2020年05月25日
第10話「蒸気機関」⑦
こんばんは。
長崎に停泊中のロシア船に招かれ、蒸気機関車の模型を見ることができた中村奇輔。しかし、“蒸気機関”の構造は見通せないままでした。
――長崎。ひとまず佐野栄寿(常民)の蘭学塾に戻る、中村奇輔。
「おおっ、中村さん!“蒸気機関”は、どがんでしたか!」
「佐野はん…大見得を切って出てったのに、情けない!」
蘭学塾の玄関に入るやいなや、中村が悔しそうな表情を露(あら)わにする。
「ほんまやったら、仕組みがわかるまで…噛り付いてでも見続けたかった…」
見学を許されたとはいえ、ロシア艦隊の船上である。
中村は“物珍しい機関車に喜ぶ人”を装い、何とか構造を理解しようと努めた。

しかし、外国船の艦上であまりおかしな行動を取ることもできない。その場の勢いで「もっと機関車を見せて!」とリクエストできるのは、数回が限度だ。
――佐野栄寿、涙目で悔しがる中村にもらい泣きをする。
「悔しかね…、悔しかごたね…」
佐野、とても共感力が高い様子だ。
その時、中村が、自分たちの様子を見守る“第三者”の存在に気付く。
「まぁ、頑張んまっし!」
「…どなたか存じまへんが、ありがとうございます。」
――中村、まだ名前も知らない相手からも励まされた。
「渡辺さん!来てたんですか!」
佐野が声を掛ける。この“第三者”の名は、渡辺卯三郎という。
加賀(石川)の出身である。大坂の適塾で、佐野とは旧知の間柄だ。
この渡辺卯三郎も適塾で、塾頭(運営代表)を務めるほどの秀才である。佐野が蘭学塾を開いていると知り、遠く長崎まで足を運んでいた。

――そして、季節は秋から冬に移ろう。ロシア艦隊を巡る不足の事態に備え、佐賀藩の長崎警備は続いていた。
蘭学塾の門前で、佐賀藩士たちが騒がしい。
「伊東と申す!急ぎ佐野どのにお会いしたい!」
「はい、何かご用ですやろか。」
塾から出てきたのは、中村奇輔である。まだ長崎に滞在し、参考になりそうな洋書を探している。
「佐野どのは居られるか!この者を助けてほしいのだ!」
長崎台場の責任者・伊東次兵衛が、急患となった部下を担ぎこんできた。
高熱でうなされる佐賀藩士、永渕という名である。担架のような板で運ばれている。
「ううっ…」
「永渕、気を確かに持て!蘭方の先生が診てくれるぞ!」
伊東は苦しむ部下を励ます。
――偶然だが“伊東”という名の人物が、医者・佐野栄寿に救いを求めてきた。
江戸での師匠・伊東玄朴のことが、ふと頭をよぎる。
佐野には医術の教えを受け、病気から救ってもらった恩人を、裏切ってしまった過去がある。
「たしか“伊東さま”と、おっしゃいましたね。」
「いかにも。長崎の台場を受け持つ、伊東次兵衛と申す。」
佐野は、1つ深呼吸をして心の中でつぶやいた。
「玄朴先生…不肖の弟子、佐野栄寿。まだ“医の道”をあきらめてはおりません…」

――その時、佐野栄寿は、医者の顔に戻っていた。苦しむ患者に、佐野は声を掛けた。
「ううっ…う…」
「永渕さん…と言いましたね。もう大丈夫です。」
江戸の伊東玄朴に教えを受け、大坂の緒方洪庵の適塾で学び、紀州(和歌山)で華岡流の麻酔も研修した。佐野は、当時、最先端クラスの医術を修業していたのである。
「渡辺さん!手を貸してください!」
佐野は、適塾から来た旧友・渡辺卯三郎に手伝いを求めた。
「いま…支度しとるがや…」
言われる間でもなく、渡辺は準備を始めていた。
「助かります。」
気迫に満ちた、佐野の治療が始まった。
――治療の間、手出しのできない科学者・中村奇輔は、遠巻きに様子を眺める。
「佐野はん!格好よろしいなぁ。負けてられまへん!」
これから、中村は佐賀の“精錬方”に戻る。医師・佐野栄寿の活躍は、中村の研究への情熱を呼び起こしていた。
(続く)
長崎に停泊中のロシア船に招かれ、蒸気機関車の模型を見ることができた中村奇輔。しかし、“蒸気機関”の構造は見通せないままでした。
――長崎。ひとまず佐野栄寿(常民)の蘭学塾に戻る、中村奇輔。
「おおっ、中村さん!“蒸気機関”は、どがんでしたか!」
「佐野はん…大見得を切って出てったのに、情けない!」
蘭学塾の玄関に入るやいなや、中村が悔しそうな表情を露(あら)わにする。
「ほんまやったら、仕組みがわかるまで…噛り付いてでも見続けたかった…」
見学を許されたとはいえ、ロシア艦隊の船上である。
中村は“物珍しい機関車に喜ぶ人”を装い、何とか構造を理解しようと努めた。
しかし、外国船の艦上であまりおかしな行動を取ることもできない。その場の勢いで「もっと機関車を見せて!」とリクエストできるのは、数回が限度だ。
――佐野栄寿、涙目で悔しがる中村にもらい泣きをする。
「悔しかね…、悔しかごたね…」
佐野、とても共感力が高い様子だ。
その時、中村が、自分たちの様子を見守る“第三者”の存在に気付く。
「まぁ、頑張んまっし!」
「…どなたか存じまへんが、ありがとうございます。」
――中村、まだ名前も知らない相手からも励まされた。
「渡辺さん!来てたんですか!」
佐野が声を掛ける。この“第三者”の名は、渡辺卯三郎という。
加賀(石川)の出身である。大坂の適塾で、佐野とは旧知の間柄だ。
この渡辺卯三郎も適塾で、塾頭(運営代表)を務めるほどの秀才である。佐野が蘭学塾を開いていると知り、遠く長崎まで足を運んでいた。

――そして、季節は秋から冬に移ろう。ロシア艦隊を巡る不足の事態に備え、佐賀藩の長崎警備は続いていた。
蘭学塾の門前で、佐賀藩士たちが騒がしい。
「伊東と申す!急ぎ佐野どのにお会いしたい!」
「はい、何かご用ですやろか。」
塾から出てきたのは、中村奇輔である。まだ長崎に滞在し、参考になりそうな洋書を探している。
「佐野どのは居られるか!この者を助けてほしいのだ!」
長崎台場の責任者・伊東次兵衛が、急患となった部下を担ぎこんできた。
高熱でうなされる佐賀藩士、永渕という名である。担架のような板で運ばれている。
「ううっ…」
「永渕、気を確かに持て!蘭方の先生が診てくれるぞ!」
伊東は苦しむ部下を励ます。
――偶然だが“伊東”という名の人物が、医者・佐野栄寿に救いを求めてきた。
江戸での師匠・伊東玄朴のことが、ふと頭をよぎる。
佐野には医術の教えを受け、病気から救ってもらった恩人を、裏切ってしまった過去がある。
「たしか“伊東さま”と、おっしゃいましたね。」
「いかにも。長崎の台場を受け持つ、伊東次兵衛と申す。」
佐野は、1つ深呼吸をして心の中でつぶやいた。
「玄朴先生…不肖の弟子、佐野栄寿。まだ“医の道”をあきらめてはおりません…」

――その時、佐野栄寿は、医者の顔に戻っていた。苦しむ患者に、佐野は声を掛けた。
「ううっ…う…」
「永渕さん…と言いましたね。もう大丈夫です。」
江戸の伊東玄朴に教えを受け、大坂の緒方洪庵の適塾で学び、紀州(和歌山)で華岡流の麻酔も研修した。佐野は、当時、最先端クラスの医術を修業していたのである。
「渡辺さん!手を貸してください!」
佐野は、適塾から来た旧友・渡辺卯三郎に手伝いを求めた。
「いま…支度しとるがや…」
言われる間でもなく、渡辺は準備を始めていた。
「助かります。」
気迫に満ちた、佐野の治療が始まった。
――治療の間、手出しのできない科学者・中村奇輔は、遠巻きに様子を眺める。
「佐野はん!格好よろしいなぁ。負けてられまへん!」
これから、中村は佐賀の“精錬方”に戻る。医師・佐野栄寿の活躍は、中村の研究への情熱を呼び起こしていた。
(続く)