2020年02月06日

第3話「西洋砲術」(予告)

こんばんは。

佐賀県の中でも、武雄市民の方にぜひご覧いただきたい第3話。
鍋島直正に強い影響を与えた、武雄領主・鍋島茂義を中心としたお話です。

茂義公の蘭学好きが、“蘭癖”(西洋かぶれ)と言われた佐賀藩を先導し、“ものづくり日本”の近代化は始まった…と考えています。

1.タイトルとあらすじ

第3話「西洋砲術」

佐賀城の火災により、二の丸は全焼。もともと本丸が再建できていなかった佐賀藩
残った三の丸で、佐賀藩政の中心と藩主・鍋島直正の住居を兼ねることになった。

将軍家である、直正の妻・盛姫幕府から再建資金を借用すべく大奥に接触する。
一方、藩のナンバー2鍋島安房は、財政再建のために藩士たちとの相談を重ねる。

城の再建の傍ら、武雄領主・鍋島茂義は、長崎の“高島流砲術”に強い興味を持つ。
家来の平山醇左衛門は、オランダ砲術より編み出された技術を学び、茂義に伝えていく。

――時は、1835年。
その年、火災に遭った佐賀城だが、鍋島直正たちの改革は始まっていた。

2.設定
年代:1835年~1843年頃

主な舞台:佐賀藩武雄領

登場七賢人:鍋島直正

3.主要登場人物
〔佐賀本藩〕

鍋島直正…20代前半。城の火災を機に、佐賀藩の実権を掌握する。当時の名は斉正。

盛姫…直正の正室。前将軍・徳川家斉の娘。幕府(大奥)への交渉を担当する。

〔佐賀藩武雄領〕

鍋島茂義…30代半ば。蘭学への情熱が強い。家来(平山)を通じ、西洋砲術を学ぶ。

平山醇左衛門…長崎で“高島流砲術”を学び、茂義への取次ぎ役も務める。

〔佐賀藩須古領〕

鍋島安房…20代半ば。藩の請役(筆頭家老)に就任。藩の財政再建に尽力する。

〔長崎(町役人)〕

高島秋帆…長崎の町を運営する地元の役人。オランダの砲術を学び“高島流”を創始する。

〔幕府〕

水野忠邦…天保の改革を行った老中。才能を見込んで、鳥居・遠山・江川らを登用する。

鳥居耀蔵…幕府目付。のちに南町奉行。「妖怪」とも「マムシ」とも恐れられる執念深い人物。

遠山景元…「遠山の金さん」で知られる江戸北町奉行。鳥居が行う庶民への締め付けに対抗する。

江川英龍…伊豆韮山代官。異国船の脅威に気づき、西洋砲術の視察のため、武雄領に足を運ぶ。

〔その他の主なキャスト(参考)〕

佐賀藩士(長崎御番)…第1話の若侍。異国船に負けない長崎の台場整備、次世代の育成を目指す。

佐賀藩士(勘定方)…第1話の若侍の同僚。長年、勘定方を務める。鍋島安房の財政再建に期待する。

武雄領の家来…領主・鍋島茂義の側近。いつも行動力抜群の茂義に振り回される。忠義心は厚い。

4.タイムテーブル(予定)
(5分)
①佐賀城、火災からの復興

(10分)
②長崎の砲術家と武雄領主

(20分)
③西洋砲術の夜明け

(30分)
④幕閣の妖怪

(40分)
⑤御船山の慟哭と決意


…以上です。
投稿しているうちに、タイムテーブルは変更していく可能性が高いですsweat01
  


Posted by SR at 21:50 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月07日

第3話「西洋砲術」①-1

こんばんは。

今回から第3話西洋砲術」を開始します。時代は、まだ“天保の改革”の前。佐賀藩先進性を感じていただければ幸いです。

①佐賀城、火災からの復興

――1935年。城の火災に見舞われた佐賀藩。残った三の丸で政務を行っていた。

鍋島直正がつぶやく。
「さすがに三の丸だけでは、手狭であるな。」

藩のナンバー2(請役)となった鍋島安房が応じる。
殿…それは言わない約束です。」

ここは佐賀藩主・直正の生活空間である。
しかし様々な仕事をする藩士たちが、目の前をひっきりなしに通り過ぎる。
大風で崩れた堤は、まだ治らんのか!」
「商人はあまり田畑に立ち入らせるな。」
陶器の売り捌きをお家で仕切るのはどうか!」
「その借財…なんとか踏み倒せんか…」

良きにつけ悪しきにつけ、藩士たちの相談事まで直正の耳に入る。
風通しの良い職場と言えば、聞こえはよい。

殿…お気持ちはわかります。気の休まるときがございませぬな。」
安房よ。相済まぬ。つい愚痴を言うてしもうた。」
いわば会社(役所)の中で生活している状態の直正

「近くの多久家の屋敷も間借りしていますが、やはり同じ建屋の方が便利が良いかと。」
「そうじゃな。建屋の中を動くのであれば、も出なかろう。」


――都会(江戸)育ちのせいか、極端に“蛇”が苦手な直正

「私の須古領の屋敷廻りでは、たくさん出ますぞ。」
「では、が出たときは安房に任せる!」

「…安房よ。任せついでに申し訳ないが、今度、オランダ船を見に行っても良いか。」
殿武雄茂義様に似て来られましたな…」


――佐賀藩主に着任早々、長崎でオランダ商船に乗り込み、視察を行った鍋島直正

当初は、長崎奉行所も「前例がない!」と難色を示したが、直正が自ら前例を作ってしまった。
もはや毎年恒例となり、奉行所オランダ商船の視察については止めるのをあきらめている。

そして直正のこの行動は、言うまでもなく武雄領主の義兄(茂義)の影響である。

“蘭癖”(西洋かぶれ)は、14歳年上の茂義から直正へ着実に受け継がれつつあった。

(続く)  


Posted by SR at 22:11 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月08日

第3話「西洋砲術」①-2

こんにちは。
当ブログも開始から2か月が経過しました。引き続きよろしくお願いします。では、昨日の続きです。


――その頃、佐賀藩では、幕府に城の再建資金の相談をしていた。

鍋島直正が、また請役所(行政部門)に顔を見せる。
…とは言っても、直正同じ建物に住んでいるので、別の部屋に来ただけである。

そこでは、請役鍋島安房が執務をしていた。
安房よ、今日も励んでおるな。ところで、江戸から返事が来たぞ。」
「まことですか。」


――幕府への交渉にあたる直正の妻(正室)の盛姫より手紙が来ていた。

大奥に、かけあってくれているのじゃ。良き妻を持った…」
しみじみと噛みしめるように、直正が語る。

もともと将軍の娘である盛姫が交渉窓口としているのは、自身が産まれ育った大奥
一般の女子でも出世すれば、大名並み政治権力を持つことができる。いわば、江戸時代キャリアウーマンの巣窟なのである。


――先代将軍の徳川家斉が“大御所”として強い権力を保持する時代。

直正の妻“盛姫”は大御所様の愛娘
出世競争に明け暮れる大奥では無視できない存在感があった。

盛姫さま…何とありがたい。公儀(幕府)より資金の借入さえできれば、城の再建も進められます。」

安房よ。お主は勘定方の名代のようになってきたな。」
勘定方の者とよく話しますゆえ、算盤(そろばん)の音が耳に馴染んで参りました。」


――上層部だけでなく、家来たちも忙しい。佐賀城下のある屋敷にて。



トン!

勘定方長崎御番の侍。旧知の2人が、城下の武家屋敷で出会う。
いつものように双方が急ぎ足だったため、軽くぶつかった。

「この曲がり角に差し掛かると、お主とぶつかるのは変わらんのう。」
「私も老いたのか、のようには走れませぬが、止まるのも下手になり申した。」

勘定方が、ふと気づいたように、言い放った。
「お主、そもそも廊下走るところではないぞ!」

――第1話(1808年)では、若侍だった2人も、お役目に励むこと27年。頭には白髪も混じってきた。

請役になられた安房様が、儂に話を聞きたいと仰せになってな。」
すっかり貫禄の出た勘定方。いわば“副社長”が自分の意見を求めると、誇らしげに語る。

もともと鍋島安房は、家来の話を聞くのに時間を割くことを厭わない。
勘定方の大ベテランは、現場の声を積極的に拾っていく姿勢に心酔している。

「お主からは、どのようなご意見を申し上げたのか。」
借財の返し方よ…今後、借り入れさえ無ければ良い。返すのに何十年かかろうが構わぬ。利息などは力業でどうにかしてみせる。」

「しかし、大半の商人から借入をせずにやっていけるのか。」
「此度の火災で無用なに就く者の大半がを解かれておってな。」


――火災を機に、いわば役職の“大リストラ”を敢行した佐賀藩。

ここでの“リストラ”とは、藩士を退職に追い込んだのではない。

無駄な肩書を消滅させ、役職給を大幅に削った。
藩士たちに付いていた不要な役職を一気に整理し、生活保障給のみに絞ったと説明しよう。

今なら再建も必要なため、「火急のときである!お家のために我慢せよ!」という論法も使えた。

佐賀藩は、その時点で就いている役職に応じて、給料を支給するシステムを推し進めていく。

「毎年、決まってかかる費用を減らす。倹約の鉄則だな。」

前藩主・斉直とその側近が力を持っていた時代は、充分に経費の節減ができなかった。ようやく存分に腕が振るえる。
勘定方の大ベテランとなった“倹約の鬼”は、いかにも嬉しそうに笑っていた。

(続く)  


Posted by SR at 16:25 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月09日

第3話「西洋砲術」②

こんにちは。

第3話「西洋砲術」の続きです。今回の投稿は、佐賀城下長崎武雄と場面が転換します。


②長崎の砲術家と武雄領主

――佐賀藩は、慢性的な借金から抜け出すため、構造改革を行っていた。

第1話から約30年にわたって登場している2人。
勘定方長崎御番の侍が話を続けている。

安房様をお支えし、此度こそ勝手向き(財政)を立て直す!」
「立派なことだ。お主が元気に頑張っていると、私も嬉しいぞ。」

「あと心配なのは…お前たち、長崎台場にかかる資金だけじゃ。」
勘定方長崎御番に目を向けてつぶやく。

長崎砲台別枠じゃ!“フェートン号”の屈辱を忘れたか!」
いきなり矛先が向いたので、身構える長崎御番の侍。

「まぁ、上からご指示もあるので、やむを得んな。お前たちは、頭上から“天狗”のように資金をさらって行くのう。」
佐賀藩上層部には、砲術超・推進派である武雄領主・鍋島茂義がいる。

「私は“天狗”か。しかし、老いには勝てぬ。次に続く者たちを育てておかねばな…」


――舞台は長崎に移る。武雄領の侍・平山が、“高島流砲術”の伝授を受けている。

この砲術を創始した高島秋帆は、町役人(町年寄)である。
…といっても、長崎での“町役人”の立ち位置は、他所とは少々異なっていた。

第1話でも登場した“幕府のエリート職”である長崎奉行

しかし、奉行長崎以外の土地からやってきて、わずか数年の任期で去っていくのが通常である。そして、長崎奉行所の役人であるが、こちらも極端に数が少なく、数十人規模である。

そのため奉行所が直接、役目にあたるのは“外交”にほぼ限定されている。
長崎の街は、高島秋帆ら地元の有力者が“町役人”として運営していた。


――長崎において“町役人”とは「街の顔」なのである。


朝には出島での用向きを済ませた、高島秋帆。ふと昔を思い出して語る。
「私もねぇ。フェートン号の件が、頭から離れんのだよ。」

長崎という土地柄、役人でありつつも貿易に関与している。幕府が定める内容以外に自身の取引を行うことも許された。

本来の積荷で余った空間を使うことから“脇荷貿易”というらしい。
その利益は大きく、長崎町役人は並みの大名よりよっぽど羽振りがいい。

――高島秋帆も10万石の大名に匹敵する…とも言われた。

危難を忘れず、オランダ砲術を志すとは。お師匠、ご立派です。」
平山醇左衛門は、第2話に幾度か登場している。

ただ、根が真面目なので、いつも庭などに控えている。
そのため、武雄領主・鍋島茂義は、平山帰参すると、大声で平山を呼びながら、屋敷の中を探し回る。

平山は極めて精緻砲術を学んでいた。
大砲に関する蘭学書も研究し、実践の技術も着実に習得している。


――高島秋帆は続ける。大名並みの力を持っても、長崎の町衆に近い存在。言葉は格式ばっていない。

フェートン号のような大型の洋船には、旧来の大筒では対抗できん。」
砲弾が命中しても、損傷を与えられないのですね。」

「そのとおり。私は長崎、そして、このを守りたいのだよ。」
口先だけでなく、高島流砲術を広めることに、熱心な秋帆

「皆に、この西洋砲術を教え、皆で国を守るのだ!」
「師匠…なんと志の高い。この平山にもお手伝いさせてください。」

長崎港を実質的に異国船に占拠された“フェートン号事件”の衝撃。
失態により処罰を受けた佐賀藩以上に、長崎町役人には危機感があった。

高島秋帆は、出島オランダ軍士官を務めた人物が来たことを好機として、本格的にオランダ砲術を学んだ。

――そして、さまざま試行錯誤を重ね、“高島流砲術”を創始することとなる。

秋帆は以前から日本古来の砲術も学んでいたが、“高島流”は号令オランダ語という日本初の“西洋砲術”の流派に仕上がった。

「わが武雄領の殿も、お師匠の砲術伝習を心待ちにしております!」
「相分かった。武雄までお伺いするとしよう!」

熱い志を持つ秋帆、想いを受けとめる平山
当時の日本の砲術、師匠の高島と直弟子の平山最先端を走っていた。


――そして、平山が武雄領に帰参する。



平山が帰ってきたと聞き、鍋島茂義が屋敷の廊下を走る。

平山、平山、平山平山…山平!おう、そこに居ったか」
「はっ!“山平”は、ここにございます!」

庭に控えている平山
「はっはっは…馬鹿に素直な奴じゃな。“山平”になっておるではないか。」
平山でも、山平でも、私にございます!」

「話のわかる男じゃ!…して、秋帆先生はいかがであった。」
「夏には、この武雄にお越しいただけるそうです。」

――大喜びする、鍋島茂義

「でかした!平山山平…!でかしたぞ!」
「はっ。出迎えの支度をいたします。」

砲術訓練に適した場所を探すのじゃな!」
「はっ!ただちに段取りを整えます!」
平山も、茂義の反応がよほど嬉しいのか、微笑んでいる。

側に居た茂義の家来が、ふとつぶやいた。
「…平山山平ややこしい呼び名でございますな。」
「ちがいない!はっはっは!」
鍋島茂義は上機嫌であった。

茂義高島秋帆には1年ほど前に入門している。しかし、領主長崎砲術指導を受けることは難しい。

いわば平山を介した通信教育の状態が続いていた。
茂義は、秋帆から直接教えを受けられることに高揚しているのだった。

(続く)  


Posted by SR at 12:59 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月10日

第3話「西洋砲術」③-1

こんばんは。
第3話の中盤(③)では“日本史”の教科書で見たような事件をなるべく載せていきます。

③西洋砲術の夜明け

――砲術の師匠・高島秋帆は、約束どおり佐賀藩・武雄領を訪ねてきた。

長崎にて鋳造しましたにございます。」
高島秋帆が持参した手土産は、なんと青銅製大砲だった。

武雄領主・鍋島茂義が感心する。
「ほほう…!見事なものだ。」

覗き込んだ茂義家来たち、奇妙な大砲に興味を惹かれている。
うす)の如き形でござるな。」

「左様。この“モルチール”は“臼砲”とも呼ばれております。」

茂義は、まず高島秋帆に礼を言う。
高島どの。気遣い恐れ入る!そして伝習をよろしく頼む!」

――ドン!

佐賀藩武雄領の空に轟音が響く。

高島秋帆平山醇左衛門、そして幾人かの門下生が訓練を披露する。

オランダ人の師匠に学んだ砲術が、“高島流”の基本である。
律儀な高島は師の流儀を守り、号令はすべてオランダ語である。

指揮役武雄領の平山醇左衛門が務めた。
普段は物静かな平山が、覇気のある声を張る。

「マルス!(進め)」
ザッザッザッ…規則的に前進を行う。

「ハルト!(止まれ)」
隊列は静止した。

しばしの沈黙。テキパキと準備をこなす門下生たち。
「ヒュール!(撃て)」


――ドン!ドン!

火薬の匂いが漂い、白煙がたなびく。

臼砲モルチール砲)が火を吹き、次々に目標近くに着弾する。

「おおっ!これが西洋砲術!“高島流”の神髄であるか!」
茂義感銘を受けていた。

そして早速、武雄領でも青銅製モルチール砲を造ることを決断した。
大砲製造の責任者も、やはり平山醇左衛門が担当する。

後に日本産業革命を先導する佐賀藩、その先陣を切ったのが武雄領と言うことになる。

幕末黎明期、いわば佐賀藩の“秘密研究所”は既に動き始めていたのである。

(続く)
  


Posted by SR at 21:28 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月11日

第3話「西洋砲術」③-2

こんばんは。

幕末佐賀藩大河ドラマをイメージすると、異国船の出没と幕府の動揺は重要なポイントなので丁寧に描きたいと考えています。

本日の投稿は、1837年の「モリソン号事件」です。実は佐賀藩士が1人も出てきませんが、最後に“反射炉”で佐賀と深く関わる人物が登場します。

――ポン!ポン!

浦賀沖に、大筒の音が響く。
幕府の命により、沿岸から小田原川越の両藩が異国船に向けて砲撃を開始した。

この“モリソン号”は、アメリカの商船である。現時点でまともな武装はしていない。見た目からイギリス軍船と勘違いされているようだ。

「ジョージ!オトソン!一体どうなってるんだ、お前たちの国は!」
いきなり砲撃を受け、アメリカ人船員がとまどう。
そして、なぜかアメリカ船に乗っている“日本人”に文句を言う。

先ほど“ジョージ”と呼ばれたのは“庄蔵”。
肥後(熊本)出身の商人で、天草から長崎に向かう船で遭難。漂流した。

“オトソン”とは“音吉”。
尾張(愛知)出身。鳥羽(三重)から江戸に向けて出航し、静岡沖で遭難した。



――このモリソン号に乗るまで、幾度となく生死の境を彷徨い、あるいは漂着後には売り飛ばされたりと散々な目にあってきた。

庄蔵音吉の2人を含め、各々の仲間をあわせて7人。いずれも日本人の漂流民である。様々な苦難を乗り越え、アメリカ船で、ようやく祖国の沖合までたどり着いたのである。

モリソン号の狙いは、漂流民送還して、日本通商を求めることだった。
戦う意思が無いことを示すため、あえて大砲などの武装はしていない。


――沿岸からの砲撃を見て、船員たちがざわつく。

しかし戦国時代からほぼ進化していない大筒では、大型の洋船に損傷を与える威力はない。

「俺たちは武器も持たずに、漂流民を送り届ける心優しき男たちなんだぜ!」
「それをいきなり、砲撃してくるとはよぉ。なんてこった!」
音吉”に文句を言う、アメリカ人船員。

「ア…アイ、ドント、ノゥ…(わかりません…)」
いつの間にか英語が上達している“音吉”。

「オトソン!言葉がうまくなったな。」
音吉”の語学上達に関心する船員。

「もう少し粘ってみるか!」


――モリソン号は薩摩に回航し、山川港の沖に一時停泊する。

漂流民のうち、庄蔵ほか1名は薩摩に縁があるため、上陸のお願いに足を運ぶ。薩摩藩琉球との交易を支配しており、一般の藩よりは遥かに異国慣れしていた。
「船が港に入ることは、なりもはん!」

国法である“鎖国”を、当時の薩摩藩が曲げるはずもない。

薩摩の言葉は特徴が強い。今後の展開を考え、あえて方言に寄せた表現を取りたい。
「お主らはオランダ船に乗り換えれば、長崎には入れもす。船は薩摩には入れもはん。帰ってたもんせ。」


――そして、退去を躊躇するモリソン号に、薩摩藩は威嚇の砲撃を行った

12年前の“異国船打払令”が機能しているのである。

「なんてこった。この国は、すぐ撃ってきやがる。」
呆れるアメリカ人船員。
「まぁ、あの大砲じゃ、大して効かないけどな。」


――“モリソン号事件”の影響は多方面に及んだ。

とくに蘭学を学ぶ者には、幕府鎖国政策を批判する契機となった。
渡辺崋山高野長英らは仲間うちで、意見を著述するが、その内容は予想外に拡散していく。

――幕府がモリソン号を打払ったのは、浦賀(神奈川)の沖合。

近隣の伊豆(静岡)の韮山を治める幕府代官江川英龍(太郎左衛門)も蘭学に詳しかったが、渡辺高野の2人とは少し方向性が違い、“海防”の大砲が貧弱過ぎることを嘆いた。

江川は「異国船打払う力、すなわち“西洋砲術”が必要だ!」と志を立て、長崎そして佐賀へと足を運ぶことになる。

(続く)
  


Posted by SR at 20:35 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月12日

第3話「西洋砲術」③-3

こんばんは。

日本史教科書で見たような事件を連発する中、“佐賀の七賢人”の名前が出てきます。本編では、ようやく2人目の登場。最年少大隈重信です。

――“モリソン号”事件と同じ1837年。

大坂で“大塩平八郎”の乱が起きる。
よりによって、町奉行所に務めていた役人が「救民」の旗を掲げ、武装蜂起した事件である。

反乱そのものは、直ぐに鎮圧されたが、その衝撃は大きかった。
不安材料が増え続ける中、幕府中枢には、疑心暗鬼の面々が集まっていくのである。


――翌1838年。佐賀城下にて。

第1話からの長崎御番の侍。齢は50歳を超えるが、その蘭学の知識は深い。
まだ若いが身なりのしっかりした上級武士と話をしている。

大隈どの。砲術の調練、武雄領との調整…いろいろご苦労であるな。」
「いえ、お役目にござるゆえ。」

応えたのは佐賀藩の“砲術長”の職にある武士である。
名を、大隈信保という。


――その頃、佐賀本藩への“西洋砲術”導入の段取りも着々と進んでいた。

「では、大隈どの私事の方を聞かせていただこうか。」
長崎御番重鎮となった元・若侍。柔和な笑みを浮かべて問いかける。

「既にお聞きとは存じますが…ついに我が家に後継ぎの男子が…」
大隈という侍も、満面の笑みを浮かべる。

産まれたか!良かった、良かった!」
「ありがとう存じます!」


――大隈家には、既に女子が2人いた。待望の男子の誕生である。

「そうだ。名は何と付けたのですかな。」
「“龍造寺八幡宮”の“”の字にちなんで、八太郎でございます。」

佐賀藩西洋砲術の導入が進む中、誕生した男の子“大隈八太郎”。
のちの大隈重信である。

(続く)  


Posted by SR at 20:31 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月13日

第3話「西洋砲術」③-4

こんばんは。

前回は大隈八太郎くん(後の大隈重信)の誕生を紹介しました。
今後、すくすくと成長しますので、時折追いかけていきたいと思います。

第3話西洋砲術」も後半に入りましたが、もう少し”西洋砲術の夜明け”の話を続けます。
幕府伊豆韮山代官江川(太郎左衛門)英龍は、砲術を学ぶため長崎に向かいます。

この江川英龍、剣は神道無念流の達人。農政にも力を発揮し、領民から「江川大明神」とまで慕われた“お代官”様。
異国船に対応する“海防”を急ぐ幕府江川蘭学で得た人脈を使って、江戸湾内の測量も進めます。

老中水野忠邦も、江川の先進的な知識実行力を評価し、重用しました。


――江川英龍は、長崎に到着する。

日本における“西洋砲術”の第一人者、高島秋帆

江川どの、長崎までの遠路、良くお越しになった。」
高島様砲術は、江戸にも評判が聞こえております。」

江川英龍行動力のある人物である。すぐに本題に入った。
「単刀直入に申します。異国船打払う力を身に着けたいのです。」

高島秋帆の頬がかすかに緩んだ。
「では、我々は“同志”ということですな。」

幕府直属の役人で、この“海防”意識の高さ。高島は、江川を期待できる人物と見込んだ。
「早速、貴方の“兄弟子”を紹介しよう!平山くん、そこに居るか!」


――平山醇左衛門が素早い動きで、下座に歩み寄る。

「お呼びですか!高島先生!」
平山くん、韮山のお代官江川さまだ。」

佐賀鍋島の家中、武雄より参りました平山と申します。」
「伊豆の韮山で代官を務める、江川でござる。砲術を学ぶために長崎に参った。」

「おおっ、公儀(幕府)のお方が砲術を学ばれるとは、なんと心強い。」
平山も明るい表情を見せた。“高島流砲術”は国を守る仲間を増やすため、普及に熱心である。

「ちなみに平山くんの主君、武雄の“ご隠居様”には免許皆伝を許しておる。」
この頃には鍋島茂義は、“高島流砲術”の機密を共有して良い人物と認められていたのである。

「そして、この平山くんは技量第一の者だ。江川どのは“お代官様”ではあるが、兄弟子の言葉は尊重するように!」
「先生…お言葉がもったいのうございます。」
平山が恐縮する。

高島先生!わかり申した!」
江川も豪快に笑った。

当時の長崎には、異国船から国を守ることを目指す“志士たち”が集って来たのである。


――武雄領の平山らと知り合って、江川英龍は佐賀藩内にも足を運ぶ。

江川どの。わざわざのお運びをいただき恐れ入る。」

鍋島茂義は、先の武雄領主である。
なんと30代で“ご隠居”となった茂義は、さらに自由闊達に蘭学を研鑽する。

茂義は、義理の弟である佐賀藩主鍋島直正に強い影響を与え続けている。
そして、佐賀藩の大砲の号令も既に“オランダ語”になっていた。

「お招きいただき、忝(かたじけな)く存じます。」
言葉は侍らしく堅いが、江川英龍も、茂義と同じ蘭学の”実践者”である。

当時、武雄では“モルチール砲”を鋳造しており、江川も製造現場を見聞する。
幕府きっての開明派である江川は、これから佐賀藩科学技術とつながっていくことになる。

――老中・水野忠邦。江川の報告で“高島流砲術”を江戸でも行うよう指示した。

現在の東京都板橋区にある、徳丸原(高島平)にて、大規模な演習が実施された。

距離、目標…様々な設定での砲撃銃陣訓練などが行われる。
日本初といって良い、100人規模での“西洋式”軍事調練だった。

幕府の役人たちの面前での失敗は許されない。
高島流”の旗のもと、長崎の直弟子だけでなく、各地精鋭が集められた。

もちろん武雄領平山が中心となり、佐賀藩からも門下生たちが参加している。

「ヒュール!(撃て)」

――ドン!ドン!

複数のモルチール砲から放たれる砲弾。
轟音が響き、風切り音が鳴る。

弾は定められた距離を飛び、目標に命中し、不発弾は一発も生じなかった。

高島流砲術、その武威を示す!天晴(あっぱれ)である!」
幕府は大演習の成果を絶賛し、褒美の“銀”が与えられた。

(続く)  


Posted by SR at 22:03 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月14日

第3話「西洋砲術」④-1

こんばんは。
日本史教科書寄りの内容が続きます。「試験に出る佐賀藩」とかで整理した方が良いかもしれません。今回は1839年“蛮社の獄”が中心の内容ですが、一瞬、“遠山の金さん”も登場します。いわゆる「特別出演」です。

④天保の改革と幕閣の“妖怪”

――江川英龍が、長崎で砲術を学び、佐賀での交流を深めていた頃。

幕府ではある人物が暗躍する。
その名は鳥居“甲斐守”耀蔵

江戸町人たちは、名前(ようぞう)と役職(かいのかみ)を略して「妖怪」と呼んだ。

――まだ、2年前の“モリソン号”事件の余波が残る。

高野長英が、蘭学の勉強会にて“鎖国”への意見を披露し、匿名で「戊戌夢物語」を著した。しかし著作の影響は、当人の思惑を超えて広がっていく。

たとえば「夢々物語」などの題名で、2次創作物が出回ったのだが、内容が痛烈な“幕政批判”にすり替わっているものが多かった。

――“大塩平八郎の乱”以来、批判に神経を尖らせる幕府。

「けしからん!身の程をわきまえず、ご政道(幕政)に異を唱えるとは!」
ここで、権威を第一に考える男、鳥居耀蔵が動きだす。

「調子に乗っている“蛮社”どもめ!懲らしめてくれる!」
蛮社”とは「南蛮の学問を学ぶ社中」。すなわち“蘭学勉強グループ”である。

鳥居は“マムシの耀蔵”という異名も持っている。
密偵を使った執念深い追跡を得意とする。ほどなく高野が著者として特定された。

――そして鳥居は“蛮社の獄”を出世競争にも利用する。

渡辺崋山は、幕府内の出世競争が理由で狙われたとの説がある。
三河田原藩の家老である渡辺は、本音では“開国”こそが日本を救うと考えていた人物である。

本来、幕政には関われない立場だが、豊富な蘭学の人脈がある。江戸湾の測量の際、江川英龍渡辺に、測量技術者を紹介してもらい、成果を挙げている。

鳥居は、“鎖国”という政策への意見を準備したことを咎め、渡辺を処罰の対象へと追い込んだ。


――天保の改革が本格化する中、江戸の街中でも鳥居耀蔵の監視が強まる。

老中水野忠邦の改革は“贅沢の禁止”から進められ、鳥居はその急先鋒となっていた。

「“マムシの耀蔵”の手下が、また、芝居小屋を見回ってやがる…」
庶民に対しても、娯楽を廃止し、緻密な監視による統制を行う。

「あれは“妖怪”ってもんだよ!」
江戸町人たちは、鳥居の密偵に怯えながらも陰口をたたいた。


――“妖怪”に立ち向かうのは、江戸・北町奉行である遠山“金四郎”景元

鳥居のやつめ!庶民のささやかな楽しみを奪いやがって。」
桜吹雪が疼くのかどうかは定かではない。

遠山金四郎は、片手で軽く肩を叩いた。
「この遠山が、好きなようにはさせねぇ!」
…しかし“遠山の金さん”は、なにも鳥居の屋敷に乗り込み、チャンバラをするわけではない。

極端な締め付けの政策に対して、現実的な修正案を作り上げ、老中水野忠邦説得する。これが遠山の闘いである。舞うのは“桜吹雪”ではなく、練り上げた“書類”である。
遠山の金さん”は「人情味がある庶民の味方!」…のエリート官僚だった。

――このように老中・水野忠邦は、いかにも出世した人物らしく、さまざまな部下を遣っていた。

監視や統制に有用な鳥居耀蔵
裁判上手で、将軍のお気に入り遠山金四郎
西洋の技術に通じ、人脈もある江川英龍…という具合である。

そして、執念深い鳥居はライバルを出し抜くため、次の一手を思案する。

(続く)
  


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2020年02月15日

第3話「西洋砲術」④-2

こんにちは。
以前、鍋島直正の師匠、古賀穀堂は「人を妬み、決断をせず、負け惜しみばかり」を佐賀に蔓延する“三つの病”と例えていました。

人間のの暗い部分は、何処にもあるようで、この頃、幕府では1つ目の病「人を妬む」の権化のような人物が暗躍を続けていました。


――1840年。アヘン戦争で清国がイギリスに大敗する。

「あの…清国が、エゲレスに負けた…」
東洋の大国、でもイギリスには全く敵わなかった。

この事実は、日本中の知識人に衝撃を与え、“西洋の脅威”への危機感はさらに強まった。
水野忠邦を中心として、江川英龍の“西洋砲術”への期待も大きくなっていく。

混沌とする政局の中、“妖怪”の異名を持つ、鳥居耀蔵主導権争いを仕掛ける。

――ここからは、長崎に密偵を差し向けるまでの、鳥居の“独り言”が続く。

まず、江川英龍が西洋砲術を身に着け、上役である水野忠邦に重用されるのが許せない。

「西洋の砲術か…たしかに長崎でしか学べぬのう。」

「しかし長崎豪奢で気に入らん。町衆どもの力は削いでおく必要がある。」

実際、長崎町役人には貿易に関わる特権があり、並みの大名より潤っている。
天保の改革は「贅沢の禁止」だけでなく「商人の力を抑える」ことも重視していた。

――そして、江戸北町奉行・遠山金四郎も気にくわない。

江戸では、こしゃくな遠山庶民と慣れ合って、こそこそ小細工をしておる。」

「そういえば、あやつの(実父)も長崎奉行であったな。」

遠山の実父・遠山景晋は、長崎奉行の経験者である。
フェートン号事件”に遭った奉行・松平康英の後、数年経ってから奉行を務めた。

次第に“気に入らない者”と“攻撃すべき対象”は一致してくる。
当時、西洋との貿易を独占する長崎は、都市の規模でも江戸大坂京都に継ぎ、日本随一国際都市だった。

――結論は、“蛮社の獄”と同様になった。

蘭学には用いるべき点もあるが、使っているどもが気にくわん。」

「新しい知識を鼻にかけ、公儀(幕府)を軽んじるなど言語同断!」

天保の改革は「経済を犠牲にしてでも、幕府権威を回復する」ことが目標。
鳥居耀蔵の次の狙いは長崎町役人高島秋帆と決まった。

当時、江戸南町奉行だった“マムシの耀蔵”。
西洋砲術”への注目で、力を持ち過ぎた高島を陥れる工作に動き出す。

老中・水野忠邦は、商人たちの勢いを抑えるのに苦心している。
許可を得られる確信を持った鳥居水野に面会するため江戸城に向かう。


――数か月後、高島秋帆邸の門前。ものものしく幕府の役人が詰めかける。

高島秋帆は実質的に、10万石大名並みの力を持っている。

御用の向きである。高島どのは居るか!」
足を運んでいるのも、普通の役人ではない。現代で言えば、検察特捜部が来ている。

高島!そちは、長崎会所不正な会計を行っていたであろう!」
「いえ、粗相(そそう)があれば、お示しください!お定めの通りのはずでござる!」

問答無用じゃ!不届き者、高島をひっ捕らえよ!」
こうして、武雄領鍋島茂義平山醇左衛門の師匠、高島秋帆は捕らえられた。

――古今、所属する組織の権力を、自分の力と考えてしまう者は多い。

鳥居は自分を重く用いることが幕府のためである…と信じて疑わない。
高島取り調べは、この儂が直々に行ってやろう。」

クックックッ…と含み笑いをする、鳥居
蘭学で図に乗っている外様(大名)も、いま一度、公儀にひれ伏させてやろう。」

いまや佐賀藩全体の砲術の師匠である高島秋帆
その捕縛は、武雄領、そして佐賀藩でも大問題となっていく。

(続く)
  


Posted by SR at 14:17 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」

2020年02月16日

第3話「西洋砲術」⑤

こんにちは。第3話西洋砲術」最終盤(⑤)の投稿です。
かなり辛いエピソードですが、全力で描きましたので、ぜひご覧ください。

⑤御船山の慟哭。そして、茂義の決意

――1842年。天保の薪水給与令。“異国船打払令”はいったん緩和される。

「“お上の慈悲”により、困っている外国船にも食料を与えて良い」という体裁が取られた。
国内の混乱が続く中、武装に勝る異国船との衝突を避ける意図があった。

日本の“西洋砲術”の第一人者・高島秋帆は、この年に捕えられる。

そして“マムシ”の異名を持つ鳥居耀蔵が、高島秋帆を直接取り調べる。
「そちは、密貿易で蓄えた資金で、公儀(幕府)に刃向かおうとしていたのであろう…ん、どうなのじゃ。」
帳簿を不正に操作し、辻褄を合わせていた…そういうことじゃろう?何とか言うてみよ!」

高島が申し開きをしても、もちろん鳥居は耳を貸さない。
この展開に、幕府の“開明派”たちも恐怖した。


――そして、鳥居の狙い通りに、幕府への忖度(そんたく)が蔓延する。

佐賀藩では、鍋島直正の影響力が届きづらい守旧派の家臣たちも勢いを盛り返す。
「過ぎたる“蘭癖”(西洋かぶれ)は、お家のでござる!万事元に戻すことです!」という具合である。

武雄領でも、高島の捕縛に関して、門下生・平山醇左衛門が取り調べられていた。

「そなたの存念はいかなるものか。」
「師匠・高島秋帆砲術を、遍(あまね)く広めること!」

痴れ者(しれもの)め!“罪人”の教えを広めると申すか!」
「わがは、高島先生とともにあり!」

「こやつ、主君への忠義よりも、の教えを守ると申すか!」
武雄の殿は“蘭癖”ゆえ、謀る(たばかる)のは容易でござった!」

ふだん温厚な平山が「これでもか!」と悪態をつく。

評議の結果、平山醇左衛門は「高島秋帆と結託し、主君を愚弄(ぐろう)した罪人」とされた。
武士の身分をはく奪されたうえで、処刑される方針が決まった。


――武雄領の屋敷。

鍋島茂義家来が、いつになく大声で問う。
「これでよいのでございますか!あれほど大事にしていた平山が…」

茂義は振り向かず、家来に言った。
「これ以上、何も申すな!」

平山は、茂義高島門下であることを含め、全ての不都合を一身にかぶろうとしていた。
領主こそ退いているが、茂義には武雄領を守り、佐賀藩に害が及ばないよう動く義務がある。

もはや万策が尽きていたのである。
茂義家来の問いかけには答えないが、その場を立ち去らずに止まっている。

その後ろ姿に、いつもの明朗さは感じられず、黒い影でも背負い込んだように重かった。


――こうして、平山の処刑は執行された。

武士道とは、死ぬことと見つけたり。」
佐賀武士の教典“葉隠”はそう伝える。

その日の刑場を見たものは、口々にこう言った。
平山の“”は、見事なものであった」と。

まず、刑を執行される平山が、泰然とした態度を崩さなかったこと。
そして、執行の手順も速やかで淀みがなく、見事な段取りであったこと。

処刑に関わる者すべてが“武士として為すべき動き”をしたと語られる。
不思議な事に“重罪人”処刑の風景は「一幅の美しい絵」のように賞賛された。


――皆が、平山醇左衛門の姿を忘れていなかった。

蘭学に打ち込み、砲術に励み、自分が得た知識を全力で皆に伝える
そして、誰よりも“武雄の殿”・茂義への忠義に厚い人物…

「少し出掛けるぞ!」
茂義家来に告げる。

「では、お供します!」
家来が応じる。

「ついて来んでいい!」
茂義はそのまま出立した。

御船山か…家来には察しがついた。
巨大な船舶を繋いだような切り立ったで、武雄の象徴的な風景である。


――御船山を見上げる茂義。山の岩肌の向こうに青空が見える。



茂義は大声で叫んだ。

平山!空から見ておるかっ!」

「平山、平山、平山平山…山平!決して儂を許すでないぞ!!」

「誰よりも厳しい目で儂を見つめておれ!」
よく通る声は、御船山に響き渡った。

茂義の目には、平山醇左衛門の残像が浮かぶ。
「…平山。なぜ、微笑んでおるのじゃ…儂を怒れ!儂を恨め!」」


――茂義の目に映る“御船山”の景色が、涙で霞んだ。

そして、濃い霧山影を包んでいった…。

「よし。が…お前になろう!」

茂義は、空に向かって、決意を言い放った。
「お前の代わりに砲術を極め、佐賀最強雄藩としてみせよう!」

「…そして、お前に代わって国を守ってやる!どうだ!それで良いか、平山っ!」

空に見える平山の残像は、やはり微笑んでいた。
そして、茂義に向かって笑みを浮かべたまま、その影は静かに薄れていった。


――この時1843年。浦賀にペリーの黒船が来航するまで、あと10年。

太平の眠り”と言うが、異国の脅威に気づいた佐賀藩は眠ってなどいなかった。
日本の近代化に向け、夜明け前を走り続けていたのである。

(次回:第4話「諸国遊学」に続く)  


Posted by SR at 11:13 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」