2021年08月07日
「醒覚の剣」(回航)
こんばんは。
開催自体に賛否両論あったところですが、やはりオリンピックは気になる話題。終盤を迎えて、無意識のうちにテレビを付ける回数も増えたように思います。
一方で、全国的に新型コロナの感染急拡大は続きます。そんな折、私は郷里・佐賀に住む叔父上に、“ある連絡”を入れていました。
――ある暑い日に、電話をする。
「叔父上、お時間はよろしいか。」
「うん、よかよ。暑かね~」
『さがファンブログ』の記事を通じ、“佐賀の暑さ”はこちらに伝わってくる。その日の天気にも拠ると思うが、たぶん私の周囲よりも佐賀は相当に暑いと見る。
――佐賀への“帰藩”の自粛は継続中である。
そんな環境でもブログを書き続けるため、叔父上には色々と頼み事をしている。
「佐賀でも“新型コロナ”が油断ならない様子ですね。」
「そうたいね。」
以前は「県内各地域の感染者数など」を日常的に把握する便利な“情報源”があったが、今はあえて調べねば状況がわからない。
「当面、お願いした件の実行は、控えてください。」
まずは安全策。感染が抑え込めたタイミングで動いても、とくに問題は無い。

――「心配なかよ。」
そういう感じで叔父上は、言葉を続けた。
「まぁ暑すぎて動けんから、どのみち今は出られんばい…」
…それにワクチンの接種もあるようで、しばらくは用心しておくと聞いた。
「こちらには、まだ、(ワクチンが)“回って”きませんがね。」
「にゃ、回っとらんね。」
――このやり取り。
叔父上には、私の“仕事”が回っていないと伝わったようだ。
「…いや、確かに仕事も回っていませんが、こちらにはワクチンも来ません。」
「そうね。ちょっとずつでも回さんば。」
もはや仕事でも、ワクチンでも、とにかく少しずつでも回ればよい…というのが、叔父上の受けとめ方だ。

――幕末期。日本の沿海で“蒸気船”を運用する佐賀藩。
西の外海に開けた“天草”(熊本)の軍港計画は幻に終わったので、主な拠点は有明海の“三重津海軍所”となる。
佐賀藩内の港として、蒸気船の回航時には“伊万里”の地名もよく見かけるが、陶磁器の積出港は、大規模な運用には向かなかった…と推測する。
本当は現地で確認したい事が山ほどある。佐賀から遠い、私の不利な点だ。
――瀬戸内海などで、佐賀藩は蒸気船をよく回航した。
殿・鍋島直正は参勤交代でも蒸気船を使用。幕府からは“観光丸”を預かり、佐野常民が運用。江戸から退避した時も兵庫からは蒸気船だったようだ。
〔参照①:第15話「江戸動乱」⑬(海に駆ける)〕
〔参照②(後半):第16話「攘夷沸騰」④(その船を、取りに行け)〕
〔参照③(終盤):第16話「攘夷沸騰」⑥(積年の胃痛にて…)〕
隠居後に直正公は、大坂城で将軍・徳川慶喜に会う際にも蒸気船で乗り込むはず。殿の「御座船」で、まるで“相棒”のような蒸気船“電流丸”が活躍する。
〔参照:「主に伊万里市民の方を対象にしたつぶやき」〕

――それも、佐賀には“力の蓄積”があったから。
長崎での海軍伝習に佐賀藩が派遣した人数は48名と言われる。“本編”で描く時期には、佐野常民を中心に“三重津海軍所”を整備中のはずだ。
“蒸気船”を動かす人材の訓練だけでなく、外国に頼らずに、自力で船の修繕もしてしまうのが佐賀藩。
ここでは、佐野常民の作った“プロジェクトチーム”の田中久重・中村奇輔らの影響が見える。“海に駆ける力”も、努力の積み重ねなのである。
――いかに、幕末期の佐賀藩とて。
最初から自在に“蒸気船”を運用できたわけではない。例えるならオリンピックに出ているアスリートとて、才能とともに、影日向での努力で結果が出ているはず。
佐賀藩士(?)を名乗りながら、地道な努力を厭(いと)うのは理屈に合わない。私も、可能なところから回していくほか無さそうだ。
いま、一気に事態を打開することは難しい。しかし千里の“回航”も、おそらくは“船出”の一歩から。私は、叔父上の言葉を受け取った。
「少しずつでも回さんば…ですね。」
開催自体に賛否両論あったところですが、やはりオリンピックは気になる話題。終盤を迎えて、無意識のうちにテレビを付ける回数も増えたように思います。
一方で、全国的に新型コロナの感染急拡大は続きます。そんな折、私は郷里・佐賀に住む叔父上に、“ある連絡”を入れていました。
――ある暑い日に、電話をする。
「叔父上、お時間はよろしいか。」
「うん、よかよ。暑かね~」
『さがファンブログ』の記事を通じ、“佐賀の暑さ”はこちらに伝わってくる。その日の天気にも拠ると思うが、たぶん私の周囲よりも佐賀は相当に暑いと見る。
――佐賀への“帰藩”の自粛は継続中である。
そんな環境でもブログを書き続けるため、叔父上には色々と頼み事をしている。
「佐賀でも“新型コロナ”が油断ならない様子ですね。」
「そうたいね。」
以前は「県内各地域の感染者数など」を日常的に把握する便利な“情報源”があったが、今はあえて調べねば状況がわからない。
「当面、お願いした件の実行は、控えてください。」
まずは安全策。感染が抑え込めたタイミングで動いても、とくに問題は無い。
――「心配なかよ。」
そういう感じで叔父上は、言葉を続けた。
「まぁ暑すぎて動けんから、どのみち今は出られんばい…」
…それにワクチンの接種もあるようで、しばらくは用心しておくと聞いた。
「こちらには、まだ、(ワクチンが)“回って”きませんがね。」
「にゃ、回っとらんね。」
――このやり取り。
叔父上には、私の“仕事”が回っていないと伝わったようだ。
「…いや、確かに仕事も回っていませんが、こちらにはワクチンも来ません。」
「そうね。ちょっとずつでも回さんば。」
もはや仕事でも、ワクチンでも、とにかく少しずつでも回ればよい…というのが、叔父上の受けとめ方だ。
――幕末期。日本の沿海で“蒸気船”を運用する佐賀藩。
西の外海に開けた“天草”(熊本)の軍港計画は幻に終わったので、主な拠点は有明海の“三重津海軍所”となる。
佐賀藩内の港として、蒸気船の回航時には“伊万里”の地名もよく見かけるが、陶磁器の積出港は、大規模な運用には向かなかった…と推測する。
本当は現地で確認したい事が山ほどある。佐賀から遠い、私の不利な点だ。
――瀬戸内海などで、佐賀藩は蒸気船をよく回航した。
殿・鍋島直正は参勤交代でも蒸気船を使用。幕府からは“観光丸”を預かり、佐野常民が運用。江戸から退避した時も兵庫からは蒸気船だったようだ。
〔参照①:
〔参照②(後半):
〔参照③(終盤):
隠居後に直正公は、大坂城で将軍・徳川慶喜に会う際にも蒸気船で乗り込むはず。殿の「御座船」で、まるで“相棒”のような蒸気船“電流丸”が活躍する。
〔参照:
――それも、佐賀には“力の蓄積”があったから。
長崎での海軍伝習に佐賀藩が派遣した人数は48名と言われる。“本編”で描く時期には、佐野常民を中心に“三重津海軍所”を整備中のはずだ。
“蒸気船”を動かす人材の訓練だけでなく、外国に頼らずに、自力で船の修繕もしてしまうのが佐賀藩。
ここでは、佐野常民の作った“プロジェクトチーム”の田中久重・中村奇輔らの影響が見える。“海に駆ける力”も、努力の積み重ねなのである。
――いかに、幕末期の佐賀藩とて。
最初から自在に“蒸気船”を運用できたわけではない。例えるならオリンピックに出ているアスリートとて、才能とともに、影日向での努力で結果が出ているはず。
佐賀藩士(?)を名乗りながら、地道な努力を厭(いと)うのは理屈に合わない。私も、可能なところから回していくほか無さそうだ。
いま、一気に事態を打開することは難しい。しかし千里の“回航”も、おそらくは“船出”の一歩から。私は、叔父上の言葉を受け取った。
「少しずつでも回さんば…ですね。」
Posted by SR at 21:43 | Comments(0) | 「望郷の剣」シリーズ
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