2025年05月16日
「シリーズ・増える賢人の謎(⑩25賢人・中央橋交差点 北側1)」
こんばんは。最近、「もう1つのブログ」を始めましたが、かえって、こちらのメインブログの方も書いてみよう、という気持ちにもなります。
きっと、書けば書くほど、遠ざかってしまった故郷・佐賀へと近づいていく。これも、また「佐賀への道」の進み方なのかもしれません。
さて、佐賀市内のメインストリートを歩む設定は続きます。“唐人五差路”という異名も聞く、中央橋交差点。その手前には、日本近代の工学・化学に関わった“賢人”の像が並びます。
1人は、日本の「電気工学の祖」とも称される、志田林三郎。
もう1人は、「紅の博士」とも呼ばれる、化学者・黒田チカ。

――まず、後者が気になりますでしょうか?佐賀生まれの「紅の博士」。
このモニュメントの近所(佐賀市松原)の出身だという、黒田チカ博士。私には「朝ドラ」の主人公になっても良いのでは…とも思える、女性化学者です。
黒田チカ博士は明治中期に、旧・佐賀藩士の娘として生まれました。進歩的な父・平八は「女子にも学問が必要だ」と、チカを勉学に励ませたようです。
まず地元の佐賀で学んだ、黒田チカは女子高等師範学校を経て、女性にも門戸を開いた東北帝国大学に入学、日本初の女子大生の一人となります。
現代で言えば、佐賀大学→お茶の水女子大学→東北大学にあたる学校を順に進んで、学ぶ側と教える側の立ち位置を繰り返して研究者になっています。

そして、女性の理学博士としては2番目、化学分野に限れば、初の女性博士となった人物だそうです。
なお、私は「紅(くれない)」という読み方かと思いましたが、もう少し落ち着いた感じで「紅(べに)の博士」とお呼びすべきようです。
――その研究内容は、ある意味“佐賀人”らしいもので、
卒業研究は「紫根色素の構造決定」、大正時代に理化学研究所で行っていたのは「紅花色素」の研究。他にも青花、黒豆、茄子、シソ、玉葱…も研究対象。
農作物に縁が深いのが、佐賀っぽくあります。
昭和27年頃、タマネギの外皮に含まれる「ケルセチン」に血圧の降下作用があることを突き止めていた、黒田チカ博士。
その物質を結晶として取り出すことに成功し、高血圧の治療薬を創製した…という功績も伝わります。

幕末・明治期からずっと教育熱心だった、佐賀の面目を果たすような活躍で、自然科学を志す女性たちを先導した存在です。
――そして、昭和39年。新幹線開業、東京オリンピックの時期には、
その人生がドラマ化されたことも。NHKの子供向け番組「たまねぎおばさん」という題名で、若き日の市原悦子さんが主演だったそうです。
できれば、この令和の時代に、連続テレビ小説「紅の博士」みたいな感じでの描き方を、見てみたい願望もあります。
――恩師の言葉をずっと胸に秘めて、研究に打ち込むところなど、
かなり“朝ドラ映え”しそうな気がします。以降は、私が女性化学者・黒田チカのドラマを見ている空想です。

…舞台は大正初期。女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の研究室。
渋めの俳優さん演じる指導教官が、研究一筋の朝ドラヒロインに対して、こんなセリフで語り始めるイメージですね。
「黒田くん、今日も熱心だな。」
「私は、こんなふうに頑張ることしかできませんので。」
…上手く表現できてませんが、当然、ヒロインのセリフには“佐賀ことば”指導がかかっていると思ってください。
「そうか、とても黒田くんらしい。」
…指導教官、長井先生という方で、偉い学者さんです。微笑みを浮かべます。
「黒田くん、化学とは物質に親しむことだ。」
「親しむことですか?」
――チカは少し細い目を、丸く見開いた。(音声解説だと思ってください。)
「あなたのように、まっすぐに物を見つめれば、きっと答えを教えてくれるさ。」
「物が、すべてを教えてくれる…」
「化学とは、そういうものだと、私は思うよ。」
「はい、物を見つめるのは、大好きです!」
「このたび、東北の帝大が女子の応募を認めるらしい。」

はっ、と息をのむ、チカ。
「女子でも、帝大に行ってもよか、ということですか…」
「そのとおり。あなたにはこの道を進む資格がある、ということだ。」
こうして、黒田チカは29歳で、東北帝国大学の正式な学生となります。すなわち、日本初の女子大生の1人が誕生することになるのです。
…という感じですかね。史実の黒田チカ博士も、恩師の言葉を座右の銘として研究を続けたそうですよ。
――東北帝国大学への女子学生の受入れに対しては、
当時の文部省からの介入という問題も生じたそうですが、真島先生という良師にも出会い、周囲にも支えられて、黒田チカは研究者として成長していきます。
日本初の女性理学士として東京化学会での発表。イギリスのオックスフォード大学に留学したり、理化学研究所で紅花色素の研究をしたことで「紅の博士」と呼ばれる…という華やかな経歴で、物語性は充分です。

ところで、主人公のモデルとなるべき、黒田チカ博士は、先ほどのイメージのようにとても地道な印象の人。他の研究者では、取り出せなかった物質の結晶を取り出すまで、努力を続けたそうです。
そして、温和で寛容な人柄…という評価もあり、それが周囲の人々に愛された要因かもしれません。史実のままならば、派手なヒロイン像とは遠いのですが、佐賀の女性を主人公にするならば、この描き方で良いと思います。
…腕のある脚本家に、良い俳優さんが揃えば、きっと大丈夫な題材でしょう。
ところで、黒田博士の話を書くのに熱中してしまって、日本の「電気工学の祖」志田林三郎博士の話にまで、届きませんでした。

志田博士の出身地・多久市民の皆様、申し訳ございません。ところで、ところで、志田林三郎は今回のお話より少し前の時代、幕末の生まれで、佐賀藩士としての経歴もあります。
この志田博士も、本当に凄い“賢人”でして「100年先の未来を見通した」人物とも言われます。その話は、また次回に。
きっと、書けば書くほど、遠ざかってしまった故郷・佐賀へと近づいていく。これも、また「佐賀への道」の進み方なのかもしれません。
さて、佐賀市内のメインストリートを歩む設定は続きます。“唐人五差路”という異名も聞く、中央橋交差点。その手前には、日本近代の工学・化学に関わった“賢人”の像が並びます。
1人は、日本の「電気工学の祖」とも称される、志田林三郎。
もう1人は、「紅の博士」とも呼ばれる、化学者・黒田チカ。
――まず、後者が気になりますでしょうか?佐賀生まれの「紅の博士」。
このモニュメントの近所(佐賀市松原)の出身だという、黒田チカ博士。私には「朝ドラ」の主人公になっても良いのでは…とも思える、女性化学者です。
黒田チカ博士は明治中期に、旧・佐賀藩士の娘として生まれました。進歩的な父・平八は「女子にも学問が必要だ」と、チカを勉学に励ませたようです。
まず地元の佐賀で学んだ、黒田チカは女子高等師範学校を経て、女性にも門戸を開いた東北帝国大学に入学、日本初の女子大生の一人となります。
現代で言えば、佐賀大学→お茶の水女子大学→東北大学にあたる学校を順に進んで、学ぶ側と教える側の立ち位置を繰り返して研究者になっています。
そして、女性の理学博士としては2番目、化学分野に限れば、初の女性博士となった人物だそうです。
なお、私は「紅(くれない)」という読み方かと思いましたが、もう少し落ち着いた感じで「紅(べに)の博士」とお呼びすべきようです。
――その研究内容は、ある意味“佐賀人”らしいもので、
卒業研究は「紫根色素の構造決定」、大正時代に理化学研究所で行っていたのは「紅花色素」の研究。他にも青花、黒豆、茄子、シソ、玉葱…も研究対象。
農作物に縁が深いのが、佐賀っぽくあります。
昭和27年頃、タマネギの外皮に含まれる「ケルセチン」に血圧の降下作用があることを突き止めていた、黒田チカ博士。
その物質を結晶として取り出すことに成功し、高血圧の治療薬を創製した…という功績も伝わります。
幕末・明治期からずっと教育熱心だった、佐賀の面目を果たすような活躍で、自然科学を志す女性たちを先導した存在です。
――そして、昭和39年。新幹線開業、東京オリンピックの時期には、
その人生がドラマ化されたことも。NHKの子供向け番組「たまねぎおばさん」という題名で、若き日の市原悦子さんが主演だったそうです。
できれば、この令和の時代に、連続テレビ小説「紅の博士」みたいな感じでの描き方を、見てみたい願望もあります。
――恩師の言葉をずっと胸に秘めて、研究に打ち込むところなど、
かなり“朝ドラ映え”しそうな気がします。以降は、私が女性化学者・黒田チカのドラマを見ている空想です。

…舞台は大正初期。女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の研究室。
渋めの俳優さん演じる指導教官が、研究一筋の朝ドラヒロインに対して、こんなセリフで語り始めるイメージですね。
「黒田くん、今日も熱心だな。」
「私は、こんなふうに頑張ることしかできませんので。」
…上手く表現できてませんが、当然、ヒロインのセリフには“佐賀ことば”指導がかかっていると思ってください。
「そうか、とても黒田くんらしい。」
…指導教官、長井先生という方で、偉い学者さんです。微笑みを浮かべます。
「黒田くん、化学とは物質に親しむことだ。」
「親しむことですか?」
――チカは少し細い目を、丸く見開いた。(音声解説だと思ってください。)
「あなたのように、まっすぐに物を見つめれば、きっと答えを教えてくれるさ。」
「物が、すべてを教えてくれる…」
「化学とは、そういうものだと、私は思うよ。」
「はい、物を見つめるのは、大好きです!」
「このたび、東北の帝大が女子の応募を認めるらしい。」

はっ、と息をのむ、チカ。
「女子でも、帝大に行ってもよか、ということですか…」
「そのとおり。あなたにはこの道を進む資格がある、ということだ。」
こうして、黒田チカは29歳で、東北帝国大学の正式な学生となります。すなわち、日本初の女子大生の1人が誕生することになるのです。
…という感じですかね。史実の黒田チカ博士も、恩師の言葉を座右の銘として研究を続けたそうですよ。
――東北帝国大学への女子学生の受入れに対しては、
当時の文部省からの介入という問題も生じたそうですが、真島先生という良師にも出会い、周囲にも支えられて、黒田チカは研究者として成長していきます。
日本初の女性理学士として東京化学会での発表。イギリスのオックスフォード大学に留学したり、理化学研究所で紅花色素の研究をしたことで「紅の博士」と呼ばれる…という華やかな経歴で、物語性は充分です。
ところで、主人公のモデルとなるべき、黒田チカ博士は、先ほどのイメージのようにとても地道な印象の人。他の研究者では、取り出せなかった物質の結晶を取り出すまで、努力を続けたそうです。
そして、温和で寛容な人柄…という評価もあり、それが周囲の人々に愛された要因かもしれません。史実のままならば、派手なヒロイン像とは遠いのですが、佐賀の女性を主人公にするならば、この描き方で良いと思います。
…腕のある脚本家に、良い俳優さんが揃えば、きっと大丈夫な題材でしょう。
ところで、黒田博士の話を書くのに熱中してしまって、日本の「電気工学の祖」志田林三郎博士の話にまで、届きませんでした。
志田博士の出身地・多久市民の皆様、申し訳ございません。ところで、ところで、志田林三郎は今回のお話より少し前の時代、幕末の生まれで、佐賀藩士としての経歴もあります。
この志田博士も、本当に凄い“賢人”でして「100年先の未来を見通した」人物とも言われます。その話は、また次回に。
Posted by SR at 23:48 | Comments(0) | 佐賀への道
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