2020年05月13日
第10話「蒸気機関」①
こんばんは。
今回より第10話です。ペリーやプチャーチンが来航した2年ほど前に遡ります。
1851年、舞台は佐賀城下です。
――江戸で師匠・伊東玄朴に破門された、佐野栄寿(常民)。
佐野は大事な“蘭学辞書”を質入れする事件を起こした。原因は、資金の用立てを失敗したことである。
そして“資金繰り”の失敗の内訳を知るのは佐野だけ…
――佐野の頭には、江戸での日々が浮かぶ。
散々に議論を交わした“尊王の志士”たち。
「あれは、いかんかった…無駄金を使い過ぎたばい。」
技術人材を発掘するつもりが、うっかり尊王活動の人脈に入り込んでいた。
そして、江戸に住む長屋の子供たちも思い出した。
「いや、あれは良かことをした!何の悔いもなか!」
しかし、医療と奉仕の精神で…こちらは少々、良い人が過ぎたようだ。
――たしかに江戸では色々とあった。回想の中、“京ことば”が聞こえる…
「佐野はん!どうしはったんですか!」
声の主は中村奇輔。京都生まれの科学者である。
「そうや、ボーッとしおって!」
石黒寛次。丹後田辺(舞鶴)の出身、蘭学者である。
「これは…いかんばい。ちょっと考え事を…」
佐野が正気を取り戻した。

たしかに江戸では失敗した。
しかし、京都で得た学友を、佐賀に連れて来ることができた。中村は科学者として成長している、石黒も技術系の翻訳に強い蘭学者だ。
――場所は佐賀城下であるが、耳慣れない“関西弁”が続く。
まず舞鶴出身の蘭学者・石黒が、佐野の言葉遣いの変化に気付いた。
「佐野…なんや言葉が、京に居(お)るときとちゃうな!」
石黒が言うように、佐野からは“よそ行き”の感じが失せている。
「佐賀に戻ったからでしょうか。万事、お任せあれ!」
佐野栄寿、妙なカラ元気を振りまく。
「まぁ…アテにしとるで。他に頼れるもんも居らんし。」
石黒も誘いに応じて佐賀まで来たが、不安が無いと言えば嘘になるだろう。
――ある屋敷の門前。年のころ70歳ぐらいの老人が出迎える。
「お待ちしておりました。」
人の良さそうな印象の老人が、佐野と挨拶を交わす。
「もしや御身も、蘭学を学ばれた方ですか。」
京の科学者・中村が、出迎えた老人に興味を示す。
「さほどのことはございません。ささっ、お入りなされ。」
中村の見立てどおり、老人はかつて長崎御番を務めた“蘭学じじい”である。
「では、参りましょう!」
そして佐野が、関西から来た2人を引っ張っていく。

――屋敷の中。えらく風格のある50代ぐらいの武士が待つ。
「ご隠居さま。京よりお越しになった、中村さま、石黒さまをお連れしました。」
“蘭学じじい”が声掛けをする。
「待ちかねておった、入るがよい。」
武雄のご隠居・鍋島茂義である。
「殿や!きっとお殿様や!中村っ、頭が高いで!」
石黒の反応が妙に早く、佐野は説明の機会を逸した。
「まぁ、失礼の無いように振る舞っていただければ…」
佐野が苦笑する。
――茂義は、武雄領のご隠居(前領主)である。殿・鍋島直正からは蒸気機関の研究の指示を受けている。
「儂は、ただの隠居じゃ!気を遣うでない!」
鍋島茂義。言ってる傍から、ただ者ではないオーラを発する。
「ははーっ!」
石黒、ひとまず”殿”と考えておけば間違いないと判断している様子だ。
「ご隠居さまも、蘭学をなさるのですか。」
一方で科学者・中村は、普通に茂義と話し始めている。
「儂も蘭癖(西洋かぶれ)でな。“蒸気機関”に興味がある。」
「“蒸気機関”ですか!蘭書で読んだことがあります。」
中村は、佐賀の地に関心を持った。なにせ蘭学の気配がする人物が次々に現れる。
――武雄のご隠居・茂義が、科学者・中村と“蒸気機関”について熱く語る。佐野が場を仕切る必要もなさそうだ。
「石黒さん!そがん控えてなくても、よかですよ。」
佐野が、石黒に面(おもて)を上げるよう促す。
「佐野…また、言葉が“さがんもん”になっちゃっとる…」
石黒は話に乗り遅れて、少しさびしいようだ。
「先に中村さんが、佐賀に馴染んでくれたら、よかですね。」
「おう…そうやな。」
(続く)
今回より第10話です。ペリーやプチャーチンが来航した2年ほど前に遡ります。
1851年、舞台は佐賀城下です。
――江戸で師匠・伊東玄朴に破門された、佐野栄寿(常民)。
佐野は大事な“蘭学辞書”を質入れする事件を起こした。原因は、資金の用立てを失敗したことである。
そして“資金繰り”の失敗の内訳を知るのは佐野だけ…
――佐野の頭には、江戸での日々が浮かぶ。
散々に議論を交わした“尊王の志士”たち。
「あれは、いかんかった…無駄金を使い過ぎたばい。」
技術人材を発掘するつもりが、うっかり尊王活動の人脈に入り込んでいた。
そして、江戸に住む長屋の子供たちも思い出した。
「いや、あれは良かことをした!何の悔いもなか!」
しかし、医療と奉仕の精神で…こちらは少々、良い人が過ぎたようだ。
――たしかに江戸では色々とあった。回想の中、“京ことば”が聞こえる…
「佐野はん!どうしはったんですか!」
声の主は中村奇輔。京都生まれの科学者である。
「そうや、ボーッとしおって!」
石黒寛次。丹後田辺(舞鶴)の出身、蘭学者である。
「これは…いかんばい。ちょっと考え事を…」
佐野が正気を取り戻した。

たしかに江戸では失敗した。
しかし、京都で得た学友を、佐賀に連れて来ることができた。中村は科学者として成長している、石黒も技術系の翻訳に強い蘭学者だ。
――場所は佐賀城下であるが、耳慣れない“関西弁”が続く。
まず舞鶴出身の蘭学者・石黒が、佐野の言葉遣いの変化に気付いた。
「佐野…なんや言葉が、京に居(お)るときとちゃうな!」
石黒が言うように、佐野からは“よそ行き”の感じが失せている。
「佐賀に戻ったからでしょうか。万事、お任せあれ!」
佐野栄寿、妙なカラ元気を振りまく。
「まぁ…アテにしとるで。他に頼れるもんも居らんし。」
石黒も誘いに応じて佐賀まで来たが、不安が無いと言えば嘘になるだろう。
――ある屋敷の門前。年のころ70歳ぐらいの老人が出迎える。
「お待ちしておりました。」
人の良さそうな印象の老人が、佐野と挨拶を交わす。
「もしや御身も、蘭学を学ばれた方ですか。」
京の科学者・中村が、出迎えた老人に興味を示す。
「さほどのことはございません。ささっ、お入りなされ。」
中村の見立てどおり、老人はかつて長崎御番を務めた“蘭学じじい”である。
「では、参りましょう!」
そして佐野が、関西から来た2人を引っ張っていく。

――屋敷の中。えらく風格のある50代ぐらいの武士が待つ。
「ご隠居さま。京よりお越しになった、中村さま、石黒さまをお連れしました。」
“蘭学じじい”が声掛けをする。
「待ちかねておった、入るがよい。」
武雄のご隠居・鍋島茂義である。
「殿や!きっとお殿様や!中村っ、頭が高いで!」
石黒の反応が妙に早く、佐野は説明の機会を逸した。
「まぁ、失礼の無いように振る舞っていただければ…」
佐野が苦笑する。
――茂義は、武雄領のご隠居(前領主)である。殿・鍋島直正からは蒸気機関の研究の指示を受けている。
「儂は、ただの隠居じゃ!気を遣うでない!」
鍋島茂義。言ってる傍から、ただ者ではないオーラを発する。
「ははーっ!」
石黒、ひとまず”殿”と考えておけば間違いないと判断している様子だ。
「ご隠居さまも、蘭学をなさるのですか。」
一方で科学者・中村は、普通に茂義と話し始めている。
「儂も蘭癖(西洋かぶれ)でな。“蒸気機関”に興味がある。」
「“蒸気機関”ですか!蘭書で読んだことがあります。」
中村は、佐賀の地に関心を持った。なにせ蘭学の気配がする人物が次々に現れる。
――武雄のご隠居・茂義が、科学者・中村と“蒸気機関”について熱く語る。佐野が場を仕切る必要もなさそうだ。
「石黒さん!そがん控えてなくても、よかですよ。」
佐野が、石黒に面(おもて)を上げるよう促す。
「佐野…また、言葉が“さがんもん”になっちゃっとる…」
石黒は話に乗り遅れて、少しさびしいようだ。
「先に中村さんが、佐賀に馴染んでくれたら、よかですね。」
「おう…そうやな。」
(続く)
2020年05月12日
「誰の“視点”から見るか?」
こんばんは。
毎週日曜に放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」。
新型コロナへの対策のため、現在、撮影は休止しており、ストックしている話数も僅かであるとか。
最新話「長良川の対決」も凄く見ごたえのある回でした。
以降、当該回のネタバレを含みますので「また“麒麟”を見ていない!」という方は…視聴後に、お読みいただけるとありがたいです。
斎藤道三(本木雅弘)が槍を携え、単騎で川を渡って行くシーンは…美しい映像でもあったと思います。
そして、明智光秀(長谷川博己)と叔父・光安(西村まさ彦)との別れも名場面でした。
さて、何でも“幕末の佐賀藩”に結び付けようとするのが当ブログの特徴です。
しかし、今回は原点に帰って「麒麟がくる」を通じて、“大河ドラマ”そのものについて考察してみようと考えました。
――では、私は何を書くのか?
今日のテーマは「誰が“カメラ”を持っているのか!」です。
通常、大河ドラマは単一、複数に関わらず“主人公”を設定します。
――「麒麟がくる」では、主人公は“明智光秀”なのですが、他の人物の“視点”で描かれている場面が多いのです。
直近で放送の「長良川の対決」を例に取ります
…開始早々、場面展開が激しいです。
――これを以下の①~⑤の人物の視点で見ます。
今回、この5人は“カメラを持っている人”と言うことができるかと思います。
①明智光秀(長谷川博己)の出陣
②帰蝶(川口春奈)が、織田信長(染谷将太)を見つめる。
※信長は、義父・斎藤道三の危機に苛立っている
③斎藤道三(本木雅弘)、長良川の北岸に着陣
④斎藤高政(伊藤英明)、長良川の南岸に着陣
――そして、少し後半になって…
⑤お駒(門脇麦)、明智光秀の身を案じ、戦の起きた美濃の国に急ぐ。
「麒麟がくる」の序盤は、「①明智光秀(十兵衛)」「②帰蝶」の2台のメインカメラを中心に物語が進んでいたように思います。
そして、③~⑤がサブカメラとして機能していた…という風に私には見えています。
今回、“カメラを持っていなかった人”の代表として、光秀の叔父・光安(西村まさ彦)を挙げます。そのためか、光秀が去った後の場面では、叔父上は画面からフェードアウトしています。
最後も、炎上する明智の城を茫然と見上げる明智光秀の視点から描かれ、叔父・光安の視点は出てきません。
――さて、ここで「幕末佐賀藩の大河ドラマ」に話を寄せます。
「麒麟がくる」で学んだ着眼点。
1話につき、5人の視点が使えるならば、佐賀も何とか描けるのではないか?
…という目線で今まで私が投稿した第1話~第9話をざっと見直してみました。

※殿の銅像とNHK佐賀放送局(昨年撮影)
第1部の主人公は、殿・鍋島直正に設定しています。幼少期からにはなりますが、今までの全話で殿はご登場いただいています。
一度見直してみていろんな視点から話を書き過ぎている傾向があるな…と反省させられました。
何せ第1話の冒頭から“フェートン号”乗組員の会話で始まっているくらいなので、まぁ仕方ないのですが。
「私が見たい幕末佐賀藩の大河ドラマ」を面白い作品にするには、かなり力量のある脚本家が要るな…と思いました。
以上が、名作の予感漂う「麒麟がくる」を見て、現在進行形で“手作りの試作品”を造っている私にビリビリと感じられた内容です。
しかしながら、挫けずに続けたいと考えております。よろしければ、今後とも私の“試作”を見守ってください!
次回より、第10話「蒸気機関」に進みたいと思います。
毎週日曜に放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」。
新型コロナへの対策のため、現在、撮影は休止しており、ストックしている話数も僅かであるとか。
最新話「長良川の対決」も凄く見ごたえのある回でした。
以降、当該回のネタバレを含みますので「また“麒麟”を見ていない!」という方は…視聴後に、お読みいただけるとありがたいです。
斎藤道三(本木雅弘)が槍を携え、単騎で川を渡って行くシーンは…美しい映像でもあったと思います。
そして、明智光秀(長谷川博己)と叔父・光安(西村まさ彦)との別れも名場面でした。
さて、何でも“幕末の佐賀藩”に結び付けようとするのが当ブログの特徴です。
しかし、今回は原点に帰って「麒麟がくる」を通じて、“大河ドラマ”そのものについて考察してみようと考えました。
――では、私は何を書くのか?
今日のテーマは「誰が“カメラ”を持っているのか!」です。
通常、大河ドラマは単一、複数に関わらず“主人公”を設定します。
――「麒麟がくる」では、主人公は“明智光秀”なのですが、他の人物の“視点”で描かれている場面が多いのです。
直近で放送の「長良川の対決」を例に取ります
…開始早々、場面展開が激しいです。
――これを以下の①~⑤の人物の視点で見ます。
今回、この5人は“カメラを持っている人”と言うことができるかと思います。
①明智光秀(長谷川博己)の出陣
②帰蝶(川口春奈)が、織田信長(染谷将太)を見つめる。
※信長は、義父・斎藤道三の危機に苛立っている
③斎藤道三(本木雅弘)、長良川の北岸に着陣
④斎藤高政(伊藤英明)、長良川の南岸に着陣
――そして、少し後半になって…
⑤お駒(門脇麦)、明智光秀の身を案じ、戦の起きた美濃の国に急ぐ。
「麒麟がくる」の序盤は、「①明智光秀(十兵衛)」「②帰蝶」の2台のメインカメラを中心に物語が進んでいたように思います。
そして、③~⑤がサブカメラとして機能していた…という風に私には見えています。
今回、“カメラを持っていなかった人”の代表として、光秀の叔父・光安(西村まさ彦)を挙げます。そのためか、光秀が去った後の場面では、叔父上は画面からフェードアウトしています。
最後も、炎上する明智の城を茫然と見上げる明智光秀の視点から描かれ、叔父・光安の視点は出てきません。
――さて、ここで「幕末佐賀藩の大河ドラマ」に話を寄せます。
「麒麟がくる」で学んだ着眼点。
1話につき、5人の視点が使えるならば、佐賀も何とか描けるのではないか?
…という目線で今まで私が投稿した第1話~第9話をざっと見直してみました。
※殿の銅像とNHK佐賀放送局(昨年撮影)
第1部の主人公は、殿・鍋島直正に設定しています。幼少期からにはなりますが、今までの全話で殿はご登場いただいています。
一度見直してみていろんな視点から話を書き過ぎている傾向があるな…と反省させられました。
何せ第1話の冒頭から“フェートン号”乗組員の会話で始まっているくらいなので、まぁ仕方ないのですが。
「私が見たい幕末佐賀藩の大河ドラマ」を面白い作品にするには、かなり力量のある脚本家が要るな…と思いました。
以上が、名作の予感漂う「麒麟がくる」を見て、現在進行形で“手作りの試作品”を造っている私にビリビリと感じられた内容です。
しかしながら、挫けずに続けたいと考えております。よろしければ、今後とも私の“試作”を見守ってください!
次回より、第10話「蒸気機関」に進みたいと思います。
2020年05月10日
「主に神埼市民の方を対象にしたつぶやき。」
こんにちは。
新型コロナの影響で、ドラマの再放送をよく見かけます。「JIN-仁-」(TBS系)をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
現代から幕末にタイムスリップした医師・南方仁(大沢たかお)。
ドラマの主な舞台は、1860年代の江戸の街。
旗本(幕臣)の娘・橘咲(綾瀬はるか)が「黒船が来たのは10年ほど前」と語っている場面があります。
南方先生は、西郷隆盛、篤姫など大河ドラマの主役たちを、次々に手術・治療していきます。
現代からタイムスリップした医師が幕末を駆け回る…
主人公の相棒のようなポジションで登場する、この作品の坂本龍馬(内野聖陽)が一番好き!という声も見かけます。
――私は本放送は未視聴で、再放送(総集編)も中途半端にしか見てませんが語ります!ドラマのファンの方、ご容赦を!
「JIN-仁-」の劇中では、手術のほかにも、コレラなど伝染病との闘いが描かれていました。
勝海舟(小日向文世)が「異国との交易で広がった“コロリ”を抑え込めば、幕府の権威が高まる!」
…と、幕府からコレラ治療への援助を勝ち取るために、アピールしています。
たしかに伝染病で異国への敵意が増して、“攘夷”が過激化した側面もあったようです。
――また、ドラマの中には重要拠点として「西洋医学所」が登場していました。
この「西洋医学所」は、佐賀(神埼)出身の蘭方医・伊東玄朴が開いた“種痘所”が発展したものです。
これは歴史上の話ですが、この“種痘所”を拠点に、人々を恐怖に陥れた伝染病“天然痘”に闘いを挑んだのが、佐賀藩医でもある伊東玄朴です。
玄朴は佐賀の蘭方医たちのネットワークを活かして、この「不治の病」に闘いを挑みます。

――“本編”でも少しは書いてみたのですが、充分に描ける力がなく、残念に思っていました。(参照:第6話「鉄製大砲」⑤,第6話「鉄製大砲」⑦)
ここで「JIN-仁-」に便乗し、神埼が輩出した“医術の英雄”・伊東玄朴を語ります。
・伊東玄朴について
江戸の蘭方医のリーダー。蘭方医として初めて、幕府の奥医師となる。“種痘法”の有用性を熟知し、「不治の病」“天然痘”に闘いを挑む。
玄朴は、オランダの医術を修得しており、ウシの天然痘である“牛痘”はヒトには感染しないが、抗体は生成できることを知る。
この“牛痘”を利用することで予防接種である“種痘”を全国に広め、日本を“天然痘”から守る先頭に立つ。
――そして、同じく佐賀藩医の仲間たち、以下の2名も玄朴先生とともに、“天然痘”との闘いに身を投じます。
・楢林宗建は、牛痘の膿を水分を含まず乾燥した“かさぶた”の形で入手することで、輸送中の腐敗を防ぎ、痘苗(ワクチン)を製造することに成功。
・大石良英は、殿・鍋島直正の嫡子・淳一郎(のちの鍋島直大)への種痘を行い、安全性を強くアピールする。佐賀では領民たちにも予防接種が進む。
――ちなみに玄朴先生は、ドラマ「JIN-仁-」にも登場しているようですね。
タイムスリップしてきた南方先生の、現代医術を理解する役回りのようです。
…まぁ、あの佐野常民の師匠ですから、理解できても不思議はないです。

また、史実寄りの話をすると、佐野常民は緒方洪庵の適塾でも学んでますし、華岡流の麻酔を修得するため、紀州(和歌山)でも修業しています。
…ドラマをご覧になった方は、「あ-佐野常民は、あの武田鉄矢のもとでも学んだのか-とか、桐谷健太と一緒に麻酔の勉強をしたのか-」とか考えてみると楽しいかもしれません。
そして、伊東玄朴が設置した“種痘所”は“西洋医学所”となり、後に東京大学医学部へと進化していきます。
――実は、伊東玄朴も“タイムスリップ経験者”では?…などとお考えになった人もいるかもしれません…
玄朴先生の西洋医術ですが、長崎でシーボルトから修得しています。そして、神埼市(仁比山)の生まれであることもはっきりしているようです。
…たぶん、タイムスリップはしていないでしょう。断言はできませんけど。
現在、神埼にある伊東玄朴の旧宅のすぐ傍に、「伊東玄朴記念館」の整備計画も進んでいると聞きます。
――実は玄朴先生、友達の子が“天然痘”に感染したときに救えなかったことがあり、種痘の普及に情熱を注いだようです。
そして、“種痘所”が火事で焼けたときは、「JIN-仁-」と同様、“ヤマサ醤油”が資金を出してくれたみたいですよ。
…どうやら「神は乗り越えられる試練しか与えない」ようです。
お恥ずかしい話、私も最近まで存じ上げなかったのですが、伊東玄朴先生、もっと全国的に知られてよい存在だと思います。
新型コロナの影響で、ドラマの再放送をよく見かけます。「JIN-仁-」(TBS系)をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
現代から幕末にタイムスリップした医師・南方仁(大沢たかお)。
ドラマの主な舞台は、1860年代の江戸の街。
旗本(幕臣)の娘・橘咲(綾瀬はるか)が「黒船が来たのは10年ほど前」と語っている場面があります。
南方先生は、西郷隆盛、篤姫など大河ドラマの主役たちを、次々に手術・治療していきます。
現代からタイムスリップした医師が幕末を駆け回る…
主人公の相棒のようなポジションで登場する、この作品の坂本龍馬(内野聖陽)が一番好き!という声も見かけます。
――私は本放送は未視聴で、再放送(総集編)も中途半端にしか見てませんが語ります!ドラマのファンの方、ご容赦を!
「JIN-仁-」の劇中では、手術のほかにも、コレラなど伝染病との闘いが描かれていました。
勝海舟(小日向文世)が「異国との交易で広がった“コロリ”を抑え込めば、幕府の権威が高まる!」
…と、幕府からコレラ治療への援助を勝ち取るために、アピールしています。
たしかに伝染病で異国への敵意が増して、“攘夷”が過激化した側面もあったようです。
――また、ドラマの中には重要拠点として「西洋医学所」が登場していました。
この「西洋医学所」は、佐賀(神埼)出身の蘭方医・伊東玄朴が開いた“種痘所”が発展したものです。
これは歴史上の話ですが、この“種痘所”を拠点に、人々を恐怖に陥れた伝染病“天然痘”に闘いを挑んだのが、佐賀藩医でもある伊東玄朴です。
玄朴は佐賀の蘭方医たちのネットワークを活かして、この「不治の病」に闘いを挑みます。

――“本編”でも少しは書いてみたのですが、充分に描ける力がなく、残念に思っていました。(
ここで「JIN-仁-」に便乗し、神埼が輩出した“医術の英雄”・伊東玄朴を語ります。
・伊東玄朴について
江戸の蘭方医のリーダー。蘭方医として初めて、幕府の奥医師となる。“種痘法”の有用性を熟知し、「不治の病」“天然痘”に闘いを挑む。
玄朴は、オランダの医術を修得しており、ウシの天然痘である“牛痘”はヒトには感染しないが、抗体は生成できることを知る。
この“牛痘”を利用することで予防接種である“種痘”を全国に広め、日本を“天然痘”から守る先頭に立つ。
――そして、同じく佐賀藩医の仲間たち、以下の2名も玄朴先生とともに、“天然痘”との闘いに身を投じます。
・楢林宗建は、牛痘の膿を水分を含まず乾燥した“かさぶた”の形で入手することで、輸送中の腐敗を防ぎ、痘苗(ワクチン)を製造することに成功。
・大石良英は、殿・鍋島直正の嫡子・淳一郎(のちの鍋島直大)への種痘を行い、安全性を強くアピールする。佐賀では領民たちにも予防接種が進む。
――ちなみに玄朴先生は、ドラマ「JIN-仁-」にも登場しているようですね。
タイムスリップしてきた南方先生の、現代医術を理解する役回りのようです。
…まぁ、あの佐野常民の師匠ですから、理解できても不思議はないです。
また、史実寄りの話をすると、佐野常民は緒方洪庵の適塾でも学んでますし、華岡流の麻酔を修得するため、紀州(和歌山)でも修業しています。
…ドラマをご覧になった方は、「あ-佐野常民は、あの武田鉄矢のもとでも学んだのか-とか、桐谷健太と一緒に麻酔の勉強をしたのか-」とか考えてみると楽しいかもしれません。
そして、伊東玄朴が設置した“種痘所”は“西洋医学所”となり、後に東京大学医学部へと進化していきます。
――実は、伊東玄朴も“タイムスリップ経験者”では?…などとお考えになった人もいるかもしれません…
玄朴先生の西洋医術ですが、長崎でシーボルトから修得しています。そして、神埼市(仁比山)の生まれであることもはっきりしているようです。
…たぶん、タイムスリップはしていないでしょう。断言はできませんけど。
現在、神埼にある伊東玄朴の旧宅のすぐ傍に、「伊東玄朴記念館」の整備計画も進んでいると聞きます。
――実は玄朴先生、友達の子が“天然痘”に感染したときに救えなかったことがあり、種痘の普及に情熱を注いだようです。
そして、“種痘所”が火事で焼けたときは、「JIN-仁-」と同様、“ヤマサ醤油”が資金を出してくれたみたいですよ。
…どうやら「神は乗り越えられる試練しか与えない」ようです。
お恥ずかしい話、私も最近まで存じ上げなかったのですが、伊東玄朴先生、もっと全国的に知られてよい存在だと思います。
2020年05月09日
「望郷の剣2」
こんばんは。
お読みいただいている皆様、第9話「和親条約」いかがだったでしょうか。なるべく海外の情勢も折り込もうと試みました。
もともと”本編”は“史実に着想を得たフィクション”として構成しておりますが、「実は、こういう展開だったかもしれない…」という可能性を残したい願望もあります。
そのため、情報の取捨選択で、迷うことも多いです。
時々思うのですが、もう少し世界史も勉強しておけば良かった…いや、全般的にもっと勉強しておくべきでした。
…幕末の佐賀藩士たちの足跡を追うと、そう思わずにはいられません。
――さて本編はお休みで、息抜きの企画です。

ありふれた日常の風景を、むりに幕末っぽく描きます。
佐賀のプレゼンス(存在感)を高めるため、消費行動を通じて戦う、現代の佐賀藩士(?)のお話です。
――新型コロナの拡大により、緊張感の増した日々の買い物。私は近隣のスーバーに出向く。
私が外出の自粛に備え、迅速に棚より商品の選定を行っていた。そこで、目に留まった品がある。
“定番でない品”が陳列される棚。季節物や新商品などを扱う場所である。
その最上段に、佐賀銘菓「丸ぼうろ」が姿を見せた。
――この新型コロナ蔓延(はびこ)る、世の荒波を乗り越え、私の眼前に現れた“丸ぼうろ”。
遥々と佐賀からの道のりを超えてきたと思うと感慨もひとしおである。
「おぉ!“丸ぼうろ”ではないか。久しいのう!」
…と、声をかけるほどまでは、私の妄想はひどくはない。
しかし私は同時に、これを好機と判断した。
手持ちの買い物カゴに、おもむろに“丸ぼうろ”の大袋3つを追加したのである。
――「これはお買い得だ!ぜひ、買うべきだ!」私の躊躇のない背中は、そう語ったらしい。
私の行動に引っ張られるように、他のお客が“丸ぼうろ”を手に取った。そして、同じように買い物カゴに入れたのである。
私は想った。
「これでいい。佐賀の特産品に売れ残りなど、あってはならんのだ。」
このような妄想とともに、戦いの日々は続いていきます。
幕末佐賀藩の存在が、遍(あまね)く人々に知られ、この国が誇りを取り戻すその日まで…
以上です。
佐賀の菓子の甘さは絶妙です。
新型コロナの騒乱が終息したら、ぜひ佐賀で甘味も食べ歩きたいものです。
お読みいただいている皆様、第9話「和親条約」いかがだったでしょうか。なるべく海外の情勢も折り込もうと試みました。
もともと”本編”は“史実に着想を得たフィクション”として構成しておりますが、「実は、こういう展開だったかもしれない…」という可能性を残したい願望もあります。
そのため、情報の取捨選択で、迷うことも多いです。
時々思うのですが、もう少し世界史も勉強しておけば良かった…いや、全般的にもっと勉強しておくべきでした。
…幕末の佐賀藩士たちの足跡を追うと、そう思わずにはいられません。
――さて本編はお休みで、息抜きの企画です。
ありふれた日常の風景を、むりに幕末っぽく描きます。
佐賀のプレゼンス(存在感)を高めるため、消費行動を通じて戦う、現代の佐賀藩士(?)のお話です。
――新型コロナの拡大により、緊張感の増した日々の買い物。私は近隣のスーバーに出向く。
私が外出の自粛に備え、迅速に棚より商品の選定を行っていた。そこで、目に留まった品がある。
“定番でない品”が陳列される棚。季節物や新商品などを扱う場所である。
その最上段に、佐賀銘菓「丸ぼうろ」が姿を見せた。
――この新型コロナ蔓延(はびこ)る、世の荒波を乗り越え、私の眼前に現れた“丸ぼうろ”。
遥々と佐賀からの道のりを超えてきたと思うと感慨もひとしおである。
「おぉ!“丸ぼうろ”ではないか。久しいのう!」
…と、声をかけるほどまでは、私の妄想はひどくはない。
しかし私は同時に、これを好機と判断した。
手持ちの買い物カゴに、おもむろに“丸ぼうろ”の大袋3つを追加したのである。
――「これはお買い得だ!ぜひ、買うべきだ!」私の躊躇のない背中は、そう語ったらしい。
私の行動に引っ張られるように、他のお客が“丸ぼうろ”を手に取った。そして、同じように買い物カゴに入れたのである。
私は想った。
「これでいい。佐賀の特産品に売れ残りなど、あってはならんのだ。」
このような妄想とともに、戦いの日々は続いていきます。
幕末佐賀藩の存在が、遍(あまね)く人々に知られ、この国が誇りを取り戻すその日まで…
以上です。
佐賀の菓子の甘さは絶妙です。
新型コロナの騒乱が終息したら、ぜひ佐賀で甘味も食べ歩きたいものです。
2020年05月08日
第9話「和親条約」⑩
こんばんは。第9話のラストです。おそらく一般的なイメージとは違う描き方を試みます。かなり長文ですが、ご容赦のほどを。
長崎にはロシア船が来航し、佐賀藩が年越しで警備を続けました。
幕府は、長崎の交渉の動向を見守る一方、アメリカのペリーの再訪に備え、大急ぎで江戸の警備体制を整えています。
――1854年、正月。ロシアとの交渉は大詰めとなった。
通商開始や国境画定といった“重い”案件のロシアとの交渉。
交渉役・川路はプチャーチンとの信頼関係を築きながらも、隙の無い態度を続ける。そして、双方の言葉が通じず、オランダ語を介して進めた日露交渉の決着はこうなった。
「プチャーチン提督。我が国が他国と通商を始めた場合は、貴国ロシアに同等の待遇を与えることは、お約束しよう。」
「川路さん、あなたはしぶとい男だ。しかし、次の交渉も貴方にお願いしたい。」
――香港(ホンコン)。ロシアと日本が接近したと感じて、焦っている男がいた。
「とにかく蒸気船を集めろ!もっと早く、もっと多くだ!」
周囲に圧をかけるアメリカ・東インド艦隊長官。ペリー提督である。
「おいおい、“熊おやじ”荒れてるぜぇ。」
「もう、日本に出航するんだってよ!」
――前年、浦賀では「1年後にまた来る!」と宣言したペリーだが、もう居てもたってもいられない。
「古くさい“帆船”なんぞに頼るロシアに後れを取ってたまるか!」
当時の蒸気船は、そこまで高性能ではない。同サイズの帆船に比べ、兵員と物資の輸送能力も劣る。また、大型の艦船同士の戦いでは、外輪部が防御と攻撃の弱点になる。
但し、気象条件にとらわれない小回りが利き、威圧感は抜群である。

――そして長崎からプチャーチンが去って、1週間もしないうちにペリーが浦賀に来航する。
「何だと…まだ、半年しか経っておらぬぞ!」
老中・阿部正弘、これには慌てる。何せ“お台場”もまだ完成していない。
「伊勢守(阿部)よ。何を恐れておる!我が国はロシアとも渡りあえたではないか!」
海防参与となっていた、攘夷派・徳川斉昭が檄を飛ばす。
幕府や有力大名にも、長崎でのロシアとの外交交渉の件は伝わっている。
古豪ロシアとの間で「互いの国法を重んじ、国同士として向き合った」ことは幕府にとって自信となっていた。
――もはや開国派も攘夷派もない。“挙国一致”で立ち向かうのみ。老中・阿部正弘は腹をくくった。
「此度…交渉役は、林大学頭を任ず。」
阿部正弘が指名したのは、林復斎。官職名は大学頭(だいがくのかみ)である。
通訳にはジョン万次郎など、日本語と英語の双方を使える人材もいるが、アメリカの影響を受け過ぎているため疑惑を持たれてしまう。
そして、今回も長崎での対ロシア交渉と同じく、中国語(漢文)やオランダ語を介して交渉を行うこととなった。
林は漢籍に通じる学者で、論理的な人物。
実は、林を交渉役に選んだことが、老中・阿部の覚悟を物語っている。
――交渉場所は江戸に近いが、一般人を遠ざけるには適した寒村が選ばれた。“横浜”という村である。
ボン!ボン!
7隻のペリー艦隊から、威圧感たっぷりの祝砲が放たれる。蒸気船を含む大艦隊から轟音が響き続ける。
「さて、わがアメリカは“人命の尊重”を要求する。難破船の救助と薪水・食料の補給のため、港を開いてほしい!」
ペリーは威嚇を充分に行ったうえで、正論を話し始める。
「よかろう。“日本”には慈悲の心がある。“今まで通り”人助けをしよう。」
林大学頭、まったく威圧が効いていない様子だ。正論をそのまま受けて、返してきた。
――このように熾烈な折衝が始まった。
ペリーは、次の議題を切り出す。
「そして、通商だ。」
「はて、“人命尊重”が申出の趣旨ではなかったか。通商とは何の関わりがあるのだ!?」
林大学頭が、目的違いを指摘する。ペリーが意表を突かれた。
「開く港は、5か所は要るぞ!」
「そのように大事なことは、最初から“国書”に記すべきではなかったのか!?」
ペリーは唐突な提案をしたが、林に弾き返される。
――実は“通商の開始”を除けば、ペリーの開国要求は当時の日本にも受け入れやすい。
「長崎だけでは困るのだな。では下田(静岡)・函館(北海道)の2港を開こう。」
林大学頭、最低限の要求を許容した。
清国市場への中継地点である、伊豆の下田。
捕鯨船の補給基地になる、蝦夷地の函館。
これで開国には応じたことになる。たしかに“鎖国”は崩れたが、おそらくは列強各国で一番“軽い”要求を基準としたのである。
――意外や、幕府はペリーの弱点について、ある程度知っていたようだ。

たしかに7隻の大艦隊は脅威だが、広い太平洋を超えて物資の輸送は困難。補給ルートが脆弱なことは、ペリーの要求そのものが示していた。
そして、老中・阿部正弘が沿岸警備に動員した兵員は、60藩とも、47万人とも言われる。
江戸湾沿岸は、集結する侍と野次馬の庶民で大騒ぎとなっていた。
「どうなってるんだ!お侍ばかりじゃねぇか!」
「黒船を見に行こうぜ!」
――老中・阿部は、全力を尽くしたうえで「ペリーが戦うことは無い」と判断していた。
「いいだろう。この内容で調印しよう。」
ペリーは通商の要求を取り下げた。すでにペリーに国書を渡した大統領フィルモアも、政権交代によりその座を明け渡しており、政治的な後押しも弱い。
「いや、一列に並べるのではなく、双方が署名した用紙を交換すべし。」
林大学頭は、条約の署名方式にまで日本側のルールを押し付けた。
――その頃、既に佐賀藩は次のステージに進んでいた。

佐賀城本丸。請役・鍋島安房が何やら“大層な箱”を持ってきている。
「そろそろ、殿が来られる頃か…」
「安房よ!話したき事がある!」
予想どおり、長崎から戻ったばかりの鍋島直正が現れる。
「殿。お待ちしておりました。」
安房は、大層な箱を正面に持ち替えた。
「実はな、安房よ!洋式船を…いずれは蒸気船も買わねばならぬ!」
また「資金が要るのだ!」という、直正のいつもの相談である。
――ロシアとの交渉時、佐賀藩の砲台は長崎の警備だけでなく、日本の“誇り”も守る役割を果たした。
しかし、重要港湾を守るだけの砲台では、今後の危機に備えることはできない。必要なのは「どこから攻められても、防げる力」だった。
鍋島安房、ここで“大層な箱”を開く。
「これで、いかがでございましょう。」
「おおっ!“白蝋”ではないか。」
直正は、ハゼの木から作られた見事な品質の“蝋燭(ろうそく)”に見入った。
のちに西洋式軍艦を購入するときに、この“白蝋”は現金代わりとして通用した。開国の新時代が開き、佐賀藩は海に向かっていくのである。
(第10話「蒸気機関」に続く)
長崎にはロシア船が来航し、佐賀藩が年越しで警備を続けました。
幕府は、長崎の交渉の動向を見守る一方、アメリカのペリーの再訪に備え、大急ぎで江戸の警備体制を整えています。
――1854年、正月。ロシアとの交渉は大詰めとなった。
通商開始や国境画定といった“重い”案件のロシアとの交渉。
交渉役・川路はプチャーチンとの信頼関係を築きながらも、隙の無い態度を続ける。そして、双方の言葉が通じず、オランダ語を介して進めた日露交渉の決着はこうなった。
「プチャーチン提督。我が国が他国と通商を始めた場合は、貴国ロシアに同等の待遇を与えることは、お約束しよう。」
「川路さん、あなたはしぶとい男だ。しかし、次の交渉も貴方にお願いしたい。」
――香港(ホンコン)。ロシアと日本が接近したと感じて、焦っている男がいた。
「とにかく蒸気船を集めろ!もっと早く、もっと多くだ!」
周囲に圧をかけるアメリカ・東インド艦隊長官。ペリー提督である。
「おいおい、“熊おやじ”荒れてるぜぇ。」
「もう、日本に出航するんだってよ!」
――前年、浦賀では「1年後にまた来る!」と宣言したペリーだが、もう居てもたってもいられない。
「古くさい“帆船”なんぞに頼るロシアに後れを取ってたまるか!」
当時の蒸気船は、そこまで高性能ではない。同サイズの帆船に比べ、兵員と物資の輸送能力も劣る。また、大型の艦船同士の戦いでは、外輪部が防御と攻撃の弱点になる。
但し、気象条件にとらわれない小回りが利き、威圧感は抜群である。

――そして長崎からプチャーチンが去って、1週間もしないうちにペリーが浦賀に来航する。
「何だと…まだ、半年しか経っておらぬぞ!」
老中・阿部正弘、これには慌てる。何せ“お台場”もまだ完成していない。
「伊勢守(阿部)よ。何を恐れておる!我が国はロシアとも渡りあえたではないか!」
海防参与となっていた、攘夷派・徳川斉昭が檄を飛ばす。
幕府や有力大名にも、長崎でのロシアとの外交交渉の件は伝わっている。
古豪ロシアとの間で「互いの国法を重んじ、国同士として向き合った」ことは幕府にとって自信となっていた。
――もはや開国派も攘夷派もない。“挙国一致”で立ち向かうのみ。老中・阿部正弘は腹をくくった。
「此度…交渉役は、林大学頭を任ず。」
阿部正弘が指名したのは、林復斎。官職名は大学頭(だいがくのかみ)である。
通訳にはジョン万次郎など、日本語と英語の双方を使える人材もいるが、アメリカの影響を受け過ぎているため疑惑を持たれてしまう。
そして、今回も長崎での対ロシア交渉と同じく、中国語(漢文)やオランダ語を介して交渉を行うこととなった。
林は漢籍に通じる学者で、論理的な人物。
実は、林を交渉役に選んだことが、老中・阿部の覚悟を物語っている。
――交渉場所は江戸に近いが、一般人を遠ざけるには適した寒村が選ばれた。“横浜”という村である。
ボン!ボン!
7隻のペリー艦隊から、威圧感たっぷりの祝砲が放たれる。蒸気船を含む大艦隊から轟音が響き続ける。
「さて、わがアメリカは“人命の尊重”を要求する。難破船の救助と薪水・食料の補給のため、港を開いてほしい!」
ペリーは威嚇を充分に行ったうえで、正論を話し始める。
「よかろう。“日本”には慈悲の心がある。“今まで通り”人助けをしよう。」
林大学頭、まったく威圧が効いていない様子だ。正論をそのまま受けて、返してきた。
――このように熾烈な折衝が始まった。
ペリーは、次の議題を切り出す。
「そして、通商だ。」
「はて、“人命尊重”が申出の趣旨ではなかったか。通商とは何の関わりがあるのだ!?」
林大学頭が、目的違いを指摘する。ペリーが意表を突かれた。
「開く港は、5か所は要るぞ!」
「そのように大事なことは、最初から“国書”に記すべきではなかったのか!?」
ペリーは唐突な提案をしたが、林に弾き返される。
――実は“通商の開始”を除けば、ペリーの開国要求は当時の日本にも受け入れやすい。
「長崎だけでは困るのだな。では下田(静岡)・函館(北海道)の2港を開こう。」
林大学頭、最低限の要求を許容した。
清国市場への中継地点である、伊豆の下田。
捕鯨船の補給基地になる、蝦夷地の函館。
これで開国には応じたことになる。たしかに“鎖国”は崩れたが、おそらくは列強各国で一番“軽い”要求を基準としたのである。
――意外や、幕府はペリーの弱点について、ある程度知っていたようだ。
たしかに7隻の大艦隊は脅威だが、広い太平洋を超えて物資の輸送は困難。補給ルートが脆弱なことは、ペリーの要求そのものが示していた。
そして、老中・阿部正弘が沿岸警備に動員した兵員は、60藩とも、47万人とも言われる。
江戸湾沿岸は、集結する侍と野次馬の庶民で大騒ぎとなっていた。
「どうなってるんだ!お侍ばかりじゃねぇか!」
「黒船を見に行こうぜ!」
――老中・阿部は、全力を尽くしたうえで「ペリーが戦うことは無い」と判断していた。
「いいだろう。この内容で調印しよう。」
ペリーは通商の要求を取り下げた。すでにペリーに国書を渡した大統領フィルモアも、政権交代によりその座を明け渡しており、政治的な後押しも弱い。
「いや、一列に並べるのではなく、双方が署名した用紙を交換すべし。」
林大学頭は、条約の署名方式にまで日本側のルールを押し付けた。
――その頃、既に佐賀藩は次のステージに進んでいた。

佐賀城本丸。請役・鍋島安房が何やら“大層な箱”を持ってきている。
「そろそろ、殿が来られる頃か…」
「安房よ!話したき事がある!」
予想どおり、長崎から戻ったばかりの鍋島直正が現れる。
「殿。お待ちしておりました。」
安房は、大層な箱を正面に持ち替えた。
「実はな、安房よ!洋式船を…いずれは蒸気船も買わねばならぬ!」
また「資金が要るのだ!」という、直正のいつもの相談である。
――ロシアとの交渉時、佐賀藩の砲台は長崎の警備だけでなく、日本の“誇り”も守る役割を果たした。
しかし、重要港湾を守るだけの砲台では、今後の危機に備えることはできない。必要なのは「どこから攻められても、防げる力」だった。
鍋島安房、ここで“大層な箱”を開く。
「これで、いかがでございましょう。」
「おおっ!“白蝋”ではないか。」
直正は、ハゼの木から作られた見事な品質の“蝋燭(ろうそく)”に見入った。
のちに西洋式軍艦を購入するときに、この“白蝋”は現金代わりとして通用した。開国の新時代が開き、佐賀藩は海に向かっていくのである。
(第10話「蒸気機関」に続く)
2020年05月07日
第9話「和親条約」⑨
こんばんは。
前回の続きです。
――長崎でのロシアとの折衝の様子は、逐次、江戸の幕府中枢に伝えられた。
老中・阿部正弘が喜ぶ。
「長崎では“おろしや国”(ロシア)が、素直に談判に応じていると聞く。」
「はい。長崎には、肥前佐賀の台場もございますゆえ。」
伊豆の韮山代官・江川英龍である。
長崎で砲術を学び、佐賀(武雄)とは長く交流してきた。佐賀藩の実力をよく知る人物である。
ここで、いきなり江戸ことばで話し出す幕臣がいた。
「異国船も迂闊(うかつ)な手出しは出来ねぇ…ってもんです!いや、佐賀の“蘭癖”は天晴(あっぱれ)で!…ございますな。」
さすがに老中の手前、言葉遣いは取り繕っている。
――阿部正弘が取り立てた“江戸ことばの男”。名を、勝麟太郎という。
江川英龍から見れば砲術の弟子、佐久間象山の門下生なので“孫弟子”にあたる。
「勝よ…ご老中の御前であるぞ。」
「申し訳ございませぬ。“我が国”の武威を示す、佐賀の心意気に感じ入りまして。」
江川英龍に諭される、勝麟太郎。のちに海軍の創設に猛進する勝海舟である。

「よい、勝よ。儂も同じ心持ちじゃ。長崎には筒井と川路も遣わした。港の守りは佐賀が固めておる、まずは安心であろう。」
老中・阿部、長崎は交渉役2人と佐賀藩に任せるようだ。
そして、阿部正弘は、別の危機に頭を切り替える。
「アメリカの提督“ペルリ”は再び、江戸近くに来るはず。此度は、備えが肝要だ。」
「品川沖の台場、作事は進んでおるか。」
「“三の台場”までは築いておるところにござる。」
答えたのは、江川英龍である。突貫工事で品川に“お台場”を築いている。まだ、第一から第三の台場までしか形にはなっていない。
――“韮山反射炉”の構築は、黒船来航には間に合わなかった。当時、西洋式の鉄製大砲を製造できるのは佐賀藩のみ。
ここで幕府は、西洋式の“青銅砲”もかき集めている。これならば、佐賀だけでなく、沿岸警備を担当する水戸など、一部の有力藩からも調達できる。
「“江戸の御番”(警備隊)だけでは足らぬ、兵も各地から集めよ。」
「ははっ!」
老中・阿部は、あらかじめ諸藩に意見を聞いた。一見、優柔不断に見える行動だったが、この局面では、各大名に情報が共有されていることは強みとなった。
阿部正弘は、最初から“挙国一致”で、黒船来航を乗り切ろうと考えていたのである。
――品川沖“お台場”の工事が進む。江戸湾の警備を担当するのは、幕府が信頼を置く“譜代大名”。
幕府は、第一台場に川越藩(埼玉)、第二台場に会津藩(福島)、第三台場に忍藩(埼玉)を配置した。
「おそらく提督“ペルリ”は、此度も脅しをかけて来るであろうな…」
重要拠点には、佐賀藩製の鉄製大砲が備えられる。強い火薬が使用でき、遠距離の砲撃が可能な切り札である。
――さて、老中・阿部正弘に「“無法な”異国船ならば打払え!」と言い切った、鍋島直正は長崎にいた。

今まで経験のない千人規模での、真冬の年越し警備。
佐賀藩士たちは、ロシア船の動き、交戦国からの襲撃など不足の事態に備えて、台場の守備を続ける。
「う~寒かごた~。」
「本日は、台場のご見分(視察)があると聞く。しゃんとせんば!」
――砲台を守備する藩士たちにも、佐賀藩の上役が見分に来ることは、伝わっていた。しかし…
「と…殿!まさか、かような所まで!」
最前線の砲台に足を運んできたのは、藩の重役どころではなく、肥前35万7千石の殿様である。鍋島直正が長崎の離島に姿を見せた。
「お主らにも寒い中、苦労をかけるな…」
「いえ、めっそうもない!」
「もったいなきお言葉!少しも寒くはございません!」
直正は、藩士たちのと“痩せ我慢”を感じながら、言葉を発した。
「左様であるか、体を厭えよ。」
――守備隊の佐賀藩士たちは、殿の来訪で一気に高揚し、一時的に寒さを忘れた。
直正の計らいで、守備隊にも新年らしく酒などが振る舞われた。砲台を守る藩士たち、久々に賑やかになっていた。
「酔いつぶれぬよう、分をわきまえて頂戴いたします!」
「儂は下戸やけん。この餅がありがたか。茶も温か…生き返った心地じゃ。」
殿・直正の陣中見舞いは、藩士たちに「殿が見守ってくれている!」という気持ちを与えたのである。
(続く)
前回の続きです。
――長崎でのロシアとの折衝の様子は、逐次、江戸の幕府中枢に伝えられた。
老中・阿部正弘が喜ぶ。
「長崎では“おろしや国”(ロシア)が、素直に談判に応じていると聞く。」
「はい。長崎には、肥前佐賀の台場もございますゆえ。」
伊豆の韮山代官・江川英龍である。
長崎で砲術を学び、佐賀(武雄)とは長く交流してきた。佐賀藩の実力をよく知る人物である。
ここで、いきなり江戸ことばで話し出す幕臣がいた。
「異国船も迂闊(うかつ)な手出しは出来ねぇ…ってもんです!いや、佐賀の“蘭癖”は天晴(あっぱれ)で!…ございますな。」
さすがに老中の手前、言葉遣いは取り繕っている。
――阿部正弘が取り立てた“江戸ことばの男”。名を、勝麟太郎という。
江川英龍から見れば砲術の弟子、佐久間象山の門下生なので“孫弟子”にあたる。
「勝よ…ご老中の御前であるぞ。」
「申し訳ございませぬ。“我が国”の武威を示す、佐賀の心意気に感じ入りまして。」
江川英龍に諭される、勝麟太郎。のちに海軍の創設に猛進する勝海舟である。
「よい、勝よ。儂も同じ心持ちじゃ。長崎には筒井と川路も遣わした。港の守りは佐賀が固めておる、まずは安心であろう。」
老中・阿部、長崎は交渉役2人と佐賀藩に任せるようだ。
そして、阿部正弘は、別の危機に頭を切り替える。
「アメリカの提督“ペルリ”は再び、江戸近くに来るはず。此度は、備えが肝要だ。」
「品川沖の台場、作事は進んでおるか。」
「“三の台場”までは築いておるところにござる。」
答えたのは、江川英龍である。突貫工事で品川に“お台場”を築いている。まだ、第一から第三の台場までしか形にはなっていない。
――“韮山反射炉”の構築は、黒船来航には間に合わなかった。当時、西洋式の鉄製大砲を製造できるのは佐賀藩のみ。
ここで幕府は、西洋式の“青銅砲”もかき集めている。これならば、佐賀だけでなく、沿岸警備を担当する水戸など、一部の有力藩からも調達できる。
「“江戸の御番”(警備隊)だけでは足らぬ、兵も各地から集めよ。」
「ははっ!」
老中・阿部は、あらかじめ諸藩に意見を聞いた。一見、優柔不断に見える行動だったが、この局面では、各大名に情報が共有されていることは強みとなった。
阿部正弘は、最初から“挙国一致”で、黒船来航を乗り切ろうと考えていたのである。
――品川沖“お台場”の工事が進む。江戸湾の警備を担当するのは、幕府が信頼を置く“譜代大名”。
幕府は、第一台場に川越藩(埼玉)、第二台場に会津藩(福島)、第三台場に忍藩(埼玉)を配置した。
「おそらく提督“ペルリ”は、此度も脅しをかけて来るであろうな…」
重要拠点には、佐賀藩製の鉄製大砲が備えられる。強い火薬が使用でき、遠距離の砲撃が可能な切り札である。
――さて、老中・阿部正弘に「“無法な”異国船ならば打払え!」と言い切った、鍋島直正は長崎にいた。

今まで経験のない千人規模での、真冬の年越し警備。
佐賀藩士たちは、ロシア船の動き、交戦国からの襲撃など不足の事態に備えて、台場の守備を続ける。
「う~寒かごた~。」
「本日は、台場のご見分(視察)があると聞く。しゃんとせんば!」
――砲台を守備する藩士たちにも、佐賀藩の上役が見分に来ることは、伝わっていた。しかし…
「と…殿!まさか、かような所まで!」
最前線の砲台に足を運んできたのは、藩の重役どころではなく、肥前35万7千石の殿様である。鍋島直正が長崎の離島に姿を見せた。
「お主らにも寒い中、苦労をかけるな…」
「いえ、めっそうもない!」
「もったいなきお言葉!少しも寒くはございません!」
直正は、藩士たちのと“痩せ我慢”を感じながら、言葉を発した。
「左様であるか、体を厭えよ。」
――守備隊の佐賀藩士たちは、殿の来訪で一気に高揚し、一時的に寒さを忘れた。
直正の計らいで、守備隊にも新年らしく酒などが振る舞われた。砲台を守る藩士たち、久々に賑やかになっていた。
「酔いつぶれぬよう、分をわきまえて頂戴いたします!」
「儂は下戸やけん。この餅がありがたか。茶も温か…生き返った心地じゃ。」
殿・直正の陣中見舞いは、藩士たちに「殿が見守ってくれている!」という気持ちを与えたのである。
(続く)
2020年05月06日
第9話「和親条約」⑧
こんにちは。
連休も最終日ですね。奇妙なGWでした…前回の続きです。
日本に開国を迫っているロシアにも、アメリカにもそれぞれの事情があります。
ロシアは本国の戦争で交渉に集中できず、アメリカは世界進出に出遅れて焦っています。
――1853年夏。プチャーチンがようやく長崎に着いた頃、中東では戦争が勃発していた。
ロシア艦隊の副官がプチャーチンに報告する。
「黒海付近の情勢が芳しくないとの連絡が入りました!」
この頃、ロシアはトルコのオスマン帝国に侵攻している。
寒冷地が領土の大半を占めるロシア。オスマン帝国が位置する黒海付近の温暖な土地が欲しい。
イギリス・フランスは静観を決め込んでいたが、ロシアの南下を危険と判断し、ついに動く。
「英仏の連合軍が、わがロシアと戦闘を始めております!」
――いわゆる「クリミア戦争」である。ロシア本国から離れているプチャーチンには状況がよく掴めない。
プチャーチンは、長崎奉行所に通告する。
戦闘に参加するかはともかく、このまま長崎に引きこもっていては情報が入って来ない。清国あたりまでは戻った方がよさそうだ。
「本国ロシアの指示により、一時ナガサキの港を退出する。」
「再度来訪する予定である。砲台の守備隊には、わがロシア艦隊の出入りを伝えられたい。」
港を出入りするときに、あの「妙な気迫を持つ守備隊」に砲撃されてはかなわない。プチャーチンは航行の安全の確保に努めた。
――こうしてプチャーチン率いる艦隊は、長崎港を一時退出した。来航以来、港は1,000人を超える佐賀藩兵が固めている。
長崎の離島、神ノ島・四郎島…そして伊王島。例によって、佐賀藩の砲台の横を航行するロシア艦隊。
「“おろしや”(ロシア)の船も、何やら忙(せわ)しかね…」
「気ば、引き締めんね!おかしな動きがあれば、戦わんばならんぞ!」
長期間にわたって、砲台を守備する佐賀藩士たち。続く緊張感に疲労の色も見える。
プチャーチンの艦隊は、蒸気船2隻を含む4隻である。
クリミア戦争の情勢を見極めるため、一旦プチャーチンは長崎を後にした。
――数か月後、ロシアのプチャーチンが戻り、正式な日露交渉が始まったとき、季節は冬となっていた。
日本側の交渉役は、老中・阿部正弘の“懐刀”とも言われる幕府のエリート2人。
幕府の西ノ丸留守居で、元・長崎奉行の筒井政憲。
そして、勘定奉行・川路聖謨(としあきら)である。
――幕府の交渉役・川路は、長崎奉行所が設けたロシアとの交渉の場に出向く。
当時、日本語とロシア語を同時に扱える“通訳”は、まず見つからない。
長崎奉行所には、オランダ語・中国語の専門家がいるため、それらの言語を介して話し合うのである。

「川路と申す。まずは遠路はるばる大儀にござる。」
「ロシア海軍中将のプチャーチンだ。このたびは皇帝陛下の親書を持ってお伺いした。」
「それは、重ねて大儀なことでござった。」
「わがロシア国は日本と誼(よしみ)を通じ、交易を行いたいと考えている。」
――さっそく、プチャーチンからの“通商”要求が入った。
「日本には“鎖国”という、古来の法がござる。」
「いまや世界に領土を拡大するイギリスが、日本を狙っておりますぞ。」
「ご用件は責任を持ってお伺いする。しかし“我が国”の大事でござるゆえ、軽々しく判断できるものではない。」
話を進めるプチャーチンに対し、川路は慎重に返す。
川路の傍で、経験値の高い筒井が、冷静に様子を伺う。
経過を見て筒井は思った。
「いいぞ、川路。時を稼ぐのだ。」と。
――しばしオランダ語の通訳を介し、やり取りを続けるプチャーチンと川路。
話の展開は、なぜか双方の身の上話となっていた。
「ロシアからの航海は実に長かった。正直に言えば、国にいる妻に早く会いたい…」
「プチャーチン殿には比べようも無いが、私も江戸にいる妻が心配でござる。」
「川路さん!そのように奥様が心配とは!さぞ、お美しい方なのであろうな!」
「…まだ、少々若くてな。」
「ほう、それはご心配でしょう!早く交渉をまとめて、お互いに妻の元に帰りましょう!」
――話の展開が逸れる。筒井は思った。「川路よ…何の話をしておるのだ、これも策であるのか」と。
しかし川路は雑談の中、肝心なポイントは外していなかった。
「色々と掟がござってな。急ぐお気持ちはわかるが、時がかかる。プチャーチン殿の要望は吟味せねばならん。」
「お互いに任務は辛いもののようだ。」
プチャーチンは、川路を気に入ったようだ。少なくとも話すに足る人物とは見たらしい。
――ひとまず、本日の日露交渉はここまでとなった。
経過を見守っていた筒井が、主に交渉を行った川路に問う。
「あのプチャーチンという男、どう見る。」
川路が答える。
「軍人としても一級、言葉や振舞いも丁寧、一角(ひとかど)の人物かと。」
――そして、停泊中のロシア船パルラダ号に帰着するプチャーチン。
艦隊の副官がプチャーチンに問う。
「あの川路という男と、交渉を続ける判断で良いでしょうか。」
プチャーチンが応える。
「川路ならば問題はない。彼はヨーロッパの外交官としても通用するだろう。」
――ペリーと違い、プチャーチンは日本の“表玄関”である長崎に来航している。
佐賀藩の砲台を間近に見て、幕府の役人との交渉では、日本を“国家”として尊重する態度を示した。
「ロシアとは、まともに話し合えておるようじゃな。まずは上々と言ったところか。」
これが佐賀藩主・鍋島直正が考えていた「国と国との話し合いの姿」である。
直正が「“無法者”のペリー艦隊を打払え!」と幕府に極論を述べたのは、正しい外交の姿を目指すゆえであった。
(続く)
連休も最終日ですね。奇妙なGWでした…前回の続きです。
日本に開国を迫っているロシアにも、アメリカにもそれぞれの事情があります。
ロシアは本国の戦争で交渉に集中できず、アメリカは世界進出に出遅れて焦っています。
――1853年夏。プチャーチンがようやく長崎に着いた頃、中東では戦争が勃発していた。
ロシア艦隊の副官がプチャーチンに報告する。
「黒海付近の情勢が芳しくないとの連絡が入りました!」
この頃、ロシアはトルコのオスマン帝国に侵攻している。
寒冷地が領土の大半を占めるロシア。オスマン帝国が位置する黒海付近の温暖な土地が欲しい。
イギリス・フランスは静観を決め込んでいたが、ロシアの南下を危険と判断し、ついに動く。
「英仏の連合軍が、わがロシアと戦闘を始めております!」
――いわゆる「クリミア戦争」である。ロシア本国から離れているプチャーチンには状況がよく掴めない。
プチャーチンは、長崎奉行所に通告する。
戦闘に参加するかはともかく、このまま長崎に引きこもっていては情報が入って来ない。清国あたりまでは戻った方がよさそうだ。
「本国ロシアの指示により、一時ナガサキの港を退出する。」
「再度来訪する予定である。砲台の守備隊には、わがロシア艦隊の出入りを伝えられたい。」
港を出入りするときに、あの「妙な気迫を持つ守備隊」に砲撃されてはかなわない。プチャーチンは航行の安全の確保に努めた。
――こうしてプチャーチン率いる艦隊は、長崎港を一時退出した。来航以来、港は1,000人を超える佐賀藩兵が固めている。
長崎の離島、神ノ島・四郎島…そして伊王島。例によって、佐賀藩の砲台の横を航行するロシア艦隊。
「“おろしや”(ロシア)の船も、何やら忙(せわ)しかね…」
「気ば、引き締めんね!おかしな動きがあれば、戦わんばならんぞ!」
長期間にわたって、砲台を守備する佐賀藩士たち。続く緊張感に疲労の色も見える。
プチャーチンの艦隊は、蒸気船2隻を含む4隻である。
クリミア戦争の情勢を見極めるため、一旦プチャーチンは長崎を後にした。
――数か月後、ロシアのプチャーチンが戻り、正式な日露交渉が始まったとき、季節は冬となっていた。
日本側の交渉役は、老中・阿部正弘の“懐刀”とも言われる幕府のエリート2人。
幕府の西ノ丸留守居で、元・長崎奉行の筒井政憲。
そして、勘定奉行・川路聖謨(としあきら)である。
――幕府の交渉役・川路は、長崎奉行所が設けたロシアとの交渉の場に出向く。
当時、日本語とロシア語を同時に扱える“通訳”は、まず見つからない。
長崎奉行所には、オランダ語・中国語の専門家がいるため、それらの言語を介して話し合うのである。

「川路と申す。まずは遠路はるばる大儀にござる。」
「ロシア海軍中将のプチャーチンだ。このたびは皇帝陛下の親書を持ってお伺いした。」
「それは、重ねて大儀なことでござった。」
「わがロシア国は日本と誼(よしみ)を通じ、交易を行いたいと考えている。」
――さっそく、プチャーチンからの“通商”要求が入った。
「日本には“鎖国”という、古来の法がござる。」
「いまや世界に領土を拡大するイギリスが、日本を狙っておりますぞ。」
「ご用件は責任を持ってお伺いする。しかし“我が国”の大事でござるゆえ、軽々しく判断できるものではない。」
話を進めるプチャーチンに対し、川路は慎重に返す。
川路の傍で、経験値の高い筒井が、冷静に様子を伺う。
経過を見て筒井は思った。
「いいぞ、川路。時を稼ぐのだ。」と。
――しばしオランダ語の通訳を介し、やり取りを続けるプチャーチンと川路。
話の展開は、なぜか双方の身の上話となっていた。
「ロシアからの航海は実に長かった。正直に言えば、国にいる妻に早く会いたい…」
「プチャーチン殿には比べようも無いが、私も江戸にいる妻が心配でござる。」
「川路さん!そのように奥様が心配とは!さぞ、お美しい方なのであろうな!」
「…まだ、少々若くてな。」
「ほう、それはご心配でしょう!早く交渉をまとめて、お互いに妻の元に帰りましょう!」
――話の展開が逸れる。筒井は思った。「川路よ…何の話をしておるのだ、これも策であるのか」と。
しかし川路は雑談の中、肝心なポイントは外していなかった。
「色々と掟がござってな。急ぐお気持ちはわかるが、時がかかる。プチャーチン殿の要望は吟味せねばならん。」
「お互いに任務は辛いもののようだ。」
プチャーチンは、川路を気に入ったようだ。少なくとも話すに足る人物とは見たらしい。
――ひとまず、本日の日露交渉はここまでとなった。
経過を見守っていた筒井が、主に交渉を行った川路に問う。
「あのプチャーチンという男、どう見る。」
川路が答える。
「軍人としても一級、言葉や振舞いも丁寧、一角(ひとかど)の人物かと。」
――そして、停泊中のロシア船パルラダ号に帰着するプチャーチン。
艦隊の副官がプチャーチンに問う。
「あの川路という男と、交渉を続ける判断で良いでしょうか。」
プチャーチンが応える。
「川路ならば問題はない。彼はヨーロッパの外交官としても通用するだろう。」
――ペリーと違い、プチャーチンは日本の“表玄関”である長崎に来航している。
佐賀藩の砲台を間近に見て、幕府の役人との交渉では、日本を“国家”として尊重する態度を示した。
「ロシアとは、まともに話し合えておるようじゃな。まずは上々と言ったところか。」
これが佐賀藩主・鍋島直正が考えていた「国と国との話し合いの姿」である。
直正が「“無法者”のペリー艦隊を打払え!」と幕府に極論を述べたのは、正しい外交の姿を目指すゆえであった。
(続く)
2020年05月05日
第9話「和親条約」⑦
こんばんは。
幕末、1853年の夏。アメリカのペリーが浦賀に来航してから、1か月半ほど後、佐賀藩士たちは、長崎に築いた砲台でロシア船と対峙します。今回は、佐賀藩側からの視点でご覧ください。
――砲台築造の責任者・伊東次兵衛と警備の佐賀藩士が台場に詰める。
頼みの150ポンド砲は、抜かりなく準備されていた。
「船の白帆が見えてきました!」
警備の佐賀藩士の目に映ったのは、ロシア艦隊の旗艦“パルラダ号”である。提督プチャーチンは、この艦に乗船している。
「伊東様!何やら白い旗が見えます!」
「なんだ…」
伊東次兵衛は、遠眼鏡で様子を伺う。

――旗には「おろしや国」(ロシア国)と、わざわざ日本語で大書してあった。
「我々に敵対する気持ちは無い!ということでしょうか。」
「いや、待て!たしか50年ほど前だが…」
1804年。ロシアのレザノフが長崎に来航。
長崎では暴れなかったが、日本の北方で襲撃事件を起こす。
「あの国は、牙を剥くことがある。用心に越したことはない。」
――そして佐賀藩士が忘れるはずもない45年前のフェートン号事件。
1808年。オランダ国旗で偽装したイギリス船が、長崎に侵入して騒乱を起こした。
「あの失態だけは繰り返してはならん!くれぐれも油断するな!」
「はっ!」
砲台を守る藩士たちは、それぞれの持ち場で睨みを利かせる。
――提督の統制のもと、ロシア艦隊は敵対行動を起こすことなく長崎港に到着した。
湾内に入った提督プチャーチン。ホッとひと息を着く。
「やけに緊張感がある台場だったな。あの守備隊の妙な気迫は何だ!?」
――幕府の予想に反して、慎重な態度を見せるロシア艦隊。季節は晩夏から秋となっていたが、おとなしく長崎に停泊している。
ロシア艦隊の副官が告げる。
「提督!よろしいでしょうか。急ぎお伝えしたい件があります!」
ここでプチャーチンに“ある知らせ”が入った。日露交渉は一旦先送りになるのである。
(続く)
幕末、1853年の夏。アメリカのペリーが浦賀に来航してから、1か月半ほど後、佐賀藩士たちは、長崎に築いた砲台でロシア船と対峙します。今回は、佐賀藩側からの視点でご覧ください。
――砲台築造の責任者・伊東次兵衛と警備の佐賀藩士が台場に詰める。
頼みの150ポンド砲は、抜かりなく準備されていた。
「船の白帆が見えてきました!」
警備の佐賀藩士の目に映ったのは、ロシア艦隊の旗艦“パルラダ号”である。提督プチャーチンは、この艦に乗船している。
「伊東様!何やら白い旗が見えます!」
「なんだ…」
伊東次兵衛は、遠眼鏡で様子を伺う。
――旗には「おろしや国」(ロシア国)と、わざわざ日本語で大書してあった。
「我々に敵対する気持ちは無い!ということでしょうか。」
「いや、待て!たしか50年ほど前だが…」
1804年。ロシアのレザノフが長崎に来航。
長崎では暴れなかったが、日本の北方で襲撃事件を起こす。
「あの国は、牙を剥くことがある。用心に越したことはない。」
――そして佐賀藩士が忘れるはずもない45年前のフェートン号事件。
1808年。オランダ国旗で偽装したイギリス船が、長崎に侵入して騒乱を起こした。
「あの失態だけは繰り返してはならん!くれぐれも油断するな!」
「はっ!」
砲台を守る藩士たちは、それぞれの持ち場で睨みを利かせる。
――提督の統制のもと、ロシア艦隊は敵対行動を起こすことなく長崎港に到着した。
湾内に入った提督プチャーチン。ホッとひと息を着く。
「やけに緊張感がある台場だったな。あの守備隊の妙な気迫は何だ!?」
――幕府の予想に反して、慎重な態度を見せるロシア艦隊。季節は晩夏から秋となっていたが、おとなしく長崎に停泊している。
ロシア艦隊の副官が告げる。
「提督!よろしいでしょうか。急ぎお伝えしたい件があります!」
ここでプチャーチンに“ある知らせ”が入った。日露交渉は一旦先送りになるのである。
(続く)
2020年05月04日
第9話「和親条約」⑥
こんばんは。
1853年の夏。佐賀藩が直面した「もう1つの黒船来航」のお話です。当時、新興国のアメリカより警戒されていたロシアの艦隊が長崎の近海に現れます。
プチャーチンはロシア海軍中将。後に政治家としても活躍する、かなりの大物です。指揮権のある海軍将官なので、作中での呼びかけは“提督”としています。
――長崎に接近する、ロシアの艦隊。
プチャーチン提督は、旗艦“パルラダ号”より、艦隊を率いる。
「本来ならば、日本には新鋭艦で来たかったのだが…」
プチャーチンの独り言である。
“パルラダ号”も、船の巨大さと大砲の装備で言えば、当時の日本人を驚かすには充分な艦船である。しかし、やや型式が古い。プチャーチンは新鋭艦への乗り換えを希望していた。

――沖合の離島が見えてくる。パルラダ号の見張りが声を出した。
「東南東の島に“敵”陣地を発見しました!まず大砲…3門を視認!いずれも青銅砲と思われます!」
甲板にいる水兵たちがざわめく。
イーゴリが口火を切った。
「なに、陣地っても大したことはねぇ。少し脅かしてやったらどうだ。」
セルゲイも続く。
「旧式の青銅砲を備えた程度では、ロシア艦隊の前には全くの無力だね!」
――そのときプチャーチンが、騒がしくなった甲板を見ている。
「多少の威嚇は、交渉には有利にはたらくかもしれん。しかし…」
そもそも今回、ロシア本国からの指示は戦闘ではない。
――提督プチャーチンは、ひとまず決断し、水兵たちの面前に歩みを進める。
セルゲイが提督の出現に気づく。
「提督…やはり戦闘のご指示ですか!」
プチャーチンはビシッと威儀を正す。
「皆、聞け!」
空気が引き締まり、水兵たちが一斉に注目する。
「はい!提督…」
――プチャーチンは、最初に一言伝える。今回は士官を通さず、水兵たちに直接語った。
「理解していない者がいるようだ。あらためて言う!本国からの指示は、戦闘ではない。交渉だ!」
「はっ…提督!」
提督の声が響いて、水兵たちは気圧される。
「向こうの砲台から撃って来ない限り、砲撃は許可しない!」
「もし、戦闘態勢に入る場合は、各上長(士官)を通じて命令する!以上だ!」
「はい!提督!」
偶発的な戦闘を避けるべく、一気に統制を取ったプチャーチン提督。ザワついていた水兵たちが、一旦、落ち着く。
――周囲が平静となったと見て、プチャーチンは話し方を切り替える。
「さて我々は、ほどなくナガサキの港に到着するだろう。」
提督は何を語るのか。水兵たちが様子を伺う。
「はっ…」
そして、プチャーチンは、突如、軽い話題を切り出した。
「諸君!入港したら“食べたいもの”はあるかね!」
なんと急に食事の話だ。イーゴリの反応は早かった。
「ピロシキが食べたいであります!」
それを受けて、セルゲイが続く。
「自分は…ボルシチが食べたいです。」
ひとまずプチャーチンは、この2人に答えを返す。
「いいだろう。ナガサキの港で食材を調達し、コックに頼んでみよう。」
――ひとまずクールダウンを経たロシア艦隊は、長崎の沖合から港へ針路を取る。
佐賀藩の砲台は、まず伊王島に5か所ほど設けられている。
ロシア艦隊は、船の横っ腹を大砲で狙われるプレッシャーを受けながら、港まで進んでいく。
セルゲイが気づく。
「なぜか、ずっと奴らの大砲の“射程圏内”を通り続けているようだ。」
イーゴリが返す。
「あぁ、見た目は大したこと無いんだが、しつこい砲台だ。」
佐賀藩の長崎砲台は、船舶の入港ルートに沿って配置されていた。まず“伊王島”に順次、配置した砲台で、じりじりと敵艦隊の戦力を削っていく仕組みだ。
――ここで石積みの陣地に並んだ、佐賀藩製の150ポンド砲が姿を見せる。

「なぜだ!極東の島国のくせに!」
イーゴリ、素直な反応である。
「この国に“鉄製の巨砲”を造れる“科学力”は無かったはず!」
セルゲイ、知性的な驚き方である。
「…待てよ。さっき提督は…」
イーゴリ、先ほどのプチャーチンの行動を思い出した。
「あぁ、たぶん提督は知っていたんだな。ここの砲台の戦力をね。」
セルゲイ、佐賀藩の陣地を見据える。
佐賀藩が巨費を投じて、浅瀬の埋め立て工事まで行った四郎島・神ノ島の砲台。伊王島の砲台で、戦力を削った敵艦隊に集中砲火を浴びせるべく、港の入口付近にも5か所の砲台を集めていたのである。
――しかし、佐賀藩の長崎砲台は、西洋風の“見映え”を持つ要塞ではない。
ただ長崎港を知り尽くし、緻密な距離計算を施した、佐賀藩らしい「実用本位」の砲台だった。
「たしかに威嚇して、砲撃戦を起こすのは得策ではないようだ。」
セルゲイが現状を見て、提督の判断に納得する。
「さすがプチャーチン提督!ハラショー(お見事)だ!」
イーゴリは感嘆している。
――その間プチャーチン提督も、佐賀藩の砲台を観察していた。
「予想より厄介な砲台だ。事前に水兵たちを抑えておいて正解だった…」
(続く)
1853年の夏。佐賀藩が直面した「もう1つの黒船来航」のお話です。当時、新興国のアメリカより警戒されていたロシアの艦隊が長崎の近海に現れます。
プチャーチンはロシア海軍中将。後に政治家としても活躍する、かなりの大物です。指揮権のある海軍将官なので、作中での呼びかけは“提督”としています。
――長崎に接近する、ロシアの艦隊。
プチャーチン提督は、旗艦“パルラダ号”より、艦隊を率いる。
「本来ならば、日本には新鋭艦で来たかったのだが…」
プチャーチンの独り言である。
“パルラダ号”も、船の巨大さと大砲の装備で言えば、当時の日本人を驚かすには充分な艦船である。しかし、やや型式が古い。プチャーチンは新鋭艦への乗り換えを希望していた。

――沖合の離島が見えてくる。パルラダ号の見張りが声を出した。
「東南東の島に“敵”陣地を発見しました!まず大砲…3門を視認!いずれも青銅砲と思われます!」
甲板にいる水兵たちがざわめく。
イーゴリが口火を切った。
「なに、陣地っても大したことはねぇ。少し脅かしてやったらどうだ。」
セルゲイも続く。
「旧式の青銅砲を備えた程度では、ロシア艦隊の前には全くの無力だね!」
――そのときプチャーチンが、騒がしくなった甲板を見ている。
「多少の威嚇は、交渉には有利にはたらくかもしれん。しかし…」
そもそも今回、ロシア本国からの指示は戦闘ではない。
――提督プチャーチンは、ひとまず決断し、水兵たちの面前に歩みを進める。
セルゲイが提督の出現に気づく。
「提督…やはり戦闘のご指示ですか!」
プチャーチンはビシッと威儀を正す。
「皆、聞け!」
空気が引き締まり、水兵たちが一斉に注目する。
「はい!提督…」
――プチャーチンは、最初に一言伝える。今回は士官を通さず、水兵たちに直接語った。
「理解していない者がいるようだ。あらためて言う!本国からの指示は、戦闘ではない。交渉だ!」
「はっ…提督!」
提督の声が響いて、水兵たちは気圧される。
「向こうの砲台から撃って来ない限り、砲撃は許可しない!」
「もし、戦闘態勢に入る場合は、各上長(士官)を通じて命令する!以上だ!」
「はい!提督!」
偶発的な戦闘を避けるべく、一気に統制を取ったプチャーチン提督。ザワついていた水兵たちが、一旦、落ち着く。
――周囲が平静となったと見て、プチャーチンは話し方を切り替える。
「さて我々は、ほどなくナガサキの港に到着するだろう。」
提督は何を語るのか。水兵たちが様子を伺う。
「はっ…」
そして、プチャーチンは、突如、軽い話題を切り出した。
「諸君!入港したら“食べたいもの”はあるかね!」
なんと急に食事の話だ。イーゴリの反応は早かった。
「ピロシキが食べたいであります!」
それを受けて、セルゲイが続く。
「自分は…ボルシチが食べたいです。」
ひとまずプチャーチンは、この2人に答えを返す。
「いいだろう。ナガサキの港で食材を調達し、コックに頼んでみよう。」
――ひとまずクールダウンを経たロシア艦隊は、長崎の沖合から港へ針路を取る。
佐賀藩の砲台は、まず伊王島に5か所ほど設けられている。
ロシア艦隊は、船の横っ腹を大砲で狙われるプレッシャーを受けながら、港まで進んでいく。
セルゲイが気づく。
「なぜか、ずっと奴らの大砲の“射程圏内”を通り続けているようだ。」
イーゴリが返す。
「あぁ、見た目は大したこと無いんだが、しつこい砲台だ。」
佐賀藩の長崎砲台は、船舶の入港ルートに沿って配置されていた。まず“伊王島”に順次、配置した砲台で、じりじりと敵艦隊の戦力を削っていく仕組みだ。
――ここで石積みの陣地に並んだ、佐賀藩製の150ポンド砲が姿を見せる。
「なぜだ!極東の島国のくせに!」
イーゴリ、素直な反応である。
「この国に“鉄製の巨砲”を造れる“科学力”は無かったはず!」
セルゲイ、知性的な驚き方である。
「…待てよ。さっき提督は…」
イーゴリ、先ほどのプチャーチンの行動を思い出した。
「あぁ、たぶん提督は知っていたんだな。ここの砲台の戦力をね。」
セルゲイ、佐賀藩の陣地を見据える。
佐賀藩が巨費を投じて、浅瀬の埋め立て工事まで行った四郎島・神ノ島の砲台。伊王島の砲台で、戦力を削った敵艦隊に集中砲火を浴びせるべく、港の入口付近にも5か所の砲台を集めていたのである。
――しかし、佐賀藩の長崎砲台は、西洋風の“見映え”を持つ要塞ではない。
ただ長崎港を知り尽くし、緻密な距離計算を施した、佐賀藩らしい「実用本位」の砲台だった。
「たしかに威嚇して、砲撃戦を起こすのは得策ではないようだ。」
セルゲイが現状を見て、提督の判断に納得する。
「さすがプチャーチン提督!ハラショー(お見事)だ!」
イーゴリは感嘆している。
――その間プチャーチン提督も、佐賀藩の砲台を観察していた。
「予想より厄介な砲台だ。事前に水兵たちを抑えておいて正解だった…」
(続く)
2020年05月03日
第9話「和親条約」⑤
こんにちは。
例年と違う5月の連休。今回のオープニングは、ステイホームのご提案を兼ねています。映画やドラマでも見て、静かに過ごそう…というところでしょうか。
さて、アメリカの提督ペリーは「I 'll be back」とばかりに「1年後にまた来る!」とメッセージを残し、ひとまず日本を去ります。
翌年「きっと来る…」ペリーへの対応の協議。江戸城は連日の会議です。
しかし「事件は会議室で起きてるんじゃない!」と、今度は長崎が“現場”になります。
「真実はいつも1つ」とは限りません。幕末の佐賀藩が向き合った、もう1つの“黒船来航”をご覧ください。
――1853年。ペリーが日本を去って1か月ほど後。日本近海。
ロシアの提督プチャーチンが率いる船団が東に向かっている。
長崎の沖合である。

――軍船の甲板には、ロシア人水兵が2人。
「よぉ、セルゲイ!ようやく日本だな。」
「やぁ、イーゴリ。さすがに“極東”は遠いようだ。長い航海だったね。」
ロシアの艦隊は、現在のサンクトペテルブルクにある軍港から出航後、イギリスに立ち寄った。そのため、アメリカのペリー艦隊よりも到着は遅れていたのである。
2人とも、いかにも屈強そうな長身のロシア水兵である。
あえて言うならば、イーゴリがワイルド、セルゲイが知性的な印象である。
――提督プチャーチンの任務は、日本に開国・通商を求め、国境確定の交渉まで行うこと。
ロシアは50年ほど前の1804年にもレザノフという使節を派遣し、開国を要求したことがある。
当時も佐賀藩は、長崎の警備を千人体制で実施し、事態の推移を見守った。
「日本は、わがロシアの使節・レザノフ提督を散々待たせ、上陸すら許可しなかった。」
セルゲイが昔の経過を解説する。
――このときロシアの艦隊は、長崎はおとなしく退去したものの、樺太など北方で日本に“報復”を行った。
当時、両国の国境は曖昧である。そのときのロシアは、和船や居留地を襲撃するなどの騒乱を起こし、幕府を多いに困らせたのである。
「まだ“開国”しないつもりか。ちょっと脅かしてやったらどうだ。」
イーゴリが軽く、拳闘の真似事をする。シュッ!と風切り音がした。
「まぁ、それも一興かもな。この島国に大した“科学力”は無い。」
セルゲイは冷静に語っているが、“脅し”の提案には乗り気だ。
――同じ頃、佐賀藩に「ロシア船」接近の報が入る。

息を切らした早馬の使者が叫ぶ。
「申し上げます!ロシア国の船団が、長崎に向かっているようです!」
長崎警備の責任者の1人・池田半九郎が反応する。
「また、黒船が来たのか!」
池田は、ペリーが廻って来た場合に備えて、長崎に行っていた。ようやく1週間ほど前に、佐賀に戻ってきたばかりである。
この一報は、佐賀藩の上層部に駆け巡った。
「オランダ商館よりの知らせも同じく。もはやロシア船の来航は間違いござらん!」
――ペリー来航の余韻も冷めやらぬ中、また慌ただしくなる佐賀城下。
佐賀藩には、現在の長崎県内にも領地がある。
長崎港の隣・深堀領や諫早領などである。ペリーの回航に備えて、派遣した人員とあわせ、一定の兵力は駐留している。
しかし、いざロシア艦隊との戦闘となれば、現在の戦力では心もとない。
「急げ、時が無かぞ!」
真夏の陽射しが容赦なく照り付ける中、佐賀藩士たちが支度に駆け回る。
「足らんでは困る!築地から砲弾を運んでおけ!」
砂ぼこりが舞い、蝉の声が響き渡る。
――殿・鍋島直正が、まず長崎御番を担当する藩士たちに指示を出す。
「池田!おるか!」
「はっ!池田半九郎、ここに居ります!」
「お主は、後詰の兵員と荷駄(物品)を集めよ!」
鍋島直正は、事務能力に長じた調整役・池田を手元におき、長期戦に備える構えを見せた。
「はっ!長崎へは、どの者を向かわせれば!」
そのまま池田が問う。
「伊東じゃ!伊東次兵衛をまず差し向ける!」
直正が指名した先鋒は、長崎の台場を築造した責任者。砲台の実戦運用を想定している。
――直正には、ロシア艦隊の出方によっては、長崎の砲台で一戦交える覚悟があった。
「そして、本島をこちらに呼び寄せよ!」
佐賀藩の大砲開発班のリーダー本島藤太夫。
攻防の展開によって、長崎に派遣するか、佐賀に残すか…いずれにしても、直正の傍に置いておく必要がある。
「はっ!承知いたしました。」
直正の命令を受けた池田。猛然と段取りを組み、詳細な手配りを始めた。
(続く)
例年と違う5月の連休。今回のオープニングは、ステイホームのご提案を兼ねています。映画やドラマでも見て、静かに過ごそう…というところでしょうか。
さて、アメリカの提督ペリーは「I 'll be back」とばかりに「1年後にまた来る!」とメッセージを残し、ひとまず日本を去ります。
翌年「きっと来る…」ペリーへの対応の協議。江戸城は連日の会議です。
しかし「事件は会議室で起きてるんじゃない!」と、今度は長崎が“現場”になります。
「真実はいつも1つ」とは限りません。幕末の佐賀藩が向き合った、もう1つの“黒船来航”をご覧ください。
――1853年。ペリーが日本を去って1か月ほど後。日本近海。
ロシアの提督プチャーチンが率いる船団が東に向かっている。
長崎の沖合である。

――軍船の甲板には、ロシア人水兵が2人。
「よぉ、セルゲイ!ようやく日本だな。」
「やぁ、イーゴリ。さすがに“極東”は遠いようだ。長い航海だったね。」
ロシアの艦隊は、現在のサンクトペテルブルクにある軍港から出航後、イギリスに立ち寄った。そのため、アメリカのペリー艦隊よりも到着は遅れていたのである。
2人とも、いかにも屈強そうな長身のロシア水兵である。
あえて言うならば、イーゴリがワイルド、セルゲイが知性的な印象である。
――提督プチャーチンの任務は、日本に開国・通商を求め、国境確定の交渉まで行うこと。
ロシアは50年ほど前の1804年にもレザノフという使節を派遣し、開国を要求したことがある。
当時も佐賀藩は、長崎の警備を千人体制で実施し、事態の推移を見守った。
「日本は、わがロシアの使節・レザノフ提督を散々待たせ、上陸すら許可しなかった。」
セルゲイが昔の経過を解説する。
――このときロシアの艦隊は、長崎はおとなしく退去したものの、樺太など北方で日本に“報復”を行った。
当時、両国の国境は曖昧である。そのときのロシアは、和船や居留地を襲撃するなどの騒乱を起こし、幕府を多いに困らせたのである。
「まだ“開国”しないつもりか。ちょっと脅かしてやったらどうだ。」
イーゴリが軽く、拳闘の真似事をする。シュッ!と風切り音がした。
「まぁ、それも一興かもな。この島国に大した“科学力”は無い。」
セルゲイは冷静に語っているが、“脅し”の提案には乗り気だ。
――同じ頃、佐賀藩に「ロシア船」接近の報が入る。

息を切らした早馬の使者が叫ぶ。
「申し上げます!ロシア国の船団が、長崎に向かっているようです!」
長崎警備の責任者の1人・池田半九郎が反応する。
「また、黒船が来たのか!」
池田は、ペリーが廻って来た場合に備えて、長崎に行っていた。ようやく1週間ほど前に、佐賀に戻ってきたばかりである。
この一報は、佐賀藩の上層部に駆け巡った。
「オランダ商館よりの知らせも同じく。もはやロシア船の来航は間違いござらん!」
――ペリー来航の余韻も冷めやらぬ中、また慌ただしくなる佐賀城下。
佐賀藩には、現在の長崎県内にも領地がある。
長崎港の隣・深堀領や諫早領などである。ペリーの回航に備えて、派遣した人員とあわせ、一定の兵力は駐留している。
しかし、いざロシア艦隊との戦闘となれば、現在の戦力では心もとない。
「急げ、時が無かぞ!」
真夏の陽射しが容赦なく照り付ける中、佐賀藩士たちが支度に駆け回る。
「足らんでは困る!築地から砲弾を運んでおけ!」
砂ぼこりが舞い、蝉の声が響き渡る。
――殿・鍋島直正が、まず長崎御番を担当する藩士たちに指示を出す。
「池田!おるか!」
「はっ!池田半九郎、ここに居ります!」
「お主は、後詰の兵員と荷駄(物品)を集めよ!」
鍋島直正は、事務能力に長じた調整役・池田を手元におき、長期戦に備える構えを見せた。
「はっ!長崎へは、どの者を向かわせれば!」
そのまま池田が問う。
「伊東じゃ!伊東次兵衛をまず差し向ける!」
直正が指名した先鋒は、長崎の台場を築造した責任者。砲台の実戦運用を想定している。
――直正には、ロシア艦隊の出方によっては、長崎の砲台で一戦交える覚悟があった。
「そして、本島をこちらに呼び寄せよ!」
佐賀藩の大砲開発班のリーダー本島藤太夫。
攻防の展開によって、長崎に派遣するか、佐賀に残すか…いずれにしても、直正の傍に置いておく必要がある。
「はっ!承知いたしました。」
直正の命令を受けた池田。猛然と段取りを組み、詳細な手配りを始めた。
(続く)