2020年05月06日
第9話「和親条約」⑧
こんにちは。
連休も最終日ですね。奇妙なGWでした…前回の続きです。
日本に開国を迫っているロシアにも、アメリカにもそれぞれの事情があります。
ロシアは本国の戦争で交渉に集中できず、アメリカは世界進出に出遅れて焦っています。
――1853年夏。プチャーチンがようやく長崎に着いた頃、中東では戦争が勃発していた。
ロシア艦隊の副官がプチャーチンに報告する。
「黒海付近の情勢が芳しくないとの連絡が入りました!」
この頃、ロシアはトルコのオスマン帝国に侵攻している。
寒冷地が領土の大半を占めるロシア。オスマン帝国が位置する黒海付近の温暖な土地が欲しい。
イギリス・フランスは静観を決め込んでいたが、ロシアの南下を危険と判断し、ついに動く。
「英仏の連合軍が、わがロシアと戦闘を始めております!」
――いわゆる「クリミア戦争」である。ロシア本国から離れているプチャーチンには状況がよく掴めない。
プチャーチンは、長崎奉行所に通告する。
戦闘に参加するかはともかく、このまま長崎に引きこもっていては情報が入って来ない。清国あたりまでは戻った方がよさそうだ。
「本国ロシアの指示により、一時ナガサキの港を退出する。」
「再度来訪する予定である。砲台の守備隊には、わがロシア艦隊の出入りを伝えられたい。」
港を出入りするときに、あの「妙な気迫を持つ守備隊」に砲撃されてはかなわない。プチャーチンは航行の安全の確保に努めた。
――こうしてプチャーチン率いる艦隊は、長崎港を一時退出した。来航以来、港は1,000人を超える佐賀藩兵が固めている。
長崎の離島、神ノ島・四郎島…そして伊王島。例によって、佐賀藩の砲台の横を航行するロシア艦隊。
「“おろしや”(ロシア)の船も、何やら忙(せわ)しかね…」
「気ば、引き締めんね!おかしな動きがあれば、戦わんばならんぞ!」
長期間にわたって、砲台を守備する佐賀藩士たち。続く緊張感に疲労の色も見える。
プチャーチンの艦隊は、蒸気船2隻を含む4隻である。
クリミア戦争の情勢を見極めるため、一旦プチャーチンは長崎を後にした。
――数か月後、ロシアのプチャーチンが戻り、正式な日露交渉が始まったとき、季節は冬となっていた。
日本側の交渉役は、老中・阿部正弘の“懐刀”とも言われる幕府のエリート2人。
幕府の西ノ丸留守居で、元・長崎奉行の筒井政憲。
そして、勘定奉行・川路聖謨(としあきら)である。
――幕府の交渉役・川路は、長崎奉行所が設けたロシアとの交渉の場に出向く。
当時、日本語とロシア語を同時に扱える“通訳”は、まず見つからない。
長崎奉行所には、オランダ語・中国語の専門家がいるため、それらの言語を介して話し合うのである。

「川路と申す。まずは遠路はるばる大儀にござる。」
「ロシア海軍中将のプチャーチンだ。このたびは皇帝陛下の親書を持ってお伺いした。」
「それは、重ねて大儀なことでござった。」
「わがロシア国は日本と誼(よしみ)を通じ、交易を行いたいと考えている。」
――さっそく、プチャーチンからの“通商”要求が入った。
「日本には“鎖国”という、古来の法がござる。」
「いまや世界に領土を拡大するイギリスが、日本を狙っておりますぞ。」
「ご用件は責任を持ってお伺いする。しかし“我が国”の大事でござるゆえ、軽々しく判断できるものではない。」
話を進めるプチャーチンに対し、川路は慎重に返す。
川路の傍で、経験値の高い筒井が、冷静に様子を伺う。
経過を見て筒井は思った。
「いいぞ、川路。時を稼ぐのだ。」と。
――しばしオランダ語の通訳を介し、やり取りを続けるプチャーチンと川路。
話の展開は、なぜか双方の身の上話となっていた。
「ロシアからの航海は実に長かった。正直に言えば、国にいる妻に早く会いたい…」
「プチャーチン殿には比べようも無いが、私も江戸にいる妻が心配でござる。」
「川路さん!そのように奥様が心配とは!さぞ、お美しい方なのであろうな!」
「…まだ、少々若くてな。」
「ほう、それはご心配でしょう!早く交渉をまとめて、お互いに妻の元に帰りましょう!」
――話の展開が逸れる。筒井は思った。「川路よ…何の話をしておるのだ、これも策であるのか」と。
しかし川路は雑談の中、肝心なポイントは外していなかった。
「色々と掟がござってな。急ぐお気持ちはわかるが、時がかかる。プチャーチン殿の要望は吟味せねばならん。」
「お互いに任務は辛いもののようだ。」
プチャーチンは、川路を気に入ったようだ。少なくとも話すに足る人物とは見たらしい。
――ひとまず、本日の日露交渉はここまでとなった。
経過を見守っていた筒井が、主に交渉を行った川路に問う。
「あのプチャーチンという男、どう見る。」
川路が答える。
「軍人としても一級、言葉や振舞いも丁寧、一角(ひとかど)の人物かと。」
――そして、停泊中のロシア船パルラダ号に帰着するプチャーチン。
艦隊の副官がプチャーチンに問う。
「あの川路という男と、交渉を続ける判断で良いでしょうか。」
プチャーチンが応える。
「川路ならば問題はない。彼はヨーロッパの外交官としても通用するだろう。」
――ペリーと違い、プチャーチンは日本の“表玄関”である長崎に来航している。
佐賀藩の砲台を間近に見て、幕府の役人との交渉では、日本を“国家”として尊重する態度を示した。
「ロシアとは、まともに話し合えておるようじゃな。まずは上々と言ったところか。」
これが佐賀藩主・鍋島直正が考えていた「国と国との話し合いの姿」である。
直正が「“無法者”のペリー艦隊を打払え!」と幕府に極論を述べたのは、正しい外交の姿を目指すゆえであった。
(続く)
連休も最終日ですね。奇妙なGWでした…前回の続きです。
日本に開国を迫っているロシアにも、アメリカにもそれぞれの事情があります。
ロシアは本国の戦争で交渉に集中できず、アメリカは世界進出に出遅れて焦っています。
――1853年夏。プチャーチンがようやく長崎に着いた頃、中東では戦争が勃発していた。
ロシア艦隊の副官がプチャーチンに報告する。
「黒海付近の情勢が芳しくないとの連絡が入りました!」
この頃、ロシアはトルコのオスマン帝国に侵攻している。
寒冷地が領土の大半を占めるロシア。オスマン帝国が位置する黒海付近の温暖な土地が欲しい。
イギリス・フランスは静観を決め込んでいたが、ロシアの南下を危険と判断し、ついに動く。
「英仏の連合軍が、わがロシアと戦闘を始めております!」
――いわゆる「クリミア戦争」である。ロシア本国から離れているプチャーチンには状況がよく掴めない。
プチャーチンは、長崎奉行所に通告する。
戦闘に参加するかはともかく、このまま長崎に引きこもっていては情報が入って来ない。清国あたりまでは戻った方がよさそうだ。
「本国ロシアの指示により、一時ナガサキの港を退出する。」
「再度来訪する予定である。砲台の守備隊には、わがロシア艦隊の出入りを伝えられたい。」
港を出入りするときに、あの「妙な気迫を持つ守備隊」に砲撃されてはかなわない。プチャーチンは航行の安全の確保に努めた。
――こうしてプチャーチン率いる艦隊は、長崎港を一時退出した。来航以来、港は1,000人を超える佐賀藩兵が固めている。
長崎の離島、神ノ島・四郎島…そして伊王島。例によって、佐賀藩の砲台の横を航行するロシア艦隊。
「“おろしや”(ロシア)の船も、何やら忙(せわ)しかね…」
「気ば、引き締めんね!おかしな動きがあれば、戦わんばならんぞ!」
長期間にわたって、砲台を守備する佐賀藩士たち。続く緊張感に疲労の色も見える。
プチャーチンの艦隊は、蒸気船2隻を含む4隻である。
クリミア戦争の情勢を見極めるため、一旦プチャーチンは長崎を後にした。
――数か月後、ロシアのプチャーチンが戻り、正式な日露交渉が始まったとき、季節は冬となっていた。
日本側の交渉役は、老中・阿部正弘の“懐刀”とも言われる幕府のエリート2人。
幕府の西ノ丸留守居で、元・長崎奉行の筒井政憲。
そして、勘定奉行・川路聖謨(としあきら)である。
――幕府の交渉役・川路は、長崎奉行所が設けたロシアとの交渉の場に出向く。
当時、日本語とロシア語を同時に扱える“通訳”は、まず見つからない。
長崎奉行所には、オランダ語・中国語の専門家がいるため、それらの言語を介して話し合うのである。

「川路と申す。まずは遠路はるばる大儀にござる。」
「ロシア海軍中将のプチャーチンだ。このたびは皇帝陛下の親書を持ってお伺いした。」
「それは、重ねて大儀なことでござった。」
「わがロシア国は日本と誼(よしみ)を通じ、交易を行いたいと考えている。」
――さっそく、プチャーチンからの“通商”要求が入った。
「日本には“鎖国”という、古来の法がござる。」
「いまや世界に領土を拡大するイギリスが、日本を狙っておりますぞ。」
「ご用件は責任を持ってお伺いする。しかし“我が国”の大事でござるゆえ、軽々しく判断できるものではない。」
話を進めるプチャーチンに対し、川路は慎重に返す。
川路の傍で、経験値の高い筒井が、冷静に様子を伺う。
経過を見て筒井は思った。
「いいぞ、川路。時を稼ぐのだ。」と。
――しばしオランダ語の通訳を介し、やり取りを続けるプチャーチンと川路。
話の展開は、なぜか双方の身の上話となっていた。
「ロシアからの航海は実に長かった。正直に言えば、国にいる妻に早く会いたい…」
「プチャーチン殿には比べようも無いが、私も江戸にいる妻が心配でござる。」
「川路さん!そのように奥様が心配とは!さぞ、お美しい方なのであろうな!」
「…まだ、少々若くてな。」
「ほう、それはご心配でしょう!早く交渉をまとめて、お互いに妻の元に帰りましょう!」
――話の展開が逸れる。筒井は思った。「川路よ…何の話をしておるのだ、これも策であるのか」と。
しかし川路は雑談の中、肝心なポイントは外していなかった。
「色々と掟がござってな。急ぐお気持ちはわかるが、時がかかる。プチャーチン殿の要望は吟味せねばならん。」
「お互いに任務は辛いもののようだ。」
プチャーチンは、川路を気に入ったようだ。少なくとも話すに足る人物とは見たらしい。
――ひとまず、本日の日露交渉はここまでとなった。
経過を見守っていた筒井が、主に交渉を行った川路に問う。
「あのプチャーチンという男、どう見る。」
川路が答える。
「軍人としても一級、言葉や振舞いも丁寧、一角(ひとかど)の人物かと。」
――そして、停泊中のロシア船パルラダ号に帰着するプチャーチン。
艦隊の副官がプチャーチンに問う。
「あの川路という男と、交渉を続ける判断で良いでしょうか。」
プチャーチンが応える。
「川路ならば問題はない。彼はヨーロッパの外交官としても通用するだろう。」
――ペリーと違い、プチャーチンは日本の“表玄関”である長崎に来航している。
佐賀藩の砲台を間近に見て、幕府の役人との交渉では、日本を“国家”として尊重する態度を示した。
「ロシアとは、まともに話し合えておるようじゃな。まずは上々と言ったところか。」
これが佐賀藩主・鍋島直正が考えていた「国と国との話し合いの姿」である。
直正が「“無法者”のペリー艦隊を打払え!」と幕府に極論を述べたのは、正しい外交の姿を目指すゆえであった。
(続く)