2020年05月19日
第10話「蒸気機関」④
こんばんは。
少々バテ気味ではありますが、いつもご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
さて、日本の科学技術力が、相対的に低下したと言われる昨今です。
いまや学術研究にも見栄えのする成果が求められがちで、地道な研究が評価されない傾向もあるようです。
幕末の名君・鍋島直正は、基礎研究や試行錯誤を大事にしたトップと言ってよいでしょう。
佐賀で研究者・技術者たちが、文字通り命を賭けた技術開発は、のちに日本の近代化につながっていきます。
――1853年夏、長崎。佐野栄寿(常民)が立ち上げた、蘭学塾。
京都から“精錬方”に就職した、科学者・中村奇輔が尋ねてくる。
「佐野はん、お邪魔します。」
「やぁ、中村さん。“精錬方”は順調ですか?」
佐野が笑顔で出迎える。
長崎の塾では“蘭方医”も兼ねているので、再びキレイな丸坊主にしてみた。
「それがやな…」
中村の表情が少しひきつる。
「えっ、何かあったんですか!?」
佐野は、蘭学塾の運営に夢中で、最近の情勢に疎くなっていた。

――1か月ほど前、ペリー来航の衝撃が冷めやらぬ佐賀城内。
「殿!公儀(幕府)より石火矢(大砲)の御用を命ぜられました!」
重臣・鍋島夏雲(市佑)が報告する。日記など几帳面に記録を残すタイプの人である。
「これは名誉なことにござる。直ちに支度を!」
側近の1人・原田小四郎である。
殿・鍋島直正と、重臣たちが集まって話をしている。
――いわゆる保守派の家来たちも、幕府の命令で大砲を造ることに異論はない。むしろ幕府の評価は気になるので、積極的でさえある。
「殿!公儀(幕府)御用の製作所はいずこに設けましょう。」
「少し前に、安房とも話おうていたが“多布施”であろうな。」
“精錬方”と近い立地を考えていた直正。
「多布施でございますか。」
「これを機に“精錬方”を、石火矢(大砲)の御用にお取込みなさっては。」
勘定方に近しい重臣からの提案である。
――耳ざわりは良い表現だが、“精錬方”の吸収合併、もっと言えば“廃止”を提案している。
「厳しく申し上げれば、かの“精錬方”、今のところ何も産み出してはおりません。」
側近の原田も同調する。
「左様にござる。余所者(よそもの)が多く、まとまりに欠ける感もございます。」
さらに保守派の宿老が畳みかける。
これから幕府の発注に対応する“反射炉”をもう1つ造るのだ。たしかに資金繰りは難しい。
――公式な会議として設定した場ではないが、話の行きがかり上、殿・鍋島直正は孤立した。
藩のナンバー2・鍋島安房は他事でこの場におらず、頼れる“義兄上”・鍋島茂義も武雄に戻っている。

そして、蘭学に通じた“長崎御番”の主力たちは、ロシアのプチャーチン来航を受けて、出払っている。
直正、この場は1人で収拾を付けることにした。
「皆の者、よく聞け!」
「はっ!」
原田小四郎は頑固ではあるが、忠義者である。
殿が何か言葉を発すると見れば、しっかり傾聴する。
――他の重臣たちも一斉に、直正の発言に注目する。
「“精錬方”は…」
皆が固唾をのんで、直正を見つめる。多額の資金を使う“大事業”の行方は…
「余の…」
思い切り間を取り、溜めをつくる直正。
「…いかに」
重臣たちに緊張が走る。
――そして急激に間を詰め、直正が言い放った。
「道楽じゃ!口を挟むでない!」
「…はっ…」
呆気に取られる重臣たち。まさか“余の道楽”で一蹴されるとは…
「ははーっ!殿がそこまで仰せならば!」
原田小四郎、殿の決意が通じたのか…なぜか得心が言ったらしい。
こうして、直正は一瞬で場の空気を掴むことに成功した。
――何とか“精錬方”は存続の危機を乗り越えた。いわば殿の政策決定による“特別予算”のような扱いである。

中村奇輔は息を切らせながら、佐野栄寿に以上の事柄を一気に説明した。
「佐野…水もろうてもええか。」
中村、のどが渇いたらしい。
「…すぐ持ってきます。」
そして、佐野は蘭学塾の奥にある井戸まで、水を汲みにいったのである。
(続く)
少々バテ気味ではありますが、いつもご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
さて、日本の科学技術力が、相対的に低下したと言われる昨今です。
いまや学術研究にも見栄えのする成果が求められがちで、地道な研究が評価されない傾向もあるようです。
幕末の名君・鍋島直正は、基礎研究や試行錯誤を大事にしたトップと言ってよいでしょう。
佐賀で研究者・技術者たちが、文字通り命を賭けた技術開発は、のちに日本の近代化につながっていきます。
――1853年夏、長崎。佐野栄寿(常民)が立ち上げた、蘭学塾。
京都から“精錬方”に就職した、科学者・中村奇輔が尋ねてくる。
「佐野はん、お邪魔します。」
「やぁ、中村さん。“精錬方”は順調ですか?」
佐野が笑顔で出迎える。
長崎の塾では“蘭方医”も兼ねているので、再びキレイな丸坊主にしてみた。
「それがやな…」
中村の表情が少しひきつる。
「えっ、何かあったんですか!?」
佐野は、蘭学塾の運営に夢中で、最近の情勢に疎くなっていた。

――1か月ほど前、ペリー来航の衝撃が冷めやらぬ佐賀城内。
「殿!公儀(幕府)より石火矢(大砲)の御用を命ぜられました!」
重臣・鍋島夏雲(市佑)が報告する。日記など几帳面に記録を残すタイプの人である。
「これは名誉なことにござる。直ちに支度を!」
側近の1人・原田小四郎である。
殿・鍋島直正と、重臣たちが集まって話をしている。
――いわゆる保守派の家来たちも、幕府の命令で大砲を造ることに異論はない。むしろ幕府の評価は気になるので、積極的でさえある。
「殿!公儀(幕府)御用の製作所はいずこに設けましょう。」
「少し前に、安房とも話おうていたが“多布施”であろうな。」
“精錬方”と近い立地を考えていた直正。
「多布施でございますか。」
「これを機に“精錬方”を、石火矢(大砲)の御用にお取込みなさっては。」
勘定方に近しい重臣からの提案である。
――耳ざわりは良い表現だが、“精錬方”の吸収合併、もっと言えば“廃止”を提案している。
「厳しく申し上げれば、かの“精錬方”、今のところ何も産み出してはおりません。」
側近の原田も同調する。
「左様にござる。余所者(よそもの)が多く、まとまりに欠ける感もございます。」
さらに保守派の宿老が畳みかける。
これから幕府の発注に対応する“反射炉”をもう1つ造るのだ。たしかに資金繰りは難しい。
――公式な会議として設定した場ではないが、話の行きがかり上、殿・鍋島直正は孤立した。
藩のナンバー2・鍋島安房は他事でこの場におらず、頼れる“義兄上”・鍋島茂義も武雄に戻っている。

そして、蘭学に通じた“長崎御番”の主力たちは、ロシアのプチャーチン来航を受けて、出払っている。
直正、この場は1人で収拾を付けることにした。
「皆の者、よく聞け!」
「はっ!」
原田小四郎は頑固ではあるが、忠義者である。
殿が何か言葉を発すると見れば、しっかり傾聴する。
――他の重臣たちも一斉に、直正の発言に注目する。
「“精錬方”は…」
皆が固唾をのんで、直正を見つめる。多額の資金を使う“大事業”の行方は…
「余の…」
思い切り間を取り、溜めをつくる直正。
「…いかに」
重臣たちに緊張が走る。
――そして急激に間を詰め、直正が言い放った。
「道楽じゃ!口を挟むでない!」
「…はっ…」
呆気に取られる重臣たち。まさか“余の道楽”で一蹴されるとは…
「ははーっ!殿がそこまで仰せならば!」
原田小四郎、殿の決意が通じたのか…なぜか得心が言ったらしい。
こうして、直正は一瞬で場の空気を掴むことに成功した。
――何とか“精錬方”は存続の危機を乗り越えた。いわば殿の政策決定による“特別予算”のような扱いである。

中村奇輔は息を切らせながら、佐野栄寿に以上の事柄を一気に説明した。
「佐野…水もろうてもええか。」
中村、のどが渇いたらしい。
「…すぐ持ってきます。」
そして、佐野は蘭学塾の奥にある井戸まで、水を汲みにいったのである。
(続く)