2021年04月03日

連続ブログ小説「旅立の剣」(28)水路の迷宮

こんばんは。

青春が終わってから書くのが、青春小説
…どこかで聞いたことがあり、ふと思い出した言葉です。

このシリーズは1年半を経て、を振り返っています。そのため、現在知っている情報から逃れることはできません。

水路(クリーク)が巡る佐賀の街を顧みて、いま想うこと。ある戦国武将を介し、佐賀市内からみやき町へ。1人の武道家の面影を偲びます。


――少し時を遡る。朝8:10。

白山名店街の入口付近で、360度を見回した時。



――続いて、朝8:20。

佐賀の情報発信に想いを馳せ、長崎街道を行く時。赤レンガの道が続く。



――そして、朝8:40。

長崎街道沿い。風情ある柳町に出て、大通りに戻ろうとする時。



お気づきであろうか。
私はいつしか、水路囲まれているようだ。


――かつて、佐賀に“水の神様”と称(たた)えられた武将が居た。

戦国時代に武勇治水技術で知られた、鍋島家の重臣。佐賀水路を語ると“成富兵庫茂安”(なりとみ ひょうご しげやす)という人物に行き当たる。

みやき町白石神社ご祭神の1人となっている武将である。
〔参照(前半):「主にみやき町民の方を対象にしたつぶやき」

治水の神”が築いた堤防千栗(ちりく)土居長さ12キロに及んだという。


――その名は、当地で“北茂安町”という町名にも残った…

ここからは、私が最近知った話。本筋とは関係無いが、あえて語る。
年代としては、現在から50年ほど遡る。

北茂安町(現・みやき町)に生まれたある少年。先ほどの“水の神様”が造った堤防の近く、千栗(ちりく)八幡宮石段を昇り、足腰を鍛えたという。


――“柔道”の才能を見込まれ、少年は東京へと移る。

修業を積み、立派な柔道家となった少年は、やがて世界大舞台に立つ。

海外強豪を相手に、華麗な一本背負いを次々と決める。
強かった、そしてカッコ良かった


――その当時、私はハッキリ認識していなかった。

古賀稔彦さんは佐賀の人だったのだ。今はその事に、妙に納得している。

私は幕末明治期に限らず、佐賀の偉人には広く興味を持ちたいと思っている。しかし、この方はまだ“伝説”となるには、早すぎる人物だった。

…それが、悔やまれてならない。


(続く)

  
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