2019年12月29日
「大隈重信」(賢人その7)<後編>
こんばんは。
本日で人物紹介編は、ひとまず最終回。
大隈重信様の後編をお送りします。
<基礎情報>
・佐賀の七賢人で最年少。ポジティブ思考の“末っ子”は国民的人気者。
・明治初期に財政の責任者“大蔵卿”として通貨単位を“円”に定める。
・後に内閣総理大臣にも2回就任。聴衆を引き付ける演説に定評あり。

<エピソード>
・佐賀藩で“砲術”を担当する上級武士の家に生まれ、元気な子に育つ。
上が姉2人の長男。教育熱心だった母から強い期待を受ける。
・藩校では人気者過ぎて、寮の先輩たちが“大隈”の争奪戦を起こす。
大隈も退学となるが、かえって蘭学への道が開ける幸運に恵まれる。
・幕末に長崎で藩の英学校を運営し、尊王活動を行う他藩の志士と交流。
貿易や外国との交渉に関わり、新政府で活躍する道を開くことになる。

※大隈の生家(佐賀市水ケ江)
<キャラクター>
・藩校や枝吉神陽門下の先輩と関わる。母は来客への食事の提供を惜しまず
大隈家は優秀な先輩の溜まり場に。高いレベルでの学問が可能になった。
・明治政府で活躍する大隈の私邸も、政治家や官僚が集まる場となる。
政策の議論を大隈家で行うため客人は常に多数。妻が家を仕切り、活躍。
・先輩たちから様々な志を受け継いだ“末っ子”は日本の近代化に突き進む。
次々と現れる困難を乗り越え“国民”の希望を集める存在へと成長していく。
<象徴的な“お言葉”>
――同郷(佐賀)の先輩を失っても、陰謀で政府から追放されても、爆弾テロに遭っても…常に前向きな大隈の一言。
「人間、125才までは生きられるんである。」
…さすがに、その年齢には届きませんでしたが、大隈先生は長生きしました。
以上が、大隈 重信様についての報告です。
“超ポジティブな政治家”は、近代に目覚めた“国民”の人気者になります。
…ちなみに大隈様が政府を追放されたとき「誰も大隈に手を貸すな」と方々に圧力がかけられていました。
そのとき、手を差し伸べたのが、旧佐賀藩主・鍋島 直大様。
父である鍋島 直正様が亡くなる前に「大隈は我が家にとって大事な者。何かあれば助けよ」と遺言していたそうです。
徹底して内戦を避けるため、幕末の政局に関わらなかった“殿”鍋島 直正様。
若き日の大隈は、慎重な“殿”にイライラしていたようですが、このときに自分がどれほど愛され、期待されていたかを知ったことでしょう。
このように“佐賀の七賢人”は1つの物語でつながっていくような感覚を持っています。
本日で人物紹介編は、ひとまず最終回。
大隈重信様の後編をお送りします。
<基礎情報>
・佐賀の七賢人で最年少。ポジティブ思考の“末っ子”は国民的人気者。
・明治初期に財政の責任者“大蔵卿”として通貨単位を“円”に定める。
・後に内閣総理大臣にも2回就任。聴衆を引き付ける演説に定評あり。

<エピソード>
・佐賀藩で“砲術”を担当する上級武士の家に生まれ、元気な子に育つ。
上が姉2人の長男。教育熱心だった母から強い期待を受ける。
・藩校では人気者過ぎて、寮の先輩たちが“大隈”の争奪戦を起こす。
大隈も退学となるが、かえって蘭学への道が開ける幸運に恵まれる。
・幕末に長崎で藩の英学校を運営し、尊王活動を行う他藩の志士と交流。
貿易や外国との交渉に関わり、新政府で活躍する道を開くことになる。
※大隈の生家(佐賀市水ケ江)
<キャラクター>
・藩校や枝吉神陽門下の先輩と関わる。母は来客への食事の提供を惜しまず
大隈家は優秀な先輩の溜まり場に。高いレベルでの学問が可能になった。
・明治政府で活躍する大隈の私邸も、政治家や官僚が集まる場となる。
政策の議論を大隈家で行うため客人は常に多数。妻が家を仕切り、活躍。
・先輩たちから様々な志を受け継いだ“末っ子”は日本の近代化に突き進む。
次々と現れる困難を乗り越え“国民”の希望を集める存在へと成長していく。
<象徴的な“お言葉”>
――同郷(佐賀)の先輩を失っても、陰謀で政府から追放されても、爆弾テロに遭っても…常に前向きな大隈の一言。
「人間、125才までは生きられるんである。」
…さすがに、その年齢には届きませんでしたが、大隈先生は長生きしました。
以上が、大隈 重信様についての報告です。
“超ポジティブな政治家”は、近代に目覚めた“国民”の人気者になります。
…ちなみに大隈様が政府を追放されたとき「誰も大隈に手を貸すな」と方々に圧力がかけられていました。
そのとき、手を差し伸べたのが、旧佐賀藩主・鍋島 直大様。
父である鍋島 直正様が亡くなる前に「大隈は我が家にとって大事な者。何かあれば助けよ」と遺言していたそうです。
徹底して内戦を避けるため、幕末の政局に関わらなかった“殿”鍋島 直正様。
若き日の大隈は、慎重な“殿”にイライラしていたようですが、このときに自分がどれほど愛され、期待されていたかを知ったことでしょう。
このように“佐賀の七賢人”は1つの物語でつながっていくような感覚を持っています。
2019年12月28日
「大隈重信」(賢人その7)<前編>
こんばんは。
暮れも押し迫り、“七賢人”人物紹介編シリーズも、最終章に入りました。
賢人その7として、大隈重信様をご紹介します。
設定年代ですが、前回の江藤新平編から、10年ほど経過しています。当時、大隈様は“明治十四年の政変”で政府を追放されていました。
舞台は明治の東京です。

――こんにちは。大隈先生はいらっしゃいますか!
「ここにおる。来客中であるが、特に気遣いはいらんぞ。」
――来客中とは聞きましたが、ご本人から許可があったので、失礼します。
「貴君か。江藤さんから聞いておった。次に私のところに来るとな。まさか10年後とは思わなんだが。」
…江藤様からお聞きになっていましたか。
――お客人、ご歓談中に失礼します。
「構いませんよ。」
――はじめまして…あっ、この人知ってる。“一万円札”だ!福沢諭吉だ!
「福沢です。どうぞお気遣いなく。」
「今、我々は、日本の教育がどうあるべきかを語り合っておるのだ。」
「然り。大隈先生と私は同志である。」
「私たちは、同志であるんである!!私も大学を創ろうと思う!!」
「ハッハッハ。いつもの“大隈節”でござるな。」
「福沢先生も“侍言葉”が抜けきれんのぅ。」
――そうだ!お二人は“令和”の日本をどう思われますか?
「私からでも良いですか?」
…おおっ、福沢先生。何か深いお言葉が聞けそうだ。
「紙幣の“絵柄”だが、あれはどうしても変えなければならぬのですか?」
…なんと“一万円札”の話題か!たしかに変わっちゃいますね。
「福沢先生!その質問は無しですよ。私なんか、まだ“絵柄”になってないんである。」
…大隈先生まで。実は、気にされてましたか。
通貨単位を“円”に定めた人が、なぜ“お札の顔に”なってないのか。

※大隈重信記念館
――先生方、もう少し真面目な感じでお願いします。
「真面目な話をするとな。未来のことゆえ、私が口を挟むことではないと思うておる。」
…大隈先生。やはり、そうですか。
「しかしな、これだけは言っておく。」
…お伺いします。今後、どう動いていくべきかもありますので。
「たぶん貴君は失敗する、…随分と失敗するだろう。」
…まぁ、そうですよね。無謀なチャレンジであると心得てはいます。
「でも失敗を恐れなさんな。貴君も何か思うところがあって、ここまで来たのであろう。思うままやればよい。」
――大隈先生。お言葉、確かに受け取りました。
「では、私たちは所用があり、外出する。これで失礼するが、貴君はゆっくりしていきたまえ。」
――ふと思い付いたように、大隈先生が口を開いた。
「例の“政党”の結党大会を考えているのだ。」
「大隈先生、ついに議会政治に打って出るのですね。」
…政府から去るのと引き換えに議会の開設を約束させたんだったな。
転んでもタダでは起きない大隈先生。
「少し流儀は違うが、議会による政治は江藤さんが志していたことでもある。」
「私は、未だにあの一件だけは納得がいきません。処罰の手続きも方法も“近代国家の恥”と考えている。」
…“佐賀戦争”(佐賀の乱)のことだ。福沢先生は、戦いが起きた原因も政府側にあると認識していた。
「福沢先生。お気遣いありがたい。しかし、その言葉は身を危うくする。公にはせぬことだ。」
…そうだ。この時点では、江藤新平は反乱を起こした“逆賊”扱いをされていて、公に語れなかったのだ。
その功績が語られて来なかったのは、この間の扱われ方が影響していたのか。
「そうだ!“政党”の大会には、わが“慶応”の講堂を使ってください。門下生にも手伝わせます。」
「おお!それはありがたい!」
「お気遣いなく。私たちは同志である!」
「同志であるんである!!」
…例によって、大隈先生らしい言い回しが出ているな。
――遠ざかっていく両先生の背中を見ていた。
福沢先生、今後とも大隈先生をよろしくお願いします。
暮れも押し迫り、“七賢人”人物紹介編シリーズも、最終章に入りました。
賢人その7として、大隈重信様をご紹介します。
設定年代ですが、前回の江藤新平編から、10年ほど経過しています。当時、大隈様は“明治十四年の政変”で政府を追放されていました。
舞台は明治の東京です。
――こんにちは。大隈先生はいらっしゃいますか!
「ここにおる。来客中であるが、特に気遣いはいらんぞ。」
――来客中とは聞きましたが、ご本人から許可があったので、失礼します。
「貴君か。江藤さんから聞いておった。次に私のところに来るとな。まさか10年後とは思わなんだが。」
…江藤様からお聞きになっていましたか。
――お客人、ご歓談中に失礼します。
「構いませんよ。」
――はじめまして…あっ、この人知ってる。“一万円札”だ!福沢諭吉だ!
「福沢です。どうぞお気遣いなく。」
「今、我々は、日本の教育がどうあるべきかを語り合っておるのだ。」
「然り。大隈先生と私は同志である。」
「私たちは、同志であるんである!!私も大学を創ろうと思う!!」
「ハッハッハ。いつもの“大隈節”でござるな。」
「福沢先生も“侍言葉”が抜けきれんのぅ。」
――そうだ!お二人は“令和”の日本をどう思われますか?
「私からでも良いですか?」
…おおっ、福沢先生。何か深いお言葉が聞けそうだ。
「紙幣の“絵柄”だが、あれはどうしても変えなければならぬのですか?」
…なんと“一万円札”の話題か!たしかに変わっちゃいますね。
「福沢先生!その質問は無しですよ。私なんか、まだ“絵柄”になってないんである。」
…大隈先生まで。実は、気にされてましたか。
通貨単位を“円”に定めた人が、なぜ“お札の顔に”なってないのか。

※大隈重信記念館
――先生方、もう少し真面目な感じでお願いします。
「真面目な話をするとな。未来のことゆえ、私が口を挟むことではないと思うておる。」
…大隈先生。やはり、そうですか。
「しかしな、これだけは言っておく。」
…お伺いします。今後、どう動いていくべきかもありますので。
「たぶん貴君は失敗する、…随分と失敗するだろう。」
…まぁ、そうですよね。無謀なチャレンジであると心得てはいます。
「でも失敗を恐れなさんな。貴君も何か思うところがあって、ここまで来たのであろう。思うままやればよい。」
――大隈先生。お言葉、確かに受け取りました。
「では、私たちは所用があり、外出する。これで失礼するが、貴君はゆっくりしていきたまえ。」
――ふと思い付いたように、大隈先生が口を開いた。
「例の“政党”の結党大会を考えているのだ。」
「大隈先生、ついに議会政治に打って出るのですね。」
…政府から去るのと引き換えに議会の開設を約束させたんだったな。
転んでもタダでは起きない大隈先生。
「少し流儀は違うが、議会による政治は江藤さんが志していたことでもある。」
「私は、未だにあの一件だけは納得がいきません。処罰の手続きも方法も“近代国家の恥”と考えている。」
…“佐賀戦争”(佐賀の乱)のことだ。福沢先生は、戦いが起きた原因も政府側にあると認識していた。
「福沢先生。お気遣いありがたい。しかし、その言葉は身を危うくする。公にはせぬことだ。」
…そうだ。この時点では、江藤新平は反乱を起こした“逆賊”扱いをされていて、公に語れなかったのだ。
その功績が語られて来なかったのは、この間の扱われ方が影響していたのか。
「そうだ!“政党”の大会には、わが“慶応”の講堂を使ってください。門下生にも手伝わせます。」
「おお!それはありがたい!」
「お気遣いなく。私たちは同志である!」
「同志であるんである!!」
…例によって、大隈先生らしい言い回しが出ているな。
――遠ざかっていく両先生の背中を見ていた。
福沢先生、今後とも大隈先生をよろしくお願いします。
2019年12月27日
「江藤新平」(賢人その6)<後編>
こんばんは!
江藤新平様の人物紹介編の後編をお送りします。
<基礎情報>
・超高速で近代司法制度を確立。国民のための司法という姿勢を貫く。
・国学、洋学、漢学の全てに高い教養。しかも論理的で議論も隙なし。
・身分に関らず、人材を登用。逆に大物でも不正を起こせば許さず。

<エピソード>
・佐賀を脱藩し、幕末の京都で情勢を分析。公家や長州藩士と接触。
幕府や諸藩の軍事力で攘夷は不可能で、西洋に学ぶべきと説く。
・京都で培った人脈を活かし、佐賀藩の新政府軍への合流を先導。
幕府が江戸を開城する際、今後の行政や裁判に必要な書類を収集。
・司法制度だけでなく、廃藩置県の手順を練り、立法機関も整備。
大学教育の混乱も10日程度で解決し、教育分野は大木喬任に託す。
<キャラクター>
・下級藩士の出身で、貧乏な苦学生。佐賀藩校・弘道館の仲間と学ぶ。
枝吉神陽の門下で才能を磨く。先進的な価値観を持つ人物に成長。
・明治政府の主要人物が海外視察で留守中、日本の近代化を一気に進展。
正義感と才能が警戒され、佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇につながる。
・溢れる才能と行動力。明晰な頭脳と巧みな弁舌。実は剣の腕もたつ。
周囲の好悪の感情に気づかない欠点あり。弱者への視線は常に優しい。

※佐賀城・鯱の門。”佐賀戦争”の弾痕が残る。
<象徴的な“お言葉”>
――苦学生だった江藤。藩校の食費を払うのにも事欠く。空腹に耐えつつ学問を磨く。
「知恵は空腹より生ずる!しかし…腹が減った。」
…大隈さんの家に行って“八太郎くん”に勉強教えたら、食事が出ますよ。たぶん。
以上が、江藤 新平様についての報告です。
…江藤の先進性は、明治に入ったときから“国民のための司法”を目指している点や“近代国家の程度は女子の教育で決まる”との言葉にも見出せます。
最期が悲劇的過ぎましたが、江藤は“ヒーロー”と言ってよいと思っています。突出した才能と強すぎる正義感。やや空気が読めてないところが、魅力的な人物です。
一言でいうなら“才気溢れる立法家”でしょうか。そんな“よか男”江藤新平について、もっと語りたいのですが、今日はこの辺にしておきましょう。
江藤新平様の人物紹介編の後編をお送りします。
<基礎情報>
・超高速で近代司法制度を確立。国民のための司法という姿勢を貫く。
・国学、洋学、漢学の全てに高い教養。しかも論理的で議論も隙なし。
・身分に関らず、人材を登用。逆に大物でも不正を起こせば許さず。

<エピソード>
・佐賀を脱藩し、幕末の京都で情勢を分析。公家や長州藩士と接触。
幕府や諸藩の軍事力で攘夷は不可能で、西洋に学ぶべきと説く。
・京都で培った人脈を活かし、佐賀藩の新政府軍への合流を先導。
幕府が江戸を開城する際、今後の行政や裁判に必要な書類を収集。
・司法制度だけでなく、廃藩置県の手順を練り、立法機関も整備。
大学教育の混乱も10日程度で解決し、教育分野は大木喬任に託す。
<キャラクター>
・下級藩士の出身で、貧乏な苦学生。佐賀藩校・弘道館の仲間と学ぶ。
枝吉神陽の門下で才能を磨く。先進的な価値観を持つ人物に成長。
・明治政府の主要人物が海外視察で留守中、日本の近代化を一気に進展。
正義感と才能が警戒され、佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇につながる。
・溢れる才能と行動力。明晰な頭脳と巧みな弁舌。実は剣の腕もたつ。
周囲の好悪の感情に気づかない欠点あり。弱者への視線は常に優しい。

※佐賀城・鯱の門。”佐賀戦争”の弾痕が残る。
<象徴的な“お言葉”>
――苦学生だった江藤。藩校の食費を払うのにも事欠く。空腹に耐えつつ学問を磨く。
「知恵は空腹より生ずる!しかし…腹が減った。」
…大隈さんの家に行って“八太郎くん”に勉強教えたら、食事が出ますよ。たぶん。
以上が、江藤 新平様についての報告です。
…江藤の先進性は、明治に入ったときから“国民のための司法”を目指している点や“近代国家の程度は女子の教育で決まる”との言葉にも見出せます。
最期が悲劇的過ぎましたが、江藤は“ヒーロー”と言ってよいと思っています。突出した才能と強すぎる正義感。やや空気が読めてないところが、魅力的な人物です。
一言でいうなら“才気溢れる立法家”でしょうか。そんな“よか男”江藤新平について、もっと語りたいのですが、今日はこの辺にしておきましょう。
2019年12月26日
「江藤新平」(賢人その6)<前編>
こんばんは。
時折「良いお年を」との暮れの挨拶が飛び交う季節になりましたね。
さて、今回の“賢人その6”は、ややプレッシャーを感じています。
“佐賀の七賢人”の中で、最も熱烈なファンの多い方。
江藤新平様を紹介します。
さて、引き続き時代は明治初期。舞台は“東京”です。
このとき、江藤様は新政府の司法卿。
江戸時代の制度を、近代国家の司法に変換するという難業に当たっていました。
たとえば“町奉行所”を「裁判所」に変換するようなイメージです。
※さがレトロ館(明治時代の警察庁舎)
また、行政の課題解決においても、新政府に江藤様と並ぶ者はおらず、“困ったときの江藤頼み”の状況が伝えられています。
忙しい中でも、近代国家を支えていく人材を発掘すべく、江藤様はよく面接をしていたそうです。
優秀と判断すれば、書生として面倒を見たため、だいぶ出費も嵩んでいた様子。
一般の武士にとって、明治は就職難の時代。
江藤様に認められることは、官僚として活躍できるビックチャンスでした。
――司法省、玄関前にて。
「何者だ!」
…いきなり脅かさないでくださいよ。江藤先生にお会いするために参りました。
「失礼した。私は伊予(愛媛)宇和島出身。司法省の児島と申す。」
…児島様。丁寧なご挨拶、恐れ入ります。
「失礼を言うようだが、江藤先生は公平な選考をなさる。佐賀の方でも油断なさるな。」
…あれっ、いつの間にか面接の受験者扱いになってますね!?
「私が案内する!ついて来られよ。」
…児島様。真っ直ぐな方だ。
※洋館の廊下(長崎街道より)
――司法卿(大臣)、執務室前。
「江藤先生、失礼します!児島、入ります!」
「入りたまえ!」
…江藤様、声が通りますね。
――江藤先生、はじめまして。
「佐賀の者と聞いたが、初めてお目にかかるな。」
…いろいろと事情がございまして。
「君は本を読むか?」
…いきなり面接っぽい展開が来た!はい、わりと読みます。
「では、どんな本を読むか?」
…向き合ってみると、さらに声が通る!緊張で気後れするが、何か言わねば!
――そうだ。最近、“地方消滅”という本を読みました。
「その本で、君は何を得たか?」
…“東京一極集中”が国全体の利にならず、逆に日本を衰退させる恐れがあると。
そのため地方の中枢都市に若年人口を流出させない機能が必要と語った書でした!
「君は本の読み方が、少々浅いようだ。」
…うっ、痛いところを突かれました。
「そして司法省には向かぬようだ。不合格とさせてもらおう。」
…もともと面接を受けに来たのではないのですが、心理的ダメージ。
「だが、君は大隈と会ってみると良いかもしれぬな。何か得られる物があるだろう。」
…江藤様、頭の回転が早い。
「近日、会議で同席する予定があるゆえ、大隈には伝えておく。」
…お忙しいところ、ありがとうございました。
――玄関前。
「江藤先生は、お忙しいのだ。あまり時間が取れなかったが、気を悪くするな。」
…いえいえ、お話できただけで良かったです。児島様もありがとうございました。
江藤様は近代司法の制度を築いただけでなく、それを支える人材も育てていたんですね。
時折「良いお年を」との暮れの挨拶が飛び交う季節になりましたね。
さて、今回の“賢人その6”は、ややプレッシャーを感じています。
“佐賀の七賢人”の中で、最も熱烈なファンの多い方。
江藤新平様を紹介します。
さて、引き続き時代は明治初期。舞台は“東京”です。
このとき、江藤様は新政府の司法卿。
江戸時代の制度を、近代国家の司法に変換するという難業に当たっていました。
たとえば“町奉行所”を「裁判所」に変換するようなイメージです。
また、行政の課題解決においても、新政府に江藤様と並ぶ者はおらず、“困ったときの江藤頼み”の状況が伝えられています。
忙しい中でも、近代国家を支えていく人材を発掘すべく、江藤様はよく面接をしていたそうです。
優秀と判断すれば、書生として面倒を見たため、だいぶ出費も嵩んでいた様子。
一般の武士にとって、明治は就職難の時代。
江藤様に認められることは、官僚として活躍できるビックチャンスでした。
――司法省、玄関前にて。
「何者だ!」
…いきなり脅かさないでくださいよ。江藤先生にお会いするために参りました。
「失礼した。私は伊予(愛媛)宇和島出身。司法省の児島と申す。」
…児島様。丁寧なご挨拶、恐れ入ります。
「失礼を言うようだが、江藤先生は公平な選考をなさる。佐賀の方でも油断なさるな。」
…あれっ、いつの間にか面接の受験者扱いになってますね!?
「私が案内する!ついて来られよ。」
…児島様。真っ直ぐな方だ。

――司法卿(大臣)、執務室前。
「江藤先生、失礼します!児島、入ります!」
「入りたまえ!」
…江藤様、声が通りますね。
――江藤先生、はじめまして。
「佐賀の者と聞いたが、初めてお目にかかるな。」
…いろいろと事情がございまして。
「君は本を読むか?」
…いきなり面接っぽい展開が来た!はい、わりと読みます。
「では、どんな本を読むか?」
…向き合ってみると、さらに声が通る!緊張で気後れするが、何か言わねば!
――そうだ。最近、“地方消滅”という本を読みました。
「その本で、君は何を得たか?」
…“東京一極集中”が国全体の利にならず、逆に日本を衰退させる恐れがあると。
そのため地方の中枢都市に若年人口を流出させない機能が必要と語った書でした!
「君は本の読み方が、少々浅いようだ。」
…うっ、痛いところを突かれました。
「そして司法省には向かぬようだ。不合格とさせてもらおう。」
…もともと面接を受けに来たのではないのですが、心理的ダメージ。
「だが、君は大隈と会ってみると良いかもしれぬな。何か得られる物があるだろう。」
…江藤様、頭の回転が早い。
「近日、会議で同席する予定があるゆえ、大隈には伝えておく。」
…お忙しいところ、ありがとうございました。
――玄関前。
「江藤先生は、お忙しいのだ。あまり時間が取れなかったが、気を悪くするな。」
…いえいえ、お話できただけで良かったです。児島様もありがとうございました。
江藤様は近代司法の制度を築いただけでなく、それを支える人材も育てていたんですね。
2019年12月25日
「大木喬任」(賢人その5)<後編>
こんばんは!
今日もクリスマスで賑わう街に背を向け、七賢人が誇る“地味キャラ”
大木喬任様の人物紹介編の後編をお送りします。
ちなみに名前の読みは「おおき たかとう」です。
<基礎情報>
・読書量をそのまま実務能力として使える人。日本に義務教育を導入する。
・“江戸”を“東京”とすべく奔走。“東京府知事”として混乱期の首都を支える。
・派手な着物を好んだり、殴り合いに強い武闘派だったりと意外性あり。

<エピソード>
・“江戸”を首都“東京”とする際、“京都”と東西2つの都として
鉄道で結ぶ案を唱える。科学技術の先駆者“佐賀藩”らしい発想。
・日本の教育の近代化を進めた。国民皆学を目指し、学制を公布。
政府の中心に残り続けた理由の1つは、教育制度を完成するため。
・明治六年の政変で佐賀藩の仲間が去っても、新政府で耐える。
薩摩・長州とも調整をつけ、岩倉公も利用し、地道な努力は続く。
※佐賀藩・藩校「弘道館」記念碑
<キャラクター>
・寡黙で本を愛する。“床はすべて本棚”と言わんばかりの読書量。
大酒豪でもあるため、酒と本があれば、かなり幸せを感じられる。
・才能溢れる江藤の“相棒”。江藤の斬新なアイデアを実現するため
後を引き継いで、具体的な内容にしていく、手堅い実務能力を発揮。
・常に友のため奔走。幕末には江藤新平が京都に脱藩する資金を工面。
明治六年に下野し、悲劇に向かう江藤を止められず、一生の後悔となる。
<象徴的な“お言葉”>
――明治新時代。近代国家の建設に課題は山積み。どこでも江藤の能力が必要とされる。相棒・大木が放つ言葉。
「仕事の続きは、俺が請け負った!お前は、先に行け!」
…東京への“遷都”、教育制度の構築、司法の整備など…大体このパターンです。
以上が、大木 喬任様についての報告です。
…一言でいうと“努力を続ける教育家”です。
友のため必死になる真摯さ、怒らせると爆発する秘めたエネルギー、寡黙ではあるが派手さやこだわりもある。
描きようによっては、全く“地味”ではないポテンシャルを感じる方です。
今日もクリスマスで賑わう街に背を向け、七賢人が誇る“地味キャラ”
大木喬任様の人物紹介編の後編をお送りします。
ちなみに名前の読みは「おおき たかとう」です。
<基礎情報>
・読書量をそのまま実務能力として使える人。日本に義務教育を導入する。
・“江戸”を“東京”とすべく奔走。“東京府知事”として混乱期の首都を支える。
・派手な着物を好んだり、殴り合いに強い武闘派だったりと意外性あり。

<エピソード>
・“江戸”を首都“東京”とする際、“京都”と東西2つの都として
鉄道で結ぶ案を唱える。科学技術の先駆者“佐賀藩”らしい発想。
・日本の教育の近代化を進めた。国民皆学を目指し、学制を公布。
政府の中心に残り続けた理由の1つは、教育制度を完成するため。
・明治六年の政変で佐賀藩の仲間が去っても、新政府で耐える。
薩摩・長州とも調整をつけ、岩倉公も利用し、地道な努力は続く。

<キャラクター>
・寡黙で本を愛する。“床はすべて本棚”と言わんばかりの読書量。
大酒豪でもあるため、酒と本があれば、かなり幸せを感じられる。
・才能溢れる江藤の“相棒”。江藤の斬新なアイデアを実現するため
後を引き継いで、具体的な内容にしていく、手堅い実務能力を発揮。
・常に友のため奔走。幕末には江藤新平が京都に脱藩する資金を工面。
明治六年に下野し、悲劇に向かう江藤を止められず、一生の後悔となる。
<象徴的な“お言葉”>
――明治新時代。近代国家の建設に課題は山積み。どこでも江藤の能力が必要とされる。相棒・大木が放つ言葉。
「仕事の続きは、俺が請け負った!お前は、先に行け!」
…東京への“遷都”、教育制度の構築、司法の整備など…大体このパターンです。
以上が、大木 喬任様についての報告です。
…一言でいうと“努力を続ける教育家”です。
友のため必死になる真摯さ、怒らせると爆発する秘めたエネルギー、寡黙ではあるが派手さやこだわりもある。
描きようによっては、全く“地味”ではないポテンシャルを感じる方です。
2019年12月24日
「大木喬任」(賢人その5)<前編>
こんばんは。
本日はクリスマス・イブですね。
この華やかな日に“七賢人”の中で、最も“地味”と言われる方を紹介します。
賢人その5・大木喬任様です。
さて、時代は明治初期。舞台は“江戸”です。
幕府は朝廷に政権を返しているので、この時点の首都は”京都”。
このとき大木様は佐賀藩の命令を受けて、新政府と話をしています。
幕末までは、首都として大賑わいだった”江戸”の街…
明治になってからは、混乱が見え始めます。
この大都市が衰退するのは、日本全体にとってマズい。
かつて”江戸”に留学していた大木様は危機感を持ちます。
“江戸”を首都に、東の京、すなわち“東京”にしよう!と大木様の奮闘が始まります。
※洋風建築の内装(長崎街道より)
明治新政府の中心人物、岩倉 具視公のもとに出向く大木様。
“江戸”を新しい都にし、“京都”とあわせて、東西“2つの都”にしよう!という案。
練りに練った“意見書”を岩倉公に持参しますが…
「今、宴席の真っ只中じゃ。そこに置いていくがよい!」
…想いを込めた“ラブレター”を放置されたようなものです。
空回りして、落ち込む大木様。
その夜。江戸にある佐賀藩の屋敷に戻った大木様。
――ひと声かけてみます。大木様!お話を伺うのは、明日にした方が良いでしょうか?
「気遣い助かる!今日は一人で飲みたい気分だ!」
…大木様と言えば“酒”。
明日、また出直すことにします。

翌朝。
――大木様、本日はいかがでしょうか?あ…また酒、飲んでる。
「今日は、気持ちを切り替えるために飲んでおる!」
…はぁ、切り替えですか。
「また、頑張ることにするぞ!」
――玄関に人の気配が!
「大木くん、おるか!木戸じゃ!木戸 孝允じゃ。」
…長州藩のリーダー桂 小五郎だ!明治の頃には木戸 孝允と名乗っていた。
「何かご用ですか。」
…大木さん、無愛想はダメ。
「君の意見書は、江藤君と一緒に練り直したのか。大した内容じゃ!」
「読んでもらえましたか!」
「あぁ、岩倉様が読め!そして、大木に会いに行け!と言うものでな。」
…岩倉様。ちゃんと受け止めてたのね。いわゆる“ツンデレ”か。
――大木様。ちゃんと想いが届いて良かったですね。
「おぅ、良かった。」
…大木様は口数が少ない。
そして、”江戸”は”東京”と”なりました。
大木様はその後、”東京府”知事としても奮闘します。
そして岩倉公は、その能力に高い信頼を置くことになりました。
本日はクリスマス・イブですね。
この華やかな日に“七賢人”の中で、最も“地味”と言われる方を紹介します。
賢人その5・大木喬任様です。
さて、時代は明治初期。舞台は“江戸”です。
幕府は朝廷に政権を返しているので、この時点の首都は”京都”。
このとき大木様は佐賀藩の命令を受けて、新政府と話をしています。
幕末までは、首都として大賑わいだった”江戸”の街…
明治になってからは、混乱が見え始めます。
この大都市が衰退するのは、日本全体にとってマズい。
かつて”江戸”に留学していた大木様は危機感を持ちます。
“江戸”を首都に、東の京、すなわち“東京”にしよう!と大木様の奮闘が始まります。

明治新政府の中心人物、岩倉 具視公のもとに出向く大木様。
“江戸”を新しい都にし、“京都”とあわせて、東西“2つの都”にしよう!という案。
練りに練った“意見書”を岩倉公に持参しますが…
「今、宴席の真っ只中じゃ。そこに置いていくがよい!」
…想いを込めた“ラブレター”を放置されたようなものです。
空回りして、落ち込む大木様。
その夜。江戸にある佐賀藩の屋敷に戻った大木様。
――ひと声かけてみます。大木様!お話を伺うのは、明日にした方が良いでしょうか?
「気遣い助かる!今日は一人で飲みたい気分だ!」
…大木様と言えば“酒”。
明日、また出直すことにします。

翌朝。
――大木様、本日はいかがでしょうか?あ…また酒、飲んでる。
「今日は、気持ちを切り替えるために飲んでおる!」
…はぁ、切り替えですか。
「また、頑張ることにするぞ!」
――玄関に人の気配が!
「大木くん、おるか!木戸じゃ!木戸 孝允じゃ。」
…長州藩のリーダー桂 小五郎だ!明治の頃には木戸 孝允と名乗っていた。
「何かご用ですか。」
…大木さん、無愛想はダメ。
「君の意見書は、江藤君と一緒に練り直したのか。大した内容じゃ!」
「読んでもらえましたか!」
「あぁ、岩倉様が読め!そして、大木に会いに行け!と言うものでな。」
…岩倉様。ちゃんと受け止めてたのね。いわゆる“ツンデレ”か。
――大木様。ちゃんと想いが届いて良かったですね。
「おぅ、良かった。」
…大木様は口数が少ない。
そして、”江戸”は”東京”と”なりました。
大木様はその後、”東京府”知事としても奮闘します。
そして岩倉公は、その能力に高い信頼を置くことになりました。
2019年12月23日
「副島種臣」(賢人その4)<後編>
こんばんは!
今年も残り10日を切り、とっても気忙しいですね…。
そんな中ですが、副島種臣様の人物紹介編の後編をお送りします。
明治時代の終盤まで生き残り、“人格”で佐賀の存在感を示し続けた人です。
<基礎情報>
・高潔な人格者。薩摩の西郷隆盛や外国領事まで副島を信頼する。
・尊王のカリスマである兄(枝吉神陽)と自身を比較し謙虚。
・書に表れた人格が受け手に感銘を与える“超一流”の書家でもある。

<エピソード>
・佐賀藩は長崎に英学校を設立。宣教師は副島の優秀さを絶賛。
英語は初学者でも、合衆国憲法まで習得。学校の責任者も務める。
・明治初期には外務卿。日本に入港したマリア・ルス号で奴隷扱いの
清国人を解放。相手国からの裁判も勝利し、国際社会で高く評価。
・後に西南戦争が起きた際は、清国に滞在していたが、西郷隆盛から
遺言が送られた。副島への期待と「生き残れ」との内容が伝わる。
<キャラクター>
・佐賀藩内でも藩士からの信頼は絶大で、長崎での英学校設立の時は
年少の大隈重信から頼まれて代表に推挙。副島だと異論も出ない。
・尊王思想家の兄の影響で、公家よりも“天皇親政”の時代に詳しく
豊富な知識で、明治新政府の正当性を固め、組織体制も構築する。
・明治時代の半ば、天皇の侍講(先生)となる。薩摩・長州の藩閥に
警戒され辞職の意思を示すが、天皇から直筆の手紙で慰留される。
<象徴的な“お言葉”>
――佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇で、副島は自分を見失う。幕末に病死した兄を想い、つぶやく。
「…兄上、次郎(種臣)を叱ってくださいませ」
※兄・枝吉神陽
…晩年、副島は自分の語ることで正しいことは兄の言葉。誤りは自分の未熟さと語っていたそうです。
以上が、副島 種臣様についての報告です。
…卓越した語学力と豊富な学識を持つ、“信頼を集める外交官”です。
しかし、偉大すぎた兄への尊敬と劣等感は生涯変わらなかったそうです。
今年も残り10日を切り、とっても気忙しいですね…。
そんな中ですが、副島種臣様の人物紹介編の後編をお送りします。
明治時代の終盤まで生き残り、“人格”で佐賀の存在感を示し続けた人です。
<基礎情報>
・高潔な人格者。薩摩の西郷隆盛や外国領事まで副島を信頼する。
・尊王のカリスマである兄(枝吉神陽)と自身を比較し謙虚。
・書に表れた人格が受け手に感銘を与える“超一流”の書家でもある。
<エピソード>
・佐賀藩は長崎に英学校を設立。宣教師は副島の優秀さを絶賛。
英語は初学者でも、合衆国憲法まで習得。学校の責任者も務める。
・明治初期には外務卿。日本に入港したマリア・ルス号で奴隷扱いの
清国人を解放。相手国からの裁判も勝利し、国際社会で高く評価。
・後に西南戦争が起きた際は、清国に滞在していたが、西郷隆盛から
遺言が送られた。副島への期待と「生き残れ」との内容が伝わる。
<キャラクター>
・佐賀藩内でも藩士からの信頼は絶大で、長崎での英学校設立の時は
年少の大隈重信から頼まれて代表に推挙。副島だと異論も出ない。
・尊王思想家の兄の影響で、公家よりも“天皇親政”の時代に詳しく
豊富な知識で、明治新政府の正当性を固め、組織体制も構築する。
・明治時代の半ば、天皇の侍講(先生)となる。薩摩・長州の藩閥に
警戒され辞職の意思を示すが、天皇から直筆の手紙で慰留される。
<象徴的な“お言葉”>
――佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇で、副島は自分を見失う。幕末に病死した兄を想い、つぶやく。
「…兄上、次郎(種臣)を叱ってくださいませ」

…晩年、副島は自分の語ることで正しいことは兄の言葉。誤りは自分の未熟さと語っていたそうです。
以上が、副島 種臣様についての報告です。
…卓越した語学力と豊富な学識を持つ、“信頼を集める外交官”です。
しかし、偉大すぎた兄への尊敬と劣等感は生涯変わらなかったそうです。
2019年12月22日
「副島種臣」(賢人その4)<前編>
こんばんは。
“七賢人”人物紹介編シリーズを続けています。
賢人その4は、副島種臣様です。
今までの賢人(その1~3)の<前編>は、幕末の設定でお送りしていました。
そして黒船来航の“幕末”から時代は動き、”明治”へと移り変わっていきます。
“倒幕”に燃える薩長を中心として、戊辰戦争が起きました。
その始まりだった“鳥羽伏見の戦い”で、旧幕府方は敗走します。
その頃、日本の表玄関“長崎”でも、混乱が起きていました。
幕府の現地責任者である“長崎奉行”が逃亡してしまったのです。
こうして長崎は“無政府状態”になりました。
今回の人物紹介は、明治時代に入った直後の長崎が舞台です。
※長崎の“蒼い海”…
――副島様。長崎の平穏のため、ご多忙のところ失礼します。
「お気遣いなく。諸外国の領事には、概ね説明が終わりました。」
…紳士だ。ジェントルマンだ!
――ところで、副島様…あれっ?外が騒がしいですね…
「副島さん!異国の者が騒ぎゆうがじゃ!」
…おおっ、土佐の人か。今の長崎は、色々な藩が協力して運営してるのね。
「貴君。申し訳ないが、異国の者と話をせねばならぬ。少々、お時間をいただきたい。」
…いや、お仕事優先で。どうぞお気遣いなく。
※長崎街道沿いの旧家
――“長崎会議所”は奉行所の建物をそのまま使っているようです。
「副島と申す!お話をお伺いしよう。」
「ワレワレは、幕府と取引をシテイタ!新政府ってナンダ!?」
…そう来るか。
「日本の君主である天皇に、幕府が預っていた政権をお返ししたのだ。」
「良くワカラナイものと取引がデキルカ!?」
…まだ、信用されてないのね。明治新政府。
「政治の権限が正しく戻ったゆえ、日本の正当な政府である。」
「ソンナ話ハ知ルカ!納得デキナイ!」
…うわ~っ、何だかゴネてきた。
「では貴方は“日本”では取引を行わない!ということかな。」
…おおっ。副島さんが切り返した!
「ナンダト!?」
「貴国の者以外にも、幾らでも取引の相手はおるゆえ、お帰りあれ。」
…副島さん、今度は突き放した!
「ソレハ困ル…」
「正しい手続きで貿易をなさるならば、係の者の説明を聞くとよい。」
「ハイ…ワカリマシタ。」
…そして、歩み寄りを見せて、解決。
――副島様。お見事でした。実に毅然とした態度。
「それより話の途中に退席し、失礼した。」
…すごく気を遣ってくれるな。明治政府で一番の人格者という評判どおり。
――誰かが、走り込んでくる気配がする。
「副島さぁ!江戸から使者として参りもした!」
…今度は、薩摩の人か。
「おぬしの力が必要じゃ!新政府に来てたもんせ!」
――新政府にも副島様の評判が届いたのですね。
「貴君とは、充分お話ができなかったな。」
…いや、よく状況がわかりました。
本日は、ありがとうございました。
“七賢人”人物紹介編シリーズを続けています。
賢人その4は、副島種臣様です。
今までの賢人(その1~3)の<前編>は、幕末の設定でお送りしていました。
そして黒船来航の“幕末”から時代は動き、”明治”へと移り変わっていきます。
“倒幕”に燃える薩長を中心として、戊辰戦争が起きました。
その始まりだった“鳥羽伏見の戦い”で、旧幕府方は敗走します。
その頃、日本の表玄関“長崎”でも、混乱が起きていました。
幕府の現地責任者である“長崎奉行”が逃亡してしまったのです。
こうして長崎は“無政府状態”になりました。
今回の人物紹介は、明治時代に入った直後の長崎が舞台です。

――副島様。長崎の平穏のため、ご多忙のところ失礼します。
「お気遣いなく。諸外国の領事には、概ね説明が終わりました。」
…紳士だ。ジェントルマンだ!
――ところで、副島様…あれっ?外が騒がしいですね…
「副島さん!異国の者が騒ぎゆうがじゃ!」
…おおっ、土佐の人か。今の長崎は、色々な藩が協力して運営してるのね。
「貴君。申し訳ないが、異国の者と話をせねばならぬ。少々、お時間をいただきたい。」
…いや、お仕事優先で。どうぞお気遣いなく。

――“長崎会議所”は奉行所の建物をそのまま使っているようです。
「副島と申す!お話をお伺いしよう。」
「ワレワレは、幕府と取引をシテイタ!新政府ってナンダ!?」
…そう来るか。
「日本の君主である天皇に、幕府が預っていた政権をお返ししたのだ。」
「良くワカラナイものと取引がデキルカ!?」
…まだ、信用されてないのね。明治新政府。
「政治の権限が正しく戻ったゆえ、日本の正当な政府である。」
「ソンナ話ハ知ルカ!納得デキナイ!」
…うわ~っ、何だかゴネてきた。
「では貴方は“日本”では取引を行わない!ということかな。」
…おおっ。副島さんが切り返した!
「ナンダト!?」
「貴国の者以外にも、幾らでも取引の相手はおるゆえ、お帰りあれ。」
…副島さん、今度は突き放した!
「ソレハ困ル…」
「正しい手続きで貿易をなさるならば、係の者の説明を聞くとよい。」
「ハイ…ワカリマシタ。」
…そして、歩み寄りを見せて、解決。
――副島様。お見事でした。実に毅然とした態度。
「それより話の途中に退席し、失礼した。」
…すごく気を遣ってくれるな。明治政府で一番の人格者という評判どおり。
――誰かが、走り込んでくる気配がする。
「副島さぁ!江戸から使者として参りもした!」
…今度は、薩摩の人か。
「おぬしの力が必要じゃ!新政府に来てたもんせ!」
――新政府にも副島様の評判が届いたのですね。
「貴君とは、充分お話ができなかったな。」
…いや、よく状況がわかりました。
本日は、ありがとうございました。
2019年12月21日
「島義勇」(賢人その3)<後編>
こんばんは!
さて、島義勇様の人物紹介編の後編です…
<基礎情報>
・幕末に蝦夷地(北海道)を調査。絵図面を多用した報告を残す。
・明治には蝦夷地の開拓担当となり、“札幌”の基礎を築く。
・天皇の侍従も務めた。真っ直ぐな性格で周囲に愛される。
※2018年、佐賀城の堀端に銅像が立った。
(札幌市役所、北海道神宮には銅像が、円山公園には記念碑が既にあるようです…佐賀の人なので、気づいてあげて)
<エピソード>
・近海への度重なる黒船出現で、北方の沿岸警備が課題となる。
佐賀藩は資源開発や交易ルート確保も考え、蝦夷地を調査。
・幕府とともに行った調査には、探検家・松浦武四郎が同行。
島は“蝦夷地”通である松浦の助力を得て調査を完成する。
・函館戦争が終結し、蝦夷地を開拓する現地責任者“首席判官”に
任命される。世界一の都を目指して“札幌”の建設を進める。
※そして、佐賀城横の交差点にも、その名が付いた。
<キャラクター>
・文系のカリスマ枝吉神陽、理系“万能の研究主任”佐野常民と同年。
2人の天才とは一味違い“殿”の命令で無茶ぶりに挑む体育会系。
・島とともに開拓を担当した、松浦武四郎は“北海道”の名付け親。
アイヌから搾取する古いやり方を壊し、経済の仕組み作りに挑む。
・“札幌”の建設を進める中、人足にも給金を惜しまず、予算不足に。
免官と引き換えに予算を得る。島は去ったが都市計画は残った。
<象徴的な“お言葉”>
――石狩の広大な大地を見渡し、後の大都市“札幌”のビジョンを浮かべる。――
「ここを五洲第一(世界一)の都とする!」
…当時、人口およそ20名の村落を目の前にして、これを言えてしまうのが凄い。
以上が、島 義勇様についての報告です。
…部下たちには慕われますが、予算を握っている相手などには衝突しがち。
不器用ながら、愛すべき人格の“情熱の開拓者”です。
さて、島義勇様の人物紹介編の後編です…
<基礎情報>
・幕末に蝦夷地(北海道)を調査。絵図面を多用した報告を残す。
・明治には蝦夷地の開拓担当となり、“札幌”の基礎を築く。
・天皇の侍従も務めた。真っ直ぐな性格で周囲に愛される。
(札幌市役所、北海道神宮には銅像が、円山公園には記念碑が既にあるようです…佐賀の人なので、気づいてあげて)
<エピソード>
・近海への度重なる黒船出現で、北方の沿岸警備が課題となる。
佐賀藩は資源開発や交易ルート確保も考え、蝦夷地を調査。
・幕府とともに行った調査には、探検家・松浦武四郎が同行。
島は“蝦夷地”通である松浦の助力を得て調査を完成する。
・函館戦争が終結し、蝦夷地を開拓する現地責任者“首席判官”に
任命される。世界一の都を目指して“札幌”の建設を進める。
<キャラクター>
・文系のカリスマ枝吉神陽、理系“万能の研究主任”佐野常民と同年。
2人の天才とは一味違い“殿”の命令で無茶ぶりに挑む体育会系。
・島とともに開拓を担当した、松浦武四郎は“北海道”の名付け親。
アイヌから搾取する古いやり方を壊し、経済の仕組み作りに挑む。
・“札幌”の建設を進める中、人足にも給金を惜しまず、予算不足に。
免官と引き換えに予算を得る。島は去ったが都市計画は残った。
<象徴的な“お言葉”>
――石狩の広大な大地を見渡し、後の大都市“札幌”のビジョンを浮かべる。――
「ここを五洲第一(世界一)の都とする!」
…当時、人口およそ20名の村落を目の前にして、これを言えてしまうのが凄い。
以上が、島 義勇様についての報告です。
…部下たちには慕われますが、予算を握っている相手などには衝突しがち。
不器用ながら、愛すべき人格の“情熱の開拓者”です。
2019年12月20日
「島義勇」(賢人その3)<前編>
こんばんは。
何かと忙しい年末。気持ちが追い込まれている方も多いのではないでしょうか。
今夜はそんな貴方に、少しでも高い大空と広い大地を感じていただければと思います。
そう、本日ご紹介するのは、札幌を創った賢人・島義勇様です。
幕末まで“蝦夷地”と呼ばれていた、現在の北海道…
そこには、広大な原野と自然とともに生きる人々がありました。
日本沿海のあらゆる地点で、異国船が出現する時代…
幕府は特に蝦夷地など、北方の守りが手薄と考えていました。
佐賀藩主・鍋島直正も同意見であり、島義勇に北方の調査を命じます。
そして、島は幕府の雇った役人とともに蝦夷地の冒険に旅立ちます…

「俺たちはやってやるんだ!!」
いまいち才能を発揮しきれていなかったアツい男、島義勇が本気を出す時がやって来ます!
・・・大冒険のすえ、佐賀に帰藩した島様。
「ワンワン!
」
「おー愛い奴じゃのう…よしよし。」
「クゥーン
♪」
――島様、犬がお好きなんですね!
「おお、そうとも!犬は命の恩人じゃからのぅ」
…恩人?
「北国はいつでも冷えるのじゃ。犬は暖かいからのぅ。」
…実は暖房器具(?)でしたか。それにしても懐いてるな…犬。
――いかがでしたか、蝦夷地は?
「そりゃ、もう広いぞ!どこを見渡しても地の果てが見えるようじゃ。森に入ろうものなら、二度と出られん気がする!」
…自然のスケールが違いますからね。
――どのような行程でしたか?
「まず佐賀を出立してから、まず陸路で函館に辿り着くまでに半年ばかりかかったわ!」
…まぁ、佐賀藩的には、いろいろ調査目的もありますからね。
地形とか、動植物とか、鉱物とか…商材の確保と資源の開発にもつながりますからね。
――蝦夷地はどのように回られましたか?
「このような感じじゃ!いろいろな困難に振り回された旅じゃった!」

…まるで双六ですね。サイコロでも振りたくなる…
――よくご無事で。
「蝦夷地に慣れている者がいたのだ。松浦武四郎と申す者がな。幕府の雇い人じゃ。」
…北方の守りが不安なのは、幕府も一緒ですからね。探検家の松浦様は適任者だったのですね。
「あやつは、もう幾度も蝦夷地を回っておったという。土地の者とも親しいのだ。」
…松浦武四郎が敬意を示していたアイヌの人々ですね。今までの探検の中で信頼が生まれたのでしょうね。
――記憶に残った場所はありましたか?
「途中、ものすごく良い土地があってのぅ!あの土地なれば、世界一の都が作れる!」
…おおっ、世界一と来ましたか。たぶん195万都市くらいになって、2020年にマラソンとか来そうな予感がします。
――今後の予定は?
「蝦夷地の調査記録をまとめなければならない!表題は“入北記”じゃ!やってやるぞー!」
…報告の準備にも気合が入ってます。島様も“殿”の期待に応えたいのですね。
本日は、ありがとうございました。
何かと忙しい年末。気持ちが追い込まれている方も多いのではないでしょうか。
今夜はそんな貴方に、少しでも高い大空と広い大地を感じていただければと思います。
そう、本日ご紹介するのは、札幌を創った賢人・島義勇様です。
幕末まで“蝦夷地”と呼ばれていた、現在の北海道…
そこには、広大な原野と自然とともに生きる人々がありました。
日本沿海のあらゆる地点で、異国船が出現する時代…
幕府は特に蝦夷地など、北方の守りが手薄と考えていました。
佐賀藩主・鍋島直正も同意見であり、島義勇に北方の調査を命じます。
そして、島は幕府の雇った役人とともに蝦夷地の冒険に旅立ちます…
「俺たちはやってやるんだ!!」
いまいち才能を発揮しきれていなかったアツい男、島義勇が本気を出す時がやって来ます!
・・・大冒険のすえ、佐賀に帰藩した島様。
「ワンワン!

「おー愛い奴じゃのう…よしよし。」
「クゥーン

――島様、犬がお好きなんですね!
「おお、そうとも!犬は命の恩人じゃからのぅ」
…恩人?
「北国はいつでも冷えるのじゃ。犬は暖かいからのぅ。」
…実は暖房器具(?)でしたか。それにしても懐いてるな…犬。
――いかがでしたか、蝦夷地は?
「そりゃ、もう広いぞ!どこを見渡しても地の果てが見えるようじゃ。森に入ろうものなら、二度と出られん気がする!」
…自然のスケールが違いますからね。
――どのような行程でしたか?
「まず佐賀を出立してから、まず陸路で函館に辿り着くまでに半年ばかりかかったわ!」
…まぁ、佐賀藩的には、いろいろ調査目的もありますからね。
地形とか、動植物とか、鉱物とか…商材の確保と資源の開発にもつながりますからね。
――蝦夷地はどのように回られましたか?
「このような感じじゃ!いろいろな困難に振り回された旅じゃった!」
…まるで双六ですね。サイコロでも振りたくなる…
――よくご無事で。
「蝦夷地に慣れている者がいたのだ。松浦武四郎と申す者がな。幕府の雇い人じゃ。」
…北方の守りが不安なのは、幕府も一緒ですからね。探検家の松浦様は適任者だったのですね。
「あやつは、もう幾度も蝦夷地を回っておったという。土地の者とも親しいのだ。」
…松浦武四郎が敬意を示していたアイヌの人々ですね。今までの探検の中で信頼が生まれたのでしょうね。
――記憶に残った場所はありましたか?
「途中、ものすごく良い土地があってのぅ!あの土地なれば、世界一の都が作れる!」
…おおっ、世界一と来ましたか。たぶん195万都市くらいになって、2020年にマラソンとか来そうな予感がします。
――今後の予定は?
「蝦夷地の調査記録をまとめなければならない!表題は“入北記”じゃ!やってやるぞー!」
…報告の準備にも気合が入ってます。島様も“殿”の期待に応えたいのですね。
本日は、ありがとうございました。
2019年12月19日
「佐野常民」(賢人その2)<後編>
こんばんは。
さて、佐野常民様の人物紹介編<後編>です。
後編は、調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。
幕末だけでなく、明治に入ってからも佐野先生の活躍は続きます。
<基礎情報>
・七賢人唯一の純然たる理系キャラ。でも、涙もろい情の人。
・幕末(パリ)、明治(ウィーン)の万国博覧会に出展を実行。
・佐賀藩として出展した幕末のパリ万博で赤十字の思想を知る。

<エピソード>
・医術を学んでいたが蘭学の知識を見込まれ、佐賀藩の研究所主任になる。
佐賀の三重津海軍所の創設を主導し、実用蒸気船“凌風丸”も完成させる。
・佐賀藩が幕末のパリ万博に出展する際も中心的な役割。見本市の達人。
佐賀藩の出品数は、同時に出展していた幕府と薩摩藩の合計より多数。
・明治に入り、洋式燈台の設置、戦傷者の救護など人を助ける活動に移行。
内国勧業博の開催、日本美術の保護、赤十字社の災害救援など業績多数。
※実用蒸気船“凌風丸”模型
<キャラクター>
・佐賀藩に機械や化学などの各分野の精鋭を涙ながらの情熱でスカウトする。
プロジェクトリーダーとして才覚は抜群。蒸気機関の製作で目覚ましい成果。
・西南戦争のときには、敵味方の区別のなく救護を行う博愛社の活動を開始。
日本赤十字社を創設。原点である医術にも回帰し、病院も設立。
・蘭学による機械・化学などの知識だけでなく、人の才能を見抜く目もある。
内国勧業博で、荒廃した京都の復興にも貢献。”博覧会男”の異名も持つ。
<象徴的な“お言葉”>
――鉄製大砲や蒸気機関の研究にどうしても必要な人材をスカウトするとき。
「貴殿(キミ)でなければ駄目なのです!」
…猛烈なラブコールですね。もう、目には涙を浮かべて”壁ドン”ですね。
以上が、佐野 常民様についての報告です。
…万能の研究主任にして、全然理系っぽくない情と涙の人です。
さて、佐野常民様の人物紹介編<後編>です。
後編は、調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。
幕末だけでなく、明治に入ってからも佐野先生の活躍は続きます。
<基礎情報>
・七賢人唯一の純然たる理系キャラ。でも、涙もろい情の人。
・幕末(パリ)、明治(ウィーン)の万国博覧会に出展を実行。
・佐賀藩として出展した幕末のパリ万博で赤十字の思想を知る。
<エピソード>
・医術を学んでいたが蘭学の知識を見込まれ、佐賀藩の研究所主任になる。
佐賀の三重津海軍所の創設を主導し、実用蒸気船“凌風丸”も完成させる。
・佐賀藩が幕末のパリ万博に出展する際も中心的な役割。見本市の達人。
佐賀藩の出品数は、同時に出展していた幕府と薩摩藩の合計より多数。
・明治に入り、洋式燈台の設置、戦傷者の救護など人を助ける活動に移行。
内国勧業博の開催、日本美術の保護、赤十字社の災害救援など業績多数。
<キャラクター>
・佐賀藩に機械や化学などの各分野の精鋭を涙ながらの情熱でスカウトする。
プロジェクトリーダーとして才覚は抜群。蒸気機関の製作で目覚ましい成果。
・西南戦争のときには、敵味方の区別のなく救護を行う博愛社の活動を開始。
日本赤十字社を創設。原点である医術にも回帰し、病院も設立。
・蘭学による機械・化学などの知識だけでなく、人の才能を見抜く目もある。
内国勧業博で、荒廃した京都の復興にも貢献。”博覧会男”の異名も持つ。
<象徴的な“お言葉”>
――鉄製大砲や蒸気機関の研究にどうしても必要な人材をスカウトするとき。
「貴殿(キミ)でなければ駄目なのです!」
…猛烈なラブコールですね。もう、目には涙を浮かべて”壁ドン”ですね。
以上が、佐野 常民様についての報告です。
…万能の研究主任にして、全然理系っぽくない情と涙の人です。
タグ :佐野常民
2019年12月18日
「佐野常民」(賢人その2)<前編>
こんばんは。
1年を振り返る季節になりました。
仕事、学校、家庭、そして様々な人間関係…今年も色々あって、
“涙”の1年を過ごされた方もいるかもしれません。
「人物紹介編」第2回目は“涙”の賢人、佐野常民様です。
まずは、佐賀駅より“早津江”行きのバスに乗車し30分ほど…

川沿いに広がりますのが「見えない世界文化遺産」で有名
“三重津海軍所跡”です。
――見えない!痕跡が何にもない!
「この“スコープ”をお貸ししましょう。」
――あ、VR(仮想現実)で見るんでしたね、ここは…
「双眼鏡の要領で覗いてみてください」
――おぉ、見える!見えるぞ!
…大砲の訓練が!蒸気船の修理施設が!
――まさか佐野常民様にご案内いただいていたのですか!?
「そう私が海軍所の責任者、佐野じゃ。今は蒸気機関の製作や、海軍伝習で忙しくてしておる。おぉ、田中どのが、また走っておる!」
…もしや、佐野様がスカウトした“からくり儀右衛門”田中久重どの?
「田中はワシだが?何か?忙しくてな。これから蒸気罐(ボイラー)の試作を見てくる!失敬!」
…田中様、エネルギッシュですね。
――ところで、佐野様。あの小屋は何ですか?
「鍛冶や鋳物の技術で、洋式船の修理用の部品を作っておる。」
「向こうの修覆場では、蒸気船も修理できるぞ」

――佐野様“のご趣味”は蒸気機関の製作って感じですか?
「それに“蒸気船”に積む鉄製大砲の性能を上げ、海軍の整備も進めなければならい!!“殿”のため…そして日本のために!」
…これが佐野様の仕事の流儀なのですね!
「佐野どの~、新しい“リベット”はどこじゃ~」
「田中どの!そちらの鋳物小屋ですー!!」
…どの小屋でも何やら、鋳造、金属加工が行われている!
凄い情熱!そして金属音!ものづくり日本の“夜明け”を見るようですね。
――蒸気罐(ボイラー)試作プロジェクトも順調のようですね。
「佐野どの~!蒸気罐(ボイラー)の試作が完了したぞ!」
「田中どの!これで”殿”にお見せできるっ!!」
…皆、大喜びをした…佐野は感激の涙を流した…
「皆、“殿”の期待に応えたいと思って…」
…プロジェクトリーダーの佐野様、機械製作の田中どの、
佐野様がスカウトした最先端の化学者も、技術書の翻訳家も、鋳物や鍛冶の職人もいる…
ここには、異分野交流による“オープンイノベーション”があった…
…なんだかプロジェクトXとかのナレーションっぽい気分になりました。
――ところで最近、何か記憶に残った出来事を教えてください。
「つい最近、“観光丸”で薩摩まで殿をお連れしたのだ。ものすごく緊張した。」

…薩摩!まさか島津斉彬公のところですか。
しかも“観光丸”って、幕府から借りてる蒸気船じゃないですか。
かなり危うい気がします・・・
「佐賀から薩摩までの往復じゃ。無事、帰れたときは、本当にホッとしたぞ~!」
…佐野艦長!“殿”を乗せての秘密の航海、お疲れ様でした。
佐野様はよく泣きます。
幸せな涙、辛い涙…のほか、優秀な技術人材をスカウトするときにも
涙ながらにアツく説得していたようです。
ちなみに蒸気外輪船“観光丸”は現在、長崎で復元されているとのこと
…初めて知りました。
「産業革命クルーズ」なんてプランもあるらしいですよ。
今後、乗船される方は、従兄弟(島津斉彬公)と密談しに行く“殿”と
緊張する船長・佐野常民をイメージしていただけると幸いです。
1年を振り返る季節になりました。
仕事、学校、家庭、そして様々な人間関係…今年も色々あって、
“涙”の1年を過ごされた方もいるかもしれません。
「人物紹介編」第2回目は“涙”の賢人、佐野常民様です。
まずは、佐賀駅より“早津江”行きのバスに乗車し30分ほど…
川沿いに広がりますのが「見えない世界文化遺産」で有名
“三重津海軍所跡”です。
――見えない!痕跡が何にもない!
「この“スコープ”をお貸ししましょう。」
――あ、VR(仮想現実)で見るんでしたね、ここは…
「双眼鏡の要領で覗いてみてください」
――おぉ、見える!見えるぞ!
…大砲の訓練が!蒸気船の修理施設が!
――まさか佐野常民様にご案内いただいていたのですか!?
「そう私が海軍所の責任者、佐野じゃ。今は蒸気機関の製作や、海軍伝習で忙しくてしておる。おぉ、田中どのが、また走っておる!」
…もしや、佐野様がスカウトした“からくり儀右衛門”田中久重どの?
「田中はワシだが?何か?忙しくてな。これから蒸気罐(ボイラー)の試作を見てくる!失敬!」
…田中様、エネルギッシュですね。
――ところで、佐野様。あの小屋は何ですか?
「鍛冶や鋳物の技術で、洋式船の修理用の部品を作っておる。」
「向こうの修覆場では、蒸気船も修理できるぞ」
――佐野様“のご趣味”は蒸気機関の製作って感じですか?
「それに“蒸気船”に積む鉄製大砲の性能を上げ、海軍の整備も進めなければならい!!“殿”のため…そして日本のために!」
…これが佐野様の仕事の流儀なのですね!
「佐野どの~、新しい“リベット”はどこじゃ~」
「田中どの!そちらの鋳物小屋ですー!!」
…どの小屋でも何やら、鋳造、金属加工が行われている!
凄い情熱!そして金属音!ものづくり日本の“夜明け”を見るようですね。
――蒸気罐(ボイラー)試作プロジェクトも順調のようですね。
「佐野どの~!蒸気罐(ボイラー)の試作が完了したぞ!」
「田中どの!これで”殿”にお見せできるっ!!」
…皆、大喜びをした…佐野は感激の涙を流した…
「皆、“殿”の期待に応えたいと思って…」
…プロジェクトリーダーの佐野様、機械製作の田中どの、
佐野様がスカウトした最先端の化学者も、技術書の翻訳家も、鋳物や鍛冶の職人もいる…
ここには、異分野交流による“オープンイノベーション”があった…
…なんだかプロジェクトXとかのナレーションっぽい気分になりました。
――ところで最近、何か記憶に残った出来事を教えてください。
「つい最近、“観光丸”で薩摩まで殿をお連れしたのだ。ものすごく緊張した。」
…薩摩!まさか島津斉彬公のところですか。
しかも“観光丸”って、幕府から借りてる蒸気船じゃないですか。
かなり危うい気がします・・・
「佐賀から薩摩までの往復じゃ。無事、帰れたときは、本当にホッとしたぞ~!」
…佐野艦長!“殿”を乗せての秘密の航海、お疲れ様でした。
佐野様はよく泣きます。
幸せな涙、辛い涙…のほか、優秀な技術人材をスカウトするときにも
涙ながらにアツく説得していたようです。
ちなみに蒸気外輪船“観光丸”は現在、長崎で復元されているとのこと
…初めて知りました。
「産業革命クルーズ」なんてプランもあるらしいですよ。
今後、乗船される方は、従兄弟(島津斉彬公)と密談しに行く“殿”と
緊張する船長・佐野常民をイメージしていただけると幸いです。
タグ :佐野常民
2019年12月17日
「鍋島直正」(賢人その1)<後編>
こんばんは。
今年もあと2週間ほど。
五月に“平成”から“令和”に元号が変わった特別な年。
皆様にとって、どんな1年だったでしょうか。
さて、鍋島直正様の人物紹介編<後編>です。

調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。
<基礎情報>
・日本の近代化を先導した佐賀藩主。“七賢人”を統括。
・財政再建、産業革命、教育改革をまとめて達成。
・幕府も薩長も真意が読めない。通称「肥前の妖怪」
<エピソード>
・長崎警護の強化など出費が増、財政危機に陥った佐賀藩。
質素倹約と殖産興業と、大胆な借財整理で再建に挑む。
・佐賀藩はアメリカのペリーが来航する前から鉄製大砲を完成。
幕府は、品川台場(お台場)に配備する大砲を佐賀藩に発注する。
・ペリー来航の直後に、ロシアのプチャーチンが長崎に現れた。
佐賀藩が長崎に築いた砲台は、幕府の対ロシア交渉を有利に導く。

<キャラクター>
・優秀な藩士と見るや「蘭学は良いぞ!」と勉強を勧める“蘭癖大名”
自身もオランダ船に乗り込む、持ち前の好奇心で家臣を牽引する。
・愛用の蒸気船を乗り回す。「大名が黒船で来た!」と大坂で話題に。
かなり真面目なので諸外国の脅威とか、心配ごとが多く胃病持ち。
・科学技術は倹約の対象外。研究への批判は“これは余の道楽”と躱す。
藩士を大事に扱い、その実力を最大限に引き出す“伝説の管理職”
<象徴的な“お言葉”>
――大砲鋳造の実験を失敗し続け、切腹しようとする部下を守るための命令。
「命を絶つことは許さん。生きてやり遂げよ!」
以上が、鍋島 直正様についての報告です。
…冒険心と心配性の二面性がとっても魅力的な“殿”です。
今年もあと2週間ほど。
五月に“平成”から“令和”に元号が変わった特別な年。
皆様にとって、どんな1年だったでしょうか。
さて、鍋島直正様の人物紹介編<後編>です。
調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。
<基礎情報>
・日本の近代化を先導した佐賀藩主。“七賢人”を統括。
・財政再建、産業革命、教育改革をまとめて達成。
・幕府も薩長も真意が読めない。通称「肥前の妖怪」
<エピソード>
・長崎警護の強化など出費が増、財政危機に陥った佐賀藩。
質素倹約と殖産興業と、大胆な借財整理で再建に挑む。
・佐賀藩はアメリカのペリーが来航する前から鉄製大砲を完成。
幕府は、品川台場(お台場)に配備する大砲を佐賀藩に発注する。
・ペリー来航の直後に、ロシアのプチャーチンが長崎に現れた。
佐賀藩が長崎に築いた砲台は、幕府の対ロシア交渉を有利に導く。
<キャラクター>
・優秀な藩士と見るや「蘭学は良いぞ!」と勉強を勧める“蘭癖大名”
自身もオランダ船に乗り込む、持ち前の好奇心で家臣を牽引する。
・愛用の蒸気船を乗り回す。「大名が黒船で来た!」と大坂で話題に。
かなり真面目なので諸外国の脅威とか、心配ごとが多く胃病持ち。
・科学技術は倹約の対象外。研究への批判は“これは余の道楽”と躱す。
藩士を大事に扱い、その実力を最大限に引き出す“伝説の管理職”
<象徴的な“お言葉”>
――大砲鋳造の実験を失敗し続け、切腹しようとする部下を守るための命令。
「命を絶つことは許さん。生きてやり遂げよ!」
以上が、鍋島 直正様についての報告です。
…冒険心と心配性の二面性がとっても魅力的な“殿”です。
タグ :鍋島直正
2019年12月16日
「鍋島直正」(賢人その1)<前編>
本日もお疲れ様です。
忘年会の方は飲み過ぎにはお気をつけて…
さて、今回からは「人物紹介編」に入っていこうかと考えております。
主要登場人物である“七賢人”の人となりを探るのが目的ですが、
あわせて周辺の人間関係も見ていこうという企画です。
まず、第1回目は“殿”です。やはり鍋島 直正公こそトップにふさわしいでしょう。
では…

こちらは佐賀城の本丸御殿です。
――本日は、お世話になります。
「殿のお傍に仕える“古川”である。案内いたすので、ついて参れ。」
…古川様、お取次ぎいただき恐縮です。

…城の廊下、長っ!しかも畳敷きだし…。
「こちらで、しばし待たれよ。くれぐれも殿に失礼のないようにな。」
…はい、待ちます。
「肥前佐賀藩・第10代当主 鍋島直正様がお見えである!」
…ははーっ!
「苦しゅうない。面(おもて)を上げよ。」
…ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます!
「ハッハッハ…堅苦しい挨拶はもう良い。何か聞きたいことがあるのであろう。」
…では、遠慮なく。ありきたりの質問になりますが。
――ご趣味は?
「まぁ、これも仕事のようなものじゃが槍の修練かのう。」
…うわっ、想定外の筋肉質。マッスル大名!?
「殿は、槍では宝蔵院流の奥義を極めておられる。」
…古川様、補足ありがとうございます。
――今後、やってみたいことはありますか?
「現在、我が藩の反射炉が佐賀城下の“築地”にあるのじゃが。」
…存じています。鉄製大砲を量産していますし、長崎に砲台築きまくってますよね、佐賀藩。
「今度は、幕府老中・阿部正弘様から鉄製大砲を発注されてのう。」
…そうなんですか。いかほど。
「50門ほどじゃな。どうやら江戸の品川に配備するらしい。」
…品川沖の“お台場”に配置するのですね。
「“築地”だけでは反射炉が足らんので“多布施”にも作った。」
…あっさり工場作っちゃいますね~!これぞ産業革命!
――では、記憶に残っている出来事は?
「17歳で藩主になったのだが、江戸から佐賀に向かう晴れの日にな…」
「あれは、辛ぅございました…」
…殿!古川様!一体何があったんですか!?
――でも、そこまで辛いならば、別の話題でも…
「良いか!では、蒸気機関の話でも良いか!?」
…殿、めっちゃ表情が明るくなりましたね。相当、好きなんですね“蒸気機関”
「そうとも、蒸気機関があればのぅ、蒸気船に鉄製大砲が積み放題じゃ!」
…たしかに、大きい船も、頑丈な船も動かせますし。
「異国が海のどこから攻めてきても、撃退できるのじゃ!」
…なるほど。
――気になるんですけど、お金は?資金はどうなさいますか?
「よくぞ、聞いてくれた。我が領内には、大量に櫨(ハゼ)の木を植えておる。」
…ハゼノキ?何に使うのですか?
「これが灯りに使う蝋(ロウ)の原料になるのじゃ!高く売れておるぞ!」
…おお、見事な殖産興業ですね。“明治”を先取り。
「領民が潤うことで、藩は強くなるのじゃ!」
…さすが、名君!“佐賀さいこう(最高)!”
「ほぅ、その“佐賀さいこう!”なる所作は何か?」
…実は私もよくわからないんですが、県が関わる催しでよく使われる、かけ声と所作のようでございます。
「それも興味深いのぅ。何やらよく勉強しておくと良いぞ。」
…ははっ!
本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
忘年会の方は飲み過ぎにはお気をつけて…
さて、今回からは「人物紹介編」に入っていこうかと考えております。
主要登場人物である“七賢人”の人となりを探るのが目的ですが、
あわせて周辺の人間関係も見ていこうという企画です。
まず、第1回目は“殿”です。やはり鍋島 直正公こそトップにふさわしいでしょう。
では…
こちらは佐賀城の本丸御殿です。
――本日は、お世話になります。
「殿のお傍に仕える“古川”である。案内いたすので、ついて参れ。」
…古川様、お取次ぎいただき恐縮です。
…城の廊下、長っ!しかも畳敷きだし…。
「こちらで、しばし待たれよ。くれぐれも殿に失礼のないようにな。」
…はい、待ちます。
「肥前佐賀藩・第10代当主 鍋島直正様がお見えである!」
…ははーっ!
「苦しゅうない。面(おもて)を上げよ。」
…ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます!
「ハッハッハ…堅苦しい挨拶はもう良い。何か聞きたいことがあるのであろう。」
…では、遠慮なく。ありきたりの質問になりますが。
――ご趣味は?
「まぁ、これも仕事のようなものじゃが槍の修練かのう。」
…うわっ、想定外の筋肉質。マッスル大名!?
「殿は、槍では宝蔵院流の奥義を極めておられる。」
…古川様、補足ありがとうございます。
――今後、やってみたいことはありますか?
「現在、我が藩の反射炉が佐賀城下の“築地”にあるのじゃが。」
…存じています。鉄製大砲を量産していますし、長崎に砲台築きまくってますよね、佐賀藩。
「今度は、幕府老中・阿部正弘様から鉄製大砲を発注されてのう。」
…そうなんですか。いかほど。
「50門ほどじゃな。どうやら江戸の品川に配備するらしい。」
…品川沖の“お台場”に配置するのですね。
「“築地”だけでは反射炉が足らんので“多布施”にも作った。」
…あっさり工場作っちゃいますね~!これぞ産業革命!
――では、記憶に残っている出来事は?
「17歳で藩主になったのだが、江戸から佐賀に向かう晴れの日にな…」
「あれは、辛ぅございました…」
…殿!古川様!一体何があったんですか!?
――でも、そこまで辛いならば、別の話題でも…
「良いか!では、蒸気機関の話でも良いか!?」
…殿、めっちゃ表情が明るくなりましたね。相当、好きなんですね“蒸気機関”
「そうとも、蒸気機関があればのぅ、蒸気船に鉄製大砲が積み放題じゃ!」
…たしかに、大きい船も、頑丈な船も動かせますし。
「異国が海のどこから攻めてきても、撃退できるのじゃ!」
…なるほど。
――気になるんですけど、お金は?資金はどうなさいますか?
「よくぞ、聞いてくれた。我が領内には、大量に櫨(ハゼ)の木を植えておる。」
…ハゼノキ?何に使うのですか?
「これが灯りに使う蝋(ロウ)の原料になるのじゃ!高く売れておるぞ!」
…おお、見事な殖産興業ですね。“明治”を先取り。
「領民が潤うことで、藩は強くなるのじゃ!」
…さすが、名君!“佐賀さいこう(最高)!”
「ほぅ、その“佐賀さいこう!”なる所作は何か?」
…実は私もよくわからないんですが、県が関わる催しでよく使われる、かけ声と所作のようでございます。
「それも興味深いのぅ。何やらよく勉強しておくと良いぞ。」
…ははっ!
本日はお忙しいところ、ありがとうございました。