2021年01月30日
「幕末に、家康公!?」
こんにちは。
来月からの新・大河ドラマ「青天を衝け」の情報が、少しずつ明らかになってきています。そして、2~3日前。こんな情報を確認しました。
「青天を衝け」の徳川家康役は、北大路欣也さん。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=27676
(外部サイト)
このニュースを見た私。最初の反応はこうでした。
「い…、いえやす!?」
――あれっ!?「青天を衝け」は幕末・明治時代の…
“日本資本主義の父”と評される旧幕臣・渋沢栄一をイケメン・吉沢亮が演じるドラマではないのか。
「なぜ、家康公が…幕末のドラマに?」
私は困惑する。徳川家康の没年は、たしか“大坂の陣”の翌年で1616年。

――幕末と言えば、黒船来航の1853年以降を指すことが多い。
その間、240年近くの歳月が流れている。
徳川家康は、この時代の人ではないのだ。
…はっきりとはわからないが、ナレーションを担当する?という話も。
江戸幕府の終わりを創業者・家康の視点で見る。そんな演出も想像する。
――思考が、一巡りして気付いた。
そういえば、私が書く“本編”でも、幕末期以外、もっと昔の人物が登場する。
「ドラマ内ドラマ」として、佐賀藩士たちのヒーロー・楠木正成を描いた。
今のところ大隈八太郎(重信)の母・三井子が、子に物語を読み聞かせる設定で、幾度かの登場がある。
〔参照(後半):「弥生・三月」(歳末反省会⑥)〕

――時は、南北朝時代(1336年頃)。
後醍醐天皇の“建武の新政”は崩壊寸前だった。敵対する足利尊氏の人望をよく知り、朝廷に和睦を進言、ともに国を支えようと試みる楠木正成という解釈。
…この展開を、幕末・明治期の佐賀藩の“想い”につなげていく。
鍋島安房(須古領・白石町)、鍋島河内(白石鍋島家・みやき町)など、楠木正成を敬う、佐賀藩の重役たち。
〔参照(前半):第12話「海軍伝習」④(義祭同盟の青春)〕
そして、枝吉神陽が率いて、幕末の佐賀で活動した“楠公”の名を冠する結社「義祭同盟」は、明治の日本を支える人材を多数輩出する。
――もし、大河でも「ドラマ内ドラマ」が許容されるなら…
このような時を超えた演出が「青天を衝け」で好評ならば「幕末佐賀藩の大河ドラマ」実現の攻め幅は広がる。
楠木正成の大河ドラマ誘致には、本拠地の近く大阪(河内長野市)周辺だけでなく、兵庫(神戸市)、東京(千代田区)など多数の地域での動きがあるようだ。
…人口規模では劣る、佐賀。時には奇策も必要かもしれない。
さて、私には楽しみになってきた“幕末の家康”の描かれ方。どのように歴史のつながりを表現するか、期待です。
来月からの新・大河ドラマ「青天を衝け」の情報が、少しずつ明らかになってきています。そして、2~3日前。こんな情報を確認しました。
「青天を衝け」の徳川家康役は、北大路欣也さん。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=27676
(外部サイト)
このニュースを見た私。最初の反応はこうでした。
「い…、いえやす!?」
――あれっ!?「青天を衝け」は幕末・明治時代の…
“日本資本主義の父”と評される旧幕臣・渋沢栄一をイケメン・吉沢亮が演じるドラマではないのか。
「なぜ、家康公が…幕末のドラマに?」
私は困惑する。徳川家康の没年は、たしか“大坂の陣”の翌年で1616年。
――幕末と言えば、黒船来航の1853年以降を指すことが多い。
その間、240年近くの歳月が流れている。
徳川家康は、この時代の人ではないのだ。
…はっきりとはわからないが、ナレーションを担当する?という話も。
江戸幕府の終わりを創業者・家康の視点で見る。そんな演出も想像する。
――思考が、一巡りして気付いた。
そういえば、私が書く“本編”でも、幕末期以外、もっと昔の人物が登場する。
「ドラマ内ドラマ」として、佐賀藩士たちのヒーロー・楠木正成を描いた。
今のところ大隈八太郎(重信)の母・三井子が、子に物語を読み聞かせる設定で、幾度かの登場がある。
〔参照(後半):
――時は、南北朝時代(1336年頃)。
後醍醐天皇の“建武の新政”は崩壊寸前だった。敵対する足利尊氏の人望をよく知り、朝廷に和睦を進言、ともに国を支えようと試みる楠木正成という解釈。
…この展開を、幕末・明治期の佐賀藩の“想い”につなげていく。
鍋島安房(須古領・白石町)、鍋島河内(白石鍋島家・みやき町)など、楠木正成を敬う、佐賀藩の重役たち。
〔参照(前半):
そして、枝吉神陽が率いて、幕末の佐賀で活動した“楠公”の名を冠する結社「義祭同盟」は、明治の日本を支える人材を多数輩出する。
――もし、大河でも「ドラマ内ドラマ」が許容されるなら…
このような時を超えた演出が「青天を衝け」で好評ならば「幕末佐賀藩の大河ドラマ」実現の攻め幅は広がる。
楠木正成の大河ドラマ誘致には、本拠地の近く大阪(河内長野市)周辺だけでなく、兵庫(神戸市)、東京(千代田区)など多数の地域での動きがあるようだ。
…人口規模では劣る、佐賀。時には奇策も必要かもしれない。
さて、私には楽しみになってきた“幕末の家康”の描かれ方。どのように歴史のつながりを表現するか、期待です。
2021年01月28日
第15話「江戸動乱」⑧(島、還る)
こんばんは。
半年くらい前に掲載した話の続編。ついに、あの男が佐賀に帰ってきます。
――1856(安政3)年の秋。佐賀を出立した2人。
島義勇と犬塚与七郎は、極寒の東北を歩み、蝦夷地(北海道)へと向かった。
蝦夷地の箱館(函館)に到着するなり、犬塚が帰路に就く。ある任務を背負い、佐賀へと舞い戻ったのだ。
一方の島義勇。そのまま蝦夷地に留まって、探検家・松浦武四郎らとともに、幕府・箱館奉行所の調査に同行したのである。

――島が、佐賀を旅立ってから2年近く。
島義勇。団右衛門と名乗るので、愛称は“団にょん”。
もともと精悍な顔つきに、丸い眼(まなこ)の持ち主である。
極北の蝦夷地(北海道)沿海を回って、野性味が増していた。
「ようやく佐賀じゃ!ついに御城下に帰ってきたぞ!」
江戸にある佐賀藩の屋敷に、たどり着いたときは年の瀬だった。しばし時を経て、佐賀への帰還である。
――そこで“団にょん”は、ある侍の後ろ姿を見かけた。
「おおっ!そこに居るんは“犬”じゃなかね!」
「…その声は、もしや“団にょん”さん!!」
振り向いたのは、佐賀藩士・犬塚与七郎。
「犬~っ!ようやく帰ってきたとよ!」
「…だから“犬”じゃなかばい!犬塚たい!!」
もはや“お約束”のやり取りである。ひしと抱きあう2人。
島義勇。北の最果ての旅路より還る。
――行き道は調査のため、豪雪の東北を共に歩んだ2人。
「…はっはっは!いつもの犬塚だな。元気そうで良かごたぁ!」
「そちらこそ。間違いなく、団にょんさんじゃ!」
まずは感動の再会を果たした2人だが、ふと、犬塚が正気に戻る。
「団にょんさん、すまん…、力の及ばんかった。」
島と犬塚が、箱館に着いた時。すでに各藩が調査にしのぎを削っていた。
蝦夷地(北海道)には、貿易港・特産物・販路開拓…様々な魅力がある。

――佐賀にとっても、蝦夷地の“権利”確保が急務。
幕府への申請を急ぐため、島と犬塚は二手に分かれたが、佐賀藩は蝦夷地での権利を獲得できなかった。犬塚は“自分の力不足”と謝っているのだ。
「ご公儀(幕府)の決めた事ばい。仕方がなかよ!」
「蝦夷地は、近くの“お大名”に任せるらしか…」
島が励ますが、犬塚は、まだ悔しがる。
結局、幕府は蝦夷地の警備・領有を東北の諸藩に任せた。先んじて調査を行う西国の各藩に、蝦夷地の権利を与えるのは、危険と考えても不思議はない。
――決断力に長けた、大老・井伊直弼のもと…
幕府は、権威の回復を図っていた。しかし正面からぶつかって来る雄藩もある。次期将軍候補の1人・一橋慶喜の実家である水戸藩(茨城)だ。
「団にょんさん…、井伊さまは水戸を警戒しとるばい。」
「そうたい。ワシが水戸の屋敷に出入りした頃とは…、何かが違う。」
さっきまで大声だったが、急にひそひそ話を始める島と犬塚。かつて島義勇は、殿の愛娘・貢姫の縁談で、お相手の実家・水戸藩との調整役を務めていた。
…島が寒い蝦夷地を探索している間に、水戸藩の“尊王攘夷”は、さらに過熱をしていたのである。
(続く)
〔参照記事〕
第11話「蝦夷探検」⑨(“犬塚”の別れ)
第11話「蝦夷探検」②(江戸の貢姫)
半年くらい前に掲載した話の続編。ついに、あの男が佐賀に帰ってきます。
――1856(安政3)年の秋。佐賀を出立した2人。
島義勇と犬塚与七郎は、極寒の東北を歩み、蝦夷地(北海道)へと向かった。
蝦夷地の箱館(函館)に到着するなり、犬塚が帰路に就く。ある任務を背負い、佐賀へと舞い戻ったのだ。
一方の島義勇。そのまま蝦夷地に留まって、探検家・松浦武四郎らとともに、幕府・箱館奉行所の調査に同行したのである。
――島が、佐賀を旅立ってから2年近く。
島義勇。団右衛門と名乗るので、愛称は“団にょん”。
もともと精悍な顔つきに、丸い眼(まなこ)の持ち主である。
極北の蝦夷地(北海道)沿海を回って、野性味が増していた。
「ようやく佐賀じゃ!ついに御城下に帰ってきたぞ!」
江戸にある佐賀藩の屋敷に、たどり着いたときは年の瀬だった。しばし時を経て、佐賀への帰還である。
――そこで“団にょん”は、ある侍の後ろ姿を見かけた。
「おおっ!そこに居るんは“犬”じゃなかね!」
「…その声は、もしや“団にょん”さん!!」
振り向いたのは、佐賀藩士・犬塚与七郎。
「犬~っ!ようやく帰ってきたとよ!」
「…だから“犬”じゃなかばい!犬塚たい!!」
もはや“お約束”のやり取りである。ひしと抱きあう2人。
島義勇。北の最果ての旅路より還る。
――行き道は調査のため、豪雪の東北を共に歩んだ2人。
「…はっはっは!いつもの犬塚だな。元気そうで良かごたぁ!」
「そちらこそ。間違いなく、団にょんさんじゃ!」
まずは感動の再会を果たした2人だが、ふと、犬塚が正気に戻る。
「団にょんさん、すまん…、力の及ばんかった。」
島と犬塚が、箱館に着いた時。すでに各藩が調査にしのぎを削っていた。
蝦夷地(北海道)には、貿易港・特産物・販路開拓…様々な魅力がある。

――佐賀にとっても、蝦夷地の“権利”確保が急務。
幕府への申請を急ぐため、島と犬塚は二手に分かれたが、佐賀藩は蝦夷地での権利を獲得できなかった。犬塚は“自分の力不足”と謝っているのだ。
「ご公儀(幕府)の決めた事ばい。仕方がなかよ!」
「蝦夷地は、近くの“お大名”に任せるらしか…」
島が励ますが、犬塚は、まだ悔しがる。
結局、幕府は蝦夷地の警備・領有を東北の諸藩に任せた。先んじて調査を行う西国の各藩に、蝦夷地の権利を与えるのは、危険と考えても不思議はない。
――決断力に長けた、大老・井伊直弼のもと…
幕府は、権威の回復を図っていた。しかし正面からぶつかって来る雄藩もある。次期将軍候補の1人・一橋慶喜の実家である水戸藩(茨城)だ。
「団にょんさん…、井伊さまは水戸を警戒しとるばい。」
「そうたい。ワシが水戸の屋敷に出入りした頃とは…、何かが違う。」
さっきまで大声だったが、急にひそひそ話を始める島と犬塚。かつて島義勇は、殿の愛娘・貢姫の縁談で、お相手の実家・水戸藩との調整役を務めていた。
…島が寒い蝦夷地を探索している間に、水戸藩の“尊王攘夷”は、さらに過熱をしていたのである。
(続く)
〔参照記事〕
2021年01月26日
第15話「江戸動乱」⑦(“あるべき姿”へ)
こんばんは。
歴史の視点で見ると“大政奉還”まで、あと10年を切りました。
1858年(安政5年)の佐賀城下をイメージしたお話です。
――佐賀城下の北、ある禅寺にて。
寺の堂内には“義祭同盟”の面々が集まる。
大木喬任、江藤新平、大隈八太郎(重信)…、中野方蔵もいる。
枝吉神陽が姿を現した。座の空気が一気に引き締まる。
「皆、揃ったようだな。一堂に会するのは、久方ぶりか。」
堂内を見遣る、強い眼差し。静かに語っても、腹の底に響く声。
皆が、神陽の姿を一斉に見つめる。
――神陽の実弟、副島種臣が傍らに控える。
「このたび次郎が、京の都から佐賀に帰ってきた。」
枝吉神陽が、弟・副島種臣(幼名は枝吉次郎)の帰還を一同に告げる。
「おおっ…して、京の様子は如何(いか)に!」
神陽が発した言葉から、波紋が広がるように周囲がざわつく。
「次郎。見聞したところを、皆に語って差し上げようぞ。」
「はい、兄上!」
既に副島種臣は一角の“学者”だが、どうにも神陽の前では“弟”が抜けない。

――副島種臣(次郎)が語る、京の動き。
「将軍のお傍に仕える方々も、京の都に参じており申す。」
この頃の幕府は、つねに朝廷の顔色を気にする状況に陥っていた。
大老・井伊直弼の“前任者”で、条約締結の推進派だった老中・堀田正睦は、朝廷からの“お墨付き”で反対派を抑えようとした。
――これは、幕府にとって“悪手”だった。
これまで幕府は、独断で外交方針を決定できたが、“朝廷の承認が要る”という空気が出来てしまった。
“異国嫌い”…いや異国の情報が無い朝廷が、すんなり許可を出すはずもない。
水戸藩を筆頭とする“攘夷派”は、この状況を利用していた。
「聞いての通り。いまや公儀(幕府)は、朝廷のお許し無くば物事が進められぬ。」
――神陽の言葉に、再びざわつく一同。
「京では、そがんことが!!」
大隈八太郎(重信)は唖然とした。幕府のイメージは“強大な権威”だったのだ。
「…うむ。」
ほぼ黙して話を聞く大木喬任。その隣、今にも言葉を発するか…の江藤新平。
行きがかり上、話の内容を知る中野方蔵は、周囲を何やら楽しげに見回す。

――ざわめきを制するように、神陽は言葉を続ける。
「皆、何ら問題は無いぞ!“あるべき姿”へ戻りゆくのは、好ましい事である。」
「おおっ!」
幾人かが、声を揃えて感嘆した。
「これで、理に適った…」
江藤は得心した様子だ。今までの神陽の主張どおりだからだ。
――枝吉神陽が、提唱していたのは“日本一君論”。
神陽の論によれば、本来、天皇家以外に“主君”はいない。大名家は、武士集団の“まとめ役”に過ぎない…という考え方だ。
「今こそ帝のもとに、諸侯が集うべき時である!」
枝吉神陽が、一同に語ったのは“幕府廃止論”。朝廷には、弟・副島種臣を通じて、将軍宣下(任命)の見直しを働きかける。
徳川家も朝廷のもとに集い、他の大名とともに異国から日本を守るべき。早くも佐賀城下では、のちの「大政奉還」と同質の議論が進んでいた。
(続く)
歴史の視点で見ると“大政奉還”まで、あと10年を切りました。
1858年(安政5年)の佐賀城下をイメージしたお話です。
――佐賀城下の北、ある禅寺にて。
寺の堂内には“義祭同盟”の面々が集まる。
大木喬任、江藤新平、大隈八太郎(重信)…、中野方蔵もいる。
枝吉神陽が姿を現した。座の空気が一気に引き締まる。
「皆、揃ったようだな。一堂に会するのは、久方ぶりか。」
堂内を見遣る、強い眼差し。静かに語っても、腹の底に響く声。
皆が、神陽の姿を一斉に見つめる。
――神陽の実弟、副島種臣が傍らに控える。
「このたび次郎が、京の都から佐賀に帰ってきた。」
枝吉神陽が、弟・副島種臣(幼名は枝吉次郎)の帰還を一同に告げる。
「おおっ…して、京の様子は如何(いか)に!」
神陽が発した言葉から、波紋が広がるように周囲がざわつく。
「次郎。見聞したところを、皆に語って差し上げようぞ。」
「はい、兄上!」
既に副島種臣は一角の“学者”だが、どうにも神陽の前では“弟”が抜けない。
――副島種臣(次郎)が語る、京の動き。
「将軍のお傍に仕える方々も、京の都に参じており申す。」
この頃の幕府は、つねに朝廷の顔色を気にする状況に陥っていた。
大老・井伊直弼の“前任者”で、条約締結の推進派だった老中・堀田正睦は、朝廷からの“お墨付き”で反対派を抑えようとした。
――これは、幕府にとって“悪手”だった。
これまで幕府は、独断で外交方針を決定できたが、“朝廷の承認が要る”という空気が出来てしまった。
“異国嫌い”…いや異国の情報が無い朝廷が、すんなり許可を出すはずもない。
水戸藩を筆頭とする“攘夷派”は、この状況を利用していた。
「聞いての通り。いまや公儀(幕府)は、朝廷のお許し無くば物事が進められぬ。」
――神陽の言葉に、再びざわつく一同。
「京では、そがんことが!!」
大隈八太郎(重信)は唖然とした。幕府のイメージは“強大な権威”だったのだ。
「…うむ。」
ほぼ黙して話を聞く大木喬任。その隣、今にも言葉を発するか…の江藤新平。
行きがかり上、話の内容を知る中野方蔵は、周囲を何やら楽しげに見回す。
――ざわめきを制するように、神陽は言葉を続ける。
「皆、何ら問題は無いぞ!“あるべき姿”へ戻りゆくのは、好ましい事である。」
「おおっ!」
幾人かが、声を揃えて感嘆した。
「これで、理に適った…」
江藤は得心した様子だ。今までの神陽の主張どおりだからだ。
――枝吉神陽が、提唱していたのは“日本一君論”。
神陽の論によれば、本来、天皇家以外に“主君”はいない。大名家は、武士集団の“まとめ役”に過ぎない…という考え方だ。
「今こそ帝のもとに、諸侯が集うべき時である!」
枝吉神陽が、一同に語ったのは“幕府廃止論”。朝廷には、弟・副島種臣を通じて、将軍宣下(任命)の見直しを働きかける。
徳川家も朝廷のもとに集い、他の大名とともに異国から日本を守るべき。早くも佐賀城下では、のちの「大政奉還」と同質の議論が進んでいた。
(続く)
2021年01月24日
「醒覚の剣」(聖廟)
こんにちは。
最近では県内の各市町でも新型コロナの感染者数が日々報じられています。それなりに遠くから、郷里を見ている私。
自分の周辺地域では、淡々と数値が増え続け、感覚が麻痺(まひ)しがち。一方で、佐賀での感染状況には敏感です。
――最近、叔父上との電話で。
「佐賀の写真が必要なら、また動くとよ。」
“現地取材の要望には、即応する”と言う。
叔父上からのありがたい申し出である。
…ある、ありますとも!佐賀で確保したい素材は。
――しかし、私はこう返事をする。
「佐賀でも感染が広がっている様子。まず、叔父上の身の安全が第一です。」
…これも、偽らざる気持ちである。叔父上に何かあっては、元も子もない。
いまや大都市圏では“緊急事態宣言”が出ている。佐賀でも、油断は禁物だ。
「私には、今までに頂いた素材もあります。」
「そうね。じゃあ、またご要望があれば。」
――今ある材料で、何とかする…
これも、佐賀藩士らしくはないか。不利な状況を弾き返す実力を磨くのだ。
幕末期。技術情報が不足でも、鉄製大砲や蒸気機関を作り上げた。
明治期。たとえ官軍入りが遅くても、新政府の中枢で活躍できる。
…この底力を持つのが、佐賀だと理解している。

――昨年。私は大都市圏からの移動を自粛した。
当時、佐賀では新型コロナの感染情報を聞く事は少なかった。帰れない私に対して、叔父上は比較的自由に動けたのである。
私が依頼した中で、叔父上が初期に着手したのが、多久への取材だった。
多久市は「佐賀県のほぼ中央にあり、福岡にも長崎にも1時間で行ける」…と、密かに良い位置にある。
――ある夏の日。“多久”に降り立った、叔父上。
若くはない甥が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と動き始めた。普通の叔父さんなら「ムダだから止めておけ!」と諭しても、手伝おうとはするまい。
しかし叔父上は、“多久聖廟”の前でカメラを構え、“聖人”や“領主”の石像を見つければ、写真を撮ることにも余念がない。
「にゃ~、天気がいま一つやったばい!」
むしろ使える絵を撮ろうと、いろいろ画策するのである。
――聖学が華開き、文教の風薫る郷・多久。
叔父上の現地入りから、およそ半年。多久で撮影した写真は、あたかもタイムカプセルのように「聖学の華、文教の風」を、現在の私に届けた。
“論語”の郷として、特徴を持つ多久市。全国ネットのテレビでも「多久の若者は、誰でも論語を暗唱している!」と“珍百景”扱いで見かけることがある。
今回、“多久”について考えた私は、本質はもっと深い所にあると感じる。“骨太の学び”をした者は、いざという時の“冷静さ”に勝る…そんな気がするのだ。
最近では県内の各市町でも新型コロナの感染者数が日々報じられています。それなりに遠くから、郷里を見ている私。
自分の周辺地域では、淡々と数値が増え続け、感覚が麻痺(まひ)しがち。一方で、佐賀での感染状況には敏感です。
――最近、叔父上との電話で。
「佐賀の写真が必要なら、また動くとよ。」
“現地取材の要望には、即応する”と言う。
叔父上からのありがたい申し出である。
…ある、ありますとも!佐賀で確保したい素材は。
――しかし、私はこう返事をする。
「佐賀でも感染が広がっている様子。まず、叔父上の身の安全が第一です。」
…これも、偽らざる気持ちである。叔父上に何かあっては、元も子もない。
いまや大都市圏では“緊急事態宣言”が出ている。佐賀でも、油断は禁物だ。
「私には、今までに頂いた素材もあります。」
「そうね。じゃあ、またご要望があれば。」
――今ある材料で、何とかする…
これも、佐賀藩士らしくはないか。不利な状況を弾き返す実力を磨くのだ。
幕末期。技術情報が不足でも、鉄製大砲や蒸気機関を作り上げた。
明治期。たとえ官軍入りが遅くても、新政府の中枢で活躍できる。
…この底力を持つのが、佐賀だと理解している。
――昨年。私は大都市圏からの移動を自粛した。
当時、佐賀では新型コロナの感染情報を聞く事は少なかった。帰れない私に対して、叔父上は比較的自由に動けたのである。
私が依頼した中で、叔父上が初期に着手したのが、多久への取材だった。
多久市は「佐賀県のほぼ中央にあり、福岡にも長崎にも1時間で行ける」…と、密かに良い位置にある。
――ある夏の日。“多久”に降り立った、叔父上。
若くはない甥が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と動き始めた。普通の叔父さんなら「ムダだから止めておけ!」と諭しても、手伝おうとはするまい。
しかし叔父上は、“多久聖廟”の前でカメラを構え、“聖人”や“領主”の石像を見つければ、写真を撮ることにも余念がない。
「にゃ~、天気がいま一つやったばい!」
むしろ使える絵を撮ろうと、いろいろ画策するのである。
――聖学が華開き、文教の風薫る郷・多久。
叔父上の現地入りから、およそ半年。多久で撮影した写真は、あたかもタイムカプセルのように「聖学の華、文教の風」を、現在の私に届けた。
“論語”の郷として、特徴を持つ多久市。全国ネットのテレビでも「多久の若者は、誰でも論語を暗唱している!」と“珍百景”扱いで見かけることがある。
今回、“多久”について考えた私は、本質はもっと深い所にあると感じる。“骨太の学び”をした者は、いざという時の“冷静さ”に勝る…そんな気がするのだ。
2021年01月22日
「主に多久市民の皆様を対象としたつぶやき」
こんばんは。
実は密かに進めていました、多久市民の皆様へのつぶやき計画。
“本編”の中で幾度か名前が出た人物・草場佩川(はいせん)。
漢詩・墨画で有名な儒学者。佐賀の藩校「弘道館」の教師として活躍します。
…現在でも文教の風が薫る、“論語”の学習が盛んな、多久の出身者です。
――では、今までどのような登場をしていたか。
草場佩川は、“優等生”中野方蔵について、佐賀藩の重役・原田小四郎に忠告をします。これまで“本編”に草場先生のセリフはなく、実質的に初登場です。
〔参照(後半):第15話「江戸動乱」⑤(仮面の優等生)〕
逆に、例の3人組(大木喬任・江藤新平・中野方蔵)の噂話の中では、よく草場先生のお名前が出ていました。
――頭の回転が速く、行動力のある中野方蔵。
草場先生の権威を借りて、留学の決定を勝ち取ろうと計画。
〔参照(終盤):第9話「和親条約」②〕
かなり打算的に走り回る中野。大木・江藤の2人はやや引き気味。
〔参照(前半):第12話「海軍伝習」⑤(秘密結社の夜)〕
年長の大木が呆れたり、江藤は「媚びを売ってる!」とつぶやいてみたり…
〔参照(後半):第12話「海軍伝習」④(義祭同盟の青春)〕
――しかし草場先生。やはり只者ではなかった。
利発な若者・中野の才能を認めるも、内面に潜む“危うさ”にも気付いています。
…草場佩川という人物。多才なだけでなく、冷静な一面も見えるのです。
私自身も「草場先生が、中野の真意を見抜いていた…」という展開を書くつもりは無く、人物が自然に動いた感覚です。

――草場先生の出身地。多久が、“文教の郷”になった経過は…
江戸時代の多久は、佐賀藩の自治領の1つ。写真は4代目のご領主さまです。
自治領主・多久茂文は、学問(儒学)を重視しました。教育の力で、秩序ある理想郷・“多久”領を目指したようです。
志ある者に開かれた学問所“東原庠舎”、シンボルとして儒学の祖・孔子さまをはじめ、古の聖人を祀る“多久聖廟”を設立。
…こうして、多久には文教の気風が培われ、幕末・明治に活躍する人材も育てます。
――“儒学”には、古い学問というイメージがありますが…
幕末期には、儒学者も海防の研究や外交の折衝に力を発揮しています。
考えは固いけど、クールで論理的。これが儒学者の強みだと思うわけです。
余談ですが、多久にも“ゆるキャラ”が居ます。
…いや、「いらっしゃいます」と言い換えましょう。「品の良いお爺(じい)さま」という感じのキャラで、お名前は“多久翁(たくおう)”さん。

――多久には、“聖廟”があるので…
写真のような、儒学の聖人のイメージを親しみやすくしたのでしょう。
幕末の儒学者・草場佩川に話を戻します。
実は“本編”でも最年長クラスの登場人物で、1787年生まれ。
なんと中野方蔵や大隈八太郎(重信)あたりとは50歳ほど離れています。
――草場先生。1858年頃には70代。
ご高齢になっても、幕府から「ぜひ江戸で学問所の教授に!」と熱望されます。また、殿・鍋島直正の信任が厚すぎて、隠居できなかったという話も。
優れた洞察力を見せた、草場佩川先生。
そして幕末期の佐賀藩は、他の雄藩に比べて“冷静”な印象です。
…動乱期であっても“熱狂”を戒めるかのような草場先生。
「やはり多久のご老人を甘く見てはならぬ!」ようです。
実は密かに進めていました、多久市民の皆様へのつぶやき計画。
“本編”の中で幾度か名前が出た人物・草場佩川(はいせん)。
漢詩・墨画で有名な儒学者。佐賀の藩校「弘道館」の教師として活躍します。
…現在でも文教の風が薫る、“論語”の学習が盛んな、多久の出身者です。
――では、今までどのような登場をしていたか。
草場佩川は、“優等生”中野方蔵について、佐賀藩の重役・原田小四郎に忠告をします。これまで“本編”に草場先生のセリフはなく、実質的に初登場です。
〔参照(後半):
逆に、例の3人組(大木喬任・江藤新平・中野方蔵)の噂話の中では、よく草場先生のお名前が出ていました。
――頭の回転が速く、行動力のある中野方蔵。
草場先生の権威を借りて、留学の決定を勝ち取ろうと計画。
〔参照(終盤):
かなり打算的に走り回る中野。大木・江藤の2人はやや引き気味。
〔参照(前半):
年長の大木が呆れたり、江藤は「媚びを売ってる!」とつぶやいてみたり…
〔参照(後半):
――しかし草場先生。やはり只者ではなかった。
利発な若者・中野の才能を認めるも、内面に潜む“危うさ”にも気付いています。
…草場佩川という人物。多才なだけでなく、冷静な一面も見えるのです。
私自身も「草場先生が、中野の真意を見抜いていた…」という展開を書くつもりは無く、人物が自然に動いた感覚です。
――草場先生の出身地。多久が、“文教の郷”になった経過は…
江戸時代の多久は、佐賀藩の自治領の1つ。写真は4代目のご領主さまです。
自治領主・多久茂文は、学問(儒学)を重視しました。教育の力で、秩序ある理想郷・“多久”領を目指したようです。
志ある者に開かれた学問所“東原庠舎”、シンボルとして儒学の祖・孔子さまをはじめ、古の聖人を祀る“多久聖廟”を設立。
…こうして、多久には文教の気風が培われ、幕末・明治に活躍する人材も育てます。
――“儒学”には、古い学問というイメージがありますが…
幕末期には、儒学者も海防の研究や外交の折衝に力を発揮しています。
考えは固いけど、クールで論理的。これが儒学者の強みだと思うわけです。
余談ですが、多久にも“ゆるキャラ”が居ます。
…いや、「いらっしゃいます」と言い換えましょう。「品の良いお爺(じい)さま」という感じのキャラで、お名前は“多久翁(たくおう)”さん。
――多久には、“聖廟”があるので…
写真のような、儒学の聖人のイメージを親しみやすくしたのでしょう。
幕末の儒学者・草場佩川に話を戻します。
実は“本編”でも最年長クラスの登場人物で、1787年生まれ。
なんと中野方蔵や大隈八太郎(重信)あたりとは50歳ほど離れています。
――草場先生。1858年頃には70代。
ご高齢になっても、幕府から「ぜひ江戸で学問所の教授に!」と熱望されます。また、殿・鍋島直正の信任が厚すぎて、隠居できなかったという話も。
優れた洞察力を見せた、草場佩川先生。
そして幕末期の佐賀藩は、他の雄藩に比べて“冷静”な印象です。
…動乱期であっても“熱狂”を戒めるかのような草場先生。
「やはり多久のご老人を甘く見てはならぬ!」ようです。
2021年01月20日
第15話「江戸動乱」⑥(尊王に奔〔はし〕る)
こんばんは。
昨夜は『どうする家康』の発表に動揺しましたが、気を取り直して。
佐賀に舞台を移し、幕末の安政年間(1858年頃)を描いています。
模範的な“生徒会長”とは別の、もう1つの顔を持つ中野方蔵。
熱い想いで、佐賀城下を駆けます。
――いつも走っている、中野方蔵。

中野は、佐賀城の南堀端にある“鬼丸”まで早足を進める。
「御免(ごめん)!神陽先生はご在宅でしょうか!」
――戸を開けて出たのは、なぜか枝吉神陽の実弟・副島種臣。
「おお、中野くんか!久しいな。」
「次郎先生!…いや、副島先生とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
「ははは…どちらでも良い。それに兄上の前では“先生”とは呼ばんでくれ。」
副島は、実兄・枝吉神陽と同列に扱われると、気後れするようだ。
「いつ、京の都からこちらへ?」
「つい、今し方戻った。ぜひ兄上のお耳に入れたいことがあってな。」
長崎街道を行く旅姿のまま、現れた副島種臣。さすがに埃(ほこり)まみれだ。
この頃、日米修好通商条約の調印をめぐり、朝廷の存在感は増すばかりだ。
幕末の政局。その駆け引きの舞台は、江戸から京の都に移りつつあった。
――部屋の奥から、枝吉神陽の声が響く。
「表に居るのは、中野くんだな。遠慮はいらん!入りたまえ!」
「兄上のお許しも出たようだ。中野くん、来たまえ。」
副島が、中野を伴って邸内へと戻る。
「次郎は旅から帰るなり、こちらに駆け付けたのだ。」
「“国の大事”ゆえ、ゆるりとして居る暇(いとま)などございませぬ。」
――枝吉神陽が、笑って答える。
「その心掛けは誠に貴い。しかしだな、風呂ぐらいは入っておけ。」
副島は顔立ち整い、目もと涼し気な美男だが、京の都から駆け通しで、いまは丸ごと洗濯が必要そうな風体である。
「先生方が“国事”を語る場に居合わせるとは、何たる僥倖(ぎょうこう)か!」
中野は、かなり興奮気味。その表情から高揚が見てとれる。
神陽は、中野を大きい目で見つめ言葉をかける。
「同座を許そう。但し、ここで語る事柄はくれぐれも内密にな。」
「はい!」
(続く)
昨夜は『どうする家康』の発表に動揺しましたが、気を取り直して。
佐賀に舞台を移し、幕末の安政年間(1858年頃)を描いています。
模範的な“生徒会長”とは別の、もう1つの顔を持つ中野方蔵。
熱い想いで、佐賀城下を駆けます。
――いつも走っている、中野方蔵。
中野は、佐賀城の南堀端にある“鬼丸”まで早足を進める。
「御免(ごめん)!神陽先生はご在宅でしょうか!」
――戸を開けて出たのは、なぜか枝吉神陽の実弟・副島種臣。
「おお、中野くんか!久しいな。」
「次郎先生!…いや、副島先生とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
「ははは…どちらでも良い。それに兄上の前では“先生”とは呼ばんでくれ。」
副島は、実兄・枝吉神陽と同列に扱われると、気後れするようだ。
「いつ、京の都からこちらへ?」
「つい、今し方戻った。ぜひ兄上のお耳に入れたいことがあってな。」
長崎街道を行く旅姿のまま、現れた副島種臣。さすがに埃(ほこり)まみれだ。
この頃、日米修好通商条約の調印をめぐり、朝廷の存在感は増すばかりだ。
幕末の政局。その駆け引きの舞台は、江戸から京の都に移りつつあった。
――部屋の奥から、枝吉神陽の声が響く。
「表に居るのは、中野くんだな。遠慮はいらん!入りたまえ!」
「兄上のお許しも出たようだ。中野くん、来たまえ。」
副島が、中野を伴って邸内へと戻る。
「次郎は旅から帰るなり、こちらに駆け付けたのだ。」
「“国の大事”ゆえ、ゆるりとして居る暇(いとま)などございませぬ。」
――枝吉神陽が、笑って答える。
「その心掛けは誠に貴い。しかしだな、風呂ぐらいは入っておけ。」
副島は顔立ち整い、目もと涼し気な美男だが、京の都から駆け通しで、いまは丸ごと洗濯が必要そうな風体である。
「先生方が“国事”を語る場に居合わせるとは、何たる僥倖(ぎょうこう)か!」
中野は、かなり興奮気味。その表情から高揚が見てとれる。
神陽は、中野を大きい目で見つめ言葉をかける。
「同座を許そう。但し、ここで語る事柄はくれぐれも内密にな。」
「はい!」
(続く)
2021年01月19日
「2023年の大河ドラマ!」
こんばんは。
再来年(2023年)“大河ドラマ”がNHKのホームページで発表されています。
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/442313.html
(外部サイト)
タイトルは『どうする家康』〔主演:松本潤〕
皆様ご存じ、“徳川家康”が主人公。
戦国を終わらせて江戸幕府を開いた、家康公です。
その人生は、堂々たる“天下人”などではなく、ヒヤヒヤする決断の連続だった…という感じの描き方になるようです。
――ここに来て、大河ドラマの「王道」。
2021(年)『青天を衝け』〔主演:吉沢亮〕
時代は幕末・明治。主人公は渋沢栄一。珍しく“経済”で活躍した人が主役。
〔参照:「青天を衝け」に想う…〕
2022『鎌倉殿の13人』〔主演:小栗旬〕
時代は平安~鎌倉。主人公は北条義時。今まであまり出なかった時代が舞台。
〔参照:「“大河の主役”と並ぶ」(関係性③‐3大隈重信編)〕
2019『いだてん』はスポーツをテーマにした、かなり意表を突いた作品でした。
2020『麒麟がくる』も“反逆者”扱いされがちな、明智光秀が主役です。
…意外や主役の設定が“直球”は、2018『西郷どん』以来かもしれません。
――皆様には語っていたでしょうか。
私が『幕末佐賀藩の大河ドラマ(仮)』の放映時期として狙うのは…
2024年です。次ですね。
今までにあまりテレビで語られる事の無かった“薩長土肥”の肥前佐賀藩。
主役に据えるのは、すごく“変化球”の設定でしょう。
そのため幕末・明治の佐賀藩(出身者)と関わりの深い「万国博覧会」を意識し、2025年に日本で開催予定の大阪・関西万博の前年を目標にしています。
〔参照:「さがはん~パリ・ウィーン万国博覧会噺~」〕
――ただ1年と少し、ウェブ上で活動してわかった事は…
「これは、相当厳しいな…!」という感想。
自身の才覚の無さや、資源の乏しさが、とても良くわかるわけです。
また、今回の大河ドラマ決定を受けて、最初の想いは…
「やはり“直球”でないと無理か」という気持ち。
――しかし、2023年の大河ドラマ『どうする家康』は…
「ひとりの弱き少年が乱世を終わらせた」奇跡と希望の物語らしいのです。
「生きるか死ぬかの大ピンチ!」など数々の危難。
「後ろ盾もなく、豊かな国土もなく…」とか、深刻な資源の不足!
…この記事を書いているうちに、段々と楽しみになってきました。
そして「大事なのは諦めずに続けること!」というメッセージだと受け止めることにします。
再来年(2023年)“大河ドラマ”がNHKのホームページで発表されています。
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2000/442313.html
(外部サイト)
タイトルは『どうする家康』〔主演:松本潤〕
皆様ご存じ、“徳川家康”が主人公。
戦国を終わらせて江戸幕府を開いた、家康公です。
その人生は、堂々たる“天下人”などではなく、ヒヤヒヤする決断の連続だった…という感じの描き方になるようです。
――ここに来て、大河ドラマの「王道」。
2021(年)『青天を衝け』〔主演:吉沢亮〕
時代は幕末・明治。主人公は渋沢栄一。珍しく“経済”で活躍した人が主役。
〔参照:
2022『鎌倉殿の13人』〔主演:小栗旬〕
時代は平安~鎌倉。主人公は北条義時。今まであまり出なかった時代が舞台。
〔参照:
2019『いだてん』はスポーツをテーマにした、かなり意表を突いた作品でした。
2020『麒麟がくる』も“反逆者”扱いされがちな、明智光秀が主役です。
…意外や主役の設定が“直球”は、2018『西郷どん』以来かもしれません。
――皆様には語っていたでしょうか。
私が『幕末佐賀藩の大河ドラマ(仮)』の放映時期として狙うのは…
2024年です。次ですね。
今までにあまりテレビで語られる事の無かった“薩長土肥”の肥前佐賀藩。
主役に据えるのは、すごく“変化球”の設定でしょう。
そのため幕末・明治の佐賀藩(出身者)と関わりの深い「万国博覧会」を意識し、2025年に日本で開催予定の大阪・関西万博の前年を目標にしています。
〔参照:
――ただ1年と少し、ウェブ上で活動してわかった事は…
「これは、相当厳しいな…!」という感想。
自身の才覚の無さや、資源の乏しさが、とても良くわかるわけです。
また、今回の大河ドラマ決定を受けて、最初の想いは…
「やはり“直球”でないと無理か」という気持ち。
――しかし、2023年の大河ドラマ『どうする家康』は…
「ひとりの弱き少年が乱世を終わらせた」奇跡と希望の物語らしいのです。
「生きるか死ぬかの大ピンチ!」など数々の危難。
「後ろ盾もなく、豊かな国土もなく…」とか、深刻な資源の不足!
…この記事を書いているうちに、段々と楽しみになってきました。
そして「大事なのは諦めずに続けること!」というメッセージだと受け止めることにします。
2021年01月18日
第15話「江戸動乱」⑤(仮面の優等生)
こんばんは。
序盤はアメリカで展開していた第15話ですが、舞台は幕末の佐賀に戻りました。藩校“弘道館”の優等生・中野方蔵が、いろんな所で噂になっています。
――佐賀城下。大隈家。
友人の久米丈一郎(邦武)が立ち寄り、大隈八太郎(重信)と話している。いま、大隈は“蘭学寮”の学生。一方の久米は、そのまま藩校に残っている。
「丈一郎!やはり、蘭学はよかばい。」
「そがんね。弘道館もまずまず面白かよ。」
歴史に興味が強い、久米。藩校の伝統教育も、さほど苦にならないようだ。
「いや、弘道館は…窮屈でいかん!」
「そうたいね。まぁ、八太郎さんは追い出されよったもんね。」
――久米に悪気はないが、言い方にトゲがある。
「…こちらから、出てやったようなもんである!」
久米の言葉にカチンと来たのか、大隈のしゃべり方が急に演説調になる。
「いまは弘道館も落ち着いとるよ。」
「寮長は?誰が受け持っとる?」
「中野さんばい。」
現在、藩校の“生徒会長”は中野方蔵。
――藩校「弘道館」にて。佐賀では重役が学校によく視察に来る。
政務に役立ちそうな人材を、事前に把握しておくためだ。
藩内の保守派・原田小四郎が、学生代表の中野を褒めている。
「昨今の弘道館は秩序がしっかりしておるな!」
「はい。心の乱れは風紀に表れます!鍋島武士は、常に心を律すべきと存じます。」
「“寮の長”にふさわしき、心構えだ。この原田、頼もしく思うぞ。」
「過分なるお褒めのお言葉、恐悦の至りにございます!」

――大変仰々しい、やり取り。
組織が強固なのは佐賀藩の特徴でもある。原田小四郎は、保守派の筆頭格。秩序ある藩校の現況を好ましく思うのだ。
そこに弘道館の有力教師・草場佩川が通りががる。
「これは、原田様。わざわざのお運び恐れ入る。」
「お久しい。草場先生、息災のご様子で何より。」
――草場佩川(はいせん)は、多久の出身である。
佐賀藩の自治領の1つ・多久には、“儒学”の伝統がある。“儒学”は秩序ある社会の理想を説く。
「先年の騒ぎもあり、弘道館の風紀を案じておりましたが…」
いまや藩の重役・原田小四郎が、藩校の教師・草場佩川に語る。
――数年前、藩校で起きた乱闘事件。
この騒ぎを煽った“主役”が、大隈八太郎。処分として、退学になった。
「草場先生。寮の長を務める中野方蔵。なかなかの若者でありますな。」
保守派・原田の絶賛である。寮長・中野は、学生に規則を発するなど、その統制に気を配っている。
「あぁ、中野ですか。機転も効くし、才覚もある。」
――ひとかどの古武士の風格のある、草場佩川。
草場は、あえて学者らしい難しい顔で、原田にこう告げた。
「たしかに中野は、佐賀から遊学に出すべきであろう。しかし…目は離さぬ方が良いですぞ。」
「…はて、何故でござるか。実に心映えの良い若者ではござらんか。」
原田小四郎は、困惑の色を浮かべる。草場の反応は、意外だったのだ。
「若き者が巣立つのを止めはせぬが、才に溺れぬよう見張ってくだされ。」
老境の学者・草場は、フッと笑みを浮かべた。
(続く)
〔参照:第11話「蝦夷探検」⑥(南北騒動始末)〕
序盤はアメリカで展開していた第15話ですが、舞台は幕末の佐賀に戻りました。藩校“弘道館”の優等生・中野方蔵が、いろんな所で噂になっています。
――佐賀城下。大隈家。
友人の久米丈一郎(邦武)が立ち寄り、大隈八太郎(重信)と話している。いま、大隈は“蘭学寮”の学生。一方の久米は、そのまま藩校に残っている。
「丈一郎!やはり、蘭学はよかばい。」
「そがんね。弘道館もまずまず面白かよ。」
歴史に興味が強い、久米。藩校の伝統教育も、さほど苦にならないようだ。
「いや、弘道館は…窮屈でいかん!」
「そうたいね。まぁ、八太郎さんは追い出されよったもんね。」
――久米に悪気はないが、言い方にトゲがある。
「…こちらから、出てやったようなもんである!」
久米の言葉にカチンと来たのか、大隈のしゃべり方が急に演説調になる。
「いまは弘道館も落ち着いとるよ。」
「寮長は?誰が受け持っとる?」
「中野さんばい。」
現在、藩校の“生徒会長”は中野方蔵。
――藩校「弘道館」にて。佐賀では重役が学校によく視察に来る。
政務に役立ちそうな人材を、事前に把握しておくためだ。
藩内の保守派・原田小四郎が、学生代表の中野を褒めている。
「昨今の弘道館は秩序がしっかりしておるな!」
「はい。心の乱れは風紀に表れます!鍋島武士は、常に心を律すべきと存じます。」
「“寮の長”にふさわしき、心構えだ。この原田、頼もしく思うぞ。」
「過分なるお褒めのお言葉、恐悦の至りにございます!」
――大変仰々しい、やり取り。
組織が強固なのは佐賀藩の特徴でもある。原田小四郎は、保守派の筆頭格。秩序ある藩校の現況を好ましく思うのだ。
そこに弘道館の有力教師・草場佩川が通りががる。
「これは、原田様。わざわざのお運び恐れ入る。」
「お久しい。草場先生、息災のご様子で何より。」
――草場佩川(はいせん)は、多久の出身である。
佐賀藩の自治領の1つ・多久には、“儒学”の伝統がある。“儒学”は秩序ある社会の理想を説く。
「先年の騒ぎもあり、弘道館の風紀を案じておりましたが…」
いまや藩の重役・原田小四郎が、藩校の教師・草場佩川に語る。
――数年前、藩校で起きた乱闘事件。
この騒ぎを煽った“主役”が、大隈八太郎。処分として、退学になった。
「草場先生。寮の長を務める中野方蔵。なかなかの若者でありますな。」
保守派・原田の絶賛である。寮長・中野は、学生に規則を発するなど、その統制に気を配っている。
「あぁ、中野ですか。機転も効くし、才覚もある。」
――ひとかどの古武士の風格のある、草場佩川。
草場は、あえて学者らしい難しい顔で、原田にこう告げた。
「たしかに中野は、佐賀から遊学に出すべきであろう。しかし…目は離さぬ方が良いですぞ。」
「…はて、何故でござるか。実に心映えの良い若者ではござらんか。」
原田小四郎は、困惑の色を浮かべる。草場の反応は、意外だったのだ。
「若き者が巣立つのを止めはせぬが、才に溺れぬよう見張ってくだされ。」
老境の学者・草場は、フッと笑みを浮かべた。
(続く)
〔参照:
2021年01月16日
第15話「江戸動乱」④(起きろ!兄さん!)
こんばんは。“本編”を再開します。
幕府の遣米使節がアメリカに到着し、同行した佐賀藩士たちが海外の見聞を広めていたのは1860年春。
同時期の“大事件”により腕利きの侍が集まる場面で、佐賀に舞台が移ります。今回も佐賀城下の話は続きますが、時間は2年ほど遡(さかのぼ)っています。
1858年頃。まだ「日米修好通商条約」の調印、「次期将軍」の選定が大問題となっていた時期です。
――佐賀城下。大木喬任(当時は民平と名乗る)の家にて。
「大木兄さん。お久しぶりです。」
「おう、中野か。忙しそうだな。」
双方とも江藤新平の親友で、その3人の中では最年長の大木。訪ねてきたのは中野方蔵。いまは藩校“弘道館”で、学生を束ねる“寮長”の立場だ。
「ええ、忙しいですよ。大木兄さんは…また、書物の山の中ですか。」
「…そうだな。まだ、読み込みが足らんな。」
行動力のある中野だが、朴訥(ぼくとつ)な大木を兄貴分として慕っているのだ。
「相変わらずですね。いつまで読み込んでいる、おつもりですか。」
「書物の古人たちが動き出し、俺が“その場”に入るまでだ。」

――大木喬任(民平)の勉強法は独特。
漢学の書物を読む、大木。例えば古代中国に現れる、様々な政治の局面。
大木は、自身が“その場面”に居合わせれば、どう行動するかと常に自問する。
書物の世界に入り経験値を稼ぐ“思考実験”(シミュレーション)に費やす時間。
一見、無意味に見えるが、大木の実務能力はこれで鍛えられる。しかし、評価を得るまでには、まだ歳月を要する。
――中野方蔵が、半ばあきれた口調で話を続ける。
「いいですか、大木兄さん!時勢は動いておりますぞ。」
「…知っておる。」
「大木兄さんなら、佐賀の外に出て、学問を磨いてもよかと思います。」
「俺は…、これで忙しい。」
少し面倒くさそうに答える、大木。
「お前や江藤が、先に外に出れば良いだろう。」
「違うのです!江藤くんは放っておいても、いずれ京や江戸に出ます。」
――熱く語り始めた、中野。
「でも…兄さんは、引っ張り出さないと来ない気がして!」
中野が言葉だけでなく、実際に大木の腕を引っ張る。
「おいおい、本当に引っ張る奴があるか!」
「少しは、来る気になりましたか?」
「…可笑しな奴だな。何を焦っているのか。」
「私は、先に江戸に行きますよ。待ってますからね!」
――いま、中野は藩校“弘道館”の寮長。
数年前に起きた大隈八太郎(重信)らの藩校生徒の乱闘騒ぎ。再発しないように対策を講じる立場だった。
中野は、学生が規律正しい寮生活を送るよう統制を強化した。
すでに人をまとめていく、手腕を発揮し始めていた、中野方蔵。
藩校の教師だけでなく、佐賀藩内の保守派からも高い評価を受けていた。
(続く)
幕府の遣米使節がアメリカに到着し、同行した佐賀藩士たちが海外の見聞を広めていたのは1860年春。
同時期の“大事件”により腕利きの侍が集まる場面で、佐賀に舞台が移ります。今回も佐賀城下の話は続きますが、時間は2年ほど遡(さかのぼ)っています。
1858年頃。まだ「日米修好通商条約」の調印、「次期将軍」の選定が大問題となっていた時期です。
――佐賀城下。大木喬任(当時は民平と名乗る)の家にて。
「大木兄さん。お久しぶりです。」
「おう、中野か。忙しそうだな。」
双方とも江藤新平の親友で、その3人の中では最年長の大木。訪ねてきたのは中野方蔵。いまは藩校“弘道館”で、学生を束ねる“寮長”の立場だ。
「ええ、忙しいですよ。大木兄さんは…また、書物の山の中ですか。」
「…そうだな。まだ、読み込みが足らんな。」
行動力のある中野だが、朴訥(ぼくとつ)な大木を兄貴分として慕っているのだ。
「相変わらずですね。いつまで読み込んでいる、おつもりですか。」
「書物の古人たちが動き出し、俺が“その場”に入るまでだ。」
――大木喬任(民平)の勉強法は独特。
漢学の書物を読む、大木。例えば古代中国に現れる、様々な政治の局面。
大木は、自身が“その場面”に居合わせれば、どう行動するかと常に自問する。
書物の世界に入り経験値を稼ぐ“思考実験”(シミュレーション)に費やす時間。
一見、無意味に見えるが、大木の実務能力はこれで鍛えられる。しかし、評価を得るまでには、まだ歳月を要する。
――中野方蔵が、半ばあきれた口調で話を続ける。
「いいですか、大木兄さん!時勢は動いておりますぞ。」
「…知っておる。」
「大木兄さんなら、佐賀の外に出て、学問を磨いてもよかと思います。」
「俺は…、これで忙しい。」
少し面倒くさそうに答える、大木。
「お前や江藤が、先に外に出れば良いだろう。」
「違うのです!江藤くんは放っておいても、いずれ京や江戸に出ます。」
――熱く語り始めた、中野。
「でも…兄さんは、引っ張り出さないと来ない気がして!」
中野が言葉だけでなく、実際に大木の腕を引っ張る。
「おいおい、本当に引っ張る奴があるか!」
「少しは、来る気になりましたか?」
「…可笑しな奴だな。何を焦っているのか。」
「私は、先に江戸に行きますよ。待ってますからね!」
――いま、中野は藩校“弘道館”の寮長。
数年前に起きた大隈八太郎(重信)らの藩校生徒の乱闘騒ぎ。再発しないように対策を講じる立場だった。
中野は、学生が規律正しい寮生活を送るよう統制を強化した。
すでに人をまとめていく、手腕を発揮し始めていた、中野方蔵。
藩校の教師だけでなく、佐賀藩内の保守派からも高い評価を受けていた。
(続く)
2021年01月15日
「帰らんば、あの世界へ。」
こんばんは。先日の首都圏に続いて、福岡を含む大都市圏に緊急事態宣言が出てしまっていますね。
今週は「テレビに影響され過ぎ!」ですが、キリの良いところまで続けます。
今日のタイトルは、ある民放ドラマの影響とわかった人も多いはず。
そして、私の「あぁ、佐賀の遠かごた…」という気分も混ざっています。
――「戻るぜよ、あん世界へ」という言葉。
幕末の医療を軸としたタイムスリップ物「JIN-仁-」で出てくるセリフ。
〔参照:「主に神埼市民の方を対象にしたつぶやき。」〕
坂本龍馬(演:内野聖陽)の声で、繰り返し聞こえる言葉。このドラマでも龍馬は魅力的に描かれていました。
…さすがは幕末ドラマの人気者。「大河ドラマ」だけでなく、民放のフィクションでも強い。
――ところで、ちょうど1年くらい前。
じわじわと“新型コロナ”が日本に迫っていたとき。
今のように、感染が拡大してしまう未来が予測できた方も多いはず。
“素人考え”と言われそうですが、私はこう思っていました。
「もし江藤新平がいたら、2週間もあれば、対策の法整備が進むのに…」
――先日の“知恵泉”(NHK Eテレ)でも…
「仕事をやり過ぎ」と語られた江藤新平。
少し調べてみると、驚異的なスピード感で、近代的な諸制度を築いています。
勝海舟などが「驚いた傑物」と評したと聞きますが、常人の域ではありません。
現場での情報を重視し、民のための“正義”を貫く。珍しく江藤新平の魅力が、テレビで語られました。ただ“ブレーキ”の効きすぎたまとめ方は残念でしたね。

――これは、フィクションにも登場して良いのでは?
架空の物語には、なかなか佐賀藩士たちが登場しません。
「もう少し知名度が上がらぬことには…」という事でしょう。
“佐賀七賢人”の中でも、江藤新平には熱烈なファンが多いようです。しかし、一般的にその魅力を伝えるには、映像メディアでのイメージが必要そうです。
また、江藤新平はミュージカルや舞台では、より“映える”と考えています。
――「帰らんば、あの世界へ。」
私に、ふと聞こえた気がする“佐賀ことば”。
理屈に合わないことは、正面から論破するのが、江藤本来の姿だと考えます。最近のドラマで言えば“半沢直樹”に近い印象でしょうか。
〔参照(後半):「“半沢直樹”の変わった見方」〕
――“新型コロナ”が蔓延し、理想と現実の間には高い壁。
そんな空気を打ち破り、有効な策を立て、壁を突破する、江藤新平を題材にした物語がほしい。何だか“タイムスリップ物”のストーリーも描ける気がしてきます。
…まず「大河ドラマ」のイメージが優先ですが、当分、佐賀入りも難しそうです。
“新型コロナ”を切り抜けて、無事、佐賀駅前にたどり着いた日には、たぶん県庁通りが涙で霞んで見えるかと思います。
今週は「テレビに影響され過ぎ!」ですが、キリの良いところまで続けます。
今日のタイトルは、ある民放ドラマの影響とわかった人も多いはず。
そして、私の「あぁ、佐賀の遠かごた…」という気分も混ざっています。
――「戻るぜよ、あん世界へ」という言葉。
幕末の医療を軸としたタイムスリップ物「JIN-仁-」で出てくるセリフ。
〔参照:
坂本龍馬(演:内野聖陽)の声で、繰り返し聞こえる言葉。このドラマでも龍馬は魅力的に描かれていました。
…さすがは幕末ドラマの人気者。「大河ドラマ」だけでなく、民放のフィクションでも強い。
――ところで、ちょうど1年くらい前。
じわじわと“新型コロナ”が日本に迫っていたとき。
今のように、感染が拡大してしまう未来が予測できた方も多いはず。
“素人考え”と言われそうですが、私はこう思っていました。
「もし江藤新平がいたら、2週間もあれば、対策の法整備が進むのに…」
――先日の“知恵泉”(NHK Eテレ)でも…
「仕事をやり過ぎ」と語られた江藤新平。
少し調べてみると、驚異的なスピード感で、近代的な諸制度を築いています。
勝海舟などが「驚いた傑物」と評したと聞きますが、常人の域ではありません。
現場での情報を重視し、民のための“正義”を貫く。珍しく江藤新平の魅力が、テレビで語られました。ただ“ブレーキ”の効きすぎたまとめ方は残念でしたね。
――これは、フィクションにも登場して良いのでは?
架空の物語には、なかなか佐賀藩士たちが登場しません。
「もう少し知名度が上がらぬことには…」という事でしょう。
“佐賀七賢人”の中でも、江藤新平には熱烈なファンが多いようです。しかし、一般的にその魅力を伝えるには、映像メディアでのイメージが必要そうです。
また、江藤新平はミュージカルや舞台では、より“映える”と考えています。
――「帰らんば、あの世界へ。」
私に、ふと聞こえた気がする“佐賀ことば”。
理屈に合わないことは、正面から論破するのが、江藤本来の姿だと考えます。最近のドラマで言えば“半沢直樹”に近い印象でしょうか。
〔参照(後半):
――“新型コロナ”が蔓延し、理想と現実の間には高い壁。
そんな空気を打ち破り、有効な策を立て、壁を突破する、江藤新平を題材にした物語がほしい。何だか“タイムスリップ物”のストーリーも描ける気がしてきます。
…まず「大河ドラマ」のイメージが優先ですが、当分、佐賀入りも難しそうです。
“新型コロナ”を切り抜けて、無事、佐賀駅前にたどり着いた日には、たぶん県庁通りが涙で霞んで見えるかと思います。