2019年12月21日

「島義勇」(賢人その3)<後編>

こんばんは!

さて、島義勇様の人物紹介編の後編です…

<基礎情報>

幕末蝦夷地(北海道)を調査。絵図面を多用した報告を残す。

明治には蝦夷地の開拓担当となり、“札幌”の基礎を築く。

天皇の侍従も務めた。真っ直ぐな性格で周囲に愛される。

※2018年、佐賀城の堀端に銅像が立った。
(札幌市役所、北海道神宮には銅像が、円山公園には記念碑が既にあるようです…佐賀の人なので、気づいてあげて)

<エピソード>

・近海への度重なる黒船出現で、北方の沿岸警備が課題となる。
 佐賀藩資源開発や交易ルート確保も考え、蝦夷地調査

幕府とともに行った調査には、探検家・松浦武四郎が同行。
 は“蝦夷地”通である松浦の助力を得て調査を完成する。

函館戦争が終結し、蝦夷地を開拓する現地責任者“首席判官”に
 任命される。世界一の都を目指して“札幌”の建設を進める。

※そして、佐賀城横の交差点にも、その名が付いた。

<キャラクター>

文系のカリスマ枝吉神陽理系“万能の研究主任”佐野常民と同年。
 2人の天才とは一味違い“殿”の命令で無茶ぶりに挑む体育会系

とともに開拓を担当した、松浦武四郎は“北海道”の名付け親。
 アイヌから搾取する古いやり方を壊し経済仕組み作りに挑む

・“札幌”の建設を進める中、人足にも給金を惜しまず、予算不足に。
 免官と引き換えに予算を得る。は去ったが都市計画は残った。


<象徴的な“お言葉”>

――石狩広大大地を見渡し、後の大都市“札幌”のビジョンを浮かべる。――
「ここを五洲第一(世界一)の都とする!」

…当時、人口およそ20名村落を目の前にして、これを言えてしまうのが凄い。 


以上が、島 義勇様についての報告です。

部下たちには慕われますが、予算を握っている相手などには衝突しがち
 不器用ながら、愛すべき人格の“情熱の開拓者”です。  


Posted by SR at 17:46 | Comments(0) | 人物紹介編(C)

2019年12月20日

「島義勇」(賢人その3)<前編>

こんばんは。

何かと忙しい年末。気持ちが追い込まれている方も多いのではないでしょうか。
今夜はそんな貴方に、少しでも高い大空広い大地を感じていただければと思います。

そう、本日ご紹介するのは、札幌を創った賢人・島義勇様です。

幕末まで“蝦夷地”と呼ばれていた、現在の北海道
そこには、広大な原野と自然とともに生きる人々がありました。

日本沿海のあらゆる地点で、異国船が出現する時代…
幕府は特に蝦夷地など、北方の守りが手薄と考えていました。

佐賀藩主・鍋島直正も同意見であり、島義勇北方の調査を命じます。
そして、幕府の雇った役人とともに蝦夷地冒険に旅立ちます…


「俺たちはやってやるんだ!!」

いまいち才能を発揮しきれていなかったアツい男、島義勇本気を出す時がやって来ます!


・・・大冒険のすえ、佐賀に帰藩した島様。

ワンワンdog

「おー愛い奴じゃのう…よしよし。」

クゥーンdog♪」

――島様、犬がお好きなんですね!

「おお、そうとも!命の恩人じゃからのぅ」

…恩人?

北国はいつでも冷えるのじゃ。犬は暖かいからのぅ。」

…実は暖房器具(?)でしたか。それにしても懐いてるな…犬。

――いかがでしたか、蝦夷地は?

「そりゃ、もう広いぞ!どこを見渡しても地の果てが見えるようじゃ。に入ろうものなら、二度と出られん気がする!」

自然のスケールが違いますからね。


――どのような行程でしたか?

「まず佐賀を出立してから、まず陸路函館に辿り着くまでに半年ばかりかかったわ!」

…まぁ、佐賀藩的には、いろいろ調査目的もありますからね。
 地形とか、動植物とか、鉱物とか…商材の確保資源の開発にもつながりますからね。

――蝦夷地はどのように回られましたか?

「このような感じじゃ!いろいろな困難に振り回されたじゃった!」

…まるで双六ですね。サイコロでも振りたくなる…


――よくご無事で。

蝦夷地に慣れている者がいたのだ。松浦武四郎と申す者がな。幕府の雇い人じゃ。」

北方の守りが不安なのは、幕府も一緒ですからね。探検家の松浦様は適任者だったのですね。

「あやつは、もう幾度も蝦夷地を回っておったという。土地の者とも親しいのだ。」

松浦武四郎が敬意を示していたアイヌの人々ですね。今までの探検の中で信頼が生まれたのでしょうね。


――記憶に残った場所はありましたか?

「途中、ものすごく良い土地があってのぅ!あの土地なれば、世界一の都が作れる!」

…おおっ、世界一と来ましたか。たぶん195万都市くらいになって、2020年にマラソンとか来そうな予感がします。


――今後の予定は?

蝦夷地調査記録をまとめなければならない!表題は“入北記”じゃ!やってやるぞー!」

報告の準備にも気合が入ってます。様も“殿”の期待に応えたいのですね。
 本日は、ありがとうございました。  


Posted by SR at 21:33 | Comments(0) | 人物紹介編(C)

2019年12月19日

「佐野常民」(賢人その2)<後編>

こんばんは。

さて、佐野常民様の人物紹介編<後編>です。

後編は、調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。
幕末だけでなく、明治に入ってからも佐野先生の活躍は続きます。

<基礎情報>

・七賢人唯一の純然たる理系キャラ。でも、涙もろい情の人。

幕末(パリ)明治(ウィーン)万国博覧会に出展を実行。

・佐賀藩として出展した幕末のパリ万博赤十字の思想を知る。



<エピソード>

医術を学んでいたが蘭学の知識を見込まれ、佐賀藩研究所主任になる。
 佐賀の三重津海軍所の創設を主導し、実用蒸気船“凌風丸”も完成させる。

佐賀藩が幕末のパリ万博に出展する際も中心的な役割。見本市の達人。
 佐賀藩の出品数は、同時に出展していた幕府薩摩藩の合計より多数。

・明治に入り、洋式燈台の設置、戦傷者の救護など人を助ける活動に移行。
 内国勧業博の開催、日本美術の保護、赤十字社災害救援など業績多数。

※実用蒸気船“凌風丸”模型
 
<キャラクター>

・佐賀藩に機械化学などの各分野の精鋭涙ながらの情熱でスカウトする。
 プロジェクトリーダーとして才覚は抜群。蒸気機関の製作で目覚ましい成果。

西南戦争のときには、敵味方の区別のなく救護を行う博愛社の活動を開始。
 日本赤十字社を創設。原点である医術にも回帰し、病院も設立。

・蘭学による機械化学などの知識だけでなく、人の才能を見抜く目もある。
 内国勧業博で、荒廃した京都の復興にも貢献。”博覧会男”の異名も持つ。


<象徴的な“お言葉”>

――鉄製大砲蒸気機関研究にどうしても必要な人材スカウトするとき。
「貴殿(キミ)でなければ駄目なのです!」

…猛烈なラブコールですね。もう、目にはを浮かべて”壁ドン”ですね。

以上が、佐野 常民様についての報告です。

万能の研究主任にして、全然理系っぽくないの人です。  
タグ :佐野常民


Posted by SR at 22:31 | Comments(0) | 人物紹介編(C)

2019年12月18日

「佐野常民」(賢人その2)<前編>

こんばんは。

1年を振り返る季節になりました。
仕事、学校、家庭、そして様々な人間関係…今年も色々あって、
”の1年を過ごされた方もいるかもしれません。

「人物紹介編」第2回目は“”の賢人、佐野常民様です。

まずは、佐賀駅より“早津江”行きのバスに乗車し30分ほど…


川沿いに広がりますのが「見えない世界文化遺産」で有名
三重津海軍所跡”です。

――見えない!痕跡が何にもない!
「この“スコープ”をお貸ししましょう。」

――あ、VR(仮想現実)で見るんでしたね、ここは…
双眼鏡の要領で覗いてみてください」

――おぉ、見える!見えるぞ!
大砲の訓練が!蒸気船の修理施設が!

――まさか佐野常民様にご案内いただいていたのですか!?
「そう私が海軍所責任者佐野じゃ。今は蒸気機関の製作や、海軍伝習で忙しくてしておる。おぉ、田中どのが、また走っておる!」

…もしや、佐野様がスカウトした“からくり儀右衛門”田中久重どの?

田中はワシだが?何か?忙しくてな。これから蒸気罐(ボイラー)の試作を見てくる!失敬!」

田中様、エネルギッシュですね。

――ところで、佐野様。あの小屋は何ですか?

鍛冶鋳物の技術で、洋式船の修理用の部品を作っておる。」
「向こうの修覆場では、蒸気船修理できるぞ」



――佐野様“のご趣味”は蒸気機関の製作って感じですか?

「それに“蒸気船”に積む鉄製大砲の性能を上げ、海軍の整備も進めなければならい!!“殿”のため…そして日本のために!」

…これが佐野様の仕事の流儀なのですね!

佐野どの~、新しい“リベット”はどこじゃ~」
田中どの!そちらの鋳物小屋ですー!!」

…どの小屋でも何やら、鋳造金属加工が行われている!
凄い情熱!そして金属音ものづくり日本の“夜明け”を見るようですね。

――蒸気罐(ボイラー)試作プロジェクトも順調のようですね。

佐野どの~!蒸気罐(ボイラー)の試作が完了したぞ!」
田中どの!これで”殿”にお見せできるっ!!」

…皆、大喜びをした…佐野感激の涙を流した…
「皆、“殿”の期待に応えたいと思って…」

プロジェクトリーダー佐野様、機械製作の田中どの、
佐野様がスカウトした最先端の化学者も、技術書の翻訳家も、鋳物鍛冶の職人もいる…

ここには、異分野交流による“オープンイノベーション”があった…

…なんだかプロジェクトXとかのナレーションっぽい気分になりました。

――ところで最近、何か記憶に残った出来事を教えてください。

「つい最近、“観光丸”で薩摩まで殿をお連れしたのだ。ものすごく緊張した。」


…薩摩!まさか島津斉彬公のところですか。
しかも“観光丸”って、幕府から借りてる蒸気船じゃないですか。
かなり危うい気がします・・・

佐賀から薩摩までの往復じゃ。無事、帰れたときは、本当にホッとしたぞ~!」

佐野艦長!“殿”を乗せての秘密の航海、お疲れ様でした。


佐野様はよく泣きます。
幸せな涙辛い涙…のほか、優秀な技術人材スカウトするときにも
涙ながらにアツく説得していたようです。

ちなみに蒸気外輪船“観光丸”は現在、長崎で復元されているとのこと
…初めて知りました。
産業革命クルーズ」なんてプランもあるらしいですよ。

今後、乗船される方は、従兄弟(島津斉彬公)と密談しに行く“殿”と
緊張する船長・佐野常民をイメージしていただけると幸いです。  
タグ :佐野常民


Posted by SR at 23:02 | Comments(0) | 人物紹介編(C)

2019年12月17日

「鍋島直正」(賢人その1)<後編>

こんばんは。

今年もあと2週間ほど。
五月に“平成”から“令和”に元号が変わった特別な年。

皆様にとって、どんな1年だったでしょうか。

さて、鍋島直正様の人物紹介編<後編>です。



調査結果をまとめた「賢人ファイル」より抜粋いたします。

<基礎情報>

日本の近代化を先導した佐賀藩主。“七賢人”を統括。

財政再建産業革命教育改革をまとめて達成。

幕府薩長も真意が読めない。通称「肥前の妖怪


<エピソード>

長崎警護の強化など出費が増、財政危機に陥った佐賀藩
 質素倹約と殖産興業と、大胆な借財整理で再建に挑む。

・佐賀藩はアメリカのペリーが来航する前から鉄製大砲を完成。
 幕府は、品川台場(お台場)に配備する大砲を佐賀藩に発注する。

・ペリー来航の直後に、ロシアプチャーチン長崎に現れた。
 佐賀藩長崎に築いた砲台は、幕府の対ロシア交渉を有利に導く。



<キャラクター>

優秀な藩士と見るや「蘭学は良いぞ!」と勉強を勧める“蘭癖大名
 自身もオランダ船に乗り込む、持ち前の好奇心で家臣を牽引する。

・愛用の蒸気船を乗り回す。「大名が黒船で来た!」と大坂で話題に。
 かなり真面目なので諸外国の脅威とか、心配ごとが多く胃病持ち

科学技術は倹約の対象外。研究への批判は“これは余の道楽”と躱す。
 藩士を大事に扱い、その実力を最大限に引き出す“伝説の管理職


<象徴的な“お言葉”>

――大砲鋳造の実験を失敗し続け、切腹しようとする部下を守るための命令。
「命を絶つことは許さん。生きてやり遂げよ!」


以上が、鍋島 直正様についての報告です。

冒険心心配性二面性がとっても魅力的な“殿”です。  
タグ :鍋島直正


Posted by SR at 22:44 | Comments(0) | 人物紹介編(C)

2019年12月16日

「鍋島直正」(賢人その1)<前編>

本日もお疲れ様です。
忘年会の方は飲み過ぎにはお気をつけて…

さて、今回からは「人物紹介編」に入っていこうかと考えております。

主要登場人物である“七賢人”の人となりを探るのが目的ですが、
あわせて周辺の人間関係も見ていこうという企画です。

まず、第1回目は“殿”です。やはり鍋島 直正公こそトップにふさわしいでしょう。

では…


こちらは佐賀城本丸御殿です。

――本日は、お世話になります。

「殿のお傍に仕える“古川”である。案内いたすので、ついて参れ。」
古川様、お取次ぎいただき恐縮です。


…城の廊下、長っ!しかも畳敷きだし…。

「こちらで、しばし待たれよ。くれぐれも殿に失礼のないようにな。」
…はい、待ちます。

「肥前佐賀藩・第10代当主 鍋島直正様がお見えである!」
ははーっ!

苦しゅうない。面(おもて)を上げよ。
…ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます!

「ハッハッハ…堅苦しい挨拶はもう良い。何か聞きたいことがあるのであろう。」
…では、遠慮なく。ありきたりの質問になりますが。


――ご趣味は?

「まぁ、これも仕事のようなものじゃが槍の修練かのう。」
…うわっ、想定外の筋肉質。マッスル大名!?

「殿は、槍では宝蔵院流の奥義を極めておられる。」
古川様、補足ありがとうございます。


――今後、やってみたいことはありますか?

「現在、我が藩の反射炉佐賀城下の“築地”にあるのじゃが。」
…存じています。鉄製大砲を量産していますし、長崎砲台築きまくってますよね、佐賀藩

「今度は、幕府老中・阿部正弘様から鉄製大砲を発注されてのう。」
…そうなんですか。いかほど。

50門ほどじゃな。どうやら江戸の品川に配備するらしい。」
…品川沖の“お台場”に配置するのですね。

「“築地”だけでは反射炉が足らんので“多布施”にも作った。」
…あっさり工場作っちゃいますね~!これぞ産業革命


――では、記憶に残っている出来事は?

17歳で藩主になったのだが、江戸から佐賀に向かう晴れの日にな…」

「あれは、辛ぅございました…
…殿!古川様!一体何があったんですか!?

――でも、そこまで辛いならば、別の話題でも…

良いか!では、蒸気機関の話でも良いか!?」
…殿、めっちゃ表情が明るくなりましたね。相当、好きなんですね“蒸気機関”

「そうとも、蒸気機関があればのぅ、蒸気船鉄製大砲が積み放題じゃ!」
…たしかに、大きい船も、頑丈な船も動かせますし。

異国が海のどこから攻めてきても、撃退できるのじゃ!」
…なるほど。

――気になるんですけど、お金は?資金はどうなさいますか?

「よくぞ、聞いてくれた。我が領内には、大量に櫨(ハゼ)の木を植えておる。」
ハゼノキ?何に使うのですか?

「これが灯りに使う蝋(ロウ)の原料になるのじゃ!高く売れておるぞ!
…おお、見事な殖産興業ですね。“明治”を先取り。


領民潤うことで、藩は強くなるのじゃ!」
…さすが、名君!“佐賀さいこう(最高)

「ほぅ、その“佐賀さいこう!”なる所作は何か?」
…実は私もよくわからないんですが、県が関わる催しでよく使われる、かけ声所作のようでございます。

「それも興味深いのぅ。何やらよく勉強しておくと良いぞ。」
…ははっ!

本日はお忙しいところ、ありがとうございました。  


Posted by SR at 22:48 | Comments(0) | 人物紹介編(C)

2019年12月15日

佐賀の七賢人?八賢人?<後編>

今年もあと半月ですね。
今週末は、年末に向けた用事を片付けている方も多いのではないでしょうか。

前回は「佐賀の七賢人」の“8人目枝吉神陽先生についてご紹介しました。
今回は、その神陽先生が鍛えた七賢人(その4~7)の四人です。


STEP3:明治を開いた者たち

幕末…教育の拡充に取り組む佐賀藩
この頃、佐賀藩では「勉強をしない藩士は役職に付けない」規則を制定していた。
そのため、城下の教育熱は極めて高く、藩校“弘道館”は異様な熱気に満ち溢れていた…


七賢人その4…副島種臣〔明治初期の外務卿〕

枝吉神陽の実弟。名字が違うのは副島家に養子に入ったから。
この頃、兄の神陽は藩校“弘道館”の教授です。

弟・副島種臣は兄・神陽に気を遣います。
少なくとも兄の顔に“泥は塗らない”ように…

周囲に評判の良い書物を選び、自分を優等生に見せようとする副島
そんな弟に兄・神陽はこう言い放ちます。
お前は何のために学問をしておるのだ!人に見せるためか!

副島は「あの時の兄さんが何より怖かった…」と語っています。

明治初期という激動の時代に諸外国と堂々と渡り合った副島。
外国領事より兄貴の方がプレッシャーが高かったようですねsweat01


七賢人その5…大木喬任〔国民皆学を進めた文部卿〕
膨大な読書量に裏打ちされた能力。
安心して後を任せられる“手堅い実務家”になりました。

七賢人その6…江藤新平〔近代法制を確立した司法卿〕
才気溢れる改革者”であり、日本の近代司法を確立した人。
裁判所とか法曹三者とか、現代まで続く制度を作っています。

七賢人その7…大隈重信〔通貨単位“円”を定めた大蔵卿〕
超ポジティブ”で、わりと要領の良い弟キャラ
長崎で佐賀藩英学校を立ち上げる。でも学校の責任者は副島先輩
藩の密命で貿易にも関わり、莫大な利益を叩き出していたとか。
会計の能力だけでなく、かなり商才もある…?


以下で、この3人の関わり方を、イメージしてみました。

――佐賀城下(1844年頃)――

神陽「かわいいお子さんですね。大隈さんのところのですか。」
大隈母「えぇ。八太郎といいます。八太郎!ごあいさつは!」
大隈おおくま はちたろう です!しんようせんせい、こんにちは!」

神陽「良い子だ。今のうちから、よく本を読むと良いぞ!」

…年齢的には、地方から東大に勉強に行く大学生と近所の幼稚園児の感じだと思ってください。
ちなみに大隈重信幼名が“八太郎”です。

――佐賀城下(1854年頃)――

大隈大隈八太郎です!神陽先生、こんにちは!」
神陽「しばらく見ぬうちに大きくなったな。今日はどうした。」

大隈「藩校を退学になりました!僕に本物の学問を教えてください!」
神陽「例の乱闘騒ぎか。まぁ、良いだろう。」

私塾を開いた先生のところに駆け込む高校生だと思ってください。
ちなみに乱闘騒ぎとは、藩校で起きた“人気者の大隈くん”争奪戦です。
南北の寮で“大隈”の奪い合いが起き、殴り合いの大喧嘩になりました。


――大隈は神陽先生のもとで学びます。そこには勉強のできる先輩たちがいます――

大木「相変わらず、神陽先生の課題は難しい。」
江藤「それゆえ“学び”になるのでは。」

江藤「この課題には、まずそこに山積みになっている書物を通読し、論旨の裏付けとなる材料を拾うこと。」
大木「そうだな。」

江藤「そして長崎より取り寄せられた西洋の書物の要旨抽出し、照らし合わせることが必要と考えます。」
大木「お前が読みたいのは、そちらだな。よし、山積みの書物の方を俺が引き受ける!」


――大隈は、この2人からも大きな影響(?)を受けます――

大隈 「江藤さん!この“法律”に関する書物は、読むに値するでしょうか!」
江藤 「それは価値のある良書だ!内容としてはだな、まず、序論にて法の思想を著す!」
大隈 (…きっと話が長くなるが、自分で読むよりは、江藤さんに聞いた方が早い…)


――日々こんな感じ――

大隈 「大木さん!古代中国の“教育”についての良書があると聞きました!」
大木 「それか!俺も読もうと思っていたのだ。心あたりを探さねばのう。」
大隈 (…後で、大木さんから要点だけ聞こう…)


以上です。

いろいろと情報は収集していますが、今回はかなり想像が入っている部分があります。

やたら効率の良い勉強方法を取る、大隈八太郎
とくに大隈先生ファンの皆様、記述に失礼があればご容赦ください。

幕末における佐賀藩の“最高の実務能力”はこのように作られていったのでは…と考えています。
拙文、お読みいただきありがとうございました。
  


Posted by SR at 13:21 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内

2019年12月14日

佐賀の七賢人?八賢人?<前編>

お休みの方、いかがお過ごしでしょうか。
そして、お仕事の方お疲れ様です。

さて、県内の皆様は時おり「佐賀の七賢人」という呼称をお聞きになると思います。
今までの記事のおさらいも兼ねて・・・

STEP1:名君の登場まで

幕末…長崎警備を担当する佐賀藩。“フェートン号事件”で異国の脅威を知る。

藩政を改革して力を蓄えねば!と考えた人が、古賀穀堂
西洋の科学技術で強くなろう!と動いた人が、鍋島茂義〔武雄地域の領主〕

名君の教育係”古賀穀堂から教えを受け、“蘭学兄貴”鍋島茂義から科学技術を引き継いだのが…

七賢人その1鍋島直正〔佐賀藩10代藩主〕

私が勝手に付けた異名が“伝説の管理職”です。
“殿”が個性豊かな部下たちを自由自在に使いこなします。
その「マネジネント」ぶりが見どころだと思っています。


STEP2:幕末の俊英たち

幕末…財政再建を進めていく佐賀藩。研究開発教育改革にも全力を注ぐ!

七賢人その2佐野常民〔日本赤十字社創設〕
理系全般をこなす“万能の研究主任”です。
“殿”の指示で、蒸気機関でも近代海軍でも次々に完成させていきます。

七賢人その3島義勇〔北海道に札幌を創る〕
体育会系の配下“情熱の開拓者”です。
“殿”の命令で、日本の北方の守りを調査すべく極寒の蝦夷地探検に挑みます。


そして、文系で最も期待された人物。
江戸で国学を修め“尊王のカリスマ指導者”になった人が枝吉神陽

続く賢人たち(その4~7)を育てた師匠です。

佐賀の八賢人」と呼ばれるときは、通常、枝吉神陽もカウントされています。

ただ、個人的には神陽先生は“賢人”を超えた“超人”として描いてほしいな~と考えています。

残されたエピソードを見ると、頭脳は天才、身体は壮健、カリスマは抜群。
そして、女性・老人・子どもには優しい!
弟子たちには、ちょい厳しい
なにせパーフェクトなのです。

彼の弟子である賢人4~7については、後編でまとめます。

  


Posted by SR at 14:16 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内

2019年12月13日

STEP3(B):明治を開く者たち<後編>

――ここは俺に任せて、お前は先に行け!――

「急に何の話!?」という反応がかえって来そうですね…

本日は、まず大木喬任様を紹介したいと思います。
冒頭のセリフがとても似合う人物です。


写真右側をご覧ください。
じっと話を聞いている方です。

写真左側が、江藤新平様です。
才気溢れる“改革者”であり、日本史上でも稀にみる立法家。

明治の日本を近代法治国家にした人です。
しかも超高速dashdashdash

さて、話を戻します。
江藤大木の関係ですが、概ね以下のような感じです。

<幕末の動乱>
江藤「佐賀藩は京都での政局に出遅れた。脱藩して情勢を探ろう。」
大木「お前は、迷わず行け!資金なら俺が何とかする!」

<時代は明治に>
江藤「いよいよ都を“東京”に移す時だな。段取りは付いた。」
大木「後は任せろ。俺が“東京府”知事として受け止めてやる。」

<近代日本を築く>
江藤大学の方向性は定まった。あとは女子教育をどうするか…」
大木「お前には司法制度の構築があるだろ。国民皆学は俺が引き受けた。」

大木は“この場”を引き受けて、江藤を“先に”行かせます
安心して後を任せられる“手堅い実務家”なのです。


――これを日々の仕事や生活に置き換えてみましょう――

貴方が時間に追われているときに、次々に湧いてくる“他の仕事”。
「ちょっといいですか?」
「あの件どうなった?」
「本日中に!急ぎで!」

もっと重要なことがあるのに、貴方は“他の仕事”に包囲され、時間を奪われていきます。

まるで…敵のボスを追わなければならないのに、次々に現れる手下どもに苦戦するヒーローです。

そんなとき、頼れる“相棒”が駆け付けて
「ここは俺に任せて、お前は先に行け!」と“他の仕事”をバッサバッサと片付けてくれたらどうでしょう。
感激で目頭がアツくなりませんか?

一言で表すと、大木喬任様はそんな方です。


さて、大木様を絶賛し過ぎた気がしますので、少しバランスを取るため情報を追加します。
大酒飲みです。

新政府の要人に、東京遷都案を相談する際も“ほろ酔い”だったとか言います。
また話が進展しないと“やけ酒”していたとか、いろいろ情報が残ってます。


今回で「駅前まちかど広場」での賢人紹介シリーズは、ひとまず終了です。

まずは佐賀の賢人たちにリスペクト(尊敬)を示すべく、本シリーズではなるべく敬称で語りました。
次回以降は“敬称略”が多くなると思いますが、ご容赦ください。

お読みいただき、ありがとうございました。  


Posted by SR at 21:20 | Comments(0) | 構成編(P)

2019年12月12日

STEP3(A):明治を開く者たち<前編>

――人間は希望によって生活している。希望そのものは人間の命である――

さて、急に始まってしまいましたが、本日はいかがお過ごしですか。
日中のお仕事などは、うまく行きましたでしょうか。

今回は、幾多の“失敗”を重ね、冒頭の“名言”に至った人。

大隈 重信様からご紹介します。


写真左側です。

立ち姿にて拳を握りしめる姿。
なんか若い感じがしますよね。

実は、このシリーズで紹介する賢人の中では、最年少なのです。
晩年まで活躍なさったので、ご年配のイメージが付いている方も多いと思います。

しかし、この青年は一言で表せば「ちゃっかり者の末っ子」なのです。

・母が勉強部屋を“居眠り防止”仕様に改造する教育ママ。

・かなり年上の姉が2人いる。要領のいい“弟キャラ”を確立。

・大隈家は“勉強ができる先輩”の溜まり場。

調べれば、調べるほどポジティブで楽しい人です。
…それなりに周囲を振り回してるので、「いや、大変な人です!」って反論はあるかもですが。


そして、写真右側の人
振り回された(?)先輩の1人です。
杖を持って座っている、いかにも賢そうな方。

副島 種臣様です。

前回、ご紹介した枝吉 神陽先生の実弟。
佐賀藩随一の秀才との呼び声も高いものの、兄貴の“天才ぶり”に圧倒され、劣等感を持ちます。

しかし人望が厚いので、副島が絡んでいると周囲の信頼度がグッと上がります。

ここで先ほどの“弟キャラ”大隈くんの出番です。
副島先輩!長崎に英学校つくりたいんですけど~」
大隈くんは続けます。
「僕じゃ、若すぎて責任者になれないんですよね~」

副島先輩も応じます。
「そうだな、もはや蘭学というより英学の時代だな」

こうして、大隈くんは自分の勉強したいことに副島先輩を担ぎ出します。

佐賀藩の方も
「まぁ、副島が責任者なら良いか」ってな感じになりました。

こうして2人は幕末の最先端地域・長崎で活動します。
現地で佐賀藩の英学校を立ち上げ、英語からアメリカ合衆国憲法(!)まで学びます。

これが明治新時代の外交財政を担当する能力につながっていきます。
副島の外交・大隈の財政での活躍は、またあらためて。  


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