2020年05月30日
第10話「蒸気機関」⑩(佐賀の産業革命)
こんばんは。
佐賀藩の理化学研究所“精錬方”(せいれんかた)。
殿・鍋島直正の期待どおり、佐野栄寿(常民)がチームを機能させていきます。今回は、1854年の年明け、ロシアのプチャーチンが長崎を去った直後の話です。
――長崎でロシアとの交渉にあたっていた、幕府の勘定奉行・川路聖謨。
佐賀藩の製砲主任・本島藤太夫に申し入れを行う。
「ロシアとの談判の間、我々を守った“台場”を見せてはもらえぬか。」
「公儀(幕府)にお力添えをいただいた“台場”です。喜んでお見せいたしましょう。」
実際は、ほぼ佐賀藩の独力で作ったのだが、本島は幕府への気遣いも忘れない。
幕府からの借入も含め、台場の築造にかかった費用は、およそ十六万両と言われている。
――川路だけでなく、老中クラスの扱いの筒井も同席している。高位の幕府の役人に、佐賀藩の力を示す好機である。
長崎台場の佐賀藩士たちは、砲術の演習を見せることとなった。
「おおっ、これは見事な。」
築地反射炉で製造した150ポンド砲である。
「では、筒井さま!川路さま!ご高覧あれ!!」

本島は声を張る。佐賀藩の号令はオランダ語である。
「ヒュール!(撃て)」
――ドォン!…爆音とともに、砲弾が標的に飛ぶ。
ほぼ水平に飛んでいく軌道である。
異国船が暴れれば、横っ腹を狙う設計と言ってよい。
ドゴォーン!!
海上に設置した的を破砕する。大きい波しぶきが立つ。
1,500メートルは離れた遠距離の標的に、砲弾が次々に命中する。
大砲の性能もさることながら、佐賀藩の砲兵部隊はよく訓練されていた。
――砲弾は12発中10発の命中。筒井や川路をはじめ、幕府からの参観者が喝采する。
「長崎の守りは、もはや心配なし!」
「肥前佐賀、武威を示す!天晴(あっぱれ)なり!」
のちに川路らが江戸で行った報告により、佐賀藩は幕府から五万両の借金返済を免除される。
長崎台場の築造にかかった費用には遠く及ばないが、名声が高まるのは“武士の誉れ”と言ってよい。
――佐賀城。本島が殿・鍋島直正に報告を行う。

「そうか、本島よ。大儀であった。」
「ははっ!」
「ほう、これは何かのう。」
直正が、報告に添えられた短冊をペラっと捲る。
「殿にお見せするほどのものでは!」
本島、少し慌てる。
――短冊にはこのように綴られていた。
ますら雄が
打つや三五のたまのうらに
砕けぬものはあらじとぞ思ふ
「つい、和歌(うた)を詠んでしまいました。」
本島、その場の勢いで詠んだ一首に照れる。
「瓊浦(たまのうら)と、弾(たま)を掛けたか。お主の誇らしい心持ちがよく伝わるのう。」
直正は、本島の心意気を讃えた。
ちなみに、瓊浦(たまのうら)とは長崎のことである。
――さて、舞台は佐賀城下・多布施に移る。ここには幕府用の反射炉がある。川路の視察は続き、再び本島が案内をする。
「水車か!」
ガラン、ガラン…
多布施川に置かれた水車が廻っている。
「いずれは“蒸気仕掛け”で行いたいのですが、今のところは、“水車(みずぐるま)”にございます。」
この水車小屋は、鉄製大砲の砲身を繰り抜くための工房だった。

――動力源こそ“水力”ではあるが、作業そのものは自動で進む。オートメーション化である。そして、多布施には理化学研究所“精錬方”もある。
コンコン、カン!カン!
「中村さん!これで良いのですか!」
「おおっ、“二代目”はん!上々の出来です。」
科学者・中村奇輔が設計した部品を、二代目“儀右衛門”が手掛ける。
――そして、ドカン!と、作業小屋の近くで轟音がした。
「おい、また爆発しちゃっとるぞ!大丈夫か!」
翻訳に追われる石黒寛次が、突然の轟音に驚く。
「フフフ…石黒さん!何の問題もなか!予定どおりばい…」
「田中さん!ほんまに予定どおりやろな!」
「気にせんでよか。石黒さんは、翻訳ば続けんね!」
――田中久重の不敵な笑み。石黒、度重なる“ドカン!”が気になり、翻訳に集中できない。
「佐野~っ!すごく不安や~」
「心配なかですよ!騒々しかだけです。」
帰ってきた佐野栄寿(常民)。まとめ役となっていた。
「信じるで!ここに居ってもええねんな。」
石黒は、また“翻訳小屋”に引き籠り、洋書と格闘する。
――勘定奉行・川路。“精錬方”の様子が気になるようだ。
「本島どの。向こうも、えらく賑やかだな。」
「あれは“精錬方”にございます。熱心な者たちゆえ、少々騒がしいです。」
本島は、苦笑した。
この頃、日本の近代化を引っ張る“産業革命”は佐賀で進行していた。幕末の佐賀藩には、ヨーロッパの二流国並みの実力はあったと言われている。これは、その始まりの話である。
(第11話「蝦夷探検」に続く)
佐賀藩の理化学研究所“精錬方”(せいれんかた)。
殿・鍋島直正の期待どおり、佐野栄寿(常民)がチームを機能させていきます。今回は、1854年の年明け、ロシアのプチャーチンが長崎を去った直後の話です。
――長崎でロシアとの交渉にあたっていた、幕府の勘定奉行・川路聖謨。
佐賀藩の製砲主任・本島藤太夫に申し入れを行う。
「ロシアとの談判の間、我々を守った“台場”を見せてはもらえぬか。」
「公儀(幕府)にお力添えをいただいた“台場”です。喜んでお見せいたしましょう。」
実際は、ほぼ佐賀藩の独力で作ったのだが、本島は幕府への気遣いも忘れない。
幕府からの借入も含め、台場の築造にかかった費用は、およそ十六万両と言われている。
――川路だけでなく、老中クラスの扱いの筒井も同席している。高位の幕府の役人に、佐賀藩の力を示す好機である。
長崎台場の佐賀藩士たちは、砲術の演習を見せることとなった。
「おおっ、これは見事な。」
築地反射炉で製造した150ポンド砲である。
「では、筒井さま!川路さま!ご高覧あれ!!」

本島は声を張る。佐賀藩の号令はオランダ語である。
「ヒュール!(撃て)」
――ドォン!…爆音とともに、砲弾が標的に飛ぶ。
ほぼ水平に飛んでいく軌道である。
異国船が暴れれば、横っ腹を狙う設計と言ってよい。
ドゴォーン!!
海上に設置した的を破砕する。大きい波しぶきが立つ。
1,500メートルは離れた遠距離の標的に、砲弾が次々に命中する。
大砲の性能もさることながら、佐賀藩の砲兵部隊はよく訓練されていた。
――砲弾は12発中10発の命中。筒井や川路をはじめ、幕府からの参観者が喝采する。
「長崎の守りは、もはや心配なし!」
「肥前佐賀、武威を示す!天晴(あっぱれ)なり!」
のちに川路らが江戸で行った報告により、佐賀藩は幕府から五万両の借金返済を免除される。
長崎台場の築造にかかった費用には遠く及ばないが、名声が高まるのは“武士の誉れ”と言ってよい。
――佐賀城。本島が殿・鍋島直正に報告を行う。

「そうか、本島よ。大儀であった。」
「ははっ!」
「ほう、これは何かのう。」
直正が、報告に添えられた短冊をペラっと捲る。
「殿にお見せするほどのものでは!」
本島、少し慌てる。
――短冊にはこのように綴られていた。
ますら雄が
打つや三五のたまのうらに
砕けぬものはあらじとぞ思ふ
「つい、和歌(うた)を詠んでしまいました。」
本島、その場の勢いで詠んだ一首に照れる。
「瓊浦(たまのうら)と、弾(たま)を掛けたか。お主の誇らしい心持ちがよく伝わるのう。」
直正は、本島の心意気を讃えた。
ちなみに、瓊浦(たまのうら)とは長崎のことである。
――さて、舞台は佐賀城下・多布施に移る。ここには幕府用の反射炉がある。川路の視察は続き、再び本島が案内をする。
「水車か!」
ガラン、ガラン…
多布施川に置かれた水車が廻っている。
「いずれは“蒸気仕掛け”で行いたいのですが、今のところは、“水車(みずぐるま)”にございます。」
この水車小屋は、鉄製大砲の砲身を繰り抜くための工房だった。

――動力源こそ“水力”ではあるが、作業そのものは自動で進む。オートメーション化である。そして、多布施には理化学研究所“精錬方”もある。
コンコン、カン!カン!
「中村さん!これで良いのですか!」
「おおっ、“二代目”はん!上々の出来です。」
科学者・中村奇輔が設計した部品を、二代目“儀右衛門”が手掛ける。
――そして、ドカン!と、作業小屋の近くで轟音がした。
「おい、また爆発しちゃっとるぞ!大丈夫か!」
翻訳に追われる石黒寛次が、突然の轟音に驚く。
「フフフ…石黒さん!何の問題もなか!予定どおりばい…」
「田中さん!ほんまに予定どおりやろな!」
「気にせんでよか。石黒さんは、翻訳ば続けんね!」
――田中久重の不敵な笑み。石黒、度重なる“ドカン!”が気になり、翻訳に集中できない。
「佐野~っ!すごく不安や~」
「心配なかですよ!騒々しかだけです。」
帰ってきた佐野栄寿(常民)。まとめ役となっていた。
「信じるで!ここに居ってもええねんな。」
石黒は、また“翻訳小屋”に引き籠り、洋書と格闘する。
――勘定奉行・川路。“精錬方”の様子が気になるようだ。
「本島どの。向こうも、えらく賑やかだな。」
「あれは“精錬方”にございます。熱心な者たちゆえ、少々騒がしいです。」
本島は、苦笑した。
この頃、日本の近代化を引っ張る“産業革命”は佐賀で進行していた。幕末の佐賀藩には、ヨーロッパの二流国並みの実力はあったと言われている。これは、その始まりの話である。
(第11話「蝦夷探検」に続く)