2020年03月13日
第6話「鉄製大砲」④
こんばんは。
昨日の続きです。プロジェクトチーム「鋳立方の七人」のリーダー・本島は伊豆に出張中。医術修業中の佐野常民も久しぶりに登場します。
――ピーヒョロロー♪
空高くトンビが舞っている。
「えっさ~、ほいさぁ…」
街道沿いを走る飛脚とすれ違う。
まもなく本島藤太夫は、伊豆(静岡)・韮山に到着する。
幕府が実験用に作った“反射炉”を視察するためだ。
――天領(幕府の領地)伊豆・韮山。
「本島どの、よくお越しになった。」
幕府の伊豆韮山の代官、江川英龍(太郎左衛門)である。
日本で初めて近代的なパンを焼いた人物とされ、後世では“パン祖”とも呼ばれている。本編では、第3話「西洋砲術」で佐賀(武雄)に来ている。
――早速、実験用の反射炉を見学する、本島藤太夫。
剣の腕も立ち、豪傑でもある江川。しかし、何かを言いづらそうな様子だ。
「いや、本島どのには話しておくがな…実はのう。」
本島は続く言葉を予測した。
「もしや、炉の温度が足りませぬか…。」
江川が残念そうに言う。
「ご名答だ。思うように鉄が溶けないのだ。」
――本島は、今のところ“残念な反射炉”を見学する。
たとえ性能が不足していても、実験用でも、反射炉の実物が目の前にある。問題点まで含め、つぶさに観察しておかねばならない。
「江川さま、我々は諦めてはならんのです。」
本島は熱く語る。傍に仕えるうちに、鍋島直正の口ぐせが移ったかのようだ。
「本島どの、良いことを言う!」
江川が本島の言葉に応じる、もはや“同志”である。
こうして佐賀藩と伊豆・韮山の技術交流は続く。江川英龍は幕府の開明派だが、“攘夷”を旨とする「海防論者」でもあったという。
――本島は一旦、江戸に立ち寄る。

本島が立ち寄ったのは、”蘭学塾”である。
江戸では、伊東玄朴(げんぼく)が開いた、蘭学塾・象先堂が評判となっていた。
ちなみに伊東玄朴は、佐賀(神埼)の農村の生まれ。
長崎でシーボルトに蘭学と医術を学び、実力は佐賀藩のみならず幕府にも信頼されていた。
「玄朴先生!」
「おぉ、本島どのか。杉谷は元気にやっておるか。」
鋳立方の若き翻訳家・杉谷も、この塾でオランダ語を学んだ。
――伊東玄朴はふと何かを思いついた様子だ。
「本島どの、ちょうど佐賀の者が居るから紹介しておこう。」
「佐野~っ!佐賀の方が来ておる!ご挨拶しておけ!」
「はい!ただいま。」
佐野常民(栄寿)は、京都、大坂、江戸…様々な地域で修業している。
当時の蘭方医は西洋医学を普及するため、強力なネットワークを形成していた。この伊東玄朴は、既に幕府のお気に入りで、トップランナーと言ってよい存在だ。
「佐野栄寿と申します!医術修業中の身でございます!」
当時の医者は衛生面を考慮してか、丸坊主のことが多い。
佐野も髪をツルツルにしていた。
(続く)
昨日の続きです。プロジェクトチーム「鋳立方の七人」のリーダー・本島は伊豆に出張中。医術修業中の佐野常民も久しぶりに登場します。
――ピーヒョロロー♪
空高くトンビが舞っている。
「えっさ~、ほいさぁ…」
街道沿いを走る飛脚とすれ違う。
まもなく本島藤太夫は、伊豆(静岡)・韮山に到着する。
幕府が実験用に作った“反射炉”を視察するためだ。
――天領(幕府の領地)伊豆・韮山。
「本島どの、よくお越しになった。」
幕府の伊豆韮山の代官、江川英龍(太郎左衛門)である。
日本で初めて近代的なパンを焼いた人物とされ、後世では“パン祖”とも呼ばれている。本編では、第3話「西洋砲術」で佐賀(武雄)に来ている。
――早速、実験用の反射炉を見学する、本島藤太夫。
剣の腕も立ち、豪傑でもある江川。しかし、何かを言いづらそうな様子だ。
「いや、本島どのには話しておくがな…実はのう。」
本島は続く言葉を予測した。
「もしや、炉の温度が足りませぬか…。」
江川が残念そうに言う。
「ご名答だ。思うように鉄が溶けないのだ。」
――本島は、今のところ“残念な反射炉”を見学する。
たとえ性能が不足していても、実験用でも、反射炉の実物が目の前にある。問題点まで含め、つぶさに観察しておかねばならない。
「江川さま、我々は諦めてはならんのです。」
本島は熱く語る。傍に仕えるうちに、鍋島直正の口ぐせが移ったかのようだ。
「本島どの、良いことを言う!」
江川が本島の言葉に応じる、もはや“同志”である。
こうして佐賀藩と伊豆・韮山の技術交流は続く。江川英龍は幕府の開明派だが、“攘夷”を旨とする「海防論者」でもあったという。
――本島は一旦、江戸に立ち寄る。

本島が立ち寄ったのは、”蘭学塾”である。
江戸では、伊東玄朴(げんぼく)が開いた、蘭学塾・象先堂が評判となっていた。
ちなみに伊東玄朴は、佐賀(神埼)の農村の生まれ。
長崎でシーボルトに蘭学と医術を学び、実力は佐賀藩のみならず幕府にも信頼されていた。
「玄朴先生!」
「おぉ、本島どのか。杉谷は元気にやっておるか。」
鋳立方の若き翻訳家・杉谷も、この塾でオランダ語を学んだ。
――伊東玄朴はふと何かを思いついた様子だ。
「本島どの、ちょうど佐賀の者が居るから紹介しておこう。」
「佐野~っ!佐賀の方が来ておる!ご挨拶しておけ!」
「はい!ただいま。」
佐野常民(栄寿)は、京都、大坂、江戸…様々な地域で修業している。
当時の蘭方医は西洋医学を普及するため、強力なネットワークを形成していた。この伊東玄朴は、既に幕府のお気に入りで、トップランナーと言ってよい存在だ。
「佐野栄寿と申します!医術修業中の身でございます!」
当時の医者は衛生面を考慮してか、丸坊主のことが多い。
佐野も髪をツルツルにしていた。
(続く)