2019年12月09日

お話にあたって

本日もお疲れ様です。
最近は冷え込みますね。

寒がりの貴方に、温かくなれそうな佐賀藩のキーワードを贈ります。
反射炉”、鉄製大砲!”、“蒸気機関!”

どうでしょう?少しは暖かくなりましたでしょうか。
いや…むしろ熱いsweat02…というか危ないdanger

さて、本題ですが、幕末の佐賀藩がなぜここまで先進的であったか?

歴史好き各位には愚問であると思いますが、当時の最先端地域であった“長崎”を抜きに語ることはできないと思います。

いわゆる“鎖国”の影響で江戸時代を通じて、西洋文明の窓口と言える場所は長崎に限られていました。
日本の表玄関、長崎の警備には近隣の“佐賀藩”と“福岡藩”が一年交代であたっていました。

そして、1808年(ペリー来航の45年前)に警備を担当していた佐賀藩は、“異国の脅威”に遭遇することになります。

この「フェートン号事件」をざっくり説明すると、国交のないイギリスの船が長崎港に侵入し、オランダ商館員を人質にとって、食料等を要求した事件です。

経費節減のため、バリバリに警備を減らしていた佐賀藩幕府からめっちゃ怒られました。そして、厳しい処分が与えられます。

灯の消えたようになった佐賀城下。
佐賀藩の人々は、他のどの地域より早く、“異国の脅威”を現実のものとして感じ始めたことでしょう。

・・・良く言えば“世界”を見つめることになったのです。

以上を前提に次回以降の投稿を進める予定です。
長文でしたが、ご覧いただいた方ありがとうございました。






  


Posted by SR at 20:41 | Comments(2) | ご挨拶・ご案内