2022年09月26日

連続ブログ小説「聖地の剣」(16)還る場所へ 

こんばんは。
週末には、「日本一短い新幹線」と連呼されていた“西九州新幹線”が開業。

随分と変わったところで“日本一”の称号を得てしまいました。ある意味で良いキャッチフレーズだと思います。

まだ、長崎本線に“特急かもめ“が当然のように走っていた、夏前の活動記録を再開します。


――佐賀城の南堀から、本丸御殿へと移動する。

この日の朝に佐賀駅に到着してから、3時間半近くの時間が経過した。ふだんの生活では、これだけ充実した感覚の約200分間は、そうは無い。

ぽつぽつと小雨の降り始めるところで、“佐賀城本丸歴史館”へと入った。


――涼しげな、畳の香りがする。

久しぶりの“登城”と言うべきか。やや薄暗く、ひんやりとした空気感だった。

佐賀城の本丸御殿の一部再現となるこの建物。延々と畳敷きである。

この華美さが無い造りが良くて、真面目に仕事で行き交う佐賀藩士たちの姿が思われる。



――ゴンゴン! ガタガタ…

江戸期に、日本の表玄関・長崎警備担当だった佐賀藩

城下には異国船入港を知らせるが設置されていて、その“白帆”が長崎に来れば、佐賀がざわめく…という光景があったらしい。

あえて、何も無か(なんもなか)空間としたためか、私にはドタドタと慌ただしく行き交う佐賀藩士たちの姿が思われてならない。


――歴史に名は刻まずとも、

幕末期の台風の記録などを参照すると、佐賀藩資料は精緻(せいち)に記されていると聞く。藩士の能力も、相当高かったのではないかと考える。

質素倹約が気風となり、その節約ぶりから、「“さがんもん”の通った後は草一本残っとらん」と揶揄(やゆ)されたりもしたという。

遠大な目標のために、地道に頑張り続けた佐賀藩士、そして、高い生産力を示した佐賀の領民たち。



――この地を、“還る場所”と定めるならば…

「私には、挫(くじ)けている暇など無いのではないか。」

やはり、ここは私にとって、佐賀の中の佐賀。“聖地”の中の“聖地”なのか。

以前は何となく訪れていたが、幕末その後に続いた明治近代化を先導した場所と意識すると、全く見え方が違ってくる。


――コロナ禍に隔てられた2年半。

佐賀遠か…」と、望郷の想いを叫び続けてきたが、この間、私の生き方は“佐賀の者”として恥じなかっただろうか。

幕末佐賀藩を語り始めてから、初めて佐賀城を訪れた。その期間は、ほぼ同じ2年半で重なる。

おそらく変化したのは私の方だと思うのだが、実は佐賀も、少しずつ動き始めているのかもしれない。


(続く)

  
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2022年09月23日

「幕末浪漫 西九州新幹線」

こんばんは。
本日、2022年9月23日。この日の到来はずっと気になっていました。


――様々な想いが交錯する、西九州新幹線の開業。

全国に報じられたニュースに映るのは、華やかな開業のセレモニー。期待感にあふれています。

一方で「並行在来線」となる地域があることも、語られていました。
〔参照:「さよなら…ではなく、ありがとう。」

こちらの行く先の議論については、佐賀長崎に現住する方々にお任せするほかなさそうです。



――では、いま私が為すべき事は何か。

やはり西九州地域の幕末期にどれだけのドラマがあったかを、語り続けることか…と考えるところです。

1年と少し前に、新幹線の開業を先取りした企画を書いた事があります。
〔参照:「西九州にほえろ!」


――これを「西九州新幹線、五つの駅の物語」として再掲します。

武雄温泉駅:日本の近代化を牽引した佐賀藩を、先導した人物がいた。
〔参照:「多くの仕事を成し遂げた者」〔武雄温泉駅〕

嬉野温泉駅:英国船を調査した佐賀の侍に“忍者”の役回りがあった。
〔参照:「佐賀の忍者、幕末を走る!」〔嬉野温泉駅〕

新大村駅:倒幕の志士として活躍した大村藩士に、凄腕の剣客がいた。
〔参照:「鞍馬天狗は、長崎の人?」〔新大村駅〕

諫早駅:実は佐賀藩内だった諫早領、日本の最前線で異国と対峙した。
〔参照:「佐賀と長崎をつなぐもの」〔諫早駅〕

長崎駅:江戸期、日本で唯一の“西洋”である長崎は夢の舞台だった。
〔参照:「夢の舞台は、隣の県」〔長崎駅〕



――それぞれ、深掘りしたいポイントはありますが、

開業の初日に、あまり細かく語るのも野暮のように思います。

ただ、単なる観光地として見るのは、私の感覚としては勿体(もったい)ない…と言わざるを得ません。

まずは、西九州新幹線の無事の開業を祝したい。“新幹線かもめ”にも、早く乗って見たいという気持ちもあります。

とくに久しぶりに“鉄道駅”が帰ってきた、嬉野の皆様。おめでとうございます。


  


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2022年09月20日

「さよなら…ではなく、ありがとう。」

こんばんは。
台風14号は、南九州を中心に猛威をふるった様子が報じられていました。

年々、このような「前例の無い」風水害が多くなっている印象はありますが、可能な範囲で備えるほかない…のかもしれません。

長崎佐賀西九州エリアは、何とか大きい被害を免れたようで、どうにか次のイベントに進めるようです。


――「9月23日 西九州新幹線の開業」

佐賀県西部地域にとっては、分岐点となる出来事でしょうか。武雄市・嬉野市にとっては、待望の開業で周辺の期待も大きいはず。

鹿島市・太良町にとっては、長崎本線がメインルートから外れてしまう感覚が強いかもしれません。

並行在来線としての当該区間を管理するのは、一般社団法人「佐賀長崎鉄道管理センター」と聞きます。

鹿島市に事務所を構える…と他地域にいる私は、最近ようやく知りました。



――「何だか、寂しいなぁ。」

特急かもめ”は、もう長崎本線を走らないので、そう想うのも当然と思います。

そして9月22日には肥前鹿島駅で、特急かもめに感謝を伝える“卒業式”のようなイベントがあるようです。

22時~23時頃の遅い時間帯ではあるものの、ホームを“かもめ”への感謝で埋め尽くす試みがなされるそうです。

さよなら」ではなく「ありがとう」。進学就職、悲喜こもごもの人生を乗せて走ってきた“かもめ”の旅立ちに贈る言葉。



――この展開、泣けてきます。

しかし“佐賀の者”として、ただ感傷に立ち尽くすわけにはいかない…ということなのか。

翌日には「ようこそ かささぎ」という合い言葉とともに、早朝6時台には“特急かささぎ”の出発式。8時台には、その“かささぎ”の出迎えがあるそうです。

その9月23日肥前鹿島駅は、太良町・鹿島市・白石町・江北町の近隣1市3町で終日イベントがある様子。
https://www.city.saga-kashima.lg.jp/main/26631.html ※外部サイト(鹿島市)


――その『魅力発信フェス@肥前鹿島駅』でも

江北町は、町制70周年記念のテーマソングを舞台で、披露する様子です。

楽曲制作を担当したバンドは“くるり”さんで、曲名は「宝探し」。

個人的には、NHK『ファミリーヒストリー』の主題歌「Remember me(リメンバー・ミー)」などでも耳なじみがある歌手です。



――どんな楽曲か、気になったので…

江北町70周年記念サイトをあたってみると、トップの動画で視聴できました。
https://kouhoku70th.jp/ ※外部サイト(江北町70周年 記念特設サイト)

宝探しに~夢中になった~♪」というメロディーに乗せてプロモーションビデオ(PV)風に動画が流れます。

もともと音楽を探していたのですが、江北町の学校の先生の目線から、淡々と映し出される“物語”に見入ってしまいました。


――「さよなら…」ではなく、「ありがとう。」

毎年のように、卒業生を見送り続けてきたのだろう、中年の教師

コロナ禍”で日常が失われても、いつもの年のように生徒に過ごしてほしいと、奮闘する様子がうかがえます。

そして、ラスト近くで、この先生は「肥前山口駅」の“卒業”に出会う事に。



――分岐点として親しまれてきた、この駅名も、

9月22日卒業となります。新しく「江北駅」としての“物語”が続くようです。

せんせい。」
駅のホームで声をかけられた教師は、すっかり成長して、2人の子どもを連れた、かつての卒業生に声をかけられます。

たぶん、卒業生から笑顔で声をかけられるのは、“教師冥利“に尽きる瞬間なのでしょう。



――「宝探し」とは、よく言ったもので、

いろいろ考えさせられました。江北町は、良いテーマソングを得たようですね。

自身が、今行っている事も“宝探し”だと考えています。ほぼリモートの活動ですが、きっと佐賀には、私が見つけるべき“何か”があると。

長崎本線にも88年の歴史があるそうで、これから見つかる“”もあるんじゃないかと思います。そのうちに、現地での“発掘”にも向かいたいです。


〔最近の関連記事〕
「そこに“かもめ”は、飛ばずとも…」(太良町)
「“かささぎ”が舞う、干潟の街に」(鹿島市)
「主に江北町民の皆様を対象にしたつぶやき」(江北町)
連続ブログ小説「聖地の剣」(14)泥をすすって花の咲く(白石町)※特産品関連




  


Posted by SR at 22:38 | Comments(0) | 佐賀への道

2022年09月17日

連続ブログ小説「聖地の剣」(15)天に願いながら書く

こんばんは。
9月17日現在、九州に直撃する方向で台風14号の進路が示され、日本列島を縦断するイメージで報じられています。

今度のは大丈夫なのか?」と報道で伝わる内容に不安も強まりますが、備えを行ったうえで、台風逸れるか、弱るか、通過するか、を待つほかなく…。

いつもの話を書くにも落ち着きませんが、願いを込めて、を開かずに済んだ雨の日の話を続けます。

なお、このシリーズは佐賀での活動を現時点から振り返るため、純粋な旅日記ではありません。過去現在記憶想いが入り混じるままに綴ります。


――今夏の少し前。時折、強い雨の降った日。

およそ2年半を隔てた佐賀への“帰藩”はタイミングよく進行する。屋外に出る頃には雨がやむ…という動きを繰り返していた。

とくに、私が「晴れ」を呼ぶ気質を持つわけではない。今までに帰省した際にも、どしゃ降りの日はあった。

ただ、夏前に実行した“帰藩”時は違った。ほぼ、まともな雨を避けられている。



――そもそも、私は一度も傘を開いていない。

ひょっとすると表裏一体で、雨でずぶ濡れだった方も居るかもしれない。

私にとっては、久しぶりの佐賀への帰還だったので、ご容赦いただきたい。

コロナ禍で帰れずも、佐賀を語り続けた私への“ご褒美”なのか…!?」
そんな気分になるほどの、不思議な空模様と感じた。


――この時も、偶然だったとは思うが…

まるで、何かの意思がはたらいているような天気だった。

天に願いが通ずるならば、此度の台風の被害も最小限に抑え込んでほしい、そう思うのである。



――ひとまず、話は戻る。橋の上から南堀を眺めていた時に、

ふと想い出した事があった。民放のテレビ番組で「佐賀城の堀から排水して、を探る企画があったな」と。

あるテレビ局の企画である。その時の出演者の1人、俳優の中川大志さんが佐賀城鬼瓦の一部を発見したことも話題になった。
〔参照:「佐賀でも、光る君へ…?」


――壮絶な展開の続く、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

同作にも出演中中川大志さんが、この辺りで堀の底を調べていたはずだ。その時には佐賀城堀端にも、多数の見物人が居た様子が映っていた。

ここで、東京から来ていた中川大志さんを見ていた方々は…おそらく「大都会に出なくても、地元でも好機をつかめる」タイプの人たちだと推察する。

幸運の持ち主であるか、情報収集に優れるかのどちらかだと考えるからだ。


――現在(9月)、大きな嵐の迫る週末を迎えたが、

もし無事に大河ドラマを視聴できる状態であれば、『鎌倉殿の13人』第36回「武士の鑑(かがみ)」に注目したい。

序盤から見栄えが良く、模範的な鎌倉武士だった畠山重忠〔演:中川大志〕。物語の展開上、畠山重忠としては最後の“晴れ舞台”が待っているのだろう。



――そこでは、佐賀城の堀底で頑張っていた、

中川大志さんの俳優としての勇姿もあわせて見られるのだと思う。

個人的には、次に大河ドラマで見られる機会…だけでなく、佐賀大河ドラマが実現した時にも、晴れ舞台が続く主役級での登場を期待してしまう。

他に、「佐賀城の瓦を拾ってしまった俳優さん」を思いつかないからだ。

…というわけで、少なくとも日常を守れるぐらい、ゆっくりテレビを見られる程度に、大過なく台風過ぎ去ることを、あらためて願うものである。



九州では「特別警報」発表の可能性を聞きます。皆様くれぐれもお気をつけて。



  


2022年09月13日

連続ブログ小説「聖地の剣」(14)泥をすすって花の咲く

こんばんは。
佐賀城公園の一角での話が続きます。博物館を出て、すぐに“高輪築堤”の再現展示に到達した、私。

当時は“築堤”の周囲が、整備中で工事の真っ只中。雨上がりで、水たまりも多くありましたが、心は晴れ晴れとしています。

南の堀端へと抜けると、水辺には一面の蓮(ハス)が生い茂っていました。



――“四十間堀”とも呼ばれる、北堀には及ばないが…

それでも結構な幅があるはずの、南堀。ほとんど水面が見えていない。

見渡す限り、(ハス)のの緑が覆っている。植物の生命力を感じる“青さ”。なかなか壮観である。

多久市の二千年ハスの例も聞くところで、の種子には時を超えていくようなエネルギーを感じる。


――佐賀平野には、もとは有明海だった湿地帯…も多い。

神埼市クリーク(海の名残りの水路)でも、かつてはが隆盛したが、以前ほどの勢いが無いという話も聞く。

これは、外来生物(カメ)の影響であるらしい…と同市の広報誌で見かけた。色々と考えさせられる。
https://static.saga-ebooks.jp/actibook_data/c_kanzaki_2022_09_202209050000/HTML5/pc.html#/page/24(「市報かんざき」9月号)※外部リンク

一方で、食用になる蓮の地下茎であるレンコンでは、佐賀県は代表的な産地としてプレゼンス(存在感)を示している。


――近年、佐賀県としては、茨城県に次ぐ2位をキープ。

こちらも伝統的な産地、3位の徳島県と競っている年が多いようだ。県内では、白石町が市町村別ランキングでも10位以内に入る健闘を見せる様子。

そして、佐賀県レンコンは味の良さで知られる。しかし、飛び抜けて高級品を誇るでもなく、親しみやすさと質の高さを両立している印象だ。



さて、いろいろと後日に得た情報を語ってしまったが、当日の佐賀城では私はただ南堀を渡る、雨上がりのに吹かれていた。


――「なんと、贅沢な時間か。」

降り続いていた雨が打ち水となり、夏の近づく時期の暑さも無い。堀を渡る涼風、柔らかな光の前に開けたハスの水辺を見ていた。

天国」のような穏やかさと形容しようか。蓮の花は、仏教思想と強く結びついているから「極楽」と著した方が良いのかもしれない。

まだ、この時期は、蓮の花の見頃ではなかったようだが、これで充分だ。そこまでは欲張らない。


――風のわたる、南堀の向こう側には

佐賀七賢人”の中でも、博識人格の高潔さで知られる、副島種臣生家があったという。

副島種臣実兄には、佐賀の賢人たちの師匠枝吉神陽がいる。そのため近辺には、この兄弟実家があったということになる。

両者の実父は、枝吉南壕という名で知られる。眼前の景色を見ると「“南壕”とは、南の堀…そのままの名だったのか。」と実感する。



――“聖地”である佐賀城内で思索する時間は貴重だ。

幕末佐賀藩大河ドラマ」のイメージを、私なりに綴っていく“本編”。

断片的に浮かんでくる映像では、もっと魅力のある物語が描けるはずなのだが、その筆致には、いつも何かが足りていない感覚がある。

例えば、先ほどの副島種臣を、私が書くと「ただ、悩み深い人」として登場してしまう…印象がある。
〔参照(終盤):第5話「藩校立志」⑥


――だが、深い苦悩が伴う人生だったのは、事実かもしれない。

枝吉神陽は、強烈なカリスマ性を発揮して、江戸に留学すれば、各藩の誇る秀才たちの中でも、指導的な立場として存在感を示した。
〔参照:第4話「諸国遊学」⑦

また尊王攘夷思想の本家・水戸藩(茨城)の藤田東湖とは、“東西の二傑”である学者として並び称されたとか…

長州藩(山口)の吉田松陰からは「九州に行ったら、是非会うべき人物」と評されたとか、様々なエピソードが続く。
〔参照:第7話「尊王義祭」⑧


――“倒幕”に、功があったというよりは、

近代国家の基礎を築いていった佐賀の志士たち。

本編”に登場していない人物も含めて、また文系・理系問わず、枝吉神陽門下生の名が連なっているのだ。

自身は、西洋の学問に直接触れずに国学を極めながらも、“日本の近代”を、まとめて育ててしまったような枝吉神陽



――実兄が、これだけの傑物であれば、

副島種臣がいかに秀才として頑張っても、見劣りは否めなかっただろう。

幕末期。京の公家から期待された役割を果たせず、江戸では自分を頼っていた後輩を救えず。そして…、副島苦悩は続く。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)

賢人の中の賢人」と言っても過言でない枝吉神陽だが、“佐賀の七賢人”には入っておらず、“八人目”として語られることが多い。

…これは、世を去った時期に起因すると考えている。書くのは辛くなりそうだ。


――「泥水をすすりながら、大輪の花を咲かせる。」

蓮(ハス)という植物は、そういう性質のものであるらしい。これは現代を生きる人間にも、少なからず必要な要素なのだろう。

なお、明治維新は英語で書くと「the Meiji Restoration」となるらしい。直訳すると、「明治“復古”」となる。

どうやら西洋諸国に対して、“革命”寄りのイメージで「明治維新」を語るわけにはいかず、「正当政治体制に戻った」と強調する必要があったようだ。


――新時代・明治への転換期に、

混乱の極まる新政府に加わり、近代国家の基礎づくりに真価を見せ始めた、肥前佐賀藩

国学を修めて朝廷の官制に詳しく、長崎では西洋の政治体制を学び、双方の仕組みを知る人物がいた。に通じる博識時代は必要としていた。

副島種臣について、どのように描くか…それは、私も日々の悩みを味わいながら、考えていくほかないのかもしれない。


(続く)


  


2022年09月08日

連続ブログ小説「聖地の剣」(13)鉄路、海をゆく

こんばんは。
さがファンブログ』でも、秋の便りを見かけますが、今年も残暑は厳しいものがあります。

まだ、夏前佐賀に“帰藩”した旅日記は続きますが、この道のりは「忘れ物を取りに行く話」でもありました。
〔参照:「序章・“忘れ物”を取りに行く話」

2年半の待ち時間を経て、主要な目的だった『肥前さが幕末維新博覧会』のメモリアル映像を鑑賞し、1つめの忘れ物は回収できました。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(12)泣くことが上手くない

ここからも、佐賀城周辺のごく狭いエリアでの展開が続きます。


――都合よく、雨は上がっている。

…とはいえ、足元には水たまりが見える。先ほどまで結構、降っていたらしい。

佐賀駅に到着してから、3時間ほどが過ぎた。滞在できる時間は極端に短いので、この晴れ間は貴重である。

まずは、先ほど博物館から窓越しに見えていた“高輪築堤”を移設した現物を見ておきたい。



――わかりやすい、案内表示があった。

周囲は工事中ぬかるんだ道を歩む。なかなか進みづらい。私とて、ある意味では佐賀に背を向けてきた“脱藩者”。

険しい道のりを、覚悟せねばならないのかもしれない。

佐賀への道が、そがん簡単に開かれると思うてはならんばい。」と諭されている、そんな気もする。


――やはり、その道は平坦ではない。

だが、目的地はすぐそこだったので、それ以上の関門はなく、あっさりとたどり着いた。「鉄の道を開いた者」大隈重信の故郷、佐賀に凱旋した鉄道遺構だ。

石垣の上には鉄のレール明治初期に海を走った鉄路の浪漫が感じられる。明治5年(1872年)9月に開業式典が行われたという、日本初鉄道



新橋横浜間を走り、そのうち、汐留から品川に向かう区間が陸軍の土地で通してもらえず、2.7㎞海上を走ったという。定めし絶景だったと思う。

「これが、佐賀が頑張ってきた“近代化”の成果。その一つなのだ!」
そう、私は何もしていないが、異様に誇らしさをおぼえる。

雨上がりの“高輪築堤”。「ああ、佐賀県出身で良かった…」と感慨にひたる。


――ごく、まれにしか帰っては来られないが、

幕末の佐賀藩を調べることをきっかけに、どんどんと佐賀県に関する知識が強まっていく私。

「あの書籍に載っていた史跡」「ブログで見かけた風景」「この前、テレビで放送された場所…」など、私にとっては見るべきものが幾らでもある。

この辺りは、たぶん普通の佐賀県出身者とは異なった感覚だと思う。



――私にとっては、もはや“聖地”と呼ぶにふさわしい。

若い時に気付けば良いのだが、歳を取らない目が覚めないこともある。

佐賀県を舞台としたアニメ作品の主題歌に「枯れても走ることを、命と呼べ」という一節がある。

この際、いつだって遅すぎることはない…と考えることにしている。
〔参照(終盤):「熱すぎる SAGA」


(続く)

  


2022年09月04日

「“10周年”の想いに触れる」

こんばんは。
忙しさにかまけて今回は、完全に油断していました。毎週日曜に、佐賀城本丸歴史館で活動している『幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊』。

その10周年特別公演が、本日9月4日にあるとは把握していました。しかし、今年もライブ配信があると知ったのは、午前中の用事が終わってからでした。

○『幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊』10周年特別公演
https://www.livesbeyond.jp/2022cultureart/2022-07-222225.html
〔※外部リンク:「ライブスビヨンド」(佐賀県)の該当ページ〕


――配信があると気付いたので、すぐに観ました。

今回は超高速で振り返ります。1日に5つの演目を行う特別公演


――まず、1本目『おないとし』

佐賀の“八賢人”のうち1822年生まれで、生誕200年3名が主人公。

私的なまとめ方では、万能の研究主任・佐野常民と、情熱の開拓者・島義勇。そして賢人たちの師匠枝吉神陽という紹介になると想います。



――順に、理系体育会系・文系の方向性での強い個性が感じられます。

この演目が「上手い!」と思うのが、佐賀の賢人たちでは“年長組”の3人が、まだ「何者でもない」時期を描いた点です。

しかも、彼らが18歳の頃、1840年には清国(当時の中国)でアヘン戦争が起きていた事を時代背景としています。

三百藩とも語られる、江戸期の各地域の中でも、最も勉強したという評価も高い佐賀藩。その熱さを感じる演目でした。


――次に、2本目『佐賀人も人なり』

ついに「“おもてなし隊”が、この領域展開したか!」と、ワクワクした演目。佐賀藩だけでなく、薩摩(鹿児島)の人物が登場します。

佐賀の殿様・鍋島直正公の母方のいとこ薩摩藩主の島津斉彬公が登場。この島津様、他の演目でもよく見かける気もしますが、そこは気にしません。

薩摩藩主の傍には“名無しの薩摩侍”が控えます。こういう登場人物が出て来ると「何だか、大河ドラマっぽくていいぞ!」と、個人的には思います。



――時期は、日米修好通商条約が締結された頃。

1858年と聞いたと思います。話の軸になるのは、幕府佐賀藩に貸与していた蒸気船・観光丸で、薩摩に向かった“秘密の航海”。

私も“本編”で描いた話ですが、この演目では佐野は先年に薩摩に行った…旨のセリフがあったりと、より史実の正確な表現が考慮されているようです。
〔参照:第14話「遣米使節」⑩(秘密の航海)

知られざる面白いエピソードだと考えており、私の場合は、秘密を守るために佐賀の忍者が戦う…というおまけ(創作)で、盛り上げることも試みました。
〔参照:第14話「遣米使節」⑨(聞かれては困る話)


――この出来事が、“寸劇”で見られるとは。

佐野常民に多大なストレスがかかっているのは、私も想像できるところです。
〔参照(終盤):第14話「遣米使節」⑪(名君たちの“約束”)

何せ幕府から借りた船で薩摩に“密航”するので、「そうなるな…」と思います。

この演目では佐賀藩が「政治的な主導権争いには関わらず、諸外国に備えて為すべき事をする」というスタンスを宣言したことも、納得の描き方でした。



――さて、3本目『茶飲みに来んか?』

舞台の茶室は、佐賀市内神野公園にも復元されたもの。鍋島直正公が、隠居の場所として使っていたと聞きます。

明治初期の東京遷都(奠都)を佐賀藩士が主導する前日譚。やたらに地味と扱われる大木喬任が主役の話。無口な大木が、いつになく雄弁な演目です。

合間に江藤新平と“お茶菓子争奪戦を繰り広げるなど、細かく“遊び“の要素もあるので楽しく見られます。

それにしても、江藤新平は演じる役者さんによって、結構、色んな表現の幅が取れるのだな…と、個人的にも勉強になるところがあります。



――そして、4本目『通せんぼ』

鉄道開業150周年記念としての色合いが強い作品かなと思います。

高輪築堤”の発見から、一部の佐賀への移設。そのメモリアルだからなのか、佐賀の“八賢人”が勢揃いという豪華な演出。

幕末期に落命した師匠枝吉神陽。そして、明治の初頭には世を去った殿様鍋島直正も、大隈重信の苦闘を見守ります。

鉄道輸送力で、食料不足を解決しよう」と、各地域に生じる目先の問題だけでなく、国全体を見て課題を解決しようとした、大隈重信

10周年特別公演にふさわしい演目に仕上がっていました。



――ラストの、5本目『江藤どんと西郷さん』

この演目にも、薩摩藩の人物が登場。しかも西郷隆盛に加えて、桐野利秋(“人斬り半次郎”としても著名)を描く事で、すごく厚みを感じる演目に。

また、表面的な文言で語られがちな「征韓論」を「西郷隆盛を使節として派遣する話し合いの試み」として、しっかり描いてあります。

この辺り、ほとんど「大河ドラマ」的なシナリオではないか…と考えました。

新しく江藤新平役を担当する役者さん。最初は線の細い印象でしたが、いざ演技に入ると“青い炎”でも見えるような静かな熱さが感じられます。

「驚くべき才能の持ち主だが、ピリピリしておって実に危うい」という評価もある江藤新平ですので、「こういう描き方も有りだな…」と思って見ていました。


――以上、私的な評論を繰り広げてしまいました。

私のような“歴史好き”ですら、幕末佐賀藩には関心が薄かった10年前

偶然に見かけたパンフレットで、コツコツと活動を始められていたことは知っていましたが、当時は、それほど興味を持つこともありませんでした。

きっと努力を重ねて、私も含めた多くの人々を振り向かせ、いまや特別公演では、座席間の距離に配慮しながらも、満席の様子に。

本当はもっと大々的にお祝いしても良いぐらいだと思うわけですが、この長文をもって、配信が届いた佐賀出身者の1人からのエールとさせてください。



○動画配信の参照〔再掲〕

魅力発掘プロデュース協会/幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」10周年特別公演
https://www.livesbeyond.jp/2022cultureart/2022-07-222225.html
〔※外部リンク:ライブスビヨンドの該当ページ〕



  


2022年09月01日

「“鎌倉殿”に学んでみる(分析編)」

こんばんは。
毎週、凄まじい展開の続く、放送中の2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。

幕末・明治期の大河ドラマ『青天を衝け』の時は、よく感想を書きましたが、今はあまり書いていません…書きづらいというのが、正直なところでしょうか。

本日の記事は、今年の大河ドラマを、ある視点から淡々と分析してみます。


――「へぇ。」

不穏な啼き声が響く。現れるのは言葉数の少ない、無表情な中年男

そんな印象のキャラクターだったが、おそらくは、歴代の大河ドラマでも屈指の“暗殺者”だったのではないか。

息をするかのように、標的を仕留める。平然とした佇まいが、余計に怖い。



――毎週、登場人物が衝撃の最期を迎える“恐怖”の大河ドラマ。

序盤から出ていたが『鎌倉殿の13人』からは、前回で退場と思われる、善児〔演:梶原善〕という人物。

もとは百姓と思われる風体だが、攻撃の方法が武士の戦い方よりも怖い。よくあるパターンが、スタスタと歩いてきてブスッと刺す。

あるいは、知らぬ間に刺している。視聴者は標的(ターゲット)の反応を見て、ようやく暗殺の場面とわかる…


――怖い…怖すぎるぞ。この演出。

感情の無い、始末の付け方。まるで「人の心を持たない」ような刺客

この暗殺者主人は、伊東祐親〔演:浅野和之〕→梶原景時〔演:中村獅童〕→北条義時〔演:小栗旬〕と移ったかと思う。

オープニングに“善児”の名前を確認すると、視聴者は誰かの“退場”を覚悟しなければならない…という状況まで生じた。


――そんな善児について、いくつかの“転機”を見た。

代替わりを準備してしまう

 自分も年を取ったから…と二代目として育成したトウ〔演:山本千尋〕をお披露目する。トウは、善児源範頼〔演:迫田孝也〕を暗殺した際に、巻き添えで始末した夫婦遺児

視聴者に応援されてしまう

 比企能員〔演:佐藤二朗〕の野望を砕こうと、北条義時善児を控えさせて脅す場面。佐藤二朗さんの“怪演”の効果で、「善児、仕留めてしまえ~」と、つい感情移入する視聴者も多数。

人の心を取り戻してしまう

 源頼家〔演:金子大地〕の一幡匿ううちに大事に思うようになる。一幡が「わしを好いてくれている」と語り、暗殺を「できねぇ」と拒む。そのには、初めてが見える様子に。



――以上をふまえて、私的な見解ですが、

の段階で、善児を“親の仇”とする凄腕の刺客が成長している。

の段階で、視聴者にとって、善児は“絶対悪”ではなくなった。

の段階で、“人の心”が無いという、最大の武器を失っている。

ざっくりと見るだけで、ここまで作中に退場前振りがある、言い換えれば、“死亡フラグ”が巧妙に立てられているとは…


――前回の放送で、最期の時を迎えた“暗殺者”。

やはり「人の心を持った」ことが“しくじった“要因として描かれました。かつて、源頼朝〔演:大泉洋〕の千鶴丸を、非情にも影で始末した善児

源頼家一幡を大切に思い始めていたところ、まったく同じ方法で消されるのを、ただ見送る事しかできませんでした。


――伊豆の「修善寺」での、最後の仕事。

その標的は、一幡の父で鎌倉幕府・第二代将軍の源頼家。自身に懐いていた一幡の”幻影”を目にした、善児は一瞬の隙を生じ、深手を負います。

そして後継者であるトウから“親の仇”として、善児とどめをさされます。弟子の手で「苦しみを終わらせた」という解釈は可能なのかもしれません。

視聴した記憶をもとにしたので、記述は不確かです。三谷幸喜さんのとにかく怖い脚本。『鎌倉殿の13人』、後学のためにも、しっかり見ようと思います。





  
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Posted by SR at 22:37 | Comments(0) | 「大河ドラマ」関連