2020年05月03日

第9話「和親条約」⑤

こんにちは。
例年と違う5月の連休。今回のオープニングは、ステイホームのご提案を兼ねています。映画ドラマでも見て、静かに過ごそう…というところでしょうか。

さて、アメリカの提督ペリーは「I 'll be back」とばかりに「1年後にまた来る!」とメッセージを残し、ひとまず日本を去ります。

翌年「きっと来る…ペリーへの対応の協議。江戸城は連日の会議です。
しかし「事件は会議室で起きてるんじゃない!」と、今度は長崎が“現場”になります。

真実はいつも1つ」とは限りません。幕末佐賀藩が向き合った、もう1つの“黒船来航”をご覧ください。


――1853年。ペリーが日本を去って1か月ほど後。日本近海。

ロシアの提督プチャーチンが率いる船団が東に向かっている。
長崎沖合である。

――軍船の甲板には、ロシア人水兵が2人。

「よぉ、セルゲイ!ようやく日本だな。」
「やぁ、イーゴリ。さすがに“極東”は遠いようだ。長い航海だったね。」

ロシアの艦隊は、現在のサンクトペテルブルクにある軍港から出航後、イギリスに立ち寄った。そのため、アメリカペリー艦隊よりも到着は遅れていたのである。

2人とも、いかにも屈強そうな長身のロシア水兵である。
あえて言うならば、イーゴリがワイルド、セルゲイが知性的な印象である。


――提督プチャーチンの任務は、日本に開国・通商を求め、国境確定の交渉まで行うこと。

ロシア50年ほど前1804年にもレザノフという使節を派遣し、開国を要求したことがある。
当時も佐賀藩は、長崎の警備千人体制で実施し、事態の推移を見守った。

日本は、わがロシアの使節・レザノフ提督を散々待たせ、上陸すら許可しなかった。」
セルゲイが昔の経過を解説する。


――このときロシアの艦隊は、長崎はおとなしく退去したものの、樺太など北方で日本に“報復”を行った。

当時、
両国の国境は曖昧である。そのときのロシアは、和船居留地襲撃するなどの騒乱を起こし、幕府を多いに困らせたのである。

「まだ“開国”しないつもりか。ちょっと脅かしてやったらどうだ。」
イーゴリが軽く、拳闘の真似事をする。シュッ!と風切り音がした。

「まぁ、それも一興かもな。この島国に大した“科学力”は無い。」
セルゲイは冷静に語っているが、“脅し”の提案には乗り気だ。


――同じ頃、佐賀藩に「ロシア船」接近の報が入る。



息を切らした早馬の使者が叫ぶ。
「申し上げます!ロシア国船団が、長崎に向かっているようです!」

長崎警備の責任者の1人・池田半九郎が反応する。
「また、黒船が来たのか!」

池田は、ペリーが廻って来た場合に備えて、長崎に行っていた。ようやく1週間ほど前に、佐賀に戻ってきたばかりである。

この一報は、佐賀藩上層部に駆け巡った。
オランダ商館よりの知らせも同じく。もはやロシア船の来航は間違いござらん!」


――ペリー来航の余韻も冷めやらぬ中、また慌ただしくなる佐賀城下。

佐賀藩には、現在の長崎県内にも領地がある。

長崎港の隣・深堀領や諫早領などである。ペリー回航に備えて、派遣した人員とあわせ、一定の兵力は駐留している。
しかし、いざロシア艦隊との戦闘となれば、現在の戦力では心もとない。

「急げ、時が無かぞ!」
真夏の陽射しが容赦なく照り付ける中、佐賀藩士たちが支度に駆け回る

「足らんでは困る!築地から砲弾を運んでおけ!」
砂ぼこりが舞い、蝉の声が響き渡る。


――殿・鍋島直正が、まず長崎御番を担当する藩士たちに指示を出す。

池田!おるか!」
「はっ!池田半九郎、ここに居ります!」

「お主は、後詰兵員と荷駄(物品)を集めよ!」
鍋島直正は、事務能力に長じた調整役池田を手元におき、長期戦に備える構えを見せた。

「はっ!長崎へは、どの者を向かわせれば!」
そのまま池田が問う。

伊東じゃ!伊東次兵衛をまず差し向ける!」
直正が指名した先鋒は、長崎の台場築造した責任者。砲台実戦運用を想定している。


――直正には、ロシア艦隊の出方によっては、長崎の砲台で一戦交える覚悟があった。

「そして、本島をこちらに呼び寄せよ!」
佐賀藩大砲開発班のリーダー本島藤太夫

攻防展開によって、長崎に派遣するか、佐賀に残すか…いずれにしても、直正傍に置いておく必要がある。

「はっ!承知いたしました。」
直正の命令を受けた池田。猛然と段取りを組み、詳細な手配りを始めた。


(続く)  


Posted by SR at 17:53 | Comments(0) | 第9話「和親条約」