2020年03月09日
第5話「藩校立志」⑩
こんばんは。
進学や就職で春は出会いの季節ですね。もっとも今春は新型コロナがいささか不安ではあります。さて、本編でも“ある出会い”を描きます。
このブログをご覧の方には、たぶん現役の学生はいないかなと思うので、想い出してみてください。新しいクラスで「なんとなくコイツと友達になりたいな。」と感じるような人はいませんでしたか?
――藩校「弘道館」が移転し、拡充されてから数年。
熱の入った授業が続く。そして、こんなこともある。
「諸君、何か質問はありますか?」
殿・鍋島直正の“メンタルトレーナー”でもある永山十兵衛が講義を行う。
「私から質問してもよいか。」
生徒たちの後ろから、声がする。年の頃30代。普通の生徒ではない。
「安房様、ご質問を承ります。」
藩校の責任者・鍋島安房。なんと“校長”が授業に出席している。
「えっ!!」
まさか”校長”も一緒に受講していたとは…生徒がどよめく。
――鍋島安房は、藩のナンバー2で、行政のトップである請役。
机を並べて勉強し、優秀さが目に留まったりすれば…立身出世できると思うのは自然な発想だろう。
藩校での学問は、大学受験と就職活動の役員面接が、日々実施されているくらい重みがある。
直正もよく藩校に来るが、鍋島安房にいたっては、城での執務以外は大体「弘道館」にいる。
安房はものすごい勢いで勉強し、生徒たちを驚愕させていた。その副作用で常に寝不足である。
――そして、鍋島安房の質問の内容である。
永山十兵衛は、水戸藩の大学者・藤田東湖と親しい。
安房は、話の流れから「水戸藩での尊王論」の展開について尋ねていた。
「そもそも水戸学派は“徳川光圀”公より始まり…」
あの水戸黄門である。“大日本史”という歴史書を編纂し始めたことで有名である。
――水戸黄門は、尊王の象徴として楠木正成を崇めた。
そして“助さん”(佐々介三郎)を、正成の最期の地・湊川(現在の神戸市)に派遣した。
黄門様は“助さん”に命じた。
「助さん!楠公さまの墓碑を建ててきなさい!」
そして、碑文では「あぁ忠臣・楠木正成…」と、後醍醐天皇のために戦った正成を讃えた。
「よく分かった。佐賀でもぜひ、楠公(なんこう)様を讃えたいものだ。」
30代の学生・鍋島安房も、永山先生の講義を心に刻んだようだ。
――藩校「弘道館」の日々は続く。そして、こんな出会いが。
広大な藩校の敷地を江藤新平(胤雄)が行く。

すると、ヌッとやや大柄な男子学生が現れる。
「俺は大木という。」
突然現れた、大木幡六(喬任)。言葉を続ける。
「お主、江藤と言ったな。」
「いかにも江藤ですが、何か用ですか。」
――前提の情報を入れておく。大木は江藤より2歳年上である。高3と高1の感じで見てほしい。
ちなみに大木は、あまり口がうまくない。
「それはだな…。」
大木は、思い付いたように言った。
「そうだ!お主、賢いな!」
江藤が、大木の言葉に反応する。
「賢いと言われて悪い気はしませぬが、やはり何用ですか。」
――意外に「友達になってくれ!」というのは勇気がいる。
まして大木は口下手である。
「そうだ!お主、昨今の国家の情勢をどうみる!」
なんとか、それらしい言葉を切り出した大木。
知識はたくさんあるが、適切な話題の選択は難しい。
江藤がふと、気づいたように語る。
「大木さん…と言いましたか。今、我々が為すべきことは…」
――大木が江藤の言葉に耳を傾ける。
やはり、この男は何かが違う。その辺の“つまらん奴”ではない。大木は次の言葉に期待した。
「なんだ、早く言ってくれ!」
江藤はスッと言い放つ。
「そろそろ昼飯の時間です!」
肩透かしを食う、大木。
「それかっ!まぁ、そうだな。」
江藤は言葉を続ける。
「我々は出遅れました!大木さん、もはや走らんといかんとです!」
「お…おう!」
とりあえず、江藤に続いて、走り出した大木。
――何にせよ、江藤と大木は、飯場に走っていた。
佐賀藩出身、後に海軍中将となる中牟田倉之助によると、概ねこうだ。
「弘道館の昼飯時は、イナゴの群れが、稲を食べ尽くすがごた…」と。
もはや、一時の猶予もない。
飯櫃が空になるそのときまでに、何とか追いつかねばねばならない。
この2人の激走は、日本の司法と教育を、近代国家のものに変えていく。
しかし、それはまだ先の話。今は昼飯に走るただの男子学生である。
(第6話:「鉄製大砲」に続く)
進学や就職で春は出会いの季節ですね。もっとも今春は新型コロナがいささか不安ではあります。さて、本編でも“ある出会い”を描きます。
このブログをご覧の方には、たぶん現役の学生はいないかなと思うので、想い出してみてください。新しいクラスで「なんとなくコイツと友達になりたいな。」と感じるような人はいませんでしたか?
――藩校「弘道館」が移転し、拡充されてから数年。
熱の入った授業が続く。そして、こんなこともある。
「諸君、何か質問はありますか?」
殿・鍋島直正の“メンタルトレーナー”でもある永山十兵衛が講義を行う。
「私から質問してもよいか。」
生徒たちの後ろから、声がする。年の頃30代。普通の生徒ではない。
「安房様、ご質問を承ります。」
藩校の責任者・鍋島安房。なんと“校長”が授業に出席している。
「えっ!!」
まさか”校長”も一緒に受講していたとは…生徒がどよめく。
――鍋島安房は、藩のナンバー2で、行政のトップである請役。
机を並べて勉強し、優秀さが目に留まったりすれば…立身出世できると思うのは自然な発想だろう。
藩校での学問は、大学受験と就職活動の役員面接が、日々実施されているくらい重みがある。
直正もよく藩校に来るが、鍋島安房にいたっては、城での執務以外は大体「弘道館」にいる。
安房はものすごい勢いで勉強し、生徒たちを驚愕させていた。その副作用で常に寝不足である。
――そして、鍋島安房の質問の内容である。
永山十兵衛は、水戸藩の大学者・藤田東湖と親しい。
安房は、話の流れから「水戸藩での尊王論」の展開について尋ねていた。
「そもそも水戸学派は“徳川光圀”公より始まり…」
あの水戸黄門である。“大日本史”という歴史書を編纂し始めたことで有名である。
――水戸黄門は、尊王の象徴として楠木正成を崇めた。
そして“助さん”(佐々介三郎)を、正成の最期の地・湊川(現在の神戸市)に派遣した。
黄門様は“助さん”に命じた。
「助さん!楠公さまの墓碑を建ててきなさい!」
そして、碑文では「あぁ忠臣・楠木正成…」と、後醍醐天皇のために戦った正成を讃えた。
「よく分かった。佐賀でもぜひ、楠公(なんこう)様を讃えたいものだ。」
30代の学生・鍋島安房も、永山先生の講義を心に刻んだようだ。
――藩校「弘道館」の日々は続く。そして、こんな出会いが。
広大な藩校の敷地を江藤新平(胤雄)が行く。

すると、ヌッとやや大柄な男子学生が現れる。
「俺は大木という。」
突然現れた、大木幡六(喬任)。言葉を続ける。
「お主、江藤と言ったな。」
「いかにも江藤ですが、何か用ですか。」
――前提の情報を入れておく。大木は江藤より2歳年上である。高3と高1の感じで見てほしい。
ちなみに大木は、あまり口がうまくない。
「それはだな…。」
大木は、思い付いたように言った。
「そうだ!お主、賢いな!」
江藤が、大木の言葉に反応する。
「賢いと言われて悪い気はしませぬが、やはり何用ですか。」
――意外に「友達になってくれ!」というのは勇気がいる。
まして大木は口下手である。
「そうだ!お主、昨今の国家の情勢をどうみる!」
なんとか、それらしい言葉を切り出した大木。
知識はたくさんあるが、適切な話題の選択は難しい。
江藤がふと、気づいたように語る。
「大木さん…と言いましたか。今、我々が為すべきことは…」
――大木が江藤の言葉に耳を傾ける。
やはり、この男は何かが違う。その辺の“つまらん奴”ではない。大木は次の言葉に期待した。
「なんだ、早く言ってくれ!」
江藤はスッと言い放つ。
「そろそろ昼飯の時間です!」
肩透かしを食う、大木。
「それかっ!まぁ、そうだな。」
江藤は言葉を続ける。
「我々は出遅れました!大木さん、もはや走らんといかんとです!」
「お…おう!」
とりあえず、江藤に続いて、走り出した大木。
――何にせよ、江藤と大木は、飯場に走っていた。
佐賀藩出身、後に海軍中将となる中牟田倉之助によると、概ねこうだ。
「弘道館の昼飯時は、イナゴの群れが、稲を食べ尽くすがごた…」と。
もはや、一時の猶予もない。
飯櫃が空になるそのときまでに、何とか追いつかねばねばならない。
この2人の激走は、日本の司法と教育を、近代国家のものに変えていく。
しかし、それはまだ先の話。今は昼飯に走るただの男子学生である。
(第6話:「鉄製大砲」に続く)