2019年12月14日

佐賀の七賢人?八賢人?<前編>

お休みの方、いかがお過ごしでしょうか。
そして、お仕事の方お疲れ様です。

さて、県内の皆様は時おり「佐賀の七賢人」という呼称をお聞きになると思います。
今までの記事のおさらいも兼ねて・・・

STEP1:名君の登場まで

幕末…長崎警備を担当する佐賀藩。“フェートン号事件”で異国の脅威を知る。

藩政を改革して力を蓄えねば!と考えた人が、古賀穀堂
西洋の科学技術で強くなろう!と動いた人が、鍋島茂義〔武雄地域の領主〕

名君の教育係”古賀穀堂から教えを受け、“蘭学兄貴”鍋島茂義から科学技術を引き継いだのが…

七賢人その1鍋島直正〔佐賀藩10代藩主〕

私が勝手に付けた異名が“伝説の管理職”です。
“殿”が個性豊かな部下たちを自由自在に使いこなします。
その「マネジネント」ぶりが見どころだと思っています。


STEP2:幕末の俊英たち

幕末…財政再建を進めていく佐賀藩。研究開発教育改革にも全力を注ぐ!

七賢人その2佐野常民〔日本赤十字社創設〕
理系全般をこなす“万能の研究主任”です。
“殿”の指示で、蒸気機関でも近代海軍でも次々に完成させていきます。

七賢人その3島義勇〔北海道に札幌を創る〕
体育会系の配下“情熱の開拓者”です。
“殿”の命令で、日本の北方の守りを調査すべく極寒の蝦夷地探検に挑みます。


そして、文系で最も期待された人物。
江戸で国学を修め“尊王のカリスマ指導者”になった人が枝吉神陽

続く賢人たち(その4~7)を育てた師匠です。

佐賀の八賢人」と呼ばれるときは、通常、枝吉神陽もカウントされています。

ただ、個人的には神陽先生は“賢人”を超えた“超人”として描いてほしいな~と考えています。

残されたエピソードを見ると、頭脳は天才、身体は壮健、カリスマは抜群。
そして、女性・老人・子どもには優しい!
弟子たちには、ちょい厳しい
なにせパーフェクトなのです。

彼の弟子である賢人4~7については、後編でまとめます。

  


Posted by SR at 14:16 | Comments(0) | ご挨拶・ご案内