2021年01月24日

「醒覚の剣」(聖廟)

こんにちは。

最近では県内各市町でも新型コロナ感染者数が日々報じられています。それなりに遠くから郷里を見ている私。

自分の周辺地域では、淡々と数値が増え続け、感覚が麻痺(まひ)しがち。一方で、佐賀での感染状況には敏感です。


――最近、叔父上との電話で。

佐賀写真が必要なら、また動くとよ。」

現地取材の要望には、即応する”と言う。
叔父上からのありがたい申し出である。

…ある、ありますとも!佐賀で確保したい素材は。


――しかし、私はこう返事をする。

佐賀でも感染が広がっている様子。まず、叔父上身の安全が第一です。」
…これも、偽らざる気持ちである。叔父上に何かあっては、元も子もない。

いまや大都市圏では“緊急事態宣言”が出ている。佐賀でも、油断は禁物だ。

には、今までに頂いた素材もあります。」
「そうね。じゃあ、またご要望があれば。」


――今ある材料で、何とかする…

これも、佐賀藩士らしくはないか。不利な状況を弾き返す実力を磨くのだ。

幕末期。技術情報が不足でも、鉄製大砲蒸気機関を作り上げた。
明治期。たとえ官軍入りが遅くても、新政府の中枢で活躍できる。

…この底力を持つのが、佐賀だと理解している。



――昨年。私は大都市圏からの移動を自粛した。

当時、佐賀では新型コロナの感染情報を聞く事は少なかった。帰れない私に対して、叔父上は比較的自由に動けたのである。

私が依頼した中で、叔父上が初期に着手したのが、多久への取材だった。

多久市は「佐賀県のほぼ中央にあり、福岡にも長崎にも1時間で行ける」…と、密かに良い位置にある。


――ある夏の日。“多久”に降り立った、叔父上。

若くはないが「幕末佐賀藩大河ドラマを見たい!」と動き始めた。普通の叔父さんなら「ムダだから止めておけ!」と諭しても、手伝おうとはするまい。

しかし叔父上は、“多久聖廟”の前でカメラを構え、“聖人”や“領主”の石像を見つければ、写真を撮ることにも余念がない。

「にゃ~、天気いま一つやったばい!」
むしろ使える絵を撮ろうと、いろいろ画策するのである。


――聖学が華開き、文教の風薫る郷・多久。

叔父上現地入りから、およそ半年多久で撮影した写真は、あたかもタイムカプセルのように「聖学の華文教の風」を、現在の私に届けた

論語”の郷として、特徴を持つ多久市全国ネットテレビでも「多久の若者は、誰でも論語を暗唱している!」と“珍百景”扱いで見かけることがある。

今回、“多久”について考えた私は、本質はもっと深い所にあると感じる。“骨太の学び”をした者は、いざという時の“冷静さ”に勝る…そんな気がするのだ。



  


Posted by SR at 16:35 | Comments(0) | 「望郷の剣」シリーズ