2021年04月29日

連続ブログ小説「旅立の剣」(36)始まりの予感

こんばんは。

本日から、連休に突入という方もいるかもしれません。但し、新型コロナの感染防止のため、行動の自制が必要という状況でしょう。

現在は動けずとも、人には「過去の記憶」と「未来への想像力」があります。

心だけは自由に”綴っていきます。2019年10月佐賀での“”を振り返るシリーズも残り数回です。


――まもなく時刻は、12:30。

佐賀城公園西の堀端に到着した私。ここが、旅の“最終地点”となるようだ。

タイムリミットまで、あと2時間。私は“秋祭り”に賑わう佐賀城下を発ち、日常へと戻って行かねばならない。



――漂うのは、一抹の寂しさ…

駆け足の無理な行程を組み、昨日の朝から動き回ってきた。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(4)早津江の嵐

降りしきる雨の中、三重津海軍所跡に向かったのが、随分と昔の出来事に思える。それから城下を周りに回った。そして、私は多くの気付きを得た。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(5)雨に打たれても


――では、この旅で「幕末の佐賀藩」が見えたのだろうか。

答えは“”(いな)だろう。決定的に時間が足らない佐賀市内のごく狭い範囲を息を切らして、歩き回ったのみである。

変わらず堀端には強い風が吹き、その水面は波立っている。もどかしい想いを抱え、私は“空き時間”で帰り支度を始めていた。



――そして、12:45。周囲に動きがあった。

私が限られた時間で、この場所での“待機”を続けたことには理由がある。

先ほど県立博物館カフェで、“検索”を行って決めた段取り。ふだんは日曜佐賀城で行われる歴史寸劇が、屋外で上演されるとの情報を得ていた。


――それまでの「島義勇像前」は…

わずかなスタッフさんと、幾人か会場の様子を伺う人たちが見えるのみだった。しかし、眼前の道路通行止めとなるや、にわかに活気が出る。

佐賀城公園秋イベントは、非日常の空間も提供するらしい。先ほどまでは、車が往来していたに降り立つ。


※この画像は、加工の度合いを強めにしています。

――「ここで一体、どんな祭りが始まるのか…」

遠方から来た私と違い、おそらくは“この場で起きる展開”を知る人々も集う。

熱心な来場者の方々の様子からは「その一瞬を見逃すまい」という気構えまで感じられたのである。


(続く)

  
タグ :佐賀


2021年04月27日

連続ブログ小説「旅立の剣」(35)幕末の風が吹く

こんばんは。
2019年10月。佐賀での“旅日記”を延々とお送りしています。

コロナ禍郷里と隔てられようが、まるで昨日の事のように感じる、熱き想い。吹いていたのは、幕末を思わせる強い風でした。



――12:10。ミュージアムカフェから移動。

秋の佐賀城公園イベントは盛り上がりを見せ始めていた。
佐賀さいこうフェス」の各種グルメの出店か、“食欲の秋”らしい良い香り。

老いも若きも集まり賑やかだった。楽し気学生たちの姿も見える。

「歳を取ってから書くのが青春小説である…」という、言葉を聞いたことがあるが、私とて彼らに負けぬくらいワクワクしている。



――風が吹く道を進む。そこで“BGM”が鳴っていることに気付く。

~♪~ さが維新まつりhttps://saga-ishinmatsuri.jp/)※外部サイト。
(このページの「ダイジェスト版映像」のBGMと同じ曲だと思います。)

何だ…!この際立った“幕末感”は!」
私の胸を高鳴らせているのは、この音楽の効果でもあったのか。

西に向かう道では「さが維新まつり」のテーマらしき曲が流れていたのだ。


――短いコートの裾が、ヒラヒラと風に靡(なび)く。

何やら“”を得た気分。背筋も伸びる心持ちで歩む。佐賀城の西の堀端が近づいてきた。楠の木々を揺らし、を渡るは、私に何を語りかける。

…思えば、私はここに至るまで随分と回り道をした。
遅いぞ!ようやく“帰藩”してきおったか!」…と、出迎えてくれたように感じる。



――時刻は12:20頃。前方に目を向けると、力強い姿の銅像。

団にょん”さんこと、島義勇が蝦夷地(北海道)を探検する姿だ。

気合いの入った姿のお像セリフを付けるなら「俺たちは、やってやるんだ!」との言葉を贈りたい。

眼前にどこまでも続く、北海道大空大地が浮かんで来ないだろうか。


――その一方、スタッフさんたちはイベント準備に奔走している。

道路は封鎖され、通行止めとなる段取りのようだ。変わらず強く吹くは、堀の水面を波立たせる。

「ようやく…ここまで来たか。」
到達感を醸(かも)し出しているが、早々と行動し過ぎて、案内のパンフレット類すら入手できていない。

どんな展開が待っているのか。知らないのも、また一興だった。
その時の私は「何が始まろうとしているか」が、楽しみで仕方が無かった。


(続く)

  
タグ :佐賀


2021年04月25日

「大河よ、共に」

こんばんは。

今年の大河ドラマ青天を衝け」。毎回、徳川家康が登場することもあってか(?)、江戸幕府の描き方がなかなか好評のようです。
〔参照:「茶歌(ちゃか)ポン。」


――遅くなりましたが、青天版「桜田門外の変」を振り返ります。

幕政を仕切る大老が、白昼江戸城の門前で暗殺される事件。映像の構成が予想外でした。

謹慎中水戸藩・徳川斉昭雪の庭で、家族と穏やかに語らう場面に始まり、一方、“水戸さま”を謹慎させた大老・井伊直弼は、駕籠(かご)で江戸城へ。

駕籠で移動中に読んでいる書物は、一流の文化人でもあった井伊直弼が、自ら創った新作狂言鬼ケ宿」の“台本”です。


――その狂言のイメージも映像で流れます。

こうして水戸の庭での雪景色、大老・井伊直弼登城狂言鬼ケ宿」の舞台。3つの映像並行して展開します。

江戸城への短い道のり井伊直弼の周囲に異変が起きます。乾いたピストルの発射音、井伊の持つ台本は血に染まりました。


――息を飲むような展開。さすがの映像構成。

「…これを文章で描くなら、どう書いたら良いんだろうか?」
レベルの問題はあれ、私の“書く側”の立場での感想です。

ちなみに、この場面を私が描くとこうなります。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑮(雪の舞う三月)



――“大河”の時代は進み、今日の放送では1863年…

今のところ、私が“本編”で描けているのは、この辺り(1860年の春頃)まで。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑯(殿を守れ!)

桜田門外の変」の後、井伊直弼と親しかった佐賀藩主・鍋島直正への襲撃計画しているグループもあるとの情報が流れました。

幕閣には佐賀藩政権に取り込み、難局を打開するという動きもあり、安全な立ち位置ではありません。佐賀藩士たちは急ぎ殿・直正への警護を固めます。


――「もしや、ここで“第1部”は完結しているのでは…?」

1808年長崎で起きたフェートン号事件での大失態から、佐賀では異国危機感を持つ人たちが頑張ってきました。

教育係(古賀穀堂)は佐賀を救う策を練り始め、幼い若君鍋島直正)に期待。武雄領主鍋島茂義)は、長崎に家来を派遣し、西洋砲術の導入を進めます。

佐賀藩士たちは、諸国を駆けます。殿期待のもと必死で学び行動してきた藩士たちの努力は、日本の近代化につながって行くのですが…


――「第1話から、50年ほどが経過」した、この時点。

幕末の分水嶺」とも語られるほどの“大きな変化”の時期。それまでは幕府に協力的な“優等生”として、異国に睨みを利かせ、近代化を進めてきた佐賀藩

ここで井伊直弼という強い幕府との接点を失って、状況は混沌としていきます。

こうして佐賀は“独自路線”を歩むこととなり、殿鍋島直正は真意の読めない「肥前の妖怪」と語られるに至るようです。



※以下、本日のおまけ

今日の記事タイトルは、以前、紹介したアニメの主題歌が“ネタ元”です。
これが「大河よ共に泣いてくれ」というタイトルなのですね。意味深に感じられてゾクッとしました。もし、共感していただける方がいれば幸いです。
〔関連記事:清々しいほどの佐賀“推し”,「再起の剣」(後半)〕

  


Posted by SR at 21:20 | Comments(0) | 「大河ドラマ」関連

2021年04月24日

連続ブログ小説「旅立の剣」(34)救いのシシリアン

こんばんは。
3度目の「緊急事態宣言」が報じられています。仕事に影響を受ける方はもちろん、GWの自粛が辛い…という方も多いかもしれません。皆様もお気を付けて。

冷静さを保つことが、最前線で立ち向かう人たちの一助になるのだと信じます。
…淡々と、いつもの一昨年の話を続けます。


――11:30。佐賀県立博物館の廊下にて。

肥前さが幕末維新博覧会メモリアル映像を見終わった。手嶌葵さんによるイメージソング「一番星」は、心を“浄化”するような歌声だった。

ドキュメンタリーで見た、佐賀に集う人たちは良い表情をしていた。先人たちの姿は、来場者へ“”の火を灯したのだろう。


――私も、目頭を熱くして外に出た。

「やはり、佐賀に来て良かった…」
この旅で、こう思うのは何度目だろう。

あわせて展示のあった、来場者のまっすぐなメッセージにも心を打たれたのだ。私にとって、佐賀故郷以上の存在へと成長しつつあった。


――ふと、気づいた。

そろそろ昼食をとっても良い頃だと。この感動で、またお腹が空いたのだ。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(30)殿、お腹空いた…

「昼食は、“佐賀の名物”にしておきたい…」
15時前には佐賀駅を発つ。“聖地”で活動できるのは、実質3時間に満たない。


――その場で、県立博物館のミュージアムカフェに入る。

移動に使える時間は、もう無いようだ。イベントの案内が出る前に佐賀城公園奥深くに入り込んだので、逆に“さが維新まつり”の現況がわからない。

「この祭りは、どう楽しむのが正しいのか…?」

さすがに疲れてきている。ここは腰を据えてラストの動きを判断せねば。
「“シシリアンライス”をお願いします。」

あまり考えずに注文できるのが、B級グルメ。私は、他地域の方に向けて「佐賀の甘辛焼肉サラダ丼」と説明する。



――そんなに“シシリアン”が食したいか…

自分の気持ちに素直であるとは、たぶん、こういうことなのか。昨夜の「佐賀玉屋シシリアンライス」も絶品ではあったが、暖かいものも食べたい。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(18)憩いのシシリアン

「…これは!?」
一口を食して、私は意表を突かれた。少し予想と違う味わいだったのだ。“豚の生姜焼き”系の…それでいて、少し自然派っぽい印象を持った。


――オーガニックな感じの“都会的”な味付けと言おうか。

後から少しハーブ香辛料系の残り香が感じられるようだ。冷えて消耗した体が、温められるような気がした。

…ちなみに、私の味覚をベースとした“食レポ”は当てにはならない。
しかし、この“シシリアン”が私のラストスパート活力を与えたことは確かだ。


――昼12:10。いざ、最終局面へ。

食後にひと息をついて、スマートフォンによる情報収集を完了した。
「今から、西の堀端に行こう。そこに、きっと見たかったものがある!」

こうして“燃料”を補給した私。まるで、幕末の佐賀藩が製作した“蒸気機関”のように熱気を帯び、再び立ち上がる。


(続く)

  
タグ :佐賀


2021年04月21日

連続ブログ小説「旅立の剣」(33)涙のメモリアル

こんばんは。
2018年(平成30年)。明治維新150年を記念した「肥前さが幕末維新博覧会」が開催。予想を遥かに超える“大盛況”だったようですね。

その終幕(フィナーレ)から、10か月ほどが過ぎた2019年(令和元年)の
時機を逸した私に、当時の“熱気”を語るものがありました。


――朝10:50。佐賀城本丸歴史館から出る。

何度か来ているのだが、概ね1時間は滞在したことになる。
私のような佐賀藩士(?)には、やはり特別な場所

そのまま「鯱の門」を潜って、イベント感が出てきた佐賀城公園内を行く。路上を少し西へと進み、県立博物館に向かう。


――その頃、「さが幕末維新博」に行けなかった私に“吉報”があった。

博覧会の“記憶”を伝える「メモリアル展示」が、佐賀市内3箇所で始まった。

先ほど本丸歴史館で、佐賀藩士の“先輩”に会うことができたのも、佐賀の藩校弘道館」のメモリアル展示だったのだ。



――朝10:55。佐賀県立博物館前。

秋の佐賀城公園イベントの1つ。「佐賀さいこうフェス」の会場内を進む。

ライブアートグルメの3本柱で成り立つお祭りのようだ。学生らしき参加者が多く、若い活気で賑わう。これもまた、佐賀未来だ。

大規模な文化祭っぽい雰囲気が漂う中、次の目的地へと歩を進める。


――ホットな表舞台の裏手から、クールな博物館内に入る。

距離にすればわずかに数メートルの差だが、随分と空気が落ち着いた。これも、ミュージアムが持つ“場の力”なのだろうか。

私のお目当ては、メモリアル展示の1つ「幕末維新記念館」だ。博覧会当時のパビリオンの様子を伺わせる、展示や映像を体感できる。


――その時は、オープンから間もない「メモリアル」展示。

幕末維新博で流れた“体感映像”は、まだ観ることができなかった。上映されたのは、「肥前さが幕末維新博覧会」の記録

来場した人たちの様子をまとめたドキュメンタリー映像だった。おそらくは、佐賀県内からの来場者を中心に構成されている。



――日本の近代化を目指して、走り続けた佐賀藩。

博覧会では、今までドラマでは語られなかった佐賀の先人たちが活躍する。

攘夷を叫ぶよりも、西洋列強に負けない技術を追い求めたトップランナー
幕府を倒すことより、近代国家を築くことに全力を注ぐ佐賀藩士たち。

そして、記録映像に見えるのは「想いがあふれて涙する来場者たちの姿。

…じっとモニターを見つめる私も涙腺が緩む。もし、出来得ることなら、私も同じ会場で感動を共有したかった。


――そこに博覧会のイメージソング。手嶌葵が歌う「一番星」が流れる。

手嶌葵さんと言えば、スタジオジブリの作品でも主題歌をつとめる実力派だ。
もはや“反則”と感じる出来栄え。初めから泣かせるつもりの演出ではないか。

…これも製作者の期待どおりなのか。ドライアイ気味の、私の目にもウルウルと潤いが戻っていた。


(続く)

  


2021年04月19日

連続ブログ小説「旅立の剣」(32)よく居る先輩です

こんばんは。

一昨年の秋。旅も終盤ですが、私の調査は続きます。「張り込み」の次は、ある佐賀藩士への「聞き込み」です。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(31)令和の張り込み

――朝9:50。佐賀城本丸歴史館。

この時の企画展示は、日本の近代建築にその名を残した2人。
唐津レジェンド」とも言える、辰野金吾曽禰達蔵の業績だった。

佐賀銀行の前を通過した時に、お目にかかった方々である。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(21)唐津のレジェンド


――私は見ることができなかった「肥前さが幕末・維新博覧会」。

本丸歴史館には、当時の企画の1つ「リアル弘道館」のメモリアル展示もある。案内に立つ、佐賀藩士が1人。藩校・弘道館での世話係という役回りのようだ。

「こんにちは。」
私はこの旅で初めて、現代で仕事をする“佐賀藩士”に語りかけられた。



――挨拶を返した後、私はいつもの話をする。

佐賀は業績があるのに、大河ドラマになりませんよね…」
話を聞けば、“”の実現のために動く人たちがいる様子は伺える。

その場でも「私なりに動いてみたい」と伝える。「ぜひ」と笑顔を返してくださった。
…ある意味で、佐賀藩士(?)同士の会話である。


――そして私は、弘道館の“佐賀藩士”に質問した。

「ところで、貴方久米先生なのですか?」
展示パネルには、久米邦武のイラストでの解説があったからだ。

久米邦武は、幕末の佐賀藩で“有田皿山”代官を務めたエリート子息
大隈重信友人で、後に歴史学者として著名になる。教科書でも見た名前だ。

「いえ、私は久米先生ではありません。弘道館によく居る先輩の1人です!」


――私の問いに案内役の佐賀藩士は、元気よく答えた。

これも“藩校の先輩”の誇りか。私はを述べ、“先輩”の前から廊下に出た。

…記憶をたどると「この“藩校の先輩”は、どのような運命を歩んだ方なのか?」にまで興味が湧く。

実務能力の高い佐賀藩士だから、明治新政府の官僚になったのか。あるいは佐賀を離れず、地域の発展に貢献した人なのかもしれない。

そして“正義”を貫くため、佐賀戦争(佐賀の乱)に散った“先輩”もいるのだろう。
いまの私は「佐賀の藩校によく居る先輩」の物語を想うのである。


(続く)

  


2021年04月17日

「望郷の剣5」

こんばんは。
全国各地で新型コロナの変異株が広がりつつあるようです。私としては、佐賀に“危険”を持ち込むことは何としても避けたく、帰省の自粛を続けています。

実際、ブログの開設以来、一度も“帰藩”できていません。を変え、を変えて綴る「望郷の想い」。そんな私にも、佐賀からの“援軍”は来るようです。

最近、“本編”を書けていませんが、ありふれた日常を幕末っぽく(?)描きます。


――ついに、潮目が変わったのか…

私は幕末明治期に、日本近代化を先導した佐賀の活躍を追っている。

もう少し若いうちから価値に気づきたかったが、今からでも遅くは無いと信じる。最近、ほんの少しだが「佐賀の扱い」が変わってきたと感じる出来事があった。



――ある大都市圏の、某スーパーで催された“九州物産展”。

今まで流れで言えば…
「“九州名産”なのに、佐賀品物だけが無かよ!」とか。

チラシ地図を見ても…
「にゃ~、佐賀んところ色も塗られてなかばい!」とか。

以上のように、様々な悲嘆が私に降りかかっていた。


――しかし、今回は違う。

佐賀牛を先陣に、柑橘が、アスパラが、豆腐が…集結する。本来、当たり前だがチラシの地図、福岡長崎の間。北部九州の中心に「佐賀」の表示がある。

…ようやく、佐賀県の存在が浮上してきたのだ。
概ね状況を把握した私は、スーパーまで出向くこととした。


――「これは、“会い”に行かねばならぬ」と。

私が、佐賀の物産応援しているのか。逆に、孤独な戦いを続ける私が、佐賀の品物激励されているのか。答えは、その両方かもしれない。

「おおっ!“丸ぼうろ”ではないか!?」

陣中には、四百年の伝統を誇る佐賀銘菓も集う。この銘柄を見るのは久しい。
この品はパッケージから、堂々と“佐賀”の存在を示している。
〔参照(後半):「望郷の剣2」

以前に同じ店で、佐賀の名を伏せ“九州銘菓”の名のもとに忍ぶ“丸ぼうろ”を見かけたことがあった。それは、どうやら本気を出す前の偵察だったようだ。
〔参照(後半):「望郷の剣4」



――さらに“新顔”とも出会った。

佐賀県産大豆(フクユタカ)を100%と潤沢に使用し、武雄市で作られた豆腐。原料の生産地も含めて、生粋の“さがんもん”と言ってよいだろう。

武雄といえば、幕末佐賀藩でも“精鋭部隊”として知られた強者

「…よく来てくれた。何とも頼もしい。」

もはや豆腐とも対話している感じになっているが、大目に見てほしい。そのくらい感動しているのだ。


――少しずつだが、着実に「佐賀の時代」は近づいている…

偶然なのかもしれない。明らかに以前とは違う“佐賀の扱い”。そして、佐賀の名を背負う品々は、順調な売れ行きを見せていた。

「これも、“変化の兆し”と見てもよいのか…」

先の見えない世の中。“希望”は細い糸のように頼りないかもしれない。しかし、私は本来あるべき姿への潮流を感じずにはいられなかった。

  
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Posted by SR at 21:47 | Comments(2) | 「望郷の剣」シリーズ

2021年04月16日

清々しいほどの佐賀“推し”

こんばんは。なぜか、九州以外で放送が1日早い「ゾンビランドサガ リベンジ第2話を見ました。

先週から見始め、意外にもすっかりハマってしまったテレビアニメ
〔参照(後半):「再起の剣」

私が住まう地域で、これほど佐賀さがサガ…徹底して「佐賀」が主題の番組を見た記憶がありません。

肝心の佐賀での放送(サガテレビ)での放送予定は、まもなく。
金曜の深夜24:55~からが定時のようです。


――返す返すも、第1シリーズから見ておけば良かった。

どっぷり鹿島市祐徳稲荷神社が舞台になるなど、なかなか値打ちのある佐賀紹介番組にもなっているようです。

佐賀への暑苦しいほど感じられます。

以上、予定していなかったのですが、またしても感銘を受けたので、つぶやいてみました。私も、もっと頑張らねば!という気持ちになります。



  
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2021年04月15日

連続ブログ小説「旅立の剣」(31)令和の張り込み

こんばんは。
今年も「有田陶器市」が中止だとか。佐賀と言えば“このイベント”を想い出す人もいるのに…悔しいことです。今年も「Web有田陶器市」での開催となる様子。

〔参照(前半):「主に有田町民の方を対象にしたつぶやき(前編)」

2019年10月。気兼ねなく全国への移動が可能だった頃。時間の許す限り、佐賀で走り回った現地調査の記憶を綴っています。


――朝9:30。“せぶん いれぶん”まで立ち戻る道。

幕末期佐賀は“英学”でも日本をリードしていた。

佐賀藩長崎に設立した英学校致遠館”。最盛期の生徒数は100名を超えたとも言われる。当時、英語を通じて“世界”を学べる稀有な教育機関だった。

日本西洋の近代を取り入れる原点に、佐賀役回りがあったことは、もっと知られてよい。



――殿も、英数字などは知っておられたか?と思うのである。

佐賀城内水路を、今度は右手に見ながら来た道を戻った。

コンビニなので、佐賀地域性は感じられないが、やむを得ない。この頃、気に入っていた「グラタンコロッケパン」と、お茶を購入した。

そして、道から陰に立つ。まるで「昭和刑事ドラマ」の張り込みの場面のように空腹をしのぐ。


――これが定番の「あんパンと牛乳」なら、より決まるところだ。

私が追うのは幕末明治期を通じて、日本近代化に活躍した佐賀藩の真実。
「もしや…?その業績は隠された…とは考えられないか。」

年甲斐も無く、“刑事ごっこ”である。昭和テレビ番組は、何やら楽しかった。「疑り深いのは、職業柄でしてね」というセリフも入れたい。

…私は短いコートの裾を翻す。真実への糸口を探るため、佐賀城本丸歴史館へと再び歩み始めた。


(続く)

  
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2021年04月13日

連続ブログ小説「旅立の剣」(30)殿、お腹空いた…

こんばんは。
勢いで“朝食抜き”で歩き続けた、一昨年の秋。

限界を感じる私を、この場所見つめる御方が居られました。
〔参照(後半)※写真:「誰の“視点”から見るか?」


――朝9:15。私の無計画は不都合を生じた。

城内にあるサガテレビの「JYOUNAI SQUARE」。
漠然と、ここのカフェを利用しようと考えていた。

様子を伺うと、「開店10:30-」と表示があった。
私は打ちのめされた。“私自身の甘さ”にである。

「しまった…街中喫茶店と同じに考えていた。」


――さて、どうする…?

この道の先に「さがレトロ館」がある。しかし、カフェ以上に営業開始時間は遅いと予想がつく。

どうにも足取りが重くなってきた。それでも惰性で進み続ける。道端ではイベントの準備が進む。佐賀城鯱の門の近くで、くるりと周った。


〔参照(拡大写真):「鍋島直正」(賢人その1)<後編>


――ふと、顔を上げる。殿がこちらをご覧になっている。

殿ご尊顔拝し奉り恐悦至極に存じます!」
(ごそんがんはいし たてまつり きょうえつ しごくに ぞんじます)

佐賀藩士(?)と疑問符が付く身だが、このような気持ちは大事にしたい。

「うむ、苦しゅうない。そう固くならずとも良いぞ。」
ありがたき幸せ。」

「…お主は、何故ふらついておる?」
「…殿お腹空きましてございます。」


――危うい幻覚ではない。当ブログではよくある展開だ。

「わが家来の末裔(まつえい)にしては、心もと無いのう。」
「もはや、色々と混ざっておりますゆえ…」

銅像の身ゆえ、細々と世話は焼いてやれぬ。」
「ははっ。」

「道なりに戻れば“せぶん いれぶん”があろう。腹が減っては事も成せぬぞ。」
御意(ぎょい)!」

私は一礼をすると、第10代佐賀藩主鍋島直正公の銅像前から退出する。


――こうして私は、ごく自然な形(?)で来た道を戻った。

「まず、何か食べねば…」
佐賀の名物を朝食に選べなかったのは、この旅で数少ない“残念”だった。

一方で、帰路に入る刻限まで、あと5時間ばかり。
9:30には佐賀城本丸歴史館が開く。相変わらず、時間節約も必要だった。


(続く)