2021年01月13日
「醒覚の剣」(古城)
こんばんは。
昨夜、江藤新平が特集された“知恵泉”をご覧になった方。感想はいかがだったでしょうか。
…おそらくクールダウンが必要なので、別企画で投稿します。昨夜の番組を見て、いろいろと熱くなっている私の頭を過ぎったのは、叔父上の言葉でした。
――私が、佐賀の歴史を追い始めてから…
全国ネットで、佐賀の良さが語られる機会が少ないことを実感する。
今回も歴史の話だが、私がいつも熱くなっている幕末の話ではない。この年末には、戦国武将の“総選挙”というテレビ番組があった。
そこで出演タレントが“トップ10”に入る武将の予想をするコーナーがあった。
――“龍造寺隆信”。この名を挙げた方がいた。
爆笑問題の田中裕二さんだ。龍造寺の家来だったご先祖がいるという。
“龍造寺”は言うまでもなく、佐賀の戦国大名である。のちの佐賀の殿様・鍋島家の主君だったことも幾度か語っている。
須古城(白石町)を拠点に、九州北部をほぼ制圧した時期があったはずだ。

――「おおっ!何やら佐賀が目立った!」
テレビでのやり取りに、私は目を見開く。しかし次の瞬間に変転が起きる。
「龍造寺…?無い、無い…!」
よく耳にする声だ。時代劇の名優・高橋英樹さんである。
――「高橋氏!それは、わかっている!わかっているのだ…」
ランキングの上位は「大河ドラマ」常連の有名武将で占められるだろう。たしかに“龍造寺隆信”が登場した「大河ドラマ」は…無いのかもしれない。
でも、あえて、わがままを言いたい。
もし、高橋氏が「龍造寺も、途中までは良かったんですけどね~」とか言ってくれたら「さすがは歴史通!」と感激したことだろう。
この話をバッサリ切る方向に“桃太郎侍”の腕前は発揮しないでほしかった…
――私は、この顛末(てんまつ)を叔父上に語った。
ここ1年帰れなかった遠い郷里への電話。
叔父上の反応は、こうだった。
「あぁ龍造寺隆信、名前が出とったね。」
「…それにしても扱われ方があんまりです!」
私は、まだ釈然としていない。
「まずは名前だけでも、出られて良しとせんば!」
――まいど飄々(ひょうひょう)とした、叔父上。
その口調は、きわめて明るかった。
「…まったく、叔父上には敵(かな)いませぬな。」
“柳の枝に雪折れなし”という言葉がある。最近、降雪のあった佐賀。
叔父上の言葉には、まったく力みがなかった。
私は、まるで力まかせに木剣を振るように語っていたのか。
それが、見事に空振りしたような感覚を味わったのである。
昨夜、江藤新平が特集された“知恵泉”をご覧になった方。感想はいかがだったでしょうか。
…おそらくクールダウンが必要なので、別企画で投稿します。昨夜の番組を見て、いろいろと熱くなっている私の頭を過ぎったのは、叔父上の言葉でした。
――私が、佐賀の歴史を追い始めてから…
全国ネットで、佐賀の良さが語られる機会が少ないことを実感する。
今回も歴史の話だが、私がいつも熱くなっている幕末の話ではない。この年末には、戦国武将の“総選挙”というテレビ番組があった。
そこで出演タレントが“トップ10”に入る武将の予想をするコーナーがあった。
――“龍造寺隆信”。この名を挙げた方がいた。
爆笑問題の田中裕二さんだ。龍造寺の家来だったご先祖がいるという。
“龍造寺”は言うまでもなく、佐賀の戦国大名である。のちの佐賀の殿様・鍋島家の主君だったことも幾度か語っている。
須古城(白石町)を拠点に、九州北部をほぼ制圧した時期があったはずだ。
――「おおっ!何やら佐賀が目立った!」
テレビでのやり取りに、私は目を見開く。しかし次の瞬間に変転が起きる。
「龍造寺…?無い、無い…!」
よく耳にする声だ。時代劇の名優・高橋英樹さんである。
――「高橋氏!それは、わかっている!わかっているのだ…」
ランキングの上位は「大河ドラマ」常連の有名武将で占められるだろう。たしかに“龍造寺隆信”が登場した「大河ドラマ」は…無いのかもしれない。
でも、あえて、わがままを言いたい。
もし、高橋氏が「龍造寺も、途中までは良かったんですけどね~」とか言ってくれたら「さすがは歴史通!」と感激したことだろう。
この話をバッサリ切る方向に“桃太郎侍”の腕前は発揮しないでほしかった…
――私は、この顛末(てんまつ)を叔父上に語った。
ここ1年帰れなかった遠い郷里への電話。
叔父上の反応は、こうだった。
「あぁ龍造寺隆信、名前が出とったね。」
「…それにしても扱われ方があんまりです!」
私は、まだ釈然としていない。
「まずは名前だけでも、出られて良しとせんば!」
――まいど飄々(ひょうひょう)とした、叔父上。
その口調は、きわめて明るかった。
「…まったく、叔父上には敵(かな)いませぬな。」
“柳の枝に雪折れなし”という言葉がある。最近、降雪のあった佐賀。
叔父上の言葉には、まったく力みがなかった。
私は、まるで力まかせに木剣を振るように語っていたのか。
それが、見事に空振りしたような感覚を味わったのである。
2021年01月12日
「史実と創作の狭間で…2」
こんばんは。
本日の投稿は事前に準備しました。
今夜10時からのNHK Eテレ “知恵泉”が気になって仕方ないからです。
「録画は?」…という問いもあるでしょう。
「ええ、予約録画しておりますよ。しかし、リアルタイムで見たい!」のです。
――“本編”の間が空いてしまうので、少し補足を。
“本編”第15話「江戸動乱」は年末年始を利用し、下書きを進めました。
少し2回目の投稿を補足しておきます。
…このお話。福沢諭吉が、渡航先のサンフランシスコで“写真館の娘”と一緒に映った写真が題材です。わりと有名な一枚のようですよ。
〔参照:第15話「江戸動乱」②(写真館の娘)〕
例えば「福沢諭吉 アメリカ 写真」などで検索すると、若く凛々しい福沢先生が椅子に腰かけ、大人びたアメリカの少女が傍らに立つ写真が出てきます。
――この“史実”の写真を、着想元に…
同じくアメリカに渡った佐賀藩医・川崎道民の活躍とつなげました。咸臨丸で来航した福沢と、ポーハタン号で到着した川崎。同時期にアメリカに渡った2人。
2年後のヨーロッパでは同部屋で、“新聞”など西洋文明の話もしたと考えますが、アメリカで2人にどの程度の接点があったか、調べが届いていません。
――ともに日本に帰る、咸臨丸のメンバーには…
福沢は、この写真を見せなかったようです。出航前に、うっかり仲間に見せて、真似をされたら嫌なので、帰路の船上で自慢したという説もあるようです。
…この一枚を“写真を撮る人”である川崎に見せれば、どんな反応になるか。
「おおっ!銀板写真(ダゲレオタイプ)ったい!」となるのでは、と想像します。
写真の技術に夢中になり、外国人女性と一緒に映ったという、福沢氏の自慢ポイントに気付かない…と、いかにも佐賀藩士らしい展開を描いてみました。

――同じ1860年春。日本の佐賀城下では…
…険しい表情で剣術の遣い手たちが集結。第15話「江戸動乱」ラストは“この場面”の予定です。しばらくは、2年前(1858年)に遡って、話が展開します。
次回以降、話の軸になるのは中野方蔵。大木喬任や江藤新平の親友です。
人当たりが良くて、世渡りも上手いものの、熱すぎる“尊王の志”を持った中野。砂ぼこりを立て、佐賀城下を駆け回ります。
――今までにも、中野方蔵は、よく“本編”に登場しています。
実は中野方蔵についての資料はあまり残っていないようです。その人物像は、わずかに知り得た行動の履歴から、人となりを推測して書くことが多いです。
友と走る若き日々が、のちの司法卿・江藤新平を作るはず。大木・江藤・中野の3人の青春が「大河ドラマ」で流れているイメージで書こうと思います。
本日の投稿は事前に準備しました。
今夜10時からのNHK Eテレ “知恵泉”が気になって仕方ないからです。
「録画は?」…という問いもあるでしょう。
「ええ、予約録画しておりますよ。しかし、リアルタイムで見たい!」のです。
――“本編”の間が空いてしまうので、少し補足を。
“本編”第15話「江戸動乱」は年末年始を利用し、下書きを進めました。
少し2回目の投稿を補足しておきます。
…このお話。福沢諭吉が、渡航先のサンフランシスコで“写真館の娘”と一緒に映った写真が題材です。わりと有名な一枚のようですよ。
〔参照:
例えば「福沢諭吉 アメリカ 写真」などで検索すると、若く凛々しい福沢先生が椅子に腰かけ、大人びたアメリカの少女が傍らに立つ写真が出てきます。
――この“史実”の写真を、着想元に…
同じくアメリカに渡った佐賀藩医・川崎道民の活躍とつなげました。咸臨丸で来航した福沢と、ポーハタン号で到着した川崎。同時期にアメリカに渡った2人。
2年後のヨーロッパでは同部屋で、“新聞”など西洋文明の話もしたと考えますが、アメリカで2人にどの程度の接点があったか、調べが届いていません。
――ともに日本に帰る、咸臨丸のメンバーには…
福沢は、この写真を見せなかったようです。出航前に、うっかり仲間に見せて、真似をされたら嫌なので、帰路の船上で自慢したという説もあるようです。
…この一枚を“写真を撮る人”である川崎に見せれば、どんな反応になるか。
「おおっ!銀板写真(ダゲレオタイプ)ったい!」となるのでは、と想像します。
写真の技術に夢中になり、外国人女性と一緒に映ったという、福沢氏の自慢ポイントに気付かない…と、いかにも佐賀藩士らしい展開を描いてみました。
――同じ1860年春。日本の佐賀城下では…
…険しい表情で剣術の遣い手たちが集結。第15話「江戸動乱」ラストは“この場面”の予定です。しばらくは、2年前(1858年)に遡って、話が展開します。
次回以降、話の軸になるのは中野方蔵。大木喬任や江藤新平の親友です。
人当たりが良くて、世渡りも上手いものの、熱すぎる“尊王の志”を持った中野。砂ぼこりを立て、佐賀城下を駆け回ります。
――今までにも、中野方蔵は、よく“本編”に登場しています。
実は中野方蔵についての資料はあまり残っていないようです。その人物像は、わずかに知り得た行動の履歴から、人となりを推測して書くことが多いです。
友と走る若き日々が、のちの司法卿・江藤新平を作るはず。大木・江藤・中野の3人の青春が「大河ドラマ」で流れているイメージで書こうと思います。
2021年01月11日
「明日 1月12日(火)22時~ NHK Eテレにて」
こんにちは。
皆様にお知らせしたいテレビ番組があり、本日は早めの投稿としました。
私の個人的ストーリーも綴るので、先に結論を見たい方は終盤をご覧ください。
根気よくお読みくださる方は、私と感動を分かち合っていただければ幸いです。
――先週。1月5日(火)PM10時40分過ぎ。
その時間の、私の様子からお伝えします。
「…ついに来たか。この時が!」
視聴するテレビ番組の次回予告を何気なく見ていた私。
では、その時までをいつもの調子でお送りします。
――この時、見ていたのは、NHK Eテレ(教育テレビ)。
歴史番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」の放送。
なお、この日の放送は土佐(高知)からの民権運動で有名な板垣退助が主役。板垣は、佐賀藩出身者との関わりも深かった。

――創作能力に自信が無い、私にとっては“史実”の集め方は課題。
テレビの歴史番組で佐賀藩士の活躍が映るなら、その展開は追うべきだ。
「…板垣退助ならば、わりと佐賀藩士と接点があるはず!」
番組は途中から視聴した。この回で、登場を期待したのは江藤新平・大隈重信など。私が見る限りでは、ナレーションに名前が出てきた程度の紹介だった。
――私が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と発心してから…
情報収集等をはじめてからは1年8か月ばかり。その間、全国ネットの歴史ドラマや歴史番組で、佐賀藩士たちが活躍する姿をほぼ見ることは無かった。
この悔しさを、なかなか勝てないスポーツチームのファン(サポーター)に例えたこともある。実力はあるのに、なぜか試合では目立たない…という感覚なのだ。
〔参照:「現在(いま)も、試合中」〕
以上で表現した、“その時”までの私の思索。ややあきらめの入った印象です。
――しかし、この日は“大逆転”が起きました。
いつものように、佐賀藩士の存在感が発揮されずに番組が終わろうとした頃、ラストの次回予告で、“その時”がやって参りました。
今回の投稿で、本当にお伝えしたい情報は、以下の数行です。
その“知恵泉”の次回予告をご紹介します!
1月12日(火)PM10:00~NHK Eテレ(教育テレビ)。
先人たちの底力 知恵泉
「江藤新平 次の時代をデザインするには?」が放送予定です。
…佐賀の賢人たちが全国に遍(あまね)く知られる時代の幕開けにつながってほしいと思います。どのような描き方となるか、しっかり見届けたいです。
皆様にお知らせしたいテレビ番組があり、本日は早めの投稿としました。
私の個人的ストーリーも綴るので、先に結論を見たい方は終盤をご覧ください。
根気よくお読みくださる方は、私と感動を分かち合っていただければ幸いです。
――先週。1月5日(火)PM10時40分過ぎ。
その時間の、私の様子からお伝えします。
「…ついに来たか。この時が!」
視聴するテレビ番組の次回予告を何気なく見ていた私。
では、その時までをいつもの調子でお送りします。
――この時、見ていたのは、NHK Eテレ(教育テレビ)。
歴史番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」の放送。
なお、この日の放送は土佐(高知)からの民権運動で有名な板垣退助が主役。板垣は、佐賀藩出身者との関わりも深かった。
――創作能力に自信が無い、私にとっては“史実”の集め方は課題。
テレビの歴史番組で佐賀藩士の活躍が映るなら、その展開は追うべきだ。
「…板垣退助ならば、わりと佐賀藩士と接点があるはず!」
番組は途中から視聴した。この回で、登場を期待したのは江藤新平・大隈重信など。私が見る限りでは、ナレーションに名前が出てきた程度の紹介だった。
――私が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と発心してから…
情報収集等をはじめてからは1年8か月ばかり。その間、全国ネットの歴史ドラマや歴史番組で、佐賀藩士たちが活躍する姿をほぼ見ることは無かった。
この悔しさを、なかなか勝てないスポーツチームのファン(サポーター)に例えたこともある。実力はあるのに、なぜか試合では目立たない…という感覚なのだ。
〔参照:
以上で表現した、“その時”までの私の思索。ややあきらめの入った印象です。
――しかし、この日は“大逆転”が起きました。
いつものように、佐賀藩士の存在感が発揮されずに番組が終わろうとした頃、ラストの次回予告で、“その時”がやって参りました。
今回の投稿で、本当にお伝えしたい情報は、以下の数行です。
その“知恵泉”の次回予告をご紹介します!
1月12日(火)PM10:00~NHK Eテレ(教育テレビ)。
先人たちの底力 知恵泉
「江藤新平 次の時代をデザインするには?」が放送予定です。
…佐賀の賢人たちが全国に遍(あまね)く知られる時代の幕開けにつながってほしいと思います。どのような描き方となるか、しっかり見届けたいです。
2021年01月09日
「主に白石町民の皆様を対象としたつぶやき 2」
こんばんは。
「さがファンブログ」の皆様の記事。まるで佐賀が雪国になったかのようです。
…大都市圏は別の緊急事態ですが、佐賀に暮らす皆様も油断なさらずに。
――さて、年始から始めました、第15話。
舞台はアメリカ。挿入される画像は“イメージ”です。当時の雰囲気を再現できているか…は定かではありませんが、なるべく頑張りました。
前話(第14話)から、のちに“万延遣米使節団”と呼ばれる幕府使節に同行する佐賀藩士たちを描いています。

――ここ3回の記事は、佐賀藩医・川崎道民を中心に構成した話です。
川崎道民(かわさき どうみん)をご存じという人は、佐賀の歴史好きの方か。あるいは佐賀県内でも、白石町にお住まいの方でしょうか。
2018年の明治維新150周年記念で、幕末佐賀の偉人の顕彰が多くありました。川崎道民は、白石町ゆかりの人物として紹介されています。
川崎道民は幕末の日本では珍しい「写真を撮る側」の人。
その2018年には、作品を集めた写真展”が佐賀バルーンミュージアムで開催されたとか…今さらですが見たかったです!
――須古領で、侍医(ご領主付きの医者)だった川崎道民。
佐賀藩ナンバー2・鍋島安房さまを覚えておられるでしょうか。私が一押ししています、殿・鍋島直正の補佐役で、須古(白石町西部)の領主でもあります。
川崎道民はご領主に見出され、本社とも言うべき“佐賀”の藩医に栄転。“本編”で、鍋島安房は表舞台を去りましたが、志は形を変えて受け継がれます。
〔参照:第14話「遣米使節」⑫(遠くまで…)〕

――ここで突如、語ります。
「川崎道民のここが凄い!」
①海外での情報収集
・医療や写真の技術を日本に持ち帰る。
使節団の医者としてアメリカに行ったため、現地の医師など多数と交流。現地で“銀板写真”も学び、最新の医療機器や、物理学・測量術の書物も確保。
②豊富な人脈
・幕末の著名人とも親しい。
ヨーロッパ派遣で同室だった福沢諭吉をはじめ、勝海舟、ジョン万次郎などと関わりがあったとか。佐賀藩出身では、大隈重信とも親しいようです。
③ジャーナリズムの先駆者
・日本で2番目に新聞を創刊。
明治5年(1872年)に“佐賀県新聞”を創刊(1番手の横浜毎日新聞に次ぐ)。新聞は事業としては失敗でしたが、活版印刷は継続し、近代化に貢献します。
――アメリカに渡る1年前(1859年)に…
川崎道民が撮影した殿・鍋島直正の肖像写真は有名ですね。
〔参照:第14話「遣米使節」⑬(アメリカに行きたいか!)〕
アメリカの2年後にはヨーロッパにも渡航。幕末の日本には希少な海外経験豊富な人材。現地で技術を習得し、コミュニケーション能力の高さも感じられます。
海外への好奇心が強かった、殿・鍋島直正。日本に帰ってきた川崎道民の話を、身を乗り出して聞く、殿のお姿が、目に浮かぶようです。
「さがファンブログ」の皆様の記事。まるで佐賀が雪国になったかのようです。
…大都市圏は別の緊急事態ですが、佐賀に暮らす皆様も油断なさらずに。
――さて、年始から始めました、第15話。
舞台はアメリカ。挿入される画像は“イメージ”です。当時の雰囲気を再現できているか…は定かではありませんが、なるべく頑張りました。
前話(第14話)から、のちに“万延遣米使節団”と呼ばれる幕府使節に同行する佐賀藩士たちを描いています。
――ここ3回の記事は、佐賀藩医・川崎道民を中心に構成した話です。
川崎道民(かわさき どうみん)をご存じという人は、佐賀の歴史好きの方か。あるいは佐賀県内でも、白石町にお住まいの方でしょうか。
2018年の明治維新150周年記念で、幕末佐賀の偉人の顕彰が多くありました。川崎道民は、白石町ゆかりの人物として紹介されています。
川崎道民は幕末の日本では珍しい「写真を撮る側」の人。
その2018年には、作品を集めた写真展”が佐賀バルーンミュージアムで開催されたとか…今さらですが見たかったです!
――須古領で、侍医(ご領主付きの医者)だった川崎道民。
佐賀藩ナンバー2・鍋島安房さまを覚えておられるでしょうか。私が一押ししています、殿・鍋島直正の補佐役で、須古(白石町西部)の領主でもあります。
川崎道民はご領主に見出され、本社とも言うべき“佐賀”の藩医に栄転。“本編”で、鍋島安房は表舞台を去りましたが、志は形を変えて受け継がれます。
〔参照:

――ここで突如、語ります。
「川崎道民のここが凄い!」
①海外での情報収集
・医療や写真の技術を日本に持ち帰る。
使節団の医者としてアメリカに行ったため、現地の医師など多数と交流。現地で“銀板写真”も学び、最新の医療機器や、物理学・測量術の書物も確保。
②豊富な人脈
・幕末の著名人とも親しい。
ヨーロッパ派遣で同室だった福沢諭吉をはじめ、勝海舟、ジョン万次郎などと関わりがあったとか。佐賀藩出身では、大隈重信とも親しいようです。
③ジャーナリズムの先駆者
・日本で2番目に新聞を創刊。
明治5年(1872年)に“佐賀県新聞”を創刊(1番手の横浜毎日新聞に次ぐ)。新聞は事業としては失敗でしたが、活版印刷は継続し、近代化に貢献します。
――アメリカに渡る1年前(1859年)に…
川崎道民が撮影した殿・鍋島直正の肖像写真は有名ですね。
〔参照:
アメリカの2年後にはヨーロッパにも渡航。幕末の日本には希少な海外経験豊富な人材。現地で技術を習得し、コミュニケーション能力の高さも感じられます。
海外への好奇心が強かった、殿・鍋島直正。日本に帰ってきた川崎道民の話を、身を乗り出して聞く、殿のお姿が、目に浮かぶようです。
2021年01月07日
第15話「江戸動乱」③(異郷で見た気球〔バルーン〕)
こんばんは。前回の続きです。
日米修好通商条約の批准のために、アメリカに渡った幕府の使節団。同行する佐賀藩士たちは、各々が殿・鍋島直正の命を受けて調査をしています。
――佐賀藩士で“エンジニア”の秀島藤之助。
ガンガン!…コンコン!
機械音とハンマーの音が響く。
嵐の太平洋を渡った“咸臨丸”はサンフランシスコのドックにて修繕されている。
秀島は、アメリカの蒸気船や大砲の調査が任務。“咸臨丸”の修理を見学中だ。
――同じく佐賀藩士。語学に通じる、小出千之助がドックに現れる。
「咸臨丸の具合は、いかがでございますか~」
活気みなぎる作業音に囲まれて、秀島に大声を掛けた。
小出は、他の佐賀藩士とそのまま使節団に同行。アメリカ東海岸に回る。
船の修理を見つめる秀島は、復路も咸臨丸に乗り、日本に戻る予定だ。

――サンフランシスコを発つ前に、小出は港に立ち寄っていた。
小出の任務は英語を習得し、西洋の事情を殿・鍋島直正に伝えること。
その間も、秀島藤之助は食い入るように、咸臨丸の船体を見つめる。
「知らぬ事ばかりだ。多いに“実験”の利益がある!」
「…船大工たちに尋ねたいことも、山ほどあるのだ!」
――秀島の発する言葉を、小出はじっと聞いていた。
アメリカの艦船修理。それを見つめる秀島の表情は、悔しそうだ。
「…オランダ語が通じぬのが、もどかしい!」
ドックを後にする、小出。学んだ“英語”は佐賀藩内で広める使命がある。
「秀島さんも悔しかね。私も英語には、まだまだ慣れぬな…」
その“英語”で目指すのは、進んだ技術や学問の習得だ。専門分野ごとに、知らねばならない単語も異なる。
――使節団はパナマを経由し、アメリカの東海岸(大西洋側)に上陸する。
異郷の地・アメリカでは、好奇の視線にさらされる事も多い。
「頭を指さして“ピストル”とか言われよるが…」
「あぁ、ちょんまげの形状が“短筒”のごた、見えるらしかよ。」
もはや自分たちの動向が“ニューズぺーバー”に載ることにも慣れてきた。
軍事、医学、産業から…、捕鯨船の動向まで、各々の調査に忙しい。

――アメリカ東海岸の街・フィラデルフィア。
イギリスからの独立時の13州を含む東部地域。
西海岸(太平洋側)よりも工業化が進んでいる。
「おや、川崎どのは、どこに行ったかな。」
仲間の佐賀藩士たちに小出千之助が尋ねた。
「“写真”の腕を磨くとか…、申しておりましたな。」
「いや“写真”の鍛錬からは戻りよった。次は“バルン”を見聞するとか…」
――佐賀藩医・川崎道民。アメリカの草原に立つ。
水田が広がる佐賀平野とは、また違う匂い。異郷の乾いた風が吹き抜ける。
「カワサキ。イッツ、タイム、カミン…バルーン、フライ!」
軽妙に響く現地・アメリカの言葉。
今までオランダ語しか学んでいない川崎だが、これは理解できた。
…気球を上げようとするアメリカ人の陽気な表情。
“楽しいことが始まるから、よく見ておけ!”その感覚は伝わる。
――青空に上がっていく、熱気球(バルーン)。
遠い異郷・アメリカで見上げる空。
じわじわと高く上がっていく熱気球。
「こいは面白かね。佐賀でも、天に上げられんか…」
なぜだか川崎には、とても親しい景色に想われた。
…そして、悠然と青天を見上げて思うのは、佐賀の空だった。
――1860年春。佐賀。
肌寒さの残る、曇り空。
佐賀城下には、険しい表情をした侍が集められていた。
その陣容は、剣術の腕が立つ者ばかり。急ぎ江戸に発つ仕度を整えていた。
(続く)
日米修好通商条約の批准のために、アメリカに渡った幕府の使節団。同行する佐賀藩士たちは、各々が殿・鍋島直正の命を受けて調査をしています。
――佐賀藩士で“エンジニア”の秀島藤之助。
ガンガン!…コンコン!
機械音とハンマーの音が響く。
嵐の太平洋を渡った“咸臨丸”はサンフランシスコのドックにて修繕されている。
秀島は、アメリカの蒸気船や大砲の調査が任務。“咸臨丸”の修理を見学中だ。
――同じく佐賀藩士。語学に通じる、小出千之助がドックに現れる。
「咸臨丸の具合は、いかがでございますか~」
活気みなぎる作業音に囲まれて、秀島に大声を掛けた。
小出は、他の佐賀藩士とそのまま使節団に同行。アメリカ東海岸に回る。
船の修理を見つめる秀島は、復路も咸臨丸に乗り、日本に戻る予定だ。
――サンフランシスコを発つ前に、小出は港に立ち寄っていた。
小出の任務は英語を習得し、西洋の事情を殿・鍋島直正に伝えること。
その間も、秀島藤之助は食い入るように、咸臨丸の船体を見つめる。
「知らぬ事ばかりだ。多いに“実験”の利益がある!」
「…船大工たちに尋ねたいことも、山ほどあるのだ!」
――秀島の発する言葉を、小出はじっと聞いていた。
アメリカの艦船修理。それを見つめる秀島の表情は、悔しそうだ。
「…オランダ語が通じぬのが、もどかしい!」
ドックを後にする、小出。学んだ“英語”は佐賀藩内で広める使命がある。
「秀島さんも悔しかね。私も英語には、まだまだ慣れぬな…」
その“英語”で目指すのは、進んだ技術や学問の習得だ。専門分野ごとに、知らねばならない単語も異なる。
――使節団はパナマを経由し、アメリカの東海岸(大西洋側)に上陸する。
異郷の地・アメリカでは、好奇の視線にさらされる事も多い。
「頭を指さして“ピストル”とか言われよるが…」
「あぁ、ちょんまげの形状が“短筒”のごた、見えるらしかよ。」
もはや自分たちの動向が“ニューズぺーバー”に載ることにも慣れてきた。
軍事、医学、産業から…、捕鯨船の動向まで、各々の調査に忙しい。
――アメリカ東海岸の街・フィラデルフィア。
イギリスからの独立時の13州を含む東部地域。
西海岸(太平洋側)よりも工業化が進んでいる。
「おや、川崎どのは、どこに行ったかな。」
仲間の佐賀藩士たちに小出千之助が尋ねた。
「“写真”の腕を磨くとか…、申しておりましたな。」
「いや“写真”の鍛錬からは戻りよった。次は“バルン”を見聞するとか…」
――佐賀藩医・川崎道民。アメリカの草原に立つ。
水田が広がる佐賀平野とは、また違う匂い。異郷の乾いた風が吹き抜ける。
「カワサキ。イッツ、タイム、カミン…バルーン、フライ!」
軽妙に響く現地・アメリカの言葉。
今までオランダ語しか学んでいない川崎だが、これは理解できた。
…気球を上げようとするアメリカ人の陽気な表情。
“楽しいことが始まるから、よく見ておけ!”その感覚は伝わる。
――青空に上がっていく、熱気球(バルーン)。
遠い異郷・アメリカで見上げる空。
じわじわと高く上がっていく熱気球。
「こいは面白かね。佐賀でも、天に上げられんか…」
なぜだか川崎には、とても親しい景色に想われた。
…そして、悠然と青天を見上げて思うのは、佐賀の空だった。
――1860年春。佐賀。
肌寒さの残る、曇り空。
佐賀城下には、険しい表情をした侍が集められていた。
その陣容は、剣術の腕が立つ者ばかり。急ぎ江戸に発つ仕度を整えていた。
(続く)
2021年01月05日
第15話「江戸動乱」②(写真館の娘)
こんばんは。
第15話は1860年の早春。アメリカを舞台にした話から始めています。
幕府の遣米使節団が、サンフランシスコに到着。たまたま“ニューズぺーバー(新聞)”を題材に、話が盛り上がる青年たち。
使節団の医者として、ポーハタン号でアメリカに来た、佐賀藩医・川崎道民。
幕府の随行員として咸臨丸に乗船した、福沢諭吉。
…のちにヨーロッパへの使節派遣では、ルームメイトとなる2人を描きます。
――引き続き、アメリカ西海岸のホテルロビーにて。
「メリケンの“写真”は良いな。格段に進んでおる!」
佐賀藩医・川崎道民が、ロビーで見かけた写真について熱く語る。
「おや、川崎どのは“フォトグラフィー”(写真)にも、ご興味がおありですか。」
福沢が、少し気取って語る。
――やや勿体(もったい)ぶって、一枚の写真を取り出す、福沢。
「まだ、咸臨丸の仲間には、見せておりませぬ!内緒の一枚にござる!」
写真には、椅子に腰かけた福沢。隣に立つアメリカ人の少女が一緒に映る。
「おおっ!」
大きい反応を返す、川崎。清々しいほどの丸坊主が光る。
「いや…、異国の女子(おなご)と写真に収まるなど、稀(まれ)なることゆえ。」
得意気な福沢。真似されるのは嫌なので、“咸臨丸”の連中には伏せておく…

――実は“写真館の娘”に頼んで、隣に映ってもらったのだ。
「メリケンの業(わざ)は良かね!こいが“銀板写真”ったい!」
しかし、川崎の感嘆の対象は、アメリカの写真技術だった。
「そうそう、異国の娘さんですが、可愛い子でしょう…えっ!銀板写真!?」
満面の笑顔だった福沢。川崎の反応は予測と違っていた…気まずい。
一方の川崎。「うむうむ…この業(わざ)ば、学んで帰りたかね…」と上機嫌だ。
――当時、日本では珍しい「写真を撮る側の人」だった、川崎道民。
少し冷静になって、また“よそ行き”の言葉に戻る、川崎。
「そうだ!福沢さんと言ったか。“手術”を見聞する機会を得られそうだ。」
「手術!でございますか!?」
「膀胱(ぼうこう)をだな、切り開く。詰まった石を取り除くのだ!」
川崎は目を輝かせた。アメリカでは、進んだ外科手術を見る機会もある。
「またと無い話だぞ。福沢さん、貴君もどうかな!」
――いきなりの川崎からの誘い。福沢は口ごもった。
「拙者…、また“咸臨丸”で、太平洋を戻らねばなりませぬ。」
福沢が、辞退の言葉を発する。
咸臨丸でアメリカに来た者は船の修繕が終われば、概ね日本に帰る予定だ。
「…そうか、良い話なのだが。」
――川崎は、目を丸くして“絶好の機会なのに…”という残念そうな表情。
「川崎どのは、しかとご見聞を!まことに、残念なことにござる!」
福沢は、なぜか明るい表情で言葉を返した。
福沢諭吉は、居合(抜刀術)の修練を欠かさず、免許持ちの腕前だった。しかし、実は血を見るのが苦手。手術の見学も嫌がった…という説もある。
(続く)
第15話は1860年の早春。アメリカを舞台にした話から始めています。
幕府の遣米使節団が、サンフランシスコに到着。たまたま“ニューズぺーバー(新聞)”を題材に、話が盛り上がる青年たち。
使節団の医者として、ポーハタン号でアメリカに来た、佐賀藩医・川崎道民。
幕府の随行員として咸臨丸に乗船した、福沢諭吉。
…のちにヨーロッパへの使節派遣では、ルームメイトとなる2人を描きます。
――引き続き、アメリカ西海岸のホテルロビーにて。
「メリケンの“写真”は良いな。格段に進んでおる!」
佐賀藩医・川崎道民が、ロビーで見かけた写真について熱く語る。
「おや、川崎どのは“フォトグラフィー”(写真)にも、ご興味がおありですか。」
福沢が、少し気取って語る。
――やや勿体(もったい)ぶって、一枚の写真を取り出す、福沢。
「まだ、咸臨丸の仲間には、見せておりませぬ!内緒の一枚にござる!」
写真には、椅子に腰かけた福沢。隣に立つアメリカ人の少女が一緒に映る。
「おおっ!」
大きい反応を返す、川崎。清々しいほどの丸坊主が光る。
「いや…、異国の女子(おなご)と写真に収まるなど、稀(まれ)なることゆえ。」
得意気な福沢。真似されるのは嫌なので、“咸臨丸”の連中には伏せておく…
――実は“写真館の娘”に頼んで、隣に映ってもらったのだ。
「メリケンの業(わざ)は良かね!こいが“銀板写真”ったい!」
しかし、川崎の感嘆の対象は、アメリカの写真技術だった。
「そうそう、異国の娘さんですが、可愛い子でしょう…えっ!銀板写真!?」
満面の笑顔だった福沢。川崎の反応は予測と違っていた…気まずい。
一方の川崎。「うむうむ…この業(わざ)ば、学んで帰りたかね…」と上機嫌だ。
――当時、日本では珍しい「写真を撮る側の人」だった、川崎道民。
少し冷静になって、また“よそ行き”の言葉に戻る、川崎。
「そうだ!福沢さんと言ったか。“手術”を見聞する機会を得られそうだ。」
「手術!でございますか!?」
「膀胱(ぼうこう)をだな、切り開く。詰まった石を取り除くのだ!」
川崎は目を輝かせた。アメリカでは、進んだ外科手術を見る機会もある。
「またと無い話だぞ。福沢さん、貴君もどうかな!」
――いきなりの川崎からの誘い。福沢は口ごもった。
「拙者…、また“咸臨丸”で、太平洋を戻らねばなりませぬ。」
福沢が、辞退の言葉を発する。
咸臨丸でアメリカに来た者は船の修繕が終われば、概ね日本に帰る予定だ。
「…そうか、良い話なのだが。」
――川崎は、目を丸くして“絶好の機会なのに…”という残念そうな表情。
「川崎どのは、しかとご見聞を!まことに、残念なことにござる!」
福沢は、なぜか明るい表情で言葉を返した。
福沢諭吉は、居合(抜刀術)の修練を欠かさず、免許持ちの腕前だった。しかし、実は血を見るのが苦手。手術の見学も嫌がった…という説もある。
(続く)
2021年01月03日
第15話「江戸動乱」①(“新聞”の夜明け)
こんばんは。
江戸時代、アメリカのホテルに滞在する侍たち。
海を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。
今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。
――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。
ホテルのロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道の旅籠(はたご)という時代だ。
その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
「我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」
アメリカに渡った幕府の使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。
――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。
「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。
当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。
ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿・鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。
――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。
西洋は写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。
「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。
もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。

――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。
「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。
当時の日本では上背のある方だ。
「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。
――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。
「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。
“ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎。
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」
――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…
現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。
福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」
「そがんか!民も“ニューズぺーバー”で、世の動きを知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。
…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。
(続く)
江戸時代、アメリカのホテルに滞在する侍たち。
海を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。
今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。
――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。
ホテルのロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道の旅籠(はたご)という時代だ。
その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
「我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」
アメリカに渡った幕府の使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。
――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。
「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。
当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。
ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿・鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。
――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。
西洋は写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。
「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。
もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。
――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。
「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。
当時の日本では上背のある方だ。
「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。
――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。
「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。
“ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎。
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」
――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…
現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。
福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」
「そがんか!民も“ニューズぺーバー”で、世の動きを知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。
…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。
(続く)
2021年01月02日
「西洋の風、侍の国」(第15話プロローグ)
こんにちは。
年明けは忙しくなりそうなのですが、正月休みで生じた余力で、少しでも時代を進めるべく、“本編”を書いていこうと思います。
――覚えておられる方がいらっしゃるか…
第14話「遣米使節」の終盤。太平洋の嵐が吹き荒れました。アメリカに向かう蒸気船・ポーハタン号は損傷。途中で修繕が必要に。
停泊地・ハワイから、いつ出航できるかわからない佐賀藩士たち。遠い郷里に向かって「佐賀の遠かごた~っ!」と叫びます!
〔参照(後半):第14話「遣米使節」⑮(水平線の向こうに)〕
――ポーハタン号と同じく、太平洋に出た“咸臨丸”の状況。
嵐が続く中、同乗していたアメリカ人水兵たちが、“魂の操船”を見せつけます。
〔参照(後半):第14話「遣米使節」⑭(太平洋の嵐)〕
押し流されるように、太平洋を進む咸臨丸は、アメリカ西海岸に先着。遅れること、2週間あまり。ハワイから出航したポーハタン号もアメリカ本土に無事帰還。
――第15話は「江戸動乱」というタイトル。
最初の舞台は、アメリカ西海岸・サンフランシスコ。主にポーハタン号に乗船した、佐賀藩士たちの到着後をイメージしたお話で始めます。
アメリカの舞台設定をどう表現するかは迷いました。写真による視覚イメージは重要で、その都度、誰かに手伝ってもらう…という展開は、今年も続きそうです。

――1860年の春。「遣米使節」と同時期。
日本では、歴史を動かす大事件が起きています。
第15話はアメリカで話を始めて、一旦1858年(2年前)の佐賀に舞台を戻し、江戸に場面を展開して“その時まで”を描く予定です。
自由な空気が漂うアメリカ、幕末動乱に入る日本の対比を試みます。その時期のアメリカも、南北戦争で大変なはずなのですが、何だか余裕を感じますね…
――次回から“本編”を再開予定です。
今春は大河ドラマ「青天を衝け」も始まるので、しばらく“つぶやき”は控えめにして、地道に書いていきたいと思います。
ちなみに明日、1月3日にテレビ東京系「池の水ぜんぶ抜く」で、佐賀城のお堀が登場するそうです。放送前には、ブログの投稿を完了しておきたい…
…今年のテーマは「なるべく余裕を持って進める」かな?と考える年明けです。
年明けは忙しくなりそうなのですが、正月休みで生じた余力で、少しでも時代を進めるべく、“本編”を書いていこうと思います。
――覚えておられる方がいらっしゃるか…
第14話「遣米使節」の終盤。太平洋の嵐が吹き荒れました。アメリカに向かう蒸気船・ポーハタン号は損傷。途中で修繕が必要に。
停泊地・ハワイから、いつ出航できるかわからない佐賀藩士たち。遠い郷里に向かって「佐賀の遠かごた~っ!」と叫びます!
〔参照(後半):
――ポーハタン号と同じく、太平洋に出た“咸臨丸”の状況。
嵐が続く中、同乗していたアメリカ人水兵たちが、“魂の操船”を見せつけます。
〔参照(後半):
押し流されるように、太平洋を進む咸臨丸は、アメリカ西海岸に先着。遅れること、2週間あまり。ハワイから出航したポーハタン号もアメリカ本土に無事帰還。
――第15話は「江戸動乱」というタイトル。
最初の舞台は、アメリカ西海岸・サンフランシスコ。主にポーハタン号に乗船した、佐賀藩士たちの到着後をイメージしたお話で始めます。
アメリカの舞台設定をどう表現するかは迷いました。写真による視覚イメージは重要で、その都度、誰かに手伝ってもらう…という展開は、今年も続きそうです。
――1860年の春。「遣米使節」と同時期。
日本では、歴史を動かす大事件が起きています。
第15話はアメリカで話を始めて、一旦1858年(2年前)の佐賀に舞台を戻し、江戸に場面を展開して“その時まで”を描く予定です。
自由な空気が漂うアメリカ、幕末動乱に入る日本の対比を試みます。その時期のアメリカも、南北戦争で大変なはずなのですが、何だか余裕を感じますね…
――次回から“本編”を再開予定です。
今春は大河ドラマ「青天を衝け」も始まるので、しばらく“つぶやき”は控えめにして、地道に書いていきたいと思います。
ちなみに明日、1月3日にテレビ東京系「池の水ぜんぶ抜く」で、佐賀城のお堀が登場するそうです。放送前には、ブログの投稿を完了しておきたい…
…今年のテーマは「なるべく余裕を持って進める」かな?と考える年明けです。
2021年01月01日
「2021年の目標を考える。」
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
当ブログは「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」ほぼワンテーマで綴ります。その他のテーマは…清々しいくらいに、佐賀の魅力を推しています。
――よく、「一年の計は元旦にあり」と言います。
さて、年始からの目標です。
①短期目標
昨年は、1808年~1858年の約50年間を“本編”で表現しました。そろそろ第1部「幕末黎明編」のラストが見えてきました。
しばらく“本編”は休んでいましたが、あと3話と考えているので、なんとか第1部は完結させたいです。
予定タイトルは
第15話「江戸動乱」(1858年~1860年頃)
第16話「攘夷沸騰」(1860年~1862年頃)
第17話「佐賀脱藩」(1862年頃)
概ね、以上のイメージです。いろいろ障壁はあるでしょうけども、3月末までには何とか仕上げたい…
②中期目標
2021年大河ドラマは「青天を衝け」。2月スタートですね。主人公は渋沢栄一で、舞台は幕末・明治。
幕府の関係者で、水戸藩とのつながりが強い主人公。キャストには佐賀藩士と関わる人物の名も並びますが、佐賀藩がまともに描かれるかは不透明です。
もし「青天を衝け」で、佐賀の登場が少なくても、当ブログは同じ時代の佐賀藩の活躍を、その都度フォローしていきたいと考えています。

※青天に舞う“風船”たち。いずれバルーンフェスタも撮ってみたいものです。
③長期目標
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」と見比べて「私の書く“本編”、やはり情報量が多過ぎるか?」とは、よく思うところです。
本音を語れば「第47話まで書き終えた後に、“大作家”の先生方の作品を拝読し、“大河ドラマ”のイメージを練り上げる」…という遠大な目標を持っています。
私の“才能”の有無は、考慮には入っていません。そんな想いがあるだけです。
――年頭の目標なので、夢も語ってみました。
現状では自粛せざるを得ませんが、一番大事なのは「今年こそ佐賀に帰藩し、自在に取材を行いたい!」なのでしょう。
年頭から積もった雪も溶かさんばかりの暑苦しさで投稿しました。
まずは健やかな1年が何よりですね。
本年もよろしくお願いします。
当ブログは「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」ほぼワンテーマで綴ります。その他のテーマは…清々しいくらいに、佐賀の魅力を推しています。
――よく、「一年の計は元旦にあり」と言います。
さて、年始からの目標です。
①短期目標
昨年は、1808年~1858年の約50年間を“本編”で表現しました。そろそろ第1部「幕末黎明編」のラストが見えてきました。
しばらく“本編”は休んでいましたが、あと3話と考えているので、なんとか第1部は完結させたいです。
予定タイトルは
第15話「江戸動乱」(1858年~1860年頃)
第16話「攘夷沸騰」(1860年~1862年頃)
第17話「佐賀脱藩」(1862年頃)
概ね、以上のイメージです。いろいろ障壁はあるでしょうけども、3月末までには何とか仕上げたい…
②中期目標
2021年大河ドラマは「青天を衝け」。2月スタートですね。主人公は渋沢栄一で、舞台は幕末・明治。
幕府の関係者で、水戸藩とのつながりが強い主人公。キャストには佐賀藩士と関わる人物の名も並びますが、佐賀藩がまともに描かれるかは不透明です。
もし「青天を衝け」で、佐賀の登場が少なくても、当ブログは同じ時代の佐賀藩の活躍を、その都度フォローしていきたいと考えています。
※青天に舞う“風船”たち。いずれバルーンフェスタも撮ってみたいものです。
③長期目標
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」と見比べて「私の書く“本編”、やはり情報量が多過ぎるか?」とは、よく思うところです。
本音を語れば「第47話まで書き終えた後に、“大作家”の先生方の作品を拝読し、“大河ドラマ”のイメージを練り上げる」…という遠大な目標を持っています。
私の“才能”の有無は、考慮には入っていません。そんな想いがあるだけです。
――年頭の目標なので、夢も語ってみました。
現状では自粛せざるを得ませんが、一番大事なのは「今年こそ佐賀に帰藩し、自在に取材を行いたい!」なのでしょう。
年頭から積もった雪も溶かさんばかりの暑苦しさで投稿しました。
まずは健やかな1年が何よりですね。