2020年05月27日

第10話「蒸気機関」⑧

こんばんは。前回の続きです。
1853年黒船来航の年に、佐野栄寿(常民)の運命も大きく動きます。


――年の暮れも押し迫った佐野の蘭学塾。

「うー、長崎は寒かね~」

佐野は塾を休講にしていた。
本日は佐賀藩士で、大砲鋳造を担う本島藤太夫が来訪する約束である。


――すると深く編笠をかぶった武士が現れる。その周りには、数人の侍がいた。

いずれも佐賀城下で見たことのある顔ぶれだ。

佐野どの!」
傍らにいた本島が、佐野に声を掛ける。

「ささっ狭い所ですが、どうぞ」
佐野はひとまず、一行を塾の中へと案内した。


――蘭学塾の玄関に進む“客人”。数人の侍は身辺警護の者らしい。

ここで編笠の武士が正体を明かす。
佐野栄寿よ!突然、押しかけて済まぬの。」

「と…殿お知らせいただければ、少しは支度を整えましたものを。」
佐野が、大急ぎでその場に控える。


――編笠の武士は、佐賀藩主鍋島直正だった。

「良い、気遣いは無用じゃ!お主の“蘭学塾”を見ておきたくてな。」
直正は、佐賀藩警備体制を敷く、ロシア船来航の情勢を見分するため、長崎に来ていた。

が来るとなれば、途端に仰々しくなっていかん。」
直正は軽く笑って“お忍び”で来た理由を語る。


――もともと佐野は城に蘭学の講義に出向くこともあった。殿と話をすることには慣れている。

佐野よ!台場の者が、そなたの医術に救われたと聞くぞ。」
「はっ!全力を尽くしました。」

お主の見事な働き、感じ入った!」
もったいなきお言葉!」

殿鍋島直正から活躍を絶賛される、佐野栄寿

感激のあまり涙目で、これからの決意を語る。
「ますます医術精進し、この大きくしたいと存じます!」

ならぬ!
「ありがたき幸せ…えっ!?


――佐野状況がよく飲み込めない。殿・直正は自分の医術を認めてくれたはず。

直正は、豆鉄砲でもくらったような表情をする佐野に言葉を続ける。
お主は、佐賀戻るのだ。」

「はっ…恐れながら、に粗相(そそう)がございましたでしょうか。」
佐野は、何が直正の機嫌を損ねたのかと訝(いぶか)しがった。

直正は、軽く笑みを浮かべる。
心得違いをしておらぬか。機嫌は頗(すこぶ)る良いぞ。」
「では、何故でございますか。」

お主が要るゆえ、佐賀に戻れと申したのだ。」
医者が、ご入用なのですか?」

「たしかにお主医術は惜しいが、もしとなれば、いかな名医とて全ての者を救うことはできまい。」


――黒船来航の年。海外事情に通じた直正だったが、さらに危機が眼前にあると認識していた。

時が無いのだ。夷狄(いてき)に侮られぬよう、備えを進めねばならん。」


ここで直正が“夷狄”と呼ぶのは、無法な振舞いをする異国のことである。
が…いえ、異国が迫ってきていると。」

――佐野は“戦”という言葉を飲み込んだ。西洋列強との技術力の差は見えている。そして「はっ!」と、直正の真意に気付いた

お主が集めてきた者たちは、其々優れておる。しかし束ねる者が居らねば、器は成せぬ。」

直正の期待に応え、佐野科学者・中村奇輔や技術者・田中久重を連れてきたが、今のところ成果は出ていない。

力を与えよ。お主は“精錬方”をまとめるのだ。」
「…殿仰せとあらば!」

こうして佐野新しい道に踏み出すことになった。
個性的な科学者・翻訳家・技術者の力をまとめて、結果を出すことが佐野の任務となったのである。


(続く)  


Posted by SR at 22:06 | Comments(0) | 第10話「蒸気機関」