2020年02月26日

第5話「藩校立志」①

こんばんは。
今回から第5話「藩校立志」に入ります。
枝吉神陽の影響で、子・八太郎に「太平記」を読み聞かせることにした大隈の母三井子。次第にヒートアップしていきます。これも幕末の“熱気”なのかもしれません。

――大隈三井子は、子・八太郎に本を読むことをせがまれる。

ははうえごほんよんで~」
もちろん、八太郎くんのリクエストは「太平記」である。

なお「太平記」は作者がはっきりせず、様々な種類の本があるという。ざっくりした内容なので、細かいところは大目に見てほしい…

――八太郎くんの熱いリクエストに応え、本を手に取る三井子。

「では八太郎!心してお聞きなさい!」
「はい、ははうえさま!」
大隈八太郎正座をする。

~太平記より「湊川の戦い」~

――摂津国・湊川(現在の兵庫県神戸市)

楠木正成は、京の都への防衛線である地に着陣した。

そして、南朝方の大将・新田義貞と合流する。
負け戦続きで士気が落ちていた南朝方。“軍神楠木正成の到着に沸く。

ほどなく大音声とともに、足利尊氏の軍勢がからから押し寄せてきた。
南朝方にはの戦力が無い。海からの攻撃には新田勢が弓で応戦する。

わずか七百騎であるが、楠木正成の軍は精兵ぞろいである。
から攻めてくる尊氏の弟・足利直義の軍勢を迎え撃つ。


――足利直義の軍は、楠木正成の手勢の二十倍以上…

足利軍の中心は、軍事責任者である直義
「怯むな!直義さえ討ち取れば、足利勢は崩せるぞ!」

指揮を執る大将どもだけを狙え!から叩き落せ!」
荒れる戦場。前が見えぬほどの土煙が舞う。

暴れ馬達の嘶きが反響し、無数のが飛び交う。

直義は、すぐそこじゃ!討ち取れ!」
攻め続ける楠木正成。圧倒的な兵力を持つ足利直義が、陣を捨て逃げ出す。


――楠木軍が突撃を繰り返すこと十六度…

しかし、兵力の差は歴然。
時が経つに連れ、戦の流れは足利勢有利に傾いていく。

次第に削られていく楠木正成の軍勢。
残されたのは、正成の正季を含め七十三騎

楠木勢に近づいてはならん!弓を射かけ、数を減らすのじゃ!」
次々に新手の兵を送り込む足利方。伝令の声が響く…


――敵が遠巻きに取り囲む中、楠木正成は覚悟を決めた。

楠木正成正季兄弟は粗末な小屋を見つけた。
ここを最期の場所に選んだのである。

兄上、ここまででござるな。拙者は生まれ変わっても、きっと尊氏を討ちまする。」
「そうだな我ら兄弟、たとえ七度生まれ変わっても、お守りしよう。」

そして、楠木兄弟は互いを短刀で突き、命を断ったのである。

~以上、三井子の朗読の設定は終了~


――再び、自身の朗読で涙を流す、三井子。そして横で号泣する八太郎。

「ははうえ!八太郎楠公(なんこう)様のように強い武士になりまする!」
を流しながら、決意を語る八太郎

八太郎立派です!決して、今日の“”を忘れてはなりません!」
「はい!ははうえさま。」



――ここで父・大隈信保が帰宅する。

佐賀藩砲術の研究所“火術方”を立ち上げるので、最近はさらに忙しい。
「いま、戻った…、で…いつもの調子か。」

目に入ってきたのは、泣きながら何やら叫ぶ八太郎を抱きしめる三井子

父上!今は触れぬ方が…」
「…言わずともわかる。そっとしておくとしよう。」
(八太郎の姉)の肩を軽くポンポンと叩き、父・信保は玄関に引き返した。


――そして江戸。枝吉神陽は、幕府の昌平坂学問所でも頭角を現していた。

神陽一言で「太平記」ブームが到来した大隈
しかし、神陽の“引力”は佐賀には留まらない。

「このたび舎長(しゃちょう)は、肥前佐賀枝吉君に務めてもらうことになった!」
全国の各藩から“必勝”の天才が送り込まれる、幕府の学問所


――枝吉神陽は、実にあっさりと“天才”たちのリーダーに就いていた。

枝吉だ。このたび舎長に任じられた。皆、よろしく頼む!」
神陽はよく通る。皆が一斉に注目する。

挨拶が終わった後、学問所内の噂話が続く。
「相変わらず…鐘が鳴るようなじゃけ。」

枝吉さんと言えば、3万冊の本を暗唱しとるらしいぞ。」
「いや、この前な…富士の山下駄で登って悠然と帰ってきたべ。」

――ここで神陽の噂話をしているのも、並の人物たちではない。

各藩指導的な存在となるべき者たちも、引き付けてしまう枝吉神陽

幕末の“指導者”と言えば、ある人物が神陽を訪ねて、衝撃を受けることになる。それは神陽佐賀に帰ってからなので、もう少し後の話である。


(続く)  


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2020年02月28日

第5話「藩校立志」②

こんばんは。
一昨日の続きです。

――1844年。佐賀藩の砲術の研究所“火術方”が創設される。

大隈信保は忙しく働いていた。
信保は、大隈八太郎(のちの大隈重信)のである。

そして“石火矢頭人”(いしびや かしら)の役職にある。
石火矢”、ここでは大砲古風な表現とお考えください。

大隈は、佐賀藩砲術の担当者であった。


――ドン!ドン!

大隈どの!モルチール砲試射、滞りなく。」
西洋砲術”の流儀に基づいて実験を行う。

「ご苦労。ここに記してくれ。」
大隈信保は次々に生じる実験データを集めていた。

火薬調合ごとに結果が異なり申した。」
「やはりな。見込みどおりだ。」
信保は“砲術長”の立場にあり、自身で火薬の調合もこなせたという。


――ポン!ポン!

大隈どの!古来の“石火矢”も、まずまずの結果ですばい。」
佐賀藩は、和製大筒も比較の対象とし、洋砲と並べて試験をしていた。

「ほう、思いのほか、よかごたね…」
大隈信保大筒の担当とも旧知の様子。

「この大筒も使えるかもしれぬな…」
信保は、大砲の弾道計算もできたと言われる。


――そこで“長崎御番の侍”の継承者・本島藤太夫が現場に現れる。

鍋島直正側近でもあり、“火術方”でも重責を担う本島
製砲”の主任、“台場”の責任者と忙しい。

先ほど、殿から激励を受けてきたらしい。
本島よ!不埒な異国船あらば、打払えるだけの備えをせよ!」
と言い残すと、直正は次の仕事のために戻った。

各々の責任者がいるとはいえ、直正のもとでは、
防衛科学技術だけでなく、財政教育農業都市計画特産開発…多数のプロジェクトが進んでいたのである。

大隈信保は、ぽつりと言った。
殿も忙しかごたですな。」

――しかし、本島藤太夫は殿からの激励で高揚している。

大隈どの!私はやるぞ!」

そして、右拳を握りしめる本島
「もし長崎異国船が暴れるならば、私が悉く打払ってやる!」

…これは、第1話長崎警護」からの流れである。
あの日の若侍は、たしかに受け継がれている…

この直前1840年からのアヘン戦争で、東洋の大国・イギリスに完敗している。この衝撃、長崎を警備する佐賀藩では特に大きい。製砲台場の整備は急務だった。


――そして、ごく小さい話ですが、暴れると言えば…舞台は、佐賀城下。

おおくま はちたろうかくごしろ!」
年のころ、7歳ぐらいの男子が仁王立ちしている。

「なにを~うてるものなら、うってみろ!」
大隈八太郎、何やら自分より大きい子喧嘩を始めた。

こしゃくな!まて~っ!」
追われる八太郎
そこで身を翻す、いつの間にか手に持った柄杓(ひしゃく)。

低い体勢から、追いついた男の子の向う脛(むこうずね)をスコン!と叩く。
「いてて…」

――そして、手ごろな台の上に飛び乗った八太郎

たかうじ!かくご!」
「…たかうじ!?だれのことだ?」
困惑する相手に体ごと飛びかかる八太郎。とても危ない。

「ぐへっ、…まいった。」
いきなり“尊氏”と呼ばれた喧嘩の相手。奇襲攻撃に降参する。八太郎勝利である。

「どうだ!これが、なんこう(楠公)さまの、へいほう(兵法)だ!」
太平記”の物語を読んでもらうだけで、“楠木正成”に感化され戦闘力が上がった大隈八太郎


――後の大隈重信には、先輩部下から話を聞いただけで、必要な知識を得る力が備わった。

いわば“耳学問”の達人のような要領の良さがあった。
しかし、それはまだ随分、先の話…

弱々しい甘えん坊だった八太郎くん。
強い子になってほしいという母の想い、そしてであった“太平記”が効き過ぎて、今度は喧嘩ばかりする子になっていく。

大隈三井子は、相変わらず八太郎くんの育て方悩むのだった。

(続く)  


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2020年02月29日

第5話「藩校立志」③

こんばんは。

1844年には、鎖国を続ける江戸幕府に対して「オランダ国王の開国勧告」がありました。

当時のオランダは、長崎出島を通じて、日本国内と唯一つながっていた西洋の国。いわば「開国のススメ」を携えて、オランダの軍船「パレンバン号」がやって来ます。

――佐賀城。鍋島直正に貴重な知らせがあった。

直正が、やや細い目を見開く。
オランダ軍船長崎に参ると聞いたぞ!」

「ははっ!確かな知らせのようです。」
火術方”での研究だけでなく、長崎砲台も整備する本島藤太夫が答える。

「何とか見聞してみたいものだ。」
直正は思案し始めた。

――直正は、今までにも“オランダ商人の船”にはよく乗り込んでいる。

しかし、さすがの直正にも、西洋軍船を間近で見る機会はなかった。千載一遇好機の到来である。


――その頃、佐賀藩士たちが城内・城下で慌ただしく長崎行きの準備をする。

「第二陣の武器の支度は整ったか!」

「この荷は、もう長崎に運んでも良いのだな!」
「そこの一山、あわせて三十箱は運び出しても良うござる!」

「第二陣の出立は、明日の何刻(なんどき)じゃ!」
が揃ってからの出立ゆえ、辰の刻(午前8時頃)になるかと!」

「少し遅いな…やむを得ぬか…」
輸送費のほか、宿営費も気になっている佐賀藩である。できるだけ節約したい。長崎警護には、とにかくお金がかかるのだ。


――多数の改革プロジェクトを管理し、非常に忙しい直正

しかし、長崎には行きたい。特に軍船は絶対に見学したい。
「此度は軍船まで来ておる。公儀(幕府)から、くれぐれも無事警備を務めるよう、お達しがあった。」

直正は、守旧派の重臣たちを、先に抑えておく。
「それゆえ、が自ら長崎に足を運ぶ、何度でもじゃ!」
「ははっ…!?」

「“フェートン号”の失態を繰り返すことはできぬ。」
「…殿自らお出ましなさらずとも…」
直正予測どおり、やはり行動を封じようとしてくる。

「その油断いかんのだ自ら陣の先頭に立ち、たちを鼓舞する。これが公儀(幕府)への忠節である!」
直正の本音は“オランダ軍船を見たい!”なのだが、表向き理由しっかりと述べておく。

――そして、次は長崎奉行所である。

オランダ軍船パレンバン号”は既に長崎入港している。
商船とは違い、威圧感のある船影が見える。

「あれがオランダ軍船か…。いま手の届くところにおるのだ、このは逃さん!必ず学んでおくぞ!」
すっかり“武雄の義兄上”鍋島茂義気質を引き継いでしまった直正

――長崎奉行所内が慌ただしくなる。

肥前守(鍋島直正)さまが、自らお越しです!」

面食らう長崎奉行
「なにゆえか!これで何度目だ!肥前様はおヒマなのか!?」

――鍋島直正は警護の陣頭に立つとして、この年は長崎に5回も足を運んだ。

長崎守護する者としては、異国船を知るが肝要。」

オランダ国は我が国と誼(よしみ)を通じておるゆえ、この機を逃す手はない。」

――直正は、これからの長崎の防衛のためだと奉行所を説得する。

肥前佐賀(三十五万石)の大名鍋島直正。「オランダ軍船、見に行って良いか」と全力のお願いである。

対する長崎奉行所としては「異国軍船大名が乗り込むなど、前例がないゆえ無理でござる」で返したいところである。

結果、“殿のお願い”は認められた。

オランダ国王」から”開国”を勧められるほど、日本近海の情勢は危うい。
長崎警護負担も含め、佐賀藩の事情は、一応は幕府にも理解されたのである。

(続く)

  


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2020年03月01日

第5話「藩校立志」④

こんばんは。
前回の続きです。

――江戸幕府「究極の水際対策」である“鎖国”の完成から、およそ200年が経過していた。

徳川政権秩序の維持に“鎖国”を機能させ、世界史上でも稀にみるほど、平和な時代を作ったとも言われる。

しかし、直前のアヘン戦争、そして次々に日本沿海に現れる西洋列強の船。時代の流れは“鎖国”の維持を許さない方向に進んでいく。

――“パレンバン号”入港に際し、長崎警護各藩から集められた兵員は4千人ほどと言われる。

当番佐賀藩主力として、福岡藩や近隣諸藩からも兵が動員されていた。長崎港を囲む各陣地で、厳戒態勢が取られる。


――パレンバン号の艦長コープスは、オランダ国王ウィレム二世の親書を携えていた。

オランダ国王よりのお手紙の趣旨は大体こうである。

親愛なる日本の大君(将軍)さまへ~

「わがオランダ国日本と長いお付き合いをいたしております。」
「それゆえ、心配をしているのです。そろそろ開国した方が良い情勢です。」

「あまり強硬に“鎖国”にこだわると、アヘン戦争での清国の二の舞になりますよ。」

概ね以上である。

長崎奉行所は、オランダ国書を受け取り、江戸にお伺いを立てた。

――江戸。このオランダ国書に対し、幕府の議論は紛糾。まったく話が進まない。

当時、幕政の中心は「天保の改革」の失敗で、一度、政権を追われた水野忠邦。前の老中・土井が火災の事後処理に失敗し、急遽、再登板となっている。

一旦、権力を取り戻した水野
まず、以前裏切った鳥居耀蔵を遠方に飛ばす

ここで、また厄介事である。
もはや水野政権維持への意欲は湧いてこない。
待たせよ!とりあえず先送りせよ!」


――長崎。そして、待たされる“パレンバン号”艦長のコープス。

ここからはオランダ語である。苛立つコープス艦長
江戸はいつまで待たせるつもりだ!」

士官の1人が挙手する。
コープス艦長!こういうのを“優柔不断”と言うのでしょうか!」
「あぁ、そうだな。この国では良くあることらしい。」

他の士官が甲板に上がってくる。
「ご報告します!“肥前の国”の領主が、我が艦見学したい!と打診してきています。」

コープス艦長の眉が動く。
「何、我が艦を見たいと…そんな領主(大名)がいるのか?」

――それが、いるのである。肥前佐賀(35万7千石)・鍋島直正

直正は、幼い頃からの側近、古川与一に喜びを語る。
与一よ、ついに見られるぞ!オランダ軍船じゃ!」

「それは、ようございましたね。」
古川与一(松根)は主に直正世話を担当する側近。現代風に言えば“執事”であろうか。

直正は「与一1日でもいないと不便である!」と語るほどだった。


――さて、直正は、その古川与一(松根)に指示を出す。

与一よ、“パレンバン号”に同乗し、記録を残してほしい。」

現代で言えば“写真係”の依頼である。
カメラがあるわけではないので、古川与一は現場をに描き起こす。

与一は、和歌、書、そして絵画芸術系の才に恵まれる。文化人古川松根としても著名である。

「与一よ!装束()は、これが良いか!」
直正は、ビシッと赤い袴を着こなす。

殿、お似合いですぞ!オランダ国の者にも威厳示さねばなりませぬ。」
古川与一は、直正服飾コーディネートも担当していた。


――そして、直正はオランダ軍船に向かう小舟に乗り込む。

「余すところなく、異国船見聞するぞ!」
直正は同行の家来たちに、を飛ばす。

おお―っ!」
そして直正の言葉に沸く“蘭学大好き佐賀藩士たち。

「…何やら、佐賀の者たちにはついて行けぬな。」
長崎奉行所の役人たちは、佐賀藩の“”に、引き気味であった。


(続く)  


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2020年03月03日

第5話「藩校立志」⑤

こんばんは。
前回の続きです。“佐賀ことば”の導入テストも兼ねております…

――長崎奉行所に対して、オランダの軍船に乗り込む交渉をしている時。

鍋島直正が、“新・長崎御番の侍”・本島藤太夫を呼び寄せる。
本島よ!“火術方の者”に(くろがね)のを見せておきたいのう…」

直正は、藩の学校大砲の実験場に自ら足を運ぶ。“現場主義”のリーダーである。

鉄製大砲を備えるという“パレンバン号”。
「ぜひ技術者に見せておきたい」というのが、直正の意向である。

直正は、佐賀藩の“火術方”で製造を担当する「刀鍛冶」や「鋳物師」のリーダーを務める2人を同行させるつもりだ。
「はっ、殿の仰せとあらば。私が見守ります。」


――そして当日、技術者(職人)もオランダ軍船に乗り込むことに。

本島が、技術者2人に言葉をかける。
不慣れな場であると思う。まずは振る舞いに気をつけてほしい。」

外交儀礼を重んじる奉行所の手前、行動に気をつけるよう念押しである。
技術第一の“職人モード”はできれば抑えてほしい。

「こん(おか)のごたぁ!」
橋本という。肥前名刀を打つ“刀鍛冶”である。

巨大オランダ軍船安定感に驚いている。



まるで揺るぎない大地からを眺めているようだ。

(くろがね)の大筒、早く見たかですばい。」
こちらは“鋳物師”。名を谷口という。

彼らの“技術”を見る目は本物だが、本島には不安があった。


――そして2人がパレンバン号の“鉄製大砲”を見た瞬間、本島の心配は的中した。

まず、口火を切ったのは谷口の方だった。
「凄かっ!こがん鋳物は見たことなかばい!」

そして、橋本が続く。形は違えど“刀鍛冶”魂が抑えられない。
「どがん(きた)えっとね!」

鉄製大砲”前で大騒ぎしている2人。もはや止まる気配がない。
苦笑するオランダ水兵たち。

本島は頭を抱えた。そして、気づく
「はっ、そういえば、殿はいずこに…」


――そして大騒ぎしているのは、彼らの殿様も一緒だった。

通詞(通訳)へ矢継ぎ早に、言葉を放つ直正
「これは、どう撃つのじゃ。はどのように込めるのじゃ!」

肥前直正)様”の異様な好奇心は、オランダ士官の想定をはるかに超える

オランダ士官が、やや当惑しながら手本を示す。
「…ハイ、コノ小銃ハデスネ。コノヨウニ…」

直正に記録係として付いてきた、古川与一(松根)。
殿には、もう少し落ち着いた姿で描きまする…」

――このとき、古川は“パレンバン号”乗船の記録として多数の絵を残している。

直正意欲に溢れる視察を続ける。
「次は、鉄の大筒を見たいぞ!案内(あない)いたせ!」

とうとうオランダ士官と直接コミュニケーションを取り始めた直正
通訳ヲ入レズトモ、肥前サマガ何ヲ見タイカ、伝ワッテマス…」

直正大砲の前で見学を続ける、鋳物師・谷口と刀鍛冶・橋本と出会う。
「おおっ、殿もお越しじゃ。」
殿!こん大筒がばい凄かです!」

下級藩士とも直接、技術談義を始めてしまう直正
「おお、かように凄いか!」
すごかですばい!」

――本島は、とりあえず長崎奉行所の役人に気を遣っておく。

「このたびは、貴重な乗船をお認めいただき、まことに忝(かたじけな)く存じます!」
「おお、本島どのか。そなたもご苦労であるな…やはり佐賀の者にはついて行けん。」


――幕府の煮え切らない態度にイライラしていた、艦長コープスは、かえって上機嫌になった。

パレンバン号艦長コープス直正の来訪に、盛大な接待の席を設けた。
「はっはっは。この国に、このような領主(大名)がいらっしゃるとは!すごい好奇心だ!」

傍にいた士官が報告する。
大砲水兵の訓練、医務室…家畜小屋から酒蔵まで、全部ご案内しています!」

ふと冷静になった艦長コープス。ポツリと言葉を発する。
肥前様について、本国(オランダ)に報告しておこう。この国を動かす人物かもしれない。」

(続く)  


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2020年03月04日

第5話「藩校立志」⑥

こんばんは。

民間の調査会社が実施している「都道府県魅力度ランキング」がよく話題になります。2019年、なんと佐賀県46位でした。そして最下位の47位は…茨城県です。

この二者ですが、幕末には“科学技術”の佐賀藩と“尊王思想”の水戸藩。双方ともトップランナーと言って良い存在でした。

魅力度ランキングへの「異議あり!」はさておき、本編に戻ります。
今回は、“団にょん”こと島義勇が、水戸藩(茨城)に立ち寄るところから。


――後に札幌を創る男、諸国遊学中に水戸(茨城)に立ち寄る。

島義勇水戸藩尊王思想家・藤田東湖に面会を許される。

と申します!藤田先生にお目にかかれるとは、光栄の至りです!」
いつになく畏まっている“団にょん”である。

くんと言ったか。佐賀の者と聞いたのでな。」
藤田東湖は、いかにも一角(ひとかど)の人物とわかるような風貌である。

「はっ、恐縮でございます!」

――がここまで敬意を払う理由は、著名な思想家であるだけではない。

藤田東湖は、御三家水戸藩徳川斉昭を支える“政策ブレーン”でもあるのだ。

そして江戸で修業してきた佐賀藩士たちとも親しいらしい。
「そうだな。永山十兵衛どのはお元気か。」

永山先生には、藩校でご教授をいただきました。」
殿鍋島直正)の命令で、永山東北地方を調査した。
その言葉は、まっすぐの心に届いたのである。

「そうだ、枝吉神陽佐賀じゃな。あの男は賢いのう!」
枝吉は親族ではございますが、飛びぬけておりまして…」

…あれっ、藤田様からの近況伺いだけで、話が終わってしまったぞ。
まだまだじゃな!がんばれ団にょん”!


――やや“朝ドラ”風のナレーションが入ったところで、舞台は、佐賀城下に戻る。



「新田(にった)どの!ぬかるなよ、はさみうちじゃ!」
楠木正成に成りきった男の子が駆ける。少し成長した大隈八太郎である。

「楠木(くすのき)どの!こころえた!」
同じ南朝の武将“新田義貞”役は、八太郎の友達である。

「尊氏(たかうじ)そこにいたか、かくご!」
「直義(ただよし)!おいつめたぞ!」

足利勢に見立てた2人と戦っているのだ。

――この南北朝時代の“合戦ごっこ”、相手方が乗り気でない。

「待たんね!わしも楠公(なんこう)さんが、よかごた!」
「そうたい、南朝方(なんちょうがた)がよか!」

歴史上は、北朝方の足利尊氏勝者とされる。
しかし佐賀では、南朝方楠木正成が人気のようだ。


――そこに、15歳ぐらいの男子が通りがかる。うつむき加減である。

いきなり登場した佐賀の七賢人(その4)副島種臣である。何やら呟(つぶや)いている。
「また、をかいてしもうた…」

後に副島家の養子になるのだが、この頃の名は“枝吉次郎”。
あの佐賀藩の誇る天才・枝吉神陽である。

そんな次郎の耳に、子どもたちの声が入ってくる…
八太郎ばかり、楠公(なんこう)さんで、ずるか!!」
「そうたい!楠公(なんこう)さんがよかたい!」

――結局、子どもたちは“合戦ごっこ”から“喧嘩”を始める。

激しいつかみ合いをする、八太郎くんたち。

次郎独り言をつぶやく。
「あ~、子どもは良かね悩みが無うて!」

「やはり楠公さんが、大人気なのも兄上の影響かのう…」

兄貴は、偉大な枝吉神陽
次郎副島種臣)、出てくるなり何やら悩みが深い…

(続く)

  


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2020年03月05日

第5話「藩校立志」⑦

こんばんは。

新型肺炎のニュースの合間に、米大統領選の候補者選びのヤマ場「スーパーチューズデー」のニュースが入っていました。
佐賀の七賢人(その4)副島種臣ですが、なんと幕末期に長崎アメリカ合衆国憲法を学んでいます。

この知識明治新国家組織を構築し、方向性を定めるのに大きな力となります。しかし本編の副島種臣は、まだ“偉大な兄さん”の存在にプレッシャーを感じる、“次郎さん”です。


――佐賀の藩校「弘道館」は数年前(1840年)に大幅に拡充された。

殿鍋島直正が頻繁に訪れ、佐賀藩ナンバー2の請役鍋島安房が責任者を務める。
この藩校の拡充は、直正の師匠・古賀穀堂の残した意見書「学政管見」によるものだった。

穀堂先生!この学舎で、先生のご期待に沿う“学ぶ者”を育てますぞ!」
直正はグッと右拳を握る。


――古賀穀堂は、藩校拡充の数年前、佐賀城の再建が始まった頃にこの世を去っていた。

に戻る直正藩校に向かう鍋島安房と城の堀端ですれ違う。


藩校「弘道館」は、“四十間堀”とも言われる、佐賀城の広大な堀の目前にある。
「おおっ、安房よ!頑張っておるな。」

――働き過ぎの鍋島安房。“城での政務”と“藩校の責任者”の双方ともこなしている。
殿っ、ごきげんうるわしゅう…ござる。」

明らかに睡眠が足りていない。さすがに直正が一声かける。
安房よ…熱心なのは良いが、たまには寝るのだぞ。」


――さて、副島種臣枝吉次郎)の話に戻る。藩校「弘道館」にて。

次郎が、藩校の学生たちと話をしている。
「日本の君主は、お一人!しかし、身分に応じた上下の秩序も…。」

何やら次郎の言葉は、歯切れが悪い。少し整理しよう。
次郎の家、枝吉家の“国学”の考え方で言えば「日本の君主天皇ただ1人」である。

しかし、藩校で主に学ぶ“朱子学”では、身分序列が大事なのである。
たとえば、将軍大名たち、各藩の中の主従関係士農工商など…幕府の基本原理に合う学問だった。


――次郎は迷っていた。評判の天才である兄・枝吉神陽の顔に泥を塗ってはいけない。

優等生になるためには、幕府公式学問“朱子学”をよく学ぶことだ。
また、佐賀武士の教典“葉隠”も自分の使える主君への忠義を大事にする。

次郎は、結局あたりさわりの無いことを言った。
「やはり…身分の序列は大事であるな。殿への忠義が一番である。」

周囲の学生たちは、拍子抜けした。
「勿体ぶって当たり前のことを言う。枝吉神陽にしては、冴えないのう。」

この反応が枝吉次郎副島種臣)が、悩んでいる理由である。
たしかに大隈八太郎たちのような“お子さま”にはわからないかもしれない。


――この頃、兄・枝吉神陽は、江戸から佐賀に一時、戻っていた。

枝吉神陽も、の勉強の進みは気になる。
次郎よ、学問は進んでおるか。」

「はっ、まずまずでございます。」

相変わらず神陽の声はよく通る。しかも江戸での修業で風格が増している。
「今は、何を学んでおる。」

次郎は小さい声でボソボソと答えた。
朱子学や、葉隠を。」


――次第に兄・枝吉神陽の表情が険しくなる。

「では今、学んでいることをどう活かしていくのか。」

次郎はやむを得ず答える。
藩校の推奨する学問で、周りの者にも映りがよいので。」

神陽は、次郎一喝した。
「お前は何のため学問をしておるのだ!人に見せるためか!」

次郎には返す言葉が無い。
後に、副島種臣は「あの時の兄さんが何より怖かった…」と語るほどだった。

神陽も、次郎が学問に迷っていることは見抜いていた。
見栄えのための勉強では、先につながっていかない。あえて強く戒めたのである。

(続く)
  


Posted by SR at 22:36 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」

2020年03月07日

第5話「藩校立志」⑧

こんにちは。

新型コロナウイルスへの対策のため、小中学校が休校となり、「さがファンブログ」内でも様々な意見を見かけます。
現在では、あって当然の“義務教育”ですが、もともと明治時代佐賀の人の主導により進められたものです。

今回は、“佐賀の七賢人”(その5)大木喬任(たかとう)が初登場します。
但し、“義務教育”を創った人らしくないエピソードから描きますので、ご容赦のほどを。


――大隈八太郎は、7歳で藩校「弘道館」に通い始めた。

藩士の子弟が通う、年少のクラスである。
太平記」など軍記物語が効き過ぎて、かつての“甘えん坊”は、すっかり“暴れん坊”になっている。

八太郎たちが“合戦ごっこ”をする。
「そこにおったか!かくご!」

――「ペチッ!パチッ!」と賑やかな音がする。

ビェ~ン…!!

八太郎は、「太平記」の英雄楠木正成に成りきっているので、素早く策を用いる。悪く言えば、わりとズルい攻撃もするので、相手を泣かしてしまうこともあった。

はちたろうひきょうなり!」
大勢で反撃に来る。

まずい!ひとまず、引くぞ!」
多勢に無勢。逃げ出す八太郎と、その友達。


――大隈の母、三井子は悩んでいた。

八太郎!なぜに喧嘩ばかり…」
強い子になってほしくて、勇ましい武将の物語を読んだら効き過ぎた。子育ては、数学のようにはハッキリと答えが出ない。

「なむあみだぶつ…」
三井子は、とりあえず幾度か念仏を唱えた。に祈ったり、にすがったり…いろいろ信心深い

「まぁ、八太郎も男の子だ。喧嘩もするだろうさ。」
父・信保は、弾道計算火薬調合も担当しており、現代で言えば理系人材。わりと冷静である。

たまに喧嘩は良いのです!毎日傷だらけで帰って来るのですよ!誰に似たのだか…」
三井子は“女丈夫”とも呼ばれ「強い女性」としても評判だったらしい。八太郎気性の荒い部分は、母譲りだったのかもしれない。


――そんな喧嘩ばかりの八太郎の通学路である。

八太郎は、年長の2人の男子が、やや大柄な男の子をからかっているのを目撃する。
幡六だ…。何やら馬鹿にされておるのか?」

幡六とは、後の大木喬任
八太郎6歳年上母方親戚であるため、面識があった。

大木幡六は先年、亡くしている。何やら、父がいないことを揶揄(やゆ)されているようだ。

いわば小学生中学生ケンカを目撃している状況。年長者同士の争いに関わるのは無用だ。でも、八太郎には興味がある。物影から見守った。


――と、その時。「ベチッ!!」と鈍い音がした。

大木右手が、からかっていた相手鼻っ柱を捉えていた。ほどなく、相手のからが流れ出る。


――ドシン!

大木は、すかさず相手の着物の前襟をつかむと、そのまままで押し込んだ。そして、右腕で相手のを挟み、圧迫する。

「…く、苦しい…」
流れ続ける鼻血右腕に挟まれて、も浮き上がる。相手は呼吸が難しい。

大木愚鈍とみて、一緒になってからかっていたもう1人は、完全に戦意喪失している。仲間を助けに来ようともしない。

――ドサッ!

大木は、これ以上戦う価値すら無いと感じた。に押し当てていた右腕を緩め、相手を手前に強く引き倒す

「ひえっ!」
相手は前のめりで倒れる。鼻血ダラダラである。

――ここまで一切、言葉を発しなかった大木

大声で一言
つまらん!!

捨て台詞を発して、その場を去る大木
何も怒りは治まっていないようだった。
「つまらん!つまらん奴ばかりだ。」


――当時の大木幡六喬任)は、いろいろ強がっていた。

漢学”の教養が高かったを、11歳の時点で亡くしたことが、大木の心にを落としていた。

しかも、大木はあまり口がうまくない
いくら勉強を積んでも、自在に表現ができず鬱積する一方だった。

そんな大木が、心を熱くする友と出会うのは、数年後になる。
そのとは、佐賀の七賢人(その6)江藤新平である。


――そして、佐賀の七賢人(その7)は、一部始終を物影で見ていたこの子

えすか(怖い)けん!幡六とはケンカできんばい!」
大隈八太郎重信)である。

八太郎たちの賑やかな喧嘩とは全く違い、ただ痛そうな戦い方である。大木とは喧嘩をしないことにした。

これで、本編でも“佐賀の七賢人”の名が出揃った。
…“よそ行き”の言葉と“佐賀ことば”の使い方が難しいが、そこは大目にみていただきたい。

(続く)


  


Posted by SR at 13:54 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」

2020年03月08日

第5話「藩校立志」⑨

こんばんは。
当ブログも、開始から3か月が経過しました。
時折バテ気味になるので、投稿が止まることもありますが、引き続きよろしくお願いします。

今回から日本の近代司法制度を築いた、“佐賀の七賢人”(その6)江藤新平が本編に登場します。当時は“胤雄”と名乗っており、この名は明治新政府に出仕したときにも用いたようです。


――佐賀城の北の堀端に建つ藩校「弘道館」。

あの“フェートン号事件”が起きる前から、鍋島直正の師匠・古賀穀堂は教育改革を訴えていた。それから30余年の歳月を経て、藩校は目に見える形でバージョンアップを果たした。

藩校の敷地3倍近く、経費4倍とも言われる藩校の拡充である。

そして、藩士の子弟は、小学生に相当する6、7歳頃から通学で学ぶことになる。佐賀城下に住む八太郎くんが通っているのは、この“蒙養舎”である。

高校生くらいの年齢になると通学、もしくは寄宿舎に入っての学習である。勉強の時間として定められているのは、午前6時から午後10時という猛烈なものだった。

「ここを自分のだと思って、学問に励むように!」
このような殿直正の訓示により、新しい藩校はスタートしたのである。


――藩校「弘道館」の生徒数はおよそ千人。

とくに寄宿制の「内生寮」にいる若者たちは、学校に住んでいるのである。現代で言えば、男子高校生ぐらい年齢の者が集まっている。

武道場での鍛錬もあり、良く言えば賑やか、悪く言えば騒々しい。とにかく活気のある“男子校”をイメージしてほしい。

そこに一際、身なり粗末少年がいた。
背筋正しく、眼光鋭く、それでいて…何を考えているのか判然としない


――その粗末な身なりの少年。武道場にて剣術の稽古中であるらしい。


佐賀藩でよく稽古されていた剣術の流派は“新陰流”“タイ捨流”などが知られる。地元の道場で学んだを大事にする者から、個性を活かした戦い方をする者まで…色々と差異はあったと思われる。

先ほどの少年は、身なりが小ぎれいな相手と立ち会っている。
キェーッ!
先に動く相手気合を発し、様子を伺う。

はっきり言えば、みすぼらしい身なりの少年相手気合には動じない。
そして、一言鋭く発した。
隙ありっ!

は一筋、鋭い矢のように飛んだ。
ビリッ!電流が走ったように、微細に相手が震える。

――シュッ!少年は、木剣を振り下ろす。

勝負あり江藤の勝ちだ。」
審判役の少年が、粗末な身なりの少年・江藤勝者と告げた。

「おい…江藤と言ったか、お主のに負けてしもうたばい。」
負けた方の少年もサバサバしている。江藤実力を認めたらしい。

勝負をしているつもりは無かです。」
江藤という少年。無自覚であるらしい。

「まぁ、よか剣の腕そのものも、お主が上のようじゃし。」
少年はカラカラと笑った。


――もちろん、藩校では学問もみっちりと詰め込まれるが…

儒学の教典“大学”の講義があった。
「では、江藤。その一節を黙読してから、答えるように。」

しかし、江藤はすぐ答えを返した。
「“大学”の内容は、概ね頭に入っておりますゆえ。」

教師は感心した。
「おお、よく学んでおるな。」

授業後、他の生徒が尋ねる。
お主藩校には入ったばかりではないのか。いつの間に学んだのだ。」

江藤が答える。
から習い申した。」

尋ねた生徒が驚く。
母!?お主母上は、一体何者なのじゃ?」

――江藤家は“手明鑓”と呼ばれる侍と、どうにか同格扱いの下級武士。

江藤は、才能はあったが実直過ぎる性格が災いし、役職を解かれていた。そのため、江藤家佐賀城下を離れ、縁のある小城にて江藤は育ってきた。

学問のある江藤は、近所の子どもたちに手習いを教え、生計を支えたと言う。

このたび役職に付くことができたため、江藤佐賀城下に戻り、藩校入学したのである。


(続く)  


Posted by SR at 22:49 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」

2020年03月09日

第5話「藩校立志」⑩

こんばんは。
進学就職出会いの季節ですね。もっとも今春は新型コロナがいささか不安ではあります。さて、本編でも“ある出会い”を描きます。

このブログをご覧の方には、たぶん現役学生はいないかなと思うので、想い出してみてください。新しいクラスで「なんとなくコイツ友達になりたいな。」と感じるような人はいませんでしたか?


――藩校「弘道館」が移転し、拡充されてから数年。

熱の入った授業が続く。そして、こんなこともある。

諸君、何か質問はありますか?」
殿鍋島直正の“メンタルトレーナー”でもある永山十兵衛が講義を行う。

「私から質問してもよいか。」
生徒たち後ろから、声がする。年の頃30代。普通の生徒ではない。

安房様、ご質問を承ります。」
藩校の責任者・鍋島安房。なんと“校長”が授業に出席している。

「えっ!!」
まさか”校長”も一緒に受講していたとは…生徒がどよめく。

――鍋島安房は、藩のナンバー2で、行政のトップである請役。

机を並べて勉強し、優秀さが目に留まったりすれば…立身出世できると思うのは自然な発想だろう。
藩校での学問は、大学受験就職活動役員面接が、日々実施されているくらい重みがある。

直正もよく藩校に来るが、鍋島安房にいたっては、での執務以外は大体「弘道館」にいる。
安房はものすごい勢いで勉強し、生徒たちを驚愕させていた。その副作用で常に寝不足である。


――そして、鍋島安房の質問の内容である。

永山十兵衛は、水戸藩の大学者・藤田東湖と親しい。
安房は、話の流れから「水戸藩での尊王論」の展開について尋ねていた。

「そもそも水戸学派は“徳川光圀”公より始まり…」
あの水戸黄門である。“大日本史”という歴史書編纂し始めたことで有名である。

――水戸黄門は、尊王の象徴として楠木正成を崇めた。

そして“助さん”(佐々介三郎)を、正成最期の地・湊川(現在の神戸市)に派遣した。

黄門様は“助さん”に命じた。
助さん楠公さまの墓碑を建ててきなさい!」
そして、碑文では「あぁ忠臣楠木正成…」と、後醍醐天皇のために戦った正成を讃えた。

「よく分かった。佐賀でもぜひ、楠公(なんこう)様を讃えたいものだ。」
30代の学生・鍋島安房も、永山先生の講義を心に刻んだようだ。


――藩校「弘道館」の日々は続く。そして、こんな出会いが。

広大藩校の敷地を江藤新平(胤雄)が行く。


すると、ヌッとやや大柄な男子学生が現れる。
「俺は大木という。」

突然現れた、大木幡六(喬任)。言葉を続ける。
「お主、江藤と言ったな。」

「いかにも江藤ですが、何か用ですか。」

――前提の情報を入れておく。大木江藤より2歳年上である。高3高1の感じで見てほしい。

ちなみに大木は、あまり口がうまくない。
「それはだな…。」

大木は、思い付いたように言った。
「そうだ!お主、賢いな!」

江藤が、大木の言葉に反応する。
賢いと言われて悪い気はしませぬが、やはり何用ですか。」


――意外に「友達になってくれ!」というのは勇気がいる。

まして大木口下手である。
「そうだ!お主、昨今の国家情勢をどうみる!」

なんとか、それらしい言葉を切り出した大木
知識はたくさんあるが、適切な話題選択は難しい。

江藤がふと、気づいたように語る。
大木さん…と言いましたか。今、我々為すべきことは…」


――大木江藤の言葉に耳を傾ける。

やはり、この男は何かが違う。その辺の“つまらん奴”ではない。大木は次の言葉に期待した。
「なんだ、早く言ってくれ!」

江藤はスッと言い放つ。
「そろそろ昼飯時間です!」

肩透かしを食う、大木
それかっ!まぁ、そうだな。」

江藤は言葉を続ける。
我々出遅れました!大木さん、もはや走らんといかんとです!」

「お…おう!」
とりあえず、江藤に続いて、走り出した大木


――何にせよ、江藤大木は、飯場に走っていた。

佐賀藩出身、後に海軍中将となる中牟田倉之助によると、概ねこうだ。
弘道館昼飯時は、イナゴ群れが、食べ尽くすがごた…」と。

もはや、一時猶予もない。
飯櫃になるそのときまでに、何とか追いつかねばねばならない。

この2人激走は、日本の司法教育を、近代国家のものに変えていく。
しかし、それはまだ先の話。今は昼飯に走るただの男子学生である。


(第6話:「鉄製大砲」に続く)

  


Posted by SR at 22:16 | Comments(0) | 第5話「藩校立志」