2019年12月31日
「佐賀の功績を語れ!」(独自色②)
こんにちは。
皆さま、令和元年の最終日はいかがお過ごしでしょうか。
今年は“平成”から“令和”に元号が変わった年でもありますね。
何やら2回目の年越しを迎えているような奇妙な気分です。
前回は“薩長土肥”という幕末の有力藩の括りで“名言”について検討してみました。今年の最終日は各藩の“功績”について考えてみます。
①薩摩藩…最強クラスの雄藩。幕府への協力路線から倒幕派へ。
幕末の主導権を取る。薩長同盟で明治維新を先導。
②長州藩…尊王攘夷運動の中心。幕府からの攻勢を逆転する。
過激に幕府方と戦い続ける。公家も巻き込み、倒幕を主導。
③土佐藩…藩主が将軍に大政奉還を建白し、幕府は政権を返上。
徳川と大名の会議による政治を目指す中立派。関係者が貿易でも活躍。
以上です。粗いまとめ方ですが、ご容赦ください。
――さて、佐賀藩をどう語るか…です。
佐賀藩にとって、重要なのは“世界”がどう見ているか。
最先端地域・長崎で養われた”国際感覚”です。
「国内で戦争をしている場合では無い!」というのが“殿”鍋島直正公の見解だったと思われます。
――戊辰戦争が始まってからの佐賀藩の主な動きは…
〇内戦(戊辰戦争)が起きてしまったので、佐賀藩は「戦いを拡大させず、早期に終わらせる」の1点に集中します。
ここで“幕末最強の軍事技術”太を投入。旧幕臣や東北諸藩の猛反撃を抑え込み、早期決着に貢献します。
〇西洋列強の介入を防ぐため「政権交代の正当性」を示し「近代国家の体制」を構築することが急務でした。
この部分で“幕末最高の実務能力”を投入。明治新政府を「諸外国から認められる国家」に作り上げていきます。
――「“薩長土肥”の肥前(佐賀)は何をしたのか?」との質問について
「佐賀藩の価値は、“旧時代を壊した”のではなく、“新時代を築いた”ところにある!」というのが1つの答えではないかと考えています。
――先ほどの①~③と同じ形にすると
④佐賀藩…倒幕後の内戦の終結に貢献。近代国家の体制を構築。
幕末から“世界”を意識。ひたすら“技術”と“能力”を磨き、日本の近代化を牽引した。
…という感じでどうでしょうか。
――今年の12月に入ってからブログを開始しました。
まだ1か月にも満たない期間ですが、想像の範囲を出ない話も含めて、色々と書き連ねてきました。
まずは「とにかく学ばねばならんのだ」という“殿”の言葉を胸に、来年も続けていきたいと思います。
…佐賀藩の“名言”は、このお言葉でも良いかもしれませんね。
いつもお読みいただいている皆様、ありがとうございます。
以上で、暮れのご挨拶に代えさせていただきたいと思います。
皆さま、令和元年の最終日はいかがお過ごしでしょうか。
今年は“平成”から“令和”に元号が変わった年でもありますね。
何やら2回目の年越しを迎えているような奇妙な気分です。
前回は“薩長土肥”という幕末の有力藩の括りで“名言”について検討してみました。今年の最終日は各藩の“功績”について考えてみます。
①薩摩藩…最強クラスの雄藩。幕府への協力路線から倒幕派へ。
幕末の主導権を取る。薩長同盟で明治維新を先導。
②長州藩…尊王攘夷運動の中心。幕府からの攻勢を逆転する。
過激に幕府方と戦い続ける。公家も巻き込み、倒幕を主導。
③土佐藩…藩主が将軍に大政奉還を建白し、幕府は政権を返上。
徳川と大名の会議による政治を目指す中立派。関係者が貿易でも活躍。
以上です。粗いまとめ方ですが、ご容赦ください。
――さて、佐賀藩をどう語るか…です。
佐賀藩にとって、重要なのは“世界”がどう見ているか。
最先端地域・長崎で養われた”国際感覚”です。
「国内で戦争をしている場合では無い!」というのが“殿”鍋島直正公の見解だったと思われます。
――戊辰戦争が始まってからの佐賀藩の主な動きは…
〇内戦(戊辰戦争)が起きてしまったので、佐賀藩は「戦いを拡大させず、早期に終わらせる」の1点に集中します。
ここで“幕末最強の軍事技術”太を投入。旧幕臣や東北諸藩の猛反撃を抑え込み、早期決着に貢献します。
〇西洋列強の介入を防ぐため「政権交代の正当性」を示し「近代国家の体制」を構築することが急務でした。
この部分で“幕末最高の実務能力”を投入。明治新政府を「諸外国から認められる国家」に作り上げていきます。
――「“薩長土肥”の肥前(佐賀)は何をしたのか?」との質問について
「佐賀藩の価値は、“旧時代を壊した”のではなく、“新時代を築いた”ところにある!」というのが1つの答えではないかと考えています。
――先ほどの①~③と同じ形にすると
④佐賀藩…倒幕後の内戦の終結に貢献。近代国家の体制を構築。
幕末から“世界”を意識。ひたすら“技術”と“能力”を磨き、日本の近代化を牽引した。
…という感じでどうでしょうか。
――今年の12月に入ってからブログを開始しました。
まだ1か月にも満たない期間ですが、想像の範囲を出ない話も含めて、色々と書き連ねてきました。
まずは「とにかく学ばねばならんのだ」という“殿”の言葉を胸に、来年も続けていきたいと思います。
…佐賀藩の“名言”は、このお言葉でも良いかもしれませんね。
いつもお読みいただいている皆様、ありがとうございます。
以上で、暮れのご挨拶に代えさせていただきたいと思います。
2019年12月30日
「佐賀の名言を探せ!」(独自色①)
こんにちは。
皆さま、暮れも押し詰まり、お忙しいでしょうか。
また、お休みできないお仕事の方、お疲れ様です。
さて、当ブログの”人物紹介編”もひとまず完結したので、思い付くままに進めていきます。
「佐賀の大河ドラマ」を考えるにあたり、佐賀以外の地域の人と話をするときに、佐賀藩のイメージが語りにくいという問題に直面しました。
“薩長土肥”という幕末の有力藩の括りでいうと、他の3藩はわかりやすいのです。
①薩摩藩…「天を敬い、人を愛す!」(敬天愛人)
西郷どん!キャラが確立しておりもすな。
まっこと、羨ましかことでごわす!
…鹿児島県の関係者の方、失礼しました。「西郷どん」(2018年)が記憶に新しい。主役の“鈴木亮平”氏は存在感がありました。
西郷の言葉といえばこれかなという選択です。
“迫田孝也”氏の江藤新平はもっと見たかったですね。
岩倉使節団の洋行から戻った大久保利通に対しても、ビシッと一言。
…そこで恨まれたのか!と妙な説得力がありました。
②長州藩…「君たち!狂いたまえ!」(狂うことも厭わず)
おっかないです、長州藩。
過激な尊攘思想で大暴れ。新選組との闘争は全国の幕末ファンを引き付けてます。
…山口県の関係者の方、ご容赦ください。「花燃ゆ」(2015年)がありましたね。
吉田松陰役の“伊勢谷友介”氏が先鋭な感じをよく醸し出していました。
ちなみに幕末に佐賀に来た吉田松陰は、賢人たちの師匠・枝吉神陽に会って「奇男子なり!」と衝撃を受けてます。
友人宛ての手紙には「実は自分もよく知らないのだが、とにかく凄い人がいるから九州に行ったら会っておけ!」と記したとか。
③土佐藩…「日本の夜明けぜよ!」(日本を洗濯し申し候)
もう「龍馬ぜよ!」だけで成立しますね。「龍馬伝」(2010年)です。
坂本龍馬がこれほど大人気となった理由は、明治16年から高知で連載された新聞小説に起因すると考えています。
当時、自由民権運動への利用があったわけですが、早めのイメージ戦略が重要ということです。
一方、明治16年と言えば、佐賀のヒーロー・江藤新平は“逆賊”扱いで、公に語ることも難しい状況です。
…途中から別の話題になってしまいました。高知県の関係者の方、お許しください。
でも“福山雅治”氏の龍馬は文句なしにカッコよかったです。高知だけでなく、龍馬が闊歩した長崎にも多くの観光客が訪れました。
長崎といえば、同時期に大隈重信も英学校を運営し、藩の密命を受けて貿易でガッチリ稼いだりしてます。
大隈は、平戸あたりで西郷・桂小五郎・高杉晋作とも密会しているので、龍馬とも面識はあったと推測します。
④佐賀藩…「(だだいま、検討中)」
いや、なんか一言でまとめられるセリフが無いんですよね。もう少し検討が必要だと考えてます。
〇候補1:「武士道とは、死ぬことと見つけたり」
…佐賀武士の教典“葉隠”の言葉です。
鍋島直正が鉄製大砲を創るプロジェクトの際に「命を絶つことは許さん。生きてやり遂げよ」と責任者を諭したのと表裏一体な気がします。
〇候補2:「ただ皇天后土のわが心を知るあるのみ」
…江藤新平が処刑の直前に、三度高唱した言葉。
“この大空と大地だけが私の心を知っている”って、美しくも悲し過ぎます。
「涙で前が見えない」こと間違いなしの場面と思われます。
〇候補3:「人間は希望によって生活している。希望そのものは人間の命である。」
…大隈重信が大学で語った言葉。
早稲田大学(東京専門学校)を創設した大隈重信は、学生たちに色々な言葉を贈っています。
幕末佐賀藩のストーリー全体を見ると言葉の重みが違ってくる気がします。
ちなみにNHK総合(佐賀)※で、本日30日深夜26:54~(31日午前2時54分)に「LIFE!」というコント番組の再放送が予定されています。
この中で、2021年大河ドラマに主演予定の“吉沢亮”氏が早稲田大学に憧れが強すぎる予備校生を演じます。
たしか、大隈先生の名言にも触れていたはず。
…この記憶は不確かです。概ね12時間後で深夜なので、私も録画して見てみます。
※地域によっては、時間帯が違うようです。ご興味のある方は番組表にてご確認ください。
皆さま、暮れも押し詰まり、お忙しいでしょうか。
また、お休みできないお仕事の方、お疲れ様です。
さて、当ブログの”人物紹介編”もひとまず完結したので、思い付くままに進めていきます。
「佐賀の大河ドラマ」を考えるにあたり、佐賀以外の地域の人と話をするときに、佐賀藩のイメージが語りにくいという問題に直面しました。
“薩長土肥”という幕末の有力藩の括りでいうと、他の3藩はわかりやすいのです。
①薩摩藩…「天を敬い、人を愛す!」(敬天愛人)
西郷どん!キャラが確立しておりもすな。
まっこと、羨ましかことでごわす!
…鹿児島県の関係者の方、失礼しました。「西郷どん」(2018年)が記憶に新しい。主役の“鈴木亮平”氏は存在感がありました。
西郷の言葉といえばこれかなという選択です。
“迫田孝也”氏の江藤新平はもっと見たかったですね。
岩倉使節団の洋行から戻った大久保利通に対しても、ビシッと一言。
…そこで恨まれたのか!と妙な説得力がありました。
②長州藩…「君たち!狂いたまえ!」(狂うことも厭わず)
おっかないです、長州藩。
過激な尊攘思想で大暴れ。新選組との闘争は全国の幕末ファンを引き付けてます。
…山口県の関係者の方、ご容赦ください。「花燃ゆ」(2015年)がありましたね。
吉田松陰役の“伊勢谷友介”氏が先鋭な感じをよく醸し出していました。
ちなみに幕末に佐賀に来た吉田松陰は、賢人たちの師匠・枝吉神陽に会って「奇男子なり!」と衝撃を受けてます。
友人宛ての手紙には「実は自分もよく知らないのだが、とにかく凄い人がいるから九州に行ったら会っておけ!」と記したとか。
③土佐藩…「日本の夜明けぜよ!」(日本を洗濯し申し候)
もう「龍馬ぜよ!」だけで成立しますね。「龍馬伝」(2010年)です。
坂本龍馬がこれほど大人気となった理由は、明治16年から高知で連載された新聞小説に起因すると考えています。
当時、自由民権運動への利用があったわけですが、早めのイメージ戦略が重要ということです。
一方、明治16年と言えば、佐賀のヒーロー・江藤新平は“逆賊”扱いで、公に語ることも難しい状況です。
…途中から別の話題になってしまいました。高知県の関係者の方、お許しください。
でも“福山雅治”氏の龍馬は文句なしにカッコよかったです。高知だけでなく、龍馬が闊歩した長崎にも多くの観光客が訪れました。
長崎といえば、同時期に大隈重信も英学校を運営し、藩の密命を受けて貿易でガッチリ稼いだりしてます。
大隈は、平戸あたりで西郷・桂小五郎・高杉晋作とも密会しているので、龍馬とも面識はあったと推測します。
④佐賀藩…「(だだいま、検討中)」
いや、なんか一言でまとめられるセリフが無いんですよね。もう少し検討が必要だと考えてます。
〇候補1:「武士道とは、死ぬことと見つけたり」
…佐賀武士の教典“葉隠”の言葉です。
鍋島直正が鉄製大砲を創るプロジェクトの際に「命を絶つことは許さん。生きてやり遂げよ」と責任者を諭したのと表裏一体な気がします。
〇候補2:「ただ皇天后土のわが心を知るあるのみ」
…江藤新平が処刑の直前に、三度高唱した言葉。
“この大空と大地だけが私の心を知っている”って、美しくも悲し過ぎます。
「涙で前が見えない」こと間違いなしの場面と思われます。
〇候補3:「人間は希望によって生活している。希望そのものは人間の命である。」
…大隈重信が大学で語った言葉。
早稲田大学(東京専門学校)を創設した大隈重信は、学生たちに色々な言葉を贈っています。
幕末佐賀藩のストーリー全体を見ると言葉の重みが違ってくる気がします。
ちなみにNHK総合(佐賀)※で、本日30日深夜26:54~(31日午前2時54分)に「LIFE!」というコント番組の再放送が予定されています。
この中で、2021年大河ドラマに主演予定の“吉沢亮”氏が早稲田大学に憧れが強すぎる予備校生を演じます。
たしか、大隈先生の名言にも触れていたはず。
…この記憶は不確かです。概ね12時間後で深夜なので、私も録画して見てみます。
※地域によっては、時間帯が違うようです。ご興味のある方は番組表にてご確認ください。
2019年12月29日
「大隈重信」(賢人その7)<後編>
こんばんは。
本日で人物紹介編は、ひとまず最終回。
大隈重信様の後編をお送りします。
<基礎情報>
・佐賀の七賢人で最年少。ポジティブ思考の“末っ子”は国民的人気者。
・明治初期に財政の責任者“大蔵卿”として通貨単位を“円”に定める。
・後に内閣総理大臣にも2回就任。聴衆を引き付ける演説に定評あり。

<エピソード>
・佐賀藩で“砲術”を担当する上級武士の家に生まれ、元気な子に育つ。
上が姉2人の長男。教育熱心だった母から強い期待を受ける。
・藩校では人気者過ぎて、寮の先輩たちが“大隈”の争奪戦を起こす。
大隈も退学となるが、かえって蘭学への道が開ける幸運に恵まれる。
・幕末に長崎で藩の英学校を運営し、尊王活動を行う他藩の志士と交流。
貿易や外国との交渉に関わり、新政府で活躍する道を開くことになる。

※大隈の生家(佐賀市水ケ江)
<キャラクター>
・藩校や枝吉神陽門下の先輩と関わる。母は来客への食事の提供を惜しまず
大隈家は優秀な先輩の溜まり場に。高いレベルでの学問が可能になった。
・明治政府で活躍する大隈の私邸も、政治家や官僚が集まる場となる。
政策の議論を大隈家で行うため客人は常に多数。妻が家を仕切り、活躍。
・先輩たちから様々な志を受け継いだ“末っ子”は日本の近代化に突き進む。
次々と現れる困難を乗り越え“国民”の希望を集める存在へと成長していく。
<象徴的な“お言葉”>
――同郷(佐賀)の先輩を失っても、陰謀で政府から追放されても、爆弾テロに遭っても…常に前向きな大隈の一言。
「人間、125才までは生きられるんである。」
…さすがに、その年齢には届きませんでしたが、大隈先生は長生きしました。
以上が、大隈 重信様についての報告です。
“超ポジティブな政治家”は、近代に目覚めた“国民”の人気者になります。
…ちなみに大隈様が政府を追放されたとき「誰も大隈に手を貸すな」と方々に圧力がかけられていました。
そのとき、手を差し伸べたのが、旧佐賀藩主・鍋島 直大様。
父である鍋島 直正様が亡くなる前に「大隈は我が家にとって大事な者。何かあれば助けよ」と遺言していたそうです。
徹底して内戦を避けるため、幕末の政局に関わらなかった“殿”鍋島 直正様。
若き日の大隈は、慎重な“殿”にイライラしていたようですが、このときに自分がどれほど愛され、期待されていたかを知ったことでしょう。
このように“佐賀の七賢人”は1つの物語でつながっていくような感覚を持っています。
本日で人物紹介編は、ひとまず最終回。
大隈重信様の後編をお送りします。
<基礎情報>
・佐賀の七賢人で最年少。ポジティブ思考の“末っ子”は国民的人気者。
・明治初期に財政の責任者“大蔵卿”として通貨単位を“円”に定める。
・後に内閣総理大臣にも2回就任。聴衆を引き付ける演説に定評あり。

<エピソード>
・佐賀藩で“砲術”を担当する上級武士の家に生まれ、元気な子に育つ。
上が姉2人の長男。教育熱心だった母から強い期待を受ける。
・藩校では人気者過ぎて、寮の先輩たちが“大隈”の争奪戦を起こす。
大隈も退学となるが、かえって蘭学への道が開ける幸運に恵まれる。
・幕末に長崎で藩の英学校を運営し、尊王活動を行う他藩の志士と交流。
貿易や外国との交渉に関わり、新政府で活躍する道を開くことになる。
※大隈の生家(佐賀市水ケ江)
<キャラクター>
・藩校や枝吉神陽門下の先輩と関わる。母は来客への食事の提供を惜しまず
大隈家は優秀な先輩の溜まり場に。高いレベルでの学問が可能になった。
・明治政府で活躍する大隈の私邸も、政治家や官僚が集まる場となる。
政策の議論を大隈家で行うため客人は常に多数。妻が家を仕切り、活躍。
・先輩たちから様々な志を受け継いだ“末っ子”は日本の近代化に突き進む。
次々と現れる困難を乗り越え“国民”の希望を集める存在へと成長していく。
<象徴的な“お言葉”>
――同郷(佐賀)の先輩を失っても、陰謀で政府から追放されても、爆弾テロに遭っても…常に前向きな大隈の一言。
「人間、125才までは生きられるんである。」
…さすがに、その年齢には届きませんでしたが、大隈先生は長生きしました。
以上が、大隈 重信様についての報告です。
“超ポジティブな政治家”は、近代に目覚めた“国民”の人気者になります。
…ちなみに大隈様が政府を追放されたとき「誰も大隈に手を貸すな」と方々に圧力がかけられていました。
そのとき、手を差し伸べたのが、旧佐賀藩主・鍋島 直大様。
父である鍋島 直正様が亡くなる前に「大隈は我が家にとって大事な者。何かあれば助けよ」と遺言していたそうです。
徹底して内戦を避けるため、幕末の政局に関わらなかった“殿”鍋島 直正様。
若き日の大隈は、慎重な“殿”にイライラしていたようですが、このときに自分がどれほど愛され、期待されていたかを知ったことでしょう。
このように“佐賀の七賢人”は1つの物語でつながっていくような感覚を持っています。
2019年12月28日
「大隈重信」(賢人その7)<前編>
こんばんは。
暮れも押し迫り、“七賢人”人物紹介編シリーズも、最終章に入りました。
賢人その7として、大隈重信様をご紹介します。
設定年代ですが、前回の江藤新平編から、10年ほど経過しています。当時、大隈様は“明治十四年の政変”で政府を追放されていました。
舞台は明治の東京です。

――こんにちは。大隈先生はいらっしゃいますか!
「ここにおる。来客中であるが、特に気遣いはいらんぞ。」
――来客中とは聞きましたが、ご本人から許可があったので、失礼します。
「貴君か。江藤さんから聞いておった。次に私のところに来るとな。まさか10年後とは思わなんだが。」
…江藤様からお聞きになっていましたか。
――お客人、ご歓談中に失礼します。
「構いませんよ。」
――はじめまして…あっ、この人知ってる。“一万円札”だ!福沢諭吉だ!
「福沢です。どうぞお気遣いなく。」
「今、我々は、日本の教育がどうあるべきかを語り合っておるのだ。」
「然り。大隈先生と私は同志である。」
「私たちは、同志であるんである!!私も大学を創ろうと思う!!」
「ハッハッハ。いつもの“大隈節”でござるな。」
「福沢先生も“侍言葉”が抜けきれんのぅ。」
――そうだ!お二人は“令和”の日本をどう思われますか?
「私からでも良いですか?」
…おおっ、福沢先生。何か深いお言葉が聞けそうだ。
「紙幣の“絵柄”だが、あれはどうしても変えなければならぬのですか?」
…なんと“一万円札”の話題か!たしかに変わっちゃいますね。
「福沢先生!その質問は無しですよ。私なんか、まだ“絵柄”になってないんである。」
…大隈先生まで。実は、気にされてましたか。
通貨単位を“円”に定めた人が、なぜ“お札の顔に”なってないのか。

※大隈重信記念館
――先生方、もう少し真面目な感じでお願いします。
「真面目な話をするとな。未来のことゆえ、私が口を挟むことではないと思うておる。」
…大隈先生。やはり、そうですか。
「しかしな、これだけは言っておく。」
…お伺いします。今後、どう動いていくべきかもありますので。
「たぶん貴君は失敗する、…随分と失敗するだろう。」
…まぁ、そうですよね。無謀なチャレンジであると心得てはいます。
「でも失敗を恐れなさんな。貴君も何か思うところがあって、ここまで来たのであろう。思うままやればよい。」
――大隈先生。お言葉、確かに受け取りました。
「では、私たちは所用があり、外出する。これで失礼するが、貴君はゆっくりしていきたまえ。」
――ふと思い付いたように、大隈先生が口を開いた。
「例の“政党”の結党大会を考えているのだ。」
「大隈先生、ついに議会政治に打って出るのですね。」
…政府から去るのと引き換えに議会の開設を約束させたんだったな。
転んでもタダでは起きない大隈先生。
「少し流儀は違うが、議会による政治は江藤さんが志していたことでもある。」
「私は、未だにあの一件だけは納得がいきません。処罰の手続きも方法も“近代国家の恥”と考えている。」
…“佐賀戦争”(佐賀の乱)のことだ。福沢先生は、戦いが起きた原因も政府側にあると認識していた。
「福沢先生。お気遣いありがたい。しかし、その言葉は身を危うくする。公にはせぬことだ。」
…そうだ。この時点では、江藤新平は反乱を起こした“逆賊”扱いをされていて、公に語れなかったのだ。
その功績が語られて来なかったのは、この間の扱われ方が影響していたのか。
「そうだ!“政党”の大会には、わが“慶応”の講堂を使ってください。門下生にも手伝わせます。」
「おお!それはありがたい!」
「お気遣いなく。私たちは同志である!」
「同志であるんである!!」
…例によって、大隈先生らしい言い回しが出ているな。
――遠ざかっていく両先生の背中を見ていた。
福沢先生、今後とも大隈先生をよろしくお願いします。
暮れも押し迫り、“七賢人”人物紹介編シリーズも、最終章に入りました。
賢人その7として、大隈重信様をご紹介します。
設定年代ですが、前回の江藤新平編から、10年ほど経過しています。当時、大隈様は“明治十四年の政変”で政府を追放されていました。
舞台は明治の東京です。
――こんにちは。大隈先生はいらっしゃいますか!
「ここにおる。来客中であるが、特に気遣いはいらんぞ。」
――来客中とは聞きましたが、ご本人から許可があったので、失礼します。
「貴君か。江藤さんから聞いておった。次に私のところに来るとな。まさか10年後とは思わなんだが。」
…江藤様からお聞きになっていましたか。
――お客人、ご歓談中に失礼します。
「構いませんよ。」
――はじめまして…あっ、この人知ってる。“一万円札”だ!福沢諭吉だ!
「福沢です。どうぞお気遣いなく。」
「今、我々は、日本の教育がどうあるべきかを語り合っておるのだ。」
「然り。大隈先生と私は同志である。」
「私たちは、同志であるんである!!私も大学を創ろうと思う!!」
「ハッハッハ。いつもの“大隈節”でござるな。」
「福沢先生も“侍言葉”が抜けきれんのぅ。」
――そうだ!お二人は“令和”の日本をどう思われますか?
「私からでも良いですか?」
…おおっ、福沢先生。何か深いお言葉が聞けそうだ。
「紙幣の“絵柄”だが、あれはどうしても変えなければならぬのですか?」
…なんと“一万円札”の話題か!たしかに変わっちゃいますね。
「福沢先生!その質問は無しですよ。私なんか、まだ“絵柄”になってないんである。」
…大隈先生まで。実は、気にされてましたか。
通貨単位を“円”に定めた人が、なぜ“お札の顔に”なってないのか。

※大隈重信記念館
――先生方、もう少し真面目な感じでお願いします。
「真面目な話をするとな。未来のことゆえ、私が口を挟むことではないと思うておる。」
…大隈先生。やはり、そうですか。
「しかしな、これだけは言っておく。」
…お伺いします。今後、どう動いていくべきかもありますので。
「たぶん貴君は失敗する、…随分と失敗するだろう。」
…まぁ、そうですよね。無謀なチャレンジであると心得てはいます。
「でも失敗を恐れなさんな。貴君も何か思うところがあって、ここまで来たのであろう。思うままやればよい。」
――大隈先生。お言葉、確かに受け取りました。
「では、私たちは所用があり、外出する。これで失礼するが、貴君はゆっくりしていきたまえ。」
――ふと思い付いたように、大隈先生が口を開いた。
「例の“政党”の結党大会を考えているのだ。」
「大隈先生、ついに議会政治に打って出るのですね。」
…政府から去るのと引き換えに議会の開設を約束させたんだったな。
転んでもタダでは起きない大隈先生。
「少し流儀は違うが、議会による政治は江藤さんが志していたことでもある。」
「私は、未だにあの一件だけは納得がいきません。処罰の手続きも方法も“近代国家の恥”と考えている。」
…“佐賀戦争”(佐賀の乱)のことだ。福沢先生は、戦いが起きた原因も政府側にあると認識していた。
「福沢先生。お気遣いありがたい。しかし、その言葉は身を危うくする。公にはせぬことだ。」
…そうだ。この時点では、江藤新平は反乱を起こした“逆賊”扱いをされていて、公に語れなかったのだ。
その功績が語られて来なかったのは、この間の扱われ方が影響していたのか。
「そうだ!“政党”の大会には、わが“慶応”の講堂を使ってください。門下生にも手伝わせます。」
「おお!それはありがたい!」
「お気遣いなく。私たちは同志である!」
「同志であるんである!!」
…例によって、大隈先生らしい言い回しが出ているな。
――遠ざかっていく両先生の背中を見ていた。
福沢先生、今後とも大隈先生をよろしくお願いします。
2019年12月27日
「江藤新平」(賢人その6)<後編>
こんばんは!
江藤新平様の人物紹介編の後編をお送りします。
<基礎情報>
・超高速で近代司法制度を確立。国民のための司法という姿勢を貫く。
・国学、洋学、漢学の全てに高い教養。しかも論理的で議論も隙なし。
・身分に関らず、人材を登用。逆に大物でも不正を起こせば許さず。

<エピソード>
・佐賀を脱藩し、幕末の京都で情勢を分析。公家や長州藩士と接触。
幕府や諸藩の軍事力で攘夷は不可能で、西洋に学ぶべきと説く。
・京都で培った人脈を活かし、佐賀藩の新政府軍への合流を先導。
幕府が江戸を開城する際、今後の行政や裁判に必要な書類を収集。
・司法制度だけでなく、廃藩置県の手順を練り、立法機関も整備。
大学教育の混乱も10日程度で解決し、教育分野は大木喬任に託す。
<キャラクター>
・下級藩士の出身で、貧乏な苦学生。佐賀藩校・弘道館の仲間と学ぶ。
枝吉神陽の門下で才能を磨く。先進的な価値観を持つ人物に成長。
・明治政府の主要人物が海外視察で留守中、日本の近代化を一気に進展。
正義感と才能が警戒され、佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇につながる。
・溢れる才能と行動力。明晰な頭脳と巧みな弁舌。実は剣の腕もたつ。
周囲の好悪の感情に気づかない欠点あり。弱者への視線は常に優しい。

※佐賀城・鯱の門。”佐賀戦争”の弾痕が残る。
<象徴的な“お言葉”>
――苦学生だった江藤。藩校の食費を払うのにも事欠く。空腹に耐えつつ学問を磨く。
「知恵は空腹より生ずる!しかし…腹が減った。」
…大隈さんの家に行って“八太郎くん”に勉強教えたら、食事が出ますよ。たぶん。
以上が、江藤 新平様についての報告です。
…江藤の先進性は、明治に入ったときから“国民のための司法”を目指している点や“近代国家の程度は女子の教育で決まる”との言葉にも見出せます。
最期が悲劇的過ぎましたが、江藤は“ヒーロー”と言ってよいと思っています。突出した才能と強すぎる正義感。やや空気が読めてないところが、魅力的な人物です。
一言でいうなら“才気溢れる立法家”でしょうか。そんな“よか男”江藤新平について、もっと語りたいのですが、今日はこの辺にしておきましょう。
江藤新平様の人物紹介編の後編をお送りします。
<基礎情報>
・超高速で近代司法制度を確立。国民のための司法という姿勢を貫く。
・国学、洋学、漢学の全てに高い教養。しかも論理的で議論も隙なし。
・身分に関らず、人材を登用。逆に大物でも不正を起こせば許さず。

<エピソード>
・佐賀を脱藩し、幕末の京都で情勢を分析。公家や長州藩士と接触。
幕府や諸藩の軍事力で攘夷は不可能で、西洋に学ぶべきと説く。
・京都で培った人脈を活かし、佐賀藩の新政府軍への合流を先導。
幕府が江戸を開城する際、今後の行政や裁判に必要な書類を収集。
・司法制度だけでなく、廃藩置県の手順を練り、立法機関も整備。
大学教育の混乱も10日程度で解決し、教育分野は大木喬任に託す。
<キャラクター>
・下級藩士の出身で、貧乏な苦学生。佐賀藩校・弘道館の仲間と学ぶ。
枝吉神陽の門下で才能を磨く。先進的な価値観を持つ人物に成長。
・明治政府の主要人物が海外視察で留守中、日本の近代化を一気に進展。
正義感と才能が警戒され、佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇につながる。
・溢れる才能と行動力。明晰な頭脳と巧みな弁舌。実は剣の腕もたつ。
周囲の好悪の感情に気づかない欠点あり。弱者への視線は常に優しい。

※佐賀城・鯱の門。”佐賀戦争”の弾痕が残る。
<象徴的な“お言葉”>
――苦学生だった江藤。藩校の食費を払うのにも事欠く。空腹に耐えつつ学問を磨く。
「知恵は空腹より生ずる!しかし…腹が減った。」
…大隈さんの家に行って“八太郎くん”に勉強教えたら、食事が出ますよ。たぶん。
以上が、江藤 新平様についての報告です。
…江藤の先進性は、明治に入ったときから“国民のための司法”を目指している点や“近代国家の程度は女子の教育で決まる”との言葉にも見出せます。
最期が悲劇的過ぎましたが、江藤は“ヒーロー”と言ってよいと思っています。突出した才能と強すぎる正義感。やや空気が読めてないところが、魅力的な人物です。
一言でいうなら“才気溢れる立法家”でしょうか。そんな“よか男”江藤新平について、もっと語りたいのですが、今日はこの辺にしておきましょう。
2019年12月26日
「江藤新平」(賢人その6)<前編>
こんばんは。
時折「良いお年を」との暮れの挨拶が飛び交う季節になりましたね。
さて、今回の“賢人その6”は、ややプレッシャーを感じています。
“佐賀の七賢人”の中で、最も熱烈なファンの多い方。
江藤新平様を紹介します。
さて、引き続き時代は明治初期。舞台は“東京”です。
このとき、江藤様は新政府の司法卿。
江戸時代の制度を、近代国家の司法に変換するという難業に当たっていました。
たとえば“町奉行所”を「裁判所」に変換するようなイメージです。
※さがレトロ館(明治時代の警察庁舎)
また、行政の課題解決においても、新政府に江藤様と並ぶ者はおらず、“困ったときの江藤頼み”の状況が伝えられています。
忙しい中でも、近代国家を支えていく人材を発掘すべく、江藤様はよく面接をしていたそうです。
優秀と判断すれば、書生として面倒を見たため、だいぶ出費も嵩んでいた様子。
一般の武士にとって、明治は就職難の時代。
江藤様に認められることは、官僚として活躍できるビックチャンスでした。
――司法省、玄関前にて。
「何者だ!」
…いきなり脅かさないでくださいよ。江藤先生にお会いするために参りました。
「失礼した。私は伊予(愛媛)宇和島出身。司法省の児島と申す。」
…児島様。丁寧なご挨拶、恐れ入ります。
「失礼を言うようだが、江藤先生は公平な選考をなさる。佐賀の方でも油断なさるな。」
…あれっ、いつの間にか面接の受験者扱いになってますね!?
「私が案内する!ついて来られよ。」
…児島様。真っ直ぐな方だ。
※洋館の廊下(長崎街道より)
――司法卿(大臣)、執務室前。
「江藤先生、失礼します!児島、入ります!」
「入りたまえ!」
…江藤様、声が通りますね。
――江藤先生、はじめまして。
「佐賀の者と聞いたが、初めてお目にかかるな。」
…いろいろと事情がございまして。
「君は本を読むか?」
…いきなり面接っぽい展開が来た!はい、わりと読みます。
「では、どんな本を読むか?」
…向き合ってみると、さらに声が通る!緊張で気後れするが、何か言わねば!
――そうだ。最近、“地方消滅”という本を読みました。
「その本で、君は何を得たか?」
…“東京一極集中”が国全体の利にならず、逆に日本を衰退させる恐れがあると。
そのため地方の中枢都市に若年人口を流出させない機能が必要と語った書でした!
「君は本の読み方が、少々浅いようだ。」
…うっ、痛いところを突かれました。
「そして司法省には向かぬようだ。不合格とさせてもらおう。」
…もともと面接を受けに来たのではないのですが、心理的ダメージ。
「だが、君は大隈と会ってみると良いかもしれぬな。何か得られる物があるだろう。」
…江藤様、頭の回転が早い。
「近日、会議で同席する予定があるゆえ、大隈には伝えておく。」
…お忙しいところ、ありがとうございました。
――玄関前。
「江藤先生は、お忙しいのだ。あまり時間が取れなかったが、気を悪くするな。」
…いえいえ、お話できただけで良かったです。児島様もありがとうございました。
江藤様は近代司法の制度を築いただけでなく、それを支える人材も育てていたんですね。
時折「良いお年を」との暮れの挨拶が飛び交う季節になりましたね。
さて、今回の“賢人その6”は、ややプレッシャーを感じています。
“佐賀の七賢人”の中で、最も熱烈なファンの多い方。
江藤新平様を紹介します。
さて、引き続き時代は明治初期。舞台は“東京”です。
このとき、江藤様は新政府の司法卿。
江戸時代の制度を、近代国家の司法に変換するという難業に当たっていました。
たとえば“町奉行所”を「裁判所」に変換するようなイメージです。
また、行政の課題解決においても、新政府に江藤様と並ぶ者はおらず、“困ったときの江藤頼み”の状況が伝えられています。
忙しい中でも、近代国家を支えていく人材を発掘すべく、江藤様はよく面接をしていたそうです。
優秀と判断すれば、書生として面倒を見たため、だいぶ出費も嵩んでいた様子。
一般の武士にとって、明治は就職難の時代。
江藤様に認められることは、官僚として活躍できるビックチャンスでした。
――司法省、玄関前にて。
「何者だ!」
…いきなり脅かさないでくださいよ。江藤先生にお会いするために参りました。
「失礼した。私は伊予(愛媛)宇和島出身。司法省の児島と申す。」
…児島様。丁寧なご挨拶、恐れ入ります。
「失礼を言うようだが、江藤先生は公平な選考をなさる。佐賀の方でも油断なさるな。」
…あれっ、いつの間にか面接の受験者扱いになってますね!?
「私が案内する!ついて来られよ。」
…児島様。真っ直ぐな方だ。

――司法卿(大臣)、執務室前。
「江藤先生、失礼します!児島、入ります!」
「入りたまえ!」
…江藤様、声が通りますね。
――江藤先生、はじめまして。
「佐賀の者と聞いたが、初めてお目にかかるな。」
…いろいろと事情がございまして。
「君は本を読むか?」
…いきなり面接っぽい展開が来た!はい、わりと読みます。
「では、どんな本を読むか?」
…向き合ってみると、さらに声が通る!緊張で気後れするが、何か言わねば!
――そうだ。最近、“地方消滅”という本を読みました。
「その本で、君は何を得たか?」
…“東京一極集中”が国全体の利にならず、逆に日本を衰退させる恐れがあると。
そのため地方の中枢都市に若年人口を流出させない機能が必要と語った書でした!
「君は本の読み方が、少々浅いようだ。」
…うっ、痛いところを突かれました。
「そして司法省には向かぬようだ。不合格とさせてもらおう。」
…もともと面接を受けに来たのではないのですが、心理的ダメージ。
「だが、君は大隈と会ってみると良いかもしれぬな。何か得られる物があるだろう。」
…江藤様、頭の回転が早い。
「近日、会議で同席する予定があるゆえ、大隈には伝えておく。」
…お忙しいところ、ありがとうございました。
――玄関前。
「江藤先生は、お忙しいのだ。あまり時間が取れなかったが、気を悪くするな。」
…いえいえ、お話できただけで良かったです。児島様もありがとうございました。
江藤様は近代司法の制度を築いただけでなく、それを支える人材も育てていたんですね。
2019年12月25日
「大木喬任」(賢人その5)<後編>
こんばんは!
今日もクリスマスで賑わう街に背を向け、七賢人が誇る“地味キャラ”
大木喬任様の人物紹介編の後編をお送りします。
ちなみに名前の読みは「おおき たかとう」です。
<基礎情報>
・読書量をそのまま実務能力として使える人。日本に義務教育を導入する。
・“江戸”を“東京”とすべく奔走。“東京府知事”として混乱期の首都を支える。
・派手な着物を好んだり、殴り合いに強い武闘派だったりと意外性あり。

<エピソード>
・“江戸”を首都“東京”とする際、“京都”と東西2つの都として
鉄道で結ぶ案を唱える。科学技術の先駆者“佐賀藩”らしい発想。
・日本の教育の近代化を進めた。国民皆学を目指し、学制を公布。
政府の中心に残り続けた理由の1つは、教育制度を完成するため。
・明治六年の政変で佐賀藩の仲間が去っても、新政府で耐える。
薩摩・長州とも調整をつけ、岩倉公も利用し、地道な努力は続く。
※佐賀藩・藩校「弘道館」記念碑
<キャラクター>
・寡黙で本を愛する。“床はすべて本棚”と言わんばかりの読書量。
大酒豪でもあるため、酒と本があれば、かなり幸せを感じられる。
・才能溢れる江藤の“相棒”。江藤の斬新なアイデアを実現するため
後を引き継いで、具体的な内容にしていく、手堅い実務能力を発揮。
・常に友のため奔走。幕末には江藤新平が京都に脱藩する資金を工面。
明治六年に下野し、悲劇に向かう江藤を止められず、一生の後悔となる。
<象徴的な“お言葉”>
――明治新時代。近代国家の建設に課題は山積み。どこでも江藤の能力が必要とされる。相棒・大木が放つ言葉。
「仕事の続きは、俺が請け負った!お前は、先に行け!」
…東京への“遷都”、教育制度の構築、司法の整備など…大体このパターンです。
以上が、大木 喬任様についての報告です。
…一言でいうと“努力を続ける教育家”です。
友のため必死になる真摯さ、怒らせると爆発する秘めたエネルギー、寡黙ではあるが派手さやこだわりもある。
描きようによっては、全く“地味”ではないポテンシャルを感じる方です。
今日もクリスマスで賑わう街に背を向け、七賢人が誇る“地味キャラ”
大木喬任様の人物紹介編の後編をお送りします。
ちなみに名前の読みは「おおき たかとう」です。
<基礎情報>
・読書量をそのまま実務能力として使える人。日本に義務教育を導入する。
・“江戸”を“東京”とすべく奔走。“東京府知事”として混乱期の首都を支える。
・派手な着物を好んだり、殴り合いに強い武闘派だったりと意外性あり。

<エピソード>
・“江戸”を首都“東京”とする際、“京都”と東西2つの都として
鉄道で結ぶ案を唱える。科学技術の先駆者“佐賀藩”らしい発想。
・日本の教育の近代化を進めた。国民皆学を目指し、学制を公布。
政府の中心に残り続けた理由の1つは、教育制度を完成するため。
・明治六年の政変で佐賀藩の仲間が去っても、新政府で耐える。
薩摩・長州とも調整をつけ、岩倉公も利用し、地道な努力は続く。

<キャラクター>
・寡黙で本を愛する。“床はすべて本棚”と言わんばかりの読書量。
大酒豪でもあるため、酒と本があれば、かなり幸せを感じられる。
・才能溢れる江藤の“相棒”。江藤の斬新なアイデアを実現するため
後を引き継いで、具体的な内容にしていく、手堅い実務能力を発揮。
・常に友のため奔走。幕末には江藤新平が京都に脱藩する資金を工面。
明治六年に下野し、悲劇に向かう江藤を止められず、一生の後悔となる。
<象徴的な“お言葉”>
――明治新時代。近代国家の建設に課題は山積み。どこでも江藤の能力が必要とされる。相棒・大木が放つ言葉。
「仕事の続きは、俺が請け負った!お前は、先に行け!」
…東京への“遷都”、教育制度の構築、司法の整備など…大体このパターンです。
以上が、大木 喬任様についての報告です。
…一言でいうと“努力を続ける教育家”です。
友のため必死になる真摯さ、怒らせると爆発する秘めたエネルギー、寡黙ではあるが派手さやこだわりもある。
描きようによっては、全く“地味”ではないポテンシャルを感じる方です。
2019年12月24日
「大木喬任」(賢人その5)<前編>
こんばんは。
本日はクリスマス・イブですね。
この華やかな日に“七賢人”の中で、最も“地味”と言われる方を紹介します。
賢人その5・大木喬任様です。
さて、時代は明治初期。舞台は“江戸”です。
幕府は朝廷に政権を返しているので、この時点の首都は”京都”。
このとき大木様は佐賀藩の命令を受けて、新政府と話をしています。
幕末までは、首都として大賑わいだった”江戸”の街…
明治になってからは、混乱が見え始めます。
この大都市が衰退するのは、日本全体にとってマズい。
かつて”江戸”に留学していた大木様は危機感を持ちます。
“江戸”を首都に、東の京、すなわち“東京”にしよう!と大木様の奮闘が始まります。
※洋風建築の内装(長崎街道より)
明治新政府の中心人物、岩倉 具視公のもとに出向く大木様。
“江戸”を新しい都にし、“京都”とあわせて、東西“2つの都”にしよう!という案。
練りに練った“意見書”を岩倉公に持参しますが…
「今、宴席の真っ只中じゃ。そこに置いていくがよい!」
…想いを込めた“ラブレター”を放置されたようなものです。
空回りして、落ち込む大木様。
その夜。江戸にある佐賀藩の屋敷に戻った大木様。
――ひと声かけてみます。大木様!お話を伺うのは、明日にした方が良いでしょうか?
「気遣い助かる!今日は一人で飲みたい気分だ!」
…大木様と言えば“酒”。
明日、また出直すことにします。

翌朝。
――大木様、本日はいかがでしょうか?あ…また酒、飲んでる。
「今日は、気持ちを切り替えるために飲んでおる!」
…はぁ、切り替えですか。
「また、頑張ることにするぞ!」
――玄関に人の気配が!
「大木くん、おるか!木戸じゃ!木戸 孝允じゃ。」
…長州藩のリーダー桂 小五郎だ!明治の頃には木戸 孝允と名乗っていた。
「何かご用ですか。」
…大木さん、無愛想はダメ。
「君の意見書は、江藤君と一緒に練り直したのか。大した内容じゃ!」
「読んでもらえましたか!」
「あぁ、岩倉様が読め!そして、大木に会いに行け!と言うものでな。」
…岩倉様。ちゃんと受け止めてたのね。いわゆる“ツンデレ”か。
――大木様。ちゃんと想いが届いて良かったですね。
「おぅ、良かった。」
…大木様は口数が少ない。
そして、”江戸”は”東京”と”なりました。
大木様はその後、”東京府”知事としても奮闘します。
そして岩倉公は、その能力に高い信頼を置くことになりました。
本日はクリスマス・イブですね。
この華やかな日に“七賢人”の中で、最も“地味”と言われる方を紹介します。
賢人その5・大木喬任様です。
さて、時代は明治初期。舞台は“江戸”です。
幕府は朝廷に政権を返しているので、この時点の首都は”京都”。
このとき大木様は佐賀藩の命令を受けて、新政府と話をしています。
幕末までは、首都として大賑わいだった”江戸”の街…
明治になってからは、混乱が見え始めます。
この大都市が衰退するのは、日本全体にとってマズい。
かつて”江戸”に留学していた大木様は危機感を持ちます。
“江戸”を首都に、東の京、すなわち“東京”にしよう!と大木様の奮闘が始まります。

明治新政府の中心人物、岩倉 具視公のもとに出向く大木様。
“江戸”を新しい都にし、“京都”とあわせて、東西“2つの都”にしよう!という案。
練りに練った“意見書”を岩倉公に持参しますが…
「今、宴席の真っ只中じゃ。そこに置いていくがよい!」
…想いを込めた“ラブレター”を放置されたようなものです。
空回りして、落ち込む大木様。
その夜。江戸にある佐賀藩の屋敷に戻った大木様。
――ひと声かけてみます。大木様!お話を伺うのは、明日にした方が良いでしょうか?
「気遣い助かる!今日は一人で飲みたい気分だ!」
…大木様と言えば“酒”。
明日、また出直すことにします。

翌朝。
――大木様、本日はいかがでしょうか?あ…また酒、飲んでる。
「今日は、気持ちを切り替えるために飲んでおる!」
…はぁ、切り替えですか。
「また、頑張ることにするぞ!」
――玄関に人の気配が!
「大木くん、おるか!木戸じゃ!木戸 孝允じゃ。」
…長州藩のリーダー桂 小五郎だ!明治の頃には木戸 孝允と名乗っていた。
「何かご用ですか。」
…大木さん、無愛想はダメ。
「君の意見書は、江藤君と一緒に練り直したのか。大した内容じゃ!」
「読んでもらえましたか!」
「あぁ、岩倉様が読め!そして、大木に会いに行け!と言うものでな。」
…岩倉様。ちゃんと受け止めてたのね。いわゆる“ツンデレ”か。
――大木様。ちゃんと想いが届いて良かったですね。
「おぅ、良かった。」
…大木様は口数が少ない。
そして、”江戸”は”東京”と”なりました。
大木様はその後、”東京府”知事としても奮闘します。
そして岩倉公は、その能力に高い信頼を置くことになりました。
2019年12月23日
「副島種臣」(賢人その4)<後編>
こんばんは!
今年も残り10日を切り、とっても気忙しいですね…。
そんな中ですが、副島種臣様の人物紹介編の後編をお送りします。
明治時代の終盤まで生き残り、“人格”で佐賀の存在感を示し続けた人です。
<基礎情報>
・高潔な人格者。薩摩の西郷隆盛や外国領事まで副島を信頼する。
・尊王のカリスマである兄(枝吉神陽)と自身を比較し謙虚。
・書に表れた人格が受け手に感銘を与える“超一流”の書家でもある。

<エピソード>
・佐賀藩は長崎に英学校を設立。宣教師は副島の優秀さを絶賛。
英語は初学者でも、合衆国憲法まで習得。学校の責任者も務める。
・明治初期には外務卿。日本に入港したマリア・ルス号で奴隷扱いの
清国人を解放。相手国からの裁判も勝利し、国際社会で高く評価。
・後に西南戦争が起きた際は、清国に滞在していたが、西郷隆盛から
遺言が送られた。副島への期待と「生き残れ」との内容が伝わる。
<キャラクター>
・佐賀藩内でも藩士からの信頼は絶大で、長崎での英学校設立の時は
年少の大隈重信から頼まれて代表に推挙。副島だと異論も出ない。
・尊王思想家の兄の影響で、公家よりも“天皇親政”の時代に詳しく
豊富な知識で、明治新政府の正当性を固め、組織体制も構築する。
・明治時代の半ば、天皇の侍講(先生)となる。薩摩・長州の藩閥に
警戒され辞職の意思を示すが、天皇から直筆の手紙で慰留される。
<象徴的な“お言葉”>
――佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇で、副島は自分を見失う。幕末に病死した兄を想い、つぶやく。
「…兄上、次郎(種臣)を叱ってくださいませ」
※兄・枝吉神陽
…晩年、副島は自分の語ることで正しいことは兄の言葉。誤りは自分の未熟さと語っていたそうです。
以上が、副島 種臣様についての報告です。
…卓越した語学力と豊富な学識を持つ、“信頼を集める外交官”です。
しかし、偉大すぎた兄への尊敬と劣等感は生涯変わらなかったそうです。
今年も残り10日を切り、とっても気忙しいですね…。
そんな中ですが、副島種臣様の人物紹介編の後編をお送りします。
明治時代の終盤まで生き残り、“人格”で佐賀の存在感を示し続けた人です。
<基礎情報>
・高潔な人格者。薩摩の西郷隆盛や外国領事まで副島を信頼する。
・尊王のカリスマである兄(枝吉神陽)と自身を比較し謙虚。
・書に表れた人格が受け手に感銘を与える“超一流”の書家でもある。
<エピソード>
・佐賀藩は長崎に英学校を設立。宣教師は副島の優秀さを絶賛。
英語は初学者でも、合衆国憲法まで習得。学校の責任者も務める。
・明治初期には外務卿。日本に入港したマリア・ルス号で奴隷扱いの
清国人を解放。相手国からの裁判も勝利し、国際社会で高く評価。
・後に西南戦争が起きた際は、清国に滞在していたが、西郷隆盛から
遺言が送られた。副島への期待と「生き残れ」との内容が伝わる。
<キャラクター>
・佐賀藩内でも藩士からの信頼は絶大で、長崎での英学校設立の時は
年少の大隈重信から頼まれて代表に推挙。副島だと異論も出ない。
・尊王思想家の兄の影響で、公家よりも“天皇親政”の時代に詳しく
豊富な知識で、明治新政府の正当性を固め、組織体制も構築する。
・明治時代の半ば、天皇の侍講(先生)となる。薩摩・長州の藩閥に
警戒され辞職の意思を示すが、天皇から直筆の手紙で慰留される。
<象徴的な“お言葉”>
――佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇で、副島は自分を見失う。幕末に病死した兄を想い、つぶやく。
「…兄上、次郎(種臣)を叱ってくださいませ」

…晩年、副島は自分の語ることで正しいことは兄の言葉。誤りは自分の未熟さと語っていたそうです。
以上が、副島 種臣様についての報告です。
…卓越した語学力と豊富な学識を持つ、“信頼を集める外交官”です。
しかし、偉大すぎた兄への尊敬と劣等感は生涯変わらなかったそうです。
2019年12月22日
「副島種臣」(賢人その4)<前編>
こんばんは。
“七賢人”人物紹介編シリーズを続けています。
賢人その4は、副島種臣様です。
今までの賢人(その1~3)の<前編>は、幕末の設定でお送りしていました。
そして黒船来航の“幕末”から時代は動き、”明治”へと移り変わっていきます。
“倒幕”に燃える薩長を中心として、戊辰戦争が起きました。
その始まりだった“鳥羽伏見の戦い”で、旧幕府方は敗走します。
その頃、日本の表玄関“長崎”でも、混乱が起きていました。
幕府の現地責任者である“長崎奉行”が逃亡してしまったのです。
こうして長崎は“無政府状態”になりました。
今回の人物紹介は、明治時代に入った直後の長崎が舞台です。
※長崎の“蒼い海”…
――副島様。長崎の平穏のため、ご多忙のところ失礼します。
「お気遣いなく。諸外国の領事には、概ね説明が終わりました。」
…紳士だ。ジェントルマンだ!
――ところで、副島様…あれっ?外が騒がしいですね…
「副島さん!異国の者が騒ぎゆうがじゃ!」
…おおっ、土佐の人か。今の長崎は、色々な藩が協力して運営してるのね。
「貴君。申し訳ないが、異国の者と話をせねばならぬ。少々、お時間をいただきたい。」
…いや、お仕事優先で。どうぞお気遣いなく。
※長崎街道沿いの旧家
――“長崎会議所”は奉行所の建物をそのまま使っているようです。
「副島と申す!お話をお伺いしよう。」
「ワレワレは、幕府と取引をシテイタ!新政府ってナンダ!?」
…そう来るか。
「日本の君主である天皇に、幕府が預っていた政権をお返ししたのだ。」
「良くワカラナイものと取引がデキルカ!?」
…まだ、信用されてないのね。明治新政府。
「政治の権限が正しく戻ったゆえ、日本の正当な政府である。」
「ソンナ話ハ知ルカ!納得デキナイ!」
…うわ~っ、何だかゴネてきた。
「では貴方は“日本”では取引を行わない!ということかな。」
…おおっ。副島さんが切り返した!
「ナンダト!?」
「貴国の者以外にも、幾らでも取引の相手はおるゆえ、お帰りあれ。」
…副島さん、今度は突き放した!
「ソレハ困ル…」
「正しい手続きで貿易をなさるならば、係の者の説明を聞くとよい。」
「ハイ…ワカリマシタ。」
…そして、歩み寄りを見せて、解決。
――副島様。お見事でした。実に毅然とした態度。
「それより話の途中に退席し、失礼した。」
…すごく気を遣ってくれるな。明治政府で一番の人格者という評判どおり。
――誰かが、走り込んでくる気配がする。
「副島さぁ!江戸から使者として参りもした!」
…今度は、薩摩の人か。
「おぬしの力が必要じゃ!新政府に来てたもんせ!」
――新政府にも副島様の評判が届いたのですね。
「貴君とは、充分お話ができなかったな。」
…いや、よく状況がわかりました。
本日は、ありがとうございました。
“七賢人”人物紹介編シリーズを続けています。
賢人その4は、副島種臣様です。
今までの賢人(その1~3)の<前編>は、幕末の設定でお送りしていました。
そして黒船来航の“幕末”から時代は動き、”明治”へと移り変わっていきます。
“倒幕”に燃える薩長を中心として、戊辰戦争が起きました。
その始まりだった“鳥羽伏見の戦い”で、旧幕府方は敗走します。
その頃、日本の表玄関“長崎”でも、混乱が起きていました。
幕府の現地責任者である“長崎奉行”が逃亡してしまったのです。
こうして長崎は“無政府状態”になりました。
今回の人物紹介は、明治時代に入った直後の長崎が舞台です。

――副島様。長崎の平穏のため、ご多忙のところ失礼します。
「お気遣いなく。諸外国の領事には、概ね説明が終わりました。」
…紳士だ。ジェントルマンだ!
――ところで、副島様…あれっ?外が騒がしいですね…
「副島さん!異国の者が騒ぎゆうがじゃ!」
…おおっ、土佐の人か。今の長崎は、色々な藩が協力して運営してるのね。
「貴君。申し訳ないが、異国の者と話をせねばならぬ。少々、お時間をいただきたい。」
…いや、お仕事優先で。どうぞお気遣いなく。

――“長崎会議所”は奉行所の建物をそのまま使っているようです。
「副島と申す!お話をお伺いしよう。」
「ワレワレは、幕府と取引をシテイタ!新政府ってナンダ!?」
…そう来るか。
「日本の君主である天皇に、幕府が預っていた政権をお返ししたのだ。」
「良くワカラナイものと取引がデキルカ!?」
…まだ、信用されてないのね。明治新政府。
「政治の権限が正しく戻ったゆえ、日本の正当な政府である。」
「ソンナ話ハ知ルカ!納得デキナイ!」
…うわ~っ、何だかゴネてきた。
「では貴方は“日本”では取引を行わない!ということかな。」
…おおっ。副島さんが切り返した!
「ナンダト!?」
「貴国の者以外にも、幾らでも取引の相手はおるゆえ、お帰りあれ。」
…副島さん、今度は突き放した!
「ソレハ困ル…」
「正しい手続きで貿易をなさるならば、係の者の説明を聞くとよい。」
「ハイ…ワカリマシタ。」
…そして、歩み寄りを見せて、解決。
――副島様。お見事でした。実に毅然とした態度。
「それより話の途中に退席し、失礼した。」
…すごく気を遣ってくれるな。明治政府で一番の人格者という評判どおり。
――誰かが、走り込んでくる気配がする。
「副島さぁ!江戸から使者として参りもした!」
…今度は、薩摩の人か。
「おぬしの力が必要じゃ!新政府に来てたもんせ!」
――新政府にも副島様の評判が届いたのですね。
「貴君とは、充分お話ができなかったな。」
…いや、よく状況がわかりました。
本日は、ありがとうございました。