2019年12月23日

「副島種臣」(賢人その4)<後編>

こんばんは!

今年も残り10日を切り、とっても気忙しいですね…。

そんな中ですが、副島種臣様の人物紹介編の後編をお送りします。

明治時代の終盤まで生き残り、“人格”で佐賀の存在感を示し続けた人です。


<基礎情報>

・高潔な人格者。薩摩の西郷隆盛外国領事まで副島を信頼する。

尊王のカリスマである枝吉神陽)と自身を比較し謙虚

に表れた人格が受け手に感銘を与える“超一流”の書家でもある。


<エピソード>

佐賀藩長崎英学校を設立。宣教師は副島の優秀さを絶賛。
 英語は初学者でも、合衆国憲法まで習得。学校の責任者も務める。

・明治初期には外務卿。日本に入港したマリア・ルス号で奴隷扱いの
 清国人を解放。相手国からの裁判も勝利し、国際社会で高く評価。

・後に西南戦争が起きた際は、清国に滞在していたが、西郷隆盛から
 遺言が送られた。副島への期待と「生き残れ」との内容が伝わる。


<キャラクター>

佐賀藩内でも藩士からの信頼は絶大で、長崎での英学校設立の時は
 年少の大隈重信から頼まれて代表に推挙。副島だと異論も出ない。

尊王思想家の影響で、公家よりも“天皇親政”の時代に詳しく
 豊富な知識で、明治新政府正当性を固め、組織体制も構築する。

・明治時代の半ば、天皇の侍講(先生)となる。薩摩・長州の藩閥
 警戒され辞職の意思を示すが、天皇から直筆の手紙で慰留される。


<象徴的な“お言葉”>

――佐賀戦争(佐賀の乱)の悲劇で、副島は自分を見失う。幕末に病死したを想い、つぶやく
「…兄上、次郎(種臣)を叱ってくださいませ」

※兄・枝吉神陽

…晩年、副島は自分の語ることで正しいことはの言葉。誤りは自分の未熟さと語っていたそうです。

以上が、副島 種臣様についての報告です。

…卓越した語学力と豊富な学識を持つ、“信頼を集める外交官”です。
 しかし、偉大すぎた兄への尊敬劣等感生涯変わらなかったそうです。  


Posted by SR at 22:20 | Comments(0) | 人物紹介編(C)