2020年11月03日
「“連続ブログ小説”を試みる」
こんばんは。
当ブログを開始してから11か月ほどの期間が経過しました。
ほぼ毎日、連続して投稿できていたのは、当初の半年足らず。
最近では“2日に1度”の投稿ペースを意識しています。
――ご覧いただいている皆様のおかげで
当初の計画で目標とした、第1段階を達成できました。
かなり流動的ですが「佐賀 大河ドラマ」と検索した際、当ブログが1ページ目でヒットすることも増えてきています。
“本編”第1部「幕末黎明編」も、いよいよ大詰めです。第17話~第18話ぐらいで、1つの区切りにしたいと考えています。

――しかし、ここで幾つかの問題が
ごく当然の話ですが、私の能力は“佐賀の賢人たち”に遥かに及びません。
そのため“賢人たち”の活躍をリアルに再現するのは難しいです。
それを補うため、「大河ドラマ」の映像をイメージしてから、文章化しています。
投稿するエピソードによっては、かなり創作の要素が強い場合もあります。
「佐賀には、こんな凄い人もいた!」と感動しながら、その勢いで書く…というのが、よくあるパターンです。
――こうして、開始から1年近くが、経過した今…
流行のアニメから言葉を拝借すると“全集中”を繰り返し、少々息切れしています。私のブログのテーマだと、情報収集と文案作成に負荷がかかります。
但し“佐賀の賢人たち”の業績は豊富ですから、“ネタ切れ”の心配は無いようです。そのため、時間と体力の制約のみが厳しいところです。
――しばらく、更新を見合わせることも検討しました。
ここは“継続は力なり”と考え、“省エネ”で投稿できる方法を選択します。
私には“さがファンブログ”の先達各位のような、楽しい日記は書けません。
日常で面白いネタを確保することも困難です。
当ブログには唯一、私とその周辺を題材とした「望郷の剣」シリーズがあります。
これを応用して、何とか切り抜けます。
――「大河ドラマ」と並ぶ、NHKの看板番組のイメージで…
次回から連続ブログ小説「旅立の剣」を投稿します。
休養代わりの記事ですが、“本編”の補足も兼ねています。
昨秋、たった2日間の佐賀滞在の話。
一応、サブテーマは“挫折からの再生”としています。
当ブログを開始してから11か月ほどの期間が経過しました。
ほぼ毎日、連続して投稿できていたのは、当初の半年足らず。
最近では“2日に1度”の投稿ペースを意識しています。
――ご覧いただいている皆様のおかげで
当初の計画で目標とした、第1段階を達成できました。
かなり流動的ですが「佐賀 大河ドラマ」と検索した際、当ブログが1ページ目でヒットすることも増えてきています。
“本編”第1部「幕末黎明編」も、いよいよ大詰めです。第17話~第18話ぐらいで、1つの区切りにしたいと考えています。
――しかし、ここで幾つかの問題が
ごく当然の話ですが、私の能力は“佐賀の賢人たち”に遥かに及びません。
そのため“賢人たち”の活躍をリアルに再現するのは難しいです。
それを補うため、「大河ドラマ」の映像をイメージしてから、文章化しています。
投稿するエピソードによっては、かなり創作の要素が強い場合もあります。
「佐賀には、こんな凄い人もいた!」と感動しながら、その勢いで書く…というのが、よくあるパターンです。
――こうして、開始から1年近くが、経過した今…
流行のアニメから言葉を拝借すると“全集中”を繰り返し、少々息切れしています。私のブログのテーマだと、情報収集と文案作成に負荷がかかります。
但し“佐賀の賢人たち”の業績は豊富ですから、“ネタ切れ”の心配は無いようです。そのため、時間と体力の制約のみが厳しいところです。
――しばらく、更新を見合わせることも検討しました。
ここは“継続は力なり”と考え、“省エネ”で投稿できる方法を選択します。
私には“さがファンブログ”の先達各位のような、楽しい日記は書けません。
日常で面白いネタを確保することも困難です。
当ブログには唯一、私とその周辺を題材とした「望郷の剣」シリーズがあります。
これを応用して、何とか切り抜けます。
――「大河ドラマ」と並ぶ、NHKの看板番組のイメージで…
次回から連続ブログ小説「旅立の剣」を投稿します。
休養代わりの記事ですが、“本編”の補足も兼ねています。
昨秋、たった2日間の佐賀滞在の話。
一応、サブテーマは“挫折からの再生”としています。
2020年11月04日
連続ブログ小説「旅立の剣」(1)佐賀への旅立ち
こんばんは。
“文章の瞬発力”を鍛えたい意図もある、このシリーズ。
いつもより短い文章を投稿していきます。
初見の皆様にもご説明します。「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と決意し、密かに活動を始めたころの話です。
このシリーズは、表向きはサラリーマンの…佐賀藩士(?)が、情報収集のため奔走した2日間の記録です。
――2019年(令和元年)初夏。
私は周到に準備を始めた。
手元には、10月のカレンダー。
「ここだ。ここしかない。」
この週末だけは、必ず休みを取る…
きっと様々な障壁があるだろう。
しかし、外してはならない。
この機会を逃せば、計画(夜明け)は1年後れるのだ。
――乾いた街で続いた消耗戦…
気付けば、私も歳をとった。
ここ数年、身を削って仕事に打ち込んできた。
ある意味で‟戦って”はいたのかもしれない。
いったい何が残ったというのか。

――空っぽになった気持ち。
心を満たすものは、遠く離れた故郷・佐賀にある。
遡ること5か月ほど前。時代が平成から令和に変わる直前。
私は、佐賀に新たな価値を見出していた。
(続く)
〔関連記事(後半):「慈雨の剣」〕
“文章の瞬発力”を鍛えたい意図もある、このシリーズ。
いつもより短い文章を投稿していきます。
初見の皆様にもご説明します。「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と決意し、密かに活動を始めたころの話です。
このシリーズは、表向きはサラリーマンの…佐賀藩士(?)が、情報収集のため奔走した2日間の記録です。
――2019年(令和元年)初夏。
私は周到に準備を始めた。
手元には、10月のカレンダー。
「ここだ。ここしかない。」
この週末だけは、必ず休みを取る…
きっと様々な障壁があるだろう。
しかし、外してはならない。
この機会を逃せば、計画(夜明け)は1年後れるのだ。
――乾いた街で続いた消耗戦…
気付けば、私も歳をとった。
ここ数年、身を削って仕事に打ち込んできた。
ある意味で‟戦って”はいたのかもしれない。
いったい何が残ったというのか。
――空っぽになった気持ち。
心を満たすものは、遠く離れた故郷・佐賀にある。
遡ること5か月ほど前。時代が平成から令和に変わる直前。
私は、佐賀に新たな価値を見出していた。
(続く)
〔関連記事(後半):
2020年11月05日
連続ブログ小説「旅立の剣」(2)バスターミナルにて
こんばんは。
にわかに始まった「連続ブログ小説」です。淡々と続きます。
2019年10月。
ある金曜日の朝。時刻は10:30を回った。
雲行きはあやしくも、明るさを残す空。
ほどよい潤いを含んだ風が、清々しい。
――佐賀駅前に降り立った。
計画どおり、午前中の佐賀入りを果たす。
まず、第一段階は成功と言って良い。
私が佐賀で活動できる時間は限られる。
可能な限り、迅速な行動を要す。
――駅前バスターミナルへの移動。
私を出迎えたのは“賢人たち”の案内板だった。
やはり佐賀は、私の期待に応えてくれるようだ。
ターミナルが日常である人は、おそらく気に留めない。
日々が積もれば、ただのバス乗り場の表示。何も不思議はない。

――佐賀は故郷だが、私には“非日常”の世界。
2018年の“さが幕末維新博”。
その盛況は伝え聞くのみ。「行きたかった!」と悔やむばかりだった。
佐賀から遠い不利、ピークを外した悲しみ。
逆説的だが、これらは私の“強み”になり得る。
(続く)
〔関連記事(中盤):「“麒麟(きりん)”とともに走る」〕
にわかに始まった「連続ブログ小説」です。淡々と続きます。
2019年10月。
ある金曜日の朝。時刻は10:30を回った。
雲行きはあやしくも、明るさを残す空。
ほどよい潤いを含んだ風が、清々しい。
――佐賀駅前に降り立った。
計画どおり、午前中の佐賀入りを果たす。
まず、第一段階は成功と言って良い。
私が佐賀で活動できる時間は限られる。
可能な限り、迅速な行動を要す。
――駅前バスターミナルへの移動。
私を出迎えたのは“賢人たち”の案内板だった。
やはり佐賀は、私の期待に応えてくれるようだ。
ターミナルが日常である人は、おそらく気に留めない。
日々が積もれば、ただのバス乗り場の表示。何も不思議はない。
――佐賀は故郷だが、私には“非日常”の世界。
2018年の“さが幕末維新博”。
その盛況は伝え聞くのみ。「行きたかった!」と悔やむばかりだった。
佐賀から遠い不利、ピークを外した悲しみ。
逆説的だが、これらは私の“強み”になり得る。
(続く)
〔関連記事(中盤):
2020年11月06日
連続ブログ小説「旅立の剣」(3)流れる景色を
こんばんは。
本シリーズでは、1年ちょっと前の話をお送りしています。
2019年10月の金曜日。佐賀駅到着から30分ほどが経過。
時刻は、午前の11:00を回った。
――場所は、佐賀駅前バスターミナル。
私は“早津江”行きのバスを待っていた。
佐賀は故郷だが、いまの私には“遠征”である。
そのため、私は荷物を背負って移動する。
目的地に向かうバスは30分に1本程度だ。

――各地行きのバスが乗り場を周回する。
ターミナルという名に、ふさわしい光景。
待ち時間に、次からの行動を算段する。
私が“早津江”に向かうのは、佐野常民の足跡をたどるため。
佐賀藩が、近代化の先駆けだったことが体感できるはずだ。
――バスの車窓に流れていく景色。
私の目に写る景色は、大都市圏とは異なっていた。
沿道が“栄えている”と言い張るのは強弁だろう。
だが、何やらホッとする感覚がある。
この落ち着きを保ったまま、佐賀が力を取り戻す日を想った。
(続く)
〔関連記事(写真):「望郷の剣2」〕
本シリーズでは、1年ちょっと前の話をお送りしています。
2019年10月の金曜日。佐賀駅到着から30分ほどが経過。
時刻は、午前の11:00を回った。
――場所は、佐賀駅前バスターミナル。
私は“早津江”行きのバスを待っていた。
佐賀は故郷だが、いまの私には“遠征”である。
そのため、私は荷物を背負って移動する。
目的地に向かうバスは30分に1本程度だ。
――各地行きのバスが乗り場を周回する。
ターミナルという名に、ふさわしい光景。
待ち時間に、次からの行動を算段する。
私が“早津江”に向かうのは、佐野常民の足跡をたどるため。
佐賀藩が、近代化の先駆けだったことが体感できるはずだ。
――バスの車窓に流れていく景色。
私の目に写る景色は、大都市圏とは異なっていた。
沿道が“栄えている”と言い張るのは強弁だろう。
だが、何やらホッとする感覚がある。
この落ち着きを保ったまま、佐賀が力を取り戻す日を想った。
(続く)
〔関連記事(写真):
2020年11月07日
連続ブログ小説「旅立の剣」(4)早津江の嵐
こんばんは。
わずか2日間。30時間にも満たない短い滞在。
佐賀での調査活動の様子を綴る“連続ブログ小説”です。
昨秋10月の、ある金曜日。時刻は11:40を過ぎた。
私は、早津江行きのバスから下車した。
――ポッ、ポッと降っていた雨。
雨の勢いが増した頃、バス停に降りた私。
バス停の名は「“佐野常民”記念館」の最寄りを示すが、施設は見当たらない。
田園風景の中、徒歩での移動を開始したとき、雨足が強まる。
雨だけならまだしも、風の吹く音も響いてきた。

――まず、退避できる場所を探さねば…
疾風の勢いに乗り、横殴りとなった雨。どしゃ降りの域に達する。
傘を盾として雨を受けるが、かなりの風圧を感じる。
幕末と言えば“蒸気船”だが、当時は、帆走での航海が併用された。
海軍力に長じた佐賀藩。先人たちも風を読む力を学んだのだろう。
――後ろからの追い風。傘を強く叩く雨。
まるで“嵐の幕末”だが、このまま濡れ続けるのも不本意だ。
私は退避できる場所を見つけ、身を隠した。
「秋雨も良いが、これは度が過ぎているな…」と一息をつく。
降りしきる雨の向こう側。“佐野常民”記念館の建物は、眼前に現れていた。
(続く)
〔関連記事(後半):第12話「海軍伝習」⑩-1(負けんばい!・前編)〕
わずか2日間。30時間にも満たない短い滞在。
佐賀での調査活動の様子を綴る“連続ブログ小説”です。
昨秋10月の、ある金曜日。時刻は11:40を過ぎた。
私は、早津江行きのバスから下車した。
――ポッ、ポッと降っていた雨。
雨の勢いが増した頃、バス停に降りた私。
バス停の名は「“佐野常民”記念館」の最寄りを示すが、施設は見当たらない。
田園風景の中、徒歩での移動を開始したとき、雨足が強まる。
雨だけならまだしも、風の吹く音も響いてきた。
――まず、退避できる場所を探さねば…
疾風の勢いに乗り、横殴りとなった雨。どしゃ降りの域に達する。
傘を盾として雨を受けるが、かなりの風圧を感じる。
幕末と言えば“蒸気船”だが、当時は、帆走での航海が併用された。
海軍力に長じた佐賀藩。先人たちも風を読む力を学んだのだろう。
――後ろからの追い風。傘を強く叩く雨。
まるで“嵐の幕末”だが、このまま濡れ続けるのも不本意だ。
私は退避できる場所を見つけ、身を隠した。
「秋雨も良いが、これは度が過ぎているな…」と一息をつく。
降りしきる雨の向こう側。“佐野常民”記念館の建物は、眼前に現れていた。
(続く)
〔関連記事(後半):
2020年11月08日
連続ブログ小説「旅立の剣」(5)雨に打たれても
こんばんは。
「佐野常民記念館入口」バス停から、同施設までは徒歩5分とあります。
ほぼ1年前の訪問時、この短い道のりも、風雨に見舞われて長く感じました。
――“佐野常民記念館”にたどり着いた。時刻は12時前。
私が玄関口に着いたときには、雨でずぶ濡れだった。
「…こんにちは。」
見渡す範囲では、現在の訪問者は私1人。とくに不思議はない。平日(金曜)でもあるし、この天気だ。
私の風体では佐賀への出張ついでに立ち寄ったと見えるだろうか。“佐野常民記念館”も目的地の1つだが、このスケジュールを決めた要因は別にあった。
――外は引き続き、雨。
雨天の場合、屋外での“三重津海軍所跡”の見学はできない様子だ。天気が回復しないときは、施設内を見学次第、すぐに市街地へ戻る事も考える。
帰りのバスの時刻を確認した。私の活動時間は限られる一方、佐賀で調査すべきポイントは多い。佐賀での一刻には、非常に重みがあるのだ。

――そんな思案を始めたところ、スタッフの方から声がかかる。
「まずは、こちらにどうぞ。」
“みえつドームシアター”に案内される。半球体状の映像空間だ。
こうして私1人に向けた“幕末佐賀藩の海軍物語”の上映が始まった。
「おおっ!いきなり、こう来たか…」
朝から移動し続け、雨にも降られたが、肝心の調査はこれからだ。
(続く)
「佐野常民記念館入口」バス停から、同施設までは徒歩5分とあります。
ほぼ1年前の訪問時、この短い道のりも、風雨に見舞われて長く感じました。
――“佐野常民記念館”にたどり着いた。時刻は12時前。
私が玄関口に着いたときには、雨でずぶ濡れだった。
「…こんにちは。」
見渡す範囲では、現在の訪問者は私1人。とくに不思議はない。平日(金曜)でもあるし、この天気だ。
私の風体では佐賀への出張ついでに立ち寄ったと見えるだろうか。“佐野常民記念館”も目的地の1つだが、このスケジュールを決めた要因は別にあった。
――外は引き続き、雨。
雨天の場合、屋外での“三重津海軍所跡”の見学はできない様子だ。天気が回復しないときは、施設内を見学次第、すぐに市街地へ戻る事も考える。
帰りのバスの時刻を確認した。私の活動時間は限られる一方、佐賀で調査すべきポイントは多い。佐賀での一刻には、非常に重みがあるのだ。
――そんな思案を始めたところ、スタッフの方から声がかかる。
「まずは、こちらにどうぞ。」
“みえつドームシアター”に案内される。半球体状の映像空間だ。
こうして私1人に向けた“幕末佐賀藩の海軍物語”の上映が始まった。
「おおっ!いきなり、こう来たか…」
朝から移動し続け、雨にも降られたが、肝心の調査はこれからだ。
(続く)
2020年11月09日
連続ブログ小説「旅立の剣」(6)ささやかな幸福
こんばんは。
「幕末佐賀藩を大河ドラマで見たい!」と発心した私。昨秋、佐賀での取材を開始した頃の話です。
私の周りに「なんと無意味なことを!」と言う人はいませんでした。ただ、呆気に取られていただけ…という可能性は残ります。
最初の目的地は“佐野常民記念館”。屋外は降りしきる雨。他に来館者の姿はなく、私のためだけに“みえつドームシアター”の上映が始まります。
――船底から煽るように見上げる、大型の艦船。
長さ45.5メートルの船体がリアルに迫ってくる。
映し出されるのは、佐賀藩海軍の主力艦・“電流丸”。
“電流丸”は、佐賀藩がオランダから購入した蒸気船。アメリカに渡った幕府の“咸臨丸”と同じく、スクリュー推進式の新鋭艦だった。
――空を舞う、鳥の目も用いて“電流丸”を眺める。
有明海の干満の差を利用して船を曳き込み、整備を行う“ドライドック”の紹介。西洋の技術だけでなく、日本古来の工法も活きているのが渋い。
佐賀藩は、国産初の実用蒸気船“凌風丸”を建造した。有明の海を駆け回った小型蒸気船。蒸気機関の修繕も自力で行えるのが、佐賀の強みだった。

――この映像が見られるだけでも、ここまで来た甲斐はあった…
ささやかな幸福感に浸る私に吉報が続く。
「雨、止んだみたいですよ。」
風雨は治まり、曇り空が広がる。
私は「見えない世界遺産」“三重津海軍所跡”を見聞する機会を得た。
(続く)
〔関連記事(後半):「主に伊万里市民の方を対象にしたつぶやき」〕
「幕末佐賀藩を大河ドラマで見たい!」と発心した私。昨秋、佐賀での取材を開始した頃の話です。
私の周りに「なんと無意味なことを!」と言う人はいませんでした。ただ、呆気に取られていただけ…という可能性は残ります。
最初の目的地は“佐野常民記念館”。屋外は降りしきる雨。他に来館者の姿はなく、私のためだけに“みえつドームシアター”の上映が始まります。
――船底から煽るように見上げる、大型の艦船。
長さ45.5メートルの船体がリアルに迫ってくる。
映し出されるのは、佐賀藩海軍の主力艦・“電流丸”。
“電流丸”は、佐賀藩がオランダから購入した蒸気船。アメリカに渡った幕府の“咸臨丸”と同じく、スクリュー推進式の新鋭艦だった。
――空を舞う、鳥の目も用いて“電流丸”を眺める。
有明海の干満の差を利用して船を曳き込み、整備を行う“ドライドック”の紹介。西洋の技術だけでなく、日本古来の工法も活きているのが渋い。
佐賀藩は、国産初の実用蒸気船“凌風丸”を建造した。有明の海を駆け回った小型蒸気船。蒸気機関の修繕も自力で行えるのが、佐賀の強みだった。
――この映像が見られるだけでも、ここまで来た甲斐はあった…
ささやかな幸福感に浸る私に吉報が続く。
「雨、止んだみたいですよ。」
風雨は治まり、曇り空が広がる。
私は「見えない世界遺産」“三重津海軍所跡”を見聞する機会を得た。
(続く)
〔関連記事(後半):
2020年11月10日
連続ブログ小説「旅立の剣」(7)時を超える“双眼鏡”
こんばんは。
昨秋に実行した、佐賀での調査活動を綴るシリーズを続けています。
時刻は、正午を回り12:10頃。
雨が止んだ“早津江”の地。世界文化遺産“三重津海軍所跡”の見学が可能になった。記念館の外に出ると、湿気を含んだ風を感じる。
――見学のスタートに立つ。私には“みえつスコープ”が貸与された。
これが「見えない世界遺産」を見るための道具。
いわば“時を超える双眼鏡”を手に取り、施設スタッフの方と話す。
「あれほどの雨が止むとは…ここまで来た甲斐がありました。」
「わざわざ海軍所の見学に、佐賀まで?」
「佐賀の出身なので、気になってましてね。」
スタッフの方も“あぁ、なるほど”と言った表情を見せた。

――利用者の来所のきっかけは、施設が抑えておきたいところ。
経過は失念したが、私が“佐賀に戻る可能性”についての話となる。
「そう簡単には戻れませんね。あるいは…」
…私の想いから出た言葉は伏せておく。それは、施設の方にも予想外の一言だったはずだ。
生活の基盤が定まれば、拠点となる土地からは離れがたい。私の来歴では、郷里に帰ることは容易ではない。今までは、そこに思い至ることすら無かった。
――大都市圏には、様々な経緯で地方から人が集まる。
“巻き取っていく”と形容しても良いかもしれない。もちろん都会生活に馴染み、帰りたくない人が多数いるのは事実だろう。
逆に“望郷の想い”を抱く者にも、郷里に帰る道は険しいようだ。そんな記憶が過(よ)ぎる中、スタッフの方から“みえつスコープ”の使い方の説明を受けた。
この時を超える双眼鏡で、本当に強かった佐賀の姿は見えるのだろうか。
(続く)
〔関連記事:「発心の剣」〕
昨秋に実行した、佐賀での調査活動を綴るシリーズを続けています。
時刻は、正午を回り12:10頃。
雨が止んだ“早津江”の地。世界文化遺産“三重津海軍所跡”の見学が可能になった。記念館の外に出ると、湿気を含んだ風を感じる。
――見学のスタートに立つ。私には“みえつスコープ”が貸与された。
これが「見えない世界遺産」を見るための道具。
いわば“時を超える双眼鏡”を手に取り、施設スタッフの方と話す。
「あれほどの雨が止むとは…ここまで来た甲斐がありました。」
「わざわざ海軍所の見学に、佐賀まで?」
「佐賀の出身なので、気になってましてね。」
スタッフの方も“あぁ、なるほど”と言った表情を見せた。
――利用者の来所のきっかけは、施設が抑えておきたいところ。
経過は失念したが、私が“佐賀に戻る可能性”についての話となる。
「そう簡単には戻れませんね。あるいは…」
…私の想いから出た言葉は伏せておく。それは、施設の方にも予想外の一言だったはずだ。
生活の基盤が定まれば、拠点となる土地からは離れがたい。私の来歴では、郷里に帰ることは容易ではない。今までは、そこに思い至ることすら無かった。
――大都市圏には、様々な経緯で地方から人が集まる。
“巻き取っていく”と形容しても良いかもしれない。もちろん都会生活に馴染み、帰りたくない人が多数いるのは事実だろう。
逆に“望郷の想い”を抱く者にも、郷里に帰る道は険しいようだ。そんな記憶が過(よ)ぎる中、スタッフの方から“みえつスコープ”の使い方の説明を受けた。
この時を超える双眼鏡で、本当に強かった佐賀の姿は見えるのだろうか。
(続く)
〔関連記事:
2020年11月12日
連続ブログ小説「旅立の剣」(8)“見た目”より中身
こんばんは。前回の続きです。
「見えない世界遺産」と呼ばれる三重津海軍所跡では、仮想現実(バーチャルリアリティ)で当時の姿が映し出される仕組みです。
見学場所ごとに“みえつスコープ”を装着。施設の方から解説もありました。
目で見て、耳で聞き、風に触れる…幕末の佐賀が、すぐ傍に感じられます。
――“時を超える双眼鏡”から見える景色。
今は何もない“稽古場”の跡。ここで、佐賀藩士たちは欧米列強に対抗する力を得るべく、鉄製大砲や新式銃の訓練に勤しんだことだろう。
漂うのは火薬の匂いか。西洋式銃砲の威力は、幕末の動乱期に最後の輝きを見せた刀槍の時代を終わらせた。
幕末、佐賀藩士は近代化を目指して技術開発に打ち込んだ。サムライたちの努力は、その時代の終焉へとつながっていく。

――“スコープ”を構えると、読込時間があって映像が展開する。
蒸気船の“修覆場”の製造ライン、木造の小屋が見える。ボイラ-製造など近代的な金属加工の場。建物の見た目は…最先端ではない。
ふと、“さがんもん”の気質に思い当たる。佐賀藩は倹約を大事にした。最新鋭の砲兵部隊でさえ野袴を着用したと聞く。技術は一流でも見た目は質素だ。
おそらく佐賀人は無い物ねだりをしない。いま使えるもので何とかするのだ。
説明も「確かな情報」を重視する印象だ。“観光向き”の派手な幕末ではない。
――“見た目”より中身が大事。それも佐賀らしくはある。
まだ、三重津海軍所で躍動する佐野常民(栄寿)の姿は見えて来ない。それが、その時点での私の力量でもあった。
スタッフの方の説明に集中する。その言葉は、佐野先生のものと思うべきだ。
「まずは情報の収集だ。然(しか)る後に“大河ドラマ”のイメージに変換する!」
船屋地区(船の停泊)→稽古場地区(海軍の訓練)→修覆場地区(洋式船の修理)と見学は進む。記念館に戻り、私は施設スタッフの方に“ある質問”をした。
(続く)
〔関連記事:「佐野常民」(賢人その2)<前編>〕
※“本編”の開始前に“佐賀七賢人”のキャラクターを把握するために書いていたシリーズです。当時は、佐野常民編が一番描きづらかった…という記憶があります。
「見えない世界遺産」と呼ばれる三重津海軍所跡では、仮想現実(バーチャルリアリティ)で当時の姿が映し出される仕組みです。
見学場所ごとに“みえつスコープ”を装着。施設の方から解説もありました。
目で見て、耳で聞き、風に触れる…幕末の佐賀が、すぐ傍に感じられます。
――“時を超える双眼鏡”から見える景色。
今は何もない“稽古場”の跡。ここで、佐賀藩士たちは欧米列強に対抗する力を得るべく、鉄製大砲や新式銃の訓練に勤しんだことだろう。
漂うのは火薬の匂いか。西洋式銃砲の威力は、幕末の動乱期に最後の輝きを見せた刀槍の時代を終わらせた。
幕末、佐賀藩士は近代化を目指して技術開発に打ち込んだ。サムライたちの努力は、その時代の終焉へとつながっていく。
――“スコープ”を構えると、読込時間があって映像が展開する。
蒸気船の“修覆場”の製造ライン、木造の小屋が見える。ボイラ-製造など近代的な金属加工の場。建物の見た目は…最先端ではない。
ふと、“さがんもん”の気質に思い当たる。佐賀藩は倹約を大事にした。最新鋭の砲兵部隊でさえ野袴を着用したと聞く。技術は一流でも見た目は質素だ。
おそらく佐賀人は無い物ねだりをしない。いま使えるもので何とかするのだ。
説明も「確かな情報」を重視する印象だ。“観光向き”の派手な幕末ではない。
――“見た目”より中身が大事。それも佐賀らしくはある。
まだ、三重津海軍所で躍動する佐野常民(栄寿)の姿は見えて来ない。それが、その時点での私の力量でもあった。
スタッフの方の説明に集中する。その言葉は、佐野先生のものと思うべきだ。
「まずは情報の収集だ。然(しか)る後に“大河ドラマ”のイメージに変換する!」
船屋地区(船の停泊)→稽古場地区(海軍の訓練)→修覆場地区(洋式船の修理)と見学は進む。記念館に戻り、私は施設スタッフの方に“ある質問”をした。
(続く)
〔関連記事:
※“本編”の開始前に“佐賀七賢人”のキャラクターを把握するために書いていたシリーズです。当時は、佐野常民編が一番描きづらかった…という記憶があります。
2020年11月15日
連続ブログ小説「旅立の剣」(9)想いを語るとき
おはようございます。
当ブログの主題・佐賀、物語を動かす舞台・長崎には、なかなか足を運ぶことが叶わず、それでも、今できる方法で“取材活動”を続けています。
…なお、昨日は“取材”に出ていたため、今日は朝に更新しております。
――昨秋。佐野常民記念館。時刻は13:00。
幸運にも雨が上がって、屋外での“三重津海軍所跡”の見学を終えた私。続いて、館内2Fの佐野常民記念館・展示室に立ち寄る。
最初、雨に濡れて入館した私を、施設スタッフの方が気遣ったのか、見学ルートは通常の順路と異なっていたようだ。
「ナマコのような男…」
明治期、ある人物が佐野常民を評した言葉だ。
――この言葉、最初は佐野先生への悪口かと思った。
しかし、真意はこうだった。
「叩いても、捻っても、ナマコは変じることは無い。」
「…佐野常民は頑固者だ。その信念を曲げることはできない。」
概ね、このような解釈らしい。
佐賀では、七賢人(八賢人)の1人として知られる佐野常民。
「調べるほどに応援したくなる人物。」と評する研究者の方もいる。

――日本赤十字社の創設をはじめ、様々な仕事を成し遂げた佐野常民。
一風変わった佐野の行動。最初のうちは苦笑することがあっても、だんだんと「負けるな!常民!」という気分になるらしい。
…まったく同感なので、私も“本編”で表現していきたい。
佐野常民(栄寿)の業績は、赤十字社だけではない。
蒸気機関の開発、近代海軍の創設、万国博への出展、洋式燈台の設置、内国博で京都の復興、日本美術の保護…
佐野先生は、とにかく頑張った人なのだ。
――2Fの佐野常民記念館・展示室、出入り口に戻る。
偶然、スタッフの方々が集まっていたので、私は挨拶をする。
「ありがとうございました。大変、勉強になりました。」
スタッフの皆様も「それは、良かった!」という反応。
ここで、私は心に留めていた言葉を続けた。
「これだけ業績があるのに、なぜ佐賀は“大河ドラマ”にならないんでしょうか。」
(続く)
〔関連記事:「佐賀の功績を語れ!」(独自色②)〕
※投稿の時期は昨年の年末(大晦日)。幕末の雄藩「薩長土肥」のそれぞれの業績をなるべくシンプルに表して、その比較で“肥前”佐賀藩の功績をどう描くか…を考えたときの投稿です。
当ブログの主題・佐賀、物語を動かす舞台・長崎には、なかなか足を運ぶことが叶わず、それでも、今できる方法で“取材活動”を続けています。
…なお、昨日は“取材”に出ていたため、今日は朝に更新しております。
――昨秋。佐野常民記念館。時刻は13:00。
幸運にも雨が上がって、屋外での“三重津海軍所跡”の見学を終えた私。続いて、館内2Fの佐野常民記念館・展示室に立ち寄る。
最初、雨に濡れて入館した私を、施設スタッフの方が気遣ったのか、見学ルートは通常の順路と異なっていたようだ。
「ナマコのような男…」
明治期、ある人物が佐野常民を評した言葉だ。
――この言葉、最初は佐野先生への悪口かと思った。
しかし、真意はこうだった。
「叩いても、捻っても、ナマコは変じることは無い。」
「…佐野常民は頑固者だ。その信念を曲げることはできない。」
概ね、このような解釈らしい。
佐賀では、七賢人(八賢人)の1人として知られる佐野常民。
「調べるほどに応援したくなる人物。」と評する研究者の方もいる。
――日本赤十字社の創設をはじめ、様々な仕事を成し遂げた佐野常民。
一風変わった佐野の行動。最初のうちは苦笑することがあっても、だんだんと「負けるな!常民!」という気分になるらしい。
…まったく同感なので、私も“本編”で表現していきたい。
佐野常民(栄寿)の業績は、赤十字社だけではない。
蒸気機関の開発、近代海軍の創設、万国博への出展、洋式燈台の設置、内国博で京都の復興、日本美術の保護…
佐野先生は、とにかく頑張った人なのだ。
――2Fの佐野常民記念館・展示室、出入り口に戻る。
偶然、スタッフの方々が集まっていたので、私は挨拶をする。
「ありがとうございました。大変、勉強になりました。」
スタッフの皆様も「それは、良かった!」という反応。
ここで、私は心に留めていた言葉を続けた。
「これだけ業績があるのに、なぜ佐賀は“大河ドラマ”にならないんでしょうか。」
(続く)
〔関連記事:
※投稿の時期は昨年の年末(大晦日)。幕末の雄藩「薩長土肥」のそれぞれの業績をなるべくシンプルに表して、その比較で“肥前”佐賀藩の功績をどう描くか…を考えたときの投稿です。
2020年11月16日
連続ブログ小説「旅立の剣」(10)雲を掴むことさえも
こんばんは。
連続ブログ小説の第1シリーズ「佐野常民記念館 編」のラストです。
…気楽な昨秋の旅日記のはずが、思いのほか長編になっています。ひとまず、区切りを入れようかと思案しています。
――「何故、幕末佐賀藩が“大河ドラマ”にならないか?」
これは聞かれて困る質問かもしれない。施設スタッフの皆様は、NHKの関係者ではないだろう。
しかし、この話はわりと盛り上がるのである。
「いろいろ試みはありますが、なかなか難しいようですよ。」
最近の大きい“試み”は、2018年の“さが幕末維新博”だろう。一方、草の根での地道な活動もある様子。以前から“志”ある方々は走り続けているのだ。
――「雲を掴む」ような話。私に“何ができるか”はわからない。
ここで、やや使い古された感のある言い回しが頭をよぎる。
「大事なのは、できるかどうかではない。やるかやらないか」なのだ。
まず全国的な知名度の問題がある。実際の活躍に比べ、佐賀藩士たちの足跡が、テレビの歴史番組で語られることはほとんど無い。
その問題を乗り越えるカギは、やはりあの方だろう。次に“どこを目指すか”は、明確になった。
通貨単位“円”を定め、早稲田大学を創設、2度の総理大臣…大隈重信侯だ。

――バスの到着まで、あと20分ばかり。まだ館内での時間はある。
スタッフの方々に御礼を述べる。そして、私の決意も語った。
「期待をするだけでは駄目ですね。私自身でも動いてみます。」
2時間ばかり佐野常民記念館(三重津海軍所跡)に滞在していたが、まだ見学していないフロアがある。
「まだ…バスまでの時間があるので、3階を見学してきます!」
私は可笑しな訪問者だったと思うが、話の始終、スタッフの方々は笑顔だった。
――慌ただしい滞在…、だが机上の資料とは違う充実感がある。
残り時間は貴重だ。3階への階段を駆け上がる。全力をもって展示物の見聞を行った。たとえ“速習”でも、佐賀藩の躍動を体感しておく必要がある。
タイムリミットが来た。佐野常民記念館の1階に降りる。
そこでスタッフの方の1人と、玄関でお会いした。
先ほどの私との会話をふまえて、最後に一声をかけてくれた。
「“大河ドラマ”の実現には10年かかる…と聞くこともありますね。」
――私は、その言葉を「道のりは険しいが、実現はできる」と受け取った。
「ありがとうございます。私なりに進んでみますよ。」
日々思うに任せぬ事が多い。しかし私は“自由”な立場で行動することもできる。
晴れやかな気持ちで、市街地に戻るバス停に向かう。いわば“聖地”である佐賀で、取材を行うことの意味を噛みしめる。だが、この旅は、まだこれからだった。
(“第2シリーズ”に続く)
連続ブログ小説の第1シリーズ「佐野常民記念館 編」のラストです。
…気楽な昨秋の旅日記のはずが、思いのほか長編になっています。ひとまず、区切りを入れようかと思案しています。
――「何故、幕末佐賀藩が“大河ドラマ”にならないか?」
これは聞かれて困る質問かもしれない。施設スタッフの皆様は、NHKの関係者ではないだろう。
しかし、この話はわりと盛り上がるのである。
「いろいろ試みはありますが、なかなか難しいようですよ。」
最近の大きい“試み”は、2018年の“さが幕末維新博”だろう。一方、草の根での地道な活動もある様子。以前から“志”ある方々は走り続けているのだ。
――「雲を掴む」ような話。私に“何ができるか”はわからない。
ここで、やや使い古された感のある言い回しが頭をよぎる。
「大事なのは、できるかどうかではない。やるかやらないか」なのだ。
まず全国的な知名度の問題がある。実際の活躍に比べ、佐賀藩士たちの足跡が、テレビの歴史番組で語られることはほとんど無い。
その問題を乗り越えるカギは、やはりあの方だろう。次に“どこを目指すか”は、明確になった。
通貨単位“円”を定め、早稲田大学を創設、2度の総理大臣…大隈重信侯だ。
――バスの到着まで、あと20分ばかり。まだ館内での時間はある。
スタッフの方々に御礼を述べる。そして、私の決意も語った。
「期待をするだけでは駄目ですね。私自身でも動いてみます。」
2時間ばかり佐野常民記念館(三重津海軍所跡)に滞在していたが、まだ見学していないフロアがある。
「まだ…バスまでの時間があるので、3階を見学してきます!」
私は可笑しな訪問者だったと思うが、話の始終、スタッフの方々は笑顔だった。
――慌ただしい滞在…、だが机上の資料とは違う充実感がある。
残り時間は貴重だ。3階への階段を駆け上がる。全力をもって展示物の見聞を行った。たとえ“速習”でも、佐賀藩の躍動を体感しておく必要がある。
タイムリミットが来た。佐野常民記念館の1階に降りる。
そこでスタッフの方の1人と、玄関でお会いした。
先ほどの私との会話をふまえて、最後に一声をかけてくれた。
「“大河ドラマ”の実現には10年かかる…と聞くこともありますね。」
――私は、その言葉を「道のりは険しいが、実現はできる」と受け取った。
「ありがとうございます。私なりに進んでみますよ。」
日々思うに任せぬ事が多い。しかし私は“自由”な立場で行動することもできる。
晴れやかな気持ちで、市街地に戻るバス停に向かう。いわば“聖地”である佐賀で、取材を行うことの意味を噛みしめる。だが、この旅は、まだこれからだった。
(“第2シリーズ”に続く)
2020年11月24日
連続ブログ小説「旅立の剣」(11)再びバスターミナル
こんばんは。
前回の記事で思い至った今年の残り日数。本日を含め、38日。
ひとまず年内完了を目指している企画を進めます。昨秋、コロナ禍の影も無かった時期。当ブログの“聖地”佐賀での、主に御城下を巡る旅路の記録です。
――14:00頃に“早津江”方面から、市街地に向かうバスに乗る。
時間にして、40分ほどかかったか。
出立から4時間足らず、佐賀駅前バスターミナルに戻る。
すでに1日乗車券は入手した。これで終日、佐賀市営バスを味方に引き込んだも同然である。私は自在に動くことができる。
――佐賀への到着から、ひたすらに動き続ける。
佐野常民記念館は、市街地からは少し離れている。親戚と会ったり、法事に行ったりという、通常の帰省だと見学時間が取りづらい。
「先に遠方の施設から回ったのは、良い判断だった…」
私は自画自賛を行った。周到に準備した今回の帰省。取材に特化した単独行動に設定した。この場面、自分で褒めねば、誰も褒めてはくれない。

――すぐに体勢を整え、次の目的地に向かう必要がある。
“えきマチ1丁目”を抜ける。佐賀城下での拠点とも思う場所。飲食店のほか、土産物コーナーが充実する。飲食・物産とも素材が良いのが、佐賀の地力だ。
ドラックストアも何かと便利。そして、積文館書店には、佐賀の歴史に関する書籍が揃う。ここで違和感を感じた人もいるだろう…これは1年前の世界の話だ。(※文末に注釈あり)
――15:00頃。近隣の宿への手続きを済ませる。
ひと息を付く暇(いとま)など無い。記念館などの施設は、閉館時間というリミットがある。大半の荷物を降ろし、いくぶん軽装となった。
これで、また動き出せる。いざ、佐賀が誇る明治の傑物・大隈重信の生家へ。
大隈重信記念館を通るバスを見定め、飛び乗ったのである。
(続く)
〔参照記事(冒頭):第4話「諸国遊学」⑥〕
※残念ながら、積文館書店・佐賀駅店は、2020年3月に閉店しています。年明けからのコロナ禍で、最後に立ち寄ることもできずショックでした。
前回の記事で思い至った今年の残り日数。本日を含め、38日。
ひとまず年内完了を目指している企画を進めます。昨秋、コロナ禍の影も無かった時期。当ブログの“聖地”佐賀での、主に御城下を巡る旅路の記録です。
――14:00頃に“早津江”方面から、市街地に向かうバスに乗る。
時間にして、40分ほどかかったか。
出立から4時間足らず、佐賀駅前バスターミナルに戻る。
すでに1日乗車券は入手した。これで終日、佐賀市営バスを味方に引き込んだも同然である。私は自在に動くことができる。
――佐賀への到着から、ひたすらに動き続ける。
佐野常民記念館は、市街地からは少し離れている。親戚と会ったり、法事に行ったりという、通常の帰省だと見学時間が取りづらい。
「先に遠方の施設から回ったのは、良い判断だった…」
私は自画自賛を行った。周到に準備した今回の帰省。取材に特化した単独行動に設定した。この場面、自分で褒めねば、誰も褒めてはくれない。
――すぐに体勢を整え、次の目的地に向かう必要がある。
“えきマチ1丁目”を抜ける。佐賀城下での拠点とも思う場所。飲食店のほか、土産物コーナーが充実する。飲食・物産とも素材が良いのが、佐賀の地力だ。
ドラックストアも何かと便利。そして、積文館書店には、佐賀の歴史に関する書籍が揃う。ここで違和感を感じた人もいるだろう…これは1年前の世界の話だ。(※文末に注釈あり)
――15:00頃。近隣の宿への手続きを済ませる。
ひと息を付く暇(いとま)など無い。記念館などの施設は、閉館時間というリミットがある。大半の荷物を降ろし、いくぶん軽装となった。
これで、また動き出せる。いざ、佐賀が誇る明治の傑物・大隈重信の生家へ。
大隈重信記念館を通るバスを見定め、飛び乗ったのである。
(続く)
〔参照記事(冒頭):
※残念ながら、積文館書店・佐賀駅店は、2020年3月に閉店しています。年明けからのコロナ禍で、最後に立ち寄ることもできずショックでした。
2020年11月26日
連続ブログ小説「旅立の剣」(12)雨の“水ケ江”を行く
こんばんは。
再び走り始めた“連続ブログ小説”…初めてご覧の方に説明しましょう。ひとことで言えば昨秋、私が佐賀を駆け回った、旅路の記録です。
まだ、コロナ禍の無かった1年前の自由な“空気感”が見て取れると思います。
――15:30頃。佐賀市営バスで“水ケ江”の地に到着する。
バス停は大隈重信記念館前。次の目的地も間近である。
バスを降りると、またポツポツと雨が降り始めた。私が佐賀に帰るとき雨の降る描写が多いが、これは偶然である。とくに、雨を呼ぶ力を体得した覚えはない。
「ふーっ。」
深呼吸をした。少し疲れを感じる。走り続けられるほど、若くもない。
――ここも市街地の中心部に近いが、大都市圏とは空気感が異なる。
いわゆる住宅地。一筋ばかり、道を間違えた。くるりと転換し歩みを進める。ほどなく、大隈重信記念館の立派な門構えが私を出迎えた。
「こんにちは。」
雨を避けられる屋根がありがたい。受付に挨拶をする。

――全国的には、早稲田大学の創設者として著名な大隈重信。
受付の奥に見える限り、同窓会館の事務局のような機能も兼ねる様子だ。早大の卒業生たちが集う行事も多いのだろう。
大隈先生は、自分の家に人が集まるのが大好きだったと聞く。
「お若いの。雨の中、よく来たな。」
何だか、そう言われた心地がする…私も歳を取ったが、大隈先生からすれば、おそらくは、まだまだ現世で活動できる私は“若者”であるのかもしれない。
(続く)
〔参照記事:「大隈重信」(賢人その7)<前編>〕
※“本編”の開始前に、“佐賀七賢人”のキャラクターを把握するために書いたシリーズ(創作)です。私は、大隈先生を「日本史上で、最も国民から愛された人物の1人」と捉えていますので、どうしても遊び心が強めの描写になります。もし、関係者の方がご覧になっていましたら、色々とご容赦ください。
再び走り始めた“連続ブログ小説”…初めてご覧の方に説明しましょう。ひとことで言えば昨秋、私が佐賀を駆け回った、旅路の記録です。
まだ、コロナ禍の無かった1年前の自由な“空気感”が見て取れると思います。
――15:30頃。佐賀市営バスで“水ケ江”の地に到着する。
バス停は大隈重信記念館前。次の目的地も間近である。
バスを降りると、またポツポツと雨が降り始めた。私が佐賀に帰るとき雨の降る描写が多いが、これは偶然である。とくに、雨を呼ぶ力を体得した覚えはない。
「ふーっ。」
深呼吸をした。少し疲れを感じる。走り続けられるほど、若くもない。
――ここも市街地の中心部に近いが、大都市圏とは空気感が異なる。
いわゆる住宅地。一筋ばかり、道を間違えた。くるりと転換し歩みを進める。ほどなく、大隈重信記念館の立派な門構えが私を出迎えた。
「こんにちは。」
雨を避けられる屋根がありがたい。受付に挨拶をする。
――全国的には、早稲田大学の創設者として著名な大隈重信。
受付の奥に見える限り、同窓会館の事務局のような機能も兼ねる様子だ。早大の卒業生たちが集う行事も多いのだろう。
大隈先生は、自分の家に人が集まるのが大好きだったと聞く。
「お若いの。雨の中、よく来たな。」
何だか、そう言われた心地がする…私も歳を取ったが、大隈先生からすれば、おそらくは、まだまだ現世で活動できる私は“若者”であるのかもしれない。
(続く)
〔参照記事:
※“本編”の開始前に、“佐賀七賢人”のキャラクターを把握するために書いたシリーズ(創作)です。私は、大隈先生を「日本史上で、最も国民から愛された人物の1人」と捉えていますので、どうしても遊び心が強めの描写になります。もし、関係者の方がご覧になっていましたら、色々とご容赦ください。
2020年11月27日
連続ブログ小説「旅立の剣」(13)“砲術長”のご子息
こんばんは。
昨秋。金曜からの1泊2日の行程で佐賀での取材を行いました。決定的に時間が不足しており、走り続けることを余儀なくされます。
…ただ、疲れてきて始めて「見える姿、聞こえる声」もあるのかもしれません。
――右側からの視線を感じて、私は向き直った。
「貴君。今日はあいにくの雨だが、ゆっくりしていくと良い。」
そう語らんばかりの大隈先生、老成したお姿(像)である。
屋外の銅像たる宿命とは言え、今日は天気が良くない。
「…大隈先生には、晴天が似合うと思うのです。」
「些細な事だ。気遣いは無用である。」
なんとも風格が出ている。これも大物だけが持つ“オーラ”だろうか。
――大隈侯は、自身に爆弾を投げつけた相手の名誉まで気遣ったと聞く。
それでも何だか寒そうではあるが、雨など物ともしない雰囲気だ。
「余の生家も見ておくと、あとあと役立つであろう。」
「では、失礼して、拝見をいたします。」

いそいそと大隈先生像の横を通る。私の足取りがおかしいのは…たぶん偉い方(侯爵)の面前なので、緊張するのだ。
大隈家は、“会所小路”と呼ばれる上級武士の住まう一角にある。砲術隊長を務める家柄で、長崎警備も担当していた。
――1808年。大隈重信の祖父・彦次郎の代。
幕末佐賀藩の悲劇であり、出発点でもあった“フェートン号事件”。オフシーズンの経費節減のため、警備隊の大半が佐賀に帰還していた。
手薄な警備の隙に生じた、イギリス船“フェートン号”による長崎港への侵入。祖父・彦次郎も、責任を問われる立場だった。
父・信保の代も“砲術隊長”の仕事が引き継がれているところを見ると、大隈家にとって、最悪の展開は免れたようだ。
――大隈重信(八太郎)の生家。縁側の方に回る。
その家から感じられる気配は、先ほどの立派な大隈重信候のものではない。
母・三井子にべったりと甘え、後にやんちゃな喧嘩坊主に成長する、幼き日の大隈侯。八太郎少年が走り回る面影だった。
(続く)
〔参照記事:第3話「西洋砲術」③-3〕
※“本編”で大隈重信(八太郎)の名が初登場する回です。祖父は描けていないのですが、大隈の父・信保は結構、活躍しています。砲術の部隊長で、火薬調合や弾道計算にも長じていたらしいので、佐賀藩の技術者チームと意気投合している場面をよく描いています。
昨秋。金曜からの1泊2日の行程で佐賀での取材を行いました。決定的に時間が不足しており、走り続けることを余儀なくされます。
…ただ、疲れてきて始めて「見える姿、聞こえる声」もあるのかもしれません。
――右側からの視線を感じて、私は向き直った。
「貴君。今日はあいにくの雨だが、ゆっくりしていくと良い。」
そう語らんばかりの大隈先生、老成したお姿(像)である。
屋外の銅像たる宿命とは言え、今日は天気が良くない。
「…大隈先生には、晴天が似合うと思うのです。」
「些細な事だ。気遣いは無用である。」
なんとも風格が出ている。これも大物だけが持つ“オーラ”だろうか。
――大隈侯は、自身に爆弾を投げつけた相手の名誉まで気遣ったと聞く。
それでも何だか寒そうではあるが、雨など物ともしない雰囲気だ。
「余の生家も見ておくと、あとあと役立つであろう。」
「では、失礼して、拝見をいたします。」
いそいそと大隈先生像の横を通る。私の足取りがおかしいのは…たぶん偉い方(侯爵)の面前なので、緊張するのだ。
大隈家は、“会所小路”と呼ばれる上級武士の住まう一角にある。砲術隊長を務める家柄で、長崎警備も担当していた。
――1808年。大隈重信の祖父・彦次郎の代。
幕末佐賀藩の悲劇であり、出発点でもあった“フェートン号事件”。オフシーズンの経費節減のため、警備隊の大半が佐賀に帰還していた。
手薄な警備の隙に生じた、イギリス船“フェートン号”による長崎港への侵入。祖父・彦次郎も、責任を問われる立場だった。
父・信保の代も“砲術隊長”の仕事が引き継がれているところを見ると、大隈家にとって、最悪の展開は免れたようだ。
――大隈重信(八太郎)の生家。縁側の方に回る。
その家から感じられる気配は、先ほどの立派な大隈重信候のものではない。
母・三井子にべったりと甘え、後にやんちゃな喧嘩坊主に成長する、幼き日の大隈侯。八太郎少年が走り回る面影だった。
(続く)
〔参照記事:
※“本編”で大隈重信(八太郎)の名が初登場する回です。祖父は描けていないのですが、大隈の父・信保は結構、活躍しています。砲術の部隊長で、火薬調合や弾道計算にも長じていたらしいので、佐賀藩の技術者チームと意気投合している場面をよく描いています。
2020年11月28日
連続ブログ小説「旅立の剣」(14)限りなき“母の愛”
こんばんは。
佐賀版「幕末男子の育て方」が、体感できる場所。昨秋、大隈重信記念館に行ったときの記憶をたどっています。
幼い大隈重信(八太郎)は、人より成長が遅く、超甘えん坊だったと言います。
母・三井子は、神仏に祈り、物語を読み聞かせ、子の友達を大事にします。今年、流行りの言葉なら“全集中”で子育てをした母でしょう。
――大隈重信(八太郎)は、4人きょうだいの3番目で、長男。
父・信保は、佐賀藩の“砲術長”で、物理(弾道計算)や化学(火薬調合)に長じたと聞くが、その人となりを知る資料の持ち合わせは無い。
しかし、佐賀は黒船来航前に国産初の鉄製大砲を完成するほど進んだ雄藩。大隈の父も役職に見合う、才覚が伴った人物と見るのが自然だろう。
そして、地元で“女丈夫”と言われる元気な母・三井子。八太郎には、姉が2人。後に弟が生まれ、2女2男の4人姉弟となる。
――時刻は16時頃。穏やかな雨は続く。縁側から灯りが見える。
「ほう…」
リアルな武家屋敷。しかも大隈先生の生家。私は感嘆した。
現地への取材と並行し、図書も調べた私には、予備知識があった。母・三井子と長男・八太郎の母子のエピソードは、なかなか「面白い」のだ。

――元気なだけでなく、キャラクターの強い母・三井子。
甘えん坊の我が子に困った母は、八太郎くんに勇敢な軍記物語(『太平記』など)を読み聞かせたという。
そして、今度は喧嘩ばかりするようになった八太郎くんに、“念仏“を10回唱えて、「それでも腹が立つ時にだけ」喧嘩するように諭す。
八太郎くんが成長して、学びを深め、家で友達との議論に熱中すれば、家計を切り詰めてでも、友人たちに食事や菓子を振る舞う。
――後に大隈侯は「自分は家に恵まれていた」と語ったという。
秋雨には少し肌寒さを感じつつも、大隈家の灯りは私の心を温かくした。
名だたる佐賀の賢人たちの“溜まり場”だった大隈八太郎(重信)の家。新時代を築く知恵が培われた…とも言えるこの場所。
まるで「“明治の礎を築く”若者たち」を優しく見守る、佐賀の母。大隈三井子の視点でも「幕末佐賀の大河ドラマ」は描けるかも…そんな感想を持った。
(続く)
〔参照記事:第5話「藩校立志」①〕
※佐賀藩士たちが、尊王の象徴と崇めていたのが、“楠木正成”。軍記物語『太平記』に描かれた、その活躍を母・三井子が八太郎くんに読んで聞かせる場面です。“本編”中、さらに「歴史ドラマ」を入れるという構成で、勢いのままに書いたお話です。
佐賀版「幕末男子の育て方」が、体感できる場所。昨秋、大隈重信記念館に行ったときの記憶をたどっています。
幼い大隈重信(八太郎)は、人より成長が遅く、超甘えん坊だったと言います。
母・三井子は、神仏に祈り、物語を読み聞かせ、子の友達を大事にします。今年、流行りの言葉なら“全集中”で子育てをした母でしょう。
――大隈重信(八太郎)は、4人きょうだいの3番目で、長男。
父・信保は、佐賀藩の“砲術長”で、物理(弾道計算)や化学(火薬調合)に長じたと聞くが、その人となりを知る資料の持ち合わせは無い。
しかし、佐賀は黒船来航前に国産初の鉄製大砲を完成するほど進んだ雄藩。大隈の父も役職に見合う、才覚が伴った人物と見るのが自然だろう。
そして、地元で“女丈夫”と言われる元気な母・三井子。八太郎には、姉が2人。後に弟が生まれ、2女2男の4人姉弟となる。
――時刻は16時頃。穏やかな雨は続く。縁側から灯りが見える。
「ほう…」
リアルな武家屋敷。しかも大隈先生の生家。私は感嘆した。
現地への取材と並行し、図書も調べた私には、予備知識があった。母・三井子と長男・八太郎の母子のエピソードは、なかなか「面白い」のだ。
――元気なだけでなく、キャラクターの強い母・三井子。
甘えん坊の我が子に困った母は、八太郎くんに勇敢な軍記物語(『太平記』など)を読み聞かせたという。
そして、今度は喧嘩ばかりするようになった八太郎くんに、“念仏“を10回唱えて、「それでも腹が立つ時にだけ」喧嘩するように諭す。
八太郎くんが成長して、学びを深め、家で友達との議論に熱中すれば、家計を切り詰めてでも、友人たちに食事や菓子を振る舞う。
――後に大隈侯は「自分は家に恵まれていた」と語ったという。
秋雨には少し肌寒さを感じつつも、大隈家の灯りは私の心を温かくした。
名だたる佐賀の賢人たちの“溜まり場”だった大隈八太郎(重信)の家。新時代を築く知恵が培われた…とも言えるこの場所。
まるで「“明治の礎を築く”若者たち」を優しく見守る、佐賀の母。大隈三井子の視点でも「幕末佐賀の大河ドラマ」は描けるかも…そんな感想を持った。
(続く)
〔参照記事:
※佐賀藩士たちが、尊王の象徴と崇めていたのが、“楠木正成”。軍記物語『太平記』に描かれた、その活躍を母・三井子が八太郎くんに読んで聞かせる場面です。“本編”中、さらに「歴史ドラマ」を入れるという構成で、勢いのままに書いたお話です。
2020年11月30日
連続ブログ小説「旅立の剣」(15)もう1つの物語
こんばんは。
もし、幕末の佐賀で「女性が主人公の“大河ドラマ”」を設定するなら…と考えたとき、私は“隠れた主役候補”に思い至ります。
昨秋の調査をベースとして、母・三井子と、子・大隈重信(八太郎)の物語について、もう少し綴っていきたいと思います。
――大隈重信記念館・1階の常設展示室にて。
スピーカーより流れる、大隈侯の声。
「…いま、帝国は、大(だい)なる変化のときを迎えているんである…」
明治期に“演説の名手”として知られた、大隈重信。現代の政治家からは、もう聞くことができないタイプの声かもしれない。
堂々とした、それでいて流れのある心地の良い演説と聞こえる。“変化”という言葉にも、希望が湧くのだ。
――展示室内には、多数のパネルがある。
効率よく取材をしたい来館者である、私には有難い情報量があった。大隈重信ゆかりの品々に囲まれながら、調査を続ける。
「まったく…、大したお方ですぜ。大隈先生は!」
私は“江戸っ子”ではないが、このように感銘を受けたのは事実である。
実際、大隈侯は頑張っただけの業績を残している。尊王の志士、外国との交渉役、政治家、教育者…その足跡を追うだけでも、ひと仕事なのは認めよう。

――ふと、1つのパネル展示に目が止まった。
我が子を“偉大な大隈重信侯”に育てた女性の説明が綴られる。
説明文の中心に、年配のご婦人の写真がある。
その姿は凛としている。若い頃から快活な女性であったらしい。
子の活躍を影で支えながら、明治を生きた大隈重信の母・三井子。
――その母が90年に渡る、天寿を全うするとき…
大晦日の晩。危篤となった母・三井子の枕元に居た、大隈重信。
「年が明けるまでは、母の寿命を延ばしてほしい」と祈ったという。
そして、新しい年が来る。ほどなく、母子は別れのときを迎えた。
大隈侯も、このときは幼き日の八太郎の気持ちだったかもしれない。
――そして、3年ほど後、こんな展開になった。
日本に初の政党内閣が発足する。首相となったのは、大隈重信。
「世のために働け」など、大隈侯には政治信条がある。その元になったのは、母・三井子の教えだったという。
(続く)
もし、幕末の佐賀で「女性が主人公の“大河ドラマ”」を設定するなら…と考えたとき、私は“隠れた主役候補”に思い至ります。
昨秋の調査をベースとして、母・三井子と、子・大隈重信(八太郎)の物語について、もう少し綴っていきたいと思います。
――大隈重信記念館・1階の常設展示室にて。
スピーカーより流れる、大隈侯の声。
「…いま、帝国は、大(だい)なる変化のときを迎えているんである…」
明治期に“演説の名手”として知られた、大隈重信。現代の政治家からは、もう聞くことができないタイプの声かもしれない。
堂々とした、それでいて流れのある心地の良い演説と聞こえる。“変化”という言葉にも、希望が湧くのだ。
――展示室内には、多数のパネルがある。
効率よく取材をしたい来館者である、私には有難い情報量があった。大隈重信ゆかりの品々に囲まれながら、調査を続ける。
「まったく…、大したお方ですぜ。大隈先生は!」
私は“江戸っ子”ではないが、このように感銘を受けたのは事実である。
実際、大隈侯は頑張っただけの業績を残している。尊王の志士、外国との交渉役、政治家、教育者…その足跡を追うだけでも、ひと仕事なのは認めよう。
――ふと、1つのパネル展示に目が止まった。
我が子を“偉大な大隈重信侯”に育てた女性の説明が綴られる。
説明文の中心に、年配のご婦人の写真がある。
その姿は凛としている。若い頃から快活な女性であったらしい。
子の活躍を影で支えながら、明治を生きた大隈重信の母・三井子。
――その母が90年に渡る、天寿を全うするとき…
大晦日の晩。危篤となった母・三井子の枕元に居た、大隈重信。
「年が明けるまでは、母の寿命を延ばしてほしい」と祈ったという。
そして、新しい年が来る。ほどなく、母子は別れのときを迎えた。
大隈侯も、このときは幼き日の八太郎の気持ちだったかもしれない。
――そして、3年ほど後、こんな展開になった。
日本に初の政党内閣が発足する。首相となったのは、大隈重信。
「世のために働け」など、大隈侯には政治信条がある。その元になったのは、母・三井子の教えだったという。
(続く)
2020年12月02日
連続ブログ小説「旅立の剣」(16)佐賀玉屋での思索
こんばんは。
今年の新語・流行語大賞(現代用語の基礎知識 選)は「3密」だとか。
年の瀬も近づき「昨年は…ずっと自由だったなぁ。新型コロナも無かったし…」と思う方もいるかもしれません。
最近、“連続ブログ小説”と称して、昨秋の話を投稿しています。わずか30時間(実動15時間)の佐賀滞在でしたが、1年前に実行しておいて良かったです。
――ひとまず目的地の見聞は達した。
昼間には佐野常民記念館。夕方に大隈重信記念館の見学を完了した。これで佐賀七賢人のうち、2名の記念館を回った。
「この勢いで、あと5名の記念館も回るぞ!!」
…と言いたいが、佐賀七賢人で公式な“記念館”があるのは、2名だけらしい。
早朝から移動を始め、佐賀に入って11時からの6時間、ほぼ全力疾走だった。
――暮色迫る、佐賀の街。
「ありがとうございました。」
大隈記念館の受付に一声をかけて、退出する。
降り続ける雨。辺りも暗くなる。取材すべき施設は、もう閉館の時刻だ。
「そうだ…、まだ商業施設ならば開いている…」
雨に濡れて、街灯に光る路面を踏みしめる。
――県庁通りへと歩を進めた。時刻は、17時。
私は、佐賀玉屋にいた。ほぼ無意識に百貨店まで来ていたのである。
「まだ…、今日のうちに出来る事があるはず…」
そんな思索をする私を、エスカレーターは淡々と上階へと運ぶ。
このエスカレーターもまた「お客を上下に運ぶ」使命を果たす者であるようだ。

――考え事をしたまま、南館6階の“巨大室内遊園地”フロアに着いた。
「おおっ!デパートの遊園地と言えば、屋上が普通ではないのか!」
その景色が、私を考え事から解き放った。
「そうだ!この近くの商業ビルの中に…」
私は、まだ寄るべき場所がある事に思い至った。
遠き故郷・佐賀に帰藩して、“果たすべき使命”は何か。私は、「幕末佐賀藩の大河ドラマ」実現の一助となるべく、走り始めたのではなかったか。
――そういう“志”もあるが、せっかく佐賀玉屋に来たのだ。
「このまま、立ち去るのも勿体(もったい)ない。」
私はくるりと回って、下りのエスカレーターへと乗り換えた。地下1階の食料品売り場を目指す。佐賀の“地下街”「玉ちか」に立ち寄るのだ。
(続く)
今年の新語・流行語大賞(現代用語の基礎知識 選)は「3密」だとか。
年の瀬も近づき「昨年は…ずっと自由だったなぁ。新型コロナも無かったし…」と思う方もいるかもしれません。
最近、“連続ブログ小説”と称して、昨秋の話を投稿しています。わずか30時間(実動15時間)の佐賀滞在でしたが、1年前に実行しておいて良かったです。
――ひとまず目的地の見聞は達した。
昼間には佐野常民記念館。夕方に大隈重信記念館の見学を完了した。これで佐賀七賢人のうち、2名の記念館を回った。
「この勢いで、あと5名の記念館も回るぞ!!」
…と言いたいが、佐賀七賢人で公式な“記念館”があるのは、2名だけらしい。
早朝から移動を始め、佐賀に入って11時からの6時間、ほぼ全力疾走だった。
――暮色迫る、佐賀の街。
「ありがとうございました。」
大隈記念館の受付に一声をかけて、退出する。
降り続ける雨。辺りも暗くなる。取材すべき施設は、もう閉館の時刻だ。
「そうだ…、まだ商業施設ならば開いている…」
雨に濡れて、街灯に光る路面を踏みしめる。
――県庁通りへと歩を進めた。時刻は、17時。
私は、佐賀玉屋にいた。ほぼ無意識に百貨店まで来ていたのである。
「まだ…、今日のうちに出来る事があるはず…」
そんな思索をする私を、エスカレーターは淡々と上階へと運ぶ。
このエスカレーターもまた「お客を上下に運ぶ」使命を果たす者であるようだ。
――考え事をしたまま、南館6階の“巨大室内遊園地”フロアに着いた。
「おおっ!デパートの遊園地と言えば、屋上が普通ではないのか!」
その景色が、私を考え事から解き放った。
「そうだ!この近くの商業ビルの中に…」
私は、まだ寄るべき場所がある事に思い至った。
遠き故郷・佐賀に帰藩して、“果たすべき使命”は何か。私は、「幕末佐賀藩の大河ドラマ」実現の一助となるべく、走り始めたのではなかったか。
――そういう“志”もあるが、せっかく佐賀玉屋に来たのだ。
「このまま、立ち去るのも勿体(もったい)ない。」
私はくるりと回って、下りのエスカレーターへと乗り換えた。地下1階の食料品売り場を目指す。佐賀の“地下街”「玉ちか」に立ち寄るのだ。
(続く)
2020年12月03日
連続ブログ小説「旅立の剣」(17)誇りを取り戻せ
こんばんは。
昨秋。雨が降る夕暮れの記憶。旅の初日のラストスパートです。
――暮色…というより、とっぷり日が暮れた感じになった。
佐賀玉屋の地下街“玉ちか”。私は佐賀の特産品を買い込んだ。地上に出て、県庁通りを渡り、長崎街道(白山通り)を早足にて進む。
「人が…、少ない。」
アーケード街。酒類を出すお店は、これからという時間か。昼間に営業する店は、もうシャッターを下ろしている様子だ。

――それでも、私には寄るべき場所がある。
「何故、私は進み続けるのか…」
この旅の途上。時折、浮かんでは消える疑問。
たしかに、佐賀の先人たちの功績を知った。
幕末から明治へと転換する時代。佐賀藩は官軍への参加が遅かった。それでも、新政府で佐賀が“薩長土肥”の一角を占めたのは必然だったようだ。
…だが、それは「いま、私が走る理由」になるのだろうか。
――おそらく、私を動かしているのは、理屈ではない。
私は歩みを速めた。かつて佐賀の志士たちは“義祭同盟”を結成し、この近くの龍造寺八幡宮に集った。参道でもある白山通りを行くのは、実に感慨深い。
「…“エスプラッツ”、ここか!!」
佐賀市内の方、ズッコケないでほしい。
“どこかに討ち入りでもしそうな勢い”で記述したが…これは、私の旅日記だ。

――この商業ビルには、佐賀市の観光協会が入っている。
“幕末佐賀藩の大河ドラマ”が実現した暁には、多忙を極める組織だろう。
「今のうちから、充分なご準備を…」
これは心の声だ。窓口の人に語ったわけではない。
時刻は、もう18:00に近い。協会は営業終了時刻の間近。
「観光客は長崎と分け合うことになるか。あるいは佐賀の大河ドラマで、一番、潤うのは長崎かも知れん。」
――私の、心の声は続く。
「それよりも佐賀に必要なのは、持続するブランド力…」
セリフでは、随分と勝手な事を言っているが、誰かに語ったものではない。
これらの思いつきを、説得力を持って人に伝えるためには、私自身に相応の努力が要るからだ。実際の私は、関係資料やパンフレットを黙々と集めていた。
「証拠だ!証拠固めが要るのだ!」
幕末期。佐賀が最も先進的で、日本中から熱い視線を集めたのは、それほど遠い昔のことではない。
(続く)
昨秋。雨が降る夕暮れの記憶。旅の初日のラストスパートです。
――暮色…というより、とっぷり日が暮れた感じになった。
佐賀玉屋の地下街“玉ちか”。私は佐賀の特産品を買い込んだ。地上に出て、県庁通りを渡り、長崎街道(白山通り)を早足にて進む。
「人が…、少ない。」
アーケード街。酒類を出すお店は、これからという時間か。昼間に営業する店は、もうシャッターを下ろしている様子だ。
――それでも、私には寄るべき場所がある。
「何故、私は進み続けるのか…」
この旅の途上。時折、浮かんでは消える疑問。
たしかに、佐賀の先人たちの功績を知った。
幕末から明治へと転換する時代。佐賀藩は官軍への参加が遅かった。それでも、新政府で佐賀が“薩長土肥”の一角を占めたのは必然だったようだ。
…だが、それは「いま、私が走る理由」になるのだろうか。
――おそらく、私を動かしているのは、理屈ではない。
私は歩みを速めた。かつて佐賀の志士たちは“義祭同盟”を結成し、この近くの龍造寺八幡宮に集った。参道でもある白山通りを行くのは、実に感慨深い。
「…“エスプラッツ”、ここか!!」
佐賀市内の方、ズッコケないでほしい。
“どこかに討ち入りでもしそうな勢い”で記述したが…これは、私の旅日記だ。
――この商業ビルには、佐賀市の観光協会が入っている。
“幕末佐賀藩の大河ドラマ”が実現した暁には、多忙を極める組織だろう。
「今のうちから、充分なご準備を…」
これは心の声だ。窓口の人に語ったわけではない。
時刻は、もう18:00に近い。協会は営業終了時刻の間近。
「観光客は長崎と分け合うことになるか。あるいは佐賀の大河ドラマで、一番、潤うのは長崎かも知れん。」
――私の、心の声は続く。
「それよりも佐賀に必要なのは、持続するブランド力…」
セリフでは、随分と勝手な事を言っているが、誰かに語ったものではない。
これらの思いつきを、説得力を持って人に伝えるためには、私自身に相応の努力が要るからだ。実際の私は、関係資料やパンフレットを黙々と集めていた。
「証拠だ!証拠固めが要るのだ!」
幕末期。佐賀が最も先進的で、日本中から熱い視線を集めたのは、それほど遠い昔のことではない。
(続く)
2020年12月05日
連続ブログ小説「旅立の剣」(18)憩いのシシリアン
こんばんは。
1年前には“コロナ禍”という言葉も無く「大河ドラマ」と言えば経済効果も!…と素直に期待できる状況でした。
前回に「佐賀の大河ドラマで、一番、潤うのは長崎かも知れん。」という言葉に込めた想いは、また、いずれ語りたいと思います。
昨秋の1泊2日の行程を追った“連続ブログ小説”も、今回で初日分(第1・2シリーズ)終了です。その翌日は「第2回さが維新まつり」が控えていました。
――白山通りのアーケードの下を行く。
12時間くらい移動と見学を繰り返した。さすがに疲労感が積もる。
行きの早足と違って、ゆっくりと県庁通りへと戻る。
「まぁ、今日のところは為すべきことは果たしたか…」
ある作家が「青春とは阿呆である」と語ったという。たしかに、この終日の行動は、まさしく“阿呆”の所業であったかもしれない。
言い換えれば、その一日、私は“青春”の真っ只中にあったのだ。
――佐賀玉屋前に戻った。「中の小路」バス停。
乗り込んだバスの座席。佐賀市営バスの一日乗車券を改めて見つめる。
「一日、世話になった…」
最初の佐野常民記念館との往復で、ほぼ元は取れている。お得だった。
金曜の夕刻。ちょうどオフィス街からの帰宅ラッシュと重なる。佐賀駅前に近づくと、ちょっとした渋滞。ターミナルへの道をバスもゆっくりと進む。

――私が日常、見慣れない景色。不思議な感覚だ。
佐賀駅バスターミナルに入ると「ふーっ」とひと息をついて宿に向かう。もはや、気力は使いきった。そして、明日も早い。
私は、強い空腹感を感じていた。部屋に入ると、佐賀玉屋の地下街“玉ちか”の紙袋から楽しみにしていた品を出した。
佐賀名物のB級グルメ“シシリアンライス”である。県外向けに説明を試みると、“甘辛焼肉サラダ丼”だろうか。
「美味い…!」
その日、ラストの写真。撮影時刻は18:30を回っていた。
(第3シリーズに続く)
1年前には“コロナ禍”という言葉も無く「大河ドラマ」と言えば経済効果も!…と素直に期待できる状況でした。
前回に「佐賀の大河ドラマで、一番、潤うのは長崎かも知れん。」という言葉に込めた想いは、また、いずれ語りたいと思います。
昨秋の1泊2日の行程を追った“連続ブログ小説”も、今回で初日分(第1・2シリーズ)終了です。その翌日は「第2回さが維新まつり」が控えていました。
――白山通りのアーケードの下を行く。
12時間くらい移動と見学を繰り返した。さすがに疲労感が積もる。
行きの早足と違って、ゆっくりと県庁通りへと戻る。
「まぁ、今日のところは為すべきことは果たしたか…」
ある作家が「青春とは阿呆である」と語ったという。たしかに、この終日の行動は、まさしく“阿呆”の所業であったかもしれない。
言い換えれば、その一日、私は“青春”の真っ只中にあったのだ。
――佐賀玉屋前に戻った。「中の小路」バス停。
乗り込んだバスの座席。佐賀市営バスの一日乗車券を改めて見つめる。
「一日、世話になった…」
最初の佐野常民記念館との往復で、ほぼ元は取れている。お得だった。
金曜の夕刻。ちょうどオフィス街からの帰宅ラッシュと重なる。佐賀駅前に近づくと、ちょっとした渋滞。ターミナルへの道をバスもゆっくりと進む。
――私が日常、見慣れない景色。不思議な感覚だ。
佐賀駅バスターミナルに入ると「ふーっ」とひと息をついて宿に向かう。もはや、気力は使いきった。そして、明日も早い。
私は、強い空腹感を感じていた。部屋に入ると、佐賀玉屋の地下街“玉ちか”の紙袋から楽しみにしていた品を出した。
佐賀名物のB級グルメ“シシリアンライス”である。県外向けに説明を試みると、“甘辛焼肉サラダ丼”だろうか。
「美味い…!」
その日、ラストの写真。撮影時刻は18:30を回っていた。
(第3シリーズに続く)