2020年03月14日
第6話「鉄製大砲」⑤
こんにちは。
前回の投稿で登場した伊東玄朴。幕末期に、不治の伝染病だった“天然痘”の対策を進めた蘭方医です。
玄朴が江戸に作った“西洋医学所”は、後に幕府の直営となり、現在の東京大学医学部のルーツになっていきます。この方も佐賀藩出身。神埼の生まれです。
――伊東玄朴は、佐賀の藩医でもある。江戸の藩邸にて。
参勤交代で江戸に来ている鍋島直正。
「おお、玄朴先生か。儂に伝えたいこととは何か。」
玄朴は藩医として、直正に進言することとした。
「殿は、“天然痘”に苦しむ民に、心を痛めておられると…」
直正は、ため息をついた。
「そうなのじゃ。幾度、治まっても繰り返してしまう。」
“天然痘”は、江戸時代の死因の一位とも言われる。玄朴は提案する。
「良い方法がございます。“牛痘”を使うのです。」
平たく言えば、ウシの天然痘に感染した牛から痘苗(ワクチン)をつくる。玄朴は強く思っていた。
「殿ならば…きっとお分かりいただける。」
――直正は、農業の立て直しにも心を砕いてきた。
直正は「小作料の猶予」などで地主の権利を抑え、百姓を守っていく。そして、衰えた農村は活力を取り戻し、佐賀の農業は再び豊かになった。
次は、農村部を含む疫病対策である。直正は玄朴に問い直す。
「牛…と申すか。」
玄朴は答える。
「牛でございます。人から“植え継ぐ”と発病することも多きゆえ。」
ヒト由来の痘苗(ワクチン)では、発症者を増やす恐れがあったのである。
直正は玄朴の意見を聞き届けた。
「相分かった。長崎の“楢林”に伝えておく。」
“天然痘”への対策は急務だった。楢林は長崎在住だが、佐賀藩医である。
そして、ワクチンの素は長崎でオランダから取り寄せることとなった。
――さて、佐賀藩の“プロジェクトチーム”に話を戻す。
リーダー・本島が出張中の「鋳立方の七人」。
あらためて残りのメンバーを紹介していく。

――早朝、砲術演習場の小屋。翻訳担当の2人が“出勤”する
「田中さま、おはようございます!」
江戸で伊東玄朴に学んだ、翻訳の達人・杉谷である。
もともと、オランダの砲術書は、この杉谷雍助が持ち帰ったものだ。
「おお、杉谷どのも早いな。」
少し年上の田中虎六郎が挨拶を返す。
読解の鉄人・田中と呼んでおこう。
田中は、杉谷の翻訳を実用できる“技術書”に編集していく。
――しかし、小屋には先客がいた。相変わらず“計算”を行っている。
「おおっ、馬場さま!もう、来ておられましたか。」
杉谷が驚く。
もう随分と“和算”の数式が紙に並んでいる。
「ふふふ…ちょうど、ひと区切り付いたところじゃ。」
算術家・馬場栄作である。
いつも計算をしているので、めったにしゃべらない。
ここで翻訳の内容を、数字に落とし込む。
できるところから“反射炉”設計の計算を始めているらしい。
――そして、彼らの成果を形(物体)にする者たち。
技術リーダー2人の朝は、もっと早かった様子だ。
「“小屋組”、遅かよ!」
鉄を溶かす担当。肥前刀鍛冶・橋本新左衛門である。
翻訳や計算の担当を“小屋組”と一括りで呼んだ。この小屋は「事務所棟」と言った扱いである。
橋本は、作業を進めるため、早く資料が欲しいようだ。
現時点では“反射炉”は無いので、橋本は、もっぱら金属の“溶化”の研究中である。
「まぁ、待たんね、橋本さん。この人たちは晩まで働いておるばい。」
金属を成型する担当。鋳物師・谷口弥右衛門である。
谷口は鉄が溶けるまでは、青銅砲の鋳造を続ければよいので、気持ちにゆとりがあるようだ。
――以上が、「鋳立方の七人」のうち、五名である。あとは出張中の本島と…もう1人。
七人目の田代は、向こうの倉庫で、大隈信保と話している様子だ。
もともと佐賀の蘭学は、長崎で西洋医学を学ぶことが中心だった。一冊のオランダ語の書物から大砲を造るプロジェクトも、その蓄積あってのことである。
(続く)
前回の投稿で登場した伊東玄朴。幕末期に、不治の伝染病だった“天然痘”の対策を進めた蘭方医です。
玄朴が江戸に作った“西洋医学所”は、後に幕府の直営となり、現在の東京大学医学部のルーツになっていきます。この方も佐賀藩出身。神埼の生まれです。
――伊東玄朴は、佐賀の藩医でもある。江戸の藩邸にて。
参勤交代で江戸に来ている鍋島直正。
「おお、玄朴先生か。儂に伝えたいこととは何か。」
玄朴は藩医として、直正に進言することとした。
「殿は、“天然痘”に苦しむ民に、心を痛めておられると…」
直正は、ため息をついた。
「そうなのじゃ。幾度、治まっても繰り返してしまう。」
“天然痘”は、江戸時代の死因の一位とも言われる。玄朴は提案する。
「良い方法がございます。“牛痘”を使うのです。」
平たく言えば、ウシの天然痘に感染した牛から痘苗(ワクチン)をつくる。玄朴は強く思っていた。
「殿ならば…きっとお分かりいただける。」
――直正は、農業の立て直しにも心を砕いてきた。
直正は「小作料の猶予」などで地主の権利を抑え、百姓を守っていく。そして、衰えた農村は活力を取り戻し、佐賀の農業は再び豊かになった。
次は、農村部を含む疫病対策である。直正は玄朴に問い直す。
「牛…と申すか。」
玄朴は答える。
「牛でございます。人から“植え継ぐ”と発病することも多きゆえ。」
ヒト由来の痘苗(ワクチン)では、発症者を増やす恐れがあったのである。
直正は玄朴の意見を聞き届けた。
「相分かった。長崎の“楢林”に伝えておく。」
“天然痘”への対策は急務だった。楢林は長崎在住だが、佐賀藩医である。
そして、ワクチンの素は長崎でオランダから取り寄せることとなった。
――さて、佐賀藩の“プロジェクトチーム”に話を戻す。
リーダー・本島が出張中の「鋳立方の七人」。
あらためて残りのメンバーを紹介していく。

――早朝、砲術演習場の小屋。翻訳担当の2人が“出勤”する
「田中さま、おはようございます!」
江戸で伊東玄朴に学んだ、翻訳の達人・杉谷である。
もともと、オランダの砲術書は、この杉谷雍助が持ち帰ったものだ。
「おお、杉谷どのも早いな。」
少し年上の田中虎六郎が挨拶を返す。
読解の鉄人・田中と呼んでおこう。
田中は、杉谷の翻訳を実用できる“技術書”に編集していく。
――しかし、小屋には先客がいた。相変わらず“計算”を行っている。
「おおっ、馬場さま!もう、来ておられましたか。」
杉谷が驚く。
もう随分と“和算”の数式が紙に並んでいる。
「ふふふ…ちょうど、ひと区切り付いたところじゃ。」
算術家・馬場栄作である。
いつも計算をしているので、めったにしゃべらない。
ここで翻訳の内容を、数字に落とし込む。
できるところから“反射炉”設計の計算を始めているらしい。
――そして、彼らの成果を形(物体)にする者たち。
技術リーダー2人の朝は、もっと早かった様子だ。
「“小屋組”、遅かよ!」
鉄を溶かす担当。肥前刀鍛冶・橋本新左衛門である。
翻訳や計算の担当を“小屋組”と一括りで呼んだ。この小屋は「事務所棟」と言った扱いである。
橋本は、作業を進めるため、早く資料が欲しいようだ。
現時点では“反射炉”は無いので、橋本は、もっぱら金属の“溶化”の研究中である。
「まぁ、待たんね、橋本さん。この人たちは晩まで働いておるばい。」
金属を成型する担当。鋳物師・谷口弥右衛門である。
谷口は鉄が溶けるまでは、青銅砲の鋳造を続ければよいので、気持ちにゆとりがあるようだ。
――以上が、「鋳立方の七人」のうち、五名である。あとは出張中の本島と…もう1人。
七人目の田代は、向こうの倉庫で、大隈信保と話している様子だ。
もともと佐賀の蘭学は、長崎で西洋医学を学ぶことが中心だった。一冊のオランダ語の書物から大砲を造るプロジェクトも、その蓄積あってのことである。
(続く)