2020年03月08日
第5話「藩校立志」⑨
こんばんは。
当ブログも、開始から3か月が経過しました。
時折バテ気味になるので、投稿が止まることもありますが、引き続きよろしくお願いします。
今回から日本の近代司法制度を築いた、“佐賀の七賢人”(その6)江藤新平が本編に登場します。当時は“胤雄”と名乗っており、この名は明治新政府に出仕したときにも用いたようです。
――佐賀城の北の堀端に建つ藩校「弘道館」。
あの“フェートン号事件”が起きる前から、鍋島直正の師匠・古賀穀堂は教育改革を訴えていた。それから30余年の歳月を経て、藩校は目に見える形でバージョンアップを果たした。
藩校の敷地は3倍近く、経費は4倍とも言われる藩校の拡充である。
そして、藩士の子弟は、小学生に相当する6、7歳頃から通学で学ぶことになる。佐賀城下に住む八太郎くんが通っているのは、この“蒙養舎”である。
高校生くらいの年齢になると通学、もしくは寄宿舎に入っての学習である。勉強の時間として定められているのは、午前6時から午後10時という猛烈なものだった。
「ここを自分の家だと思って、学問に励むように!」
このような殿・直正の訓示により、新しい藩校はスタートしたのである。
――藩校「弘道館」の生徒数はおよそ千人。
とくに寄宿制の「内生寮」にいる若者たちは、学校に住んでいるのである。現代で言えば、男子高校生ぐらい年齢の者が集まっている。
武道場での鍛錬もあり、良く言えば賑やか、悪く言えば騒々しい。とにかく活気のある“男子校”をイメージしてほしい。
そこに一際、身なりの粗末な少年がいた。
背筋正しく、眼光鋭く、それでいて…何を考えているのか判然としない。
――その粗末な身なりの少年。武道場にて剣術の稽古中であるらしい。

佐賀藩でよく稽古されていた剣術の流派は“新陰流”“タイ捨流”などが知られる。地元の道場で学んだ形を大事にする者から、個性を活かした戦い方をする者まで…色々と差異はあったと思われる。
先ほどの少年は、身なりが小ぎれいな相手と立ち会っている。
「キェーッ!」
先に動く相手。気合を発し、様子を伺う。
はっきり言えば、みすぼらしい身なりの少年。相手の気合には動じない。
そして、一言鋭く発した。
「隙ありっ!」
声は一筋、鋭い矢のように飛んだ。
ビリッ!と電流が走ったように、微細に相手が震える。
――シュッ!少年は、木剣を振り下ろす。
「勝負あり!江藤の勝ちだ。」
審判役の少年が、粗末な身なりの少年・江藤を勝者と告げた。
「おい…江藤と言ったか、お主の声に負けてしもうたばい。」
負けた方の少年もサバサバしている。江藤の実力を認めたらしい。
「声で勝負をしているつもりは無かです。」
江藤という少年。無自覚であるらしい。
「まぁ、よか。剣の腕そのものも、お主が上のようじゃし。」
少年はカラカラと笑った。
――もちろん、藩校では学問もみっちりと詰め込まれるが…
儒学の教典“大学”の講義があった。
「では、江藤。その一節を黙読してから、答えるように。」
しかし、江藤はすぐ答えを返した。
「“大学”の内容は、概ね頭に入っておりますゆえ。」
教師は感心した。
「おお、よく学んでおるな。」
授業後、他の生徒が尋ねる。
「お主、藩校には入ったばかりではないのか。いつの間に学んだのだ。」
江藤が答える。
「母から習い申した。」
尋ねた生徒が驚く。
「母!?お主の母上は、一体何者なのじゃ?」
――江藤家は“手明鑓”と呼ばれる侍と、どうにか同格扱いの下級武士。
江藤の父は、才能はあったが実直過ぎる性格が災いし、役職を解かれていた。そのため、江藤家は佐賀城下を離れ、縁のある小城にて江藤は育ってきた。
学問のある江藤の母は、近所の子どもたちに手習いを教え、生計を支えたと言う。
このたび父が役職に付くことができたため、江藤は佐賀城下に戻り、藩校に入学したのである。
(続く)
当ブログも、開始から3か月が経過しました。
時折バテ気味になるので、投稿が止まることもありますが、引き続きよろしくお願いします。
今回から日本の近代司法制度を築いた、“佐賀の七賢人”(その6)江藤新平が本編に登場します。当時は“胤雄”と名乗っており、この名は明治新政府に出仕したときにも用いたようです。
――佐賀城の北の堀端に建つ藩校「弘道館」。
あの“フェートン号事件”が起きる前から、鍋島直正の師匠・古賀穀堂は教育改革を訴えていた。それから30余年の歳月を経て、藩校は目に見える形でバージョンアップを果たした。
藩校の敷地は3倍近く、経費は4倍とも言われる藩校の拡充である。
そして、藩士の子弟は、小学生に相当する6、7歳頃から通学で学ぶことになる。佐賀城下に住む八太郎くんが通っているのは、この“蒙養舎”である。
高校生くらいの年齢になると通学、もしくは寄宿舎に入っての学習である。勉強の時間として定められているのは、午前6時から午後10時という猛烈なものだった。
「ここを自分の家だと思って、学問に励むように!」
このような殿・直正の訓示により、新しい藩校はスタートしたのである。
――藩校「弘道館」の生徒数はおよそ千人。
とくに寄宿制の「内生寮」にいる若者たちは、学校に住んでいるのである。現代で言えば、男子高校生ぐらい年齢の者が集まっている。
武道場での鍛錬もあり、良く言えば賑やか、悪く言えば騒々しい。とにかく活気のある“男子校”をイメージしてほしい。
そこに一際、身なりの粗末な少年がいた。
背筋正しく、眼光鋭く、それでいて…何を考えているのか判然としない。
――その粗末な身なりの少年。武道場にて剣術の稽古中であるらしい。

佐賀藩でよく稽古されていた剣術の流派は“新陰流”“タイ捨流”などが知られる。地元の道場で学んだ形を大事にする者から、個性を活かした戦い方をする者まで…色々と差異はあったと思われる。
先ほどの少年は、身なりが小ぎれいな相手と立ち会っている。
「キェーッ!」
先に動く相手。気合を発し、様子を伺う。
はっきり言えば、みすぼらしい身なりの少年。相手の気合には動じない。
そして、一言鋭く発した。
「隙ありっ!」
声は一筋、鋭い矢のように飛んだ。
ビリッ!と電流が走ったように、微細に相手が震える。
――シュッ!少年は、木剣を振り下ろす。
「勝負あり!江藤の勝ちだ。」
審判役の少年が、粗末な身なりの少年・江藤を勝者と告げた。
「おい…江藤と言ったか、お主の声に負けてしもうたばい。」
負けた方の少年もサバサバしている。江藤の実力を認めたらしい。
「声で勝負をしているつもりは無かです。」
江藤という少年。無自覚であるらしい。
「まぁ、よか。剣の腕そのものも、お主が上のようじゃし。」
少年はカラカラと笑った。
――もちろん、藩校では学問もみっちりと詰め込まれるが…
儒学の教典“大学”の講義があった。
「では、江藤。その一節を黙読してから、答えるように。」
しかし、江藤はすぐ答えを返した。
「“大学”の内容は、概ね頭に入っておりますゆえ。」
教師は感心した。
「おお、よく学んでおるな。」
授業後、他の生徒が尋ねる。
「お主、藩校には入ったばかりではないのか。いつの間に学んだのだ。」
江藤が答える。
「母から習い申した。」
尋ねた生徒が驚く。
「母!?お主の母上は、一体何者なのじゃ?」
――江藤家は“手明鑓”と呼ばれる侍と、どうにか同格扱いの下級武士。
江藤の父は、才能はあったが実直過ぎる性格が災いし、役職を解かれていた。そのため、江藤家は佐賀城下を離れ、縁のある小城にて江藤は育ってきた。
学問のある江藤の母は、近所の子どもたちに手習いを教え、生計を支えたと言う。
このたび父が役職に付くことができたため、江藤は佐賀城下に戻り、藩校に入学したのである。
(続く)