2021年04月19日

連続ブログ小説「旅立の剣」(32)よく居る先輩です

こんばんは。

一昨年の秋。旅も終盤ですが、私の調査は続きます。「張り込み」の次は、ある佐賀藩士への「聞き込み」です。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(31)令和の張り込み

――朝9:50。佐賀城本丸歴史館。

この時の企画展示は、日本の近代建築にその名を残した2人。
唐津レジェンド」とも言える、辰野金吾曽禰達蔵の業績だった。

佐賀銀行の前を通過した時に、お目にかかった方々である。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(21)唐津のレジェンド


――私は見ることができなかった「肥前さが幕末・維新博覧会」。

本丸歴史館には、当時の企画の1つ「リアル弘道館」のメモリアル展示もある。案内に立つ、佐賀藩士が1人。藩校・弘道館での世話係という役回りのようだ。

「こんにちは。」
私はこの旅で初めて、現代で仕事をする“佐賀藩士”に語りかけられた。

連続ブログ小説「旅立の剣」(32)よく居る先輩です

――挨拶を返した後、私はいつもの話をする。

佐賀は業績があるのに、大河ドラマになりませんよね…」
話を聞けば、“”の実現のために動く人たちがいる様子は伺える。

その場でも「私なりに動いてみたい」と伝える。「ぜひ」と笑顔を返してくださった。
…ある意味で、佐賀藩士(?)同士の会話である。


――そして私は、弘道館の“佐賀藩士”に質問した。

「ところで、貴方久米先生なのですか?」
展示パネルには、久米邦武のイラストでの解説があったからだ。

久米邦武は、幕末の佐賀藩で“有田皿山”代官を務めたエリート子息
大隈重信友人で、後に歴史学者として著名になる。教科書でも見た名前だ。

「いえ、私は久米先生ではありません。弘道館によく居る先輩の1人です!」


――私の問いに案内役の佐賀藩士は、元気よく答えた。

これも“藩校の先輩”の誇りか。私はを述べ、“先輩”の前から廊下に出た。

…記憶をたどると「この“藩校の先輩”は、どのような運命を歩んだ方なのか?」にまで興味が湧く。

実務能力の高い佐賀藩士だから、明治新政府の官僚になったのか。あるいは佐賀を離れず、地域の発展に貢献した人なのかもしれない。

そして“正義”を貫くため、佐賀戦争(佐賀の乱)に散った“先輩”もいるのだろう。
いまの私は「佐賀の藩校によく居る先輩」の物語を想うのである。


(続く)




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