2021年03月14日

連続ブログ小説「旅立の剣」(21)唐津のレジェンド

こんにちは。

省エネ”を試みるつもりでしたが、当時の記憶をたどり、後に得た知識も加えて振り返ると、意外に頭を使うようです。

今日は、佐賀市内の大通りから、唐津方面に想いを馳せます。


――時刻は、朝8:00に至った。中央大通りを南進する。

ふだん私は大都市圏の喧騒に疲れ気味だ。朝の整然とした大通りが清々しい。これが佐賀心映えであるのか、道がキレイなのだ。

佐賀銀行本店の前。金融機関らしく重厚な造りの建物と見える。

「さすが銀行丈夫そうな建物だな…」
私は単純な感想を持った。

「貴君!その通りだ。建物頑丈でなくてはな!」

連続ブログ小説「旅立の剣」(21)唐津のレジェンド

――独り、歩みを進めているはずの私。

真っ直ぐ気配を感じ、車道側に目を向ける。そこには立ち姿ヒゲの御仁。明治期から活躍した、大建築家・辰野金吾きんご)の銅像だ。

日本銀行本店や、東京駅設計で著名だ。明治の人たちはこう語ったと聞く。
「なんて丈夫な構造!まるで、辰野“堅固”(けんご)だ!」と。

辰野氏へのリスペクト(敬意)を感じる“ダジャレ”。私はこれを「明治ギャグ」と呼ぶ。ちなみに辰野氏は、同じ佐賀県内でも唐津藩の出身者だ。


――隣に座るのも、エリート唐津藩士の子・曽禰(そね)達蔵。

幕末の江戸生まれ。唐津藩若殿(藩主名代)・小笠原長行にも可愛がられたとか。明治からの東京で、日本初オフィス街を築いた方…と、後で知った。

辰野さん。相変わらず…貴方は熱い男ですね。」
西洋の新工法は、いち早く実験したという曽禰達蔵。クールで知性派な印象だ。

曽禰氏が設計する“ビルヂング”は、近代的な“丸の内”の街を形作っていく。ちょっと余裕のある座り姿。言われてみれば、都会的スタイリッシュに思える。


――明治期に、佐賀藩士たちは情報通信などのインフラを整えた。

そして唐津藩士たちは近代建築の方面に突き進み、レジェンド(伝説的存在)となっていく。やはり佐賀は面白い。

…私は確信した。「朝食の時間も惜しんで、調査を始めた甲斐があった!」と。


(続く)



タグ :佐賀唐津

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