2024年07月30日
「滑込の剣」(8)私にも、言いたいことがある
こんばんは。前回、佐賀の七賢人・江藤新平の“銅像との対話”を経て、私は「結局、学び続けるほかに道は無い」と感じ取りました。
多くの佐賀県出身者と同じように、大都市圏に住む身の上で、故郷の知名度の低さに色々と考えさせられることも、度々あります。
私には「自分の生まれた場所に、誇りを持つことができるか?」は、かなり大事な問いではないかと思えるのです。
――江藤新平は、日本を近代国家へと進める枠組みを整えた人物。
明治初頭に、国家としての仕組みを整えるため、江藤は立法・行政・司法とあらゆる分野に関わった。
新政府の中枢にいて、様々な問題を解決したが、裏方で進めていた仕事が多く、その活躍はあまり語られない。

偉大な“大先輩”たちの銅像を振り返り、私は声にならざる声を張る…
「玄関の正面にお二人の像がドーンと現われるものと思っておりました!」
“佐賀の七賢人”の2人、島・江藤両者の像は、ロビーの吹き抜けにある階段の手前に揃っている。わりと地味な配置で、しばらく気付かなかったぐらいだ。
――むろん県庁ロビーで騒いではならず、私の“声”は、想いの表れだ。
そして気持ちの問題なので、私が呼びかければ、先輩たちは“返事”をくれる。
「見栄えんごたところに、頓着はしない流儀だ!」
そうだ…、格好を気にせず仕事に没頭するのが、江藤新平だった。
「おいも、そがん細かかことは、なん~も気にせんばい。」
北海道の荒野に大都市を築いた、島義勇は壮大な事を考える人物だった。
私はしっかりと向き直った。一つ、言いたいことがあるので、言わせてもらう。
「先輩方(がた)~っ!もう少し、映え(ばえ)を意識してくださ~い!」
「令和の時代に“偉人”を続けるには、それなりの人気も要りますよ~っ!」
歴史上の有名人物にとってもイメージが大切なのは身に染みている。実力や功績のわりに、“佐賀の七賢人”は、他の地域では何だか語りづらい。

――いつの日か、故郷の“英雄”たちを、もっと誇りを持って語りたい。
当時の県庁ですら「平穏」と認識した状況で、いきなり進撃してきた新政府軍。
やむを得ず迎撃したら、江藤新平・島義勇たちは“反逆者”扱いにされ、まともな裁判もなく処刑に至った。この経過は「近代国家の恥」とも言われている。
そんな理不尽な事件が、150年前に発生した。
後年、その戦闘は「佐賀の乱」と呼ばれた。故郷の英雄を「反乱を起こした人」と教えられ、若き日の私は、佐賀の歴史に関心を持たなくなった。
明治後期には公式に官位も追贈され、両者の名誉も回復されたはずで、近年では「佐賀戦争」という表記も増えたが、過去の悲劇が消えるわけではない。
起きた事象そのものは変えられないが、評価を見つめ直すことはできる。ここを乗り越えた時、もっと“佐賀出身”を誇れる日が来る…私は、そう信じている。
多くの佐賀県出身者と同じように、大都市圏に住む身の上で、故郷の知名度の低さに色々と考えさせられることも、度々あります。
私には「自分の生まれた場所に、誇りを持つことができるか?」は、かなり大事な問いではないかと思えるのです。
――江藤新平は、日本を近代国家へと進める枠組みを整えた人物。
明治初頭に、国家としての仕組みを整えるため、江藤は立法・行政・司法とあらゆる分野に関わった。
新政府の中枢にいて、様々な問題を解決したが、裏方で進めていた仕事が多く、その活躍はあまり語られない。
偉大な“大先輩”たちの銅像を振り返り、私は声にならざる声を張る…
「玄関の正面にお二人の像がドーンと現われるものと思っておりました!」
“佐賀の七賢人”の2人、島・江藤両者の像は、ロビーの吹き抜けにある階段の手前に揃っている。わりと地味な配置で、しばらく気付かなかったぐらいだ。
――むろん県庁ロビーで騒いではならず、私の“声”は、想いの表れだ。
そして気持ちの問題なので、私が呼びかければ、先輩たちは“返事”をくれる。
「見栄えんごたところに、頓着はしない流儀だ!」
そうだ…、格好を気にせず仕事に没頭するのが、江藤新平だった。
「おいも、そがん細かかことは、なん~も気にせんばい。」
北海道の荒野に大都市を築いた、島義勇は壮大な事を考える人物だった。
私はしっかりと向き直った。一つ、言いたいことがあるので、言わせてもらう。
「先輩方(がた)~っ!もう少し、映え(ばえ)を意識してくださ~い!」
「令和の時代に“偉人”を続けるには、それなりの人気も要りますよ~っ!」
歴史上の有名人物にとってもイメージが大切なのは身に染みている。実力や功績のわりに、“佐賀の七賢人”は、他の地域では何だか語りづらい。
――いつの日か、故郷の“英雄”たちを、もっと誇りを持って語りたい。
当時の県庁ですら「平穏」と認識した状況で、いきなり進撃してきた新政府軍。
やむを得ず迎撃したら、江藤新平・島義勇たちは“反逆者”扱いにされ、まともな裁判もなく処刑に至った。この経過は「近代国家の恥」とも言われている。
そんな理不尽な事件が、150年前に発生した。
後年、その戦闘は「佐賀の乱」と呼ばれた。故郷の英雄を「反乱を起こした人」と教えられ、若き日の私は、佐賀の歴史に関心を持たなくなった。
明治後期には公式に官位も追贈され、両者の名誉も回復されたはずで、近年では「佐賀戦争」という表記も増えたが、過去の悲劇が消えるわけではない。
起きた事象そのものは変えられないが、評価を見つめ直すことはできる。ここを乗り越えた時、もっと“佐賀出身”を誇れる日が来る…私は、そう信じている。
2024年07月26日
「滑込の剣」(7)向き合えば、問答の間
こんばんは。5月上旬のこの時、ある「特別展」が閉幕の間近だったので、私は佐賀へと駆け込みました。
かつて、教科書では「佐賀の乱」とだけ記された、あの事件の真相…それが見えてきそうな気がしたからです。
会場である“佐賀城本丸歴史館”に向かう途上で、私は佐賀県庁に立ち寄りました。例によって“銅像との対話”が続きます。

県庁ロビーには佐賀の七賢人・江藤新平の銅像もあった。幕末に佐賀から脱藩し謹慎となるが、明治初期のわずかな期間、その才能は強い光を放った。
「議論において、並ぶ者なし」とも評された江藤。裁判所など近代の司法制度を整備するのみならず、徳川幕府から明治新政府への移行にも深く関わった。
ところが、日本を近代国家として成り立たせるために奔走した人物は、新政府に不満を持つ士族による“反乱の首謀者”扱いとされ、その生涯を閉じた。
――「私は、江藤先生と違って、平凡な人間です。」
「…歳も取ってしまった。もう勉学に励んでも、たかが知れています。」
まさに、時を費やした。若き日は遠く、身体からは気力が感じられない。
「では、君はそのままで良かと、そう考えるか。」
さすが江藤新平という人物、その銅像に向き合うだけで、ピリピリとした問答の気分になる。
「…いや、だからこそ“佐賀の力”が要るのです。」
「そがん言いよるが、佐賀ん力ば、いかに使うか。」

――しばし、無音にて間が空く。私は言葉を返した。
「…私はともかくとして、まだ佐賀には無限の可能性が残っている。」
「その佐賀の可能性ば、どうやって引き出すつもりか。」
江藤は理想を語れば、常に実行の手順があったという。それだけ、言いっ放しで後を考えない“評論家”には厳しい。
「それには佐賀の誇りを取り戻すこと。江藤新平という人物の評価を正しく行うのが、遠回りに見えて近道だと考えます。」
「よか、わかった。では、勉学に励まんね!」
――これが問答の結論か。
佐賀への帰藩のたびに行う「銅像との対話」は大体、何か1つの答えを残していく。今回、私は結局のところ“勉学に励むべし”という話に戻された。
そういえば幕末期、全国で一番勉強したのは、佐賀藩だという話も聞く。
おそるべし、江藤新平。向き合うだけで「ああ、佐賀の者とは、その命が尽きるまで、学び続けることと見つけたり…」という気分になった。
かつて、教科書では「佐賀の乱」とだけ記された、あの事件の真相…それが見えてきそうな気がしたからです。
会場である“佐賀城本丸歴史館”に向かう途上で、私は佐賀県庁に立ち寄りました。例によって“銅像との対話”が続きます。
県庁ロビーには佐賀の七賢人・江藤新平の銅像もあった。幕末に佐賀から脱藩し謹慎となるが、明治初期のわずかな期間、その才能は強い光を放った。
「議論において、並ぶ者なし」とも評された江藤。裁判所など近代の司法制度を整備するのみならず、徳川幕府から明治新政府への移行にも深く関わった。
ところが、日本を近代国家として成り立たせるために奔走した人物は、新政府に不満を持つ士族による“反乱の首謀者”扱いとされ、その生涯を閉じた。
――「私は、江藤先生と違って、平凡な人間です。」
「…歳も取ってしまった。もう勉学に励んでも、たかが知れています。」
まさに、時を費やした。若き日は遠く、身体からは気力が感じられない。
「では、君はそのままで良かと、そう考えるか。」
さすが江藤新平という人物、その銅像に向き合うだけで、ピリピリとした問答の気分になる。
「…いや、だからこそ“佐賀の力”が要るのです。」
「そがん言いよるが、佐賀ん力ば、いかに使うか。」
――しばし、無音にて間が空く。私は言葉を返した。
「…私はともかくとして、まだ佐賀には無限の可能性が残っている。」
「その佐賀の可能性ば、どうやって引き出すつもりか。」
江藤は理想を語れば、常に実行の手順があったという。それだけ、言いっ放しで後を考えない“評論家”には厳しい。
「それには佐賀の誇りを取り戻すこと。江藤新平という人物の評価を正しく行うのが、遠回りに見えて近道だと考えます。」
「よか、わかった。では、勉学に励まんね!」
――これが問答の結論か。
佐賀への帰藩のたびに行う「銅像との対話」は大体、何か1つの答えを残していく。今回、私は結局のところ“勉学に励むべし”という話に戻された。
そういえば幕末期、全国で一番勉強したのは、佐賀藩だという話も聞く。
おそるべし、江藤新平。向き合うだけで「ああ、佐賀の者とは、その命が尽きるまで、学び続けることと見つけたり…」という気分になった。
2024年07月18日
「滑込の剣」(6)“開拓神”と、もう1人
こんばんは。『さがファンブログ』で得た情報から、県庁のモニュメントを探しに行った話の続きです。
現在、200万人に近い人口を擁する、札幌の街を創り出した人物・島義勇の銅像と目が合いました。
佐賀の誇る賢人たちの姿を見かけると、多少の会話が始まるのが、当ブログの特徴です。いつもの感じで綴ります。
――明治初期、北海道(蝦夷地)の開拓判官という立場で
当地に趣き、数か月で現在の大都市・札幌の基礎設計を成し遂げた、島義勇(団右衛門)。佐賀の人が、親しみを込めて呼ぶと“団にょん”さん。
明治初期、札幌の地は「四方広漠の平原」、言うならば「な~んも無か」みたいな場所だったらしい。“団にょん”は、そこを世界一の都市にしようと志した。

「団にょん…、いや“判官さま”とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
急に恐縮しだした私である。たしかに“本編”を書く時には、島義勇の登場が、かなり少ない傾向がある。
しかも、蝦夷地(北海道)探索についての第11話『蝦夷探検』で歩き回った以外は、砂ぼこりをあげて走っている…感じの描写ばかりだ。
――繰り返すが、大都市・札幌の基礎を築いた、すごい人である。
「一応は、わい(お前)も佐賀ん者たい。“団にょん”さんでよかとよ。」
北海道開拓の英雄を“判官さま”とお呼びしても良いかもしれないが、せっかくの話の流れなので、そのまま佐賀藩士(?)として振る舞いたい。
「ありがとうございます。“団にょん”さま。」
それとなく、強めに敬意は込めてみた。
「“SR”とか言いよったか。意外に調子のよか奴とね~」
島義勇、明治新政府の権力者とはよく衝突したが、直属の部下や現場で働く人々の評判は良かったようで、男気のある“アニキ”な印象の人物だ。
――その時である。「君はここで、時ば費やしてもよかとか。」

なんだか“団にょん”さんと談笑する感じになっていたところ、その空気を打ち破るかのように右前方から、スッと一筋の声が通った。
そう、この場に“英雄”は、もう1人いる。この日、私が佐賀に滑り込んできた理由とも言える、あの人だ。
現在、200万人に近い人口を擁する、札幌の街を創り出した人物・島義勇の銅像と目が合いました。
佐賀の誇る賢人たちの姿を見かけると、多少の会話が始まるのが、当ブログの特徴です。いつもの感じで綴ります。
――明治初期、北海道(蝦夷地)の開拓判官という立場で
当地に趣き、数か月で現在の大都市・札幌の基礎設計を成し遂げた、島義勇(団右衛門)。佐賀の人が、親しみを込めて呼ぶと“団にょん”さん。
明治初期、札幌の地は「四方広漠の平原」、言うならば「な~んも無か」みたいな場所だったらしい。“団にょん”は、そこを世界一の都市にしようと志した。
「団にょん…、いや“判官さま”とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
急に恐縮しだした私である。たしかに“本編”を書く時には、島義勇の登場が、かなり少ない傾向がある。
しかも、蝦夷地(北海道)探索についての第11話『蝦夷探検』で歩き回った以外は、砂ぼこりをあげて走っている…感じの描写ばかりだ。
――繰り返すが、大都市・札幌の基礎を築いた、すごい人である。
「一応は、わい(お前)も佐賀ん者たい。“団にょん”さんでよかとよ。」
北海道開拓の英雄を“判官さま”とお呼びしても良いかもしれないが、せっかくの話の流れなので、そのまま佐賀藩士(?)として振る舞いたい。
「ありがとうございます。“団にょん”さま。」
それとなく、強めに敬意は込めてみた。
「“SR”とか言いよったか。意外に調子のよか奴とね~」
島義勇、明治新政府の権力者とはよく衝突したが、直属の部下や現場で働く人々の評判は良かったようで、男気のある“アニキ”な印象の人物だ。
――その時である。「君はここで、時ば費やしてもよかとか。」
なんだか“団にょん”さんと談笑する感じになっていたところ、その空気を打ち破るかのように右前方から、スッと一筋の声が通った。
そう、この場に“英雄”は、もう1人いる。この日、私が佐賀に滑り込んできた理由とも言える、あの人だ。
2024年07月13日
「滑込の剣」(5)振り向けば、“英雄”のいた街
こんばんは。例によって、無理な行程を組んでいる5月上旬の“帰藩”。前回は、佐賀県庁の1Fロビー、言うなれば“佐賀の中枢”にたどり着きました。
「時間が無い」と言うわりに、佐賀城の本丸歴史館に直行せず、何故そんな寄り道をするのか…今回は、その経緯を記します。
――この時点で、私が掴んでいた情報。
ほぼ毎日、閲覧している『さがファンブログ』だが、時折「おおっ!」と思う記事に行き当たる。
そこで得た情報、県庁に“二人の英雄”が並び立っているという知らせだった。
いざ、県庁の内部に入ると、思いのほか佐賀の物産も展示されており、物珍しさに目移りがする。
――「佐賀の誇りを取り戻す」という意図もあってか。
一度は名誉を失った“英雄”たちの真の復権を目指して、“モニュメント”が設置されている…と聞いていた。
ただ、玄関口から入って正面を見渡しても、それらしき展示は見当たらない。

「わい(お前)は、どこを見よっとね。」
眼前の景色ばかりに気を取られていたが、気配を感じる…後ろだ。
「だ…団にょん!?」
「呼び捨てはなかろうもん。せめて“団にょん”さん、じゃなかね。」

歩み進めたロビーの後ろ、もと来た方向に向かって振り返ると、日本に「札幌」という街を創り出した男・島義勇の勇姿があった。
札幌と言えば、200万に近い人口がある大都市。そこは、日本の五大都市圏の一つにも数えられる。
明治初期の北海道に、巨大都市を造り始めたすごい人、という説明がわかりやすいだろうか。
なお、島団右衛門という通称があるので、地元の佐賀では、親しみを込めて“団にょん”さん、と呼ばれているという。
「時間が無い」と言うわりに、佐賀城の本丸歴史館に直行せず、何故そんな寄り道をするのか…今回は、その経緯を記します。
――この時点で、私が掴んでいた情報。
ほぼ毎日、閲覧している『さがファンブログ』だが、時折「おおっ!」と思う記事に行き当たる。
そこで得た情報、県庁に“二人の英雄”が並び立っているという知らせだった。
いざ、県庁の内部に入ると、思いのほか佐賀の物産も展示されており、物珍しさに目移りがする。
――「佐賀の誇りを取り戻す」という意図もあってか。
一度は名誉を失った“英雄”たちの真の復権を目指して、“モニュメント”が設置されている…と聞いていた。
ただ、玄関口から入って正面を見渡しても、それらしき展示は見当たらない。
「わい(お前)は、どこを見よっとね。」
眼前の景色ばかりに気を取られていたが、気配を感じる…後ろだ。
「だ…団にょん!?」
「呼び捨てはなかろうもん。せめて“団にょん”さん、じゃなかね。」
歩み進めたロビーの後ろ、もと来た方向に向かって振り返ると、日本に「札幌」という街を創り出した男・島義勇の勇姿があった。
札幌と言えば、200万に近い人口がある大都市。そこは、日本の五大都市圏の一つにも数えられる。
明治初期の北海道に、巨大都市を造り始めたすごい人、という説明がわかりやすいだろうか。
なお、島団右衛門という通称があるので、地元の佐賀では、親しみを込めて“団にょん”さん、と呼ばれているという。
2024年07月07日
「滑込の剣」(4)佐賀の“中枢”に至る
こんばんは。今年1回目の佐賀への“帰藩”で、5月上旬の話を書いています。
陽射しはそこそこありましたが、まだ新緑の季節だったので、日陰に入れば過ごしやすい時期でした。
大型スクリーンからピアノの音色が流れる、駅前の大屋根を後にして、佐賀駅BCへと進むところからです。
――駅改札のすぐ東。“BC”とは、「バスセンター」だという。
佐賀市内のバス交通の結節点。この場所からは様々な選択肢がある…とはいえ、私の進むべき方向は決まっている。
中央大通りに向かうバスが「丁度よか時に来たとよ。さぁ、乗らんね」とばかりに、スーッと走り込んでくる。
「かなり、空いている…ほぼ貸し切りに見えるぞ!」
自家用車でないと不便、それもわかる。だが、もう少し混んでいないと、いわゆる“都会”で暮らす私は、やや不安をおぼえる。
「いや、これは佐賀が私を“特別扱い”してくれたのだ!そうに違いない」と、納得しておくことにした。
――実際、バスは快適で早かった。
市街地の大通りを佐賀銀行、佐賀玉屋、佐賀バルーンミュージアム…と進む、こんな時、私はこう思う。
「いま、私は間違いなく、佐賀の地にいる…」
いつから、このような“体質”になったのか。体の中心から、指先にまで気力が還ってくる感じがする。

そういう、地元に住む方に理解し難い感覚はさておき、「県庁前」で下車する。
本日、最初の目的地がすぐ近くにあるからだ。そこは、いわば現代における“佐賀の中枢”。
私は佐賀県庁の1階ロビーに到達した。なぜ、ここに来たのか…というと、ある情報を掴んでいたからだ。
陽射しはそこそこありましたが、まだ新緑の季節だったので、日陰に入れば過ごしやすい時期でした。
大型スクリーンからピアノの音色が流れる、駅前の大屋根を後にして、佐賀駅BCへと進むところからです。
――駅改札のすぐ東。“BC”とは、「バスセンター」だという。
佐賀市内のバス交通の結節点。この場所からは様々な選択肢がある…とはいえ、私の進むべき方向は決まっている。
中央大通りに向かうバスが「丁度よか時に来たとよ。さぁ、乗らんね」とばかりに、スーッと走り込んでくる。
「かなり、空いている…ほぼ貸し切りに見えるぞ!」
自家用車でないと不便、それもわかる。だが、もう少し混んでいないと、いわゆる“都会”で暮らす私は、やや不安をおぼえる。
「いや、これは佐賀が私を“特別扱い”してくれたのだ!そうに違いない」と、納得しておくことにした。
――実際、バスは快適で早かった。
市街地の大通りを佐賀銀行、佐賀玉屋、佐賀バルーンミュージアム…と進む、こんな時、私はこう思う。
「いま、私は間違いなく、佐賀の地にいる…」
いつから、このような“体質”になったのか。体の中心から、指先にまで気力が還ってくる感じがする。
そういう、地元に住む方に理解し難い感覚はさておき、「県庁前」で下車する。
本日、最初の目的地がすぐ近くにあるからだ。そこは、いわば現代における“佐賀の中枢”。
私は佐賀県庁の1階ロビーに到達した。なぜ、ここに来たのか…というと、ある情報を掴んでいたからだ。
タグ :佐賀
2024年07月04日
「滑込の剣」(3)“難曲”に挑む者
こんばんは。2年ぶりとなった、今年1回目の佐賀への帰還。時期は5月上旬の話です。今回は以前、投稿した記事と同じ場面を、異なる描き方で綴ります。
〔参照:「小休止その5、カンパネラの鳴る街角」〕
2年前の来訪時は工事中だったかもしれません。その時、私は佐賀駅南口、強い日差しも、しのげる大屋根の下にいました。
――ここで、聞こえてくる音色は…
練達のピアニストも敬遠するという難曲『ラ・カンパネラ』。いま佐賀駅前の街角には、このメロディーが似つかわしい。

佐賀の海苔漁師・徳永さんが、超有名ピアニストの前座で演奏できるほどに腕を磨いてきた、この難曲の旋律。
背中を追いかけた、そのピアニスト(フジコ・ヘミングさん)は先日、世を去られたが、この“物語”は残っていくはず。
何歳からの始まりでも一途に追い続ければ、“難曲”を会得できることもある…
――私も、“佐賀の者”を名乗るならば、
あきらめずに書くことは続けてみよう。きっと海苔漁は、私の仕事より、遙かに厳しい重労働だ。
「仕事の傍らで、何かを成し遂げた者。」
見ようによっては、私も海苔漁師の“徳永さん”から勇気を与えられる立場で、その背中を追わねばならないのかもしれない。
ただ、この時に弁当を食べていて、私はこんなことを考えていた。
「嬉野茶飯は美味だ。佐賀米と嬉野茶との相性は抜群で、隙がない。」
「しかし、佐賀海苔の弁当も選んでみたかった…」
…迷い多き私には、まだまだ成功への道は遠そうである。
ちなみに、海苔漁師のピアニストの物語は『ら・かんぱねら』として映画化されると告知されていた。ぜひ観てみたいと思っている。
〔参照:
2年前の来訪時は工事中だったかもしれません。その時、私は佐賀駅南口、強い日差しも、しのげる大屋根の下にいました。
――ここで、聞こえてくる音色は…
練達のピアニストも敬遠するという難曲『ラ・カンパネラ』。いま佐賀駅前の街角には、このメロディーが似つかわしい。
佐賀の海苔漁師・徳永さんが、超有名ピアニストの前座で演奏できるほどに腕を磨いてきた、この難曲の旋律。
背中を追いかけた、そのピアニスト(フジコ・ヘミングさん)は先日、世を去られたが、この“物語”は残っていくはず。
何歳からの始まりでも一途に追い続ければ、“難曲”を会得できることもある…
――私も、“佐賀の者”を名乗るならば、
あきらめずに書くことは続けてみよう。きっと海苔漁は、私の仕事より、遙かに厳しい重労働だ。
「仕事の傍らで、何かを成し遂げた者。」
見ようによっては、私も海苔漁師の“徳永さん”から勇気を与えられる立場で、その背中を追わねばならないのかもしれない。
ただ、この時に弁当を食べていて、私はこんなことを考えていた。
「嬉野茶飯は美味だ。佐賀米と嬉野茶との相性は抜群で、隙がない。」
「しかし、佐賀海苔の弁当も選んでみたかった…」
…迷い多き私には、まだまだ成功への道は遠そうである。
ちなみに、海苔漁師のピアニストの物語は『ら・かんぱねら』として映画化されると告知されていた。ぜひ観てみたいと思っている。
タグ :佐賀
2024年07月01日
「滑込の剣」(2)いざ、佐賀之“世界”へ
こんばんは。ここ数年、「なかなか帰れない」「佐賀の遠か…」と言い続けましたが、今年はすでに2回も佐賀県内に入っています。
うち1回目の話。5月上旬の佐賀市内です。
――佐賀駅のBC(バスセンター)とJRの改札口との間。
たしか“えきマチ1丁目”と呼ばれる区画。数年前に一度、佐賀駅構内からは書店が消滅したのだが、新しい本屋が出て“復活”していた。
店の名はそのまま「佐賀之書店」。なかなかインパクトのある看板で「う~む」とばかりに、しばらく眺めてみる。

…これは、佐賀に還ったのを実感するには良い場所だ。
――いや、感慨にふけっている場合ではない。
この時の用件は、“佐賀の七賢人”の誇る稀才・江藤新平の没後150年特別展を観に行くことだ。
私がこの企画展示を見ようものなら、相当な時間を遣うのは想像に難くない。
「…少々、腹ごしらえが要りそうだ。」
“人智は空腹より生じる”と聞くが、私のような凡人には真似ができそうにない。
さて、佐賀駅のすぐ近くに“街かど畑”という呼称を持つスーパーがある。
そこで、嬉野茶飯のお弁当を入手して「美味い、美味い!」と食べている傍らでは、ピアノの音色が響いていた。
うち1回目の話。5月上旬の佐賀市内です。
――佐賀駅のBC(バスセンター)とJRの改札口との間。
たしか“えきマチ1丁目”と呼ばれる区画。数年前に一度、佐賀駅構内からは書店が消滅したのだが、新しい本屋が出て“復活”していた。
店の名はそのまま「佐賀之書店」。なかなかインパクトのある看板で「う~む」とばかりに、しばらく眺めてみる。
…これは、佐賀に還ったのを実感するには良い場所だ。
――いや、感慨にふけっている場合ではない。
この時の用件は、“佐賀の七賢人”の誇る稀才・江藤新平の没後150年特別展を観に行くことだ。
私がこの企画展示を見ようものなら、相当な時間を遣うのは想像に難くない。
「…少々、腹ごしらえが要りそうだ。」
“人智は空腹より生じる”と聞くが、私のような凡人には真似ができそうにない。
さて、佐賀駅のすぐ近くに“街かど畑”という呼称を持つスーパーがある。
そこで、嬉野茶飯のお弁当を入手して「美味い、美味い!」と食べている傍らでは、ピアノの音色が響いていた。