2021年04月15日
連続ブログ小説「旅立の剣」(31)令和の張り込み
こんばんは。
今年も「有田陶器市」が中止だとか。佐賀と言えば“このイベント”を想い出す人もいるのに…悔しいことです。今年も「Web有田陶器市」での開催となる様子。
〔参照(前半):「主に有田町民の方を対象にしたつぶやき(前編)」〕
2019年10月。気兼ねなく全国への移動が可能だった頃。時間の許す限り、佐賀で走り回った現地調査の記憶を綴っています。
――朝9:30。“せぶん いれぶん”まで立ち戻る道。
幕末期の佐賀は“英学”でも日本をリードしていた。
佐賀藩が長崎に設立した英学校“致遠館”。最盛期の生徒数は100名を超えたとも言われる。当時、英語を通じて“世界”を学べる稀有な教育機関だった。
日本が西洋の近代を取り入れる原点に、佐賀の役回りがあったことは、もっと知られてよい。

――殿も、英数字などは知っておられたか?と思うのである。
佐賀城内の水路を、今度は右手に見ながら来た道を戻った。
コンビニなので、佐賀の地域性は感じられないが、やむを得ない。この頃、気に入っていた「グラタンコロッケパン」と、お茶を購入した。
そして、道から陰に立つ。まるで「昭和の刑事ドラマ」の張り込みの場面のように空腹をしのぐ。
――これが定番の「あんパンと牛乳」なら、より決まるところだ。
私が追うのは幕末・明治期を通じて、日本の近代化に活躍した佐賀藩の真実。
「もしや…?その業績は隠された…とは考えられないか。」
年甲斐も無く、“刑事ごっこ”である。昭和のテレビ番組は、何やら楽しかった。「疑り深いのは、職業柄でしてね」というセリフも入れたい。
…私は短いコートの裾を翻す。真実への糸口を探るため、佐賀城本丸歴史館へと再び歩み始めた。
(続く)
今年も「有田陶器市」が中止だとか。佐賀と言えば“このイベント”を想い出す人もいるのに…悔しいことです。今年も「Web有田陶器市」での開催となる様子。
〔参照(前半):
2019年10月。気兼ねなく全国への移動が可能だった頃。時間の許す限り、佐賀で走り回った現地調査の記憶を綴っています。
――朝9:30。“せぶん いれぶん”まで立ち戻る道。
幕末期の佐賀は“英学”でも日本をリードしていた。
佐賀藩が長崎に設立した英学校“致遠館”。最盛期の生徒数は100名を超えたとも言われる。当時、英語を通じて“世界”を学べる稀有な教育機関だった。
日本が西洋の近代を取り入れる原点に、佐賀の役回りがあったことは、もっと知られてよい。
――殿も、英数字などは知っておられたか?と思うのである。
佐賀城内の水路を、今度は右手に見ながら来た道を戻った。
コンビニなので、佐賀の地域性は感じられないが、やむを得ない。この頃、気に入っていた「グラタンコロッケパン」と、お茶を購入した。
そして、道から陰に立つ。まるで「昭和の刑事ドラマ」の張り込みの場面のように空腹をしのぐ。
――これが定番の「あんパンと牛乳」なら、より決まるところだ。
私が追うのは幕末・明治期を通じて、日本の近代化に活躍した佐賀藩の真実。
「もしや…?その業績は隠された…とは考えられないか。」
年甲斐も無く、“刑事ごっこ”である。昭和のテレビ番組は、何やら楽しかった。「疑り深いのは、職業柄でしてね」というセリフも入れたい。
…私は短いコートの裾を翻す。真実への糸口を探るため、佐賀城本丸歴史館へと再び歩み始めた。
(続く)
Posted by SR at 21:03 | Comments(0) | 連続ブログ小説「旅立の剣」第3シリーズ
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