2021年08月30日
第16話「攘夷沸騰」⑫(“錬金術”と闘う男)
こんばんは。
長崎警護の役目上、オランダとの接点が強く“蘭学”が盛んだった佐賀藩。『遣米使節』から帰国した、佐賀藩士たちの影響で“英学”へと展開していきます。
とくに“学ぶ道具”である英語そのものの導入に功績があったのが小出千之助。「剣を振り回す事よりも、猛勉強で時代を拓く」のが佐賀のスタイルなのでしょう。
洋行帰りの小出の話。大隈八太郎(重信)は、ある幕府官僚の苦闘を知ります。
――小出は、帰国するや否や“英学”の必要を熱く語る。
早くも影響される、大隈八太郎(重信)。地道な勉強は流儀に合わないようだが、すでに蘭学寮では、指導する立場だ。
「皆、聞いたか。世界は動いとるばい!」
大隈が、寮の一同を煽(あお)る。こういうところは、昔から気性が変わらない。
立ち上がる大隈に、小出は右掌で軽く“抑えて抑えて”とジェスチャーを送る。

――その“サイン”に気付く、大隈。
「…落ち着いて聞かんばね。」と、ひとまず座った。
小出が軽く咳払いをして、語りだす。
「順を追って語るべきなのかもしれんが、私が語りたいのは“東海岸”のことだ。」
「…東海岸?」
目を見合わせる蘭学寮の学生たち。オランダは詳しいが、アメリカに少し疎い。
「失敬。“米国”は東部を主たる地域として、著しい発展をしている。」
――先輩・小出は、アメリカで受けた衝撃を語った。
張り巡らされる電線、大地を駆ける鉄道。幕末の日本人には“近未来”の世界。
「“エレキテル”の線が町中に…、そいぎ“陸蒸気”も走っとるとですか?」
「そうだ。双方とも…まだ佐賀では“試み”の物ばかりだ。」
日本では近代化のトップランナー・佐賀藩は、電信機の試作品、蒸気車の模型を製作済みだが、実用化はまだ遠い。
「ご公儀(幕府)の方々は、当地で“海軍の工場”もご覧になった。」
遣米使節に幕府役人の中でも、その才能が際立つ小栗(おぐり)忠順がいた。
アメリカ出発時の大老・井伊直弼が小栗を使節に抜擢したと言われる。のちに“小栗上野介”としても名を知られる人物だ。

――米国の工場では、蒸気機関が運用されている。
様々な製造ラインが稼働し、精密な金属部品に至るまでを量産していたという。小栗は“近代化”の目標として、工場で土産にもらった“ネジ”を持ち帰っている。
「海軍の工場…?佐賀の“精錬方”のごたですか。」
「私の見聞きしたところによると、格段の差がある。」
有明海に接した“三重津海軍所”でも、佐賀藩の精錬方(せいれんかた)の工場が、リベット(鉄鋲)など船の精密部品を製作していた。
だが、幕末の日本では最先端でも、アメリカの産業化には遠く及ばない。
――ここで先輩・小出は、急に“ひそひそ話”になった。
「それにだな、小栗さまは“ある折衝”をなさっていた。」
「何の“談判”ば、なさったとですか。」
皆に話を聞くよう呼びかける大隈だが、最も“前のめり”に小出に質問する。
「…大隈。お主だけ、あまりにも近いぞ。“ディスタンス”を取れ。」
「“ディスタ”…?よう、わからんばってん、少し後ろに下がったらよかね?」
アメリカに渡った佐賀藩士たちが、語学・産業・医術…など各々の領域で情報を集め回っている頃。
〔参照:第15話「江戸動乱」③(異郷で見た気球〔バルーン〕)〕

――“攘夷”の風潮にもつながる問題があった。
幕府の目付・小栗忠順は、アメリカで外交の舞台に望んでいた。
「それは金と銀のだな…交換の歩合だ。」
先輩・小出の切り出した話題。金銭の勘定(計算)に疎い学生は渋い顔。
しかし、大隈は“理系”だった父・信保から受け継いだ才能か、数字には強い。
江戸期の日本は金貨(小判)に対する銀貨(一分銀)の交換比率は海外とほぼ同じだが、貨幣の金属の含有量では、金に対する銀の価値が高い設定だった。
鎖国中は良かったが、開国後にこれが問題を生じる。外国の銀貨に比べ、金属を節約していた日本の銀貨(一分銀)は3分の1の値打ちと取り決められた。
――これが、日本の通貨を危機に陥れる。
外国の商人たちは、日本で自国の銀貨を両替し、金貨(小判)と交換するだけで、海外では3倍の銀貨を得られた。まさに“錬金術”で、大儲けができるのだ。
こうして開国後に、日本から海外へと金が大量に流出。大急ぎで小判に含まれる金の量を落とすが、貨幣制度は大混乱となった。
…通貨のみならず、輸出入の急拡大で物価も乱高下、流通にも問題が生じた。
「異人のせいじゃ!公儀(幕府)のせいじゃ!」と怒り出す者は多数いる。不満は世の中の空気となり、幕府にも異国にも向けられ、“尊王攘夷”は加速した。
――幕府は、開国後の“経済”の制御に苦慮。
外国人への襲撃事件が次々発生し、さらに幕府は窮地に陥る。小栗忠順は、アメリカでの通貨交渉で事態の打開を図った。
小栗は金属の量などの実験をふまえ理路整然と主張する。現地の新聞でも評価されるほど見事な交渉だったというが、問題の解決にまでは至らなかった。
「やはり英語で談判するなら、直に話せた方がよかごたね…」
海外から帰った先輩に聞けるだけ話を聞く、大隈八太郎。腕を組み、“うむうむ”と頷(うなず)いていた。
(続く)
長崎警護の役目上、オランダとの接点が強く“蘭学”が盛んだった佐賀藩。『遣米使節』から帰国した、佐賀藩士たちの影響で“英学”へと展開していきます。
とくに“学ぶ道具”である英語そのものの導入に功績があったのが小出千之助。「剣を振り回す事よりも、猛勉強で時代を拓く」のが佐賀のスタイルなのでしょう。
洋行帰りの小出の話。大隈八太郎(重信)は、ある幕府官僚の苦闘を知ります。
――小出は、帰国するや否や“英学”の必要を熱く語る。
早くも影響される、大隈八太郎(重信)。地道な勉強は流儀に合わないようだが、すでに蘭学寮では、指導する立場だ。
「皆、聞いたか。世界は動いとるばい!」
大隈が、寮の一同を煽(あお)る。こういうところは、昔から気性が変わらない。
立ち上がる大隈に、小出は右掌で軽く“抑えて抑えて”とジェスチャーを送る。

――その“サイン”に気付く、大隈。
「…落ち着いて聞かんばね。」と、ひとまず座った。
小出が軽く咳払いをして、語りだす。
「順を追って語るべきなのかもしれんが、私が語りたいのは“東海岸”のことだ。」
「…東海岸?」
目を見合わせる蘭学寮の学生たち。オランダは詳しいが、アメリカに少し疎い。
「失敬。“米国”は東部を主たる地域として、著しい発展をしている。」
――先輩・小出は、アメリカで受けた衝撃を語った。
張り巡らされる電線、大地を駆ける鉄道。幕末の日本人には“近未来”の世界。
「“エレキテル”の線が町中に…、そいぎ“陸蒸気”も走っとるとですか?」
「そうだ。双方とも…まだ佐賀では“試み”の物ばかりだ。」
日本では近代化のトップランナー・佐賀藩は、電信機の試作品、蒸気車の模型を製作済みだが、実用化はまだ遠い。
「ご公儀(幕府)の方々は、当地で“海軍の工場”もご覧になった。」
遣米使節に幕府役人の中でも、その才能が際立つ小栗(おぐり)忠順がいた。
アメリカ出発時の大老・井伊直弼が小栗を使節に抜擢したと言われる。のちに“小栗上野介”としても名を知られる人物だ。
――米国の工場では、蒸気機関が運用されている。
様々な製造ラインが稼働し、精密な金属部品に至るまでを量産していたという。小栗は“近代化”の目標として、工場で土産にもらった“ネジ”を持ち帰っている。
「海軍の工場…?佐賀の“精錬方”のごたですか。」
「私の見聞きしたところによると、格段の差がある。」
有明海に接した“三重津海軍所”でも、佐賀藩の精錬方(せいれんかた)の工場が、リベット(鉄鋲)など船の精密部品を製作していた。
だが、幕末の日本では最先端でも、アメリカの産業化には遠く及ばない。
――ここで先輩・小出は、急に“ひそひそ話”になった。
「それにだな、小栗さまは“ある折衝”をなさっていた。」
「何の“談判”ば、なさったとですか。」
皆に話を聞くよう呼びかける大隈だが、最も“前のめり”に小出に質問する。
「…大隈。お主だけ、あまりにも近いぞ。“ディスタンス”を取れ。」
「“ディスタ”…?よう、わからんばってん、少し後ろに下がったらよかね?」
アメリカに渡った佐賀藩士たちが、語学・産業・医術…など各々の領域で情報を集め回っている頃。
〔参照:
――“攘夷”の風潮にもつながる問題があった。
幕府の目付・小栗忠順は、アメリカで外交の舞台に望んでいた。
「それは金と銀のだな…交換の歩合だ。」
先輩・小出の切り出した話題。金銭の勘定(計算)に疎い学生は渋い顔。
しかし、大隈は“理系”だった父・信保から受け継いだ才能か、数字には強い。
江戸期の日本は金貨(小判)に対する銀貨(一分銀)の交換比率は海外とほぼ同じだが、貨幣の金属の含有量では、金に対する銀の価値が高い設定だった。
鎖国中は良かったが、開国後にこれが問題を生じる。外国の銀貨に比べ、金属を節約していた日本の銀貨(一分銀)は3分の1の値打ちと取り決められた。
――これが、日本の通貨を危機に陥れる。
外国の商人たちは、日本で自国の銀貨を両替し、金貨(小判)と交換するだけで、海外では3倍の銀貨を得られた。まさに“錬金術”で、大儲けができるのだ。
こうして開国後に、日本から海外へと金が大量に流出。大急ぎで小判に含まれる金の量を落とすが、貨幣制度は大混乱となった。
…通貨のみならず、輸出入の急拡大で物価も乱高下、流通にも問題が生じた。
「異人のせいじゃ!公儀(幕府)のせいじゃ!」と怒り出す者は多数いる。不満は世の中の空気となり、幕府にも異国にも向けられ、“尊王攘夷”は加速した。
――幕府は、開国後の“経済”の制御に苦慮。
外国人への襲撃事件が次々発生し、さらに幕府は窮地に陥る。小栗忠順は、アメリカでの通貨交渉で事態の打開を図った。
小栗は金属の量などの実験をふまえ理路整然と主張する。現地の新聞でも評価されるほど見事な交渉だったというが、問題の解決にまでは至らなかった。
「やはり英語で談判するなら、直に話せた方がよかごたね…」
海外から帰った先輩に聞けるだけ話を聞く、大隈八太郎。腕を組み、“うむうむ”と頷(うなず)いていた。
(続く)
Posted by SR at 22:04 | Comments(0) | 第16話「攘夷沸騰」
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。