2021年01月09日
「主に白石町民の皆様を対象としたつぶやき 2」
こんばんは。
「さがファンブログ」の皆様の記事。まるで佐賀が雪国になったかのようです。
…大都市圏は別の緊急事態ですが、佐賀に暮らす皆様も油断なさらずに。
――さて、年始から始めました、第15話。
舞台はアメリカ。挿入される画像は“イメージ”です。当時の雰囲気を再現できているか…は定かではありませんが、なるべく頑張りました。
前話(第14話)から、のちに“万延遣米使節団”と呼ばれる幕府使節に同行する佐賀藩士たちを描いています。

――ここ3回の記事は、佐賀藩医・川崎道民を中心に構成した話です。
川崎道民(かわさき どうみん)をご存じという人は、佐賀の歴史好きの方か。あるいは佐賀県内でも、白石町にお住まいの方でしょうか。
2018年の明治維新150周年記念で、幕末佐賀の偉人の顕彰が多くありました。川崎道民は、白石町ゆかりの人物として紹介されています。
川崎道民は幕末の日本では珍しい「写真を撮る側」の人。
その2018年には、作品を集めた写真展”が佐賀バルーンミュージアムで開催されたとか…今さらですが見たかったです!
――須古領で、侍医(ご領主付きの医者)だった川崎道民。
佐賀藩ナンバー2・鍋島安房さまを覚えておられるでしょうか。私が一押ししています、殿・鍋島直正の補佐役で、須古(白石町西部)の領主でもあります。
川崎道民はご領主に見出され、本社とも言うべき“佐賀”の藩医に栄転。“本編”で、鍋島安房は表舞台を去りましたが、志は形を変えて受け継がれます。
〔参照:第14話「遣米使節」⑫(遠くまで…)〕

――ここで突如、語ります。
「川崎道民のここが凄い!」
①海外での情報収集
・医療や写真の技術を日本に持ち帰る。
使節団の医者としてアメリカに行ったため、現地の医師など多数と交流。現地で“銀板写真”も学び、最新の医療機器や、物理学・測量術の書物も確保。
②豊富な人脈
・幕末の著名人とも親しい。
ヨーロッパ派遣で同室だった福沢諭吉をはじめ、勝海舟、ジョン万次郎などと関わりがあったとか。佐賀藩出身では、大隈重信とも親しいようです。
③ジャーナリズムの先駆者
・日本で2番目に新聞を創刊。
明治5年(1872年)に“佐賀県新聞”を創刊(1番手の横浜毎日新聞に次ぐ)。新聞は事業としては失敗でしたが、活版印刷は継続し、近代化に貢献します。
――アメリカに渡る1年前(1859年)に…
川崎道民が撮影した殿・鍋島直正の肖像写真は有名ですね。
〔参照:第14話「遣米使節」⑬(アメリカに行きたいか!)〕
アメリカの2年後にはヨーロッパにも渡航。幕末の日本には希少な海外経験豊富な人材。現地で技術を習得し、コミュニケーション能力の高さも感じられます。
海外への好奇心が強かった、殿・鍋島直正。日本に帰ってきた川崎道民の話を、身を乗り出して聞く、殿のお姿が、目に浮かぶようです。
「さがファンブログ」の皆様の記事。まるで佐賀が雪国になったかのようです。
…大都市圏は別の緊急事態ですが、佐賀に暮らす皆様も油断なさらずに。
――さて、年始から始めました、第15話。
舞台はアメリカ。挿入される画像は“イメージ”です。当時の雰囲気を再現できているか…は定かではありませんが、なるべく頑張りました。
前話(第14話)から、のちに“万延遣米使節団”と呼ばれる幕府使節に同行する佐賀藩士たちを描いています。
――ここ3回の記事は、佐賀藩医・川崎道民を中心に構成した話です。
川崎道民(かわさき どうみん)をご存じという人は、佐賀の歴史好きの方か。あるいは佐賀県内でも、白石町にお住まいの方でしょうか。
2018年の明治維新150周年記念で、幕末佐賀の偉人の顕彰が多くありました。川崎道民は、白石町ゆかりの人物として紹介されています。
川崎道民は幕末の日本では珍しい「写真を撮る側」の人。
その2018年には、作品を集めた写真展”が佐賀バルーンミュージアムで開催されたとか…今さらですが見たかったです!
――須古領で、侍医(ご領主付きの医者)だった川崎道民。
佐賀藩ナンバー2・鍋島安房さまを覚えておられるでしょうか。私が一押ししています、殿・鍋島直正の補佐役で、須古(白石町西部)の領主でもあります。
川崎道民はご領主に見出され、本社とも言うべき“佐賀”の藩医に栄転。“本編”で、鍋島安房は表舞台を去りましたが、志は形を変えて受け継がれます。
〔参照:

――ここで突如、語ります。
「川崎道民のここが凄い!」
①海外での情報収集
・医療や写真の技術を日本に持ち帰る。
使節団の医者としてアメリカに行ったため、現地の医師など多数と交流。現地で“銀板写真”も学び、最新の医療機器や、物理学・測量術の書物も確保。
②豊富な人脈
・幕末の著名人とも親しい。
ヨーロッパ派遣で同室だった福沢諭吉をはじめ、勝海舟、ジョン万次郎などと関わりがあったとか。佐賀藩出身では、大隈重信とも親しいようです。
③ジャーナリズムの先駆者
・日本で2番目に新聞を創刊。
明治5年(1872年)に“佐賀県新聞”を創刊(1番手の横浜毎日新聞に次ぐ)。新聞は事業としては失敗でしたが、活版印刷は継続し、近代化に貢献します。
――アメリカに渡る1年前(1859年)に…
川崎道民が撮影した殿・鍋島直正の肖像写真は有名ですね。
〔参照:
アメリカの2年後にはヨーロッパにも渡航。幕末の日本には希少な海外経験豊富な人材。現地で技術を習得し、コミュニケーション能力の高さも感じられます。
海外への好奇心が強かった、殿・鍋島直正。日本に帰ってきた川崎道民の話を、身を乗り出して聞く、殿のお姿が、目に浮かぶようです。