2019年12月08日
ご挨拶
はじめまして。
「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」管理人のSRと申します。
唐突なブログタイトルをつけてしまい、大変恐縮です。
私は昔から歴史好きではあったものの、つい最近まで幕末期の佐賀藩の業績には疎く、“平成”から“令和”に時代が変わったあたりから猛ダッシュをかけている新参者です。
とくに佐賀の歴史好きの皆様、よろしくお願いいたします。
「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」管理人のSRと申します。
唐突なブログタイトルをつけてしまい、大変恐縮です。
私は昔から歴史好きではあったものの、つい最近まで幕末期の佐賀藩の業績には疎く、“平成”から“令和”に時代が変わったあたりから猛ダッシュをかけている新参者です。
とくに佐賀の歴史好きの皆様、よろしくお願いいたします。
2019年12月08日
敬意をこめて
立て続けの投稿、失礼いたします。
このようなブログを立ち上げるにあたって、どうしても敬意を表しておきたい方々がいます。
皆様は、佐賀城本丸歴史館で毎週日曜日に歴史寸劇が実施されていることをご存じでしょうか。
現時点のパンフレットで参照しますと、観客72,000人を突破とあります。
演じているのは「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の方々です。幾度か拝見しましたが、彼らの芝居は、その場で「面白かった~」だけでなく、“後でメッセージが効いてくる”演劇だと思っています。
たしか5、6年前にパンフレットを見た際には「各地の武将隊に比べ、地味すぎる・・・」と見向きもしていなかったのですが、己の不明を恥じます。
写真は「第2回維新まつり」のものです。この時の演目が「さがんもん」というタイトルなのですが、江藤先生がカッコ良すぎて、しびれましたね・・・。
このようなブログを立ち上げるにあたって、どうしても敬意を表しておきたい方々がいます。
皆様は、佐賀城本丸歴史館で毎週日曜日に歴史寸劇が実施されていることをご存じでしょうか。
現時点のパンフレットで参照しますと、観客72,000人を突破とあります。
演じているのは「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」の方々です。幾度か拝見しましたが、彼らの芝居は、その場で「面白かった~」だけでなく、“後でメッセージが効いてくる”演劇だと思っています。
たしか5、6年前にパンフレットを見た際には「各地の武将隊に比べ、地味すぎる・・・」と見向きもしていなかったのですが、己の不明を恥じます。
写真は「第2回維新まつり」のものです。この時の演目が「さがんもん」というタイトルなのですが、江藤先生がカッコ良すぎて、しびれましたね・・・。
タグ :八賢人おもてなし隊
2019年12月09日
お話にあたって
本日もお疲れ様です。
最近は冷え込みますね。
寒がりの貴方に、温かくなれそうな佐賀藩のキーワードを贈ります。
“反射炉!”、“鉄製大砲!”、“蒸気機関!”
どうでしょう?少しは暖かくなりましたでしょうか。
いや…むしろ熱い
…というか危ない
さて、本題ですが、幕末の佐賀藩がなぜここまで先進的であったか?
歴史好き各位には愚問であると思いますが、当時の最先端地域であった“長崎”を抜きに語ることはできないと思います。
いわゆる“鎖国”の影響で江戸時代を通じて、西洋文明の窓口と言える場所は長崎に限られていました。
日本の表玄関、長崎の警備には近隣の“佐賀藩”と“福岡藩”が一年交代であたっていました。
そして、1808年(ペリー来航の45年前)に警備を担当していた佐賀藩は、“異国の脅威”に遭遇することになります。
この「フェートン号事件」をざっくり説明すると、国交のないイギリスの船が長崎港に侵入し、オランダ商館員を人質にとって、食料等を要求した事件です。
経費節減のため、バリバリに警備を減らしていた佐賀藩は幕府からめっちゃ怒られました。そして、厳しい処分が与えられます。
灯の消えたようになった佐賀城下。
佐賀藩の人々は、他のどの地域より早く、“異国の脅威”を現実のものとして感じ始めたことでしょう。
・・・良く言えば“世界”を見つめることになったのです。
以上を前提に次回以降の投稿を進める予定です。
長文でしたが、ご覧いただいた方ありがとうございました。
最近は冷え込みますね。
寒がりの貴方に、温かくなれそうな佐賀藩のキーワードを贈ります。
“反射炉!”、“鉄製大砲!”、“蒸気機関!”
どうでしょう?少しは暖かくなりましたでしょうか。
いや…むしろ熱い


さて、本題ですが、幕末の佐賀藩がなぜここまで先進的であったか?
歴史好き各位には愚問であると思いますが、当時の最先端地域であった“長崎”を抜きに語ることはできないと思います。
いわゆる“鎖国”の影響で江戸時代を通じて、西洋文明の窓口と言える場所は長崎に限られていました。
日本の表玄関、長崎の警備には近隣の“佐賀藩”と“福岡藩”が一年交代であたっていました。
そして、1808年(ペリー来航の45年前)に警備を担当していた佐賀藩は、“異国の脅威”に遭遇することになります。
この「フェートン号事件」をざっくり説明すると、国交のないイギリスの船が長崎港に侵入し、オランダ商館員を人質にとって、食料等を要求した事件です。
経費節減のため、バリバリに警備を減らしていた佐賀藩は幕府からめっちゃ怒られました。そして、厳しい処分が与えられます。
灯の消えたようになった佐賀城下。
佐賀藩の人々は、他のどの地域より早く、“異国の脅威”を現実のものとして感じ始めたことでしょう。
・・・良く言えば“世界”を見つめることになったのです。
以上を前提に次回以降の投稿を進める予定です。
長文でしたが、ご覧いただいた方ありがとうございました。
2019年12月14日
佐賀の七賢人?八賢人?<前編>
お休みの方、いかがお過ごしでしょうか。
そして、お仕事の方お疲れ様です。
さて、県内の皆様は時おり「佐賀の七賢人」という呼称をお聞きになると思います。
今までの記事のおさらいも兼ねて・・・
STEP1:名君の登場まで
幕末…長崎警備を担当する佐賀藩。“フェートン号事件”で異国の脅威を知る。
藩政を改革して力を蓄えねば!と考えた人が、古賀穀堂。
西洋の科学技術で強くなろう!と動いた人が、鍋島茂義〔武雄地域の領主〕
“名君の教育係”古賀穀堂から教えを受け、“蘭学兄貴”鍋島茂義から科学技術を引き継いだのが…
七賢人その1…鍋島直正〔佐賀藩10代藩主〕
私が勝手に付けた異名が“伝説の管理職”です。
“殿”が個性豊かな部下たちを自由自在に使いこなします。
その「マネジネント」ぶりが見どころだと思っています。
STEP2:幕末の俊英たち
幕末…財政再建を進めていく佐賀藩。研究開発や教育改革にも全力を注ぐ!
七賢人その2…佐野常民〔日本赤十字社創設〕
理系全般をこなす“万能の研究主任”です。
“殿”の指示で、蒸気機関でも近代海軍でも次々に完成させていきます。
七賢人その3…島義勇〔北海道に札幌を創る〕
体育会系の配下“情熱の開拓者”です。
“殿”の命令で、日本の北方の守りを調査すべく極寒の蝦夷地探検に挑みます。
そして、文系で最も期待された人物。
江戸で国学を修め“尊王のカリスマ指導者”になった人が枝吉神陽。
続く賢人たち(その4~7)を育てた師匠です。
「佐賀の八賢人」と呼ばれるときは、通常、枝吉神陽もカウントされています。
ただ、個人的には神陽先生は“賢人”を超えた“超人”として描いてほしいな~と考えています。
残されたエピソードを見ると、頭脳は天才、身体は壮健、カリスマは抜群。
そして、女性・老人・子どもには優しい!
(弟子たちには、ちょい厳しい)
なにせパーフェクトなのです。
彼の弟子である賢人4~7については、後編でまとめます。
そして、お仕事の方お疲れ様です。
さて、県内の皆様は時おり「佐賀の七賢人」という呼称をお聞きになると思います。
今までの記事のおさらいも兼ねて・・・
STEP1:名君の登場まで
幕末…長崎警備を担当する佐賀藩。“フェートン号事件”で異国の脅威を知る。
藩政を改革して力を蓄えねば!と考えた人が、古賀穀堂。
西洋の科学技術で強くなろう!と動いた人が、鍋島茂義〔武雄地域の領主〕
“名君の教育係”古賀穀堂から教えを受け、“蘭学兄貴”鍋島茂義から科学技術を引き継いだのが…
七賢人その1…鍋島直正〔佐賀藩10代藩主〕
私が勝手に付けた異名が“伝説の管理職”です。
“殿”が個性豊かな部下たちを自由自在に使いこなします。
その「マネジネント」ぶりが見どころだと思っています。
STEP2:幕末の俊英たち
幕末…財政再建を進めていく佐賀藩。研究開発や教育改革にも全力を注ぐ!
七賢人その2…佐野常民〔日本赤十字社創設〕
理系全般をこなす“万能の研究主任”です。
“殿”の指示で、蒸気機関でも近代海軍でも次々に完成させていきます。
七賢人その3…島義勇〔北海道に札幌を創る〕
体育会系の配下“情熱の開拓者”です。
“殿”の命令で、日本の北方の守りを調査すべく極寒の蝦夷地探検に挑みます。
そして、文系で最も期待された人物。
江戸で国学を修め“尊王のカリスマ指導者”になった人が枝吉神陽。
続く賢人たち(その4~7)を育てた師匠です。
「佐賀の八賢人」と呼ばれるときは、通常、枝吉神陽もカウントされています。
ただ、個人的には神陽先生は“賢人”を超えた“超人”として描いてほしいな~と考えています。
残されたエピソードを見ると、頭脳は天才、身体は壮健、カリスマは抜群。
そして、女性・老人・子どもには優しい!
(弟子たちには、ちょい厳しい)
なにせパーフェクトなのです。
彼の弟子である賢人4~7については、後編でまとめます。
2019年12月15日
佐賀の七賢人?八賢人?<後編>
今年もあと半月ですね。
今週末は、年末に向けた用事を片付けている方も多いのではないでしょうか。
前回は「佐賀の七賢人」の“8人目”枝吉神陽先生についてご紹介しました。
今回は、その神陽先生が鍛えた七賢人(その4~7)の四人です。
STEP3:明治を開いた者たち
幕末…教育の拡充に取り組む佐賀藩
この頃、佐賀藩では「勉強をしない藩士は役職に付けない」規則を制定していた。
そのため、城下の教育熱は極めて高く、藩校“弘道館”は異様な熱気に満ち溢れていた…
七賢人その4…副島種臣〔明治初期の外務卿〕
枝吉神陽の実弟。名字が違うのは副島家に養子に入ったから。
この頃、兄の神陽は藩校“弘道館”の教授です。
弟・副島種臣は兄・神陽に気を遣います。
少なくとも兄の顔に“泥は塗らない”ように…
周囲に評判の良い書物を選び、自分を優等生に見せようとする副島。
そんな弟に兄・神陽はこう言い放ちます。
「お前は何のために学問をしておるのだ!人に見せるためか!」
副島は「あの時の兄さんが何より怖かった…」と語っています。
明治初期という激動の時代に諸外国と堂々と渡り合った副島。
…外国領事より兄貴の方がプレッシャーが高かったようですね
七賢人その5…大木喬任〔国民皆学を進めた文部卿〕
膨大な読書量に裏打ちされた能力。
安心して後を任せられる“手堅い実務家”になりました。
七賢人その6…江藤新平〔近代法制を確立した司法卿〕
“才気溢れる改革者”であり、日本の近代司法を確立した人。
裁判所とか法曹三者とか、現代まで続く制度を作っています。
七賢人その7…大隈重信〔通貨単位“円”を定めた大蔵卿〕
“超ポジティブ”で、わりと要領の良い弟キャラ。
長崎で佐賀藩英学校を立ち上げる。でも学校の責任者は副島先輩。
藩の密命で貿易にも関わり、莫大な利益を叩き出していたとか。
会計の能力だけでなく、かなり商才もある…?
以下で、この3人の関わり方を、イメージしてみました。
――佐賀城下(1844年頃)――
神陽「かわいいお子さんですね。大隈さんのところの子ですか。」
大隈母「えぇ。八太郎といいます。八太郎!ごあいさつは!」
大隈「おおくま はちたろう です!しんようせんせい、こんにちは!」
神陽「良い子だ。今のうちから、よく本を読むと良いぞ!」
…年齢的には、地方から東大に勉強に行く大学生と近所の幼稚園児の感じだと思ってください。
ちなみに大隈重信の幼名が“八太郎”です。
――佐賀城下(1854年頃)――
大隈「大隈八太郎です!神陽先生、こんにちは!」
神陽「しばらく見ぬうちに大きくなったな。今日はどうした。」
大隈「藩校を退学になりました!僕に本物の学問を教えてください!」
神陽「例の乱闘騒ぎか。まぁ、良いだろう。」
…私塾を開いた先生のところに駆け込む高校生だと思ってください。
ちなみに乱闘騒ぎとは、藩校で起きた“人気者の大隈くん”争奪戦です。
南北の寮で“大隈”の奪い合いが起き、殴り合いの大喧嘩になりました。
――大隈は神陽先生のもとで学びます。そこには勉強のできる先輩たちがいます――
大木「相変わらず、神陽先生の課題は難しい。」
江藤「それゆえ“学び”になるのでは。」
江藤「この課題には、まずそこに山積みになっている書物を通読し、論旨の裏付けとなる材料を拾うこと。」
大木「そうだな。」
江藤「そして長崎より取り寄せられた西洋の書物の要旨を抽出し、照らし合わせることが必要と考えます。」
大木「お前が読みたいのは、そちらだな。よし、山積みの書物の方を俺が引き受ける!」
――大隈は、この2人からも大きな影響(?)を受けます――
大隈 「江藤さん!この“法律”に関する書物は、読むに値するでしょうか!」
江藤 「それは価値のある良書だ!内容としてはだな、まず、序論にて法の思想を著す!」
大隈 (…きっと話が長くなるが、自分で読むよりは、江藤さんに聞いた方が早い…)
――日々こんな感じ――
大隈 「大木さん!古代中国の“教育”についての良書があると聞きました!」
大木 「それか!俺も読もうと思っていたのだ。心あたりを探さねばのう。」
大隈 (…後で、大木さんから要点だけ聞こう…)
以上です。
いろいろと情報は収集していますが、今回はかなり想像が入っている部分があります。
やたら効率の良い勉強方法を取る、大隈八太郎…
とくに大隈先生ファンの皆様、記述に失礼があればご容赦ください。
幕末における佐賀藩の“最高の実務能力”はこのように作られていったのでは…と考えています。
拙文、お読みいただきありがとうございました。
今週末は、年末に向けた用事を片付けている方も多いのではないでしょうか。
前回は「佐賀の七賢人」の“8人目”枝吉神陽先生についてご紹介しました。
今回は、その神陽先生が鍛えた七賢人(その4~7)の四人です。
STEP3:明治を開いた者たち
幕末…教育の拡充に取り組む佐賀藩
この頃、佐賀藩では「勉強をしない藩士は役職に付けない」規則を制定していた。
そのため、城下の教育熱は極めて高く、藩校“弘道館”は異様な熱気に満ち溢れていた…
七賢人その4…副島種臣〔明治初期の外務卿〕
枝吉神陽の実弟。名字が違うのは副島家に養子に入ったから。
この頃、兄の神陽は藩校“弘道館”の教授です。
弟・副島種臣は兄・神陽に気を遣います。
少なくとも兄の顔に“泥は塗らない”ように…
周囲に評判の良い書物を選び、自分を優等生に見せようとする副島。
そんな弟に兄・神陽はこう言い放ちます。
「お前は何のために学問をしておるのだ!人に見せるためか!」
副島は「あの時の兄さんが何より怖かった…」と語っています。
明治初期という激動の時代に諸外国と堂々と渡り合った副島。
…外国領事より兄貴の方がプレッシャーが高かったようですね

七賢人その5…大木喬任〔国民皆学を進めた文部卿〕
膨大な読書量に裏打ちされた能力。
安心して後を任せられる“手堅い実務家”になりました。
七賢人その6…江藤新平〔近代法制を確立した司法卿〕
“才気溢れる改革者”であり、日本の近代司法を確立した人。
裁判所とか法曹三者とか、現代まで続く制度を作っています。
七賢人その7…大隈重信〔通貨単位“円”を定めた大蔵卿〕
“超ポジティブ”で、わりと要領の良い弟キャラ。
長崎で佐賀藩英学校を立ち上げる。でも学校の責任者は副島先輩。
藩の密命で貿易にも関わり、莫大な利益を叩き出していたとか。
会計の能力だけでなく、かなり商才もある…?
以下で、この3人の関わり方を、イメージしてみました。
――佐賀城下(1844年頃)――
神陽「かわいいお子さんですね。大隈さんのところの子ですか。」
大隈母「えぇ。八太郎といいます。八太郎!ごあいさつは!」
大隈「おおくま はちたろう です!しんようせんせい、こんにちは!」
神陽「良い子だ。今のうちから、よく本を読むと良いぞ!」
…年齢的には、地方から東大に勉強に行く大学生と近所の幼稚園児の感じだと思ってください。
ちなみに大隈重信の幼名が“八太郎”です。
――佐賀城下(1854年頃)――
大隈「大隈八太郎です!神陽先生、こんにちは!」
神陽「しばらく見ぬうちに大きくなったな。今日はどうした。」
大隈「藩校を退学になりました!僕に本物の学問を教えてください!」
神陽「例の乱闘騒ぎか。まぁ、良いだろう。」
…私塾を開いた先生のところに駆け込む高校生だと思ってください。
ちなみに乱闘騒ぎとは、藩校で起きた“人気者の大隈くん”争奪戦です。
南北の寮で“大隈”の奪い合いが起き、殴り合いの大喧嘩になりました。
――大隈は神陽先生のもとで学びます。そこには勉強のできる先輩たちがいます――
大木「相変わらず、神陽先生の課題は難しい。」
江藤「それゆえ“学び”になるのでは。」
江藤「この課題には、まずそこに山積みになっている書物を通読し、論旨の裏付けとなる材料を拾うこと。」
大木「そうだな。」
江藤「そして長崎より取り寄せられた西洋の書物の要旨を抽出し、照らし合わせることが必要と考えます。」
大木「お前が読みたいのは、そちらだな。よし、山積みの書物の方を俺が引き受ける!」
――大隈は、この2人からも大きな影響(?)を受けます――
大隈 「江藤さん!この“法律”に関する書物は、読むに値するでしょうか!」
江藤 「それは価値のある良書だ!内容としてはだな、まず、序論にて法の思想を著す!」
大隈 (…きっと話が長くなるが、自分で読むよりは、江藤さんに聞いた方が早い…)
――日々こんな感じ――
大隈 「大木さん!古代中国の“教育”についての良書があると聞きました!」
大木 「それか!俺も読もうと思っていたのだ。心あたりを探さねばのう。」
大隈 (…後で、大木さんから要点だけ聞こう…)
以上です。
いろいろと情報は収集していますが、今回はかなり想像が入っている部分があります。
やたら効率の良い勉強方法を取る、大隈八太郎…
とくに大隈先生ファンの皆様、記述に失礼があればご容赦ください。
幕末における佐賀藩の“最高の実務能力”はこのように作られていったのでは…と考えています。
拙文、お読みいただきありがとうございました。
2020年01月09日
なんとか1か月続きました
こんばんは。
昨年12月に勢いでブログを始めて1か月が経過しました。
はじめてご覧になる方もいるかもしれません。
現在のような激動の時代にこそ、幕末佐賀藩の「大河ドラマ」が見たい!と語り続ける、概ねそういう趣旨のブログです。
日頃からご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
一応、1か月間は毎日投稿するのが目標だったので、今後は時折、お休みも入れながら続けたいと思います。
さて、当ブログでは“佐賀の七賢人”のうち、鍋島直正→江藤新平→大隈重信と主役をリレーする3部構成の「大河ドラマ」をイメージしています。
前回まで3日間、大河ドラマの主役たちと、1~3部の“佐賀の賢人”がどう並ぶかを考えてみました。
ここで過去の大河ドラマに「主役が3人」だった例があるか?について触れておきます。
①大河ドラマ第5作「三姉妹」(1967年)
“明治百年”にあたる年を記念した作品。
幕臣旗本の三姉妹(むら、るい、雪)が時代の波に翻弄される姿を1人の浪人の目線から描く、架空の登場人物が多い作品のようです。
②大河ドラマ第39作「葵 徳川三代」(2000年)
江戸幕府の礎を築いた、徳川家康→秀忠→家光の三代を描きます。物語の案内役は水戸光圀という設定があります。
…このように一応、前例はありますが、心もとないので気休めを言います。
2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。
この作品が成功すれば、群像劇に関するプレッシャーは軽減されるはずです。佐賀“七賢人”(もしくは“八賢人”)として描いても、13人よりは少ないです。
佐賀には語り継いでほしい“賢人”たちが多数いますので、時代の設定が幕末・明治でさえあれば、九賢人でも十二賢人でも…描いてもらえると良いなと思います。
昨年12月に勢いでブログを始めて1か月が経過しました。
はじめてご覧になる方もいるかもしれません。
現在のような激動の時代にこそ、幕末佐賀藩の「大河ドラマ」が見たい!と語り続ける、概ねそういう趣旨のブログです。
日頃からご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
一応、1か月間は毎日投稿するのが目標だったので、今後は時折、お休みも入れながら続けたいと思います。
さて、当ブログでは“佐賀の七賢人”のうち、鍋島直正→江藤新平→大隈重信と主役をリレーする3部構成の「大河ドラマ」をイメージしています。
前回まで3日間、大河ドラマの主役たちと、1~3部の“佐賀の賢人”がどう並ぶかを考えてみました。
ここで過去の大河ドラマに「主役が3人」だった例があるか?について触れておきます。
①大河ドラマ第5作「三姉妹」(1967年)
“明治百年”にあたる年を記念した作品。
幕臣旗本の三姉妹(むら、るい、雪)が時代の波に翻弄される姿を1人の浪人の目線から描く、架空の登場人物が多い作品のようです。
②大河ドラマ第39作「葵 徳川三代」(2000年)
江戸幕府の礎を築いた、徳川家康→秀忠→家光の三代を描きます。物語の案内役は水戸光圀という設定があります。
…このように一応、前例はありますが、心もとないので気休めを言います。
2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。
この作品が成功すれば、群像劇に関するプレッシャーは軽減されるはずです。佐賀“七賢人”(もしくは“八賢人”)として描いても、13人よりは少ないです。
佐賀には語り継いでほしい“賢人”たちが多数いますので、時代の設定が幕末・明治でさえあれば、九賢人でも十二賢人でも…描いてもらえると良いなと思います。
2020年01月11日
「さがはん~パリ・ウィーン万国博覧会噺~」
こんにちは。
次の展開に向けて、過去作品を中心に「大河ドラマ」の“主役”について、いろいろと検証しております。タイトルは昨年の…
大河ドラマ第58作「いだてん~東京オリムピック噺~」(2019)に引っ掛けてみました。
…40年ほど前の放送のため、視聴したことはありませんが、この作品も気になります。
大河ドラマ第18作「獅子の時代」(1980年)
明治維新前年のパリ万博。
・幕府の随行として現地入りした会津藩士
・幕府に対抗して独自に参加した薩摩藩士
パリ万博で出会った架空の2人を通じて、幕末から明治にかけての激動の時代を描く
もともと架空の登場人物が多い作品で、佐賀藩士で確認できたキャストは江藤新平のみ。 薩摩藩士の方が、江藤新平に見出されて部下として働くという設定があるようです。
ちなみに1867年のパリ万博では、幕府が各藩に声掛けをしたところ、佐賀藩と薩摩藩が応じたという経緯だったそうです。
作中での登場は確認できませんが、幕末(佐賀藩)のパリ万博、明治(新政府)のウィーン万博の両方で活躍したのが、佐野常民。
なお、佐野常民は、大河ドラマ2作品(「炎立つ」「北条時宗」)の原作を執筆した“高橋克彦”氏の小説「火城」の主人公です。
県内で調査をした際、佐野常民を主人公に…と考えている人にもお話を聞く機会がありました。
但し、いずれの方も「全国的な知名度」や「他の賢人との比較」で難しいかな、という見解でした。
個人的にも佐野常民は、脇役に配置した方が映える人物だと考えているため、幕末・明治の全期間(1~3部)を駆け抜けるような描かれ方を期待しています。
とても地道で根気強く、問題解決に真摯な佐野常民。
派手さは欠きますが、”彼こそ”が科学技術の佐賀藩の代表的存在です。
次の展開に向けて、過去作品を中心に「大河ドラマ」の“主役”について、いろいろと検証しております。タイトルは昨年の…
大河ドラマ第58作「いだてん~東京オリムピック噺~」(2019)に引っ掛けてみました。
…40年ほど前の放送のため、視聴したことはありませんが、この作品も気になります。
大河ドラマ第18作「獅子の時代」(1980年)
明治維新前年のパリ万博。
・幕府の随行として現地入りした会津藩士
・幕府に対抗して独自に参加した薩摩藩士
パリ万博で出会った架空の2人を通じて、幕末から明治にかけての激動の時代を描く
もともと架空の登場人物が多い作品で、佐賀藩士で確認できたキャストは江藤新平のみ。 薩摩藩士の方が、江藤新平に見出されて部下として働くという設定があるようです。
ちなみに1867年のパリ万博では、幕府が各藩に声掛けをしたところ、佐賀藩と薩摩藩が応じたという経緯だったそうです。
作中での登場は確認できませんが、幕末(佐賀藩)のパリ万博、明治(新政府)のウィーン万博の両方で活躍したのが、佐野常民。
なお、佐野常民は、大河ドラマ2作品(「炎立つ」「北条時宗」)の原作を執筆した“高橋克彦”氏の小説「火城」の主人公です。
県内で調査をした際、佐野常民を主人公に…と考えている人にもお話を聞く機会がありました。
但し、いずれの方も「全国的な知名度」や「他の賢人との比較」で難しいかな、という見解でした。
個人的にも佐野常民は、脇役に配置した方が映える人物だと考えているため、幕末・明治の全期間(1~3部)を駆け抜けるような描かれ方を期待しています。
とても地道で根気強く、問題解決に真摯な佐野常民。
派手さは欠きますが、”彼こそ”が科学技術の佐賀藩の代表的存在です。
2020年01月12日
「“麒麟(きりん)”とともに走る」
おはようございます。
曇り空の地域が多いようです。皆様は、清々しい朝でしょうか。
さて、10月末から続いていました県庁通りのライトアップ「サガ・ライトファンタジー」も明日(13日)の祝日までのようです。
冬の長い夜を明るく見せる…豪奢なイルミネーションではありませんが、落ち着いた雰囲気が佐賀らしさを感じさせます。

本題に戻ります。
私がこのブログをはじめる直接のきっかけになったのが、
大河ドラマ第57作「西郷どん」(2018)です。
当時「肥前さが幕末維新博覧会」が佐賀市内で開催され、来場者数の目標100万人に対して、224万人以上が来場。
この県庁通りでも、江藤新平役の迫田孝也さんが人力車でパレードをして、沿道の歓声を受けたと聞きます。
結局、仕事の都合で“さが幕末維新博”には行くことができませんでした。
また「西郷どん」本編でも佐賀藩士たちの登場期間は短く、アッという間に終わった印象でした。
こうして私は「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」という想いを強め、今に至ります。
ちょうど来週から、
大河ドラマ第59作「麒麟がくる」(2020)がスタートします。
どうブログを進めていくか、迷っていたところですが、せっかくの機会です。
本物の大河ドラマの進行にあわせて「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージを進めていきたいと思います。
但し、私には“本格歴史小説”も“ドラマ化できる脚本”も作れないので、各話(全47話)ごとにイメージを示したうえで、いつものレベルのブログを綴ります。
「全47話、私ならこんな話が見たい!」という“想い”であるとお考えください。
途中で大幅に遅れたり、リタイアしたりするかもしれませんが、暖かい目でご覧いただければ幸いです。
曇り空の地域が多いようです。皆様は、清々しい朝でしょうか。
さて、10月末から続いていました県庁通りのライトアップ「サガ・ライトファンタジー」も明日(13日)の祝日までのようです。
冬の長い夜を明るく見せる…豪奢なイルミネーションではありませんが、落ち着いた雰囲気が佐賀らしさを感じさせます。

本題に戻ります。
私がこのブログをはじめる直接のきっかけになったのが、
大河ドラマ第57作「西郷どん」(2018)です。
当時「肥前さが幕末維新博覧会」が佐賀市内で開催され、来場者数の目標100万人に対して、224万人以上が来場。
この県庁通りでも、江藤新平役の迫田孝也さんが人力車でパレードをして、沿道の歓声を受けたと聞きます。
結局、仕事の都合で“さが幕末維新博”には行くことができませんでした。
また「西郷どん」本編でも佐賀藩士たちの登場期間は短く、アッという間に終わった印象でした。
こうして私は「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」という想いを強め、今に至ります。
ちょうど来週から、
大河ドラマ第59作「麒麟がくる」(2020)がスタートします。
どうブログを進めていくか、迷っていたところですが、せっかくの機会です。
本物の大河ドラマの進行にあわせて「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージを進めていきたいと思います。
但し、私には“本格歴史小説”も“ドラマ化できる脚本”も作れないので、各話(全47話)ごとにイメージを示したうえで、いつものレベルのブログを綴ります。
「全47話、私ならこんな話が見たい!」という“想い”であるとお考えください。
途中で大幅に遅れたり、リタイアしたりするかもしれませんが、暖かい目でご覧いただければ幸いです。
2020年01月13日
“全47話”の物語の進め方
おはようございます。
前回「私が見たい幕末佐賀藩の大河ドラマ」全47話のイメージをご紹介したいとお伝えしたところです。
ブログをご覧いただいている皆様には、私が佐賀の歴史を調べ始めて、日が浅いのも見えているかと思います。
また、私にどの程度の文章力の持ち合わせがあるかも知れていることでしょう。
わずかでも、ご期待をいただいている方もいるかもしれないので、進め方のイメージをお伝えします。
①まず、各話のタイトルを示します。
第1話「長崎警護」
…という感じです。
②場面設定、背景をご紹介します。
年代:1808年
場所:長崎
幕府による鎖国体制が完成してから150年以上が経過。
西洋との交易の窓口は“長崎”に限られていた。
…というような整理です。
③主要登場人物をお伝えします。
第1話ならば
〔佐賀藩〕
鍋島斉直…第9代佐賀藩主(直正の父)
古賀穀堂…佐賀藩の儒学者
鍋島直正(貞丸)…斉直の嫡子※子役
〔幕府〕
松平康英…長崎奉行
…という具合です。
“佐賀の七賢人”は表示に工夫をしたいと思います。
④各話のあらすじを予告します。
ドラマの本編を10分刻みで区切った内容でお知らせするイメージです。新聞のテレビ欄くらいの情報量になればと思っています。
⑤各話のエピソードを語ります。
各話の場面を区切って、短い話を投稿していきます。
以上のようなイメージですが、私自身もどんな展開で進むか、予想がついておりません。
今週から、第1話「長崎警護」についての投稿を順次行って、新大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」初回の放映前には、エピソード部分(⑤)の投稿を進めていく計画です。
前回「私が見たい幕末佐賀藩の大河ドラマ」全47話のイメージをご紹介したいとお伝えしたところです。
ブログをご覧いただいている皆様には、私が佐賀の歴史を調べ始めて、日が浅いのも見えているかと思います。
また、私にどの程度の文章力の持ち合わせがあるかも知れていることでしょう。
わずかでも、ご期待をいただいている方もいるかもしれないので、進め方のイメージをお伝えします。
①まず、各話のタイトルを示します。
第1話「長崎警護」
…という感じです。
②場面設定、背景をご紹介します。
年代:1808年
場所:長崎
幕府による鎖国体制が完成してから150年以上が経過。
西洋との交易の窓口は“長崎”に限られていた。
…というような整理です。
③主要登場人物をお伝えします。
第1話ならば
〔佐賀藩〕
鍋島斉直…第9代佐賀藩主(直正の父)
古賀穀堂…佐賀藩の儒学者
鍋島直正(貞丸)…斉直の嫡子※子役
〔幕府〕
松平康英…長崎奉行
…という具合です。
“佐賀の七賢人”は表示に工夫をしたいと思います。
④各話のあらすじを予告します。
ドラマの本編を10分刻みで区切った内容でお知らせするイメージです。新聞のテレビ欄くらいの情報量になればと思っています。
⑤各話のエピソードを語ります。
各話の場面を区切って、短い話を投稿していきます。
以上のようなイメージですが、私自身もどんな展開で進むか、予想がついておりません。
今週から、第1話「長崎警護」についての投稿を順次行って、新大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」初回の放映前には、エピソード部分(⑤)の投稿を進めていく計画です。
2020年03月20日
当ブログをお読みいただいている皆様へ
こんばんは。
「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」を書いております、SRです。
当ブログをお読みいただいている皆様、いつもありがとうございます。
今日は、本編から少し離れて、お話をしたいと思います。
第6話「鉄製大砲」いかがだったでしょうか。
当ブログでは、史実に着想を得た“フィクション”として物語を展開しています。
できれば年表どおりの展開に…と考えてきましたが、様々なエピソードが同時進行していますので、時折、数年くらい話が戻っていることがあります。
――それでも、なるべく年表どおりに描きたい理由があります。
例えば“本編”では、未だにペリーの黒船も来航していませんが、佐賀では鉄製大砲の鋳造が始まっています。
佐賀が近代化のトップランナーとして、日本を先導する立場だったことを強調したいのです。
なるべく史実に寄せたいのは、エピソードの年代と人物の設定。
どうしても想像力に偏るのは、人物の行動と関係性…という要素でしょうか。
――第6話を例にとると
大隈重信の父・信保が、“砲術長”の職務にあり、数字に強い人物であったことは、複数の資料より着想を得ました。
しかし、信保と「鋳立方の七人(御鋳立方七賢人)」が、どう関わったかは想像により描いています。
――そして、これから佐賀だけでなく、全国的にもファンが多い“江藤新平”が本格的に登場します。
当時、江藤新平の功績を抹消する意図だったと思われますが、現代まで続く卑劣な罠が仕掛けられています。
友人に「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージを書きたいと話すと、ドラマ化が「難しい理由」として一番に指摘された内容です。
私も調べを進める前に“ネット検索”により、大変なショックを受けたものです。
――とくに辛い画像に弱い方は“ネット検索”には注意してください。
逆にこれだけ酷い扱いを受けても、なお熱烈なファンが多くいる、江藤新平。
私の文章力で描けるかはさておき、よほど魅力的な人物と考えた方が良さそうです。
……私事ですが時折、ヘロヘロになって投稿しているときがあります。
今後とも暖かい目で見守っていただければ幸いです。
まだ、全47話中、第6話までしか書けていません。
さすがに“麒麟”の背中を追うのは、あきらめました。“青天を衝く”頃には完走できれば良いかなと思っています。
そのうちに「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」です。
「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」を書いております、SRです。
当ブログをお読みいただいている皆様、いつもありがとうございます。
今日は、本編から少し離れて、お話をしたいと思います。
第6話「鉄製大砲」いかがだったでしょうか。
当ブログでは、史実に着想を得た“フィクション”として物語を展開しています。
できれば年表どおりの展開に…と考えてきましたが、様々なエピソードが同時進行していますので、時折、数年くらい話が戻っていることがあります。
――それでも、なるべく年表どおりに描きたい理由があります。
例えば“本編”では、未だにペリーの黒船も来航していませんが、佐賀では鉄製大砲の鋳造が始まっています。
佐賀が近代化のトップランナーとして、日本を先導する立場だったことを強調したいのです。
なるべく史実に寄せたいのは、エピソードの年代と人物の設定。
どうしても想像力に偏るのは、人物の行動と関係性…という要素でしょうか。
――第6話を例にとると
大隈重信の父・信保が、“砲術長”の職務にあり、数字に強い人物であったことは、複数の資料より着想を得ました。
しかし、信保と「鋳立方の七人(御鋳立方七賢人)」が、どう関わったかは想像により描いています。
――そして、これから佐賀だけでなく、全国的にもファンが多い“江藤新平”が本格的に登場します。
当時、江藤新平の功績を抹消する意図だったと思われますが、現代まで続く卑劣な罠が仕掛けられています。
友人に「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージを書きたいと話すと、ドラマ化が「難しい理由」として一番に指摘された内容です。
私も調べを進める前に“ネット検索”により、大変なショックを受けたものです。
――とくに辛い画像に弱い方は“ネット検索”には注意してください。
逆にこれだけ酷い扱いを受けても、なお熱烈なファンが多くいる、江藤新平。
私の文章力で描けるかはさておき、よほど魅力的な人物と考えた方が良さそうです。
……私事ですが時折、ヘロヘロになって投稿しているときがあります。
今後とも暖かい目で見守っていただければ幸いです。
まだ、全47話中、第6話までしか書けていません。
さすがに“麒麟”の背中を追うのは、あきらめました。“青天を衝く”頃には完走できれば良いかなと思っています。
そのうちに「幕末佐賀藩の大河ドラマが見たい!」です。
2020年06月05日
「麒麟を待つ…」
こんばんは。
明後日、6月7日(日)の「決戦!桶狭間」放映後、大河ドラマ「麒麟がくる」も一旦お休みになるようです。新型コロナの影響での撮影休止が長引き、さすがに放映するストックがなくなったと聞きます。
斎藤道三、織田信長、その妻・帰蝶など個性の強い登場人物が多いのが楽しいところですが、主人公・明智光秀が振り回される展開にも、いろいろ共感できるところがあります。
――前話「家康への文」では、子役から大人にキャストが変わった松平元康(徳川家康)が話の軸になっていました。
幼少期からの苦労人で「時々、投げ出したくなる…」とつぶやく、松平元康。
演じているのは、風間俊介さん。所属は、ジャニーズ事務所なのですね。
のちに、天下人になるとは思えない厳しい状況。
しかし、結果として「戦の無い世を築く」のは、松平元康(徳川家康)ということになります。

※江戸城天守のイメージ。200年の“鎖国”の重みを表現するときに使いました。
――毎年「大河ドラマ」を見ている方。他作品で、この俳優さんに見覚えがないでしょうか。
2018年大河ドラマ「西郷どん」では、風間俊介さんは、“橋本左内”という配役でした。この橋本左内は福井藩士で、薩摩の西郷隆盛(鈴木亮平)と親しくなり、一緒に政治活動をします。
「一橋慶喜さまこそ、次の将軍にふさわしい!」と、慶喜(松田翔太)の賢さを語る“冊子”を大量に作っていた人です。
西郷と一緒に頑張った「慶喜さまを将軍に!」キャンペーンで、幕府に睨まれ、橋本左内は窮地に陥ります。ドラマでは西郷を逃がして、左内は捕縛される…という展開だったような。
――ここで、少し整理を。1つの契機は「黒船来航」時に頑張った老中・阿部正弘です。
「幕府に雄藩の力を結集する」(雄藩連合)という考え方が生じました。
この考え方により、幕府の政治への参画を強めた雄藩は多いです。
阿部正弘は志半ばで亡くなりますが、諸藩の政治への意欲は残ります。開国派の薩摩、攘夷派の水戸、そして橋本左内の殿様・松平春嶽の率いる福井など…
「賢いと評判の一橋慶喜を将軍にして、諸藩が結集しようぜ!」みたいな感じです。いわゆる“一橋派”です。
――そして、もう1つの軸。これから頭角を現す、大老・井伊直弼。
「強い幕府が、国を引っ張る」(幕閣主導)、伝統的な考え方です。
諸藩に口出しをさせず、幕府への権力集中による危機の突破を目指します。
井伊直弼は諸藩が、水戸の徳川斉昭の子・一橋慶喜を担いで大騒ぎするのを危険と捉えます。幕府のエリート官僚を先頭に、開国から通商に進み、富国強兵を目指す路線。
「諸藩は出過ぎた真似をするな!将軍は御三家・紀州藩から出す。」みたいな感じです。いわゆる“南紀派”です。
――「あれっ、佐賀はどこにいるの!?」と思った方もいるでしょう。双方の関係者は、こう考えていたと伝わります。

〇“一橋派”の活動家・橋本左内。
「国内の政治は、薩摩と水戸と(出身の)福井などで進めよう!」
「外国への対応は…佐賀の鍋島に任せるしかないだろう!」
当時、一番難しそうな外交は、佐賀藩の一択で構想。
新しい政権が実現したら、外国事務担当の宰相には、鍋島直正の就任を!と考えていたようです。
〇“南紀派”の主導者・井伊直弼。
「私の心を理解できるのは、会津(松平容保)と佐賀(鍋島直正)くらいなものだ…」
「通商を進めるには、外国への備えが要る。佐賀の海軍力に期待しよう!」
大老であるにも関わらず、井伊直弼は佐賀藩邸に出向き、鍋島直正と相談事をしていたようです。
備えの無い開国は、諸外国に侮られるだけ…井伊様も苦労なさった方なのですね。
――国内の政治闘争からは距離をおき、常に海外に目を向けた佐賀藩。
先ほどの二派は、共に国を想っていたのに、潰し合うことになります。
ご紹介した2人も“安政の大獄”と“桜田門外の変”で散ってしまいます。
双方とも、外国と対峙するには「鍋島直正が頼み」と考えていたのは一緒でした。のちに佐賀藩が“内戦”を避けることを最重要とした理由がわかるような気がします。
――今年の大河ドラマ“麒麟がくる”のテーマは「平和な時代を連れてくるのは誰か!」のようです。
幕末最強クラスの軍事力があったと言われる佐賀藩。
しかし、殿・鍋島直正の考え方なのか、無用な戦いを徹底して避けている印象です。
こんな目線からも語っていけると良いな…と思っています。
明後日、6月7日(日)の「決戦!桶狭間」放映後、大河ドラマ「麒麟がくる」も一旦お休みになるようです。新型コロナの影響での撮影休止が長引き、さすがに放映するストックがなくなったと聞きます。
斎藤道三、織田信長、その妻・帰蝶など個性の強い登場人物が多いのが楽しいところですが、主人公・明智光秀が振り回される展開にも、いろいろ共感できるところがあります。
――前話「家康への文」では、子役から大人にキャストが変わった松平元康(徳川家康)が話の軸になっていました。
幼少期からの苦労人で「時々、投げ出したくなる…」とつぶやく、松平元康。
演じているのは、風間俊介さん。所属は、ジャニーズ事務所なのですね。
のちに、天下人になるとは思えない厳しい状況。
しかし、結果として「戦の無い世を築く」のは、松平元康(徳川家康)ということになります。
※江戸城天守のイメージ。200年の“鎖国”の重みを表現するときに使いました。
――毎年「大河ドラマ」を見ている方。他作品で、この俳優さんに見覚えがないでしょうか。
2018年大河ドラマ「西郷どん」では、風間俊介さんは、“橋本左内”という配役でした。この橋本左内は福井藩士で、薩摩の西郷隆盛(鈴木亮平)と親しくなり、一緒に政治活動をします。
「一橋慶喜さまこそ、次の将軍にふさわしい!」と、慶喜(松田翔太)の賢さを語る“冊子”を大量に作っていた人です。
西郷と一緒に頑張った「慶喜さまを将軍に!」キャンペーンで、幕府に睨まれ、橋本左内は窮地に陥ります。ドラマでは西郷を逃がして、左内は捕縛される…という展開だったような。
――ここで、少し整理を。1つの契機は「黒船来航」時に頑張った老中・阿部正弘です。
「幕府に雄藩の力を結集する」(雄藩連合)という考え方が生じました。
この考え方により、幕府の政治への参画を強めた雄藩は多いです。
阿部正弘は志半ばで亡くなりますが、諸藩の政治への意欲は残ります。開国派の薩摩、攘夷派の水戸、そして橋本左内の殿様・松平春嶽の率いる福井など…
「賢いと評判の一橋慶喜を将軍にして、諸藩が結集しようぜ!」みたいな感じです。いわゆる“一橋派”です。
――そして、もう1つの軸。これから頭角を現す、大老・井伊直弼。
「強い幕府が、国を引っ張る」(幕閣主導)、伝統的な考え方です。
諸藩に口出しをさせず、幕府への権力集中による危機の突破を目指します。
井伊直弼は諸藩が、水戸の徳川斉昭の子・一橋慶喜を担いで大騒ぎするのを危険と捉えます。幕府のエリート官僚を先頭に、開国から通商に進み、富国強兵を目指す路線。
「諸藩は出過ぎた真似をするな!将軍は御三家・紀州藩から出す。」みたいな感じです。いわゆる“南紀派”です。
――「あれっ、佐賀はどこにいるの!?」と思った方もいるでしょう。双方の関係者は、こう考えていたと伝わります。
〇“一橋派”の活動家・橋本左内。
「国内の政治は、薩摩と水戸と(出身の)福井などで進めよう!」
「外国への対応は…佐賀の鍋島に任せるしかないだろう!」
当時、一番難しそうな外交は、佐賀藩の一択で構想。
新しい政権が実現したら、外国事務担当の宰相には、鍋島直正の就任を!と考えていたようです。
〇“南紀派”の主導者・井伊直弼。
「私の心を理解できるのは、会津(松平容保)と佐賀(鍋島直正)くらいなものだ…」
「通商を進めるには、外国への備えが要る。佐賀の海軍力に期待しよう!」
大老であるにも関わらず、井伊直弼は佐賀藩邸に出向き、鍋島直正と相談事をしていたようです。
備えの無い開国は、諸外国に侮られるだけ…井伊様も苦労なさった方なのですね。
――国内の政治闘争からは距離をおき、常に海外に目を向けた佐賀藩。
先ほどの二派は、共に国を想っていたのに、潰し合うことになります。
ご紹介した2人も“安政の大獄”と“桜田門外の変”で散ってしまいます。
双方とも、外国と対峙するには「鍋島直正が頼み」と考えていたのは一緒でした。のちに佐賀藩が“内戦”を避けることを最重要とした理由がわかるような気がします。
――今年の大河ドラマ“麒麟がくる”のテーマは「平和な時代を連れてくるのは誰か!」のようです。
幕末最強クラスの軍事力があったと言われる佐賀藩。
しかし、殿・鍋島直正の考え方なのか、無用な戦いを徹底して避けている印象です。
こんな目線からも語っていけると良いな…と思っています。
2021年01月02日
「西洋の風、侍の国」(第15話プロローグ)
こんにちは。
年明けは忙しくなりそうなのですが、正月休みで生じた余力で、少しでも時代を進めるべく、“本編”を書いていこうと思います。
――覚えておられる方がいらっしゃるか…
第14話「遣米使節」の終盤。太平洋の嵐が吹き荒れました。アメリカに向かう蒸気船・ポーハタン号は損傷。途中で修繕が必要に。
停泊地・ハワイから、いつ出航できるかわからない佐賀藩士たち。遠い郷里に向かって「佐賀の遠かごた~っ!」と叫びます!
〔参照(後半):第14話「遣米使節」⑮(水平線の向こうに)〕
――ポーハタン号と同じく、太平洋に出た“咸臨丸”の状況。
嵐が続く中、同乗していたアメリカ人水兵たちが、“魂の操船”を見せつけます。
〔参照(後半):第14話「遣米使節」⑭(太平洋の嵐)〕
押し流されるように、太平洋を進む咸臨丸は、アメリカ西海岸に先着。遅れること、2週間あまり。ハワイから出航したポーハタン号もアメリカ本土に無事帰還。
――第15話は「江戸動乱」というタイトル。
最初の舞台は、アメリカ西海岸・サンフランシスコ。主にポーハタン号に乗船した、佐賀藩士たちの到着後をイメージしたお話で始めます。
アメリカの舞台設定をどう表現するかは迷いました。写真による視覚イメージは重要で、その都度、誰かに手伝ってもらう…という展開は、今年も続きそうです。

――1860年の春。「遣米使節」と同時期。
日本では、歴史を動かす大事件が起きています。
第15話はアメリカで話を始めて、一旦1858年(2年前)の佐賀に舞台を戻し、江戸に場面を展開して“その時まで”を描く予定です。
自由な空気が漂うアメリカ、幕末動乱に入る日本の対比を試みます。その時期のアメリカも、南北戦争で大変なはずなのですが、何だか余裕を感じますね…
――次回から“本編”を再開予定です。
今春は大河ドラマ「青天を衝け」も始まるので、しばらく“つぶやき”は控えめにして、地道に書いていきたいと思います。
ちなみに明日、1月3日にテレビ東京系「池の水ぜんぶ抜く」で、佐賀城のお堀が登場するそうです。放送前には、ブログの投稿を完了しておきたい…
…今年のテーマは「なるべく余裕を持って進める」かな?と考える年明けです。
年明けは忙しくなりそうなのですが、正月休みで生じた余力で、少しでも時代を進めるべく、“本編”を書いていこうと思います。
――覚えておられる方がいらっしゃるか…
第14話「遣米使節」の終盤。太平洋の嵐が吹き荒れました。アメリカに向かう蒸気船・ポーハタン号は損傷。途中で修繕が必要に。
停泊地・ハワイから、いつ出航できるかわからない佐賀藩士たち。遠い郷里に向かって「佐賀の遠かごた~っ!」と叫びます!
〔参照(後半):
――ポーハタン号と同じく、太平洋に出た“咸臨丸”の状況。
嵐が続く中、同乗していたアメリカ人水兵たちが、“魂の操船”を見せつけます。
〔参照(後半):
押し流されるように、太平洋を進む咸臨丸は、アメリカ西海岸に先着。遅れること、2週間あまり。ハワイから出航したポーハタン号もアメリカ本土に無事帰還。
――第15話は「江戸動乱」というタイトル。
最初の舞台は、アメリカ西海岸・サンフランシスコ。主にポーハタン号に乗船した、佐賀藩士たちの到着後をイメージしたお話で始めます。
アメリカの舞台設定をどう表現するかは迷いました。写真による視覚イメージは重要で、その都度、誰かに手伝ってもらう…という展開は、今年も続きそうです。
――1860年の春。「遣米使節」と同時期。
日本では、歴史を動かす大事件が起きています。
第15話はアメリカで話を始めて、一旦1858年(2年前)の佐賀に舞台を戻し、江戸に場面を展開して“その時まで”を描く予定です。
自由な空気が漂うアメリカ、幕末動乱に入る日本の対比を試みます。その時期のアメリカも、南北戦争で大変なはずなのですが、何だか余裕を感じますね…
――次回から“本編”を再開予定です。
今春は大河ドラマ「青天を衝け」も始まるので、しばらく“つぶやき”は控えめにして、地道に書いていきたいと思います。
ちなみに明日、1月3日にテレビ東京系「池の水ぜんぶ抜く」で、佐賀城のお堀が登場するそうです。放送前には、ブログの投稿を完了しておきたい…
…今年のテーマは「なるべく余裕を持って進める」かな?と考える年明けです。
2021年01月11日
「明日 1月12日(火)22時~ NHK Eテレにて」
こんにちは。
皆様にお知らせしたいテレビ番組があり、本日は早めの投稿としました。
私の個人的ストーリーも綴るので、先に結論を見たい方は終盤をご覧ください。
根気よくお読みくださる方は、私と感動を分かち合っていただければ幸いです。
――先週。1月5日(火)PM10時40分過ぎ。
その時間の、私の様子からお伝えします。
「…ついに来たか。この時が!」
視聴するテレビ番組の次回予告を何気なく見ていた私。
では、その時までをいつもの調子でお送りします。
――この時、見ていたのは、NHK Eテレ(教育テレビ)。
歴史番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」の放送。
なお、この日の放送は土佐(高知)からの民権運動で有名な板垣退助が主役。板垣は、佐賀藩出身者との関わりも深かった。

――創作能力に自信が無い、私にとっては“史実”の集め方は課題。
テレビの歴史番組で佐賀藩士の活躍が映るなら、その展開は追うべきだ。
「…板垣退助ならば、わりと佐賀藩士と接点があるはず!」
番組は途中から視聴した。この回で、登場を期待したのは江藤新平・大隈重信など。私が見る限りでは、ナレーションに名前が出てきた程度の紹介だった。
――私が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と発心してから…
情報収集等をはじめてからは1年8か月ばかり。その間、全国ネットの歴史ドラマや歴史番組で、佐賀藩士たちが活躍する姿をほぼ見ることは無かった。
この悔しさを、なかなか勝てないスポーツチームのファン(サポーター)に例えたこともある。実力はあるのに、なぜか試合では目立たない…という感覚なのだ。
〔参照:「現在(いま)も、試合中」〕
以上で表現した、“その時”までの私の思索。ややあきらめの入った印象です。
――しかし、この日は“大逆転”が起きました。
いつものように、佐賀藩士の存在感が発揮されずに番組が終わろうとした頃、ラストの次回予告で、“その時”がやって参りました。
今回の投稿で、本当にお伝えしたい情報は、以下の数行です。
その“知恵泉”の次回予告をご紹介します!
1月12日(火)PM10:00~NHK Eテレ(教育テレビ)。
先人たちの底力 知恵泉
「江藤新平 次の時代をデザインするには?」が放送予定です。
…佐賀の賢人たちが全国に遍(あまね)く知られる時代の幕開けにつながってほしいと思います。どのような描き方となるか、しっかり見届けたいです。
皆様にお知らせしたいテレビ番組があり、本日は早めの投稿としました。
私の個人的ストーリーも綴るので、先に結論を見たい方は終盤をご覧ください。
根気よくお読みくださる方は、私と感動を分かち合っていただければ幸いです。
――先週。1月5日(火)PM10時40分過ぎ。
その時間の、私の様子からお伝えします。
「…ついに来たか。この時が!」
視聴するテレビ番組の次回予告を何気なく見ていた私。
では、その時までをいつもの調子でお送りします。
――この時、見ていたのは、NHK Eテレ(教育テレビ)。
歴史番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」の放送。
なお、この日の放送は土佐(高知)からの民権運動で有名な板垣退助が主役。板垣は、佐賀藩出身者との関わりも深かった。
――創作能力に自信が無い、私にとっては“史実”の集め方は課題。
テレビの歴史番組で佐賀藩士の活躍が映るなら、その展開は追うべきだ。
「…板垣退助ならば、わりと佐賀藩士と接点があるはず!」
番組は途中から視聴した。この回で、登場を期待したのは江藤新平・大隈重信など。私が見る限りでは、ナレーションに名前が出てきた程度の紹介だった。
――私が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と発心してから…
情報収集等をはじめてからは1年8か月ばかり。その間、全国ネットの歴史ドラマや歴史番組で、佐賀藩士たちが活躍する姿をほぼ見ることは無かった。
この悔しさを、なかなか勝てないスポーツチームのファン(サポーター)に例えたこともある。実力はあるのに、なぜか試合では目立たない…という感覚なのだ。
〔参照:
以上で表現した、“その時”までの私の思索。ややあきらめの入った印象です。
――しかし、この日は“大逆転”が起きました。
いつものように、佐賀藩士の存在感が発揮されずに番組が終わろうとした頃、ラストの次回予告で、“その時”がやって参りました。
今回の投稿で、本当にお伝えしたい情報は、以下の数行です。
その“知恵泉”の次回予告をご紹介します!
1月12日(火)PM10:00~NHK Eテレ(教育テレビ)。
先人たちの底力 知恵泉
「江藤新平 次の時代をデザインするには?」が放送予定です。
…佐賀の賢人たちが全国に遍(あまね)く知られる時代の幕開けにつながってほしいと思います。どのような描き方となるか、しっかり見届けたいです。
2023年07月23日
「2023 暑中お見舞い申し上げます。」
こんばんは。
ここ一週間ほどは、「10年に一度」の猛暑という情報も聞こえてきます。
最高気温は地域によって差があるかもしれませんが、なるべく涼しく過ごして「無理ば、せんごとね」という言葉を、暑中のご挨拶としたいです。
春先の3月頃からは、“本編”の第19話を淡々と続けてきました。ここで一旦、小休止を考えています。

――以前からご覧いただいている方は、お気付きと思うのですが、
最近では、記事投稿の間隔が、かなり空いています。
当ブログで“本編”を始める前にも予測はしましたが、本格的に第2部に入ると、順を追って話を進めるのも、かなり難しくなりました。
内容的にも「この発言は、どのような背景から来たのか…」と想像しながら書くので、どんな構成を取るかも、悩ましいところです。
詳しくは第19話を書き終えてから、あらためてお話しようと思うのですが、残り数回分は、もう少し、話をまとめてから再開しようと思います。
――その一方で、佐賀について、語りたいことは山ほど。
いろいろな想いが溢れても、それを形にするのは容易ではなく、乾いた都会の片隅では、私の背中を押してくれるはずの、蛙の歌すら聞こえてきません。
こんな日々の中で「佐賀の遠かごた~」と、私の心の叫びは続きます。
たとえばSAGAアリーナで、もはや“生ける伝説”のような存在のロックバンド、B’zが記念ライブの初日を迎えようと。
吉野ヶ里遺跡では、世紀の大発見があるのでは…との期待が高まろうと。

――私の目に映っているのは、“画面の向こう側”の佐賀。
簡単に“帰藩”できない私には、郷里の土の香りも、遙かに遠く感じられることが多いです。先ほどの話を例に最近テレビで見かけた話題では…
新しくできた佐賀のイベント会場周辺で、B’zのファンが熱く想いを語る場面を見かけたり…
「邪馬台国はどこにあったと思うか」と尋ねられた、地元の人たちの答え方に感銘を受けたり…
例によって全国区の放送では、佐賀の話題はさほど多くありません。意識してアンテナ(?)を張り、チェックを怠らないようにしています。
――吉野ヶ里遺跡では、目立った“物証”は出てきませんでしたが、
これからも、『さがヲほる』というキャッチフレーズのもと、次々にすごいものが掘り出されると期待しています。
参考:「さがヲほる」(佐賀県庁※外部サイト)
ちなみに『さがヲほる』は「佐賀県発掘成果速報展」の“愛称”のようです。今年の発見もすごいのですが、もっと決定的なものがいつかは…。
なお、リンク先のイラストでは、「さが」と白字で表示されたヘルメットをかぶり、仕事をする猫が二匹。発掘の作業にあたっています。
今後は、幕末・明治期の佐賀の先進性を示すものも、さらにどんどんどん…と見つけていってほしいと願わずにはいられません。
地元ではないものの、大隈重信が主導した“高輪築堤”が出土したのは、記憶に新しいところですね。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(13)鉄路、海をゆく〕

――私は、歴史を本格的に学んだ者ではありませんが、
これまで佐賀を調べた先達の方々の蓄積は、たしかに私にも届いています。
その熱が、伝わってくるのか「佐賀ん事ば、書いてみらんね」と語りかけられる感覚を持つことも。
歴史上の人物というのは、語られれば語られるほど、様々な観点からの研究が進み、その想いや功績が明らかになるという、循環があるように感じます。
そして佐賀の賢人たちは、頑張ったわりに語られる機会を逸したので、全国的な知名度が今ひとつなのだ…というのが私の仮説です。
――私が書くブログは、「語られる回数」を増やす試みでもあります。
そのためには、きっと何か“ストーリー”がいる。それは、拙くても数があった方が良いはず。
こうして、私は手元にある情報は断片的でも、「実はこうだったのではないか」という推測を繰り返して、“本編”を書いています。
前提となる情報量は不足していますが、書きたい“物語”はあるので、「史実に着想を得たフィクション」として綴っているものです。

――以前、幕末・明治期のドラマなどを見て、
「“薩長土肥”と言うけれども、肥前の佐賀が語られていない…」と感じました。
私も、つい近年まで佐賀藩が何を成したのか理解していなかった方でしたが、4年ぐらい前から、自分でも書いてみたくなったのです。
願わくば「大河ドラマで、佐賀藩の活躍を見たい」というところは変わりません。
ただ、私は歴史家でも脚本家でもないので、「この部分を掘り下げていくことが、何か未来につながれば」というのが、たぶん書き続ける理由です。
――そんな想いで、これからも点と点をつないでいきます。
それが、いつかは「佐賀への道」につながると信じて。
…以上が、まったく涼しげではない、私の暑中のご挨拶でした。
とくに炎天下で畑仕事や現場作業される皆様、本当に気を付けてください。
ご年配の方は、電気代を恐れずエアコンを使うか、涼しい施設などに退避しましょう。ご自愛くださいませ。
ここ一週間ほどは、「10年に一度」の猛暑という情報も聞こえてきます。
最高気温は地域によって差があるかもしれませんが、なるべく涼しく過ごして「無理ば、せんごとね」という言葉を、暑中のご挨拶としたいです。
春先の3月頃からは、“本編”の第19話を淡々と続けてきました。ここで一旦、小休止を考えています。
――以前からご覧いただいている方は、お気付きと思うのですが、
最近では、記事投稿の間隔が、かなり空いています。
当ブログで“本編”を始める前にも予測はしましたが、本格的に第2部に入ると、順を追って話を進めるのも、かなり難しくなりました。
内容的にも「この発言は、どのような背景から来たのか…」と想像しながら書くので、どんな構成を取るかも、悩ましいところです。
詳しくは第19話を書き終えてから、あらためてお話しようと思うのですが、残り数回分は、もう少し、話をまとめてから再開しようと思います。
――その一方で、佐賀について、語りたいことは山ほど。
いろいろな想いが溢れても、それを形にするのは容易ではなく、乾いた都会の片隅では、私の背中を押してくれるはずの、蛙の歌すら聞こえてきません。
こんな日々の中で「佐賀の遠かごた~」と、私の心の叫びは続きます。
たとえばSAGAアリーナで、もはや“生ける伝説”のような存在のロックバンド、B’zが記念ライブの初日を迎えようと。
吉野ヶ里遺跡では、世紀の大発見があるのでは…との期待が高まろうと。
――私の目に映っているのは、“画面の向こう側”の佐賀。
簡単に“帰藩”できない私には、郷里の土の香りも、遙かに遠く感じられることが多いです。先ほどの話を例に最近テレビで見かけた話題では…
新しくできた佐賀のイベント会場周辺で、B’zのファンが熱く想いを語る場面を見かけたり…
「邪馬台国はどこにあったと思うか」と尋ねられた、地元の人たちの答え方に感銘を受けたり…
例によって全国区の放送では、佐賀の話題はさほど多くありません。意識してアンテナ(?)を張り、チェックを怠らないようにしています。
――吉野ヶ里遺跡では、目立った“物証”は出てきませんでしたが、
これからも、『さがヲほる』というキャッチフレーズのもと、次々にすごいものが掘り出されると期待しています。
参考:「さがヲほる」(佐賀県庁※外部サイト)
ちなみに『さがヲほる』は「佐賀県発掘成果速報展」の“愛称”のようです。今年の発見もすごいのですが、もっと決定的なものがいつかは…。
なお、リンク先のイラストでは、「さが」と白字で表示されたヘルメットをかぶり、仕事をする猫が二匹。発掘の作業にあたっています。
今後は、幕末・明治期の佐賀の先進性を示すものも、さらにどんどんどん…と見つけていってほしいと願わずにはいられません。
地元ではないものの、大隈重信が主導した“高輪築堤”が出土したのは、記憶に新しいところですね。
〔参照:
――私は、歴史を本格的に学んだ者ではありませんが、
これまで佐賀を調べた先達の方々の蓄積は、たしかに私にも届いています。
その熱が、伝わってくるのか「佐賀ん事ば、書いてみらんね」と語りかけられる感覚を持つことも。
歴史上の人物というのは、語られれば語られるほど、様々な観点からの研究が進み、その想いや功績が明らかになるという、循環があるように感じます。
そして佐賀の賢人たちは、頑張ったわりに語られる機会を逸したので、全国的な知名度が今ひとつなのだ…というのが私の仮説です。
――私が書くブログは、「語られる回数」を増やす試みでもあります。
そのためには、きっと何か“ストーリー”がいる。それは、拙くても数があった方が良いはず。
こうして、私は手元にある情報は断片的でも、「実はこうだったのではないか」という推測を繰り返して、“本編”を書いています。
前提となる情報量は不足していますが、書きたい“物語”はあるので、「史実に着想を得たフィクション」として綴っているものです。
――以前、幕末・明治期のドラマなどを見て、
「“薩長土肥”と言うけれども、肥前の佐賀が語られていない…」と感じました。
私も、つい近年まで佐賀藩が何を成したのか理解していなかった方でしたが、4年ぐらい前から、自分でも書いてみたくなったのです。
願わくば「大河ドラマで、佐賀藩の活躍を見たい」というところは変わりません。
ただ、私は歴史家でも脚本家でもないので、「この部分を掘り下げていくことが、何か未来につながれば」というのが、たぶん書き続ける理由です。
――そんな想いで、これからも点と点をつないでいきます。
それが、いつかは「佐賀への道」につながると信じて。
…以上が、まったく涼しげではない、私の暑中のご挨拶でした。
とくに炎天下で畑仕事や現場作業される皆様、本当に気を付けてください。
ご年配の方は、電気代を恐れずエアコンを使うか、涼しい施設などに退避しましょう。ご自愛くださいませ。
2023年08月09日
「“冬の話”が、書きづらい…」
こんばんは。
少し前には「10年に一度の猛暑」という声が聞こえていました。いまや「100年に一度」いやいや「150年に一度…」などという話まで出る、今夏の猛暑。
さらに、Uターンなどと異例の行動を取ってきた、台風6号が九州を通過中で、やっぱり大雨が心配。
そんな中、夏真っ盛りの高校野球・甲子園大会では初出場の鳥栖工業高校が接戦を制して勝利…これは嬉しい。いろいろと気持ちも忙しい、夏の日々です。

――ところで、私の“執筆”の近況ですが、
3月頃から年度末をものともせず、第19話を書き始めましたが、季節感が真逆の“冬の門司港”の場面で、一時休止しています。
〔参照:第19話「閑叟上洛」⑲(“門司”からの船出まで)〕
ところで、今までも“本編”を休止することはあったものの、何がしか間をつなぐ記事は入れられていました。
当ブログを開始して以来、最も、投稿間隔が空いている状態となっています。皆様に語るべき話でも無いですが、スランプの到来なのかもしれません。

――これは、要因を分析せねばなりません。
…というわけで、盆休みが目前という方も多いであろう、この時期にあえて愚痴を語ってみます。
そもそも盆の法事もある中で、台風が来ているだの、それでも身内が帰省を予定しているだの…とかく佐賀に住む皆様には忙しい時期です。
そんな皆様の息抜きになるかは、さておき…
「何だか、都会生活に疲れているわりに、なかなか帰郷できない親戚の子」の一人語りだと思って、温かい気持ちでご覧いただければ幸いです。
いま、ざっと思い付くことを、箇条書きにて記してみました。

――①「コロナ禍」による自粛の終了。
私は、新型コロナに対する警戒感が比較的強かった方だと思います。もちろん、仕事に穴を開けられない…という意識はありました。
また「都市圏から、佐賀に感染を持ち込むなど言語道断!」みたいな勢いで、帰省も自粛しました。
今年5月から、名実ともに“自粛”生活が不要となり、気抜けしたところがあるかもしれません。人づきあいも控えていたので、多少の反動も来ています。
この“自粛”が意外と『幕末佐賀藩の大河ドラマ』のイメージに集中するには、良い期間だったとは皮肉なことです。

――②“本編”自体の難易度のアップ。
幾度か書いているのですが、第1部の構成はかなりシンプルでした。
「近代化に突き進む佐賀藩」と「異国への対応に苦慮する幕府」を軸に書き進めればよく、佐賀県で入手した資料も活用しやすかったのです。
ずっとお読みいただいている方には伝わると思いますが、第2部はかなり構成が複雑になっています。
朝廷や公家の動向や、台頭する各地の雄藩や志士たち…「佐賀藩士と幕府関係者と、西洋列強だけを、書いていればよい」わけではなさそうです。
それだけ情報量が増えてしまうので、各話あたりの投稿回数も、記事あたりの文字数も当初より、かなり多くなりました。
もっと“文才”があれば、押し切れるかもしれませんが、私の力量だと書いていて、話をまとめるのが格段に難しくなった…と実感します。

――③とにかく、佐賀の遠かごた…
当ブログを始めてから、私が実際に佐賀に滞在できた期間ときたら、たしか6時間程度に限られます。
「コロナ禍」が一番大きかったのですが、仕事以外にも次々に舞い込む諸問題があり、まとまった時間を取ることができず、気力・体力の低下も著しい…。
一時、「佐賀は出られるけど、入られへん」という漫才が話題になりましたが、妙な説得力を感じました。
〔参照:「出られるが入れない、SAGA」〕
「佐賀を愛してやまない人は、地元から遠く離れるべきではない」という言葉を残しておきたいと思います。

――④そして、「大河ドラマ」も遠い…
私が『幕末佐賀藩の大河ドラマ』の当初目標に掲げていた、2024年大河ドラマは、源氏物語の作者が主人公、平安絵巻の『光る君へ』に。
〔参照(序盤):「どうする、“配役”」〕
2025年大河ドラマは、激動の幕末の少し前。まだまだ天下泰平だった頃の、江戸後期が舞台の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に決まりました。
〔参照(中盤):「GW特別企画・めざせ2026年」〕
幕末期の大河ドラマに、他の題材が決まるよりはダメージは少ないのですが、発表のたびに「また、佐賀じゃなかとね…」と一応は堪(こた)えるのです。

――今回は、暑い夏にまったく涼しげでない記事になりました。
本来なら、盆も何かと忙しい皆様に、伊万里の風鈴が涼を運ぶがごとく、清冽な文章をお届けしたいのですが、まだ、私はその器ではないようです。
また、本編を再開したら“冬の話”を書かねばならないので、少し早めに“秋の気配”を感じたい…そんな気持ちの真夏のつぶやきでした。
少し前には「10年に一度の猛暑」という声が聞こえていました。いまや「100年に一度」いやいや「150年に一度…」などという話まで出る、今夏の猛暑。
さらに、Uターンなどと異例の行動を取ってきた、台風6号が九州を通過中で、やっぱり大雨が心配。
そんな中、夏真っ盛りの高校野球・甲子園大会では初出場の鳥栖工業高校が接戦を制して勝利…これは嬉しい。いろいろと気持ちも忙しい、夏の日々です。
――ところで、私の“執筆”の近況ですが、
3月頃から年度末をものともせず、第19話を書き始めましたが、季節感が真逆の“冬の門司港”の場面で、一時休止しています。
〔参照:
ところで、今までも“本編”を休止することはあったものの、何がしか間をつなぐ記事は入れられていました。
当ブログを開始して以来、最も、投稿間隔が空いている状態となっています。皆様に語るべき話でも無いですが、スランプの到来なのかもしれません。
――これは、要因を分析せねばなりません。
…というわけで、盆休みが目前という方も多いであろう、この時期にあえて愚痴を語ってみます。
そもそも盆の法事もある中で、台風が来ているだの、それでも身内が帰省を予定しているだの…とかく佐賀に住む皆様には忙しい時期です。
そんな皆様の息抜きになるかは、さておき…
「何だか、都会生活に疲れているわりに、なかなか帰郷できない親戚の子」の一人語りだと思って、温かい気持ちでご覧いただければ幸いです。
いま、ざっと思い付くことを、箇条書きにて記してみました。
――①「コロナ禍」による自粛の終了。
私は、新型コロナに対する警戒感が比較的強かった方だと思います。もちろん、仕事に穴を開けられない…という意識はありました。
また「都市圏から、佐賀に感染を持ち込むなど言語道断!」みたいな勢いで、帰省も自粛しました。
今年5月から、名実ともに“自粛”生活が不要となり、気抜けしたところがあるかもしれません。人づきあいも控えていたので、多少の反動も来ています。
この“自粛”が意外と『幕末佐賀藩の大河ドラマ』のイメージに集中するには、良い期間だったとは皮肉なことです。
――②“本編”自体の難易度のアップ。
幾度か書いているのですが、第1部の構成はかなりシンプルでした。
「近代化に突き進む佐賀藩」と「異国への対応に苦慮する幕府」を軸に書き進めればよく、佐賀県で入手した資料も活用しやすかったのです。
ずっとお読みいただいている方には伝わると思いますが、第2部はかなり構成が複雑になっています。
朝廷や公家の動向や、台頭する各地の雄藩や志士たち…「佐賀藩士と幕府関係者と、西洋列強だけを、書いていればよい」わけではなさそうです。
それだけ情報量が増えてしまうので、各話あたりの投稿回数も、記事あたりの文字数も当初より、かなり多くなりました。
もっと“文才”があれば、押し切れるかもしれませんが、私の力量だと書いていて、話をまとめるのが格段に難しくなった…と実感します。
――③とにかく、佐賀の遠かごた…
当ブログを始めてから、私が実際に佐賀に滞在できた期間ときたら、たしか6時間程度に限られます。
「コロナ禍」が一番大きかったのですが、仕事以外にも次々に舞い込む諸問題があり、まとまった時間を取ることができず、気力・体力の低下も著しい…。
一時、「佐賀は出られるけど、入られへん」という漫才が話題になりましたが、妙な説得力を感じました。
〔参照:
「佐賀を愛してやまない人は、地元から遠く離れるべきではない」という言葉を残しておきたいと思います。
――④そして、「大河ドラマ」も遠い…
私が『幕末佐賀藩の大河ドラマ』の当初目標に掲げていた、2024年大河ドラマは、源氏物語の作者が主人公、平安絵巻の『光る君へ』に。
〔参照(序盤):
2025年大河ドラマは、激動の幕末の少し前。まだまだ天下泰平だった頃の、江戸後期が舞台の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に決まりました。
〔参照(中盤):
幕末期の大河ドラマに、他の題材が決まるよりはダメージは少ないのですが、発表のたびに「また、佐賀じゃなかとね…」と一応は堪(こた)えるのです。
――今回は、暑い夏にまったく涼しげでない記事になりました。
本来なら、盆も何かと忙しい皆様に、伊万里の風鈴が涼を運ぶがごとく、清冽な文章をお届けしたいのですが、まだ、私はその器ではないようです。
また、本編を再開したら“冬の話”を書かねばならないので、少し早めに“秋の気配”を感じたい…そんな気持ちの真夏のつぶやきでした。
2023年08月26日
「迷った時は、原点に戻る。」
こんばんは。
全国で続いた体温を超えるような暑さ。もともと夏に強い方ではないのですが、今年は異常だと聞けば、そうだろうなと思います。
前回の記事で「冬の話が書きづらい…」とつぶやいたところです。暑さで、朦朧(もうろう)とするような厳しい夏でした。
進むのに迷いがある時は“原点”に戻って、頭を冷やしてみることにします。

――かれこれ、5年ほど前までは、こうではなかった。
今でこそ、遠く望む故郷・佐賀への愛が、あふれ出んばかりの日々。
手堅く「丸ぼうろ」を調達し、佐賀の果実酢を入手、嬉野の和紅茶にも進出、伊万里の梨や、「一口サイズ」の小城羊羹の確保も常々ねらっています。
…なのですが、正直なところ、あまり佐賀県出身者であることを前面に出して、この人生を歩んできたわけではありません。
出身地を聞かれて、最初から「佐賀です」とこたえると、「さが…?」と疑問符を発する方々と出会うことも多かった。

――こうして、私は出身地への質問があれば…
まず「九州の方です」と柔らかく様子を伺う事にしました。「九州のどこ?」という相手の反応があった場合に限り、「佐賀県です」と続けます。
〔参照(中盤):「発心の剣」〕
ここに至ってきょとんとされてしまった時には「福岡の西です」「長崎の東です」「熊本の北です」と説明を畳みかける…と、次の一手にも抜かりはありません。
全力は尽くしました。これでも、わかってもらえねば…おそらく、その方の記憶にある“九州の地図”には、きっと、いまだに「佐賀県」が載っていないのです。
たしかに明治時代の数年間には、「佐賀県が地図から消えていた…」そんな時期もありました…この場合、ひとまず説明をあきらめます。
〔参照(中盤):「佐賀を取り戻す話」〕

――そう、「佐賀を語る」ことは、ある意味で“戦い”だった…
私自身も、幕末の「薩長土肥」なんて言うけれども、肥前の佐賀藩は日和見(ひよりみ)で勝った方に付いただけでは…などと浅い理解をしていたのです。
佐賀の歴史に触れ始めたのは、4年ほど前でした。少し考えれば、佐賀藩が不可欠な存在でもない限り、出遅れた分は徹底的に冷遇されるはず。
当時の私には、ほとんど“未知”の世界だった、佐賀城の本丸歴史館の展示。実は“トップランナー”だった佐賀を裏付ける情報にあふれていました。
「知らなかった事に自ら学んで気付けば、生き方を変えることもある」という、非常に良い見本でした。

ここから、私は「勝った方に付いたのではなく、もし佐賀藩が加わらなければ、そもそも新時代が立ち行かなかったのでは…?」と、考えを改めます。
――調べ始めて知る“徳川政権”による近代化と、佐賀藩の役回り。
“敗者”となった幕府による近代化の軌跡は語られて来なかったでしょうから、これが佐賀藩の立ち位置をわかりづらくする一因なのかもしれません。
佐賀は“幕末の夜明け前”からずっと走り続けて、明治期の前段にあった徳川政権による、日本の近代化の時代を先導してきたのではないか。
詰まるところ、政治の主導権争いの勝者がどちらであろうが、佐賀の役割は変わらなかったのでは…という仮説です。

韮山反射炉、品川台場の技術や装備のサポートから、東京大学の源流となる種痘所(医学)、蕃書調所(洋学)などにも、佐賀の人物が深く関わります。
幕府からの発注で、鉄製大砲のみならず、蒸気機関まで製作しており、もはや日本の中の“西洋”と言ってよいような存在でした。
まずは幕府と近代化を進めて、次の時代に明治新政府の基礎づくり…調べるほどに、佐賀藩と、その関係者たちの姿が色濃く見えてきます。

――よし、ここは誇ってよいはず。
…とはいえ、歴史的業績と、現在の知名度は別のもの。今でも出身地を説明するときには、きっと「九州の方です」と始めてしまうのではないかと思います。
ただ、この4年近く、私も漫然と時を過ごしてきたわけではありません。続く言葉で、少し前よりは胸をはって「佐賀県です」と言えることでしょう。
目の前に伝えたい相手がいて、佐賀の魅力を語れば、それがしっかりと届く…
“大河ドラマ”は遠大な目標ではありますが、私個人でできることは、その一歩からなのかもしれません。

――秋風が吹く頃には、何とか“本編”に戻りたいところ。
ここからの話では、佐賀の名君・鍋島直正(閑叟)公が、なぜ「大陰謀家」だとか「“肥前の妖怪”」などと語られてきたかも、意識しながら綴りたい。
「実は、こうだったのではないか」という視点を大事に、あまり従来のイメージにとらわれずに書き進めたい…
それだけでなく、佐賀藩じゃない佐賀県(唐津藩、対馬藩田代領)、佐賀県じゃない佐賀藩(諫早領など)に触れたい気持ちもあります。
手間はかかっても、なるべく既存の小説などに頼らないのはそのためです。もう少し涼しくなれば、余力も出てきて“再スタート”できるはず…と思っています。
○参考記事
・「ロード・オブ・サガ ~三つの“佐賀”~(前編)」
・「ロード・オブ・サガ ~三つの“佐賀”~(後編)」
全国で続いた体温を超えるような暑さ。もともと夏に強い方ではないのですが、今年は異常だと聞けば、そうだろうなと思います。
前回の記事で「冬の話が書きづらい…」とつぶやいたところです。暑さで、朦朧(もうろう)とするような厳しい夏でした。
進むのに迷いがある時は“原点”に戻って、頭を冷やしてみることにします。
――かれこれ、5年ほど前までは、こうではなかった。
今でこそ、遠く望む故郷・佐賀への愛が、あふれ出んばかりの日々。
手堅く「丸ぼうろ」を調達し、佐賀の果実酢を入手、嬉野の和紅茶にも進出、伊万里の梨や、「一口サイズ」の小城羊羹の確保も常々ねらっています。
…なのですが、正直なところ、あまり佐賀県出身者であることを前面に出して、この人生を歩んできたわけではありません。
出身地を聞かれて、最初から「佐賀です」とこたえると、「さが…?」と疑問符を発する方々と出会うことも多かった。
――こうして、私は出身地への質問があれば…
まず「九州の方です」と柔らかく様子を伺う事にしました。「九州のどこ?」という相手の反応があった場合に限り、「佐賀県です」と続けます。
〔参照(中盤):
ここに至ってきょとんとされてしまった時には「福岡の西です」「長崎の東です」「熊本の北です」と説明を畳みかける…と、次の一手にも抜かりはありません。
全力は尽くしました。これでも、わかってもらえねば…おそらく、その方の記憶にある“九州の地図”には、きっと、いまだに「佐賀県」が載っていないのです。
たしかに明治時代の数年間には、「佐賀県が地図から消えていた…」そんな時期もありました…この場合、ひとまず説明をあきらめます。
〔参照(中盤):
――そう、「佐賀を語る」ことは、ある意味で“戦い”だった…
私自身も、幕末の「薩長土肥」なんて言うけれども、肥前の佐賀藩は日和見(ひよりみ)で勝った方に付いただけでは…などと浅い理解をしていたのです。
佐賀の歴史に触れ始めたのは、4年ほど前でした。少し考えれば、佐賀藩が不可欠な存在でもない限り、出遅れた分は徹底的に冷遇されるはず。
当時の私には、ほとんど“未知”の世界だった、佐賀城の本丸歴史館の展示。実は“トップランナー”だった佐賀を裏付ける情報にあふれていました。
「知らなかった事に自ら学んで気付けば、生き方を変えることもある」という、非常に良い見本でした。
ここから、私は「勝った方に付いたのではなく、もし佐賀藩が加わらなければ、そもそも新時代が立ち行かなかったのでは…?」と、考えを改めます。
――調べ始めて知る“徳川政権”による近代化と、佐賀藩の役回り。
“敗者”となった幕府による近代化の軌跡は語られて来なかったでしょうから、これが佐賀藩の立ち位置をわかりづらくする一因なのかもしれません。
佐賀は“幕末の夜明け前”からずっと走り続けて、明治期の前段にあった徳川政権による、日本の近代化の時代を先導してきたのではないか。
詰まるところ、政治の主導権争いの勝者がどちらであろうが、佐賀の役割は変わらなかったのでは…という仮説です。

韮山反射炉、品川台場の技術や装備のサポートから、東京大学の源流となる種痘所(医学)、蕃書調所(洋学)などにも、佐賀の人物が深く関わります。
幕府からの発注で、鉄製大砲のみならず、蒸気機関まで製作しており、もはや日本の中の“西洋”と言ってよいような存在でした。
まずは幕府と近代化を進めて、次の時代に明治新政府の基礎づくり…調べるほどに、佐賀藩と、その関係者たちの姿が色濃く見えてきます。
――よし、ここは誇ってよいはず。
…とはいえ、歴史的業績と、現在の知名度は別のもの。今でも出身地を説明するときには、きっと「九州の方です」と始めてしまうのではないかと思います。
ただ、この4年近く、私も漫然と時を過ごしてきたわけではありません。続く言葉で、少し前よりは胸をはって「佐賀県です」と言えることでしょう。
目の前に伝えたい相手がいて、佐賀の魅力を語れば、それがしっかりと届く…
“大河ドラマ”は遠大な目標ではありますが、私個人でできることは、その一歩からなのかもしれません。
――秋風が吹く頃には、何とか“本編”に戻りたいところ。
ここからの話では、佐賀の名君・鍋島直正(閑叟)公が、なぜ「大陰謀家」だとか「“肥前の妖怪”」などと語られてきたかも、意識しながら綴りたい。
「実は、こうだったのではないか」という視点を大事に、あまり従来のイメージにとらわれずに書き進めたい…
それだけでなく、佐賀藩じゃない佐賀県(唐津藩、対馬藩田代領)、佐賀県じゃない佐賀藩(諫早領など)に触れたい気持ちもあります。
手間はかかっても、なるべく既存の小説などに頼らないのはそのためです。もう少し涼しくなれば、余力も出てきて“再スタート”できるはず…と思っています。
○参考記事
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2023年12月08日
「4周年に思うこと。」
こんばんは。
今年も季節は飛ぶように過ぎ、すでに師走。そして、どうやら年内に佐賀へと“帰藩”することもかなわないようです。
3月から休んでは途切れながらも書き続けた、“本編”第19話「閑叟上洛」を、ようやく先日に書き上げました。

先ほど「ブログ開設4周年」のお知らせが来ましたが、当ブログも、到底勢いがあるとは言えない状況。
これから「どうする?」と考えるところも。
その一方で、第20話のタイトルは、あえて「長崎方控」にしてみたい…とか、次のイメージも浮かんできてはいます。

このタイトル、おそらく佐賀県の…特に武雄あたりの歴史に詳しい人ならば、私が何を書こうとしているか、先読みもできるかもしれません。
たとえ書き進める速さを失っても、書きたい事、まだ消えてはいないようです。
「枯れても走ることを命と呼べ」
これは、アニメ『ゾンビランドサガ』の主題歌の一節で、妙に印象に残っているフレーズ。そんな言葉が胸をよぎる、開設4周年の日です。
今年も季節は飛ぶように過ぎ、すでに師走。そして、どうやら年内に佐賀へと“帰藩”することもかなわないようです。
3月から休んでは途切れながらも書き続けた、“本編”第19話「閑叟上洛」を、ようやく先日に書き上げました。
先ほど「ブログ開設4周年」のお知らせが来ましたが、当ブログも、到底勢いがあるとは言えない状況。
これから「どうする?」と考えるところも。
その一方で、第20話のタイトルは、あえて「長崎方控」にしてみたい…とか、次のイメージも浮かんできてはいます。
このタイトル、おそらく佐賀県の…特に武雄あたりの歴史に詳しい人ならば、私が何を書こうとしているか、先読みもできるかもしれません。
たとえ書き進める速さを失っても、書きたい事、まだ消えてはいないようです。
「枯れても走ることを命と呼べ」
これは、アニメ『ゾンビランドサガ』の主題歌の一節で、妙に印象に残っているフレーズ。そんな言葉が胸をよぎる、開設4周年の日です。