実は血を見るのが苦手。手術の見学も嫌がった…という説もある。
(続く)
2021年01月07日
第15話「江戸動乱」③(異郷で見た気球〔バルーン〕)
こんばんは。前回の続きです。
日米修好通商条約の批准のために、アメリカに渡った幕府の使節団。同行する佐賀藩士たちは、各々が殿・鍋島直正の命を受けて調査をしています。
――佐賀藩士で“エンジニア”の秀島藤之助。
ガンガン!…コンコン!
機械音とハンマーの音が響く。
嵐の太平洋を渡った“咸臨丸”はサンフランシスコのドックにて修繕されている。
秀島は、アメリカの蒸気船や大砲の調査が任務。“咸臨丸”の修理を見学中だ。
――同じく佐賀藩士。語学に通じる、小出千之助がドックに現れる。
「咸臨丸の具合は、いかがでございますか~」
活気みなぎる作業音に囲まれて、秀島に大声を掛けた。
小出は、他の佐賀藩士とそのまま使節団に同行。アメリカ東海岸に回る。
船の修理を見つめる秀島は、復路も咸臨丸に乗り、日本に戻る予定だ。

――サンフランシスコを発つ前に、小出は港に立ち寄っていた。
小出の任務は英語を習得し、西洋の事情を殿・鍋島直正に伝えること。
その間も、秀島藤之助は食い入るように、咸臨丸の船体を見つめる。
「知らぬ事ばかりだ。多いに“実験”の利益がある!」
「…船大工たちに尋ねたいことも、山ほどあるのだ!」
――秀島の発する言葉を、小出はじっと聞いていた。
アメリカの艦船修理。それを見つめる秀島の表情は、悔しそうだ。
「…オランダ語が通じぬのが、もどかしい!」
ドックを後にする、小出。学んだ“英語”は佐賀藩内で広める使命がある。
「秀島さんも悔しかね。私も英語には、まだまだ慣れぬな…」
その“英語”で目指すのは、進んだ技術や学問の習得だ。専門分野ごとに、知らねばならない単語も異なる。
――使節団はパナマを経由し、アメリカの東海岸(大西洋側)に上陸する。
異郷の地・アメリカでは、好奇の視線にさらされる事も多い。
「頭を指さして“ピストル”とか言われよるが…」
「あぁ、ちょんまげの形状が“短筒”のごた、見えるらしかよ。」
もはや自分たちの動向が“ニューズぺーバー”に載ることにも慣れてきた。
軍事、医学、産業から…、捕鯨船の動向まで、各々の調査に忙しい。

――アメリカ東海岸の街・フィラデルフィア。
イギリスからの独立時の13州を含む東部地域。
西海岸(太平洋側)よりも工業化が進んでいる。
「おや、川崎どのは、どこに行ったかな。」
仲間の佐賀藩士たちに小出千之助が尋ねた。
「“写真”の腕を磨くとか…、申しておりましたな。」
「いや“写真”の鍛錬からは戻りよった。次は“バルン”を見聞するとか…」
――佐賀藩医・川崎道民。アメリカの草原に立つ。
水田が広がる佐賀平野とは、また違う匂い。異郷の乾いた風が吹き抜ける。
「カワサキ。イッツ、タイム、カミン…バルーン、フライ!」
軽妙に響く現地・アメリカの言葉。
今までオランダ語しか学んでいない川崎だが、これは理解できた。
…気球を上げようとするアメリカ人の陽気な表情。
“楽しいことが始まるから、よく見ておけ!”その感覚は伝わる。
――青空に上がっていく、熱気球(バルーン)。
遠い異郷・アメリカで見上げる空。
じわじわと高く上がっていく熱気球。
「こいは面白かね。佐賀でも、天に上げられんか…」
なぜだか川崎には、とても親しい景色に想われた。
…そして、悠然と青天を見上げて思うのは、佐賀の空だった。
――1860年春。佐賀。
肌寒さの残る、曇り空。
佐賀城下には、険しい表情をした侍が集められていた。
その陣容は、剣術の腕が立つ者ばかり。急ぎ江戸に発つ仕度を整えていた。
(続く)
日米修好通商条約の批准のために、アメリカに渡った幕府の使節団。同行する佐賀藩士たちは、各々が殿・鍋島直正の命を受けて調査をしています。
――佐賀藩士で“エンジニア”の秀島藤之助。
ガンガン!…コンコン!
機械音とハンマーの音が響く。
嵐の太平洋を渡った“咸臨丸”はサンフランシスコのドックにて修繕されている。
秀島は、アメリカの蒸気船や大砲の調査が任務。“咸臨丸”の修理を見学中だ。
――同じく佐賀藩士。語学に通じる、小出千之助がドックに現れる。
「咸臨丸の具合は、いかがでございますか~」
活気みなぎる作業音に囲まれて、秀島に大声を掛けた。
小出は、他の佐賀藩士とそのまま使節団に同行。アメリカ東海岸に回る。
船の修理を見つめる秀島は、復路も咸臨丸に乗り、日本に戻る予定だ。
――サンフランシスコを発つ前に、小出は港に立ち寄っていた。
小出の任務は英語を習得し、西洋の事情を殿・鍋島直正に伝えること。
その間も、秀島藤之助は食い入るように、咸臨丸の船体を見つめる。
「知らぬ事ばかりだ。多いに“実験”の利益がある!」
「…船大工たちに尋ねたいことも、山ほどあるのだ!」
――秀島の発する言葉を、小出はじっと聞いていた。
アメリカの艦船修理。それを見つめる秀島の表情は、悔しそうだ。
「…オランダ語が通じぬのが、もどかしい!」
ドックを後にする、小出。学んだ“英語”は佐賀藩内で広める使命がある。
「秀島さんも悔しかね。私も英語には、まだまだ慣れぬな…」
その“英語”で目指すのは、進んだ技術や学問の習得だ。専門分野ごとに、知らねばならない単語も異なる。
――使節団はパナマを経由し、アメリカの東海岸(大西洋側)に上陸する。
異郷の地・アメリカでは、好奇の視線にさらされる事も多い。
「頭を指さして“ピストル”とか言われよるが…」
「あぁ、ちょんまげの形状が“短筒”のごた、見えるらしかよ。」
もはや自分たちの動向が“ニューズぺーバー”に載ることにも慣れてきた。
軍事、医学、産業から…、捕鯨船の動向まで、各々の調査に忙しい。
――アメリカ東海岸の街・フィラデルフィア。
イギリスからの独立時の13州を含む東部地域。
西海岸(太平洋側)よりも工業化が進んでいる。
「おや、川崎どのは、どこに行ったかな。」
仲間の佐賀藩士たちに小出千之助が尋ねた。
「“写真”の腕を磨くとか…、申しておりましたな。」
「いや“写真”の鍛錬からは戻りよった。次は“バルン”を見聞するとか…」
――佐賀藩医・川崎道民。アメリカの草原に立つ。
水田が広がる佐賀平野とは、また違う匂い。異郷の乾いた風が吹き抜ける。
「カワサキ。イッツ、タイム、カミン…バルーン、フライ!」
軽妙に響く現地・アメリカの言葉。
今までオランダ語しか学んでいない川崎だが、これは理解できた。
…気球を上げようとするアメリカ人の陽気な表情。
“楽しいことが始まるから、よく見ておけ!”その感覚は伝わる。
――青空に上がっていく、熱気球(バルーン)。
遠い異郷・アメリカで見上げる空。
じわじわと高く上がっていく熱気球。
「こいは面白かね。佐賀でも、天に上げられんか…」
なぜだか川崎には、とても親しい景色に想われた。
…そして、悠然と青天を見上げて思うのは、佐賀の空だった。
――1860年春。佐賀。
肌寒さの残る、曇り空。
佐賀城下には、険しい表情をした侍が集められていた。
その陣容は、剣術の腕が立つ者ばかり。急ぎ江戸に発つ仕度を整えていた。
(続く)
2021年01月16日
第15話「江戸動乱」④(起きろ!兄さん!)
こんばんは。“本編”を再開します。
幕府の遣米使節がアメリカに到着し、同行した佐賀藩士たちが海外の見聞を広めていたのは1860年春。
同時期の“大事件”により腕利きの侍が集まる場面で、佐賀に舞台が移ります。今回も佐賀城下の話は続きますが、時間は2年ほど遡(さかのぼ)っています。
1858年頃。まだ「日米修好通商条約」の調印、「次期将軍」の選定が大問題となっていた時期です。
――佐賀城下。大木喬任(当時は民平と名乗る)の家にて。
「大木兄さん。お久しぶりです。」
「おう、中野か。忙しそうだな。」
双方とも江藤新平の親友で、その3人の中では最年長の大木。訪ねてきたのは中野方蔵。いまは藩校“弘道館”で、学生を束ねる“寮長”の立場だ。
「ええ、忙しいですよ。大木兄さんは…また、書物の山の中ですか。」
「…そうだな。まだ、読み込みが足らんな。」
行動力のある中野だが、朴訥(ぼくとつ)な大木を兄貴分として慕っているのだ。
「相変わらずですね。いつまで読み込んでいる、おつもりですか。」
「書物の古人たちが動き出し、俺が“その場”に入るまでだ。」

――大木喬任(民平)の勉強法は独特。
漢学の書物を読む、大木。例えば古代中国に現れる、様々な政治の局面。
大木は、自身が“その場面”に居合わせれば、どう行動するかと常に自問する。
書物の世界に入り経験値を稼ぐ“思考実験”(シミュレーション)に費やす時間。
一見、無意味に見えるが、大木の実務能力はこれで鍛えられる。しかし、評価を得るまでには、まだ歳月を要する。
――中野方蔵が、半ばあきれた口調で話を続ける。
「いいですか、大木兄さん!時勢は動いておりますぞ。」
「…知っておる。」
「大木兄さんなら、佐賀の外に出て、学問を磨いてもよかと思います。」
「俺は…、これで忙しい。」
少し面倒くさそうに答える、大木。
「お前や江藤が、先に外に出れば良いだろう。」
「違うのです!江藤くんは放っておいても、いずれ京や江戸に出ます。」
――熱く語り始めた、中野。
「でも…兄さんは、引っ張り出さないと来ない気がして!」
中野が言葉だけでなく、実際に大木の腕を引っ張る。
「おいおい、本当に引っ張る奴があるか!」
「少しは、来る気になりましたか?」
「…可笑しな奴だな。何を焦っているのか。」
「私は、先に江戸に行きますよ。待ってますからね!」
――いま、中野は藩校“弘道館”の寮長。
数年前に起きた大隈八太郎(重信)らの藩校生徒の乱闘騒ぎ。再発しないように対策を講じる立場だった。
中野は、学生が規律正しい寮生活を送るよう統制を強化した。
すでに人をまとめていく、手腕を発揮し始めていた、中野方蔵。
藩校の教師だけでなく、佐賀藩内の保守派からも高い評価を受けていた。
(続く)
幕府の遣米使節がアメリカに到着し、同行した佐賀藩士たちが海外の見聞を広めていたのは1860年春。
同時期の“大事件”により腕利きの侍が集まる場面で、佐賀に舞台が移ります。今回も佐賀城下の話は続きますが、時間は2年ほど遡(さかのぼ)っています。
1858年頃。まだ「日米修好通商条約」の調印、「次期将軍」の選定が大問題となっていた時期です。
――佐賀城下。大木喬任(当時は民平と名乗る)の家にて。
「大木兄さん。お久しぶりです。」
「おう、中野か。忙しそうだな。」
双方とも江藤新平の親友で、その3人の中では最年長の大木。訪ねてきたのは中野方蔵。いまは藩校“弘道館”で、学生を束ねる“寮長”の立場だ。
「ええ、忙しいですよ。大木兄さんは…また、書物の山の中ですか。」
「…そうだな。まだ、読み込みが足らんな。」
行動力のある中野だが、朴訥(ぼくとつ)な大木を兄貴分として慕っているのだ。
「相変わらずですね。いつまで読み込んでいる、おつもりですか。」
「書物の古人たちが動き出し、俺が“その場”に入るまでだ。」
――大木喬任(民平)の勉強法は独特。
漢学の書物を読む、大木。例えば古代中国に現れる、様々な政治の局面。
大木は、自身が“その場面”に居合わせれば、どう行動するかと常に自問する。
書物の世界に入り経験値を稼ぐ“思考実験”(シミュレーション)に費やす時間。
一見、無意味に見えるが、大木の実務能力はこれで鍛えられる。しかし、評価を得るまでには、まだ歳月を要する。
――中野方蔵が、半ばあきれた口調で話を続ける。
「いいですか、大木兄さん!時勢は動いておりますぞ。」
「…知っておる。」
「大木兄さんなら、佐賀の外に出て、学問を磨いてもよかと思います。」
「俺は…、これで忙しい。」
少し面倒くさそうに答える、大木。
「お前や江藤が、先に外に出れば良いだろう。」
「違うのです!江藤くんは放っておいても、いずれ京や江戸に出ます。」
――熱く語り始めた、中野。
「でも…兄さんは、引っ張り出さないと来ない気がして!」
中野が言葉だけでなく、実際に大木の腕を引っ張る。
「おいおい、本当に引っ張る奴があるか!」
「少しは、来る気になりましたか?」
「…可笑しな奴だな。何を焦っているのか。」
「私は、先に江戸に行きますよ。待ってますからね!」
――いま、中野は藩校“弘道館”の寮長。
数年前に起きた大隈八太郎(重信)らの藩校生徒の乱闘騒ぎ。再発しないように対策を講じる立場だった。
中野は、学生が規律正しい寮生活を送るよう統制を強化した。
すでに人をまとめていく、手腕を発揮し始めていた、中野方蔵。
藩校の教師だけでなく、佐賀藩内の保守派からも高い評価を受けていた。
(続く)
2021年01月18日
第15話「江戸動乱」⑤(仮面の優等生)
こんばんは。
序盤はアメリカで展開していた第15話ですが、舞台は幕末の佐賀に戻りました。藩校“弘道館”の優等生・中野方蔵が、いろんな所で噂になっています。
――佐賀城下。大隈家。
友人の久米丈一郎(邦武)が立ち寄り、大隈八太郎(重信)と話している。いま、大隈は“蘭学寮”の学生。一方の久米は、そのまま藩校に残っている。
「丈一郎!やはり、蘭学はよかばい。」
「そがんね。弘道館もまずまず面白かよ。」
歴史に興味が強い、久米。藩校の伝統教育も、さほど苦にならないようだ。
「いや、弘道館は…窮屈でいかん!」
「そうたいね。まぁ、八太郎さんは追い出されよったもんね。」
――久米に悪気はないが、言い方にトゲがある。
「…こちらから、出てやったようなもんである!」
久米の言葉にカチンと来たのか、大隈のしゃべり方が急に演説調になる。
「いまは弘道館も落ち着いとるよ。」
「寮長は?誰が受け持っとる?」
「中野さんばい。」
現在、藩校の“生徒会長”は中野方蔵。
――藩校「弘道館」にて。佐賀では重役が学校によく視察に来る。
政務に役立ちそうな人材を、事前に把握しておくためだ。
藩内の保守派・原田小四郎が、学生代表の中野を褒めている。
「昨今の弘道館は秩序がしっかりしておるな!」
「はい。心の乱れは風紀に表れます!鍋島武士は、常に心を律すべきと存じます。」
「“寮の長”にふさわしき、心構えだ。この原田、頼もしく思うぞ。」
「過分なるお褒めのお言葉、恐悦の至りにございます!」

――大変仰々しい、やり取り。
組織が強固なのは佐賀藩の特徴でもある。原田小四郎は、保守派の筆頭格。秩序ある藩校の現況を好ましく思うのだ。
そこに弘道館の有力教師・草場佩川が通りががる。
「これは、原田様。わざわざのお運び恐れ入る。」
「お久しい。草場先生、息災のご様子で何より。」
――草場佩川(はいせん)は、多久の出身である。
佐賀藩の自治領の1つ・多久には、“儒学”の伝統がある。“儒学”は秩序ある社会の理想を説く。
「先年の騒ぎもあり、弘道館の風紀を案じておりましたが…」
いまや藩の重役・原田小四郎が、藩校の教師・草場佩川に語る。
――数年前、藩校で起きた乱闘事件。
この騒ぎを煽った“主役”が、大隈八太郎。処分として、退学になった。
「草場先生。寮の長を務める中野方蔵。なかなかの若者でありますな。」
保守派・原田の絶賛である。寮長・中野は、学生に規則を発するなど、その統制に気を配っている。
「あぁ、中野ですか。機転も効くし、才覚もある。」
――ひとかどの古武士の風格のある、草場佩川。
草場は、あえて学者らしい難しい顔で、原田にこう告げた。
「たしかに中野は、佐賀から遊学に出すべきであろう。しかし…目は離さぬ方が良いですぞ。」
「…はて、何故でござるか。実に心映えの良い若者ではござらんか。」
原田小四郎は、困惑の色を浮かべる。草場の反応は、意外だったのだ。
「若き者が巣立つのを止めはせぬが、才に溺れぬよう見張ってくだされ。」
老境の学者・草場は、フッと笑みを浮かべた。
(続く)
〔参照:第11話「蝦夷探検」⑥(南北騒動始末)〕
序盤はアメリカで展開していた第15話ですが、舞台は幕末の佐賀に戻りました。藩校“弘道館”の優等生・中野方蔵が、いろんな所で噂になっています。
――佐賀城下。大隈家。
友人の久米丈一郎(邦武)が立ち寄り、大隈八太郎(重信)と話している。いま、大隈は“蘭学寮”の学生。一方の久米は、そのまま藩校に残っている。
「丈一郎!やはり、蘭学はよかばい。」
「そがんね。弘道館もまずまず面白かよ。」
歴史に興味が強い、久米。藩校の伝統教育も、さほど苦にならないようだ。
「いや、弘道館は…窮屈でいかん!」
「そうたいね。まぁ、八太郎さんは追い出されよったもんね。」
――久米に悪気はないが、言い方にトゲがある。
「…こちらから、出てやったようなもんである!」
久米の言葉にカチンと来たのか、大隈のしゃべり方が急に演説調になる。
「いまは弘道館も落ち着いとるよ。」
「寮長は?誰が受け持っとる?」
「中野さんばい。」
現在、藩校の“生徒会長”は中野方蔵。
――藩校「弘道館」にて。佐賀では重役が学校によく視察に来る。
政務に役立ちそうな人材を、事前に把握しておくためだ。
藩内の保守派・原田小四郎が、学生代表の中野を褒めている。
「昨今の弘道館は秩序がしっかりしておるな!」
「はい。心の乱れは風紀に表れます!鍋島武士は、常に心を律すべきと存じます。」
「“寮の長”にふさわしき、心構えだ。この原田、頼もしく思うぞ。」
「過分なるお褒めのお言葉、恐悦の至りにございます!」
――大変仰々しい、やり取り。
組織が強固なのは佐賀藩の特徴でもある。原田小四郎は、保守派の筆頭格。秩序ある藩校の現況を好ましく思うのだ。
そこに弘道館の有力教師・草場佩川が通りががる。
「これは、原田様。わざわざのお運び恐れ入る。」
「お久しい。草場先生、息災のご様子で何より。」
――草場佩川(はいせん)は、多久の出身である。
佐賀藩の自治領の1つ・多久には、“儒学”の伝統がある。“儒学”は秩序ある社会の理想を説く。
「先年の騒ぎもあり、弘道館の風紀を案じておりましたが…」
いまや藩の重役・原田小四郎が、藩校の教師・草場佩川に語る。
――数年前、藩校で起きた乱闘事件。
この騒ぎを煽った“主役”が、大隈八太郎。処分として、退学になった。
「草場先生。寮の長を務める中野方蔵。なかなかの若者でありますな。」
保守派・原田の絶賛である。寮長・中野は、学生に規則を発するなど、その統制に気を配っている。
「あぁ、中野ですか。機転も効くし、才覚もある。」
――ひとかどの古武士の風格のある、草場佩川。
草場は、あえて学者らしい難しい顔で、原田にこう告げた。
「たしかに中野は、佐賀から遊学に出すべきであろう。しかし…目は離さぬ方が良いですぞ。」
「…はて、何故でござるか。実に心映えの良い若者ではござらんか。」
原田小四郎は、困惑の色を浮かべる。草場の反応は、意外だったのだ。
「若き者が巣立つのを止めはせぬが、才に溺れぬよう見張ってくだされ。」
老境の学者・草場は、フッと笑みを浮かべた。
(続く)
〔参照:
2021年01月20日
第15話「江戸動乱」⑥(尊王に奔〔はし〕る)
こんばんは。
昨夜は『どうする家康』の発表に動揺しましたが、気を取り直して。
佐賀に舞台を移し、幕末の安政年間(1858年頃)を描いています。
模範的な“生徒会長”とは別の、もう1つの顔を持つ中野方蔵。
熱い想いで、佐賀城下を駆けます。
――いつも走っている、中野方蔵。

中野は、佐賀城の南堀端にある“鬼丸”まで早足を進める。
「御免(ごめん)!神陽先生はご在宅でしょうか!」
――戸を開けて出たのは、なぜか枝吉神陽の実弟・副島種臣。
「おお、中野くんか!久しいな。」
「次郎先生!…いや、副島先生とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
「ははは…どちらでも良い。それに兄上の前では“先生”とは呼ばんでくれ。」
副島は、実兄・枝吉神陽と同列に扱われると、気後れするようだ。
「いつ、京の都からこちらへ?」
「つい、今し方戻った。ぜひ兄上のお耳に入れたいことがあってな。」
長崎街道を行く旅姿のまま、現れた副島種臣。さすがに埃(ほこり)まみれだ。
この頃、日米修好通商条約の調印をめぐり、朝廷の存在感は増すばかりだ。
幕末の政局。その駆け引きの舞台は、江戸から京の都に移りつつあった。
――部屋の奥から、枝吉神陽の声が響く。
「表に居るのは、中野くんだな。遠慮はいらん!入りたまえ!」
「兄上のお許しも出たようだ。中野くん、来たまえ。」
副島が、中野を伴って邸内へと戻る。
「次郎は旅から帰るなり、こちらに駆け付けたのだ。」
「“国の大事”ゆえ、ゆるりとして居る暇(いとま)などございませぬ。」
――枝吉神陽が、笑って答える。
「その心掛けは誠に貴い。しかしだな、風呂ぐらいは入っておけ。」
副島は顔立ち整い、目もと涼し気な美男だが、京の都から駆け通しで、いまは丸ごと洗濯が必要そうな風体である。
「先生方が“国事”を語る場に居合わせるとは、何たる僥倖(ぎょうこう)か!」
中野は、かなり興奮気味。その表情から高揚が見てとれる。
神陽は、中野を大きい目で見つめ言葉をかける。
「同座を許そう。但し、ここで語る事柄はくれぐれも内密にな。」
「はい!」
(続く)
昨夜は『どうする家康』の発表に動揺しましたが、気を取り直して。
佐賀に舞台を移し、幕末の安政年間(1858年頃)を描いています。
模範的な“生徒会長”とは別の、もう1つの顔を持つ中野方蔵。
熱い想いで、佐賀城下を駆けます。
――いつも走っている、中野方蔵。
中野は、佐賀城の南堀端にある“鬼丸”まで早足を進める。
「御免(ごめん)!神陽先生はご在宅でしょうか!」
――戸を開けて出たのは、なぜか枝吉神陽の実弟・副島種臣。
「おお、中野くんか!久しいな。」
「次郎先生!…いや、副島先生とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
「ははは…どちらでも良い。それに兄上の前では“先生”とは呼ばんでくれ。」
副島は、実兄・枝吉神陽と同列に扱われると、気後れするようだ。
「いつ、京の都からこちらへ?」
「つい、今し方戻った。ぜひ兄上のお耳に入れたいことがあってな。」
長崎街道を行く旅姿のまま、現れた副島種臣。さすがに埃(ほこり)まみれだ。
この頃、日米修好通商条約の調印をめぐり、朝廷の存在感は増すばかりだ。
幕末の政局。その駆け引きの舞台は、江戸から京の都に移りつつあった。
――部屋の奥から、枝吉神陽の声が響く。
「表に居るのは、中野くんだな。遠慮はいらん!入りたまえ!」
「兄上のお許しも出たようだ。中野くん、来たまえ。」
副島が、中野を伴って邸内へと戻る。
「次郎は旅から帰るなり、こちらに駆け付けたのだ。」
「“国の大事”ゆえ、ゆるりとして居る暇(いとま)などございませぬ。」
――枝吉神陽が、笑って答える。
「その心掛けは誠に貴い。しかしだな、風呂ぐらいは入っておけ。」
副島は顔立ち整い、目もと涼し気な美男だが、京の都から駆け通しで、いまは丸ごと洗濯が必要そうな風体である。
「先生方が“国事”を語る場に居合わせるとは、何たる僥倖(ぎょうこう)か!」
中野は、かなり興奮気味。その表情から高揚が見てとれる。
神陽は、中野を大きい目で見つめ言葉をかける。
「同座を許そう。但し、ここで語る事柄はくれぐれも内密にな。」
「はい!」
(続く)
2021年01月26日
第15話「江戸動乱」⑦(“あるべき姿”へ)
こんばんは。
歴史の視点で見ると“大政奉還”まで、あと10年を切りました。
1858年(安政5年)の佐賀城下をイメージしたお話です。
――佐賀城下の北、ある禅寺にて。
寺の堂内には“義祭同盟”の面々が集まる。
大木喬任、江藤新平、大隈八太郎(重信)…、中野方蔵もいる。
枝吉神陽が姿を現した。座の空気が一気に引き締まる。
「皆、揃ったようだな。一堂に会するのは、久方ぶりか。」
堂内を見遣る、強い眼差し。静かに語っても、腹の底に響く声。
皆が、神陽の姿を一斉に見つめる。
――神陽の実弟、副島種臣が傍らに控える。
「このたび次郎が、京の都から佐賀に帰ってきた。」
枝吉神陽が、弟・副島種臣(幼名は枝吉次郎)の帰還を一同に告げる。
「おおっ…して、京の様子は如何(いか)に!」
神陽が発した言葉から、波紋が広がるように周囲がざわつく。
「次郎。見聞したところを、皆に語って差し上げようぞ。」
「はい、兄上!」
既に副島種臣は一角の“学者”だが、どうにも神陽の前では“弟”が抜けない。

――副島種臣(次郎)が語る、京の動き。
「将軍のお傍に仕える方々も、京の都に参じており申す。」
この頃の幕府は、つねに朝廷の顔色を気にする状況に陥っていた。
大老・井伊直弼の“前任者”で、条約締結の推進派だった老中・堀田正睦は、朝廷からの“お墨付き”で反対派を抑えようとした。
――これは、幕府にとって“悪手”だった。
これまで幕府は、独断で外交方針を決定できたが、“朝廷の承認が要る”という空気が出来てしまった。
“異国嫌い”…いや異国の情報が無い朝廷が、すんなり許可を出すはずもない。
水戸藩を筆頭とする“攘夷派”は、この状況を利用していた。
「聞いての通り。いまや公儀(幕府)は、朝廷のお許し無くば物事が進められぬ。」
――神陽の言葉に、再びざわつく一同。
「京では、そがんことが!!」
大隈八太郎(重信)は唖然とした。幕府のイメージは“強大な権威”だったのだ。
「…うむ。」
ほぼ黙して話を聞く大木喬任。その隣、今にも言葉を発するか…の江藤新平。
行きがかり上、話の内容を知る中野方蔵は、周囲を何やら楽しげに見回す。

――ざわめきを制するように、神陽は言葉を続ける。
「皆、何ら問題は無いぞ!“あるべき姿”へ戻りゆくのは、好ましい事である。」
「おおっ!」
幾人かが、声を揃えて感嘆した。
「これで、理に適った…」
江藤は得心した様子だ。今までの神陽の主張どおりだからだ。
――枝吉神陽が、提唱していたのは“日本一君論”。
神陽の論によれば、本来、天皇家以外に“主君”はいない。大名家は、武士集団の“まとめ役”に過ぎない…という考え方だ。
「今こそ帝のもとに、諸侯が集うべき時である!」
枝吉神陽が、一同に語ったのは“幕府廃止論”。朝廷には、弟・副島種臣を通じて、将軍宣下(任命)の見直しを働きかける。
徳川家も朝廷のもとに集い、他の大名とともに異国から日本を守るべき。早くも佐賀城下では、のちの「大政奉還」と同質の議論が進んでいた。
(続く)
歴史の視点で見ると“大政奉還”まで、あと10年を切りました。
1858年(安政5年)の佐賀城下をイメージしたお話です。
――佐賀城下の北、ある禅寺にて。
寺の堂内には“義祭同盟”の面々が集まる。
大木喬任、江藤新平、大隈八太郎(重信)…、中野方蔵もいる。
枝吉神陽が姿を現した。座の空気が一気に引き締まる。
「皆、揃ったようだな。一堂に会するのは、久方ぶりか。」
堂内を見遣る、強い眼差し。静かに語っても、腹の底に響く声。
皆が、神陽の姿を一斉に見つめる。
――神陽の実弟、副島種臣が傍らに控える。
「このたび次郎が、京の都から佐賀に帰ってきた。」
枝吉神陽が、弟・副島種臣(幼名は枝吉次郎)の帰還を一同に告げる。
「おおっ…して、京の様子は如何(いか)に!」
神陽が発した言葉から、波紋が広がるように周囲がざわつく。
「次郎。見聞したところを、皆に語って差し上げようぞ。」
「はい、兄上!」
既に副島種臣は一角の“学者”だが、どうにも神陽の前では“弟”が抜けない。
――副島種臣(次郎)が語る、京の動き。
「将軍のお傍に仕える方々も、京の都に参じており申す。」
この頃の幕府は、つねに朝廷の顔色を気にする状況に陥っていた。
大老・井伊直弼の“前任者”で、条約締結の推進派だった老中・堀田正睦は、朝廷からの“お墨付き”で反対派を抑えようとした。
――これは、幕府にとって“悪手”だった。
これまで幕府は、独断で外交方針を決定できたが、“朝廷の承認が要る”という空気が出来てしまった。
“異国嫌い”…いや異国の情報が無い朝廷が、すんなり許可を出すはずもない。
水戸藩を筆頭とする“攘夷派”は、この状況を利用していた。
「聞いての通り。いまや公儀(幕府)は、朝廷のお許し無くば物事が進められぬ。」
――神陽の言葉に、再びざわつく一同。
「京では、そがんことが!!」
大隈八太郎(重信)は唖然とした。幕府のイメージは“強大な権威”だったのだ。
「…うむ。」
ほぼ黙して話を聞く大木喬任。その隣、今にも言葉を発するか…の江藤新平。
行きがかり上、話の内容を知る中野方蔵は、周囲を何やら楽しげに見回す。
――ざわめきを制するように、神陽は言葉を続ける。
「皆、何ら問題は無いぞ!“あるべき姿”へ戻りゆくのは、好ましい事である。」
「おおっ!」
幾人かが、声を揃えて感嘆した。
「これで、理に適った…」
江藤は得心した様子だ。今までの神陽の主張どおりだからだ。
――枝吉神陽が、提唱していたのは“日本一君論”。
神陽の論によれば、本来、天皇家以外に“主君”はいない。大名家は、武士集団の“まとめ役”に過ぎない…という考え方だ。
「今こそ帝のもとに、諸侯が集うべき時である!」
枝吉神陽が、一同に語ったのは“幕府廃止論”。朝廷には、弟・副島種臣を通じて、将軍宣下(任命)の見直しを働きかける。
徳川家も朝廷のもとに集い、他の大名とともに異国から日本を守るべき。早くも佐賀城下では、のちの「大政奉還」と同質の議論が進んでいた。
(続く)
2021年01月28日
第15話「江戸動乱」⑧(島、還る)
こんばんは。
半年くらい前に掲載した話の続編。ついに、あの男が佐賀に帰ってきます。
――1856(安政3)年の秋。佐賀を出立した2人。
島義勇と犬塚与七郎は、極寒の東北を歩み、蝦夷地(北海道)へと向かった。
蝦夷地の箱館(函館)に到着するなり、犬塚が帰路に就く。ある任務を背負い、佐賀へと舞い戻ったのだ。
一方の島義勇。そのまま蝦夷地に留まって、探検家・松浦武四郎らとともに、幕府・箱館奉行所の調査に同行したのである。

――島が、佐賀を旅立ってから2年近く。
島義勇。団右衛門と名乗るので、愛称は“団にょん”。
もともと精悍な顔つきに、丸い眼(まなこ)の持ち主である。
極北の蝦夷地(北海道)沿海を回って、野性味が増していた。
「ようやく佐賀じゃ!ついに御城下に帰ってきたぞ!」
江戸にある佐賀藩の屋敷に、たどり着いたときは年の瀬だった。しばし時を経て、佐賀への帰還である。
――そこで“団にょん”は、ある侍の後ろ姿を見かけた。
「おおっ!そこに居るんは“犬”じゃなかね!」
「…その声は、もしや“団にょん”さん!!」
振り向いたのは、佐賀藩士・犬塚与七郎。
「犬~っ!ようやく帰ってきたとよ!」
「…だから“犬”じゃなかばい!犬塚たい!!」
もはや“お約束”のやり取りである。ひしと抱きあう2人。
島義勇。北の最果ての旅路より還る。
――行き道は調査のため、豪雪の東北を共に歩んだ2人。
「…はっはっは!いつもの犬塚だな。元気そうで良かごたぁ!」
「そちらこそ。間違いなく、団にょんさんじゃ!」
まずは感動の再会を果たした2人だが、ふと、犬塚が正気に戻る。
「団にょんさん、すまん…、力の及ばんかった。」
島と犬塚が、箱館に着いた時。すでに各藩が調査にしのぎを削っていた。
蝦夷地(北海道)には、貿易港・特産物・販路開拓…様々な魅力がある。

――佐賀にとっても、蝦夷地の“権利”確保が急務。
幕府への申請を急ぐため、島と犬塚は二手に分かれたが、佐賀藩は蝦夷地での権利を獲得できなかった。犬塚は“自分の力不足”と謝っているのだ。
「ご公儀(幕府)の決めた事ばい。仕方がなかよ!」
「蝦夷地は、近くの“お大名”に任せるらしか…」
島が励ますが、犬塚は、まだ悔しがる。
結局、幕府は蝦夷地の警備・領有を東北の諸藩に任せた。先んじて調査を行う西国の各藩に、蝦夷地の権利を与えるのは、危険と考えても不思議はない。
――決断力に長けた、大老・井伊直弼のもと…
幕府は、権威の回復を図っていた。しかし正面からぶつかって来る雄藩もある。次期将軍候補の1人・一橋慶喜の実家である水戸藩(茨城)だ。
「団にょんさん…、井伊さまは水戸を警戒しとるばい。」
「そうたい。ワシが水戸の屋敷に出入りした頃とは…、何かが違う。」
さっきまで大声だったが、急にひそひそ話を始める島と犬塚。かつて島義勇は、殿の愛娘・貢姫の縁談で、お相手の実家・水戸藩との調整役を務めていた。
…島が寒い蝦夷地を探索している間に、水戸藩の“尊王攘夷”は、さらに過熱をしていたのである。
(続く)
〔参照記事〕
第11話「蝦夷探検」⑨(“犬塚”の別れ)
第11話「蝦夷探検」②(江戸の貢姫)
半年くらい前に掲載した話の続編。ついに、あの男が佐賀に帰ってきます。
――1856(安政3)年の秋。佐賀を出立した2人。
島義勇と犬塚与七郎は、極寒の東北を歩み、蝦夷地(北海道)へと向かった。
蝦夷地の箱館(函館)に到着するなり、犬塚が帰路に就く。ある任務を背負い、佐賀へと舞い戻ったのだ。
一方の島義勇。そのまま蝦夷地に留まって、探検家・松浦武四郎らとともに、幕府・箱館奉行所の調査に同行したのである。
――島が、佐賀を旅立ってから2年近く。
島義勇。団右衛門と名乗るので、愛称は“団にょん”。
もともと精悍な顔つきに、丸い眼(まなこ)の持ち主である。
極北の蝦夷地(北海道)沿海を回って、野性味が増していた。
「ようやく佐賀じゃ!ついに御城下に帰ってきたぞ!」
江戸にある佐賀藩の屋敷に、たどり着いたときは年の瀬だった。しばし時を経て、佐賀への帰還である。
――そこで“団にょん”は、ある侍の後ろ姿を見かけた。
「おおっ!そこに居るんは“犬”じゃなかね!」
「…その声は、もしや“団にょん”さん!!」
振り向いたのは、佐賀藩士・犬塚与七郎。
「犬~っ!ようやく帰ってきたとよ!」
「…だから“犬”じゃなかばい!犬塚たい!!」
もはや“お約束”のやり取りである。ひしと抱きあう2人。
島義勇。北の最果ての旅路より還る。
――行き道は調査のため、豪雪の東北を共に歩んだ2人。
「…はっはっは!いつもの犬塚だな。元気そうで良かごたぁ!」
「そちらこそ。間違いなく、団にょんさんじゃ!」
まずは感動の再会を果たした2人だが、ふと、犬塚が正気に戻る。
「団にょんさん、すまん…、力の及ばんかった。」
島と犬塚が、箱館に着いた時。すでに各藩が調査にしのぎを削っていた。
蝦夷地(北海道)には、貿易港・特産物・販路開拓…様々な魅力がある。

――佐賀にとっても、蝦夷地の“権利”確保が急務。
幕府への申請を急ぐため、島と犬塚は二手に分かれたが、佐賀藩は蝦夷地での権利を獲得できなかった。犬塚は“自分の力不足”と謝っているのだ。
「ご公儀(幕府)の決めた事ばい。仕方がなかよ!」
「蝦夷地は、近くの“お大名”に任せるらしか…」
島が励ますが、犬塚は、まだ悔しがる。
結局、幕府は蝦夷地の警備・領有を東北の諸藩に任せた。先んじて調査を行う西国の各藩に、蝦夷地の権利を与えるのは、危険と考えても不思議はない。
――決断力に長けた、大老・井伊直弼のもと…
幕府は、権威の回復を図っていた。しかし正面からぶつかって来る雄藩もある。次期将軍候補の1人・一橋慶喜の実家である水戸藩(茨城)だ。
「団にょんさん…、井伊さまは水戸を警戒しとるばい。」
「そうたい。ワシが水戸の屋敷に出入りした頃とは…、何かが違う。」
さっきまで大声だったが、急にひそひそ話を始める島と犬塚。かつて島義勇は、殿の愛娘・貢姫の縁談で、お相手の実家・水戸藩との調整役を務めていた。
…島が寒い蝦夷地を探索している間に、水戸藩の“尊王攘夷”は、さらに過熱をしていたのである。
(続く)
〔参照記事〕
2021年02月03日
第15話「江戸動乱」⑨(京の不穏)
こんばんは。
“本編”です。最初に言いますが、今回の話は難しいです。
幕末期に“尊攘の志士”と“新選組”が、斬り合う舞台になる京都。その前日譚(およそ5年前)とお考えください。
なぜ、佐賀藩士たちは“その場”に居なかったか…も、描きたい題材です。
――大老・井伊直弼。実は、条約調印に、朝廷の許可を得たかった。
「紛争時には、日本とヨーロッパの間を大統領が仲裁しましょう!」
幕府にとってアメリカは、まだ話のわかる交渉相手だった。
井伊はヨーロッパ各国がアジアを席巻する中、時間の猶予は無いと判断した。
「“勅許”を待つべきだが、いざとなれば、調印も止む無し。」
「ははっ!“止むを得ぬ”時には、調印をいたします。」
交渉に当たったのは、筋金入りの“開国派”の幕府役人。
…こうして「日米修好通商条約」締結は、井伊の独断と非難された。
――たびたび京に足を運ぶ、副島種臣(枝吉次郎)。
「枝吉はん!井伊は、“天子さま”(天皇)の思し召しを、何と心得るんか。」
尊王攘夷派の公家と関わる、副島種臣には京都での付き合いもある。
学識を磨くための京への留学も、近年は風向きが変わる。いろいろ耳が痛い話が、副島に飛んでくるのだ。
「佐賀はまだ動かんのか!」
「鍋島肥前(直正)は、尊王の働きを為すべきやないのか。」
――江戸幕府の安定期以来、静かだった京の都。
声を上げるのは公家だけではない。各藩の武士も京に集い、気勢を上げた。
水戸藩(茨城)など攘夷派は、条約撤廃を掲げ、朝廷を通じて圧力をかける。
「けしからん!攘夷こそ、天子さまの御心なり!」
「ただちに異国を退けよ!」
福井藩、薩摩藩(鹿児島)は開国派。しかし“次の将軍”には一橋慶喜の就任を狙っている。朝廷の威光を借りるために活動する。
「井伊の専横を許すべきではありません。次の将軍には、ぜひ一橋さまを。」
「英明の誉れ高き、一橋さま。きっと、天子さまの思し召しに適いもす。」

――副島(次郎)は、親しい公家・伊丹重賢と相談をする。
「異国に立ち向かえるんは、佐賀だけや…と聞いとるで。」
公家の伊丹は、副島よりも若年。尊王活動に熱心な公家である。
上方(京・大坂)にも、佐賀藩の存在感は伝わっている。長崎警護で、ロシア船と向き合った実績。幕府の担当者を通じて、評判は広がっていた。
「お望みの佐賀からの警衛でござるな。」
やや、かしこまった感じ。京都での副島だ。
…ここで必要なのは、兵の数よりも、“佐賀藩が朝廷を守る”絵姿だという。
――京都・東山のふもと。初夏の風が盆地に滞っている。
副島の顎ひげを、生温かい京の風が撫でる。
「我らにも、動くべき時節でござろうか。」
静かな会話。大声で叫ぶのは公家の流儀ではない。伊丹もやはり品は良い。
「そうや、佐賀の勤王のはたらき…期待しとるで。」
「…気にされている事が、お有りのようですな。」
「実は、九条卿がな…、帝のご不興をかっておる。」
帝(孝明天皇)は、幕府に好意的な公家を遠ざけていた。朝廷の許しを得られず進んだ、条約の調印に不信感を持ったのだ。
――九条家と言えば、”関白”の家柄。
この時の当主は、幕府と親しい立場にあった。井伊直弼と同じく、次の将軍には紀州藩の徳川慶福(家茂)を推している。
“開国派”と“攘夷派”の駆け引きに続いて、“南紀派”対“一橋派”の次期将軍争いまで加わった。
「京の都には、あちこちに火種が燻(くすぶ)る…という事ですか。」
「佐賀が相手なら、どこも迂闊(うかつ)には動けんやろ。頼みましたで。」
――副島種臣は、急ぎ京を発つ。
山陽道を佐賀へと急ぐ。京の都で、尊王のはたらきを成す好機だ。
「なんとしても、殿のお許しを得ねばならぬ。」
大老・井伊直弼は、決断力に長けていた。海外情勢を見極めて“開国”を判断し、雄藩の介入を許さずに次期将軍選びを進めた。
…この両方で、井伊との対立を深める水戸藩に、朝廷からある命令(密勅)が与えられる。そして、副島らの想像を超える展開へと進んでいくのである。
(続く)
“本編”です。最初に言いますが、今回の話は難しいです。
幕末期に“尊攘の志士”と“新選組”が、斬り合う舞台になる京都。その前日譚(およそ5年前)とお考えください。
なぜ、佐賀藩士たちは“その場”に居なかったか…も、描きたい題材です。
――大老・井伊直弼。実は、条約調印に、朝廷の許可を得たかった。
「紛争時には、日本とヨーロッパの間を大統領が仲裁しましょう!」
幕府にとってアメリカは、まだ話のわかる交渉相手だった。
井伊はヨーロッパ各国がアジアを席巻する中、時間の猶予は無いと判断した。
「“勅許”を待つべきだが、いざとなれば、調印も止む無し。」
「ははっ!“止むを得ぬ”時には、調印をいたします。」
交渉に当たったのは、筋金入りの“開国派”の幕府役人。
…こうして「日米修好通商条約」締結は、井伊の独断と非難された。
――たびたび京に足を運ぶ、副島種臣(枝吉次郎)。
「枝吉はん!井伊は、“天子さま”(天皇)の思し召しを、何と心得るんか。」
尊王攘夷派の公家と関わる、副島種臣には京都での付き合いもある。
学識を磨くための京への留学も、近年は風向きが変わる。いろいろ耳が痛い話が、副島に飛んでくるのだ。
「佐賀はまだ動かんのか!」
「鍋島肥前(直正)は、尊王の働きを為すべきやないのか。」
――江戸幕府の安定期以来、静かだった京の都。
声を上げるのは公家だけではない。各藩の武士も京に集い、気勢を上げた。
水戸藩(茨城)など攘夷派は、条約撤廃を掲げ、朝廷を通じて圧力をかける。
「けしからん!攘夷こそ、天子さまの御心なり!」
「ただちに異国を退けよ!」
福井藩、薩摩藩(鹿児島)は開国派。しかし“次の将軍”には一橋慶喜の就任を狙っている。朝廷の威光を借りるために活動する。
「井伊の専横を許すべきではありません。次の将軍には、ぜひ一橋さまを。」
「英明の誉れ高き、一橋さま。きっと、天子さまの思し召しに適いもす。」
――副島(次郎)は、親しい公家・伊丹重賢と相談をする。
「異国に立ち向かえるんは、佐賀だけや…と聞いとるで。」
公家の伊丹は、副島よりも若年。尊王活動に熱心な公家である。
上方(京・大坂)にも、佐賀藩の存在感は伝わっている。長崎警護で、ロシア船と向き合った実績。幕府の担当者を通じて、評判は広がっていた。
「お望みの佐賀からの警衛でござるな。」
やや、かしこまった感じ。京都での副島だ。
…ここで必要なのは、兵の数よりも、“佐賀藩が朝廷を守る”絵姿だという。
――京都・東山のふもと。初夏の風が盆地に滞っている。
副島の顎ひげを、生温かい京の風が撫でる。
「我らにも、動くべき時節でござろうか。」
静かな会話。大声で叫ぶのは公家の流儀ではない。伊丹もやはり品は良い。
「そうや、佐賀の勤王のはたらき…期待しとるで。」
「…気にされている事が、お有りのようですな。」
「実は、九条卿がな…、帝のご不興をかっておる。」
帝(孝明天皇)は、幕府に好意的な公家を遠ざけていた。朝廷の許しを得られず進んだ、条約の調印に不信感を持ったのだ。
――九条家と言えば、”関白”の家柄。
この時の当主は、幕府と親しい立場にあった。井伊直弼と同じく、次の将軍には紀州藩の徳川慶福(家茂)を推している。
“開国派”と“攘夷派”の駆け引きに続いて、“南紀派”対“一橋派”の次期将軍争いまで加わった。
「京の都には、あちこちに火種が燻(くすぶ)る…という事ですか。」
「佐賀が相手なら、どこも迂闊(うかつ)には動けんやろ。頼みましたで。」
――副島種臣は、急ぎ京を発つ。
山陽道を佐賀へと急ぐ。京の都で、尊王のはたらきを成す好機だ。
「なんとしても、殿のお許しを得ねばならぬ。」
大老・井伊直弼は、決断力に長けていた。海外情勢を見極めて“開国”を判断し、雄藩の介入を許さずに次期将軍選びを進めた。
…この両方で、井伊との対立を深める水戸藩に、朝廷からある命令(密勅)が与えられる。そして、副島らの想像を超える展開へと進んでいくのである。
(続く)
2021年02月05日
第15話「江戸動乱」⑩(いざゆけ!次郎)
こんばんは。
さて、硬派な幕末の展開が続きます。京都では、水戸藩が工作活動の成果で、朝廷から“秘密の命令”を受けることに成功していました。
“戊午(ぼご)の密勅”と呼ばれる「幕府を改革せよ」という指令。
佐賀でも時勢に遅れまいと、走る者がいました。副島種臣(※)です。
――佐賀城内。鯱の門付近。
険しい顔をした副島種臣(枝吉次郎)が通りがかる。
声をかける人物がいた。蝦夷地(北海道)帰りの島義勇だ。
「次郎じゃなかか!どがんしたとね…、えらく怖い顔をしとるばい!」
この2人は従兄弟どうし。島は、身近な親戚のお兄ちゃんである。
――固い表情のまま、返事を返す次郎(副島種臣)。
「島先生!今から国の大事ば、殿に言上を仕(つかま)るところにて。」
…かたい、あまりにも固い次郎の表情。島が一瞬、身を引くほどだ。
無理もない。殿・鍋島直正に進言する内容は「佐賀から京への出兵」である。
「次郎、気負いすぎはいかんばい!」
広大な蝦夷地(北海道)の大空と大地の下で、闊達に冒険をしてきた島義勇。
スケールアップした“団にょん”には、副島の悩みも小さく見える…はずだった。
――島に耳打ちをする、副島。
「何っ!それは一大事ばい!次郎…ここが踏ん張りどころたい!」
話の中身を聞いた島義勇。くるりと変わって硬い面持ちとなった。もともと水戸藩に出入りして勉強していた島も、尊王の話には影響されやすい。
「いざ、参ります!」
「いざ行け!次郎…、いよいよ佐賀が表舞台に出る時ばい!」
本丸御殿へと歩を進める、副島。拳を握りしめて見送る“団にょん”!

――本丸御殿内。広間の一角にて。
殿・鍋島直正に、朝廷の意向として伝えられる佐賀から京都への派兵。
「兵の数は、百…いや五十でも差支えはございませぬ。」
副島は真剣な表情で、殿への説明をする。
京都で、公家・伊丹重賢と打ち合わせた計画だ。
殿・直正は静かに、副島の言葉を聞いていた。
「うむ。左様(さよう)な話があったのか…」
――ひとまず、話を受け止めたかに見えた、直正だったが…
次の瞬間、急に厳しい表情へと変わる。
「そちは、軽々にそのような内諾をしてきたと申すか。」
「…いえ、しかと談判を重ねた事にて、決して軽々なものではございません。」
「重々、話し合ってきたとな。なお、都合が悪いではないか!」
佐賀から京への出兵。「尊王の志高く、朝廷を守り、国を“あるべき姿”に導く。」聞こえとしては良い。しかし、幕府には無用の喧嘩を売ることになる。
――殿・直正の判断は早かった。
そもそも、わずかな兵力で、他藩と衝突すればどうなる…戻れない道に佐賀が巻き込まれる可能性が考慮されていない。
「しばらく謹慎いたせ。もちろん佐賀から出る事は許さぬ。」
口調は穏やかだったが、副島の進言はまったく取り合ってもらえず、それどころか外出禁止に近しい命令も下された。
――すんなり通るとは考えていなかった進言。
「…しかしながら、殿!」
「しかと聞こえておるな。謹慎じゃ。」
諦めずに説明を尽くそうとする副島に覆いかぶさる、殿・直正の言葉。
計画が通らないのみならず、京都への道まで閉ざされた。意気消沈し、退出する副島種臣。まだ、殿・鍋島直正の心を推し量れてはいない。
(続く)
※副島種臣が、正式に副島家に養子に入ったのは、翌年(1859年)が通説のようです。この時点では枝吉次郎と表記すべきかもしれませんが、本編の途中からは「副島種臣」として表現しています。
さて、硬派な幕末の展開が続きます。京都では、水戸藩が工作活動の成果で、朝廷から“秘密の命令”を受けることに成功していました。
“戊午(ぼご)の密勅”と呼ばれる「幕府を改革せよ」という指令。
佐賀でも時勢に遅れまいと、走る者がいました。副島種臣(※)です。
――佐賀城内。鯱の門付近。
険しい顔をした副島種臣(枝吉次郎)が通りがかる。
声をかける人物がいた。蝦夷地(北海道)帰りの島義勇だ。
「次郎じゃなかか!どがんしたとね…、えらく怖い顔をしとるばい!」
この2人は従兄弟どうし。島は、身近な親戚のお兄ちゃんである。
――固い表情のまま、返事を返す次郎(副島種臣)。
「島先生!今から国の大事ば、殿に言上を仕(つかま)るところにて。」
…かたい、あまりにも固い次郎の表情。島が一瞬、身を引くほどだ。
無理もない。殿・鍋島直正に進言する内容は「佐賀から京への出兵」である。
「次郎、気負いすぎはいかんばい!」
広大な蝦夷地(北海道)の大空と大地の下で、闊達に冒険をしてきた島義勇。
スケールアップした“団にょん”には、副島の悩みも小さく見える…はずだった。
――島に耳打ちをする、副島。
「何っ!それは一大事ばい!次郎…ここが踏ん張りどころたい!」
話の中身を聞いた島義勇。くるりと変わって硬い面持ちとなった。もともと水戸藩に出入りして勉強していた島も、尊王の話には影響されやすい。
「いざ、参ります!」
「いざ行け!次郎…、いよいよ佐賀が表舞台に出る時ばい!」
本丸御殿へと歩を進める、副島。拳を握りしめて見送る“団にょん”!
――本丸御殿内。広間の一角にて。
殿・鍋島直正に、朝廷の意向として伝えられる佐賀から京都への派兵。
「兵の数は、百…いや五十でも差支えはございませぬ。」
副島は真剣な表情で、殿への説明をする。
京都で、公家・伊丹重賢と打ち合わせた計画だ。
殿・直正は静かに、副島の言葉を聞いていた。
「うむ。左様(さよう)な話があったのか…」
――ひとまず、話を受け止めたかに見えた、直正だったが…
次の瞬間、急に厳しい表情へと変わる。
「そちは、軽々にそのような内諾をしてきたと申すか。」
「…いえ、しかと談判を重ねた事にて、決して軽々なものではございません。」
「重々、話し合ってきたとな。なお、都合が悪いではないか!」
佐賀から京への出兵。「尊王の志高く、朝廷を守り、国を“あるべき姿”に導く。」聞こえとしては良い。しかし、幕府には無用の喧嘩を売ることになる。
――殿・直正の判断は早かった。
そもそも、わずかな兵力で、他藩と衝突すればどうなる…戻れない道に佐賀が巻き込まれる可能性が考慮されていない。
「しばらく謹慎いたせ。もちろん佐賀から出る事は許さぬ。」
口調は穏やかだったが、副島の進言はまったく取り合ってもらえず、それどころか外出禁止に近しい命令も下された。
――すんなり通るとは考えていなかった進言。
「…しかしながら、殿!」
「しかと聞こえておるな。謹慎じゃ。」
諦めずに説明を尽くそうとする副島に覆いかぶさる、殿・直正の言葉。
計画が通らないのみならず、京都への道まで閉ざされた。意気消沈し、退出する副島種臣。まだ、殿・鍋島直正の心を推し量れてはいない。
(続く)
※副島種臣が、正式に副島家に養子に入ったのは、翌年(1859年)が通説のようです。この時点では枝吉次郎と表記すべきかもしれませんが、本編の途中からは「副島種臣」として表現しています。
2021年02月07日
第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)
こんばんは。
のちの明治初期。近代国家・日本の外交を担う副島種臣(枝吉次郎)。幕末の、この頃は偉大な兄・枝吉神陽にも認められたくて、駆け回っているところです。
――佐賀城・本丸御殿。殿・鍋島直正は、副島の出兵要請を退けた。
しかも謹慎まで命じられた。去りゆく副島の後ろ姿。落胆の色が隠せない。
傍に控えていた、保守派・原田小四郎が殿・直正に意見する。
「わざわざ殿から、あのような申し渡しをなされずとも良いと存じる!」
「…何じゃ。原田としては、不服はあるまい。」
殿・直正は不満げである。保守派には、文句の無い判断のはず。軽々に政局に関わっては危うい。ましてや誘い出されるように、京に出兵するなど論外だ。
――原田の想いは、別のところにあった。
「こういった申し渡しは、拙者の役回りにござる!」
原田は「殿自ら、家来を失望させる必要はない」と言いたい様子だ。憎まれ役は、自分が引き受けるという気構えである。
「おお、そうか。これは恐れ入った。」
これも原田なりの真心だ。険しい表情が解けた、直正。
「次郎よ…すまぬな。いまの京に、我が家来を送りたくは無いのじゃ…」
また、直正が眉間をしかめる。京都のある方角、遥か東の空を見つめている。

――殿・鍋島直正は、極秘の情報収集を行っていた。
ほんの少し前、長崎から蒸気船・観光丸で薩摩(鹿児島)に寄港した、殿・直正。
その時は薩摩藩主・島津斉彬と密談した。薩摩から京都へ数千の兵を率い、出陣する計画があるようだ。目的は、幕府と大老・井伊直弼に対する牽制。
朝廷の許し無く条約締結を断行すれば、抗議する。そして一橋慶喜を次期将軍に推す“一橋派”の復権を狙う。
一方で、佐賀藩主・直正には、井伊直弼の外交方針「武備開国」(まず開国し、武装を整える)への異論はない。欧米列強は、すでに牙を剥いているのだ。
――まずは速やかに開国し、争いを避けるのもやむを得ない。
西洋の技術も取り入れ、佐賀はもっと強くならねば。長崎港、そして、西方の海を守ることは佐賀にしかできない役割である。
直正が緊張感を持つ相手は、常に海外なのだ。将軍の後継選びで国内の政治闘争に加わっている場合ではない。
「薩摩守さま、あまり手荒な真似はなさいませぬよう。」
「鍋島肥前、そう怖い顔をするな…異国に付け入る隙など与えぬ。」
島津斉彬と鍋島直正。母方のいとこ同士、二人の名君。最後の対話となった。
直正が佐賀に帰ってから、しばらく後。薩摩から京都への出兵を準備していた、島津斉彬は急死したのである。
――そして、京の都には“渦”が巻き起こっていた。
「なんや…お主らは!?」
“佐賀からの出兵”で副島と相談をした公家・伊丹重賢が声を上げる。
京の宵闇から現れた、眼前の侍たちへの問いかけだ。
「我ら彦根から参りました。“御用”の者でござる。」
井伊直弼の配下・彦根(滋賀)の藩士である。京都を守護する任務があった。
「伊丹さま、彦根まで同行願いましょうか。」
「控えよ!無礼やないか!!」
袖を振って抗う伊丹。その両脇を、二人の屈強な彦根藩士が抱え込んだ。
(続く)
〔参照記事〕
第14話「遣米使節」⑩(秘密の航海)
第14話「遣米使節」⑪(名君たちの“約束”)
のちの明治初期。近代国家・日本の外交を担う副島種臣(枝吉次郎)。幕末の、この頃は偉大な兄・枝吉神陽にも認められたくて、駆け回っているところです。
――佐賀城・本丸御殿。殿・鍋島直正は、副島の出兵要請を退けた。
しかも謹慎まで命じられた。去りゆく副島の後ろ姿。落胆の色が隠せない。
傍に控えていた、保守派・原田小四郎が殿・直正に意見する。
「わざわざ殿から、あのような申し渡しをなされずとも良いと存じる!」
「…何じゃ。原田としては、不服はあるまい。」
殿・直正は不満げである。保守派には、文句の無い判断のはず。軽々に政局に関わっては危うい。ましてや誘い出されるように、京に出兵するなど論外だ。
――原田の想いは、別のところにあった。
「こういった申し渡しは、拙者の役回りにござる!」
原田は「殿自ら、家来を失望させる必要はない」と言いたい様子だ。憎まれ役は、自分が引き受けるという気構えである。
「おお、そうか。これは恐れ入った。」
これも原田なりの真心だ。険しい表情が解けた、直正。
「次郎よ…すまぬな。いまの京に、我が家来を送りたくは無いのじゃ…」
また、直正が眉間をしかめる。京都のある方角、遥か東の空を見つめている。
――殿・鍋島直正は、極秘の情報収集を行っていた。
ほんの少し前、長崎から蒸気船・観光丸で薩摩(鹿児島)に寄港した、殿・直正。
その時は薩摩藩主・島津斉彬と密談した。薩摩から京都へ数千の兵を率い、出陣する計画があるようだ。目的は、幕府と大老・井伊直弼に対する牽制。
朝廷の許し無く条約締結を断行すれば、抗議する。そして一橋慶喜を次期将軍に推す“一橋派”の復権を狙う。
一方で、佐賀藩主・直正には、井伊直弼の外交方針「武備開国」(まず開国し、武装を整える)への異論はない。欧米列強は、すでに牙を剥いているのだ。
――まずは速やかに開国し、争いを避けるのもやむを得ない。
西洋の技術も取り入れ、佐賀はもっと強くならねば。長崎港、そして、西方の海を守ることは佐賀にしかできない役割である。
直正が緊張感を持つ相手は、常に海外なのだ。将軍の後継選びで国内の政治闘争に加わっている場合ではない。
「薩摩守さま、あまり手荒な真似はなさいませぬよう。」
「鍋島肥前、そう怖い顔をするな…異国に付け入る隙など与えぬ。」
島津斉彬と鍋島直正。母方のいとこ同士、二人の名君。最後の対話となった。
直正が佐賀に帰ってから、しばらく後。薩摩から京都への出兵を準備していた、島津斉彬は急死したのである。
――そして、京の都には“渦”が巻き起こっていた。
「なんや…お主らは!?」
“佐賀からの出兵”で副島と相談をした公家・伊丹重賢が声を上げる。
京の宵闇から現れた、眼前の侍たちへの問いかけだ。
「我ら彦根から参りました。“御用”の者でござる。」
井伊直弼の配下・彦根(滋賀)の藩士である。京都を守護する任務があった。
「伊丹さま、彦根まで同行願いましょうか。」
「控えよ!無礼やないか!!」
袖を振って抗う伊丹。その両脇を、二人の屈強な彦根藩士が抱え込んだ。
(続く)
〔参照記事〕
2021年02月11日
第15話「江戸動乱」⑫(その船、電流丸)
こんばんは。
幕末、1858年(安政5年)頃。京都は「安政の大獄」の探索で物騒な雰囲気。佐賀の話に戻ると、“本編”を書く私までホッとするところがあります。
――季節は秋。佐賀の殿様・鍋島直正は長崎に居た。
「いよいよじゃな。」
殿・直正が心待ちにしていたものが到着する日。
「はっ!間もなく“ナガサキ号”が入港します。」
“佐賀の鉄製大砲”を製作した、側近・本島藤太夫が答える。
本島は40代半ばだが、長崎の海軍伝習所で若い藩士たちとともに学ぶ。この日は、長崎の高台から“その船”を待っていた。

――長崎港の入口に、一隻の蒸気船(黒船)の船影が現れる。
「おおっ!あの船か!!」
直正が、少年のように目を輝かせた。
ボッ……
まるで殿・直正が見ていると意識して、“黒船”が返事をしたかのようだ。
「これは良き船であるな!本島。早う近くで見たいぞ!」
「はい、この本島も嬉しゅうございます!」
――どう見ても、はしゃいでいる、殿様と家臣。
船が港に近づけば、もう居てもたってもいられない。
「本島…!参るぞ。皆も続け!」
「ははっ。皆の者、これより“御船”に向かうぞ。」
殿・直正を護衛する、侍の幾人かが急ぎ足で後を追う。
岸壁から見る“ナガサキ号”と呼ばれた黒船。甲板には、オランダ人の艦長と思しき人物。傍らでは、赤毛の若い女性が手を振る。
――オランダ製の蒸気船、仮称は“ナガサキ”号。
最新のスクリュー推進式だ。佐賀藩は、オランダよりこの艦船を購入した。
陶磁器・ハゼ蝋(ろう)・製茶などの殖産興業で、資金力を蓄えた成果である。
ほどなく船に乗り込み、甲板に上がる殿・直正。当時、最も“黒船”に慣れた大名と言ってよいだろう。蒸気船に乗ることに、全く躊躇(ちゅうちょ)がない。
船の甲板から周囲を見回す。張り巡らされたロープが天を覆う。蒸気機関には、馬百頭分の力があるという。直正は、いま一度、腹の底から声を出した。
「良き船じゃ!!」

――佐賀藩士には、オランダ語の遣い手が多いが…
通訳に頼るだけでなく、いつも直接オランダ人に話しかける殿・直正。
変わった大名であるが、異文化コミュニケーションには、勢いも大事のようだ。
「これで余は…、翼を得たかのようじゃ。飛び立つように嬉しいぞ!!」
ついに獲得できた、佐賀藩が所有する蒸気船(黒船)。
オランダ人艦長にも“肥前サマ”(直正)の喜びが伝わる。
「長イ航海で、オ届ケスル甲斐が有リマシタ…」
――艦長も満面の笑み。その隣、赤毛の女性は、艦長の妻である。
「ほう…猫のような目。そして、不思議なる髪色じゃ…」
“肥前サマ”の大注目に、サービス精神を発揮した艦長の妻。
赤毛の美しい髪をクルクルとほどいて見せる。
当時、直正が関わるような日本女性は髪を油でまとめている。サラサラとした髪。西洋美人も、異文化の香りなのだ。
「この者も、また美しい。興味深いのう!!」
――今日は至って、上機嫌な直正である。
蒸気船ならば、佐賀藩の大砲を積み、運用できる。異国に怯えてばかりいなくても良い。一方で、欧米列強の実力も見極めず「攘夷」を叫ぶのは危険に過ぎる。
「…殿。“次を如何(いかが)するか”をお考えでございますな。」
「さすがは本島、察しが良いことだ。」
このとき殿・鍋島直正は、また真剣な面持ちに戻っていた。
――この蒸気船は、“電流丸”と名付けられた。
当時の日本では希少な、最新の蒸気船の一隻。この船をどう用いるか…そして、佐賀がどう動くか。それは国の未来に関わっていた。
(続く)
〔参照記事〕
〇発注時点の話(終盤)
・第11話「蝦夷探検」①(殿、蒸気船に乗る)
〇同時期の話(終盤)
・第12話「海軍伝習」⑩-2(負けんばい!・後編)
幕末、1858年(安政5年)頃。京都は「安政の大獄」の探索で物騒な雰囲気。佐賀の話に戻ると、“本編”を書く私までホッとするところがあります。
――季節は秋。佐賀の殿様・鍋島直正は長崎に居た。
「いよいよじゃな。」
殿・直正が心待ちにしていたものが到着する日。
「はっ!間もなく“ナガサキ号”が入港します。」
“佐賀の鉄製大砲”を製作した、側近・本島藤太夫が答える。
本島は40代半ばだが、長崎の海軍伝習所で若い藩士たちとともに学ぶ。この日は、長崎の高台から“その船”を待っていた。
――長崎港の入口に、一隻の蒸気船(黒船)の船影が現れる。
「おおっ!あの船か!!」
直正が、少年のように目を輝かせた。
ボッ……
まるで殿・直正が見ていると意識して、“黒船”が返事をしたかのようだ。
「これは良き船であるな!本島。早う近くで見たいぞ!」
「はい、この本島も嬉しゅうございます!」
――どう見ても、はしゃいでいる、殿様と家臣。
船が港に近づけば、もう居てもたってもいられない。
「本島…!参るぞ。皆も続け!」
「ははっ。皆の者、これより“御船”に向かうぞ。」
殿・直正を護衛する、侍の幾人かが急ぎ足で後を追う。
岸壁から見る“ナガサキ号”と呼ばれた黒船。甲板には、オランダ人の艦長と思しき人物。傍らでは、赤毛の若い女性が手を振る。
――オランダ製の蒸気船、仮称は“ナガサキ”号。
最新のスクリュー推進式だ。佐賀藩は、オランダよりこの艦船を購入した。
陶磁器・ハゼ蝋(ろう)・製茶などの殖産興業で、資金力を蓄えた成果である。
ほどなく船に乗り込み、甲板に上がる殿・直正。当時、最も“黒船”に慣れた大名と言ってよいだろう。蒸気船に乗ることに、全く躊躇(ちゅうちょ)がない。
船の甲板から周囲を見回す。張り巡らされたロープが天を覆う。蒸気機関には、馬百頭分の力があるという。直正は、いま一度、腹の底から声を出した。
「良き船じゃ!!」
――佐賀藩士には、オランダ語の遣い手が多いが…
通訳に頼るだけでなく、いつも直接オランダ人に話しかける殿・直正。
変わった大名であるが、異文化コミュニケーションには、勢いも大事のようだ。
「これで余は…、翼を得たかのようじゃ。飛び立つように嬉しいぞ!!」
ついに獲得できた、佐賀藩が所有する蒸気船(黒船)。
オランダ人艦長にも“肥前サマ”(直正)の喜びが伝わる。
「長イ航海で、オ届ケスル甲斐が有リマシタ…」
――艦長も満面の笑み。その隣、赤毛の女性は、艦長の妻である。
「ほう…猫のような目。そして、不思議なる髪色じゃ…」
“肥前サマ”の大注目に、サービス精神を発揮した艦長の妻。
赤毛の美しい髪をクルクルとほどいて見せる。
当時、直正が関わるような日本女性は髪を油でまとめている。サラサラとした髪。西洋美人も、異文化の香りなのだ。
「この者も、また美しい。興味深いのう!!」
――今日は至って、上機嫌な直正である。
蒸気船ならば、佐賀藩の大砲を積み、運用できる。異国に怯えてばかりいなくても良い。一方で、欧米列強の実力も見極めず「攘夷」を叫ぶのは危険に過ぎる。
「…殿。“次を如何(いかが)するか”をお考えでございますな。」
「さすがは本島、察しが良いことだ。」
このとき殿・鍋島直正は、また真剣な面持ちに戻っていた。
――この蒸気船は、“電流丸”と名付けられた。
当時の日本では希少な、最新の蒸気船の一隻。この船をどう用いるか…そして、佐賀がどう動くか。それは国の未来に関わっていた。
(続く)
〔参照記事〕
〇発注時点の話(終盤)
・
〇同時期の話(終盤)
・
2021年02月13日
第15話「江戸動乱」⑬(海に駆ける)
こんばんは。前回の続きです。
殿・鍋島直正が待ち望んだ蒸気船が長崎に到着。ついに佐賀藩は、蒸気船(黒船※)を保有することになりました。
あらためて“電流丸”と名付けられた蒸気船。幕末期に、日本の海を駆けます。
――1859年(安政6年)春。小倉(福岡)の沖合。
「帆ば、畳(たた)まんね!」
「汽走に切り換えじゃ!!」
甲板上で慌ただしく動き回る、佐賀藩士たち。
長崎の海軍伝習で訓練は積んだが、まだ余裕はない印象だ。しかし、乗務する藩士たちからは、誇らしげな笑みがこぼれる。

――蒸気船(黒船)を運用する、佐賀藩士。
“黒船”に乗せてもらうのではない、自ら動かすのだ。関門海峡を抜け、瀬戸内に向かう手前で、蒸気機関を起動する。
「何やら、楽しかですね!」
「畏(おそ)れ多くも、殿の御前ったい!気ば引き締めんね!」
ボーッ…
忙しく乗員たちがロープを曳いて帆を畳む。ほどなく“電流丸”は、汽走に入る。
ゴゴ…ゴゴッ…
海面の下ではスクリューが回転を始め、白波がザワザワと泡立つ。
――“電流丸”は、力強く煙を吐き、海峡を行く。
甲板上。潮風を受けながら、殿・直正が側近・古川与一(松根)と並んで話す。
「海は良いのう。与一よ!ようやっと、ここまで来たな!」
幼少期から直正と育った世話係・古川。
言葉を返そうと、殿の顔を伺う…あらためて考え事の様子だ。
「…船団を組まねばならぬ。良き港も要るな。」
「港…何処(いずこ)にお考えでございますかな?」
佐賀藩は海に面するが、南の有明海は遠浅で干満差が大きく、扱いは難しい。北の伊万里は陶磁器の積出港として賑わうが、佐賀城との連絡に適さない。
――ここは“幼なじみ”の古川にも、予期せぬ回答があった。
「天草(熊本)に、“蒸気船”の港が欲しいのう。」
「…天草は、“御領”(幕府領)ではありませぬか!?」
「そうじゃ!それを江戸で談判する。」
“電流丸”での参勤交代に不都合は無いようだ。試験運用は上々の出来だ。あとは通常の大名行列で、東海道から江戸に入る。

――外海に開かれた港で、異国船に目を光らせる。
殿・鍋島直正がこの“想い”を届けたい相手は、大老・井伊直弼である。
江戸に到着した直正。ほどなく、井伊が住まう彦根藩邸に招かれた。
「いかがであったか?“黒船”での参勤は。」
他の大名ではめったにお目にかかれない、上機嫌な井伊大老だ。
「“蒸気船”は良きものにござるぞ!井伊さまも、いかがか!」
殿・直正による「“黒船参勤”のススメ」である。
「はっはっは…そのような事を為すのは、鍋島ぐらいなものだ。」
――井伊は、何やら久しぶりに笑ったようだ。
西洋列強の圧力、朝廷や諸侯の批判が一身に集まる。井伊は開国を断行し、次期将軍を紀伊の徳川慶福(家茂)に定めた。大老に心の休まる暇など無い。
「申したき儀(用件)なれば、遠慮は無用。鍋島肥前の言なれば、しかと聞こう。」
多忙を極める井伊直弼だが、佐賀の殿様には真っ直ぐに目を向ける。
誰と手を結び、どう幕府を動揺させるか…最近では権謀術数ばかりを見る。一方で、鍋島は違う。他藩とつるむどころか、幕府に寄りかかる様子も無い。
――「誰に頼らずとも西の海くらいは、自力で守って見せる。」
井伊の視線に応える、直正の目がそう語っていた。
「肥後の天草を…、佐賀が借り受けたい。」
幕府の治める肥後(熊本)の天草地方に、佐賀藩の「海軍基地」を作る。まず異国船が往来する“日本の表玄関”・長崎の周辺に、鉄壁の守りを敷くのだ。
無計画に“攘夷”を叫ぶのは、実際に異国と向き合う佐賀藩にとって絵空事だ。直正は、並みの大名では思いも及ばない計画を切り出した。
(続く)
※“黒船”という呼び名は西洋船の船体の色に由来し、江戸初期からの表現だそうです。そのため、西洋の“帆船”も「黒船」と呼ばれたと思われますが、幕末のドラマによくあるように、作中人物のセリフで「黒船」が“蒸気船”を指している場合があります。
殿・鍋島直正が待ち望んだ蒸気船が長崎に到着。ついに佐賀藩は、蒸気船(黒船※)を保有することになりました。
あらためて“電流丸”と名付けられた蒸気船。幕末期に、日本の海を駆けます。
――1859年(安政6年)春。小倉(福岡)の沖合。
「帆ば、畳(たた)まんね!」
「汽走に切り換えじゃ!!」
甲板上で慌ただしく動き回る、佐賀藩士たち。
長崎の海軍伝習で訓練は積んだが、まだ余裕はない印象だ。しかし、乗務する藩士たちからは、誇らしげな笑みがこぼれる。
――蒸気船(黒船)を運用する、佐賀藩士。
“黒船”に乗せてもらうのではない、自ら動かすのだ。関門海峡を抜け、瀬戸内に向かう手前で、蒸気機関を起動する。
「何やら、楽しかですね!」
「畏(おそ)れ多くも、殿の御前ったい!気ば引き締めんね!」
ボーッ…
忙しく乗員たちがロープを曳いて帆を畳む。ほどなく“電流丸”は、汽走に入る。
ゴゴ…ゴゴッ…
海面の下ではスクリューが回転を始め、白波がザワザワと泡立つ。
――“電流丸”は、力強く煙を吐き、海峡を行く。
甲板上。潮風を受けながら、殿・直正が側近・古川与一(松根)と並んで話す。
「海は良いのう。与一よ!ようやっと、ここまで来たな!」
幼少期から直正と育った世話係・古川。
言葉を返そうと、殿の顔を伺う…あらためて考え事の様子だ。
「…船団を組まねばならぬ。良き港も要るな。」
「港…何処(いずこ)にお考えでございますかな?」
佐賀藩は海に面するが、南の有明海は遠浅で干満差が大きく、扱いは難しい。北の伊万里は陶磁器の積出港として賑わうが、佐賀城との連絡に適さない。
――ここは“幼なじみ”の古川にも、予期せぬ回答があった。
「天草(熊本)に、“蒸気船”の港が欲しいのう。」
「…天草は、“御領”(幕府領)ではありませぬか!?」
「そうじゃ!それを江戸で談判する。」
“電流丸”での参勤交代に不都合は無いようだ。試験運用は上々の出来だ。あとは通常の大名行列で、東海道から江戸に入る。
――外海に開かれた港で、異国船に目を光らせる。
殿・鍋島直正がこの“想い”を届けたい相手は、大老・井伊直弼である。
江戸に到着した直正。ほどなく、井伊が住まう彦根藩邸に招かれた。
「いかがであったか?“黒船”での参勤は。」
他の大名ではめったにお目にかかれない、上機嫌な井伊大老だ。
「“蒸気船”は良きものにござるぞ!井伊さまも、いかがか!」
殿・直正による「“黒船参勤”のススメ」である。
「はっはっは…そのような事を為すのは、鍋島ぐらいなものだ。」
――井伊は、何やら久しぶりに笑ったようだ。
西洋列強の圧力、朝廷や諸侯の批判が一身に集まる。井伊は開国を断行し、次期将軍を紀伊の徳川慶福(家茂)に定めた。大老に心の休まる暇など無い。
「申したき儀(用件)なれば、遠慮は無用。鍋島肥前の言なれば、しかと聞こう。」
多忙を極める井伊直弼だが、佐賀の殿様には真っ直ぐに目を向ける。
誰と手を結び、どう幕府を動揺させるか…最近では権謀術数ばかりを見る。一方で、鍋島は違う。他藩とつるむどころか、幕府に寄りかかる様子も無い。
――「誰に頼らずとも西の海くらいは、自力で守って見せる。」
井伊の視線に応える、直正の目がそう語っていた。
「肥後の天草を…、佐賀が借り受けたい。」
幕府の治める肥後(熊本)の天草地方に、佐賀藩の「海軍基地」を作る。まず異国船が往来する“日本の表玄関”・長崎の周辺に、鉄壁の守りを敷くのだ。
無計画に“攘夷”を叫ぶのは、実際に異国と向き合う佐賀藩にとって絵空事だ。直正は、並みの大名では思いも及ばない計画を切り出した。
(続く)
※“黒船”という呼び名は西洋船の船体の色に由来し、江戸初期からの表現だそうです。そのため、西洋の“帆船”も「黒船」と呼ばれたと思われますが、幕末のドラマによくあるように、作中人物のセリフで「黒船」が“蒸気船”を指している場合があります。
2021年02月23日
第15話「江戸動乱」⑭(“赤鬼”が背負うもの)
こんばんは。
1858年(安政5年)から翌年にかけて続いた「安政の大獄」。
陰で“赤鬼”とも呼ばれた、大老・井伊直弼。行きがかり上、国の命運を背負ってしまった、この人物。それだけの責任感の持ち主でもありました。
――江戸。彦根藩の屋敷。
大老・井伊直弼。激務の合間、僅(わず)かな時に思索をする。
スーッ…、静かな呼吸である。
いまや幕閣の最高位職“大老”として、国の舵取りをする立場だ。かつては彦根(滋賀)の殿様になる事も想像できなかった。正室の子でもなく、兄たちもいた。
まるで埋木(うもれぎ)のようにくすぶる日々。
井伊直弼は学問を高め、武芸に励み、禅の修行にも打ち込んだ。
――薄く開いた目に映るのは、井伊自身の位牌(いはい)。
生きているうちに、戒名(かいみょう)も用意した。
「何やら、支度(したく)が整ったようで落ち着く…か。」
井伊直弼は、仏間で一人苦笑をした。黒船来航後、さらに強まる西洋列強の圧力。外交危機は続き、“大老”に抜擢された井伊は、難局に立ち向かってきた。
「国の安寧(あんねい)のために尽くしたこと…悔いは無い。」
ふと井伊は、故郷・彦根から望む湖を想い起こした。穏やかな“母なる湖”は、陽の当らぬ場所で、燻(くすぶ)っていた頃の心も癒していた。

――開国(通商条約)の断行や、次期将軍・徳川家茂の擁立…
事態を打開するためとは言え、“安政の大獄”では敵を作り過ぎた。その一方で、信頼できる者は数少ない。内政では会津藩、外交では佐賀藩…ぐらいか。
静寂を打ち破るように、屋敷の彦根藩士の声が響く。
「佐賀の屋敷に、出立なさる刻限にございます!」
「もう、そのように時が過ぎておったか!」
静かな思索のひと時を経て、井伊の表情は晴れやかだった。
――1860年・冬(安政7年2月)。井伊直弼には、ある約束があった。
井伊は、参勤交代で江戸にいた佐賀藩主・鍋島直正を訪ねた。
幕府の大老が、他の大名の屋敷に出向くことは異例である。
「井伊さま。わざわざのお運び、忝(かたじけ)ない。」
丁寧に出迎える、佐賀の殿様。
先年、江戸に来たときには鍋島直正が、彦根の屋敷に井伊直弼を訪ねている。幕府中枢と外様大名の垣根を越えた、行き来があった。
――佐賀藩の屋敷。冬の庭先にも、陽射しが差し込む。
この時、佐賀藩には、幕府への「お願い事」があった。
「先だって聞いておった“天草”の件。この井伊が請け負おう。」
井伊の外交政策は、開国して武装を整える…佐賀藩とほぼ同様の方針だ。
「これは、有難い。異国に対する備えも進みまする!」
鍋島直正が身を乗り出した。幕府の領地・天草(熊本)を借り、外海に開けた港を築いて、“蒸気船”を遣うつもりだ。

――直正の反応を見た、井伊が苦笑する。
「はっはっは…鍋島肥前(直正)。喜びが顔に書いておるようじゃぞ。」
「左様(さよう)でございましょうな。これは失敬をいたした。」
「もはや“西海の守り”は、お主だけが頼り。任せたぞ…」
幕府の領地を、外様大名に託す。この内諾は、井伊の期待の表れだった。
当時の日本は、欧米各国と次々に“修好通商条約”を締結した。長崎だけでなく異国船が行き交う、西の海を守る力が要る。
「…井伊さま、御身(おんみ)も大事になさいませ。」
――真剣な面持ちを見せた直正。井伊の身を案じる言葉を発した。
淡々とした井伊の口調は、まるで「自分のいない世界」への布石(ふせき)だ。
部下の彦根藩士からも「警護の者を増やすべき」との訴えはあるようだ。しかし、幕府には“供回りの数”の基準がある。井伊直弼は規則を曲げることを嫌った。
「肥前どの。国を束ねるものは、まず自らの身を律(りっ)せねばならん。」
「井伊さま、見事なお心掛け。されど命あってこそ成し得る事がございますぞ。」
(続く)
1858年(安政5年)から翌年にかけて続いた「安政の大獄」。
陰で“赤鬼”とも呼ばれた、大老・井伊直弼。行きがかり上、国の命運を背負ってしまった、この人物。それだけの責任感の持ち主でもありました。
――江戸。彦根藩の屋敷。
大老・井伊直弼。激務の合間、僅(わず)かな時に思索をする。
スーッ…、静かな呼吸である。
いまや幕閣の最高位職“大老”として、国の舵取りをする立場だ。かつては彦根(滋賀)の殿様になる事も想像できなかった。正室の子でもなく、兄たちもいた。
まるで埋木(うもれぎ)のようにくすぶる日々。
井伊直弼は学問を高め、武芸に励み、禅の修行にも打ち込んだ。
――薄く開いた目に映るのは、井伊自身の位牌(いはい)。
生きているうちに、戒名(かいみょう)も用意した。
「何やら、支度(したく)が整ったようで落ち着く…か。」
井伊直弼は、仏間で一人苦笑をした。黒船来航後、さらに強まる西洋列強の圧力。外交危機は続き、“大老”に抜擢された井伊は、難局に立ち向かってきた。
「国の安寧(あんねい)のために尽くしたこと…悔いは無い。」
ふと井伊は、故郷・彦根から望む湖を想い起こした。穏やかな“母なる湖”は、陽の当らぬ場所で、燻(くすぶ)っていた頃の心も癒していた。
――開国(通商条約)の断行や、次期将軍・徳川家茂の擁立…
事態を打開するためとは言え、“安政の大獄”では敵を作り過ぎた。その一方で、信頼できる者は数少ない。内政では会津藩、外交では佐賀藩…ぐらいか。
静寂を打ち破るように、屋敷の彦根藩士の声が響く。
「佐賀の屋敷に、出立なさる刻限にございます!」
「もう、そのように時が過ぎておったか!」
静かな思索のひと時を経て、井伊の表情は晴れやかだった。
――1860年・冬(安政7年2月)。井伊直弼には、ある約束があった。
井伊は、参勤交代で江戸にいた佐賀藩主・鍋島直正を訪ねた。
幕府の大老が、他の大名の屋敷に出向くことは異例である。
「井伊さま。わざわざのお運び、忝(かたじけ)ない。」
丁寧に出迎える、佐賀の殿様。
先年、江戸に来たときには鍋島直正が、彦根の屋敷に井伊直弼を訪ねている。幕府中枢と外様大名の垣根を越えた、行き来があった。
――佐賀藩の屋敷。冬の庭先にも、陽射しが差し込む。
この時、佐賀藩には、幕府への「お願い事」があった。
「先だって聞いておった“天草”の件。この井伊が請け負おう。」
井伊の外交政策は、開国して武装を整える…佐賀藩とほぼ同様の方針だ。
「これは、有難い。異国に対する備えも進みまする!」
鍋島直正が身を乗り出した。幕府の領地・天草(熊本)を借り、外海に開けた港を築いて、“蒸気船”を遣うつもりだ。

――直正の反応を見た、井伊が苦笑する。
「はっはっは…鍋島肥前(直正)。喜びが顔に書いておるようじゃぞ。」
「左様(さよう)でございましょうな。これは失敬をいたした。」
「もはや“西海の守り”は、お主だけが頼り。任せたぞ…」
幕府の領地を、外様大名に託す。この内諾は、井伊の期待の表れだった。
当時の日本は、欧米各国と次々に“修好通商条約”を締結した。長崎だけでなく異国船が行き交う、西の海を守る力が要る。
「…井伊さま、御身(おんみ)も大事になさいませ。」
――真剣な面持ちを見せた直正。井伊の身を案じる言葉を発した。
淡々とした井伊の口調は、まるで「自分のいない世界」への布石(ふせき)だ。
部下の彦根藩士からも「警護の者を増やすべき」との訴えはあるようだ。しかし、幕府には“供回りの数”の基準がある。井伊直弼は規則を曲げることを嫌った。
「肥前どの。国を束ねるものは、まず自らの身を律(りっ)せねばならん。」
「井伊さま、見事なお心掛け。されど命あってこそ成し得る事がございますぞ。」
(続く)
2021年02月25日
第15話「江戸動乱」⑮(雪の舞う三月)
こんばんは。
1860年「桜田門外の変」。旧暦で言えば三月初旬。春に起きた事件です。
遡ること2か月。一月には、幕府の使節団が条約の手続きのため、冬の太平洋をアメリカへと旅立っています。
大老・井伊直弼が決断した「開国」により、時代は動いていました。
そして二月には、井伊は江戸で、鍋島の屋敷を訪ねたばかりでした。
――春なのに肌寒い、江戸の街。佐賀藩の屋敷。
「季節外れの遅い雪か…」
佐賀藩主・鍋島直正は、曇った空を見ていた。天から、はらはらと落ちる雪。
旧暦の三月は、もう春の陽気が注ぎ、桜が咲いてもおかしくない時節だ。
ダダダダッ…
屋敷の廊下で、佐賀藩士たちの忙しい足音が響く。
「殿!申し上げます。無作法ながらっ…、一大事にて!」

――その日、事件は江戸城・桜田門の手前で起きた。
城に出仕する、大老・井伊直弼。
彦根藩の屋敷から、城門まではさほどの距離ではない。
「申し上げたき儀がございます!」
突如、道端から歩み出た者がいる。進路を遮られて行列は一旦、止まった。
「何事か!無礼であろう!」
行列の先頭にいる侍が、怒声をあげる。次の瞬間。
――パァン!突如として、乾いた銃声が響く。
ヒュン!!
弾道が、井伊直弼の乗る駕籠(かご)に吸い込まれていく。
襲撃を悟った井伊だったが、その銃弾は腰部を貫通していた。
「これは…、いかんようだな。」
井伊は気づいた。すでに下肢の感覚が無い。
発砲の音を合図に抜刀した十数名が斬り込んでくる。雪の降る日の急襲。井伊の供回りは刀が濡れぬよう柄袋を掛けており、一手を出す前に次々と討たれる。
――大混乱に陥る、井伊の一行。
かつて井伊直弼は、居合の流派を立ち上げるほど鍛錬を積んでいた。常人では扱い難い、重い刀も自在に操ったのだ。
しかし先ほどの一瞬で、その腕前は失われた。もう、動くことができないのだ。
「…これも、天命ということか。」
大音声を上げて、殺到する襲撃者たち。井伊は静かに待つ。
「お主らも、儂と“志”は同じなのかも知れぬな…」

――井伊直弼は、もともと攘夷論者だった。
迫りくる列強に、この国を好きにさせてはならない。それは、佐賀の鍋島直正も同じ想いで、2人は意気投合したのだ。
「まず開国して進んだ業(わざ)を学び、その業を磨いて異国に立ち向かう。」
目先で攘夷を叫ぶ者たちとの違いは、相手の力量を理解するかどうかの差だ。
条約の調印後に手続きのため、欧米に使節を派遣することが決まる。幕府は急ぎ優秀な者を集めた。そして、頼りになる佐賀からは多数の同行者を認めた。
――いずれ、世界を廻った者たちが帰ってくる。それからだ。
もはや襲撃者に応戦することはできない、井伊直弼。
「たとえ志は正しくとも、お主らのやり方は間違っておるぞ…」
その駕籠を目掛けて、四方から刃が突きたてられる。
「済まぬ。儂はここまでのようだ。後は…任せたぞ。」
遠のく井伊の意識に、ふたたび故郷・彦根の優しい湖の景色が広がっていた。
(続く)
1860年「桜田門外の変」。旧暦で言えば三月初旬。春に起きた事件です。
遡ること2か月。一月には、幕府の使節団が条約の手続きのため、冬の太平洋をアメリカへと旅立っています。
大老・井伊直弼が決断した「開国」により、時代は動いていました。
そして二月には、井伊は江戸で、鍋島の屋敷を訪ねたばかりでした。
――春なのに肌寒い、江戸の街。佐賀藩の屋敷。
「季節外れの遅い雪か…」
佐賀藩主・鍋島直正は、曇った空を見ていた。天から、はらはらと落ちる雪。
旧暦の三月は、もう春の陽気が注ぎ、桜が咲いてもおかしくない時節だ。
ダダダダッ…
屋敷の廊下で、佐賀藩士たちの忙しい足音が響く。
「殿!申し上げます。無作法ながらっ…、一大事にて!」
――その日、事件は江戸城・桜田門の手前で起きた。
城に出仕する、大老・井伊直弼。
彦根藩の屋敷から、城門まではさほどの距離ではない。
「申し上げたき儀がございます!」
突如、道端から歩み出た者がいる。進路を遮られて行列は一旦、止まった。
「何事か!無礼であろう!」
行列の先頭にいる侍が、怒声をあげる。次の瞬間。
――パァン!突如として、乾いた銃声が響く。
ヒュン!!
弾道が、井伊直弼の乗る駕籠(かご)に吸い込まれていく。
襲撃を悟った井伊だったが、その銃弾は腰部を貫通していた。
「これは…、いかんようだな。」
井伊は気づいた。すでに下肢の感覚が無い。
発砲の音を合図に抜刀した十数名が斬り込んでくる。雪の降る日の急襲。井伊の供回りは刀が濡れぬよう柄袋を掛けており、一手を出す前に次々と討たれる。
――大混乱に陥る、井伊の一行。
かつて井伊直弼は、居合の流派を立ち上げるほど鍛錬を積んでいた。常人では扱い難い、重い刀も自在に操ったのだ。
しかし先ほどの一瞬で、その腕前は失われた。もう、動くことができないのだ。
「…これも、天命ということか。」
大音声を上げて、殺到する襲撃者たち。井伊は静かに待つ。
「お主らも、儂と“志”は同じなのかも知れぬな…」
――井伊直弼は、もともと攘夷論者だった。
迫りくる列強に、この国を好きにさせてはならない。それは、佐賀の鍋島直正も同じ想いで、2人は意気投合したのだ。
「まず開国して進んだ業(わざ)を学び、その業を磨いて異国に立ち向かう。」
目先で攘夷を叫ぶ者たちとの違いは、相手の力量を理解するかどうかの差だ。
条約の調印後に手続きのため、欧米に使節を派遣することが決まる。幕府は急ぎ優秀な者を集めた。そして、頼りになる佐賀からは多数の同行者を認めた。
――いずれ、世界を廻った者たちが帰ってくる。それからだ。
もはや襲撃者に応戦することはできない、井伊直弼。
「たとえ志は正しくとも、お主らのやり方は間違っておるぞ…」
その駕籠を目掛けて、四方から刃が突きたてられる。
「済まぬ。儂はここまでのようだ。後は…任せたぞ。」
遠のく井伊の意識に、ふたたび故郷・彦根の優しい湖の景色が広がっていた。
(続く)
2021年02月27日
第15話「江戸動乱」⑯(殿を守れ!)
こんばんは。
「桜田門外の変」はあろうことか、日中に江戸城の門前で起きた大事件でした。
市中での情報は錯綜(さくそう)します。大老・井伊直弼が襲撃された…それは佐賀藩にとって、他人事ではありませんでした。
――江戸。佐賀藩邸に入った衝撃の一報。
この急報は間髪を置かず、佐賀藩の上層部を駆け巡った。
「井伊さまは、ご無事でござろうか!?」
「いや、実のところは…」
渋い表情を浮かべるのは、鍋島夏雲(市佑)。
殿・鍋島直正の側近で、老齢ながら機密情報の集約に長じる。
朝廷への工作活動を咎められた水戸藩。“安政の大獄”で徹底した処罰を受けた。そして、主に水戸の脱藩浪士により、今回の襲撃は実行された。
――保守派・原田小四郎が、険しい顔をする。
「井伊さまのご家来も、さぞや無念だったであろう…」
武骨な原田の、いかにも武士らしい感情移入だ。
井伊直弼を護衛した彦根藩士たちは、ほとんどが急襲に対応できなかった。しかし二刀を抜き放ち、命尽きるまで戦った者もいたという。
「そのうえ、穏やかでない話も流布(るふ)しておる…」
鍋島夏雲は「佐賀藩が余所(よそ)から“どう見られている”か」も探っていた。
――「いま、何とおっしゃったか!」原田が大声を出す。
「原田どの…、声が大きゅうござるぞ。」
年配者の落ち着きか、鍋島夏雲が制止する。
…世間の噂に「次に狙われるのは、佐賀の鍋島直正」とあるらしい。
「殿に万一、かのような狼藉(ろうぜき)を企てる者あらば…」
保守派・原田には、刺激の強すぎる一言だったようだ。
「この原田、先陣を切って迎え撃ちますぞ!!」
殿・直正への忠義第一。こうなると佐賀藩の動きは早い。

――しばし後、早馬が駆け込むや、佐賀城下にも話が広がる。
大隈八太郎(重信)もまた、砂ぼこりを上げて城下を走っていた。
「八太郎さん、また慌ただしかですね…。」
久米丈一郎(邦武)。大隈八太郎(重信)の友達である。
「丈一郎!なんば、のんびり本やら読みよるね!!」
キュッと足を止めたが、大隈八太郎は見るからに気忙しい。
「仲間から腕利きの剣士を江戸に送らんば!」
「一体、何の騒ぎが起きよるですか!?」
――急報にあわせ、城下を駆け巡る指令。
佐賀藩の上層部は「殿の身が危ない」と判断した。双方で屋敷の行き来もあり、鍋島直正が井伊直弼と親交が深かったのは知られている。
水戸藩に近い立場では「桜田門外の変」は早くも快挙として扱われている。「“安政の大獄”の恨み深い、井伊を討った」のだと。この流れは危うい。
「次は、その“仲間”だ」と、殿・直正にも矛先が向く可能性がある。大隈は、城下で「剣の達人を集め、佐賀から江戸に派遣せよ。」と指令が回るのを聞いた。
――ここで、大隈は「江戸に“尊王”の同志を送ろう!」と思い付いた。
殿の身辺警護は、話をする機会にも恵まれるはず。剣の腕だけでは足らない…賢い者を送らねば。
佐賀藩の立場は「幕府を助けて異国に備える」が基本だった。混迷の今こそ「朝廷をお守りする佐賀藩」への転換を図る…のが、大隈の目論見(もくろみ)だ。
「“剣の達人”が要るのでしょう。八太郎さんは、あまり剣ば振りよらんもんね。」
久米からの鋭い指摘。“佐賀ことば”によそ行き口調が混ざるのが気にさわる。
「“砲術の家”の子だから、仕方ないんである。」
カチンと来た、大隈。“演説調”になって、仰々しく自身の家の役目を語る。

――大隈が焦る中、急派される剣士たちが、続々決まっていく。
「私は盾となってでも、殿をお守りする!!」
決意を述べる侍がいる。流儀は新陰流のようだ。
「盾とは志の低かぞ!敵は皆、返り討ちにしてやらんば。」
こちらは、いささか荒っぽい。
「おう、鍋島武士の誇りを見せてやる!」
いずれも各道場を代表するような剣の遣い手。
――こうして“見えない敵”との戦いを始めた、佐賀藩士たち。
「皆、お役目はわかっておるようだな。これより直ちに江戸に向かう!」
剣士の集団を率いるのは、藩の重役たちを補佐する切れ者・中野数馬だ。
任務は殿を守ること。それは侍の誉れだ。集った面々には高揚感も見える。
「おおーっ!!」
30人ほどの剣士たちが気勢を上げ、昼夜兼行での江戸への旅路も始まった。
(第16話「攘夷沸騰」に続く…予定)
「桜田門外の変」はあろうことか、日中に江戸城の門前で起きた大事件でした。
市中での情報は錯綜(さくそう)します。大老・井伊直弼が襲撃された…それは佐賀藩にとって、他人事ではありませんでした。
――江戸。佐賀藩邸に入った衝撃の一報。
この急報は間髪を置かず、佐賀藩の上層部を駆け巡った。
「井伊さまは、ご無事でござろうか!?」
「いや、実のところは…」
渋い表情を浮かべるのは、鍋島夏雲(市佑)。
殿・鍋島直正の側近で、老齢ながら機密情報の集約に長じる。
朝廷への工作活動を咎められた水戸藩。“安政の大獄”で徹底した処罰を受けた。そして、主に水戸の脱藩浪士により、今回の襲撃は実行された。
――保守派・原田小四郎が、険しい顔をする。
「井伊さまのご家来も、さぞや無念だったであろう…」
武骨な原田の、いかにも武士らしい感情移入だ。
井伊直弼を護衛した彦根藩士たちは、ほとんどが急襲に対応できなかった。しかし二刀を抜き放ち、命尽きるまで戦った者もいたという。
「そのうえ、穏やかでない話も流布(るふ)しておる…」
鍋島夏雲は「佐賀藩が余所(よそ)から“どう見られている”か」も探っていた。
――「いま、何とおっしゃったか!」原田が大声を出す。
「原田どの…、声が大きゅうござるぞ。」
年配者の落ち着きか、鍋島夏雲が制止する。
…世間の噂に「次に狙われるのは、佐賀の鍋島直正」とあるらしい。
「殿に万一、かのような狼藉(ろうぜき)を企てる者あらば…」
保守派・原田には、刺激の強すぎる一言だったようだ。
「この原田、先陣を切って迎え撃ちますぞ!!」
殿・直正への忠義第一。こうなると佐賀藩の動きは早い。
――しばし後、早馬が駆け込むや、佐賀城下にも話が広がる。
大隈八太郎(重信)もまた、砂ぼこりを上げて城下を走っていた。
「八太郎さん、また慌ただしかですね…。」
久米丈一郎(邦武)。大隈八太郎(重信)の友達である。
「丈一郎!なんば、のんびり本やら読みよるね!!」
キュッと足を止めたが、大隈八太郎は見るからに気忙しい。
「仲間から腕利きの剣士を江戸に送らんば!」
「一体、何の騒ぎが起きよるですか!?」
――急報にあわせ、城下を駆け巡る指令。
佐賀藩の上層部は「殿の身が危ない」と判断した。双方で屋敷の行き来もあり、鍋島直正が井伊直弼と親交が深かったのは知られている。
水戸藩に近い立場では「桜田門外の変」は早くも快挙として扱われている。「“安政の大獄”の恨み深い、井伊を討った」のだと。この流れは危うい。
「次は、その“仲間”だ」と、殿・直正にも矛先が向く可能性がある。大隈は、城下で「剣の達人を集め、佐賀から江戸に派遣せよ。」と指令が回るのを聞いた。
――ここで、大隈は「江戸に“尊王”の同志を送ろう!」と思い付いた。
殿の身辺警護は、話をする機会にも恵まれるはず。剣の腕だけでは足らない…賢い者を送らねば。
佐賀藩の立場は「幕府を助けて異国に備える」が基本だった。混迷の今こそ「朝廷をお守りする佐賀藩」への転換を図る…のが、大隈の目論見(もくろみ)だ。
「“剣の達人”が要るのでしょう。八太郎さんは、あまり剣ば振りよらんもんね。」
久米からの鋭い指摘。“佐賀ことば”によそ行き口調が混ざるのが気にさわる。
「“砲術の家”の子だから、仕方ないんである。」
カチンと来た、大隈。“演説調”になって、仰々しく自身の家の役目を語る。
――大隈が焦る中、急派される剣士たちが、続々決まっていく。
「私は盾となってでも、殿をお守りする!!」
決意を述べる侍がいる。流儀は新陰流のようだ。
「盾とは志の低かぞ!敵は皆、返り討ちにしてやらんば。」
こちらは、いささか荒っぽい。
「おう、鍋島武士の誇りを見せてやる!」
いずれも各道場を代表するような剣の遣い手。
――こうして“見えない敵”との戦いを始めた、佐賀藩士たち。
「皆、お役目はわかっておるようだな。これより直ちに江戸に向かう!」
剣士の集団を率いるのは、藩の重役たちを補佐する切れ者・中野数馬だ。
任務は殿を守ること。それは侍の誉れだ。集った面々には高揚感も見える。
「おおーっ!!」
30人ほどの剣士たちが気勢を上げ、昼夜兼行での江戸への旅路も始まった。
(第16話「攘夷沸騰」に続く…予定)