2020年05月13日
第10話「蒸気機関」①
こんばんは。
今回より第10話です。ペリーやプチャーチンが来航した2年ほど前に遡ります。
1851年、舞台は佐賀城下です。
――江戸で師匠・伊東玄朴に破門された、佐野栄寿(常民)。
佐野は大事な“蘭学辞書”を質入れする事件を起こした。原因は、資金の用立てを失敗したことである。
そして“資金繰り”の失敗の内訳を知るのは佐野だけ…
――佐野の頭には、江戸での日々が浮かぶ。
散々に議論を交わした“尊王の志士”たち。
「あれは、いかんかった…無駄金を使い過ぎたばい。」
技術人材を発掘するつもりが、うっかり尊王活動の人脈に入り込んでいた。
そして、江戸に住む長屋の子供たちも思い出した。
「いや、あれは良かことをした!何の悔いもなか!」
しかし、医療と奉仕の精神で…こちらは少々、良い人が過ぎたようだ。
――たしかに江戸では色々とあった。回想の中、“京ことば”が聞こえる…
「佐野はん!どうしはったんですか!」
声の主は中村奇輔。京都生まれの科学者である。
「そうや、ボーッとしおって!」
石黒寛次。丹後田辺(舞鶴)の出身、蘭学者である。
「これは…いかんばい。ちょっと考え事を…」
佐野が正気を取り戻した。

たしかに江戸では失敗した。
しかし、京都で得た学友を、佐賀に連れて来ることができた。中村は科学者として成長している、石黒も技術系の翻訳に強い蘭学者だ。
――場所は佐賀城下であるが、耳慣れない“関西弁”が続く。
まず舞鶴出身の蘭学者・石黒が、佐野の言葉遣いの変化に気付いた。
「佐野…なんや言葉が、京に居(お)るときとちゃうな!」
石黒が言うように、佐野からは“よそ行き”の感じが失せている。
「佐賀に戻ったからでしょうか。万事、お任せあれ!」
佐野栄寿、妙なカラ元気を振りまく。
「まぁ…アテにしとるで。他に頼れるもんも居らんし。」
石黒も誘いに応じて佐賀まで来たが、不安が無いと言えば嘘になるだろう。
――ある屋敷の門前。年のころ70歳ぐらいの老人が出迎える。
「お待ちしておりました。」
人の良さそうな印象の老人が、佐野と挨拶を交わす。
「もしや御身も、蘭学を学ばれた方ですか。」
京の科学者・中村が、出迎えた老人に興味を示す。
「さほどのことはございません。ささっ、お入りなされ。」
中村の見立てどおり、老人はかつて長崎御番を務めた“蘭学じじい”である。
「では、参りましょう!」
そして佐野が、関西から来た2人を引っ張っていく。

――屋敷の中。えらく風格のある50代ぐらいの武士が待つ。
「ご隠居さま。京よりお越しになった、中村さま、石黒さまをお連れしました。」
“蘭学じじい”が声掛けをする。
「待ちかねておった、入るがよい。」
武雄のご隠居・鍋島茂義である。
「殿や!きっとお殿様や!中村っ、頭が高いで!」
石黒の反応が妙に早く、佐野は説明の機会を逸した。
「まぁ、失礼の無いように振る舞っていただければ…」
佐野が苦笑する。
――茂義は、武雄領のご隠居(前領主)である。殿・鍋島直正からは蒸気機関の研究の指示を受けている。
「儂は、ただの隠居じゃ!気を遣うでない!」
鍋島茂義。言ってる傍から、ただ者ではないオーラを発する。
「ははーっ!」
石黒、ひとまず”殿”と考えておけば間違いないと判断している様子だ。
「ご隠居さまも、蘭学をなさるのですか。」
一方で科学者・中村は、普通に茂義と話し始めている。
「儂も蘭癖(西洋かぶれ)でな。“蒸気機関”に興味がある。」
「“蒸気機関”ですか!蘭書で読んだことがあります。」
中村は、佐賀の地に関心を持った。なにせ蘭学の気配がする人物が次々に現れる。
――武雄のご隠居・茂義が、科学者・中村と“蒸気機関”について熱く語る。佐野が場を仕切る必要もなさそうだ。
「石黒さん!そがん控えてなくても、よかですよ。」
佐野が、石黒に面(おもて)を上げるよう促す。
「佐野…また、言葉が“さがんもん”になっちゃっとる…」
石黒は話に乗り遅れて、少しさびしいようだ。
「先に中村さんが、佐賀に馴染んでくれたら、よかですね。」
「おう…そうやな。」
(続く)
今回より第10話です。ペリーやプチャーチンが来航した2年ほど前に遡ります。
1851年、舞台は佐賀城下です。
――江戸で師匠・伊東玄朴に破門された、佐野栄寿(常民)。
佐野は大事な“蘭学辞書”を質入れする事件を起こした。原因は、資金の用立てを失敗したことである。
そして“資金繰り”の失敗の内訳を知るのは佐野だけ…
――佐野の頭には、江戸での日々が浮かぶ。
散々に議論を交わした“尊王の志士”たち。
「あれは、いかんかった…無駄金を使い過ぎたばい。」
技術人材を発掘するつもりが、うっかり尊王活動の人脈に入り込んでいた。
そして、江戸に住む長屋の子供たちも思い出した。
「いや、あれは良かことをした!何の悔いもなか!」
しかし、医療と奉仕の精神で…こちらは少々、良い人が過ぎたようだ。
――たしかに江戸では色々とあった。回想の中、“京ことば”が聞こえる…
「佐野はん!どうしはったんですか!」
声の主は中村奇輔。京都生まれの科学者である。
「そうや、ボーッとしおって!」
石黒寛次。丹後田辺(舞鶴)の出身、蘭学者である。
「これは…いかんばい。ちょっと考え事を…」
佐野が正気を取り戻した。

たしかに江戸では失敗した。
しかし、京都で得た学友を、佐賀に連れて来ることができた。中村は科学者として成長している、石黒も技術系の翻訳に強い蘭学者だ。
――場所は佐賀城下であるが、耳慣れない“関西弁”が続く。
まず舞鶴出身の蘭学者・石黒が、佐野の言葉遣いの変化に気付いた。
「佐野…なんや言葉が、京に居(お)るときとちゃうな!」
石黒が言うように、佐野からは“よそ行き”の感じが失せている。
「佐賀に戻ったからでしょうか。万事、お任せあれ!」
佐野栄寿、妙なカラ元気を振りまく。
「まぁ…アテにしとるで。他に頼れるもんも居らんし。」
石黒も誘いに応じて佐賀まで来たが、不安が無いと言えば嘘になるだろう。
――ある屋敷の門前。年のころ70歳ぐらいの老人が出迎える。
「お待ちしておりました。」
人の良さそうな印象の老人が、佐野と挨拶を交わす。
「もしや御身も、蘭学を学ばれた方ですか。」
京の科学者・中村が、出迎えた老人に興味を示す。
「さほどのことはございません。ささっ、お入りなされ。」
中村の見立てどおり、老人はかつて長崎御番を務めた“蘭学じじい”である。
「では、参りましょう!」
そして佐野が、関西から来た2人を引っ張っていく。

――屋敷の中。えらく風格のある50代ぐらいの武士が待つ。
「ご隠居さま。京よりお越しになった、中村さま、石黒さまをお連れしました。」
“蘭学じじい”が声掛けをする。
「待ちかねておった、入るがよい。」
武雄のご隠居・鍋島茂義である。
「殿や!きっとお殿様や!中村っ、頭が高いで!」
石黒の反応が妙に早く、佐野は説明の機会を逸した。
「まぁ、失礼の無いように振る舞っていただければ…」
佐野が苦笑する。
――茂義は、武雄領のご隠居(前領主)である。殿・鍋島直正からは蒸気機関の研究の指示を受けている。
「儂は、ただの隠居じゃ!気を遣うでない!」
鍋島茂義。言ってる傍から、ただ者ではないオーラを発する。
「ははーっ!」
石黒、ひとまず”殿”と考えておけば間違いないと判断している様子だ。
「ご隠居さまも、蘭学をなさるのですか。」
一方で科学者・中村は、普通に茂義と話し始めている。
「儂も蘭癖(西洋かぶれ)でな。“蒸気機関”に興味がある。」
「“蒸気機関”ですか!蘭書で読んだことがあります。」
中村は、佐賀の地に関心を持った。なにせ蘭学の気配がする人物が次々に現れる。
――武雄のご隠居・茂義が、科学者・中村と“蒸気機関”について熱く語る。佐野が場を仕切る必要もなさそうだ。
「石黒さん!そがん控えてなくても、よかですよ。」
佐野が、石黒に面(おもて)を上げるよう促す。
「佐野…また、言葉が“さがんもん”になっちゃっとる…」
石黒は話に乗り遅れて、少しさびしいようだ。
「先に中村さんが、佐賀に馴染んでくれたら、よかですね。」
「おう…そうやな。」
(続く)