2020年05月15日
第10話「蒸気機関」②
こんばんは。
前回、佐賀に登場した関西出身の2人。
中村奇輔、石黒寛次は、京都の蘭学塾“時習堂”で、佐野栄寿(常民)と同門でした。
参考:第7話「尊王義祭」⑩、第8話「黒船来航」③
同時期の話に、50歳にして“時習堂”に入門した、からくり技師(機械技術者)も登場しています。
久留米出身の田中久重。通称“からくり儀右衛門”とも呼ばれる人物です。
――佐野栄寿が、スカウトした技術人材が次々と佐賀に到着する。
「田中どの!お久しゅうござる。」
「おおっ、佐野どのか!久しかのう!」
田中久重は、佐賀に近い久留米(福岡)の生まれである。
年相応の白髭を生やすが、その目は好奇心で活き活きとしている。
故郷の久留米ではないものの、九州に戻ってきた喜びも感じられる。
――上方(京・大坂)では、田中は“からくり儀右衛門”として、寺社の門前などで興業も行っていた。

田中久重の作った精妙な作品は人々を引き付けた。
「人形が弓を曳いたり、筆で文字を書くよ!」
「森羅万象を示し、万年を刻む時鐘(時計)だ!」
「尽きることなく、闇を照らす…無尽灯(むじんとう)だ!」
…このように芝居のような呼び込みまで行われ、既に上方では有名人だったのである。
――佐野の友達の1人、舞鶴出身の蘭学者・石黒寛次。田中久重に声をかける。
「おおっ!“儀右衛門”どの!久方ぶりやないですか。」
「はいっ!」
なぜか、田中久重に同行している男が返事をする。
「ん…何やろ!?」
違和感を感じる、石黒。
「“儀右衛門”どの!」
石黒は、もう1度呼び掛けてみた。
「はっ!何でしょう。」
また、田中久重に同行している男が反応する。
――「ハッハッハ…!」豪快に笑う、田中久重。
「ご紹介しよう!“二代目・からくり儀右衛門”。ワシの後継ぎだ。」
同行していた男は、田中久重の養子。
田中の精妙な作品には欠かせない、練達の金属加工技術者である。
「申し遅れました。田中の跡取りで“儀右衛門”でございます。」
「ほう、“二代目”やったんか。よろしくな。」
石黒が挨拶を返した。
――佐野栄寿。一度は別れた、京都での仲間たちの集結に感無量である。

「ウッ…ウッ!」
佐野栄寿。急に声を詰まらせる。
「佐野はん!どうしはりましたか?」
いつの間にか合流していた、科学者・中村奇輔が様子を伺う。
「皆さま…遠路はるばる…」
このタイミングで感激のあまり涙を流す、佐野。
佐野の呼びかけに応じてくれた仲間たち。しかも地元・佐賀に集まってくれた。涙もろい佐野が泣くには、充分な条件が揃った。
――佐野は、のちに「泣きの常民」とまで言われる。
「おい、おい…佐野、泣いとるで。」
蘭学者・石黒は、反応に困っている。
「佐野はん!次の仕切りを考えなあきまへんで。」
科学者・中村が、話の収拾に着手する。
「ヒック…そうでした…。」
佐野栄寿、ひと泣きして落ち着いた様子だ。
――佐賀藩は伝統的に、“余所者(よそもの)”の受入に厳しい。
長崎では、海外の技術習得に熱心な佐賀藩。
しかし、国内での他藩との交流には、極めて慎重だった。
幕府の海外への“鎖国”と併せて、佐賀の国内への“二重鎖国”と形容されるほどだ。
これには諸説あるようだが、陶磁器などの技術流出を警戒したためとも言われる。
中村が気づいた。
「そこで、あの“ご隠居”さまの、お力添えがある…」
すっかり落ち着いた佐野が答える。
「そがんです!何せ“ご隠居”さまは、人徳のあるお方ですので…」
――たとえ殿の意向があっても、佐賀藩内の保守派は、“余所者”の受入れには難色を示すだろう。
そのため“外部人材”を採用する準備は水面下で進んでいた。
武雄のご隠居・鍋島茂義が動く。
「“役者”が揃ったようだな。では、殿のご機嫌を伺ってくるとするか。」
「行ってらっしゃいませ。殿も、良い知らせをお待ちかねでしょう。」
今回の人材集めの調整役でもあった“蘭学じじい”が見送る。
――そして、殿・鍋島直正は、佐賀藩の理化学研究所「精錬方」を立ち上げる。この翌年(1852年)のことである。
(続く)
前回、佐賀に登場した関西出身の2人。
中村奇輔、石黒寛次は、京都の蘭学塾“時習堂”で、佐野栄寿(常民)と同門でした。
参考:
同時期の話に、50歳にして“時習堂”に入門した、からくり技師(機械技術者)も登場しています。
久留米出身の田中久重。通称“からくり儀右衛門”とも呼ばれる人物です。
――佐野栄寿が、スカウトした技術人材が次々と佐賀に到着する。
「田中どの!お久しゅうござる。」
「おおっ、佐野どのか!久しかのう!」
田中久重は、佐賀に近い久留米(福岡)の生まれである。
年相応の白髭を生やすが、その目は好奇心で活き活きとしている。
故郷の久留米ではないものの、九州に戻ってきた喜びも感じられる。
――上方(京・大坂)では、田中は“からくり儀右衛門”として、寺社の門前などで興業も行っていた。
田中久重の作った精妙な作品は人々を引き付けた。
「人形が弓を曳いたり、筆で文字を書くよ!」
「森羅万象を示し、万年を刻む時鐘(時計)だ!」
「尽きることなく、闇を照らす…無尽灯(むじんとう)だ!」
…このように芝居のような呼び込みまで行われ、既に上方では有名人だったのである。
――佐野の友達の1人、舞鶴出身の蘭学者・石黒寛次。田中久重に声をかける。
「おおっ!“儀右衛門”どの!久方ぶりやないですか。」
「はいっ!」
なぜか、田中久重に同行している男が返事をする。
「ん…何やろ!?」
違和感を感じる、石黒。
「“儀右衛門”どの!」
石黒は、もう1度呼び掛けてみた。
「はっ!何でしょう。」
また、田中久重に同行している男が反応する。
――「ハッハッハ…!」豪快に笑う、田中久重。
「ご紹介しよう!“二代目・からくり儀右衛門”。ワシの後継ぎだ。」
同行していた男は、田中久重の養子。
田中の精妙な作品には欠かせない、練達の金属加工技術者である。
「申し遅れました。田中の跡取りで“儀右衛門”でございます。」
「ほう、“二代目”やったんか。よろしくな。」
石黒が挨拶を返した。
――佐野栄寿。一度は別れた、京都での仲間たちの集結に感無量である。

「ウッ…ウッ!」
佐野栄寿。急に声を詰まらせる。
「佐野はん!どうしはりましたか?」
いつの間にか合流していた、科学者・中村奇輔が様子を伺う。
「皆さま…遠路はるばる…」
このタイミングで感激のあまり涙を流す、佐野。
佐野の呼びかけに応じてくれた仲間たち。しかも地元・佐賀に集まってくれた。涙もろい佐野が泣くには、充分な条件が揃った。
――佐野は、のちに「泣きの常民」とまで言われる。
「おい、おい…佐野、泣いとるで。」
蘭学者・石黒は、反応に困っている。
「佐野はん!次の仕切りを考えなあきまへんで。」
科学者・中村が、話の収拾に着手する。
「ヒック…そうでした…。」
佐野栄寿、ひと泣きして落ち着いた様子だ。
――佐賀藩は伝統的に、“余所者(よそもの)”の受入に厳しい。
長崎では、海外の技術習得に熱心な佐賀藩。
しかし、国内での他藩との交流には、極めて慎重だった。
幕府の海外への“鎖国”と併せて、佐賀の国内への“二重鎖国”と形容されるほどだ。
これには諸説あるようだが、陶磁器などの技術流出を警戒したためとも言われる。
中村が気づいた。
「そこで、あの“ご隠居”さまの、お力添えがある…」
すっかり落ち着いた佐野が答える。
「そがんです!何せ“ご隠居”さまは、人徳のあるお方ですので…」
――たとえ殿の意向があっても、佐賀藩内の保守派は、“余所者”の受入れには難色を示すだろう。
そのため“外部人材”を採用する準備は水面下で進んでいた。
武雄のご隠居・鍋島茂義が動く。
「“役者”が揃ったようだな。では、殿のご機嫌を伺ってくるとするか。」
「行ってらっしゃいませ。殿も、良い知らせをお待ちかねでしょう。」
今回の人材集めの調整役でもあった“蘭学じじい”が見送る。
――そして、殿・鍋島直正は、佐賀藩の理化学研究所「精錬方」を立ち上げる。この翌年(1852年)のことである。
(続く)