2020年05月17日
第10話「蒸気機関」③
おはようございます。
前回の続きです。技術開発にあわせて、少し佐賀藩の内情の表現を試みます。
――1852年。佐賀城下の“多布施”に位置する「精錬方」の施設。研究所、工場、居宅などが集まっている。
「田中さん!どがんですか、佐賀の住み心地は?」
佐野栄寿が田中久重に問う。
「いや、良くしてもらっておるぞ!」
機械技術者・田中にとって、衣食住と製作環境が揃う、この待遇は期待以上らしい。
――田中父子だけでなく、中村奇輔、石黒寛次も多布施に住居を与えられている。
「ここでの暮らしは良い!まぁ…ずっと蘭書を訳しているがな!」
石黒寛次は、翻訳に没頭している。
「そうだ、石黒さん!これもお願いします!」
実は彼らのスカウトを行った佐野自身は、なんと長崎で蘭学塾を立ち上げていた。
――今日は、自分がスカウトした4人の様子伺いと、石黒に翻訳してもらう書物を届けに来たのである。

「砲術…造船…、それと何だこりゃ!?まぁ…ええけどな。」
“得体の知れない洋書”の登場に、石黒も苦笑いである。
――そして科学者・中村奇輔が、佐野の姿を見つける。
「佐野はん!実は先だって…」
中村が何か言いたそうだ。
「実は、お殿様が幾度か来られてな…」
「あぁ、そうでしたか。」
佐野があっさりとした反応をする。重大事を話したつもりの中村は面食らった。
「佐野はん、驚かんのか!お殿様やで!」
「殿は、“弘道館”(藩校)にもよくお越しになりますので…佐賀ではよくあることです。」
殿・鍋島直正が勉強する者の近くに現れるのは、常のことだった。
――しかし、殿も大変なのであった。佐賀城の一角にて。
「殿っ!申し上げたき儀(ぎ)がござる!」
「原田か。いかがした。」
直正に声を掛けたのは、原田小四郎。
最近、めきめきと頭角を現している、直正の有力な側近の1人である。
「“精錬方”のことにござる!」
「…あぁ、そのことか。」
――いわゆる“重臣のお小言”である。あまり気が乗らない反応をする直正。
「海の物とも、山の物ともつかぬ余所者(よそもの)を、多額の費えで雇うとは!」
「いや…原田よ!あれは大事な者たちなのだ。」
「殿っ!お聞きくだされ!」
「…うむうむ。」
――佐賀藩は、支藩(鹿島など)や、鍋島家の親類などの領主が治める自治領(武雄など)に細かく分かれていた。
長崎警備などで財政負担の大きかった佐賀本藩は、長年の間、支藩である鹿島藩の吸収合併を計画していたのである。
そして、幕府も巻き込んだ騒ぎに発展したことがある。
直正も「腹を割って話そう」と調整に苦心し、何とか騒動は収束した。
「幾度も厳しきことを申し付けております、鹿島(支藩)の者たちの目もござるぞ。まずは、倹約ではござらぬか。」
原田小四郎、ストレートに“正論”をぶつけてくる。これもサムライの忠義の形である。

――原田小四郎は、親類(支藩や親類、その同格)に次ぐクラスの名家出身のエリートで、発言力も強い。
鍋島直正は、西洋の技術に熱心だが、ただの新しい物好きではない。
佐賀県人の気質に通ずるしれないが、マジメで秩序を重んじる保守的な性格でもある。
ゆえに直正の目指した価値は、秩序と革新の両立である。保守派の急先鋒・原田も、また直正の理想のために働いているのだ。
「原田、お主の言うこともわかるぞ!しかしだな…」
――そこに“武雄のご隠居”鍋島茂義が現れる。
「原田よ!」
ここで茂義の“乱入”により、風向きが変わる。
「おおっ、武雄の“義兄上(あにうえ)”」
直正、助け舟の登場にホッとした様子だ。
「彼の(かの)者たちは、儂が殿より命ぜられた“蒸気機関”の仕立てに欠かせぬ者どもじゃ!」
「儂の顔を立ててくれんか!」
もはや、お願いなのか、威圧なのかがわからない。久しぶりの“武雄のご隠居”の剛腕である。
「…かような仕儀なれば、しばし様子を見まする…」
原田、不承不承ではあるが引き下がった。
――原田小四郎が去り、ひと息つく直正と茂義。
「殿!…たいそう家来に気を遣うのだな。」
茂義が少し、皮肉を言う。
殿であるとはいえ、もともと直正は14歳年下の“弟分”でもある。とくに遠慮はない。
「原田とて、儂の意を受けて、励んでおるのだ。無下には扱えん。」
農村は富み、商いは活発、城下の治安も良い…当時の佐賀藩。その根本は、秩序を重んじ、それぞれの為すべき仕事に全力を傾けることだった。
鍋島直正は、実際に仕事にあたる部下をよく見ている。その分、悩みも増えるのである。
(続く)
前回の続きです。技術開発にあわせて、少し佐賀藩の内情の表現を試みます。
――1852年。佐賀城下の“多布施”に位置する「精錬方」の施設。研究所、工場、居宅などが集まっている。
「田中さん!どがんですか、佐賀の住み心地は?」
佐野栄寿が田中久重に問う。
「いや、良くしてもらっておるぞ!」
機械技術者・田中にとって、衣食住と製作環境が揃う、この待遇は期待以上らしい。
――田中父子だけでなく、中村奇輔、石黒寛次も多布施に住居を与えられている。
「ここでの暮らしは良い!まぁ…ずっと蘭書を訳しているがな!」
石黒寛次は、翻訳に没頭している。
「そうだ、石黒さん!これもお願いします!」
実は彼らのスカウトを行った佐野自身は、なんと長崎で蘭学塾を立ち上げていた。
――今日は、自分がスカウトした4人の様子伺いと、石黒に翻訳してもらう書物を届けに来たのである。
「砲術…造船…、それと何だこりゃ!?まぁ…ええけどな。」
“得体の知れない洋書”の登場に、石黒も苦笑いである。
――そして科学者・中村奇輔が、佐野の姿を見つける。
「佐野はん!実は先だって…」
中村が何か言いたそうだ。
「実は、お殿様が幾度か来られてな…」
「あぁ、そうでしたか。」
佐野があっさりとした反応をする。重大事を話したつもりの中村は面食らった。
「佐野はん、驚かんのか!お殿様やで!」
「殿は、“弘道館”(藩校)にもよくお越しになりますので…佐賀ではよくあることです。」
殿・鍋島直正が勉強する者の近くに現れるのは、常のことだった。
――しかし、殿も大変なのであった。佐賀城の一角にて。
「殿っ!申し上げたき儀(ぎ)がござる!」
「原田か。いかがした。」
直正に声を掛けたのは、原田小四郎。
最近、めきめきと頭角を現している、直正の有力な側近の1人である。
「“精錬方”のことにござる!」
「…あぁ、そのことか。」
――いわゆる“重臣のお小言”である。あまり気が乗らない反応をする直正。
「海の物とも、山の物ともつかぬ余所者(よそもの)を、多額の費えで雇うとは!」
「いや…原田よ!あれは大事な者たちなのだ。」
「殿っ!お聞きくだされ!」
「…うむうむ。」
――佐賀藩は、支藩(鹿島など)や、鍋島家の親類などの領主が治める自治領(武雄など)に細かく分かれていた。
長崎警備などで財政負担の大きかった佐賀本藩は、長年の間、支藩である鹿島藩の吸収合併を計画していたのである。
そして、幕府も巻き込んだ騒ぎに発展したことがある。
直正も「腹を割って話そう」と調整に苦心し、何とか騒動は収束した。
「幾度も厳しきことを申し付けております、鹿島(支藩)の者たちの目もござるぞ。まずは、倹約ではござらぬか。」
原田小四郎、ストレートに“正論”をぶつけてくる。これもサムライの忠義の形である。

――原田小四郎は、親類(支藩や親類、その同格)に次ぐクラスの名家出身のエリートで、発言力も強い。
鍋島直正は、西洋の技術に熱心だが、ただの新しい物好きではない。
佐賀県人の気質に通ずるしれないが、マジメで秩序を重んじる保守的な性格でもある。
ゆえに直正の目指した価値は、秩序と革新の両立である。保守派の急先鋒・原田も、また直正の理想のために働いているのだ。
「原田、お主の言うこともわかるぞ!しかしだな…」
――そこに“武雄のご隠居”鍋島茂義が現れる。
「原田よ!」
ここで茂義の“乱入”により、風向きが変わる。
「おおっ、武雄の“義兄上(あにうえ)”」
直正、助け舟の登場にホッとした様子だ。
「彼の(かの)者たちは、儂が殿より命ぜられた“蒸気機関”の仕立てに欠かせぬ者どもじゃ!」
「儂の顔を立ててくれんか!」
もはや、お願いなのか、威圧なのかがわからない。久しぶりの“武雄のご隠居”の剛腕である。
「…かような仕儀なれば、しばし様子を見まする…」
原田、不承不承ではあるが引き下がった。
――原田小四郎が去り、ひと息つく直正と茂義。
「殿!…たいそう家来に気を遣うのだな。」
茂義が少し、皮肉を言う。
殿であるとはいえ、もともと直正は14歳年下の“弟分”でもある。とくに遠慮はない。
「原田とて、儂の意を受けて、励んでおるのだ。無下には扱えん。」
農村は富み、商いは活発、城下の治安も良い…当時の佐賀藩。その根本は、秩序を重んじ、それぞれの為すべき仕事に全力を傾けることだった。
鍋島直正は、実際に仕事にあたる部下をよく見ている。その分、悩みも増えるのである。
(続く)