2021年01月03日

第15話「江戸動乱」①(“新聞”の夜明け)

こんばんは。

江戸時代アメリカのホテルに滞在する侍たち
を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。

今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。


――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。

ホテルロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道旅籠(はたご)という時代だ。

その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」

アメリカに渡った幕府使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。


――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。

「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。

当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。

ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。


――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。

西洋写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。

「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。

もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。



――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。

「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。

当時の日本では上背のある方だ。

「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。


――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。

「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。

ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」


――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…

現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。

福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」

「そがんか!も“ニューズぺーバー”で、世の動き知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。

…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。


(続く)

  


Posted by SR at 19:40 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月05日

第15話「江戸動乱」②(写真館の娘)

こんばんは。
第15話は1860年の早春。アメリカを舞台にした話から始めています。

幕府遣米使節団が、サンフランシスコに到着。たまたま“ニューズぺーバー(新聞)”を題材に、話が盛り上がる青年たち。

使節団の医者として、ポーハタン号でアメリカに来た、佐賀藩医・川崎道民
幕府の随行員として咸臨丸に乗船した、福沢諭吉

…のちにヨーロッパへの使節派遣では、ルームメイトとなる2人を描きます。


――引き続き、アメリカ西海岸のホテルロビーにて。

「メリケンの“写真”は良いな。格段に進んでおる!」
佐賀藩医・川崎道民が、ロビーで見かけた写真について熱く語る。

「おや、川崎どのは“フォトグラフィー”(写真)にも、ご興味がおありですか。」
福沢が、少し気取って語る。


――やや勿体(もったい)ぶって、一枚の写真を取り出す、福沢。

「まだ、咸臨丸仲間には、見せておりませぬ!内緒の一枚にござる!」
写真には、椅子に腰かけた福沢。隣に立つアメリカ人少女が一緒に映る。

おおっ!
大きい反応を返す、川崎。清々しいほどの丸坊主が光る。

「いや…、異国女子(おなご)と写真に収まるなど、稀(まれ)なることゆえ。」
得意気な福沢。真似されるのは嫌なので、“咸臨丸”の連中には伏せておく…



――実は“写真館の娘”に頼んで、隣に映ってもらったのだ。

メリケンの業(わざ)は良かね!こいが“銀板写真”ったい!」
しかし、川崎感嘆の対象は、アメリカ写真技術だった。

「そうそう、異国の娘さんですが、可愛い子でしょう…えっ!銀板写真!?」
満面の笑顔だった福沢川崎の反応は予測と違っていた…気まずい

一方の川崎。「うむうむ…この業(わざ)ば、学んで帰りたかね…」と上機嫌だ。


――当時、日本では珍しい「写真を撮る側の人」だった、川崎道民。

少し冷静になって、また“よそ行き”の言葉に戻る、川崎

「そうだ!福沢さんと言ったか。“手術”を見聞する機会を得られそうだ。」
手術!でございますか!?」

「膀胱(ぼうこう)をだな、切り開く。詰まった石を取り除くのだ!」
川崎は目を輝かせた。アメリカでは、進んだ外科手術を見る機会もある。

またと無い話だぞ。福沢さん、貴君もどうかな!」


――いきなりの川崎からの誘い。福沢は口ごもった。

「拙者…、また“咸臨丸”で、太平洋を戻らねばなりませぬ。」

福沢が、辞退の言葉を発する。
咸臨丸でアメリカに来た者は船の修繕が終われば、概ね日本に帰る予定だ。

「…そうか、良い話なのだが。」


――川崎は、目を丸くして“絶好の機会なのに…”という残念そうな表情。

川崎どのは、しかとご見聞を!まことに、残念なことにござる!」
福沢は、なぜか明るい表情で言葉を返した。

福沢諭吉は、居合(抜刀術)の修練を欠かさず、免許持ちの腕前だった。しかし、実は血を見るのが苦手。手術見学も嫌がった…という説もある。


(続く)

  


Posted by SR at 21:13 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月07日

第15話「江戸動乱」③(異郷で見た気球〔バルーン〕)

こんばんは。前回の続きです。

日米修好通商条約の批准のために、アメリカに渡った幕府の使節団。同行する佐賀藩士たちは、各々が殿鍋島直正の命を受けて調査をしています。


――佐賀藩士で“エンジニア”の秀島藤之助。

ガンガン!コンコン

機械音ハンマーの音が響く。
嵐の太平洋を渡った“咸臨丸”はサンフランシスコのドックにて修繕されている。

秀島は、アメリカの蒸気船大砲の調査が任務。“咸臨丸”の修理を見学中だ。


――同じく佐賀藩士。語学に通じる、小出千之助がドックに現れる。

咸臨丸の具合は、いかがでございますか~」
活気みなぎる作業音に囲まれて、秀島大声を掛けた。

小出は、他の佐賀藩士とそのまま使節団に同行。アメリカ東海岸に回る。
船の修理を見つめる秀島は、復路も咸臨丸に乗り、日本に戻る予定だ。



――サンフランシスコを発つ前に、小出は港に立ち寄っていた。

小出の任務は英語を習得し、西洋の事情を殿鍋島直正に伝えること。

その間も、秀島藤之助は食い入るように、咸臨丸の船体を見つめる。
知らぬ事ばかりだ。多いに“実験”の利益がある!」

「…船大工たちに尋ねたいことも、山ほどあるのだ!」


――秀島の発する言葉を、小出はじっと聞いていた。

アメリカ艦船修理。それを見つめる秀島の表情は、悔しそうだ。
「…オランダ語が通じぬのが、もどかしい!」

ドックを後にする、小出。学んだ“英語”は佐賀藩内で広める使命がある。
秀島さんも悔しかね。私も英語には、まだまだ慣れぬな…」

その“英語”で目指すのは、進んだ技術学問の習得だ。専門分野ごとに、知らねばならない単語も異なる。


――使節団はパナマを経由し、アメリカの東海岸(大西洋側)に上陸する。

異郷の地・アメリカでは、好奇の視線にさらされる事も多い。

を指さして“ピストル”とか言われよるが…」
「あぁ、ちょんまげの形状が“短筒”のごた、見えるらしかよ。」

もはや自分たちの動向が“ニューズぺーバー”に載ることにも慣れてきた。
軍事、医学、産業から…、捕鯨船の動向まで、各々の調査に忙しい。



――アメリカ東海岸の街・フィラデルフィア。

イギリスからの独立時の13州を含む東部地域
西海岸(太平洋側)よりも工業化が進んでいる。

「おや、川崎どのは、どこに行ったかな。」
仲間の佐賀藩士たちに小出千之助が尋ねた。

「“写真”の腕を磨くとか…、申しておりましたな。」
「いや“写真”の鍛錬からは戻りよった。次は“バルン”を見聞するとか…」


――佐賀藩医・川崎道民。アメリカの草原に立つ。

水田が広がる佐賀平野とは、また違う匂い。異郷の乾いた風が吹き抜ける。

カワサキ。イッツ、タイム、カミン…バルーン、フライ!」

軽妙に響く現地・アメリカの言葉。
今までオランダ語しか学んでいない川崎だが、これは理解できた。

気球を上げようとするアメリカ人の陽気な表情。
楽しいことが始まるから、よく見ておけ!”その感覚は伝わる。


――青空に上がっていく、熱気球(バルーン)。

遠い異郷・アメリカで見上げる空。
じわじわと高く上がっていく熱気球

「こいは面白かね。佐賀でも、天に上げられんか…」
なぜだか川崎には、とても親しい景色に想われた。

…そして、悠然と青天を見上げて思うのは、佐賀の空だった。


――1860年春。佐賀。

肌寒さの残る、曇り空

佐賀城下には、険しい表情をしたが集められていた。
その陣容は、剣術腕が立つ者ばかり。急ぎ江戸に発つ仕度を整えていた。


(続く)

  


Posted by SR at 21:50 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月16日

第15話「江戸動乱」④(起きろ!兄さん!)

こんばんは。“本編”を再開します。

幕府遣米使節アメリカに到着し、同行した佐賀藩士たちが海外の見聞を広めていたのは1860年春

同時期の“大事件”により腕利きの侍が集まる場面で、佐賀舞台が移ります。今回も佐賀城下の話は続きますが、時間2年ほど遡(さかのぼ)っています。

1858年頃。まだ「日米修好通商条約」の調印、「次期将軍」の選定が大問題となっていた時期です。


――佐賀城下。大木喬任(当時は民平と名乗る)の家にて。

大木兄さん。お久しぶりです。」
「おう、中野か。忙しそうだな。」

双方とも江藤新平の親友で、その3人の中では最年長大木。訪ねてきたのは中野方蔵。いまは藩校“弘道館”で、学生を束ねる寮長”の立場だ。

「ええ、忙しいですよ。大木兄さんは…また、書物山の中ですか。」
「…そうだな。まだ、読み込みが足らんな。」

行動力のある中野だが、朴訥(ぼくとつ)な大木兄貴分として慕っているのだ。

相変わらずですね。いつまで読み込んでいる、おつもりですか。」
「書物の古人たちが動き出し、が“その場”に入るまでだ。」



――大木喬任民平)の勉強法は独特。

漢学の書物を読む、大木。例えば古代中国に現れる、様々な政治の局面
大木は、自身が“その場面”に居合わせれば、どう行動するかと常に自問する。

書物の世界に入り経験値を稼ぐ“思考実験”(シミュレーション)に費やす時間。

一見、無意味に見えるが、大木実務能力はこれで鍛えられる。しかし、評価を得るまでには、まだ歳月を要する。


――中野方蔵が、半ばあきれた口調で話を続ける。

「いいですか、大木兄さん時勢動いておりますぞ。」
「…知っておる。」

大木兄さんなら、佐賀の外に出て、学問を磨いてもよかと思います。」
は…、これで忙しい。」

少し面倒くさそうに答える、大木
お前江藤が、先に外に出れば良いだろう。」

「違うのです!江藤くんは放っておいても、いずれ江戸に出ます。」


――熱く語り始めた、中野。

「でも…兄さんは、引っ張り出さないと来ない気がして!」
中野が言葉だけでなく、実際に大木の腕を引っ張る

「おいおい、本当に引っ張る奴があるか!」

「少しは、来る気になりましたか?」
「…可笑しな奴だな。何を焦っているのか。」

は、先に江戸に行きますよ。待ってますからね!」


――いま、中野は藩校“弘道館”の寮長。

数年前に起きた大隈八太郎重信)らの藩校生徒の乱闘騒ぎ。再発しないように対策を講じる立場だった。

中野は、学生が規律正しい寮生活を送るよう統制強化した。

すでに人をまとめていく、手腕を発揮し始めていた、中野方蔵
藩校教師だけでなく、佐賀藩内保守派からも高い評価を受けていた。


(続く)



  


Posted by SR at 21:24 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月18日

第15話「江戸動乱」⑤(仮面の優等生)

こんばんは。

序盤はアメリカで展開していた第15話ですが、舞台は幕末佐賀に戻りました。藩校“弘道館”の優等生中野方蔵が、いろんな所で噂になっています。


――佐賀城下。大隈家。

友人の久米丈一郎(邦武)が立ち寄り、大隈八太郎重信)と話している。いま、大隈は“蘭学寮”の学生。一方の久米は、そのまま藩校に残っている。

丈一郎!やはり、蘭学はよかばい。」
「そがんね。弘道館もまずまず面白かよ。」
歴史に興味が強い、久米。藩校の伝統教育も、さほど苦にならないようだ。

「いや、弘道館は…窮屈でいかん!」
「そうたいね。まぁ、八太郎さんは追い出されよったもんね。」


――久米に悪気はないが、言い方にトゲがある。

「…こちらから、出てやったようなもんである!」
久米の言葉にカチンと来たのか、大隈のしゃべり方が急に演説調になる。

「いまは弘道館も落ち着いとるよ。」
寮長は?誰が受け持っとる?」

中野さんばい。」
現在、藩校の“生徒会長”は中野方蔵


――藩校「弘道館」にて。佐賀では重役が学校によく視察に来る。

政務に役立ちそうな人材を、事前に把握しておくためだ。
藩内の保守派原田小四郎が、学生代表中野を褒めている。

「昨今の弘道館秩序がしっかりしておるな!」
「はい。心の乱れは風紀に表れます!鍋島武士は、常に心を律すべきと存じます。」

「“寮の長”にふさわしき、心構えだ。この原田、頼もしく思うぞ。」
「過分なるお褒めのお言葉、恐悦の至りにございます!」



――大変仰々しい、やり取り。

組織が強固なのは佐賀藩の特徴でもある。原田小四郎は、保守派の筆頭格。秩序ある藩校の現況を好ましく思うのだ。

そこに弘道館の有力教師草場佩川が通りががる。
「これは、原田様。わざわざのお運び恐れ入る。」

「お久しい。草場先生、息災のご様子で何より。」


――草場佩川(はいせん)は、多久の出身である。

佐賀藩の自治領の1つ・多久には、“儒学”の伝統がある。“儒学”は秩序ある社会の理想を説く。

「先年の騒ぎもあり、弘道館の風紀を案じておりましたが…」
いまや藩の重役・原田小四郎が、藩校の教師・草場佩川に語る。


――数年前、藩校で起きた乱闘事件。

この騒ぎを煽った“主役”が、大隈八太郎処分として、退学になった。

草場先生。寮の長を務める中野方蔵。なかなかの若者でありますな。」
保守派・原田の絶賛である。寮長・中野は、学生規則を発するなど、その統制に気を配っている。

「あぁ、中野ですか。機転も効くし、才覚もある。」


――ひとかどの古武士の風格のある、草場佩川。

草場は、あえて学者らしい難しい顔で、原田にこう告げた。
「たしかに中野は、佐賀から遊学に出すべきであろう。しかし…目は離さぬ方が良いですぞ。」

「…はて、何故でござるか。実に心映えの良い若者ではござらんか。」
原田小四郎は、困惑の色を浮かべる。草場の反応は、意外だったのだ。

若き者巣立つのを止めはせぬが、才に溺れぬよう見張ってくだされ。」
老境の学者・草場は、フッと笑みを浮かべた。


(続く)

〔参照:第11話「蝦夷探検」⑥(南北騒動始末)

  


Posted by SR at 21:16 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月20日

第15話「江戸動乱」⑥(尊王に奔〔はし〕る)

こんばんは。
昨夜は『どうする家康』の発表に動揺しましたが、気を取り直して。

佐賀に舞台を移し、幕末安政年間(1858年頃)を描いています。

模範的な“生徒会長”とは別の、もう1つの顔を持つ中野方蔵
熱い想いで、佐賀城下を駆けます。


――いつも走っている、中野方蔵。



中野は、佐賀城の南堀端にある“鬼丸”まで早足を進める。
「御免(ごめん)!神陽先生はご在宅でしょうか!」


――戸を開けて出たのは、なぜか枝吉神陽の実弟・副島種臣

「おお、中野くんか!久しいな。」
次郎先生!…いや、副島先生とお呼びした方がよろしいでしょうか。」

「ははは…どちらでも良い。それに兄上の前では“先生”とは呼ばんでくれ。」
副島は、実兄・枝吉神陽と同列に扱われると、気後れするようだ。

「いつ、京の都からこちらへ?」
「つい、今し方戻った。ぜひ兄上のお耳に入れたいことがあってな。」

長崎街道を行く旅姿のまま、現れた副島種臣。さすがに(ほこり)まみれだ。

この頃、日米修好通商条約の調印をめぐり、朝廷存在感は増すばかりだ。
幕末政局。その駆け引きの舞台は、江戸から京の都に移りつつあった。


――部屋の奥から、枝吉神陽の声が響く。

表に居るのは、中野くんだな。遠慮はいらん!入りたまえ!」

兄上お許しも出たようだ。中野くん、来たまえ。」
副島が、中野を伴って邸内へと戻る。

次郎旅から帰るなり、こちらに駆け付けたのだ。」
「“国の大事”ゆえ、ゆるりとして居る(いとま)などございませぬ。」


――枝吉神陽が、笑って答える。

「その心掛けは誠に貴い。しかしだな、風呂ぐらいは入っておけ。」

副島顔立ち整い、目もと涼し気な美男だが、京の都から駆け通しで、いまは丸ごと洗濯が必要そうな風体である。

先生方が“国事”を語る場に居合わせるとは、何たる僥倖(ぎょうこう)か!」
中野は、かなり興奮気味。その表情から高揚が見てとれる。

神陽は、中野大きい目で見つめ言葉をかける。
同座を許そう。但し、ここで語る事柄はくれぐれも内密にな。」
「はい!」


(続く)

  


Posted by SR at 21:39 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月26日

第15話「江戸動乱」⑦(“あるべき姿”へ)

こんばんは。

歴史の視点で見ると“大政奉還”まで、あと10年を切りました。
1858年(安政5年)の佐賀城下をイメージしたお話です。


――佐賀城下の北、ある禅寺にて。

寺の堂内には“義祭同盟”の面々が集まる。
大木喬任江藤新平大隈八太郎重信)…、中野方蔵もいる。

枝吉神陽が姿を現した。座の空気が一気に引き締まる。
「皆、揃ったようだな。一堂に会するのは、久方ぶりか。」

堂内を見遣る、強い眼差し。静かに語っても、腹の底に響く声。
皆が、神陽の姿を一斉に見つめる。


――神陽の実弟、副島種臣が傍らに控える。

「このたび次郎が、京の都から佐賀に帰ってきた。」
枝吉神陽が、副島種臣(幼名は枝吉次郎)の帰還を一同に告げる。

「おおっ…して、の様子は如何(いか!」
神陽が発した言葉から、波紋が広がるように周囲がざわつく

次郎見聞したところを、皆に語って差し上げようぞ。」
「はい、兄上!」
既に副島種臣は一角の“学者”だが、どうにも神陽の前では“”が抜けない。



――副島種臣次郎)が語る、京の動き。

将軍お傍に仕える方々も、京の都に参じており申す。」
この頃の幕府は、つねに朝廷顔色を気にする状況に陥っていた。

大老井伊直弼の“前任者”で、条約締結推進派だった老中堀田正睦は、朝廷からの“お墨付き”で反対派を抑えようとした。


――これは、幕府にとって“悪手”だった。

これまで幕府は、独断で外交方針を決定できたが、“朝廷承認が要る”という空気が出来てしまった。

異国嫌い”…いや異国の情報が無い朝廷が、すんなり許可を出すはずもない。

水戸藩を筆頭とする“攘夷派”は、この状況を利用していた。
「聞いての通り。いまや公儀(幕府)は、朝廷のお許し無くば物事が進められぬ。」


――神陽の言葉に、再びざわつく一同。

では、そがんことが!!」
大隈八太郎重信)は唖然とした。幕府のイメージは“強大な権威”だったのだ。

「…うむ。」
ほぼ黙して話を聞く大木喬任。その、今にも言葉を発するか…の江藤新平

行きがかり上、話の内容を知る中野方蔵は、周囲を何やら楽しげに見回す。



――ざわめきを制するように、神陽は言葉を続ける。

「皆、何ら問題は無いぞ!“あるべき姿”へ戻りゆくのは、好ましい事である。」

おおっ!
幾人かが、声を揃えて感嘆した。

「これで、適った…」
江藤得心した様子だ。今までの神陽主張どおりだからだ。


――枝吉神陽が、提唱していたのは“日本一君論”。

神陽の論によれば、本来、天皇家以外に“主君”はいない。大名家は、武士集団の“まとめ役”に過ぎない…という考え方だ。

「今こそ帝のもとに、諸侯が集うべき時である!」

枝吉神陽が、一同に語ったのは“幕府廃止論”。朝廷には、副島種臣を通じて、将軍宣下(任命)の見直しを働きかける。

徳川家朝廷のもとに集い、他の大名とともに異国から日本守るべき。早くも佐賀城下では、のちの「大政奉還」と同質議論が進んでいた。


(続く)

  


Posted by SR at 20:58 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月28日

第15話「江戸動乱」⑧(島、還る)

こんばんは。
半年くらい前に掲載した話の続編。ついに、あの男佐賀に帰ってきます。


――1856(安政3)年の秋。佐賀を出立した2人。

島義勇犬塚与七郎は、極寒東北を歩み、蝦夷地(北海道)へと向かった。

蝦夷地の箱館(函館)に到着するなり、犬塚帰路に就く。ある任務を背負い、佐賀へと舞い戻ったのだ。

一方の島義勇。そのまま蝦夷地に留まって、探検家・松浦武四郎らとともに、幕府・箱館奉行所の調査に同行したのである。



――が、佐賀を旅立ってから2年近く。

島義勇団右衛門と名乗るので、愛称は“団にょん”。
もともと精悍な顔つきに、丸い眼(まなこ)の持ち主である。

極北の蝦夷地(北海道)沿海を回って、野性味が増していた。
「ようやく佐賀じゃ!ついに御城下に帰ってきたぞ!」

江戸にある佐賀藩の屋敷に、たどり着いたときは年の瀬だった。しばし時を経て、佐賀への帰還である。


――そこで“団にょん”は、ある侍の後ろ姿を見かけた。

「おおっ!そこに居るんは“”じゃなかね!」
「…そのは、もしや“団にょん”さん!!」

振り向いたのは、佐賀藩士・犬塚与七郎

~っ!ようやく帰ってきたとよ!」
「…だから“犬”じゃなかばい!犬塚たい!!」

もはや“お約束”のやり取りである。ひしと抱きあう2人
島義勇
北の最果ての旅路より還る。


――行き道は調査のため、豪雪の東北を共に歩んだ2人。

「…はっはっは!いつもの犬塚だな。元気そうで良かごたぁ!」
「そちらこそ。間違いなく、団にょんさんじゃ!」

まずは感動の再会を果たした2人だが、ふと、犬塚が正気に戻る。
団にょんさん、すまん…、力の及ばんかった。」

犬塚が、箱館に着いた時。すでに各藩が調査にしのぎを削っていた。
蝦夷地(北海道)には、貿易港・特産物・販路開拓…様々な魅力がある。



――佐賀にとっても、蝦夷地の“権利”確保が急務。

幕府への申請を急ぐため、犬塚二手に分かれたが、佐賀藩蝦夷地での権利を獲得できなかった。犬塚は“自分の力不足”と謝っているのだ。

「ご公儀(幕府)の決めた事ばい。仕方がなかよ!」
蝦夷地は、近くの“お大名”に任せるらしか…」
が励ますが、犬塚は、まだ悔しがる。

結局、幕府蝦夷地の警備・領有を東北の諸藩に任せた。先んじて調査を行う西国各藩に、蝦夷地権利を与えるのは、危険と考えても不思議はない。


――決断力に長けた、大老・井伊直弼のもと…

幕府は、権威の回復を図っていた。しかし正面からぶつかって来る雄藩もある。次期将軍候補の1人・一橋慶喜の実家である水戸藩(茨城)だ。

団にょんさん…、井伊さまは水戸を警戒しとるばい。」
「そうたい。ワシ水戸屋敷に出入りした頃とは…、何かが違う。」

さっきまで大声だったが、急にひそひそ話を始める犬塚。かつて島義勇は、殿の愛娘・貢姫縁談で、お相手の実家・水戸藩との調整役を務めていた。

が寒い蝦夷地を探索している間に、水戸藩の“尊王攘夷”は、さらに過熱をしていたのである。


(続く)

〔参照記事〕
第11話「蝦夷探検」⑨(“犬塚”の別れ)
第11話「蝦夷探検」②(江戸の貢姫)


  


Posted by SR at 22:25 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月03日

第15話「江戸動乱」⑨(京の不穏)

こんばんは。
本編”です。最初に言いますが、今回の話は難しいです。

幕末期に“尊攘の志士”と“新選組”が、斬り合う舞台になる京都。その前日譚(およそ5年前)とお考えください。

なぜ、佐賀藩士たちは“その場”に居なかったか…も、描きたい題材です。


――大老・井伊直弼。実は、条約調印に、朝廷の許可を得たかった。

「紛争時には、日本ヨーロッパの間を大統領仲裁しましょう!」
幕府にとってアメリカは、まだ話のわかる交渉相手だった。

井伊ヨーロッパ各国がアジアを席巻する中、時間の猶予は無いと判断した。
「“勅許”を待つべきだが、いざとなれば、調印も止む無し。」

「ははっ!“止むを得ぬ”時には、調印をいたします。」
交渉に当たったのは、筋金入りの“開国派”の幕府役人。

…こうして「日米修好通商条約」締結は、井伊独断と非難された。


――たびたび京に足を運ぶ、副島種臣枝吉次郎)。

枝吉はん!井伊は、“天子さま”(天皇)の思し召しを、何と心得るんか。」
尊王攘夷派の公家と関わる、副島種臣には京都での付き合いもある。

学識を磨くためのへの留学も、近年は風向きが変わる。いろいろ耳が痛い話が、副島に飛んでくるのだ。

佐賀はまだ動かんのか!」
鍋島肥前直正)は、尊王の働きを為すべきやないのか。」


――江戸幕府の安定期以来、静かだった京の都。

声を上げるのは公家だけではない。各藩の武士に集い、気勢を上げた。
水戸藩(茨城)など攘夷派は、条約撤廃を掲げ、朝廷を通じて圧力をかける。

「けしからん!攘夷こそ、天子さまの御心なり!」
「ただちに異国を退けよ!」

福井藩薩摩藩(鹿児島)は開国派。しかし“次の将軍”には一橋慶喜の就任を狙っている。朝廷の威光を借りるために活動する。

井伊の専横を許すべきではありません。次の将軍には、ぜひ一橋さまを。」
「英明の誉れ高き、一橋さま。きっと、天子さまの思し召しに適いもす。」



――副島次郎)は、親しい公家・伊丹重賢と相談をする。

異国に立ち向かえるんは、佐賀だけや…と聞いとるで。」
公家伊丹は、副島よりも若年尊王活動に熱心な公家である。

上方(京・大坂)にも、佐賀藩の存在感は伝わっている。長崎警護で、ロシア船と向き合った実績。幕府の担当者を通じて、評判は広がっていた。

「お望みの佐賀からの警衛でござるな。」
やや、かしこまった感じ。京都での副島だ。

…ここで必要なのは、兵の数よりも、“佐賀藩朝廷を守る”絵姿だという。


――京都・東山のふもと。初夏の風が盆地に滞っている。

副島顎ひげを、生温かい京の風が撫でる。
「我らにも、動くべき時節でござろうか。」

静かな会話。大声で叫ぶのは公家の流儀ではない。伊丹もやはり品は良い。
「そうや、佐賀の勤王のはたらき…期待しとるで。」

「…気にされている事が、お有りのようですな。」
「実は、九条卿がな…、ご不興をかっておる。」

帝(孝明天皇)は、幕府に好意的な公家を遠ざけていた。朝廷の許しを得られず進んだ、条約の調印に不信感を持ったのだ。


――九条家と言えば、”関白”の家柄。

この時の当主は、幕府と親しい立場にあった。井伊直弼と同じく、次の将軍には紀州藩徳川慶福(家茂)を推している。

開国派”と“攘夷派”の駆け引きに続いて、“南紀派”対“一橋派”の次期将軍争いまで加わった。

京の都には、あちこちに火種が燻(くすぶ)る…という事ですか。」
佐賀が相手なら、どこも迂闊(うかつ)には動けんやろ。頼みましたで。」


――副島種臣は、急ぎ京を発つ。

山陽道を佐賀へと急ぐ。京の都で、尊王はたらきを成す好機だ。
「なんとしても、殿お許しを得ねばならぬ。」

大老・井伊直弼は、決断力に長けていた。海外情勢を見極めて“開国”を判断し、雄藩の介入を許さずに次期将軍選びを進めた。

…この両方で、井伊との対立を深める水戸藩に、朝廷からある命令(密勅)が与えられる。そして、副島らの想像を超える展開へと進んでいくのである。


(続く)

  


Posted by SR at 21:30 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月05日

第15話「江戸動乱」⑩(いざゆけ!次郎)

こんばんは。

さて、硬派な幕末の展開が続きます。京都では、水戸藩が工作活動の成果で、朝廷から“秘密の命令”を受けることに成功していました。

戊午(ぼご)の密勅”と呼ばれる「幕府を改革せよ」という指令。
佐賀でも時勢に遅れまいと、走る者がいました。副島種臣(※)です。


――佐賀城内。鯱の門付近。

険しい顔をした副島種臣枝吉次郎)が通りがかる。

声をかける人物がいた。蝦夷地(北海道)帰りの島義勇だ。
次郎じゃなかか!どがんしたとね…、えらく怖い顔をしとるばい!」

この2人は従兄弟どうし。は、身近な親戚お兄ちゃんである。


――固い表情のまま、返事を返す次郎副島種臣)。

先生!今から国の大事ば、殿言上を仕(つかま)るところにて。」

かたい、あまりにも固い次郎表情が一瞬、身を引くほどだ。
無理もない。殿鍋島直正に進言する内容は「佐賀からへの出兵」である。

次郎気負いすぎいかんばい!」

広大な蝦夷地(北海道)の大空大地の下で、闊達に冒険をしてきた島義勇
スケールアップした“団にょん”には、副島悩みも小さく見える…はずだった。


――に耳打ちをする、副島

「何っ!それは一大事ばい!次郎…ここが踏ん張りどころたい!」

話の中身を聞いた島義勇。くるりと変わって硬い面持ちとなった。もともと水戸藩出入りして勉強していたも、尊王の話には影響されやすい。

「いざ、参ります!」
「いざ行け!次郎…、いよいよ佐賀表舞台に出る時ばい!」

本丸御殿へと歩を進める、副島を握りしめて見送る“団にょん”



――本丸御殿内。広間の一角にて。

殿鍋島直正に、朝廷の意向として伝えられる佐賀から京都への派兵

兵の数は、…いや五十でも差支えはございませぬ。」
副島は真剣な表情で、殿への説明をする。

京都で、公家伊丹重賢と打ち合わせた計画だ。

殿直正は静かに、副島の言葉を聞いていた。
「うむ。左様(さよう)な話があったのか…」


――ひとまず、話を受け止めたかに見えた、直正だったが…

次の瞬間、急に厳しい表情へと変わる。
そちは、軽々にそのような内諾をしてきたと申すか。」

「…いえ、しかと談判を重ねた事にて、決して軽々なものではございません。」
重々、話し合ってきたとな。なお、都合が悪いではないか!」

佐賀からへの出兵。「尊王の志高く、朝廷を守り、を“あるべき姿”に導く。」聞こえとしては良い。しかし、幕府には無用の喧嘩を売ることになる。


――殿・直正の判断は早かった。

そもそも、わずかな兵力で、他藩衝突すればどうなる…戻れない道佐賀が巻き込まれる可能性が考慮されていない。

「しばらく謹慎いたせ。もちろん佐賀から出る事は許さぬ。」

口調は穏やかだったが、副島進言はまったく取り合ってもらえず、それどころか外出禁止に近しい命令も下された。


――すんなり通るとは考えていなかった進言

「…しかしながら、殿!」
「しかと聞こえておるな。謹慎じゃ。」
諦めずに説明を尽くそうとする副島に覆いかぶさる、殿直正言葉

計画が通らないのみならず、京都への道まで閉ざされた。意気消沈し、退出する副島種臣。まだ、殿鍋島直正を推し量れてはいない。


(続く)

副島種臣が、正式に副島家に養子に入ったのは、翌年(1859年)が通説のようです。この時点では枝吉次郎と表記すべきかもしれませんが、本編の途中からは「副島種臣」として表現しています。

  


Posted by SR at 21:23 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月07日

第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)

こんばんは。

のちの明治初期。近代国家・日本外交を担う副島種臣枝吉次郎)。幕末の、この頃は偉大な兄枝吉神陽にも認められたくて、駆け回っているところです。


――佐賀城・本丸御殿。殿・鍋島直正は、副島の出兵要請を退けた。

しかも謹慎まで命じられた。去りゆく副島後ろ姿落胆の色が隠せない。

に控えていた、保守派・原田小四郎殿直正に意見する。
「わざわざ殿から、あのような申し渡しをなされずとも良いと存じる!」

「…何じゃ。原田としては、不服はあるまい。」

殿直正不満げである。保守派には、文句の無い判断のはず。軽々に政局に関わっては危うい。ましてや誘い出されるように、出兵するなど論外だ。


――原田の想いは、別のところにあった。

「こういった申し渡しは、拙者の役回りにござる!」

原田は「殿自ら、家来失望させる必要はない」と言いたい様子だ。憎まれ役は、自分が引き受けるという気構えである。

「おお、そうか。これは恐れ入った。」
これも原田なりの真心だ。険しい表情が解けた、直正

次郎よ…すまぬな。いまのに、我が家来を送りたくは無いのじゃ…」
また、直正が眉間をしかめる。京都のある方角、遥か東の空を見つめている。



――殿・鍋島直正は、極秘の情報収集を行っていた。

ほんの少し前、長崎から蒸気船・観光丸薩摩(鹿児島)に寄港した、殿直正

その時は薩摩藩主島津斉彬と密談した。薩摩から京都数千の兵を率い、出陣する計画があるようだ。目的は、幕府と大老・井伊直弼に対する牽制

朝廷の許し無く条約締結を断行すれば、抗議する。そして一橋慶喜次期将軍に推す“一橋派”の復権を狙う。

一方で、佐賀藩主直正には、井伊直弼外交方針「武備開国」(まず開国し、武装を整える)への異論はない。欧米列強は、すでに牙を剥いているのだ。


――まずは速やかに開国し、争いを避けるのもやむを得ない。

西洋技術も取り入れ、佐賀はもっと強くならねば。長崎港、そして、西方の海を守ることは佐賀にしかできない役割である。

直正緊張感を持つ相手は、常に海外なのだ。将軍後継選びで国内の政治闘争に加わっている場合ではない。

薩摩守さま、あまり手荒な真似はなさいませぬよう。」
鍋島肥前、そう怖い顔をするな…異国に付け入るなど与えぬ。」
島津斉彬鍋島直正。母方のいとこ同士、二人名君。最後の対話となった。

直正佐賀に帰ってから、しばらく後。薩摩から京都への出兵を準備していた、島津斉彬急死したのである。


――そして、京の都には“渦”が巻き起こっていた。

「なんや…お主らは!?」
佐賀からの出兵”で副島と相談をした公家伊丹重賢が声を上げる。
宵闇から現れた、眼前侍たちへの問いかけだ。

「我ら彦根から参りました。“御用”の者でござる。」
井伊直弼の配下・彦根(滋賀)の藩士である。京都を守護する任務があった。

伊丹さま、彦根まで同行願いましょうか。」
「控えよ!無礼やないか!!」
袖を振って抗う伊丹。その両脇を、二人の屈強な彦根藩士が抱え込んだ。


(続く)

〔参照記事〕
第14話「遣米使節」⑩(秘密の航海)
第14話「遣米使節」⑪(名君たちの“約束”)

  


Posted by SR at 17:33 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月11日

第15話「江戸動乱」⑫(その船、電流丸)

こんばんは。
幕末、1858年(安政5年)頃。京都は「安政の大獄」の探索物騒な雰囲気。佐賀の話に戻ると、“本編”を書く私までホッとするところがあります。


――季節は秋。佐賀の殿様・鍋島直正は長崎に居た。

「いよいよじゃな。」
殿直正心待ちにしていたものが到着する日

「はっ!間もなく“ナガサキ号”が入港します。」
佐賀鉄製大砲”を製作した、側近・本島藤太夫が答える。

本島40代半ばだが、長崎海軍伝習所若い藩士たちとともに学ぶ。この日は、長崎の高台から“その船”を待っていた。



――長崎港の入口に、一隻の蒸気船(黒船)の船影が現れる。

「おおっ!あの船か!!」
直正が、少年のように目を輝かせた。

ボッ……

まるで殿直正が見ていると意識して、“黒船”が返事をしたかのようだ。

「これは良き船であるな!本島。早う近くで見たいぞ!」
「はい、この本島も嬉しゅうございます!」


――どう見ても、はしゃいでいる、殿様と家臣。

に近づけば、もう居てもたってもいられない。
本島…!参るぞ。も続け!」

「ははっ。皆の者、これより“御船”に向かうぞ。」
殿直正を護衛する、侍の幾人かが急ぎ足で後を追う。

岸壁から見る“ナガサキ号”と呼ばれた黒船甲板には、オランダ人艦長と思しき人物。傍らでは、赤毛若い女性が手を振る。


――オランダ製の蒸気船、仮称は“ナガサキ”号。

最新のスクリュー推進式だ。佐賀藩は、オランダよりこの艦船を購入した。
陶磁器ハゼ蝋(ろう)・製茶などの殖産興業で、資金力を蓄えた成果である。

ほどなくに乗り込み、甲板に上がる殿直正。当時、最も“黒船”に慣れた大名と言ってよいだろう。蒸気船に乗ることに、全く躊躇(ちゅうちょ)がない。

船の甲板から周囲を見回す。張り巡らされたロープ天を覆う蒸気機関には、馬百頭分の力があるという。直正は、いま一度、腹の底から声を出した。

良き船じゃ!!」



――佐賀藩士には、オランダ語の遣い手が多いが…

通訳に頼るだけでなく、いつも直接オランダ人に話しかける殿直正
変わった大名であるが、異文化コミュニケーションには、勢いも大事のようだ。

「これでは…、翼を得たかのようじゃ。飛び立つように嬉しいぞ!!」
ついに獲得できた、佐賀藩が所有する蒸気船(黒船)。

オランダ艦長にも“肥前サマ”(直正)の喜びが伝わる。
長イ航海で、オ届ケスル甲斐が有リマシタ…」


――艦長も満面の笑み。その隣、赤毛の女性は、艦長の妻である。

「ほう…のような。そして、不思議なる髪色じゃ…」

肥前サマ”の大注目に、サービス精神を発揮した艦長の妻
赤毛美しい髪クルクルとほどいて見せる。

当時、直正が関わるような日本女性を油でまとめている。サラサラとした西洋美人も、異文化の香りなのだ。
「この者も、また美しい興味深いのう!!」


――今日は至って、上機嫌な直正である。

蒸気船ならば、佐賀藩大砲を積み、運用できる。異国に怯えてばかりいなくても良い。一方で、欧米列強実力も見極めず「攘夷」を叫ぶのは危険に過ぎる。

「…殿。“次を如何(いかが)するか”をお考えでございますな。」
「さすがは本島察しが良いことだ。」

このとき殿鍋島直正は、また真剣面持ちに戻っていた。


――この蒸気船は、“電流丸”と名付けられた。

当時の日本では希少な、最新蒸気船の一隻。この船をどう用いるか…そして、佐賀がどう動くか。それは国の未来に関わっていた。


(続く)

〔参照記事〕
〇発注時点の話(終盤)
第11話「蝦夷探検」①(殿、蒸気船に乗る)
〇同時期の話(終盤)
第12話「海軍伝習」⑩-2(負けんばい!・後編)

  


Posted by SR at 21:57 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月13日

第15話「江戸動乱」⑬(海に駆ける)

こんばんは。前回の続きです。

殿鍋島直正が待ち望んだ蒸気船長崎に到着。ついに佐賀藩は、蒸気船(黒船)を保有することになりました。

あらためて“電流丸”と名付けられた蒸気船幕末期に、日本を駆けます。


――1859年(安政6年)春。小倉(福岡)の沖合。

ば、畳(たた)まんね!」
汽走切り換えじゃ!!」
甲板上で慌ただしく動き回る、佐賀藩士たち。

長崎海軍伝習訓練は積んだが、まだ余裕はない印象だ。しかし、乗務する藩士たちからは、誇らしげな笑みがこぼれる。



――蒸気船(黒船)を運用する、佐賀藩士。

黒船”に乗せてもらうのではない、自ら動かすのだ。関門海峡を抜け、瀬戸内に向かう手前で、蒸気機関を起動する。

「何やら、楽しかですね!」
「畏(おそ)れ多くも、殿御前ったい!気ば引き締めんね!」

ボーッ…
忙しく乗員たちがロープを曳いてを畳む。ほどなく“電流丸”は、汽走に入る。

ゴゴ…ゴゴッ…
海面の下ではスクリュー回転を始め、白波がザワザワと泡立つ。


――“電流丸”は、力強く煙を吐き、海峡を行く。

甲板上。潮風を受けながら、殿直正が側近・古川与一(松根)と並んで話す。
は良いのう。与一よ!ようやっと、ここまで来たな!」

幼少期から直正と育った世話係古川
言葉を返そうと、殿の顔を伺う…あらためて考え事の様子だ。

「…船団を組まねばならぬ。良き港も要るな。」
…何処(いずこ)にお考えでございますかな?」

佐賀藩に面するが、有明海は遠浅で干満差が大きく、扱いは難しい。伊万里陶磁器積出港として賑わうが、佐賀城との連絡に適さない。


――ここは“幼なじみ”の古川にも、予期せぬ回答があった。

天草(熊本)に、“蒸気船”のが欲しいのう。」
「…天草は、“御領”(幕府領)ではありませぬか!?」

「そうじゃ!それを江戸談判する。」

電流丸”での参勤交代に不都合は無いようだ。試験運用は上々の出来だ。あとは通常の大名行列で、東海道から江戸に入る。



――外海に開かれた港で、異国船に目を光らせる。

殿鍋島直正がこの“想い”を届けたい相手は、大老井伊直弼である。
江戸に到着した直正。ほどなく、井伊が住まう彦根藩邸に招かれた。

いかがであったか?“黒船”での参勤は。」
他の大名ではめったにお目にかかれない、上機嫌な井伊大老だ。

「“蒸気船”は良きものにござるぞ!井伊さまも、いかがか!」
殿直正による「“黒船参勤”のススメ」である。

「はっはっは…そのような事を為すのは、鍋島ぐらいなものだ。」


――井伊は、何やら久しぶりに笑ったようだ。

西洋列強圧力朝廷諸侯批判が一身に集まる。井伊開国を断行し、次期将軍を紀伊の徳川慶福(家茂)に定めた。大老心の休まる暇など無い。

「申したき儀(用件)なれば、遠慮は無用。鍋島肥前の言なれば、しかと聞こう。」
多忙を極める井伊直弼だが、佐賀殿様には真っ直ぐに目を向ける。

と手を結び、どう幕府を動揺させるか…最近では権謀術数ばかりを見る。一方で、鍋島は違う。他藩とつるむどころか、幕府に寄りかかる様子も無い。


――「誰に頼らずとも西の海くらいは、自力で守って見せる。」

井伊の視線に応える、直正の目がそう語っていた。
肥後天草を…、佐賀が借り受けたい。」

幕府の治める肥後(熊本)の天草地方に、佐賀藩の「海軍基地」を作る。まず異国船が往来する“日本の表玄関”・長崎の周辺に、鉄壁の守りを敷くのだ。

無計画に“攘夷”を叫ぶのは、実際に異国と向き合う佐賀藩にとって絵空事だ。直正は、並みの大名では思いも及ばない計画を切り出した。


(続く)


※“黒船”という呼び名は西洋船の船体の色に由来し、江戸初期からの表現だそうです。そのため、西洋の“帆船”も「黒船」と呼ばれたと思われますが、幕末のドラマによくあるように、作中人物のセリフで「黒船」が“蒸気船”を指している場合があります。
  


Posted by SR at 22:03 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月23日

第15話「江戸動乱」⑭(“赤鬼”が背負うもの)

こんばんは。

1858年(安政5年)から翌年にかけて続いた「安政の大獄」。

陰で“赤鬼”とも呼ばれた、大老・井伊直弼。行きがかり上、国の命運を背負ってしまった、この人物。それだけの責任感の持ち主でもありました。


――江戸。彦根藩の屋敷。

大老井伊直弼激務の合間、僅(わず)かな時に思索をする。

スーッ…、静かな呼吸である。

いまや幕閣の最高位職“大老”として、国の舵取りをする立場だ。かつては彦根(滋賀)の殿様になる事も想像できなかった。正室の子でもなく、兄たちもいた。

まるで埋木(うもれぎ)のようにくすぶる日々。
井伊直弼学問を高め、武芸に励み、禅の修行にも打ち込んだ。


――薄く開いた目に映るのは、井伊自身の位牌(いはい)。

生きているうちに、戒名(かいみょう)も用意した。
「何やら、支度(したく)が整ったようで落ち着く…か。」

井伊直弼は、仏間で一人苦笑をした。黒船来航後、さらに強まる西洋列強の圧力。外交危機は続き、“大老”に抜擢された井伊は、難局に立ち向かってきた。

の安寧(あんねい)のために尽くしたこと…悔いは無い。」

ふと井伊は、故郷・彦根から望むを想い起こした。穏やかな“母なる湖”は、陽の当らぬ場所で、燻(くすぶ)っていた頃のも癒していた。



――開国(通商条約)の断行や、次期将軍・徳川家茂の擁立…

事態を打開するためとは言え、“安政の大獄”ではを作り過ぎた。その一方で、信頼できる者は数少ない。内政では会津藩、外交では佐賀藩…ぐらいか。

静寂を打ち破るように、屋敷の彦根藩士の声が響く。
佐賀の屋敷に、出立なさる刻限にございます!」

「もう、そのように時が過ぎておったか!」
静かな思索のひと時を経て、井伊の表情は晴れやかだった。


――1860年・冬(安政7年2月)。井伊直弼には、ある約束があった。

井伊は、参勤交代で江戸にいた佐賀藩主・鍋島直正を訪ねた。
幕府の大老が、他の大名の屋敷に出向くことは異例である。

井伊さま。わざわざのお運び、忝(かたじけ)ない。」
丁寧に出迎える、佐賀殿様

先年、江戸に来たときには鍋島直正が、彦根の屋敷に井伊直弼を訪ねている。幕府中枢と外様大名の垣根を越えた、行き来があった。


――佐賀藩の屋敷。冬の庭先にも、陽射しが差し込む。

この時、佐賀藩には、幕府への「お願い事」があった。

先だって聞いておった“天草”の件。この井伊が請け負おう。」
井伊外交政策は、開国して武装を整える…佐賀藩とほぼ同様の方針だ。

「これは、有難い。異国に対する備えも進みまする!」

鍋島直正が身を乗り出した。幕府の領地・天草(熊本)を借り、外海に開けた港を築いて、“蒸気船”を遣うつもりだ。



――直正の反応を見た、井伊が苦笑する。

「はっはっは…鍋島肥前直正)。喜びが顔に書いておるようじゃぞ。」
「左様(さよう)でございましょうな。これは失敬をいたした。」

「もはや“西海の守り”は、お主だけが頼り。任せたぞ…」
幕府の領地を、外様大名に託す。この内諾は、井伊期待の表れだった。

当時の日本は、欧米各国と次々に“修好通商条約”を締結した。長崎だけでなく異国船が行き交う、西の海を守る力が要る。

「…井伊さま、御身(おんみ)も大事になさいませ。」


――真剣な面持ちを見せた直正。井伊の身を案じる言葉を発した。

淡々とした井伊の口調は、まるで「自分のいない世界」への布石(ふせき)だ。

部下の彦根藩士からも「警護の者を増やすべき」との訴えはあるようだ。しかし、幕府には“供回りの数”の基準がある。井伊直弼規則を曲げることを嫌った。

肥前どの。国を束ねるものは、まず自らの身を律(りっ)せねばならん。」
井伊さま、見事なお心掛け。されど命あってこそ成し得る事がございますぞ。」


(続く)

  


Posted by SR at 19:38 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月25日

第15話「江戸動乱」⑮(雪の舞う三月)

こんばんは。
1860年「桜田門外の変」。旧暦で言えば三月初旬に起きた事件です。

遡ること2か月。一月には、幕府の使節団が条約の手続きのため、太平洋アメリカへと旅立っています。

大老井伊直弼が決断した「開国」により、時代は動いていました。
そして二月には、井伊江戸で、鍋島屋敷を訪ねたばかりでした。


――春なのに肌寒い、江戸の街。佐賀藩の屋敷。

季節外れ遅い雪か…」
佐賀藩主・鍋島直正は、曇った空を見ていた。から、はらはらと落ちる

旧暦の三月は、もう春の陽気が注ぎ、桜が咲いてもおかしくない時節だ。

ダダダダッ…

屋敷の廊下で、佐賀藩士たちの忙しい足音が響く。
殿!申し上げます。無作法ながらっ…、一大事にて!」



――その日、事件は江戸城・桜田門の手前で起きた。

に出仕する、大老・井伊直弼
彦根藩の屋敷から、城門まではさほどの距離ではない。

「申し上げたき儀がございます!」
突如、道端から歩み出た者がいる。進路を遮られて行列は一旦、止まった。

「何事か!無礼であろう!」
行列の先頭にいる侍が、怒声をあげる。次の瞬間


――パァン!突如として、乾いた銃声が響く。

ヒュン!!

弾道が、井伊直弼の乗る駕籠(かご)に吸い込まれていく。
襲撃を悟った井伊だったが、その銃弾腰部を貫通していた。

「これは…、いかんようだな。」
井伊は気づいた。すでに下肢感覚が無い。

発砲の音を合図に抜刀した十数名が斬り込んでくる。雪の降る日の急襲。井伊の供回りはが濡れぬよう柄袋を掛けており、一手を出す前に次々と討たれる。


――大混乱に陥る、井伊の一行。

かつて井伊直弼は、居合流派を立ち上げるほど鍛錬を積んでいた。常人では扱い難い、重い刀自在に操ったのだ。

しかし先ほどの一瞬で、その腕前は失われた。もう、動くことができないのだ。
「…これも、天命ということか。」

大音声を上げて、殺到する襲撃者たち。井伊は静かに待つ。
お主らも、と“”は同じなのかも知れぬな…」



――井伊直弼は、もともと攘夷論者だった。

迫りくる列強に、この国を好きにさせてはならない。それは、佐賀鍋島直正同じ想いで、2人意気投合したのだ。

「まず開国して進んだ業(わざ)を学び、その業を磨いて異国に立ち向かう。」
目先で攘夷を叫ぶ者たちとの違いは、相手の力量を理解するかどうかのだ。

条約の調印後に手続きのため、欧米使節派遣することが決まる。幕府は急ぎ優秀な者を集めた。そして、頼りになる佐賀からは多数同行者を認めた。


――いずれ、世界を廻った者たちが帰ってくる。それからだ。

もはや襲撃者に応戦することはできない、井伊直弼
「たとえ正しくとも、お主らのやり方は間違っておるぞ…」

その駕籠を目掛けて、四方からが突きたてられる。

「済まぬ。儂はここまでのようだ。後は…任せたぞ。」
遠のく井伊の意識に、ふたたび故郷・彦根の優しい湖の景色が広がっていた。


(続く)



  


Posted by SR at 21:25 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年02月27日

第15話「江戸動乱」⑯(殿を守れ!)

こんばんは。
桜田門外の変」はあろうことか、日中に江戸城門前で起きた大事件でした。

市中での情報は錯綜(さくそう)します。大老井伊直弼襲撃された…それは佐賀藩にとって、他人事ではありませんでした。


――江戸。佐賀藩邸に入った衝撃の一報。

この急報は間髪を置かず、佐賀藩上層部を駆け巡った。

井伊さまは、ご無事でござろうか!?」
「いや、実のところは…」

渋い表情を浮かべるのは、鍋島夏雲(市佑)。
殿鍋島直正側近で、老齢ながら機密情報の集約に長じる。

朝廷への工作活動を咎められた水戸藩。“安政の大獄”で徹底した処罰を受けた。そして、主に水戸脱藩浪士により、今回の襲撃は実行された。


――保守派・原田小四郎が、険しい顔をする。

井伊さまのご家来も、さぞや無念だったであろう…」
武骨な原田の、いかにも武士らしい感情移入だ。

井伊直弼を護衛した彦根藩士たちは、ほとんどが急襲に対応できなかった。しかし二刀を抜き放ち、命尽きるまで戦った者もいたという。

「そのうえ、穏やかでない話も流布(るふ)しておる…」

鍋島夏雲は「佐賀藩が余所(よそ)から“どう見られている”か」も探っていた。


――「いま、何とおっしゃったか!」原田が大声を出す。

原田どの…、大きゅうござるぞ。」
年配者の落ち着きか、鍋島夏雲が制止する。

世間の噂に「に狙われるのは、佐賀鍋島直正」とあるらしい。

殿に万一、かのような狼藉(ろうぜき)を企てる者あらば…」
保守派・原田には、刺激の強すぎる一言だったようだ。

「この原田先陣を切って迎え撃ちますぞ!!」
殿直正への忠義第一。こうなると佐賀藩の動きは早い。



――しばし後、早馬が駆け込むや、佐賀城下にも話が広がる。

大隈八太郎重信)もまた、砂ぼこりを上げて城下を走っていた。

八太郎さん、また慌ただしかですね…。」
久米丈一郎(邦武)。大隈八太郎重信)の友達である。

丈一郎!なんば、のんびりやら読みよるね!!」
キュッと足を止めたが、大隈八太郎は見るからに気忙しい。

「仲間から腕利きの剣士を江戸に送らんば!」
「一体、何の騒ぎが起きよるですか!?」


――急報にあわせ、城下を駆け巡る指令。

佐賀藩の上層部は「殿の身が危ない」と判断した。双方で屋敷の行き来もあり、鍋島直正井伊直弼と親交が深かったのは知られている。

水戸藩に近い立場では「桜田門外の変」は早くも快挙として扱われている。「“安政の大獄”の恨み深い、井伊を討った」のだと。この流れは危うい

「次は、その“仲間”だ」と、殿直正にも矛先が向く可能性がある。大隈は、城下で「剣の達人を集め、佐賀から江戸に派遣せよ。」と指令が回るのを聞いた


――ここで、大隈は「江戸に“尊王”の同志を送ろう!」と思い付いた。

殿の身辺警護は、話をする機会にも恵まれるはず。剣の腕だけでは足らない…賢い者を送らねば。

佐賀藩の立場は「幕府を助けて異国に備える」が基本だった。混迷の今こそ「朝廷をお守りする佐賀藩」への転換を図る…のが、大隈の目論見(もくろみ)だ。

「“剣の達人”が要るのでしょう。八太郎さんは、あまりば振りよらんもんね。」
久米からの鋭い指摘。“佐賀ことば”によそ行き口調が混ざるのが気にさわる。

「“砲術の家”のだから、仕方ないんである。」
カチンと来た、大隈。“演説調”になって、仰々しく自身家の役目を語る。



――大隈が焦る中、急派される剣士たちが、続々決まっていく。

「私はとなってでも、殿をお守りする!!」
決意を述べる侍がいる。流儀は新陰流のようだ。

とは志の低かぞ!敵は皆、返り討ちにしてやらんば。」
こちらは、いささか荒っぽい。

「おう、鍋島武士誇りを見せてやる!」
いずれも各道場を代表するような剣の遣い手


――こうして“見えない敵”との戦いを始めた、佐賀藩士たち。

「皆、お役目はわかっておるようだな。これより直ちに江戸に向かう!」
剣士の集団
を率いるのは、藩の重役たちを補佐する切れ者中野数馬だ。

任務殿を守ること。それは侍の誉れだ。集った面々には高揚感も見える。
おおーっ!!

30人ほどの剣士たちが気勢を上げ、昼夜兼行での江戸への旅路も始まった。


(第16話「攘夷沸騰」に続く…予定)

  


Posted by SR at 23:01 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」