2020年05月10日
「主に神埼市民の方を対象にしたつぶやき。」
こんにちは。
新型コロナの影響で、ドラマの再放送をよく見かけます。「JIN-仁-」(TBS系)をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
現代から幕末にタイムスリップした医師・南方仁(大沢たかお)。
ドラマの主な舞台は、1860年代の江戸の街。
旗本(幕臣)の娘・橘咲(綾瀬はるか)が「黒船が来たのは10年ほど前」と語っている場面があります。
南方先生は、西郷隆盛、篤姫など大河ドラマの主役たちを、次々に手術・治療していきます。
現代からタイムスリップした医師が幕末を駆け回る…
主人公の相棒のようなポジションで登場する、この作品の坂本龍馬(内野聖陽)が一番好き!という声も見かけます。
――私は本放送は未視聴で、再放送(総集編)も中途半端にしか見てませんが語ります!ドラマのファンの方、ご容赦を!
「JIN-仁-」の劇中では、手術のほかにも、コレラなど伝染病との闘いが描かれていました。
勝海舟(小日向文世)が「異国との交易で広がった“コロリ”を抑え込めば、幕府の権威が高まる!」
…と、幕府からコレラ治療への援助を勝ち取るために、アピールしています。
たしかに伝染病で異国への敵意が増して、“攘夷”が過激化した側面もあったようです。
――また、ドラマの中には重要拠点として「西洋医学所」が登場していました。
この「西洋医学所」は、佐賀(神埼)出身の蘭方医・伊東玄朴が開いた“種痘所”が発展したものです。
これは歴史上の話ですが、この“種痘所”を拠点に、人々を恐怖に陥れた伝染病“天然痘”に闘いを挑んだのが、佐賀藩医でもある伊東玄朴です。
玄朴は佐賀の蘭方医たちのネットワークを活かして、この「不治の病」に闘いを挑みます。

――“本編”でも少しは書いてみたのですが、充分に描ける力がなく、残念に思っていました。(参照:第6話「鉄製大砲」⑤,第6話「鉄製大砲」⑦)
ここで「JIN-仁-」に便乗し、神埼が輩出した“医術の英雄”・伊東玄朴を語ります。
・伊東玄朴について
江戸の蘭方医のリーダー。蘭方医として初めて、幕府の奥医師となる。“種痘法”の有用性を熟知し、「不治の病」“天然痘”に闘いを挑む。
玄朴は、オランダの医術を修得しており、ウシの天然痘である“牛痘”はヒトには感染しないが、抗体は生成できることを知る。
この“牛痘”を利用することで予防接種である“種痘”を全国に広め、日本を“天然痘”から守る先頭に立つ。
――そして、同じく佐賀藩医の仲間たち、以下の2名も玄朴先生とともに、“天然痘”との闘いに身を投じます。
・楢林宗建は、牛痘の膿を水分を含まず乾燥した“かさぶた”の形で入手することで、輸送中の腐敗を防ぎ、痘苗(ワクチン)を製造することに成功。
・大石良英は、殿・鍋島直正の嫡子・淳一郎(のちの鍋島直大)への種痘を行い、安全性を強くアピールする。佐賀では領民たちにも予防接種が進む。
――ちなみに玄朴先生は、ドラマ「JIN-仁-」にも登場しているようですね。
タイムスリップしてきた南方先生の、現代医術を理解する役回りのようです。
…まぁ、あの佐野常民の師匠ですから、理解できても不思議はないです。

また、史実寄りの話をすると、佐野常民は緒方洪庵の適塾でも学んでますし、華岡流の麻酔を修得するため、紀州(和歌山)でも修業しています。
…ドラマをご覧になった方は、「あ-佐野常民は、あの武田鉄矢のもとでも学んだのか-とか、桐谷健太と一緒に麻酔の勉強をしたのか-」とか考えてみると楽しいかもしれません。
そして、伊東玄朴が設置した“種痘所”は“西洋医学所”となり、後に東京大学医学部へと進化していきます。
――実は、伊東玄朴も“タイムスリップ経験者”では?…などとお考えになった人もいるかもしれません…
玄朴先生の西洋医術ですが、長崎でシーボルトから修得しています。そして、神埼市(仁比山)の生まれであることもはっきりしているようです。
…たぶん、タイムスリップはしていないでしょう。断言はできませんけど。
現在、神埼にある伊東玄朴の旧宅のすぐ傍に、「伊東玄朴記念館」の整備計画も進んでいると聞きます。
――実は玄朴先生、友達の子が“天然痘”に感染したときに救えなかったことがあり、種痘の普及に情熱を注いだようです。
そして、“種痘所”が火事で焼けたときは、「JIN-仁-」と同様、“ヤマサ醤油”が資金を出してくれたみたいですよ。
…どうやら「神は乗り越えられる試練しか与えない」ようです。
お恥ずかしい話、私も最近まで存じ上げなかったのですが、伊東玄朴先生、もっと全国的に知られてよい存在だと思います。
新型コロナの影響で、ドラマの再放送をよく見かけます。「JIN-仁-」(TBS系)をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
現代から幕末にタイムスリップした医師・南方仁(大沢たかお)。
ドラマの主な舞台は、1860年代の江戸の街。
旗本(幕臣)の娘・橘咲(綾瀬はるか)が「黒船が来たのは10年ほど前」と語っている場面があります。
南方先生は、西郷隆盛、篤姫など大河ドラマの主役たちを、次々に手術・治療していきます。
現代からタイムスリップした医師が幕末を駆け回る…
主人公の相棒のようなポジションで登場する、この作品の坂本龍馬(内野聖陽)が一番好き!という声も見かけます。
――私は本放送は未視聴で、再放送(総集編)も中途半端にしか見てませんが語ります!ドラマのファンの方、ご容赦を!
「JIN-仁-」の劇中では、手術のほかにも、コレラなど伝染病との闘いが描かれていました。
勝海舟(小日向文世)が「異国との交易で広がった“コロリ”を抑え込めば、幕府の権威が高まる!」
…と、幕府からコレラ治療への援助を勝ち取るために、アピールしています。
たしかに伝染病で異国への敵意が増して、“攘夷”が過激化した側面もあったようです。
――また、ドラマの中には重要拠点として「西洋医学所」が登場していました。
この「西洋医学所」は、佐賀(神埼)出身の蘭方医・伊東玄朴が開いた“種痘所”が発展したものです。
これは歴史上の話ですが、この“種痘所”を拠点に、人々を恐怖に陥れた伝染病“天然痘”に闘いを挑んだのが、佐賀藩医でもある伊東玄朴です。
玄朴は佐賀の蘭方医たちのネットワークを活かして、この「不治の病」に闘いを挑みます。

――“本編”でも少しは書いてみたのですが、充分に描ける力がなく、残念に思っていました。(
ここで「JIN-仁-」に便乗し、神埼が輩出した“医術の英雄”・伊東玄朴を語ります。
・伊東玄朴について
江戸の蘭方医のリーダー。蘭方医として初めて、幕府の奥医師となる。“種痘法”の有用性を熟知し、「不治の病」“天然痘”に闘いを挑む。
玄朴は、オランダの医術を修得しており、ウシの天然痘である“牛痘”はヒトには感染しないが、抗体は生成できることを知る。
この“牛痘”を利用することで予防接種である“種痘”を全国に広め、日本を“天然痘”から守る先頭に立つ。
――そして、同じく佐賀藩医の仲間たち、以下の2名も玄朴先生とともに、“天然痘”との闘いに身を投じます。
・楢林宗建は、牛痘の膿を水分を含まず乾燥した“かさぶた”の形で入手することで、輸送中の腐敗を防ぎ、痘苗(ワクチン)を製造することに成功。
・大石良英は、殿・鍋島直正の嫡子・淳一郎(のちの鍋島直大)への種痘を行い、安全性を強くアピールする。佐賀では領民たちにも予防接種が進む。
――ちなみに玄朴先生は、ドラマ「JIN-仁-」にも登場しているようですね。
タイムスリップしてきた南方先生の、現代医術を理解する役回りのようです。
…まぁ、あの佐野常民の師匠ですから、理解できても不思議はないです。
また、史実寄りの話をすると、佐野常民は緒方洪庵の適塾でも学んでますし、華岡流の麻酔を修得するため、紀州(和歌山)でも修業しています。
…ドラマをご覧になった方は、「あ-佐野常民は、あの武田鉄矢のもとでも学んだのか-とか、桐谷健太と一緒に麻酔の勉強をしたのか-」とか考えてみると楽しいかもしれません。
そして、伊東玄朴が設置した“種痘所”は“西洋医学所”となり、後に東京大学医学部へと進化していきます。
――実は、伊東玄朴も“タイムスリップ経験者”では?…などとお考えになった人もいるかもしれません…
玄朴先生の西洋医術ですが、長崎でシーボルトから修得しています。そして、神埼市(仁比山)の生まれであることもはっきりしているようです。
…たぶん、タイムスリップはしていないでしょう。断言はできませんけど。
現在、神埼にある伊東玄朴の旧宅のすぐ傍に、「伊東玄朴記念館」の整備計画も進んでいると聞きます。
――実は玄朴先生、友達の子が“天然痘”に感染したときに救えなかったことがあり、種痘の普及に情熱を注いだようです。
そして、“種痘所”が火事で焼けたときは、「JIN-仁-」と同様、“ヤマサ醤油”が資金を出してくれたみたいですよ。
…どうやら「神は乗り越えられる試練しか与えない」ようです。
お恥ずかしい話、私も最近まで存じ上げなかったのですが、伊東玄朴先生、もっと全国的に知られてよい存在だと思います。