2021年01月13日

「醒覚の剣」(古城)

こんばんは。

昨夜、江藤新平が特集された“知恵泉”をご覧になった方。感想はいかがだったでしょうか。

…おそらくクールダウンが必要なので、別企画で投稿します。昨夜の番組を見て、いろいろと熱くなっているの頭を過ぎったのは、叔父上の言葉でした。


――私が、佐賀の歴史を追い始めてから…

全国ネットで、佐賀の良さが語られる機会が少ないことを実感する。

今回も歴史の話だが、私がいつも熱くなっている幕末の話ではない。この年末には、戦国武将の“総選挙”というテレビ番組があった。

そこで出演タレントが“トップ10”に入る武将予想をするコーナーがあった。


――“龍造寺隆信”。この名を挙げた方がいた。

爆笑問題田中裕二さんだ。龍造寺の家来だったご先祖がいるという。

龍造寺”は言うまでもなく、佐賀戦国大名である。のちの佐賀の殿様・鍋島家の主君だったことも幾度か語っている。

須古城(白石町)を拠点に、九州北部をほぼ制圧した時期があったはずだ。



――「おおっ!何やら佐賀が目立った!」

テレビでのやり取りに、私は目を見開く。しかし次の瞬間変転が起きる。

龍造寺…?無い、無い…!
よく耳にする声だ。時代劇の名優・高橋英樹さんである。


――「高橋氏!それは、わかっている!わかっているのだ…」

ランキング上位は「大河ドラマ」常連の有名武将で占められるだろう。たしかに“龍造寺隆信”が登場した「大河ドラマ」は…無いのかもしれない。

でも、あえて、わがままを言いたい。

もし、高橋氏が「龍造寺も、途中までは良かったんですけどね~」とか言ってくれたら「さすがは歴史通!」と感激したことだろう。

この話をバッサリ切る方向に“桃太郎侍”の腕前は発揮しないでほしかった…


――私は、この顛末(てんまつ)を叔父上に語った。

ここ1年帰れなかった遠い郷里への電話

叔父上の反応は、こうだった。
「あぁ龍造寺隆信名前が出とったね。」

「…それにしても扱われ方があんまりです!」
は、まだ釈然としていない。

「まずは名前だけでも、出られて良しとせんば!」


――まいど飄々(ひょうひょう)とした、叔父上。

その口調は、きわめて明るかった
「…まったく、叔父上には敵(かな)いませぬな。」

柳の枝雪折れなし”という言葉がある。最近、降雪のあった佐賀
叔父上の言葉には、まったく力みがなかった。

私は、まるで力まかせ木剣を振るように語っていたのか。
それが、見事に空振りしたような感覚を味わったのである。



  


Posted by SR at 22:37 | Comments(2) | 「望郷の剣」シリーズ

2021年01月12日

「史実と創作の狭間で…2」

こんばんは。
本日の投稿は事前に準備しました。
今夜10時からのNHK Eテレ知恵泉”が気になって仕方ないからです。

録画は?」…という問いもあるでしょう。
「ええ、予約録画しておりますよ。しかし、リアルタイムで見たい!」のです。


――“本編”の間が空いてしまうので、少し補足を。

本編第15話「江戸動乱」は年末年始を利用し、下書きを進めました。
少し2回目投稿を補足しておきます。

…このお話。福沢諭吉が、渡航先のサンフランシスコで“写真館の娘”と一緒に映った写真題材です。わりと有名な一枚のようですよ。
〔参照:第15話「江戸動乱」②(写真館の娘)

例えば「福沢諭吉 アメリカ 写真」などで検索すると、若く凛々しい福沢先生が椅子に腰かけ、大人びたアメリカの少女が傍らに立つ写真が出てきます。


――この“史実”の写真を、着想元に…

同じくアメリカに渡った佐賀藩医・川崎道民の活躍とつなげました。咸臨丸で来航した福沢と、ポーハタン号で到着した川崎。同時期にアメリカに渡った2人

2年後ヨーロッパでは同部屋で、“新聞”など西洋文明の話もしたと考えますが、アメリカで2人にどの程度の接点があったか、調べが届いていません。


――ともに日本に帰る、咸臨丸のメンバーには…

福沢は、この写真を見せなかったようです。出航前に、うっかり仲間に見せて、真似をされたら嫌なので、帰路の船上で自慢したという説もあるようです。

…この一枚を“写真を撮る人”である川崎に見せれば、どんな反応になるか。
「おおっ!銀板写真(ダゲレオタイプ)ったい!」となるのでは、と想像します。

写真の技術夢中になり、外国人女性と一緒に映ったという、福沢氏の自慢ポイントに気付かない…と、いかにも佐賀藩士らしい展開を描いてみました。



――同じ1860年春。日本の佐賀城下では…

…険しい表情で剣術遣い手たちが集結。第15話江戸動乱ラストは“この場面”の予定です。しばらくは、2年前(1858年)に遡って、話が展開します。

次回以降、話の軸になるのは中野方蔵大木喬任江藤新平親友です。

人当たりが良くて、世渡りも上手いものの、熱すぎる“尊王の志”を持った中野。砂ぼこりを立て、佐賀城下を駆け回ります。


――今までにも、中野方蔵は、よく“本編”に登場しています。

実は中野方蔵についての資料はあまり残っていないようです。その人物像は、わずかに知り得た行動の履歴から、人となり推測して書くことが多いです。

友と走る若き日々が、のちの司法卿江藤新平を作るはず。大木江藤中野3人青春が「大河ドラマ」で流れているイメージで書こうと思います。



  


Posted by SR at 21:13 | Comments(0) | 企画案・雑記帳

2021年01月11日

「明日 1月12日(火)22時~ NHK Eテレにて」

こんにちは。
皆様にお知らせしたいテレビ番組があり、本日は早めの投稿としました。

私の個人的ストーリーも綴るので、先に結論を見たい方は終盤をご覧ください。
根気よくお読みくださる方は、私と感動分かち合っていただければ幸いです。


――先週。1月5日(火)PM10時40分過ぎ。

その時間の、私の様子からお伝えします。
「…ついに来たか。この時が!」

視聴するテレビ番組の次回予告を何気なく見ていた私。
では、その時までいつもの調子でお送りします。


――この時、見ていたのは、NHK Eテレ(教育テレビ)。

歴史番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」の放送。

なお、この日の放送は土佐(高知)からの民権運動で有名な板垣退助が主役。板垣は、佐賀藩出身者との関わりも深かった。



――創作能力に自信が無い、私にとっては“史実”の集め方は課題。

テレビの歴史番組で佐賀藩士の活躍が映るなら、その展開は追うべきだ。
「…板垣退助ならば、わりと佐賀藩士と接点があるはず!」

番組は途中から視聴した。この回で、登場を期待したのは江藤新平大隈重信など。私が見る限りでは、ナレーション名前が出てきた程度の紹介だった。


――私が「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と発心してから…

情報収集等をはじめてからは1年8か月ばかり。その間、全国ネットの歴史ドラマ歴史番組で、佐賀藩士たちが活躍する姿をほぼ見ることは無かった。

この悔しさを、なかなか勝てないスポーツチームのファン(サポーター)に例えたこともある。実力はあるのに、なぜか試合では目立たない…という感覚なのだ。
〔参照:「現在(いま)も、試合中」

以上で表現した、“その時”までの私の思索。ややあきらめの入った印象です。


――しかし、この日は“大逆転”が起きました。

いつものように、佐賀藩士存在感が発揮されずに番組が終わろうとした頃、ラストの次回予告で、“その時”がやって参りました。

今回の投稿で、本当にお伝えしたい情報は、以下の数行です。
その“知恵泉”の次回予告をご紹介します!

1月12日(火)PM10:00~NHK Eテレ(教育テレビ)。
先人たちの底力 知恵泉
江藤新平 次の時代をデザインするには?」
放送予定です。

佐賀の賢人たちが全国に遍(あまね)く知られる時代の幕開けにつながってほしいと思います。どのような描き方となるか、しっかり見届けたいです。



  


Posted by SR at 13:39 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内

2021年01月09日

「主に白石町民の皆様を対象としたつぶやき 2」

こんばんは。

さがファンブログ」の皆様の記事。まるで佐賀雪国になったかのようです。
…大都市圏は別の緊急事態ですが、佐賀に暮らす皆様も油断なさらずに。


――さて、年始から始めました、第15話。

舞台はアメリカ。挿入される画像は“イメージ”です。当時の雰囲気を再現できているか…は定かではありませんが、なるべく頑張りました。

前話(第14話)から、のちに“万延遣米使節団”と呼ばれる幕府使節に同行する佐賀藩士たちを描いています。



――ここ3回の記事は、佐賀藩医・川崎道民を中心に構成した話です。

川崎道民(かわさき どうみん)をご存じという人は、佐賀の歴史好きの方か。あるいは佐賀県内でも、白石町にお住まいの方でしょうか。

2018年の明治維新150周年記念で、幕末佐賀の偉人の顕彰が多くありました。川崎道民は、白石町ゆかりの人物として紹介されています。

川崎道民は幕末の日本では珍しい「写真を撮る側」の人。

その2018年には、作品を集めた写真展”が佐賀バルーンミュージアム開催されたとか…今さらですが見たかったです!


――須古領で、侍医(ご領主付きの医者)だった川崎道民

佐賀藩ナンバー2・鍋島安房さまを覚えておられるでしょうか。私が一押ししています、殿鍋島直正補佐役で、須古(白石町西部)の領主でもあります。

川崎道民ご領主に見出され、本社とも言うべき“佐賀”の藩医に栄転。“本編”で、鍋島安房表舞台を去りましたが、は形を変えて受け継がれます。
〔参照:第14話「遣米使節」⑫(遠くまで…)



――ここで突如、語ります。

川崎道民のここが凄い!」

①海外での情報収集
医療写真の技術を日本に持ち帰る。

使節団の医者としてアメリカに行ったため、現地の医師など多数と交流。現地で“銀板写真”も学び、最新の医療機器や、物理学・測量術の書物も確保。


②豊富な人脈
幕末著名人とも親しい。

ヨーロッパ派遣で同室だった福沢諭吉をはじめ、勝海舟ジョン万次郎などと関わりがあったとか。佐賀藩出身では、大隈重信とも親しいようです。


③ジャーナリズムの先駆者
日本で2番目に新聞を創刊。

明治5年(1872年)に“佐賀県新聞”を創刊(1番手の横浜毎日新聞に次ぐ)。新聞は事業としては失敗でしたが、活版印刷は継続し、近代化に貢献します。


――アメリカに渡る1年前(1859年)に…

川崎道民が撮影した殿鍋島直正肖像写真は有名ですね。
〔参照:第14話「遣米使節」⑬(アメリカに行きたいか!)

アメリカの2年後にはヨーロッパにも渡航。幕末日本には希少な海外経験豊富な人材。現地で技術を習得し、コミュニケーション能力の高さも感じられます。

海外への好奇心が強かった、殿鍋島直正日本に帰ってきた川崎道民の話を、身を乗り出して聞く、殿のお姿が、目に浮かぶようです。



  


2021年01月07日

第15話「江戸動乱」③(異郷で見た気球〔バルーン〕)

こんばんは。前回の続きです。

日米修好通商条約の批准のために、アメリカに渡った幕府の使節団。同行する佐賀藩士たちは、各々が殿鍋島直正の命を受けて調査をしています。


――佐賀藩士で“エンジニア”の秀島藤之助。

ガンガン!コンコン

機械音ハンマーの音が響く。
嵐の太平洋を渡った“咸臨丸”はサンフランシスコのドックにて修繕されている。

秀島は、アメリカの蒸気船大砲の調査が任務。“咸臨丸”の修理を見学中だ。


――同じく佐賀藩士。語学に通じる、小出千之助がドックに現れる。

咸臨丸の具合は、いかがでございますか~」
活気みなぎる作業音に囲まれて、秀島大声を掛けた。

小出は、他の佐賀藩士とそのまま使節団に同行。アメリカ東海岸に回る。
船の修理を見つめる秀島は、復路も咸臨丸に乗り、日本に戻る予定だ。



――サンフランシスコを発つ前に、小出は港に立ち寄っていた。

小出の任務は英語を習得し、西洋の事情を殿鍋島直正に伝えること。

その間も、秀島藤之助は食い入るように、咸臨丸の船体を見つめる。
知らぬ事ばかりだ。多いに“実験”の利益がある!」

「…船大工たちに尋ねたいことも、山ほどあるのだ!」


――秀島の発する言葉を、小出はじっと聞いていた。

アメリカ艦船修理。それを見つめる秀島の表情は、悔しそうだ。
「…オランダ語が通じぬのが、もどかしい!」

ドックを後にする、小出。学んだ“英語”は佐賀藩内で広める使命がある。
秀島さんも悔しかね。私も英語には、まだまだ慣れぬな…」

その“英語”で目指すのは、進んだ技術学問の習得だ。専門分野ごとに、知らねばならない単語も異なる。


――使節団はパナマを経由し、アメリカの東海岸(大西洋側)に上陸する。

異郷の地・アメリカでは、好奇の視線にさらされる事も多い。

を指さして“ピストル”とか言われよるが…」
「あぁ、ちょんまげの形状が“短筒”のごた、見えるらしかよ。」

もはや自分たちの動向が“ニューズぺーバー”に載ることにも慣れてきた。
軍事、医学、産業から…、捕鯨船の動向まで、各々の調査に忙しい。



――アメリカ東海岸の街・フィラデルフィア。

イギリスからの独立時の13州を含む東部地域
西海岸(太平洋側)よりも工業化が進んでいる。

「おや、川崎どのは、どこに行ったかな。」
仲間の佐賀藩士たちに小出千之助が尋ねた。

「“写真”の腕を磨くとか…、申しておりましたな。」
「いや“写真”の鍛錬からは戻りよった。次は“バルン”を見聞するとか…」


――佐賀藩医・川崎道民。アメリカの草原に立つ。

水田が広がる佐賀平野とは、また違う匂い。異郷の乾いた風が吹き抜ける。

カワサキ。イッツ、タイム、カミン…バルーン、フライ!」

軽妙に響く現地・アメリカの言葉。
今までオランダ語しか学んでいない川崎だが、これは理解できた。

気球を上げようとするアメリカ人の陽気な表情。
楽しいことが始まるから、よく見ておけ!”その感覚は伝わる。


――青空に上がっていく、熱気球(バルーン)。

遠い異郷・アメリカで見上げる空。
じわじわと高く上がっていく熱気球

「こいは面白かね。佐賀でも、天に上げられんか…」
なぜだか川崎には、とても親しい景色に想われた。

…そして、悠然と青天を見上げて思うのは、佐賀の空だった。


――1860年春。佐賀。

肌寒さの残る、曇り空

佐賀城下には、険しい表情をしたが集められていた。
その陣容は、剣術腕が立つ者ばかり。急ぎ江戸に発つ仕度を整えていた。


(続く)

  


Posted by SR at 21:50 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月05日

第15話「江戸動乱」②(写真館の娘)

こんばんは。
第15話は1860年の早春。アメリカを舞台にした話から始めています。

幕府遣米使節団が、サンフランシスコに到着。たまたま“ニューズぺーバー(新聞)”を題材に、話が盛り上がる青年たち。

使節団の医者として、ポーハタン号でアメリカに来た、佐賀藩医・川崎道民
幕府の随行員として咸臨丸に乗船した、福沢諭吉

…のちにヨーロッパへの使節派遣では、ルームメイトとなる2人を描きます。


――引き続き、アメリカ西海岸のホテルロビーにて。

「メリケンの“写真”は良いな。格段に進んでおる!」
佐賀藩医・川崎道民が、ロビーで見かけた写真について熱く語る。

「おや、川崎どのは“フォトグラフィー”(写真)にも、ご興味がおありですか。」
福沢が、少し気取って語る。


――やや勿体(もったい)ぶって、一枚の写真を取り出す、福沢。

「まだ、咸臨丸仲間には、見せておりませぬ!内緒の一枚にござる!」
写真には、椅子に腰かけた福沢。隣に立つアメリカ人少女が一緒に映る。

おおっ!
大きい反応を返す、川崎。清々しいほどの丸坊主が光る。

「いや…、異国女子(おなご)と写真に収まるなど、稀(まれ)なることゆえ。」
得意気な福沢。真似されるのは嫌なので、“咸臨丸”の連中には伏せておく…



――実は“写真館の娘”に頼んで、隣に映ってもらったのだ。

メリケンの業(わざ)は良かね!こいが“銀板写真”ったい!」
しかし、川崎感嘆の対象は、アメリカ写真技術だった。

「そうそう、異国の娘さんですが、可愛い子でしょう…えっ!銀板写真!?」
満面の笑顔だった福沢川崎の反応は予測と違っていた…気まずい

一方の川崎。「うむうむ…この業(わざ)ば、学んで帰りたかね…」と上機嫌だ。


――当時、日本では珍しい「写真を撮る側の人」だった、川崎道民。

少し冷静になって、また“よそ行き”の言葉に戻る、川崎

「そうだ!福沢さんと言ったか。“手術”を見聞する機会を得られそうだ。」
手術!でございますか!?」

「膀胱(ぼうこう)をだな、切り開く。詰まった石を取り除くのだ!」
川崎は目を輝かせた。アメリカでは、進んだ外科手術を見る機会もある。

またと無い話だぞ。福沢さん、貴君もどうかな!」


――いきなりの川崎からの誘い。福沢は口ごもった。

「拙者…、また“咸臨丸”で、太平洋を戻らねばなりませぬ。」

福沢が、辞退の言葉を発する。
咸臨丸でアメリカに来た者は船の修繕が終われば、概ね日本に帰る予定だ。

「…そうか、良い話なのだが。」


――川崎は、目を丸くして“絶好の機会なのに…”という残念そうな表情。

川崎どのは、しかとご見聞を!まことに、残念なことにござる!」
福沢は、なぜか明るい表情で言葉を返した。

福沢諭吉は、居合(抜刀術)の修練を欠かさず、免許持ちの腕前だった。しかし、実は血を見るのが苦手。手術見学も嫌がった…という説もある。


(続く)

  


Posted by SR at 21:13 | Comments(0) | 第15話「江戸動乱」

2021年01月03日

第15話「江戸動乱」①(“新聞”の夜明け)

こんばんは。

江戸時代アメリカのホテルに滞在する侍たち
を渡り、未知の世界に…そんな新しい感覚で、ご覧いただければ幸いです。

今回より、ひとまず“本編”を再開しました。第15話を始めます。


――1860年、早春。アメリカ・西海岸の街。サンフランシスコ。

ホテルロビーに座っている、丸坊主の青年。袴姿に小刀を帯びている。日本で宿泊と言えば、まだ街道旅籠(はたご)という時代だ。

その手には“ニューズぺーバー(新聞)”が握られていた。
我らの動向が、かように事細かに報じられておる…」

アメリカに渡った幕府使節団。頭髪はちょんまげ、腰には刀を差した侍たち。現地では、かなり奇異な印象を与え、良くも悪くも注目されていた。


――青年の名は、川崎道民。佐賀の藩医である。

「それに…この“写真術”はどうだ。」
川崎にとって、未知の“情報”に溢(あふ)れるホテルのロビー。

当時、日本の新聞事情と言えば、“瓦版(かわらばん)”屋の手売りである。

ひたすら感心する、川崎。先年には、佐賀の殿鍋島直正の姿を撮影するなど、写真の心得もあった。


――その際、川崎は“ガラス湿板”を用いた…という。

西洋写真術も、一味違う。進んだ技術は“銀板写真”というらしい。

「…川崎さん、先に戻ってますよ。」
同行していた佐賀藩士・島内が声をかける。

もともと研究熱心な他の仲間も呆れるほど、川崎は“新聞”などを見つめていた。



――「へぇ~!ほ~ぅ!」と声を出して感じ入る、川崎。

「随分と“ニューズぺーバー”に、ご執心(しゅうしん)でござるな。」
川崎の傍らに来たのは、スッと伸びた体躯の青年だ。

当時の日本では上背のある方だ。

「…すごかごたぁ!いや、興味深いものですな。」
川崎は感動のまま発した言葉を、すぐ“よそ行き”に言い直した。


――青年は、豊前中津藩・福沢諭吉と名乗った。

「ぶしつけに失礼をいたした。私は公儀(幕府)の御用で、当地に参りました。」
福沢は“スマート”な青年だが、熱い想いで“渡米”を掴み取っている。

ニューズペーパー”について熱く語れそうな相手を見つけた、川崎
「政(まつりごと)や、市井(しせい)の事柄まで、広く語られておる!」


――異世界・アメリカでの“カルチャーショック”…

現地で福沢が驚いたのは進んだ技術よりも、社会の在り方だったと言われる。

福沢もムズムズとしていた、思いを言葉にする。
「そう、政(まつりごと)も…アメリカでは民が国を動かす!と聞き及びます。」

「そがんか!も“ニューズぺーバー”で、世の動き知らんばならんのか。」
のちに川崎道民も、福沢諭吉も、新聞”を創刊することになる。

…日本のジャーナリズムの先駆けは、アメリカで、その萌芽を見ていた。


(続く)

  


2021年01月02日

「西洋の風、侍の国」(第15話プロローグ)

こんにちは。

年明けは忙しくなりそうなのですが、正月休みで生じた余力で、少しでも時代を進めるべく、“本編”を書いていこうと思います。


――覚えておられる方がいらっしゃるか…

第14話遣米使節」の終盤。太平洋が吹き荒れました。アメリカに向かう蒸気船・ポーハタン号は損傷。途中で修繕が必要に。

停泊地・ハワイから、いつ出航できるかわからない佐賀藩士たち。遠い郷里に向かって「佐賀の遠かごた~っ!」と叫びます!
〔参照(後半):第14話「遣米使節」⑮(水平線の向こうに)


――ポーハタン号と同じく、太平洋に出た“咸臨丸”の状況。

嵐が続く中、同乗していたアメリカ人水兵たちが、“魂の操船”を見せつけます。
〔参照(後半):第14話「遣米使節」⑭(太平洋の嵐)

押し流されるように、太平洋を進む咸臨丸は、アメリカ西海岸先着。遅れること、2週間あまり。ハワイから出航したポーハタン号アメリカ本土に無事帰還。


――第15話は「江戸動乱」というタイトル。

最初の舞台は、アメリカ西海岸・サンフランシスコ。主にポーハタン号に乗船した、佐賀藩士たちの到着後をイメージしたお話で始めます。

アメリカの舞台設定をどう表現するかは迷いました。写真による視覚イメージは重要で、その都度、誰かに手伝ってもらう…という展開は、今年も続きそうです。



――1860年の春。「遣米使節」と同時期。

日本では、歴史を動かす大事件が起きています。

第15話はアメリカで話を始めて、一旦1858年(2年前)の佐賀に舞台を戻し、江戸に場面を展開して“その時まで”を描く予定です。

自由な空気が漂うアメリカ、幕末動乱に入る日本対比を試みます。その時期のアメリカも、南北戦争で大変なはずなのですが、何だか余裕を感じますね…


――次回から“本編”を再開予定です。

今春は大河ドラマ青天を衝け」も始まるので、しばらく“つぶやき”は控えめにして、地道に書いていきたいと思います。

ちなみに明日、1月3日テレビ東京系「池の水ぜんぶ抜く」で、佐賀城のお堀が登場するそうです。放送前には、ブログの投稿を完了しておきたい…

…今年のテーマは「なるべく余裕を持って進める」かな?と考える年明けです。

  


Posted by SR at 15:28 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内

2021年01月01日

「2021年の目標を考える。」

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

当ブログは「幕末佐賀藩大河ドラマを見たい!」ほぼワンテーマで綴ります。その他のテーマは…清々しいくらいに、佐賀の魅力を推しています。


――よく、「一年の計は元旦にあり」と言います。

さて、年始からの目標です。

①短期目標

昨年は、1808年~1858年約50年間を“本編”で表現しました。そろそろ第1部幕末黎明編」のラストが見えてきました。

しばらく“本編”は休んでいましたが、あと3話と考えているので、なんとか第1部は完結させたいです。

予定タイトルは
第15話江戸動乱」(1858年~1860年頃)
第16話攘夷沸騰」(1860年~1862年頃)
第17話佐賀脱藩」(1862年頃)

概ね、以上のイメージです。いろいろ障壁はあるでしょうけども、3月末までには何とか仕上げたい…


②中期目標

2021年大河ドラマは「青天を衝け」。2月スタートですね。主人公は渋沢栄一で、舞台は幕末明治

幕府の関係者で、水戸藩とのつながりが強い主人公。キャストには佐賀藩士と関わる人物の名も並びますが、佐賀藩がまともに描かれるかは不透明です。

もし「青天を衝け」で、佐賀の登場が少なくても、当ブログは同じ時代の佐賀藩活躍を、その都度フォローしていきたいと考えています。


※青天に舞う“風船”たち。いずれバルーンフェスタも撮ってみたいものです。

③長期目標

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」と見比べて「私の書く“本編”、やはり情報量が多過ぎるか?」とは、よく思うところです。

本音を語れば「第47話まで書き終えた後に、“大作家”の先生方の作品を拝読し、“大河ドラマ”のイメージを練り上げる」…という遠大な目標を持っています。

私の“才能”の有無は、考慮には入っていません。そんな想いがあるだけです。


――年頭の目標なので、夢も語ってみました。

現状では自粛せざるを得ませんが、一番大事なのは「今年こそ佐賀帰藩し、自在に取材を行いたい!」なのでしょう。

年頭から積もった雪も溶かさんばかりの暑苦しさで投稿しました。
まずは健やかな1年が何よりですね。

  


Posted by SR at 14:35 | Comments(0) | 戦略編(S)